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市川いちかわ雷蔵らいぞう (8代目だいめ)

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はちだいめ いちかわ らいぞう
はち代目だいめ 市川いちかわ雷蔵らいぞう

キネマ旬報きねまじゅんぽう』1959ねん2がつ特別とくべつごうより
屋号やごう 升田ますだ
定紋じょうもん さんしょうなかかみなり 
生年月日せいねんがっぴ 1931ねん8がつ29にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (1969-07-17) 1969ねん7がつ17にち(37さいぼつ
本名ほんみょう 太田おおた 吉哉よしや
襲名しゅうめいれき
  • 1. 代目だいめ市川いちかわむしろぞう
  • 2. はち代目だいめ市川いちかわつぼみぞう
別名べつめい
  • 亀崎かめざき章雄あきお出生しゅっしょうめい
  • 竹内たけうち嘉男よしお旧名きゅうめい
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん京都きょうと京都きょうと中京ちゅうきょう
職業しょくぎょう
ジャンル
活動かつどう期間きかん 1944ねん - 1969ねん
ちち
つま 太田おおた雅子まさこ永田ながた雅一まさいち養女ようじょ
たりやく
ねむり狂四郎きょうしろう
おも作品さくひん
時代じだいげき
現代げんだいげき
受賞じゅしょう
ブルーリボンしょう
主演しゅえん男優だんゆうしょう
1958ねん炎上えんじょう』『弁天べんてん小僧こぞう
そのしょう
キネマ旬報きねまじゅんぽう主演しゅえん男優だんゆうしょう受賞じゅしょう
NHK映画えいが最優秀さいゆうしゅう主演しゅえん男優だんゆうしょう
  • 1958ねん炎上えんじょう
  • 1967ねんはなおかあおしゅうつま

『シネマ・ヌオボ』最優秀さいゆうしゅう男優だんゆうしょう
1958ねん炎上えんじょう

はち代目だいめ 市川いちかわ 雷蔵らいぞうはちだいめ いちかわ らいぞう1931ねん昭和しょうわ6ねん8がつ29にち - 1969ねん昭和しょうわ44ねん7がつ17にち)は、歌舞伎かぶき役者やくしゃおよび日本にっぽん俳優はいゆう出生しゅっしょうめい亀崎かめざき 章雄あきおかめざき あきおのち本名ほんみょう竹内たけうち 嘉男よしおたけうち よしお、さらに太田おおた 吉哉よしやおおた よしや改名かいめいした。身長しんちょうは170センチメートル[1]

生後せいご6かげつのときにさん代目だいめ市川いちかわきゅうだん養子ようしとなり、15さいのとき市川いちかわむしろぞう名乗なのって歌舞伎かぶき役者やくしゃとして初舞台はつぶたいむ。1951ねん昭和しょうわ26ねん)にさん代目だいめ市川いちかわ壽海じゅかい養子ようしとなりはち代目だいめ市川いちかわ雷蔵らいぞう襲名しゅうめい1954ねん昭和しょうわ29ねん)に映画えいが俳優はいゆう転身てんしん1959ねん昭和しょうわ34ねん)の映画えいが炎上えんじょう』での演技えんぎ評価ひょうかされ、キネマ旬報きねまじゅんぽう主演しゅえん男優だんゆうしょう受賞じゅしょうブルーリボンしょう主演しゅえん男優だんゆうしょうなどを受賞じゅしょう1960年代ねんだいにはかつ新太郎しんたろうとともに大映だいえいまい看板かんばん(カツライス)として活躍かつやくした。ファンから「かみなり(らい)さま」としたしまれた。1968ねん昭和しょうわ43ねん6がつ直腸ちょくちょうがんわずらっていることがわかり、手術しゅじゅつけるが肝臓かんぞう転移てんい翌年よくねん7がつ17にち死去しきょした。

生涯しょうがい

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その生涯しょうがい芸名げいめい本名ほんみょうがたびたびわっているため、本文ほんぶんちゅうでこの人物じんぶつのことをすときは原則げんそくとして「雷蔵らいぞう」で統一とういつする。

誕生たんじょうさん代目だいめ市川いちかわきゅうだん養子ようしとなる(1931ねん8がつ - 1933ねん

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市川いちかわ雷蔵らいぞう1931ねん昭和しょうわ6ねん8がつ29にち京都きょうと京都きょうと中京ちゅうきょう西にし木屋こやまち神屋かみやまち誕生たんじょうした。出生しゅっしょう亀崎かめざき 章雄あきおといった。生後せいご6かげつとき伯父おじ歌舞伎かぶき役者やくしゃさん代目だいめ市川いちかわきゅうだん養子ようしとなり、本名ほんみょう竹内たけうち 嘉男よしお改名かいめいした[2]

