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どおりかん

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どおりかん
どおりかん

どおりかん』(しじつがん、繁体字はんたいじ: どおりかん; 簡体字かんたいじ: 资治どおり; 拼音: Zīzhì Tōngjiàn; ウェードしき: Tzu-chih T'ung-chien)は、中国ちゅうごくきたそう司馬しばひかりが、1065ねん治平じへい2ねん)のえいむねみことのりにより編纂へんさんして1084ねんげんゆたか7ねん)に完成かんせいした、編年体へんねんたい歴史れきししょ[1]ぜん294かん。もとは『つうこころざし』といったが、かみはじめにより『どおりかん』と改名かいめいされた。『ゆたかおおやけどおりかん』『涑水どおりかん』ともいう。

収録しゅうろく範囲はんいは、紀元前きげんぜん403ねんしゅうれつおう23ねん)のかんたかしちょう自立じりつによる戦国せんごく時代じだいはじまりから、959ねんこうしゅうむね顕徳けんとく6ねん)のきたそう建国けんこく前年ぜんねんいたるまでの1362年間ねんかんとしている[2]

このしょ王朝おうちょう時代じだいには司馬しばひかりあいまって、たか評価ひょうかあたえられてきた。また後述こうじゅつのように実際じっさい政治せいじおこなうえでの参考さんこうきょうすべきしょとしてつくられたこともあり、『さだかんせいよう』などとならんで代表だいひょうてき帝王ていおうがくしょとされてきた。また近代きんだい以後いごも、司馬しばひかり執筆しっぴつもちいた史料しりょうすで散逸さんいつしたものがすくなくないため、有力ゆうりょく史料しりょうされている[3]

内容ないよう

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司馬しばひかりは『どおりかん』のふみからだえらとき、あえて当時とうじ全盛ぜんせいであった『史記しき』『漢書かんしょ以来いらい正史せいし形式けいしきである紀伝きでんたいらず、編年体へんねんたいとした。これはかれ儒学じゅがく経典きょうてんである『春秋しゅんじゅう』にならうことを目的もくてきとしたもので、主観しゅかんはい客観きゃっかんおもんじる司馬しばひかり思想しそうによるもの[3]とされるが、それ以外いがいにも後述こうじゅつする稲葉いなば一郎いちろう研究けんきゅうにあるように当時とうじ紀伝きでんたい史書ししょ欠陥けっかんおぎなうためにったものであるとされている[4]

本書ほんしょは、はじめはたんに「つうこころざし」(みなみそうていきこりによる『つうこころざし』はべつのもの)とばれ、ぜん8かんとして1064ねん治平じへい元年がんねん)にえいむねうえていされた。そのかみはじめだいになって「政治せいじじょう参考さんこうするもの(つうじてかんがみる)」という意味合いみあいをもたせて、『どおりかん』というたまわった。内容ないようてきには、正史せいし記載きさいされていない、野史やし家伝かでん、瑣説などの322しゅにのぼる豊富ほうふ資料しりょうもとづいて記載きさいしている。とりわけ、ずいとうだい部分ぶぶんは、おうおさむの『しんとうしょ編纂へんさんった史料しりょうや、のち収集しゅうしゅうされた資料しりょう駆使くししているため、正史せいしとしての『きゅうとうしょ』や『しんとうしょ』、『きゅうだい』・『しんだい』と同様どうように、たか史料しりょうてき価値かちっている[5]

この司馬しばひかり野史やしおおもちいた方針ほうしん当時とうじとしては革新かくしんてきなものであった。とうだい以降いこう正史せいし編纂へんさんするとき儒教じゅきょう経典きょうてんまる暗記あんきした史官しかん儒教じゅきょう道徳どうとくてき問題もんだいがないはなし紀伝きでんたい婉曲えんきょくくのがこのまれていた。とうそう史官しかん貴族きぞく出身しゅっしん官僚かんりょうたちばかりだったので、軍人ぐんじんを卑賤にみており、軍人ぐんじん功績こうせき無視むし文官ぶんかん功績こうせき過大かだいき、文官ぶんかん履歴りれきしょ上表じょうひょうぶん大量たいりょう掲載けいさいしている。このように冗長じょうちょう現実げんじつてき歴史れきし著述ちょじゅつおこなわれていた[6]のだが、司馬しばひかり軍事ぐんじめん史実しじつ民間みんかん野史やしのこっていたはなしおおげている。

司馬しばひかり野史やしおお使つかい、編年体へんねんたいという当時とうじとしては流行はやっていないスタイルで歴史れきしこうとした理由りゆうとしては、歴史れきし学者がくしゃ稲葉いなば一郎いちろう研究けんきゅうでは下記かき要因よういんげられている。

  • 正史せいし膨大ぼうだいであり、かつ官僚かんりょう履歴りれきしょ上表じょうひょうぶんまっているので歴史れきしながれが理解りかいしにくかったこと。このため不要ふよう部分ぶぶん節略せつりゃくすべきというかんがえが当時とうじ学者がくしゃたちのあいだ議論ぎろんされていた。司馬しばひかり自身じしん幼少ようしょうころから中国ちゅうごくまなんだが歴史れきしながれの把握はあく苦心くしんしていた。
  • とうにくらべてそう科挙かきょ官僚かんりょう民衆みんしゅう出身しゅっしんしゃおおく、から以来いらい貴族きぞくによる歴史れきし著述ちょじゅつ不満ふまんたれていたこと。下記かきべる正史せいし編纂へんさんかん偏見へんけん当時とうじ知識ちしきじん失望しつぼうさせていた。
  • 正史せいしとくだんだい紀伝きでんたいでは、歴史れきし編纂へんさんした勝者しょうしゃ王朝おうちょうが「ぜん」とされるため、ずい丞相じょうしょうふかし反旗はんきひるがえ独立どくりつしてとう建国けんこくしたときも「義兵ぎへいをあげた」とあきらかに不公平ふこうへい描写びょうしゃがされていたことに当時とうじ人々ひとびと不満ふまんっていたこと。これはだんだいでは解消かいしょうできず、全部ぜんぶ歴史れきしながれを編年体へんねんたいしるすしかなかった。たとえばていきこりは「ずい家臣かしんぎないふかし謀反むほんのどこに正統せいとうせいがあるのか?義兵ぎへいとはなに根拠こんきょ自分じぶんたちは正義せいぎだといいはっているのか?」と批判ひはんしている。
  • 当時とうじ春秋しゅんじゅうがく発達はったつし、編年体へんねんたい見直みなおされていたこと

[7]

当時とうじ正史せいし編纂へんさんかん偏見へんけんについてはそうひろしの『容斎ようさいよんぴつまきじゅういちくわしくかれている[8]

ひろし邁によると、当時とうじ正史せいし編纂へんさんかんは「無礼ぶれいなこと、家伝かでん記録きろく従軍じゅうぐんした武将ぶしょういた記録きろく野史やし登場とうじょうする些細ささいなこと、正統せいとうではない王朝おうちょう史実しじつなどは、おそらくそれを正史せいし記載きさいすればぶんよごれます」とって野史やし従軍じゅうぐん家伝かでん儒教じゅきょう道徳どうとくてき問題もんだいのないはなしばかりを史書ししょ記載きさいしていた。司馬しばひかりはそうではなく、大胆だいたん野史やし使つかって不道徳ふどうとくなことも記載きさいしているとべ、「だからどおりかん記事きじ本末ほんまつつばらしかかがやいており、野史やし家伝かでん無視むししてはいけないということがかるではないか」とべている[9]

司馬しばひかり野史やしおおいにったために、結果けっかてきどおりかん残酷ざんこく描写びょうしゃおおいとわれるようになった。どおりかん研究けんきゅうした桑原くわばら隲蔵[10]どおりかんしょくじん描写びょうしゃをもとに史料しりょうあつめて有名ゆうめいな「ささえ人間にんげんけるしょくじんにく風習ふうしゅう」という論文ろんぶんいたほどである[11]。これは司馬しばひかり上記じょうきのような儒教じゅきょうてき曲筆きょくひつをすべて排除はいじょし、正史せいし排除はいじょしていた当時とうじ武人ぶじん従軍じゅうぐん記録きろく民間みんかんじん手記しゅきを「政治せいじいましめになるもの」として参考さんこうにしているためである[12]。このことからしばしば「つうかん小説しょうせつる」とわれて批判ひはんされたが、もとの『文献ぶんけんどおりこう』は「とうだい記述きじゅつ野史やしおお採用さいようしているのは、司馬しばひかり矯正きょうせいし、みだれた中国ちゅうごく風俗ふうぞくをただし、理想りそう社会しゃかい実現じつげんしようとしてやったことである。司馬しばこう誹謗ひぼう中傷ちゅうしょうしていたくだらない人間にんげんたちは司馬しばひかりこころざしまった理解りかいしようとしていない。かなしいことだ!」と弁護べんごしている[13]

ぎゃく文官ぶんかん功績こうせきたたえるために、正史せいし大量たいりょう採用さいようしていた文官ぶんかん詩文しぶん上表じょうひょうぶんはほとんど整理せいりされてしまった。また、正史せいし文官ぶんかん功績こうせきたたえるためにしるしていた怪奇かいき現象げんしょうるいすべけずり、「君臣くんしん治乱ちらん成敗せいばい安危あんきあと」すなわち歴史れきしおおきなながれのみを重点的じゅうてんてきしるすようにした。このことはかなり問題もんだいとなり、助手じょしゅりゅうじょ息子むすこりゅう羲仲は『つうかんとえうたぐ』をあらわして「淮南ワイナンおうりゅうやす司馬しば遷が日月じつげつひかりあらそうとまでとなえたこごめはらの『はなれ騒』をはじめとする文学ぶんがく作品さくひんて、歴代れきだい儒者じゅしゃ隠者いんじゃはなしはちわりがた削除さくじょしてしまっているのはまったくおかしなことだ。また劉邦りゅうほう白蛇しろへびったような怪奇かいき現象げんしょう歴史れきし著述ちょじゅつ必要ひつようなもので、それを『どおりかん』がせないのはおかしい」と批判ひはんして司馬しばひかりつたえたが、司馬しばひかり助手じょしゅに「なかなか質問しつもんだ」と返答へんとうさせただけでかいさなかった。ただ、劉邦りゅうほう白蛇しろへびはなしのみ、のち復活ふっかつさせている[14]

また司馬しばひかりは、当時とうじ正史せいし制度せいど経済けいざい軽視けいししていたことを非常ひじょうなげいており、どおりかんでは制度せいど変遷へんせん経済けいざい天文てんもん地理ちりといった百科全書ひゃっかぜんしょてき記載きさいおおくしている[15]ちゅうおこなったえびすさんしょう司馬しばひかり百科全書ひゃっかぜんしょてき記載きさい驚嘆きょうたんし、「ゆたかこうつうかんつくるや、とくにまた治乱ちらんあとすのみならんや。礼楽れいがく暦数れきすう天文てんもん地理ちりいたってはもっとしょういたす。つうかんものいんかわねずみごとし。かくおのりょうたすのみ。」[16]べている。つまり、黄河こうがにネズミがくちをつけてみずみ、自分じぶん必要ひつようりょうみずんだら満足まんぞくしてかえるようなものだ、そしてかわはいつまでもきることがないというのである。

本書ほんしょ作製さくせい方法ほうほうとしては、可能かのうかぎりの資料しりょう収集しゅうしゅうし、それを年月日ねんがっぴ整理せいりなおしてひとつの一大いちだい資料集しりょうしゅう長編ちょうへんともばれた)をつくげるというだいいち段階だんかいいでそのだい資料集しりょうしゅうしたに、司馬しばひかり治世ちせい役立やくだつもののみをえらり、『どおりかん』として完成かんせいさせるというだい段階だんかいがあった。

このうち、だいいち段階だんかい司馬しばひかり自身じしんすべおこなったのではなく、かんだいはその専門せんもんりゅう当時とうじ著名ちょめい学者がくしゃであったりゅうたかしおとうと)が、とうだい司馬しばひかり弟子でし范祖禹担当たんとうし、もっと難関なんかんとされた南北なんぼくあさ時代じだい当時とうじ史学しがく研究けんきゅう第一人者だいいちにんしゃりゅうじょ担当たんとうした。そのため、当時とうじとしてはもっとすぐれた歴史れきし編纂へんさんひとつとなった。なおりゅうじょ史料しりょう収集しゅうしゅうあまりに完璧かんぺきであったため、司馬しばひかりはただ出来上できあがったものをにするだけで、自分じぶんではなにもしなくてもよかったとわしめたほどである。

司馬しばひかりはこのしょ編纂へんさんするにたって、編年体へんねんたいったことからも、春秋しゅんじゅう書法しょほう相当そうとう程度ていど意識いしきしている。これらはかれ文集ぶんしゅうのこもろしょ記述きじゅつや、当時とうじ著名ちょめい春秋しゅんじゅう学者がくしゃであったりゅうたかしりゅう攽のあに)への書簡しょかんのやりりなどからも確認かくにんすることができる。また、考証こうしょう必要ひつよう資料しりょうかんしては、べつに『つうかんこうこと』30かんとしてまとめられている。同様どうように、年表ねんぴょうとして、『つうかん目録もくろく』30かん用意よういされている。

受容じゅよう

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きたそう時代じだいは『どおりかん』はそれほどよろこばれず、司馬しばひかり知人ちじんませたところ居眠いねむりをはじめたほどだったという。また、前述ぜんじゅつのような革新かくしんせい史書ししょだったために、司馬しばひかりのやりかたこころよおもわないものたちが批判ひはんをしており、司馬しばひかり政敵せいてきだったおうやすしせき一派いっぱ新法しんぽうとうは「『どおりかん』は政府せいふ批判ひはんしょだ」とし、まるでみとめていなかった。司馬しばひかりぼつ版木はんぎはたこわそうとする薛昂・はやしなるものさえもいたが、皇帝こうてい序文じょぶんがあったので版木はんぎ破壊はかいまぬかれたという[17]

みなみそうになると知識ちしきじんあいだで『どおりかん』はまれるようになったが、しゅ正統せいとうについて問題もんだいがあると『どおりかん』を批判ひはんしている[14]

むしろかねげんのような征服せいふく王朝おうちょうでは『どおりかん』が大変たいへんよろこばれ、きむきたそう首都しゅと占領せんりょうしたときに版木はんぎかえり、かねむねもとクビライは『どおりかん愛読あいどくしゃであった[14]かねむねは「ちかごろ『どおりかん』をむと、中国ちゅうごく歴代れきだい興亡こうぼうじつによくかり、非常ひじょう勉強べんきょうになる。いにしえりょうよりっている」と絶賛ぜっさんした。またクビライは賈居さだという学者がくしゃ北方ほっぽう遠征えんせいちゅうゲルなかで『どおりかん』を講義こうぎさせており、のちに『どおりかん』のりゃくほんつうかんぶしよう)をモンゴル翻訳ほんやくさせ、モンゴルぞく優秀ゆうしゅう青年せいねんあつめて『つうかんぶしよう』をモンゴルまなばせたという[14]

どおりかん影響えいきょうけた史書ししょ

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本書ほんしょ以後いご中国ちゅうごく学界がっかいあたえた影響えいきょう非常ひじょうおおきく、おなじく編年体へんねんたい歴史れきししょや、編年体へんねんたい欠点けってんおぎなうものとしてのごと本末ほんまつたい歴史れきししょ相次あいついで編纂へんさんされた[18]