映画えいが評論ひょうろん田山たやまつとむによると、雷蔵らいぞう養子ようしされた経緯けいいつぎのとおりである。雷蔵らいぞうちちはは雷蔵らいぞう妊娠にんしんちゅう陸軍りくぐん幹部かんぶ候補こうほせいとして奈良ならうつり、ははちち生家せいかとどまった。しかしははちち親族しんぞくのいじめにい、ははちちたすけをもとめたが無視むしされたため、たまりかねて実家じっかもどって雷蔵らいぞう出産しゅっさん[3][4]。そのときまでに両親りょうしんなか決裂けつれつしており、はは1人ひとり雷蔵らいぞうそだてるつもりだったが、もなくちち義兄ぎけいにあたるさん代目だいめきゅうだん雷蔵らいぞう養子ようしとしてるともうた。ははははじめこのもうことわったが最終さいしゅうてき同意どうい雷蔵らいぞうきゅうだん養子ようしとなった[5][4]雷蔵らいぞう自身じしんきゅうだん養子ようしであることをったのは16さいとき[6]実母じつぼとの対面たいめんたしたのは30さいぎてからのことだった[7]

歌舞伎かぶき役者やくしゃとなる(1934ねん - 1949ねん5がつ

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さん代目だいめきゅうだん養子ようしとなってからおよそ2ねんぎた1934ねん雷蔵らいぞう京都きょうとから大阪おおさかうつった。きゅうだん幼少ようしょう雷蔵らいぞう歌舞伎かぶき役者やくしゃ修行しゅぎょうをさせなかった[8]が、1946ねん、3年生ねんせいとき大阪おおさか府立ふりつ天王寺てんのうじ中学校ちゅうがっこう (現在げんざい大阪おおさか府立ふりつ天王寺てんのうじ高等こうとう学校がっこう) を退学たいがくして歌舞伎かぶき役者やくしゃになるみちえらんだ[注釈ちゅうしゃく 1][10][11]

1946ねん11月、15さいとき大阪おおさか歌舞伎座かぶきざもよおされた東西とうざい合同ごうどうだい歌舞伎かぶきの『中山七里なかやましちり』のむすめおはなで市川いちかわ むしろぞう(いちかわ えんぞう、養父ようふさん代目だいめ市川いちかわきゅうだんぜん[12])を代目だいめとして名乗なの初舞台はつぶたいんだ[13]初舞台はつぶたいから2ねんあまりがった1949ねん5月にはあらしこいのぼるはち代目だいめあらし吉三郎きちさぶろう映画えいが俳優はいゆう北上きたかみ弥太郎やたろう)や代目だいめ中村なかむら太郎たろうらとともに若手わかてによる勉強べんきょうかい「つくしかい」をげ、稽古けいこはげんだ[2]。しかし養父ようふきゅうだん京都きょうとかい議員ぎいんで、歌舞伎かぶき役者やくしゃあこがれて代目だいめ市川いちかわひだりだん弟子でしりした、門弟もんていあがりの役者やくしゃだった[14]権門けんもんだしではないきゅうだん上方かみがた歌舞伎かぶきにおける脇役わきやくせんもん役者やくしゃぎず、雷蔵らいぞうはその息子むすこであることにくるしみつづけることになる。

さん代目だいめ市川いちかわ壽海じゅかい養子ようしとなる(1949ねん6がつ - 1951ねん6がつ

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市川いちかわ壽海じゅかいとの養子ようし縁組えんぐみ成立せいりつした記念きねん写真しゃしん昭和しょうわ26ねん4がつ

1949ねん雷蔵らいぞうが「つくしかい」をげたのとおな時期じきに、演出えんしゅつ武智たけち鉄二てつじすじ若手わかて歌舞伎かぶき役者やくしゃ起用きようして、のちに「武智たけち歌舞伎かぶき」とばれるようになる正統せいとう歌舞伎かぶき上演じょうえんするようになった[注釈ちゅうしゃく 2][2]。「つくしかい」が武智たけち歌舞伎かぶき参加さんかした[2]ことがきっかけで雷蔵らいぞうった武智たけちは、雷蔵らいぞう役者やくしゃとしての資質ししつたか評価ひょうかしたが、きゅうだんのままでは権門けんもんはばかせる梨園りえんではずにうずもれてしまうことをあんじた[15]。そこで武智たけちは、四半世紀しはんせいきもそのえていた上方かみがた歌舞伎かぶきだい名跡みょうせき中村なかむら雀右衛門じゃくえもん」をがせようとかんがえたが、雷蔵らいぞう梨園りえん権門けんもんだしでないことをきらったさん代目だいめ中村なかむら雀右衛門じゃくえもん未亡人みぼうじんことわられてしまう[16][15]