これらどおりかん影響えいきょうけた史書ししょにはおおきくけて2つの系統けいとうがある。 まず、しゅの『どおりかん綱目こうもく中国語ちゅうごくごばん』のほか、袁枢つうかんごと本末ほんまつ』のようなダイジェストほんりゃくほん)の系統けいとうである。つうかん浩瀚こうかんであるために手頃てごろなダイジェストばんみなみそうころから『りくじょうもとつうかん』など複数ふくすう存在そんざいしていた[19]この『どおりかん綱目こうもくけいほんつなかん(こうかん)とばれ、ちまた講釈こうしゃくなどがよく種本たねほんとしてもちいた。したがって『三国志さんごくし演義えんぎ』・『ずいから演義えんぎ』などの演義えんぎ小説しょうせつではしばしばどおりかんりゃくほんつなかん」や、あるいは『どおりかん本編ほんぺん引用いんようされることがあると、上田うえだのぞむ指摘してきしている[20]

また、『じゅうはちりゃく』も正史せいしどおりかんをミックスしたダイジェストほんひとつである[21]。『じゅうはちりゃく』を増補ぞうほした編集へんしゅうしゃりゅうは『どおりかん』のりゃくほん出版しゅっぱんしていた業者ぎょうしゃ一人ひとりであったことも上田うえだ指摘してきした[20]

もうひとつの系統けいとうぞくどおりかん長編ちょうへん』・畢沅ぞくどおりかん』・以周はた緗業中国語ちゅうごくごばんひとしぞくどおりかん長編ちょうへんじつ』など、『どおりかん』の続編ぞくへん意図いとし、『どおりかん』でかれたまえ時代じだい、もしくはその時代じだい歴史れきしつうかんにならってくものである。たとえばちんの『つうかん続編ぞくへん』は、太古たいこ歴史れきしりょう王朝おうちょう歴史れきし編年体へんねんたいいている[22]

後世こうせいになるとふたつの系統けいとうをまとめた『つうかん輯覧』・『やすしけんじ遺言ゆいごん』のような史書ししょかれるにいたった。『つうかん輯覧』はきよしいぬいたかしみかど勅撰ちょくせんで、歴史れきし学者がくしゃちょうつばさらにめいじてつうかんくわえて太古たいこからあかり滅亡めつぼうまでの歴史れきしどおりかんおよびその続編ぞくへんしょもとにまとめ、こまかい訓詁くんこ典故てんこ考証こうしょうしたものである[23]

つうかん輯覧』をもとに、さらに『つうてん』などをもと制度せいどめんおぎなったのが那珂なか通世みちよの『ささえ通史つうし』である。ただし『ささえ通史つうし』はそう滅亡めつぼうわっている[24]。 『やすしけんじ遺言ゆいごん』は『どおりかん』をもとにしているがつなかんけい史書ししょ正史せいしでかなりおぎなっておりかおきょうぶんてんさち忠臣ちゅうしんななめい事績じせきべたもので、日本にっぽん幕末ばくまつ志士ししはこぞってんでいる[25]

また、そうまつもとはつえびすさんしょうによる本書ほんしょたいする注釈ちゅうしゃく(『どおりかんおんちゅう』、りゃくして「えびすちゅう」という)は、記事きじ補正ほせいしたうえに、さらにことなった史料しりょうをも提供ていきょうしており、本書ほんしょじょうでの必読ひつどく文献ぶんけんであり、『どおりかん』にされたおおくのちゅうなかでも、もっともすぐれたものである[26]

構成こうせい

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ぜん294かん

しゅうおさむ

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はたおさむ

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かん

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  • まき009前漢ぜんかんふとし:こうみかど:1ねん - ふとし:こうみかど:2ねん(BC 206-BC 205)
  • まき010ふとし:こうみかど:3ねん - ふとし:こうみかど:4ねん(BC 204-BC 203)
  • まき011ふとし:こうみかど:5ねん - ふとし:こうみかど:7ねん(BC 202-BC 200)
  • まき012ふとし:こうみかど:8ねん - めぐみみかど:7ねん(BC 199-BC 188)
  • まき013こうきさき:1ねん - ぶんみかど:ぜん2ねん(BC 187-BC 178)
  • まき014ぶんみかど:ぜん3ねん - ぶんみかど:ぜん10ねん(BC 177-BC 170)
  • まき015ぶんみかど:ぜん11ねん - けいみかど:ぜん2ねん(BC 169-BC 155)
  • まき016けいみかど:ぜん3ねん - けいみかど:こう3ねん(BC 154-BC 141)
  • まき017たけみかど:たてもと1ねん - たけみかど:もとひかり1ねん(BC 140-BC 134)
  • まき018たけみかど:もとひかり2ねん - たけみかど:もとついたち4ねん(BC 133-BC 125)
  • まき019たけみかど:もとついたち5ねん - たけみかど:もとかり4ねん(BC 124-BC 119)
  • まき020たけみかど:もとかり5ねん - たけみかど:もとふう1ねん(BC 118-BC 110)
  • まき021たけみかど:もとふう2ねん - たけみかど:天漢てんかん2ねん(BC 109-BC 99)
  • まき022たけみかど:天漢てんかん3ねん - たけみかど:こうもと2ねん(BC 98-BC 87)
  • まき023あきらみかど:はじめもと1ねん - あきらみかど:もとおおとり6ねん(BC 86-BC 75)
  • まき024あきらみかど:もとたいら1ねん - せんみかど:ぶし2ねん(BC 74-BC 68)
  • まき025せんみかど:ぶし3ねん - せんみかど:元康もとやす4ねん(BC 67-BC 62)
  • まき026せんみかど:かみ爵1ねん - せんみかど:かみ爵3ねん(BC 61-BC 59)
  • まき027せんみかど:かみ爵4ねん - せんみかど:りゅう1ねん(BC 58-BC 49)
  • まき028もとみかど:はつもと1ねん - もとみかど:永光ながみつ2ねん(BC 48-BC 42)
  • まき029もとみかど:永光ながみつ3ねん - もとみかど:竟寧1ねん(BC 41-BC 33)
  • まき030なりみかど:たてはじめ1ねん - なるみかど:ついたち2ねん(BC 32-BC 23)
  • まき031なるみかど:ついたち3ねん - なるみかど:えいはじめ3ねん(BC 22-BC 14)
  • まき032なるみかど:えいはじめ4ねん - なるみかど:綏和1ねん(BC 13-BC 8)
  • まき033なるみかど:綏和2ねん - あいみかど:たてひら1ねん(BC 7-BC 6)
  • まき034あいみかど:たてひら2ねん - あいみかど:たてひら4ねん(BC 5-BC 3)
  • まき035あいみかど:もと寿ことぶき1ねん - ひらみかど:元始げんし2ねん(BC 2-2)
  • まき036ひらみかど:元始げんし3ねん - おう:3ねん(3-8)
  • まき037おう莽:はじめ建国けんこく1ねん - おう莽:てんおおとり1ねん(9-14)
  • まき038おう莽:てんおおとり2ねん - おう莽:すめらぎ3ねん(15-22)
  • まき039淮陽おう:更始こうし1ねん - 淮陽おう:更始こうし2ねん(23-24)
  • まき040こうかん光武みつたけみかど:たてたけし1ねん - 光武みつたけみかど:たてたけし2ねん(25-26)
  • まき041光武みつたけみかど:たてたけし3ねん - 光武みつたけみかど:たてたけし5ねん(27-29)
  • まき042光武みつたけみかど:たてたけし6ねん - 光武みつたけみかど:たてたけし11ねん(30-35)
  • まき043光武みつたけみかど:たてたけし12ねん - 光武みつたけみかど:たてたけし22ねん(36-46)
  • まき044光武みつたけみかど:たてたけし23ねん - あかりみかど:えいひら3ねん(47-60)
  • まき045あきらみかど:えいひら4ねん - あきらみかど:えいひら18ねん(61-75)
  • まき046あきらみかど:たてはつ1ねん - あきらみかど:元和げんな1ねん(76-84)
  • まき047あきらみかど:元和げんな2ねん - かずみかど:えいもと3ねん(85-91)
  • まき048かずみかど:えいもと4ねん - かずみかど:もときょう1ねん(92-105)
  • まき049殤帝:のべひらめ1ねん - やすみかど:もとはつ2ねん(106-115)
  • まき050やすみかど:もとはつ3ねん - やすみかど:のべこう3ねん(116-124)
  • まき051やすみかど:のべこう4ねん - じゅんみかど:よしみ2ねん(125-133)
  • まき052じゅんみかど:よしみ3ねん - おきみかど:えいよしみ1ねん(134-145)
  • まき053しつみかど:本初ほんしょ1ねん - 桓帝:永寿えいじゅ2ねん(146-156)
  • まき054:桓帝:永寿えいじゅ3ねん - 桓帝:のべ熹6ねん(157-163)
  • まき055:桓帝:のべ熹7ねん - 桓帝:のべ熹9ねん(164-166)
  • まき056:桓帝:えいやすし1ねん - れいみかど:たてやすし4ねん(167-171)
  • まき057れいみかど:熹平1ねん - れいみかど:光和こうわ3ねん(172-180)
  • まき058れいみかど:光和こうわ4ねん - れいみかど:中平なかひら4ねん(181-187)
  • まき059れいみかど:中平なかひら5ねん - けんじみかど:はつたいら1ねん(188-190)
  • まき060けんじみかど:はつたいら2ねん - けんじみかど:はつたいら4ねん(191-193)
  • まき061けんじみかど:おきたいら1ねん - けんじみかど:おきたいら2ねん(194-195)
  • まき062けんじみかど:けんやす1ねん - けんじみかど:けんやす3ねん(196-198)
  • まき063けんじみかど:けんやす4ねん - けんじみかど:けんやす5ねん(199-200)
  • まき064けんじみかど:けんやす6ねん - けんじみかど:けんやす10ねん(201-205)
  • まき065けんじみかど:けんやす11ねん - けんじみかど:けんやす13ねん(206-208)
  • まき066けんじみかど:けんやす14ねん - けんじみかど:けんやす18ねん(209-213)
  • まき067けんじみかど:けんやす19ねん - けんじみかど:けんやす21ねん(214-216)
  • まき068けんじみかど:けんやす22ねん - けんじみかど:けんやす24ねん(217-219)

[編集へんしゅう]
  • まき069たかしぶんみかど:はつ1ねん - ぶんみかど:はつ3ねん(220-222)
  • まき070ぶんみかど:はつ4ねん - あかりみかど:ふとし1ねん(223-227)
  • まき071あきらみかど:ふとし2ねん - あきらみかど:ふとし4ねん(228-230)
  • まき072あきらみかど:ふとし5ねん - あきらみかど:あおりゅう2ねん(231-234)
  • まき073あきらみかど:あおりゅう3ねん - あきらみかど:けいはつ1ねん(235-237)
  • まき074あきらみかど:けいはつ2ねん - 邵陵厲公:せいはじめ6ねん(238-245)
  • まき075:邵陵厲公:せいはじめ7ねん - 邵陵厲公:嘉平かへい4ねん(246-252)
  • まき076:邵陵厲公:嘉平かへい5ねん - 高貴こうきごうこう:せいもと2ねん(253-255)
  • まき077高貴こうきごうこう:甘露かんろ1ねん - もとみかど:景元かげもと2ねん(256-261)
  • まき078もとみかど:景元かげもと3ねん - もとみかど:咸熙1ねん(262-264)

すすむ

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  • まき079西にしすすむたけみかど:たいはじめ1ねん - たけみかど:たいはじめ8ねん(265-272)
  • まき080たけみかど:たいはじめ9ねん - たけみかど:咸寧5ねん(273-279)
  • まき081たけみかど:ふとしかん1ねん - たけみかど:ふとしかん9ねん(280-288)
  • まき082たけみかど:ふとしかん10ねん - めぐみみかど:元康もとやす8ねん(289-298)
  • まき083めぐみみかど:元康もとやす9ねん - めぐみみかど:えいやすし1ねん(299-300)
  • まき084めぐみみかど:えいやすし1ねん - めぐみみかど:たいやす1ねん(301-302)
  • まき085めぐみみかど:たいやす2ねん - めぐみみかど:永興りょうご1ねん(303-304)
  • まき086めぐみみかど:永興りょうご2ねん - ふところみかど:えいよしみ2ねん(305-308)
  • まき087ふところみかど:えいよしみ3ねん - ふところみかど:えいよしみ5ねん(309-311)
  • まき088ふところみかど:えいよしみ6ねん - 愍帝:たてきょう1ねん(312-313)
  • まき089:愍帝:たてきょう2ねん - 愍帝:たてきょう4ねん(314-316)
  • まき090あずますすむもとみかど:たてたけし1ねん - もとみかど:ふとしきょう1ねん(317-318)
  • まき091もとみかど:ふとしきょう2ねん - もとみかど:ふとしきょう4ねん(319-321)
  • まき092もとみかど:永昌えいしょう1ねん - あかりみかど:ふとしやすし1ねん(322-323)
  • まき093あきらみかど:ふとしやすし2ねん - なりみかど:咸和2ねん(324-327)
  • まき094なるみかど:咸和3ねん - なるみかど:咸和6ねん(328-331)
  • まき095なるみかど:咸和7ねん - なるみかど:咸康3ねん(332-337)
  • まき096なるみかど:咸康4ねん - なるみかど:咸康7ねん(338-341)
  • まき097なるみかど:咸康8ねん - きよしみかど:永和えいわ3ねん(342-347)
  • まき098きよしみかど:永和えいわ4ねん - きよしみかど:永和えいわ6ねん(348-350)
  • まき099きよしみかど:永和えいわ7ねん - きよしみかど:永和えいわ10ねん(351-354)
  • まき100きよしみかど:永和えいわ11ねん - きよしみかど:昇平しょうへい3ねん(355-359)
  • まき101きよしみかど:昇平しょうへい4ねん - うみ西にしこう:ふとし3ねん(360-368)
  • まき102うみ西にしこう:ふとし4ねん - うみ西にしこう:ふとし5ねん(369-370)
  • まき103簡文みかど:咸安1ねん - こうたけみかど:やすしかん3ねん(371-375)
  • まき104こうたけみかど:ふとしもと1ねん - こうたけみかど:ふとしもと7ねん(376-382)
  • まき105こうたけみかど:ふとしもと8ねん - こうたけみかど:ふとしもと9ねん(383-384)
  • まき106こうたけみかど:ふとしもと10ねん - こうたけみかど:ふとしもと11ねん(385-386)
  • まき107こうたけみかど:ふとしもと12ねん - こうたけみかど:ふとしもと16ねん(387-391)
  • まき108こうたけみかど:ふとしもと17ねん - こうたけみかど:ふとしもと21ねん(392-396)
  • まき109やすみかど:たかしやす1ねん(397)
  • まき110やすみかど:たかしやす2ねん(398)
  • まき111やすみかど:たかしやす3ねん - やすみかど:たかしやす4ねん(399-400)
  • まき112やすみかど:たかしやす5ねん - やすみかど:もときょう1ねん(401-402)
  • まき113やすみかど:もときょう2ねん - やすみかど:もときょう3ねん(403-404)
  • まき114やすみかど:よし熙1ねん - やすみかど:よし熙4ねん(404-408)
  • まき115やすみかど:よし熙5ねん - やすみかど:よし熙6ねん(409-410)
  • まき116やすみかど:よし熙7ねん - やすみかど:よし熙10ねん(411-414)
  • まき117やすみかど:よし熙11ねん - やすみかど:よし熙12ねん(415-416)
  • まき118やすみかど:よし熙13ねん - きょうみかど:もと熙1ねん(417-419)