その武智たけちは、がなかったさん代目だいめ市川いちかわ壽海じゅかい雷蔵らいぞう養子ようしにしたいという意向いこうっていることを[17]1950ねん12月、さん代目だいめ市川いちかわ壽海じゅかいは「つくしかい」に審査しんさいんとしてい、『修禅寺しゅぜんじ物語ものがたり』のみなもとよりゆきえんじた雷蔵らいぞうこう評価ひょうかあたえていた[2]壽海じゅかい仕立したて職人しょくにん息子むすこという歌舞伎かぶきとは無縁むえん出自しゅつじかかえながら、苦労くろうすえ戦中せんちゅうから戦後せんごにかけての関西かんさい歌舞伎かぶききゅう成長せいちょうをとげ、このころまでには関西かんさい歌舞伎かぶき俳優はいゆう協会きょうかい会長かいちょう要職ようしょくにな重鎮じゅうちんとなっていた[18]。さらになな代目だいめだん十郎じゅうろうきゅう代目だいめだん十郎じゅうろうが俳名に使つかっていた「壽海じゅかい」を名跡みょうせきとして名乗なのることをゆるされ[19]くわえて「成田屋なりたや」と「ことぶき海老えび」という、通常つうじょうならば市川いちかわ宗家そうけもの使用しようする屋号やごう定紋じょうもんゆるされてもいた[注釈ちゅうしゃく 3][20]。そこで武智たけち関係かんけいしゃはたらきかけ、この養子ようし縁組えんぐみりまとめることに成功せいこうする[21]壽海じゅかい雷蔵らいぞうに、自身じしんおなじような市川いちかわ宗家そうけゆかりの由緒ゆいしょある名跡みょうせきである「市川いちかわ新蔵しんくら」をがせたいとねがったが、これには当時とうじ東京とうきょう市川いちかわ宗家そうけ番頭ばんがしらかくとしてこれを代表だいひょうする立場たちばにあった代目だいめ市川いちかわ猿之助えんのすけ初代しょだい猿翁えんおうが「どこのうまほねともれない役者やくしゃ新蔵しんくら名跡みょうせきはやれない」ともう反対はんたい[注釈ちゅうしゃく 4]交渉こうしょう結果けっか市川いちかわ雷蔵らいぞう」の名跡みょうせきぐことで決着けっちゃくした[22]養子ようし縁組えんぐみは1951ねん4がつ成立せいりつ同年どうねん6がつには大阪おおさか歌舞伎座かぶきざ雷蔵らいぞう襲名しゅうめい披露ひろうおこなわれた[23][24]。なお、映画えいが監督かんとくいけ広一ひろかずおっとによるとさん代目だいめ市川いちかわ壽海じゅかいについて、雷蔵らいぞう実父じっぷではないかといううわさがあったという[25]

養子ようし縁組えんぐみけて、雷蔵らいぞう後半こうはんせい本名ほんみょう太田おおた 吉哉よしや改名かいめいした[23][24]。この名前なまえ姓名せいめい判断はんだんっていた雷蔵らいぞうみずかめたものだった[26]。ちなみに大映だいえい京都きょうと撮影さつえいしょ所長しょちょうだった鈴木すずき晰也によると雷蔵らいぞう周囲しゅういにもさかんに改名かいめいすすめ、大映だいえい関係かんけいしゃなかには雷蔵らいぞうすすめで改名かいめいしたものが20〜30にんはいたという[26]のち結婚けっこんする永田ながた雅子まさこも、もとは恭子きょうこという名前なまえだったが雷蔵らいぞうすすめで雅子まさこ改名かいめいしている[27]

映画えいが俳優はいゆう転身てんしん(1951ねん7がつ - 1957ねん

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映画えいが忠臣蔵ちゅうしんぐら』で大役たいやく浅野内匠頭あさのたくみのかみえんじた雷蔵らいぞう
みぎ上使じょうし門伝もんでん八郎はちろう黒川くろかわ弥太郎やたろう
大映だいえい製作せいさく、1958ねん昭和しょうわ33ねん4がつ1にち公開こうかいの『忠臣蔵ちゅうしんぐら』より、スチル写真しゃしん

1951ねん壽海じゅかい養子ようしとなった雷蔵らいぞうだったが、わかいうちから大役たいやくあたえないという壽海じゅかい方針ほうしんもあって、さしてやくあたえられず、楽屋がくやには大部屋おおべやがあてがわれるというあつかいをけた[28]。そんななか雷蔵らいぞうは1954ねん大映だいえい所属しょぞく映画えいが俳優はいゆう転身てんしんした。

動機どうきについて雷蔵らいぞう自身じしん日和見ひよりみてき試験しけんてき映画えいがてみようとおもったとべている[29]が、田山たやまつとむ哉によると雷蔵らいぞう以前いぜんから自分じぶんたいする処遇しょぐうつよ不満ふまんかんじていたところ、1954ねん大阪おおさか歌舞伎座かぶきざもよおされた六月ろくがつだい歌舞伎かぶき高野たかのきよし』において、台詞せりふがひとつもない白痴はくちやくてられたことに憤激ふんげき[注釈ちゅうしゃく 5]梨園りえんえんることを決意けついすると、かねてから雷蔵らいぞう時代じだいげきのスターとしてそうとしていた大映だいえいさそいにおうじ、映画えいが俳優はいゆう転身てんしんしたという[31]。なお、映画えいが俳優はいゆう転身てんしん雷蔵らいぞうがつとめた歌舞伎かぶき1964ねん1がつ前年ぜんねん落成らくせいしたばかりの日生劇場にっせいげきじょう上演じょうえんされた武智たけち鉄二てつじ演出えんしゅつ勧進かんじんちょう』の富樫とかし左衛門さえもんのみである。雷蔵らいぞうはこのとき歌舞伎かぶきとしってからでないとだめだが、映画えいがとしったらだめ。わかあいだ映画えいがかせいで、としったら歌舞伎かぶきをやろうとおもっているんです」とかたっている[32]映画えいが俳優はいゆうになることをめたのち雷蔵らいぞう映画えいがかんあししげかよって東映とうえい時代じだいげきスター中村なかむら錦之助きんのすけ演技えんぎ研究けんきゅうした[33]

雷蔵らいぞうは1954ねん8がつ25にち公開こうかいの『はな白虎隊びゃっこたい』で映画えいが俳優はいゆうとしてデビューした。権門けんもんだしではない雷蔵らいぞう出自しゅつじ歌舞伎かぶきかいでは出世しゅっせさまたげとなったが、関西かんさい歌舞伎かぶき重鎮じゅうちん市川いちかわ壽海じゅかいである雷蔵らいぞう映画えいがかいでは貴種きしゅとしてあつかわれた。大映だいえい経営けいえいじん雷蔵らいぞう長谷川はせがわ一夫かずおつづくスターとして意向いこうっており、デビューさくの『はな白虎隊びゃっこたい』ののち5さくの『潮来いたこ出島でじま 美男よしお剣法けんぽう』(1954ねん12月22にち公開こうかい)、6さくの『次男じなんぼうからす』(1955ねん1がつ29にち公開こうかい)とつづけに主役しゅやく抜擢ばってきした[34]

デビュー2ねんの1955ねん雷蔵らいぞうは『しん平家ひらか物語ものがたり』(1955ねん9がつ21にち公開こうかい)の平清盛たいらのきよもりやくでスターとして注目ちゅうもくあつめるようになった。雷蔵らいぞう映画えいがを16ほん監督かんとくした田中たなか徳三とくぞうは、当初とうしょ雷蔵らいぞう俳優はいゆうとしての大成たいせいむずかしいとかんじていたが、『しん平家ひらか物語ものがたり』で印象いんしょう一変いっぺんしたとべている[35]。また雷蔵らいぞう映画えいがを16ほん監督かんとくしたいけ広一ひろかずおっとは、それまで長谷川はせがわ一夫かずお亜流ありゅうのようなことをやっていたのが、じわじわと役者やくしゃ根性こんじょうてきたとひょうしている[36]映画えいが評論ひょうろん佐藤さとう忠男ただおは、『しん平家ひらか物語ものがたり』をさかいに「長谷川はせがわ一夫かずおのちうように、もっぱらやさおとこ美男びなんさむらいややくざをえんじた」雷蔵らいぞうが、「通俗つうぞくてきなチャンバラ映画えいがだけではなく、しばしば格調かくちょうたか悲劇ひげきあざやかにえんじるすぐれた俳優はいゆうになっていった」とひょうしている[37]雷蔵らいぞう足腰あしこしよわく、まわりのときにふらつくくせがあった[38][39]もと大映だいえい企画きかく部長ぶちょう土田つちた正義まさよしによると、まわりに不安ふあんのある雷蔵らいぞうに「天下てんかせいした青年せいねん清盛きよもり」をえんじさせるのは大変たいへん冒険ぼうけんだったという[40]雷蔵らいぞう自身じしん足腰あしこしよわさを自覚じかくしており、同志社大学どうししゃだいがく相撲すもうかよ四股しこむなど様々さまざま鍛錬たんれんおこなった[36]改善かいぜんされず、撮影さつえいにスタッフは足腰あしこしよわさが画面がめんあらわれないよう配慮はいりょする必要ひつようがあった[41][42]雷蔵らいぞう映画えいがを18ほん監督かんとくした三隅みすみけんによると、雷蔵らいぞうみずからの肉体にくたいてきよわさにたいつよ嫌悪けんおかんっていたが、ある時期じきさかいにそうした肉体にくたいてき欠陥けっかんけいれたうえで、それをえようとする姿勢しせいをとるようになったという[42]。『しん平家ひらか物語ものがたり』をさかい雷蔵らいぞうは、年間ねんかん10ほん以上いじょう映画えいが出演しゅつえん休日きゅうじつ返上へんじょう撮影さつえいおこな多忙たぼう日々ひびおくるようになった[43]

トップスターとなる (1958ねん - 1968ねん5がつ

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市川いちかわ雷蔵らいぞう はつ現代げんだいげき炎上えんじょう

1958ねん昭和しょうわ33ねん)、市川いちかわこんは『炎上えんじょう』(同年どうねん8がつ19にち公開こうかい原作げんさく三島みしま由紀夫ゆきお金閣寺きんかくじ』)の主役しゅやく雷蔵らいぞう抜擢ばってきした。市川いちかわによると、はじめは川口かわぐちひろし起用きようしようとしたが、大映だいえい社長しゃちょう永田ながた雅一まさいち反対はんたいされ、そこで直感ちょっかんてき雷蔵らいぞう指名しめいしたという[44]。このやく吃音きつおんしょう劣等れっとうかんくら学生がくせいそうで、大映だいえい社内しゃないにはそれまで二枚目にまいめやくばかりをえんじてきた雷蔵らいぞう起用きよう疑問ぎもんしたり反対はんたいする意見いけんもあった[45]が、「俳優はいゆう市川いちかわ雷蔵らいぞう大成たいせいさせるひとつの跳躍ちょうやくだいとしたい」という決意けついのぞんだ雷蔵らいぞう[46]はこのやく好演こうえんした。市川いちかわ雷蔵らいぞう演技えんぎを「ひゃくてん満点まんてんつけていいとおもいます。もうなにもいうことないですよ」とひょうした[47]。『炎上えんじょう』での演技えんぎはしばしば、雷蔵らいぞう自身じしんちが反映はんえいしているとひょうされる。市川いちかわこんは「やくつうじてなに自分じぶんというものを表出ひょうしゅつしようとしている」「演技えんぎとおしたなにか…(中略ちゅうりゃく)…かれがそれまで背負せおってきた、ひとにはいえないような人生じんせいなにかしらの表情ひょうじょう」があったとひょうしている[48]田中たなか徳三とくぞう雷蔵らいぞう複雑ふくざつち、しん部分ぶぶんのようなものがやくかさなりっていたとひょうしている[49]いけ広一ひろかずおっとは、ちにまつわる「人生じんせいかくされた部分ぶぶん」、「部分ぶぶん」というべきものを演技えんぎせる雷蔵らいぞうだからこそできた表現ひょうげんひょうしている[50]。なお、大映だいえい企画きかくだったつじ久一ひさいち雷蔵らいぞう自身じしんちが『炎上えんじょう』での演技えんぎ影響えいきょうしているのではないかとうたところ、雷蔵らいぞうはこれを否定ひていしなかった[51]。『炎上えんじょう』での演技えんぎ世間せけんでもたか評価ひょうかされ、キネマ旬報きねまじゅんぽう主演しゅえん男優だんゆうしょうブルーリボンしょう男優だんゆう主演しゅえんしょうなどを受賞じゅしょう雷蔵らいぞうはトップスターとしての地位ちい確立かくりつした[52]