そうおさむ

[編集へんしゅう]
  • まき119りゅうそうたけみかど:えいはつ1ねん - 営陽おう:景平かげへら1ねん(420-423)
  • まき120ぶんみかど:げんよしみ1ねん - ぶんみかど:げんよしみ4ねん(424-427)
  • まき121ぶんみかど:げんよしみ5ねん - ぶんみかど:げんよしみ7ねん(428-430)
  • まき122ぶんみかど:げんよしみ8ねん - ぶんみかど:げんよしみ12ねん(431-435)
  • まき123ぶんみかど:げんよしみ13ねん - ぶんみかど:げんよしみ18ねん(436-441)
  • まき124ぶんみかど:げんよしみ19ねん - ぶんみかど:げんよしみ23ねん(442-446)
  • まき125ぶんみかど:げんよしみ24ねん - ぶんみかど:げんよしみ27ねん(447-450)
  • まき126ぶんみかど:げんよしみ28ねん - ぶんみかど:げんよしみ29ねん(451-452)
  • まき127ぶんみかど:げんよしみ30ねん(453)
  • まき128こうたけみかど:こうけん1ねん - こうたけみかど:大明だいめい2ねん(454-458)
  • まき129こうたけみかど:大明だいめい3ねん - こうたけみかど:大明だいめい8ねん(459-464)
  • まき130あかりみかど:たいはじめ1ねん(465)
  • まき131あきらみかど:たいはじめ2ねん(466)
  • まき132あきらみかど:たいはじめ3ねん - あきらみかど:たいはじめ6ねん(467-470)
  • まき133あきらみかど:たいはじめ7ねん - 蒼梧そうごおう:もと徽3ねん(471-475)
  • まき134蒼梧そうごおう:もと徽4ねん - じゅんみかど:のぼりあきら2ねん(476-478)

ひとしきの

[編集へんしゅう]

りょうおさむ

[編集へんしゅう]
  • まき145りょうたけみかど:てんかん1ねん - たけみかど:てんかん3ねん(502-504)
  • まき146たけみかど:てんかん4ねん - たけみかど:てんかん6ねん(505-507)
  • まき147たけみかど:てんかん7ねん - たけみかど:てんかん13ねん(508-514)
  • まき148たけみかど:てんかん14ねん - たけみかど:てんかん17ねん(515-518)
  • まき149たけみかど:てんかん18ねん - たけみかど:普通ふつう4ねん(519-523)
  • まき150たけみかど:普通ふつう5ねん - たけみかど:普通ふつう6ねん(524-525)
  • まき151たけみかど:普通ふつう7ねん - たけみかど:大通だいつう1ねん(526-527)
  • まき152たけみかど:大通だいつう2ねん(528)
  • まき153たけみかど:大中だいなかどおり1ねん(529)
  • まき154たけみかど:大中だいなかどおり2ねん(530)
  • まき155たけみかど:大中だいなかどおり3ねん - たけみかど:大中だいなかどおり4ねん(531-532)
  • まき156たけみかど:大中だいなかどおり5ねん - たけみかど:大中だいなかどおり6ねん(533-534)
  • まき157たけみかど:大同だいどう1ねん - たけみかど:大同だいどう3ねん(535-537)
  • まき158たけみかど:大同だいどう4ねん - たけみかど:大同だいどう10ねん(538-544)
  • まき159たけみかど:大同だいどう11ねん - たけみかど:ちゅう大同だいどう1ねん(545-546)
  • まき160たけみかど:ふとしきよし1ねん(547)
  • まき161たけみかど:ふとしきよし2ねん(548)
  • まき162たけみかど:ふとしきよし3ねん(549)
  • まき163簡文みかど:大宝たいほう1ねん(550)
  • まき164:簡文みかど:大宝たいほう2ねん - もとみかど:うけたまわせい1ねん(551-552)
  • まき165もとみかど:うけたまわせい2ねん - もとみかど:うけたまわせい3ねん(553-554)
  • まき166けいみかど:紹泰1ねん - けいみかど:太平たいへい1ねん(555-556)

ちんおさむ

[編集へんしゅう]
  • まき167ひねたけみかど:えいじょう1ねん - たけみかど:えいじょう1ねん(557-559)
  • まき168ぶんみかど:てんよしみ1ねん - ぶんみかど:てんよしみ3ねん(560-562)
  • まき169ぶんみかど:てんよしみ4ねん - ぶんみかど:てんやすし1ねん(563-566)
  • まき170臨海りんかいおう:ひかりだい1ねん - せんみかど:ふとしけん3ねん(567-571)
  • まき171せんみかど:ふとしけん4ねん - せんみかど:ふとしけん6ねん(572-574)
  • まき172せんみかど:ふとしけん7ねん - せんみかど:ふとしけん8ねん(575-576)
  • まき173せんみかど:ふとしけん9ねん - せんみかど:ふとしけん11ねん(577-579)
  • まき174せんみかど:ふとしけん12ねん(580)
  • まき175せんみかど:ふとしけん13ねん - 長城ちょうじょうおおやけ:至徳しとく1ねん(581-583)
  • まき176長城ちょうじょうこう:至徳しとく2ねん - 長城ちょうじょうこう:ただしあかり2ねん(584-588)

ずい

[編集へんしゅう]
  • まき177ずいぶんみかど:ひらきすめらぎ9ねん - ぶんみかど:ひらきすめらぎ11ねん(589-591)
  • まき178ぶんみかど:ひらきすめらぎ12ねん - ぶんみかど:ひらきすめらぎ19ねん(592-599)
  • まき179ぶんみかど:ひらきすめらぎ20ねん - ぶんみかど:じん寿ことぶき3ねん(600-603)
  • まき180ぶんみかど:じん寿ことぶき4ねん - 煬帝:大業おおわざ3ねん(604-607)
  • まき181:煬帝:大業おおわざ4ねん - 煬帝:大業おおわざ8ねん(608-612)
  • まき182:煬帝:大業おおわざ9ねん - 煬帝:大業おおわざ11ねん(613-615)
  • まき183:煬帝:大業おおわざ12ねん - きょうみかど:よしやすし1ねん(616-617)
  • まき184きょうみかど:よしやすし1ねん(617)