1963ねん昭和しょうわ38ねん)にはじまった『ねむり狂四郎きょうしろう』シリーズは、雷蔵らいぞう晩年ばんねん代表だいひょうするシリーズとなった。田中たなか徳三とくぞうによると、雷蔵らいぞう当初とうしょ主人公しゅじんこうねむり狂四郎きょうしろうえんじることに苦戦くせんした。雷蔵らいぞう自身じしんも1さくの『ねむり狂四郎きょうしろうころせ法帖ほうじょう』(1963ねん昭和しょうわ38ねん11月2にち公開こうかい)について、「狂四郎きょうしろうという人物じんぶつ特徴とくちょうづけている虚無きょむてきなものが全然ぜんぜんていない」とべ、失敗しっぱいさくだったことをみとめている[53]ものの、4さくの『ねむり狂四郎きょうしろうじょ妖剣』(1964ねん昭和しょうわ39ねん10月17にち公開こうかい)で虚無きょむかん、ダンディズム、ニヒリズムを表現ひょうげんするやくづくりに成功せいこうした[54]。『ねむり狂四郎きょうしろう』シリーズにおける雷蔵らいぞう演技えんぎについてかつ新太郎しんたろうは、「ねむり狂四郎きょうしろうをやるときにかぎり、はなしたがちょっとながくなるのね。死相しそうすというのかな。人間にんげんときかおだね、あれは」「まわりなんかも、かみなりちゃん、かおってたね。けんらないでかおってた」と述懐じゅっかい、「かみなりちゃんは、ねむり狂四郎きょうしろう殺陣さつじんでもセリフでもなく、かおでやっていたんだとおれはおもうよ」とひょうしている[55]いけ広一ひろかずおっとは「なにわないで、表情ひょうじょうもなしで、ただあるいている姿すがただけで、背負せおっている過去かこみたいなものを表現ひょうげんした」とひょうしている[56]。『ねむり狂四郎きょうしろう多情たじょうけん』の監督かんとくつとめた井上いのうえあきらは、雷蔵らいぞう以外いがいにもねむり狂四郎きょうしろうえんじた役者やくしゃはいるが、精神せいしんせいにおいて雷蔵らいぞうにはかなわなかったとべている[57]雷蔵らいぞう主演しゅえんしたシリーズの作品さくひんすうは12ほんおよび、雷蔵らいぞう主演しゅえんした作品さくひんなかもっとおおいものとなった。

『キネマ旬報』No.262、p.73、1960年7月特別号
1960ねんごろ

いけ広一ひろかずおっとによると、雷蔵らいぞう俳優はいゆうとしてキャリアをかさねるにつれ、監督かんとくとして映画えいが製作せいさくたずさわることを希望きぼうするようになっていったという。いけひろ雷蔵らいぞうたいし、監督かんとくではなくプロデューサーとして題材だいざい脚本きゃくほん監督かんとく出演しゅつえんしゃをすべてめるほうがよいとアドバイスした[58]1968ねん昭和しょうわ43ねん1がつ雷蔵らいぞうは「いままでたこともないあたらしい演劇えんげきをこしらえたい」という決意けついした劇団げきだん「テアトロ鏑矢かぶらや」を設立せつりつしプロデューサーとしての活動かつどうはじめようとしたが、その直後ちょくごやまいおかされ(しもじゅつ)、劇団げきだん活動かつどうすることはなかった[59]雷蔵らいぞう作品さくひん14ほん脚本きゃくほん担当たんとうした星川ほしかわ清司せいじによると、雷蔵らいぞう星川ほしかわ三隅みすみけんつぎに「映画えいがというのはそうながくないかもしれないなあ。いつか3にん芝居しばいをやろう。あたらしい仕事しごとをやってみよう」、「黙阿弥もくあみ作品さくひん現代げんだいてきでとらえてやってみようよ」とかたったこともあったという[60]

晩年ばんねん死去しきょ(1968ねん6がつ - 1969ねん7がつ17にち

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京都きょうと祇園ぎおん八坂神社やさかじんじゃ境内けいだい西にし楼門ろうもんうらにある灯篭とうろうには、雷蔵らいぞう壽海じゅかいきざまれている

1968ねん昭和しょうわ43ねん6がつ雷蔵らいぞうは『せきわたるふとっぺ』の撮影さつえいちゅうしも見舞みまわれ、入院にゅういんした[61]検査けんさ結果けっか直腸ちょくちょうがんであることが判明はんめいしたが、本人ほんにんにはらされなかった[61][62]。8がつ10日とおか手術しゅじゅつ退院たいいんした[62]が、家族かぞく医師いしから「半年はんとしあまりのあいだ再発さいはつする」という宣告せんこくけた[61]雷蔵らいぞうまれつき胃腸いちょうよわ[63]1961ねん昭和しょうわ36ねん)にも『沓掛くつかけ時次郎ときじろう』の撮影さつえいしも見舞みまわれており、病院びょういん精密せいみつ検査けんさけた結果けっか、「直腸ちょくちょうきずがある」という診断しんだんけたことがあった[63]。また、1964ねん昭和しょうわ39ねん1がつ日生劇場にっせいげきじょうで『勧進かんじんちょう』をつとめたさいには武智たけち鉄二てつじたいし、「下痢げりなやまされている」と告白こくはくしている[64]

退院たいいん雷蔵らいぞうは『ねむり狂四郎きょうしろう悪女あくじょ』(1969ねん1がつ11にち公開こうかい)『博徒ばくといちだい 血祭ちまつ不動ふどう』(1969ねん昭和しょうわ44ねん2がつ12にち公開こうかい)の撮影さつえいおこなったが、体力たいりょくおとろえがはげしく、まわりの場面ばめんえの役者やくしゃえんじた[65]1969ねん昭和しょうわ44ねん2がつ体調たいちょう不良ふりょううったさい入院にゅういん。2度目どめ手術しゅじゅつけた雷蔵らいぞうは、スープものどとおらなくなるほど衰弱すいじゃくしていた[66]が、『あゝ海軍かいぐん』で海軍かいぐん士官しかんやくえんじることに意欲いよくせ、関係かんけいしゃわせをおこなっていた。しかし復帰ふっきがクランクインにわず、大映だいえい代役だいやく代目だいめ中村なかむら吉右衛門きちえもんてて撮影さつえいすることを決定けってい。そのことを新聞しんぶんんでって以来いらい雷蔵らいぞう仕事しごとはなし一切いっさいしなくなったという[67][66]。7月17にち転移てんいせいきもがんのため死去しきょ[68]。37さいぼつ葬儀そうぎは7がつ23にち大田おおた池上本門寺いけがみほんもんじおこなわれた。戒名かいみょうは「だいくもいん雷蔵らいぞう法眼ほうげんきよし居士こじ」。墓所はかしょもかつてはどうてらにあったが、現在げんざい久遠寺くおんじ山梨やまなしけん南巨摩みなみこまぐん身延みのぶまち)に移転いてんしている。

間際まぎわ雷蔵らいぞう混濁こんだくした意識いしきなか自分じぶんがおだれにもせないようなん懇願こんがんしたといわれているが[69]つま太田おおた雅子まさこはこれを否定ひていし、「雷蔵らいぞう最後さいごまで復帰ふっきをあきらめておらず、遺言ゆいごん一切いっさいなかった」とべている[70]死後しご雷蔵らいぞうかおには白布しろぬのじゅうかれ、火葬かそうされるまでかれることはなかった[71]雅子まさこによると、本人ほんにんの「せてしまった姿すがただれにもせたくない」という遺志いしから、がおたのは養父ようふ壽海じゅかい社長しゃちょう永田ながただけであったという[66]

最後さいご出演しゅつえん作品さくひんとなったのは『博徒ばくといちだい 血祭ちまつ不動ふどう』(1969ねん昭和しょうわ44ねん2がつ12にち公開こうかい)で、当時とうじ人気にんきはくしていた東映とうえい任侠にんきょう路線ろせんあきらかに意識いしきした作品さくひんだった。雷蔵らいぞうは「鶴田つるた浩二こうじ二番煎にばんせんじをおれにやれというのか」と出演しゅつえんしぶったが、土田つちた正義まさよしが「つぎはやりたい作品さくひん出演しゅつえんさせる」と説得せっとくし、出演しゅつえんまった経緯けいいがあった。しかし、土田つちた後年こうねん本人ほんにんでなかった作品さくひん遺作いさくになったことについて、後悔こうかいねんべている[36]から2ねん1971ねん昭和しょうわ46ねん)に大映だいえい倒産とうさんしたが、星川ほしかわ清司せいじは「雷蔵らいぞうは、大映だいえい倒産とうさん象徴しょうちょうする出来事できごとだった」と回顧かいこしている[72]

死後しご(1969ねん7がつ17にち - )