から

[編集へんしゅう]
  • まき185とう高祖こうそ:武徳ぶとく1ねん(618)
  • まき186高祖こうそ:武徳ぶとく1ねん(618)
  • まき187高祖こうそ:武徳ぶとく2ねん(619)
  • まき188高祖こうそ:武徳ぶとく2ねん - 高祖こうそ:武徳ぶとく4ねん(619-621)
  • まき189高祖こうそ:武徳ぶとく4ねん(621)
  • まき190高祖こうそ:武徳ぶとく5ねん - 高祖こうそ:武徳ぶとく7ねん(622-624)
  • まき191高祖こうそ:武徳ぶとく7ねん - 高祖こうそ:武徳ぶとく9ねん(624-626)
  • まき192高祖こうそ:武徳ぶとく9ねん - ふとしむね:さだかん2ねん(626-628)
  • まき193ふとしむね:さだかん2ねん - ふとしむね:さだかん5ねん(628-631)
  • まき194ふとしむね:さだかん6ねん - ふとしむね:さだかん11ねん(632-637)
  • まき195ふとしむね:さだかん11ねん - ふとしむね:さだかん14ねん(637-640)
  • まき196ふとしむね:さだかん15ねん - ふとしむね:さだかん17ねん(641-643)
  • まき197ふとしむね:さだかん17ねん - ふとしむね:さだかん19ねん(643-645)
  • まき198ふとしむね:さだかん19ねん - ふとしむね:さだかん22ねん(645-648)
  • まき199ふとしむね:さだかん22ねん - こうはじめ:えい徽6ねん(648-655)
  • まき200こうはじめ:えい徽6ねん - こうはじめ:りゅうついたち2ねん(655-662)
  • まき201こうはじめ:りゅうついたち2ねん - こうはじめ:咸亨1ねん(662-670)
  • まき202こうはじめ:咸亨2ねん - こうはじめ:ひらき耀1ねん(671-681)
  • まき203こうはじめ:えいあつし1ねん - 武周ぶしゅう武則たけのりてん:たれ拱2ねん(682-686)
  • まき204武則たけのりてん:たれ拱3ねん - 武則たけのりてん:天授てんじゅ2ねん(687-691)
  • まき205武則たけのりてん:長寿ちょうじゅ1ねん - 武則たけのりてん:万歳ばんざいどおりてん1ねん(692-696)
  • まき206武則たけのりてん:神功しんこう1ねん - 武則たけのりてん:ひさ1ねん(697-700)
  • まき207武則たけのりてん:ひさ1ねん - ちゅうむね:かみりゅう1ねん(700-705)
  • まき208なかはじめ:かみりゅう1ねん - なかはじめ:けいりゅう1ねん(705-707)
  • まき209なかはじめ:けいりゅう2ねん - 睿宗:けいくも1ねん(708-710)
  • まき210:睿宗:けいくも1ねん - げんむね:ひらけもと1ねん(710-713)
  • まき211げんむね:ひらけもと2ねん - げんむね:ひらけもと5ねん(714-717)
  • まき212げんむね:ひらけもと6ねん - げんむね:ひらけもと13ねん(718-725)
  • まき213げんむね:ひらけもと14ねん - げんむね:ひらけもと21ねん(726-733)
  • まき214げんむね:ひらけもと22ねん - げんむね:ひらけもと29ねん(724-741)
  • まき215げんむね:天宝てんぽう1ねん - げんむね:天宝てんぽう6ねん(742-747)
  • まき216げんむね:天宝てんぽう6ねん - げんむね:天宝てんぽう12ねん(747-753)
  • まき217げんむね:天宝てんぽう13ねん - 粛宗:至徳しとく1ねん(754-756)
  • まき218:粛宗:至徳しとく1ねん(756)
  • まき219:粛宗:至徳しとく1ねん - 粛宗:至徳しとく2ねん(756-757)
  • まき220:粛宗:至徳しとく2ねん - 粛宗:いぬいもと1ねん(757-758)
  • まき221:粛宗:いぬいもと2ねん - 粛宗:うえもと1ねん(759-760)
  • まき222:粛宗:うえもと2ねん - だいむね:広徳ひろのり1ねん(761-763)
  • まき223だいむね:広徳ひろのり1ねん - だいむね:えいやすし1ねん(763-765)
  • まき224だいむね:えいやすし1ねん - だいむね:だいこよみ8ねん(765-773)
  • まき225だいむね:だいこよみ9ねん - だいむね:だいこよみ14ねん(774-779)
  • まき226だいむね:だいこよみ14ねん - とくむね:けんちゅう2ねん(779-781)
  • まき227とくむね:けんちゅう2ねん - とくむね:けんちゅう3ねん(781-782)
  • まき228とくむね:けんちゅう4ねん(783)
  • まき229とくむね:けんちゅう4ねん - とくむね:きょうもと1ねん(783-784)
  • まき230とくむね:きょうもと1ねん(784)
  • まき231とくむね:きょうもと1ねん - とくむね:貞元さだもと1ねん(784-785)
  • まき232とくむね:貞元さだもと1ねん - とくむね:貞元さだもと3ねん(785-787)
  • まき233とくむね:貞元さだもと3ねん - とくむね:貞元さだもと7ねん(787-791)
  • まき234とくむね:貞元さだもと8ねん - とくむね:貞元さだもと10ねん(792-794)
  • まき235とくむね:貞元さだもと10ねん - とくむね:貞元さだもと16ねん(794-800)
  • まき236とくむね:貞元さだもと17ねん - じゅんむね:えいさだ1ねん(801-805)
  • まき237けんむね:元和げんな1ねん - けんむね:元和げんな4ねん(806-809)
  • まき238けんむね:元和げんな4ねん - けんむね:元和げんな7ねん(809-812)
  • まき239けんむね:元和げんな7ねん - けんむね:元和げんな11ねん(812-816)
  • まき240けんむね:元和げんな12ねん - けんむね:元和げんな14ねん(817-819)
  • まき241けんむね:元和げんな14ねん - きよしむね:長慶ちょうけい1ねん(819-821)
  • まき242きよしむね:長慶ちょうけい1ねん - きよしむね:長慶ちょうけい2ねん(821-822)
  • まき243きよしむね:長慶ちょうけい3ねん - ぶんむね:ふとし2ねん(823-828)
  • まき244ぶんむね:ふとし3ねん - ぶんむね:ふとし7ねん(829-833)
  • まき245ぶんむね:ふとし8ねん - ぶんむね:開成かいせい2ねん(834-837)
  • まき246ぶんむね:開成かいせい3ねん - たけはじめ:かいあきら2ねん(838-842)
  • まき247たけはじめ:かいあきら3ねん - たけはじめ:かいあきら4ねん(843-844)
  • まき248たけはじめ:かいあきら4ねん - せんむね:大中おおなか3ねん(844-849)
  • まき249せんむね:大中おおなか4ねん - せんむね:大中おおなか13ねん(850-859)
  • まき250懿宗:咸通1ねん - 懿宗:咸通8ねん(860-867)
  • まき251:懿宗:咸通9ねん - 懿宗:咸通10ねん(868-869)
  • まき252:懿宗:咸通11ねん - 僖宗:いぬい3ねん(870-876)
  • まき253:僖宗:いぬい4ねん - 僖宗:広明こうめい1ねん(877-880)
  • まき254:僖宗:広明こうめい1ねん - 僖宗:中和ちゅうわ2ねん(880-882)
  • まき255:僖宗:中和ちゅうわ2ねん - 僖宗:中和ちゅうわ4ねん(882-884)
  • まき256:僖宗:中和ちゅうわ4ねん - 僖宗:ひかりけい3ねん(884-887)
  • まき257:僖宗:ひかりけい3ねん - 僖宗:文徳ふみのり1ねん(887-888)
  • まき258あきらむね:りゅうおさむ1ねん - あきらむね:だいじゅん2ねん(889-891)
  • まき259あきらむね:けいぶく1ねん - あきらむね:いぬいやすし1ねん(892-894)
  • まき260あきらむね:いぬいやすし2ねん - あきらむね:いぬいやすし3ねん(895-896)
  • まき261あきらむね:いぬいやすし4ねん - あきらむね:ひかり2ねん(897-899)
  • まき262あきらむね:ひかり3ねん - あきらむね:てんふく1ねん(900-901)
  • まき263あきらむね:てんふく2ねん - あきらむね:てんふく3ねん(902-903)
  • まき264あきらむね:てんふく3ねん - あきらむね:天祐てんゆう1ねん(903-904)
  • まき265あきらむね:天祐てんゆう1ねん - あいみかど:天祐てんゆう3ねん(904-906)

こうりょうおさむ

[編集へんしゅう]
  • まき266こうはりふとし:開平かいへい1ねん - ふとし:開平かいへい2ねん(907-908)
  • まき267ふとし:開平かいへい2ねん - ふとし:いぬい1ねん(908-911)
  • まき268ふとし:いぬい1ねん - ひとしおう:いぬい3ねん(911-913)
  • まき269ひとしおう:いぬい3ねん - ひとしおう:貞明ていめい3ねん(913-917)
  • まき270ひとしおう:貞明ていめい3ねん - ひとしおう:貞明ていめい5ねん(917-919)
  • まき271ひとしおう:貞明ていめい5ねん - ひとしおう:りゅういさお2ねん(919-922)

こうから

[編集へんしゅう]
  • まき272こうとうそうむね:どうひかり1ねん(923)
  • まき273そうむね:どうひかり2ねん - そうむね:どうひかり3ねん(924-925)
  • まき274そうむね:どうひかり3ねん - あかりむね:天成てんせい1ねん(925-926)
  • まき275あきらむね:天成てんせい1ねん - あきらむね:天成てんせい2ねん(926-927)
  • まき276あきらむね:天成てんせい2ねん - あきらむね:天成てんせい4ねん(927-929)
  • まき277あきらむね:ちょうきょう1ねん - あきらむね:ちょうきょう3ねん(930-932)
  • まき278あきらむね:ちょうきょう3ねん - 潞王:清泰きよやす1ねん(932-934)
  • まき279:潞王:清泰きよやす1ねん - 潞王:清泰きよやす2ねん(934-935)

こうすすむ

[編集へんしゅう]
  • まき280こうすすむ高祖こうそ:天福てんぷく1ねん(936)
  • まき281高祖こうそ:天福てんぷく2ねん - 高祖こうそ:天福てんぷく3ねん(937-938)
  • まき282高祖こうそ:天福てんぷく4ねん - 高祖こうそ:天福てんぷく6ねん(939-941)
  • まき283高祖こうそ:天福てんぷく7ねん - ひとしおう:開運かいうん1ねん(942-944)
  • まき284ひとしおう:開運かいうん1ねん - ひとしおう:開運かいうん2ねん(944-945)
  • まき285ひとしおう:開運かいうん2ねん - ひとしおう:開運かいうん3ねん(945-946)

こうかん

[編集へんしゅう]

こうしゅうおさむ

[編集へんしゅう]
  • まき290こうしゅうふとし:こうじゅん1ねん - ふとし:こうじゅん2ねん(951-952)
  • まき291ふとし:こうじゅん2ねん - ふとし:顕徳けんとく1ねん(952-954)
  • まき292ふとし:顕徳けんとく1ねん - むね:顕徳けんとく3ねん(954-956)
  • まき293むね:顕徳けんとく3ねん - むね:顕徳けんとく4ねん(956-957)
  • まき294むね:顕徳けんとく5ねん - むね:顕徳けんとく6ねん(958-959)

版本はんぽん

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版本はんぽん正史せいしことなり、残欠ざんけつなどもられず、ほぼ完全かんぜん残存ざんそんしている。司馬しばひかり肉筆にくひつ原稿げんこうはほんの一部いちぶぶんしかのこっていないが、司馬しば光生みつおまえ木版もくはん印刷いんさつ計画けいかくされ、版下はんした校正こうせい司馬しばひかり意向いこうおこなわれている。はつ版本はんぽん流石さすがのこらなかったが、重版じゅうはんのものは残存ざんそんしている。

以下いか尾崎おざきやすし研究けんきゅうにより概要がいようべる[27]どおりかん司馬しばひかり存命ぞんめいちゅう木版もくはん印刷いんさつつくられ、司馬しばひかり版下はんした校正こうせいおこなっている。そのあいだ政変せいへん司馬しばひかり助手じょしゅの范祖禹は政界せいかいかえいたためにりなくなったので司馬しばひかりみずから「学問がくもんがあり、ひまそうにしている」黄庭堅おうていけん校閲こうえつかんにすることをねがており、了承りょうしょうされている。ただし、決定けってい稿こう完成かんせい版木はんぎ出来できたのは司馬しばひかりぼつもとゆう元年がんねん10がつとなった。(司馬しばひかり同年どうねん9がつ病没びょうぼつ刊行かんこうもとゆう7ねんまでずれこんだ。そう国子くにこかん刊行かんこうしたから「国子くにこかんほん」という。この「国子くにこかんほん」のはつすり現在げんざいのこっていない。現存げんそん最古さいこほんである「紹興しょうこうほん」(紹興しょうこう三年両漸東路茶塩司刊本…みなみそう地方ちほう政府せいふ機関きかんの「りょうやや東路あずまじちゃしお」が刊行かんこうしたもの)は、尾崎おざきによれば「国子くにこかんほん」の覆刻ふっこく推定すいていされる。商務しょうむしるししょかんひゃく衲本も紹興しょうこうほん依拠いきょしている。紹興しょうこうほんには政府せいふによるこくほんほかぼうこくほん民間みんかんつくられた粗末そまつこくほん)もあり、ろくしゅほどのこっている。ただしこの「国子くにこかんほん」はそそがない。つうかんごと本末ほんまつそうかん大字だいじほん[28]は「国子くにこかんほん」に依拠いきょしているため、『どおりかん』の校訂こうていにも使つかわれている。

もと中期ちゅうき紹興しょうこうほんえびすさんしょうちゅうしたものが出版しゅっぱんされた。これを「えびすさんしょうおんちゅうほん」という。この系統けいとうでは明治めいじ時代じだいはん学者がくしゃだった山名やまな留三郎とめさぶろう訓点くんてんした「山名やまなほん」がよくられている。これは江戸えど時代じだいおこなわれたあかりちんひとしすず校訂こうていほんもとにしているようである[29]。また、しんだいえびすかつ復刻ふっこくした「えびすかつほん」は現在げんざいもっともよくまれている中華ちゅうかしょきょくほんどおりかん』の底本ていほんとなっている。中華ちゅうかしょきょくほん出版しゅっぱんされるまえ山名やまなほんひゃく衲本が研究けんきゅうによくもちいられていたと間野まの潜龍せんりゅうかたっている[30]通行つうこうほん中華ちゅうかしょきょくほんでは、「えびすかつほん」をもとひゃく衲本(紹興しょうこうほん)や『つうかんごと本末ほんまつ』などのしょほん校訂こうていおこなわれており、版本はんぽん異同いどうは7000箇所かしょおよぶという。

近年きんねん刊行かんこうされた版本はんぽん

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近年きんねん日本にっぽん中国ちゅうごくでは多数たすうの『どおりかん』が発売はつばいされている。ここでは代表だいひょうてき版本はんぽんのみをげる。

  • ひゃく衲本『でんぞう湘藏百衲本資治通鑑』広西ひろせ師範しはん大学だいがく出版しゅっぱんしゃ、2023 出版しゅっぱん説明せつめいによると「紹興しょうこうほんけいしょほんをまとめたものらしい。
  • 山名やまなほんこくほん, 山名やまな留三郎とめさぶろう訓点くんてんほん, 東京とうきょうおおとりぶんかん, 1884、復刻ふっこく汲古書院しょいん, 1973, 再版さいはん2000)
  • 中華ちゅうかしょきょくほんどおりかん』 中華ちゅうかしょきょく 初版しょはん1956ねん
  • けいしるし文淵ぶんえんかくよん全書ぜんしょだい304さつだい310さつだい311さつ目録もくろく台北たいぺい台湾たいわん商務しょうむしるししょかん, 1983-1986)

日本語にほんご訳書やくしょ

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現代げんだい日本語にほんごやく全訳ぜんやくはまだなく、漢文かんぶんおろしの「ぞくくにやく漢文かんぶん大成たいせいほん唯一ゆいいつ日本語にほんご全訳ぜんやくとなっている。

索引さくいん

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  • 佐伯さえきとみどおりかん索引さくいん』(東洋とうよう研究けんきゅう資料しりょうくさむらかん 3)(1961ねん

関連かんれん項目こうもく

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  • 毛沢東もうたくとう - どおりかん毛沢東もうたくとう生涯しょうがいつうじての愛読あいどくしょとしてられる[31][32]