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から5ねん1974ねん、ファンクラブ「ろうかみなりかい」が発足ほっそく[73]2019ねん現在げんざい活動かつどうつづけている。大映だいえい京都きょうと撮影さつえいしょ製作せいさく部長ぶちょうつとめた松原まつばら正樹まさきによると、雷蔵らいぞうのファンそうはその演技えんぎ人間にんげんせいかれたとおもわれるインテリ女性じょせいおおいところに特徴とくちょうがあり、「キャーキャーとさわぐようなタイプなど見当みあたらなかった」という[74]。また京都きょうとでは、雷蔵らいぞう命日めいにちにあたる7がつ17にちおこなわれる「市川いちかわ雷蔵らいぞう映画えいがさい」で主演しゅえん作品さくひん上映じょうえいすることがなつ恒例こうれい行事ぎょうじとなっている[75][76]2009ねん12月から[77]2011ねん5がつまで[78]雷蔵らいぞう出演しゅつえん作品さくひん上映じょうえいする『没後ぼつご40ねん特別とくべつ企画きかく だい雷蔵らいぞうさい』が開催かいさいされた。

2000ねん発表はっぴょうされた『キネマ旬報きねまじゅんぽう』の「20世紀せいき映画えいがスター男優だんゆうへん」で日本にっぽん男優だんゆうの6どうごうの「読者どくしゃえらんだ20世紀せいき映画えいがスター男優だんゆう」ではだい7になった。2014ねん発表はっぴょうの『キネマ旬報きねまじゅんぽう』による『オールタイム・ベスト 日本にっぽん映画えいが男優だんゆう女優じょゆう』では日本にっぽん男優だんゆう3となった[79]

家族かぞく

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1962ねん昭和しょうわ37ねん)に永田ながた雅一まさいち養女ようじょ雅子まさこ結婚けっこん[80]。3にん子供こどもをもうけている[81]雅子まさこ雷蔵らいぞうから「ひょうには一切いっさいないように」とわれており[82]死後しごおっとについてかたってしいという依頼いらいことわつづけていたが[83]死後しご40ねん2009ねん平成へいせい21ねん)、『文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう2009ねん平成へいせい21ねん5月特別とくべつごう回想かいそうおっと市川いちかわ雷蔵らいぞうよんじゅうねん恋文こいぶみ」を発表はっぴょうしている。

受賞じゅしょうれき

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市川いちかわ (1995)巻末かんまつ年譜ねんぷによる。

  • 1959ねん昭和しょうわ34ねん)1がつ 『炎上えんじょう』でキネマ旬報きねまじゅんぽう主演しゅえん男優だんゆうしょう
  • 1959ねん昭和しょうわ34ねん)2がつ 『炎上えんじょう』『弁天べんてん小僧こぞう』でブルーリボン主演しゅえん男優だんゆうしょう、NHK映画えいが最優秀さいゆうしゅう主演しゅえん男優だんゆうしょう
  • 1959ねん昭和しょうわ34ねん)9がつ 『炎上えんじょう』の演技えんぎにより、イタリアの映画えいが『シネマ・ヌオボ』で最優秀さいゆうしゅう男優だんゆうしょう
  • 1964ねん昭和しょうわ39ねん)11月 『けん』で京都きょうと市民しみん映画えいがさい主演しゅえん男優だんゆうしょう
  • 1967ねん昭和しょうわ42ねん)2がつ 『はなおかあおしゅうつま』でNHK映画えいが最優秀さいゆうしゅう男優だんゆうしょうキネマ旬報きねまじゅんぽう主演しゅえん男優だんゆうしょう
  • 1968ねん昭和しょうわ43ねん)11月 『はなおかあおしゅうつま』で京都きょうと市民しみん映画えいがさい主演しゅえん男優だんゆうしょう
  • 1969ねん昭和しょうわ44ねん)11月 京都きょうと市民しみん映画えいがさいマキノ省三しょうぞうしょう

評価ひょうか

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演技えんぎ

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脚本きゃくほん八尋やひろ不二ふじ雷蔵らいぞう人柄ひとがらについて、「だれたいしても、おごらず、たかぶらず、つね礼儀れいぎただしかった」とひょうしており、その性格せいかく芸風げいふうにも反映はんえいされていたとしている。八尋やひろは、「かずある時代じだいげき俳優はいゆうなかにも、もうかれのように、ただしい、いい意味いみでの、本当ほんとう武士ぶしらしい武士ぶしになりきれるものは一人ひとりもいない」とべている[84]

いけ広一ひろかずおっとは、雷蔵らいぞうちが役者やくしゃとしての雷蔵らいぞうに「非情ひじょうかげ」をとし、その結果けっか人生じんせいかげ部分ぶぶん部分ぶぶんていた。しかもたんすのではなくみしめてしていたとひょうしている[25]雷蔵らいぞう出演しゅつえん作品さくひんもっとおお監督かんとくつとめたもり一生かずおは、雷蔵らいぞう自身じしんかかえる「だれにもいっていない人間にんげんてきくるしみ」にえ、芝居しばい昇華しょうかさせていたとべている[85]もり映画えいが評論ひょうろん山根やまね貞男さだおによるインタビューをけたさい2人ふたり雷蔵らいぞうに「さわやかなかなしさがある」という見解けんかい一致いっちした。山根やまねはこの言葉ことば意味いみを「悲劇ひげきえんじることがおおいのですが、ただくらくゆううつというのではなく、どこかにスカッとしためんがあります。かなしみとさわやかさの両方りょうほうそなえた役者やくしゃというのは雷蔵らいぞう以外いがいにはいません」と解説かいせつしている[85]