外部がいぶリンク

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 柳田やなぎだ節子せつこ小学館しょうがくかん 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)『どおりかん』 - コトバンク
  2. ^ 松枝まつえだ茂夫しげおほかへん自由じゆう国民こくみんしゃ杉山すぎやま文彦ふみひこどおりかん」」『中国ちゅうごく古典こてん名著めいちょそう解説かいせつ』1990ねん 
  3. ^ a b 杉山すぎやま 1990.
  4. ^ 稲葉いなば一郎いちろう 1991.
  5. ^ 藤堂とうどうあきら学研がっけん 漢和かんわだい字典じてん』「中国ちゅうごく名著めいちょ」のこうより
  6. ^ 岡田おかだ英弘ひでひろ世界せかい誕生たんじょう筑摩書房ちくましょぼう〈ちくまライブラリー〉、1992ねん、114-116 「正史せいし欠陥けっかん」の要旨ようしぺーじISBN 4480051732国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん書誌しょしID:000002187436 )。なお、高島たかしま俊男としおはこのような貴族きぞく軍人ぐんじん卑賤について、伝統でんとうてき中国ちゅうごくでは軍人ぐんじん地位ちいひくく、近年きんねんでも中国共産党ちゅうごくきょうさんとう軍人ぐんじんしゅいさおおや軍隊ぐんたいはいりたいとったところ、「おまえ勉強べんきょうのしぎで、あたまがおかしくなったのか?」と本気ほんき心配しんぱいされ、自分じぶん正気しょうきであるとこたえたところいえされたというはなしげている。高島たかしま三国志さんごくしきらめく群像ぐんぞう』ちくま文庫ぶんこ2001。
  7. ^ 以上いじょう、(稲葉いなば一郎いちろう<論説ろんせつ>『歴年れきねん』と『つうこころざし』 : 『どおりかん』の成立せいりつ過程かていかんするいち考察こうさつ」『りんだい74かんだい4ごう史学しがく研究けんきゅうかい (京都きょうと大学だいがく文学部ぶんがくぶない)、1991ねん7がつ、461-483ぺーじCRID 1390853649776443264doi:10.14989/shirin_74_461hdl:2433/239134ISSN 0386-9369 )によった。
  8. ^ ひろし邁「容斎ようさいよんぴつまき十一といちさつもとかめ」のこう。『容斎ようさい随筆ずいひつ』(からそう史料しりょう筆記ひっき所収しょしゅう中華ちゅうかしょきょく・2005
  9. ^ ひろし邁2005
  10. ^ 江上えがみなみおっと近代きんだい日本にっぽんかんがく:東洋とうようがくてき系譜けいふ所収しょしゅう砺波となみまもる桑原くわばら隲蔵」によると、桑原くわばらは『史記しき』『どおりかん』を研究けんきゅう主眼しゅがんとしたという
  11. ^ 桑原くわばら隲蔵「ささえ人間にんげんけるしょくじんにく風習ふうしゅう」『東洋とうようがくほうだい14かんだい1ごう東洋文庫とうようぶんこ、1924ねん7がつ、1-62ぺーじCRID 1050845763444749824 
  12. ^ これはかなり司馬しばひかり意図いとてきなもので、友人ゆうじんした手紙てがみちんゆめかみなり古今ここん図書としょ集成しゅうせい理學りがく彙編・だいさんひゃくきゅうじゅうきゅうかん中華ちゅうかしょきょくともえしょくしょしゃ1986にく『司馬しばひかり文集ぶんしゅう』にせる「こたえ范夢とく」)に「詩賦しふとうわかとめため文章ぶんしょうみことのり誥,わかとめためじょかん妖異よういとめ於怪誕詼諧,とめ於取わらいるい便びん請直刪不さまたげある詩賦しふゆうしょそし諷,みことのり誥有しょ戒諭,妖異よういゆうしょ儆戒,詼諧ゆうしょえきなみつげそん。」といている。
  13. ^ 文献ぶんけんどおりこう原文げんぶんは「致堂えびすえびすとら)曰、またかずおうみことのり上書うわがきろん新法しんぽうがい小人こどもよく中傷ちゅうしょうこん讀其しょぶたからだいさいほろ冗,日月じつげつあるりょうゆう由也よしやなおゆう讒口,またきょう矯世はらいぞくきょうふく先王せんおう治者ちしゃ哉!嗚呼ああ悲夫!」『文献ぶんけんどおりこう』の引用いんようちんゆめかみなり古今ここん図書としょ集成しゅうせい理學りがく彙編・だいさんひゃくきゅうじゅうきゅうかん中華ちゅうかしょきょくともえしょくしょしゃ1986によった。はら漢文かんぶん
  14. ^ a b c d ひね1986
  15. ^ 稲葉いなば1981
  16. ^ からきのひらくもとじゅうねん だい212かん からじゅうはちおとちゅう中国語ちゅうごくごばんウィキペディアがおとちゅうついでいているのはあやまり。
  17. ^ そう』薛昂でんによると薛昂はおうやすしせき新法しんぽうとう人物じんぶつ歴史れきししょぎらいで有名ゆうめいだったという。『ぞくどおりかんきたそうおさむ だいはちじゅうかんあきらむね・紹聖よんねんじょうに「とき薛昂、はやし乞毀どおりかん、瓘因策士さくしだい引神むねしょせい序文じょぶん以問,二人ふたり沮,とげ毀。」とある。
  18. ^ 三浦みうら 国雄くにお ちょどおりかん」、加藤かとう周一しゅういち へん改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん』JapanKnowledge、2014ねん 
  19. ^ りくじょうもとつうかん』は『四庫全書総目提要』まきよんはちよんへんねんるいそんによると科挙かきょ受験じゅけんしゃの「あんちょこ」ほんであるらしく、「みな司馬しばひかりしょない鈔其備科舉策ろんもちいしゃあいだゆうおんちゅうしかあさ陋頗甚,また寥寥りょうりょうしょう。」とけなされている。
  20. ^ a b 上田うえだのぞむこう小説しょうせつ歴史れきししょ (1) : 『さんこく演義えんぎ』,『ずいから両朝りょうちょう史伝しでん』を中心ちゅうしんに」『東洋とうよう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ紀要きようだい130かん東京大学とうきょうだいがく東洋とうよう文化ぶんか研究所けんきゅうじょ、1996ねん3がつ、(97)-(180)ぺーじCRID 1390572174577787136doi:10.15083/00027113hdl:2261/2075ISSN 05638089 
  21. ^ りくじょうもとつうかん同様どうよう、『四庫全書総目提要』ではけなされている。くわしくは当該とうがい項目こうもく参照さんしょう
  22. ^ 杉山すぎやま正明まさあき中国ちゅうごく歴史れきし8 疾駆しっくする草原そうげん征服せいふくしゃ りょう 西にしなつ きん もと講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  23. ^ 『四庫全書総目提要』さんへんねんるいには「しょはい輯歴あさ事蹟じせきおこりみかどまで於明だいへん年紀としのり綱目こうもくしょうしたがえしょ該者,のりべつためぶん註於其下,而音きり訓詁くんこ典故てんこ事實じじつゆうせき考證こうしょうしゃまたしょうれつ焉。」としている。考証こうしょうれいとしては、蒯良蒯越つづがら正史せいしにはしるされていないのを「蒯越は蒯良のおとうとである」としているなどである。
  24. ^ 東蘭ひがしあららぎ明治めいじ漢文かんぶん中国ちゅうごく書物しょもつ歴史れきし叙述じょじゅつ」アジア教育きょういく研究けんきゅう、2016
  25. ^ 近藤こんどう啓吾けいごやすしけんじ遺言ゆいごん講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ、2023
  26. ^ 『四庫全書総目提要』さんへんねんるいでは、「三省みつよし注釈ちゅうしゃくするところぞうぬき推測すいそくし、地形ちけいけんおけし、制度せいど沿革えんかくしょろのだいはしをすべてそなえている」ととなえている。
  27. ^ 以下いか尾崎おざきやすしそうはじめかんどおりかんについて」慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく斯道しどう文庫ぶんこ論集ろんしゅう (Bulletin of the Shidô Bunko Institute). No.23 (1988. ) ,p.171- 224、1988および『つうかんごと本末ほんまつ上海しゃんはいせき出版しゅっぱんしゃ1994の出版しゅっぱん説明せつめいによった。
  28. ^ つうかんごと本末ほんまつ上海しゃんはいせき出版しゅっぱんしゃ1994の出版しゅっぱん説明せつめいによると、『つうかんごと本末ほんまつそうかん大字だいじほんみなみそう宮廷きゅうていによる出版しゅっぱんであるという。『つうかんごと本末ほんまつ』が朝廷ちょうてい献上けんじょうされて皇帝こうていのおめにあずかったためか。
  29. ^ 尾崎おざき1994
  30. ^ 間野まの潜龍せんりゅう<紹介しょうかい>佐伯さえきとみへん : どおりかん索引さくいん」『りんだい44かんだい6ごう史学しがく研究けんきゅうかい (京都きょうと大学だいがく文学部ぶんがくぶない)、1961ねん11月、970-971ぺーじCRID 1390572174802144000doi:10.14989/shirin_44_970hdl:2433/249615ISSN 0386-9369 
  31. ^ 本当ほんとう残酷ざんこく中国ちゅうごく 大著たいちょどおりかん」をく」あさ生川おいかわ静男しずお [角川かどかわ新書しんしょ - KADOKAWA]
  32. ^ マイケル・ピルズベリー「中国ちゅうごくは2049ねん覇権はけん国家こっか目指めざす」は本当ほんとうか? | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)