佐藤さとう忠男ただお雷蔵らいぞう演技えんぎについて、時代じだいげき現代げんだいげきわず、「どんなにみじめなやくでも、どんなに滑稽こっけいやくでも、それを格調かくちょうたかえんじることによって作品さくひん気品きひんあたえた」とひょうしている[86]評論ひょうろん川本かわもと三郎さぶろう雷蔵らいぞう演技えんぎさについて、「ここにいながらここにいない」ともいうべき「濁世じょくせにあっていつもまなざしをとおくへとけている透明とうめいかん」にあるとひょうし、この透明とうめいかんゆえに「りようによってはキザなセリフが、そうはならない」とべている[87]

鈴木すずき晰也は、雷蔵らいぞうおなじように武智たけち歌舞伎かぶきから映画えいが俳優はいゆう転身てんしんしたが、大成たいせいせずに結局けっきょく歌舞伎かぶき舞台ぶたいもどった代目だいめ中村なかむら扇雀せんじゃくよん代目だいめ坂田さかた藤十郎とうじゅうろうなな代目だいめ大谷おおや友右衛門ともえもんよん代目だいめ中村なかむら雀右衛門じゃくえもんいにして、梨園りえん子役こやく時代じだい経験けいけんしなかった雷蔵らいぞう歌舞伎かぶきまりきらなかったことが映画えいが成功せいこうしたおおきな要因よういんだったと分析ぶんせきしている[88]

2014ねん映画えいが関係かんけいしゃ文化ぶんかじん対象たいしょうにした『キネマ旬報きねまじゅんぽう』のアンケートでは、きな日本にっぽん映画えいが男優だんゆうだい3えらばれている[89]

容姿ようし

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雷蔵らいぞうには普段ふだん地味じみ目立めだたない容姿ようしだが、撮影さつえいメークをすると一変いっぺんするという特徴とくちょうがあった。おおくの映画えいが関係かんけいしゃがこの特徴とくちょう言及げんきゅうしている。

市川いちかわこんは、雷蔵らいぞう本質ほんしつは「硬質こうしつかつ素朴そぼく」で、通常つうじょうのスターが特定とくていのキャラクターをとおすのにたいし、持前もちまえ素朴そぼくさが「メーキャップでどうにでもわる」ところに特徴とくちょうがあったとひょうしている[90]井上いのうえあきらは、メークをほどこすと普段ふだん姿すがたとはまったくちがってうつくしくえたといい[55]、また「『え、これが!?』というぐらい、メークでパッとわる」ともべている[91]田中たなか徳三とくぞうは、「手応てごたえのない温和おんわさと、清潔せいけつ雰囲気ふんいきったこのひとは、仕事しごとになると凛然りんぜんかたげて、着実ちゃくじつ重厚じゅうこうな、そして絢爛けんらんたる演技えんぎしゃ変貌へんぼうした。これは素顔すがおっているわたしには、をみひらくようなおどろきであった」とひょうしている[91]

井上いのうえあきらによると、デビュー雷蔵らいぞうかつ新太郎しんたろう花柳はなやぎたけはじめとともに長谷川はせがわ一夫かずおからメークの指導しどうけた。2人ふたりおそわったとおりにメークをしていたのにたいし、雷蔵らいぞうだけは自己流じこりゅうとお部分ぶぶんおおかったという。井上いのうえは、目張めばりや眉毛まゆげのメークに雷蔵らいぞう独自どくじせいあらわれていると分析ぶんせきしている。さらに井上いのうえによると、雷蔵らいぞう主要しゅようなメークを自身じしんおこない、その様子ようすひとせようとはしなかったという。井上いのうえは、雷蔵らいぞうにとってメークは役柄やくがら没頭ぼっとうしていくプロセスであったため、他人たにんにはられたくなかったのだと推測すいそくしている[92]親交しんこうふかかったものおおくがかたるところでは、メーキャップが天才てんさいてき上手じょうずで、洋装ようそうでメガネをけた地味じみ銀行ぎんこういんしかたる普段ふだん雷蔵らいぞうと、カメラのまえ雷蔵らいぞうとはまるで別人べつじんであったため、私生活しせいかつ雷蔵らいぞうまちですれちがっても、その質素しっそさからスター雷蔵らいぞうだとづくものは、ファンはもとより業界ぎょうかい関係かんけいしゃにもほとんどいなかった[93]

好色こうしょくいちだいおとこ』の脚本きゃくほんいた白坂しらさかこころざしおっとは、普段ふだん商社しょうしゃマンのようだが「スクリーンに登場とうじょうすると、おどろくべき変貌へんぼうげ、あかるさのなかに、虚無きょむ一抹いちまつ郷愁きょうしゅうをたたえた雄々おおしく、うつくしい青年せいねんスタア」に変貌へんぼうげるとひょうしている[94]井上いのうえあきらは、雷蔵らいぞう主演しゅえんした作品さくひんのポスターには後姿うしろすがた雷蔵らいぞうかおだけいている構図こうずのものがおおいが、これは後姿うしろすがたにこそ雷蔵らいぞう虚無きょむてき魅力みりょくるとおおくの監督かんとくかんじていたためだとべている[95]

かつ新太郎しんたろうとの比較ひかく

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雷蔵らいぞうたぬき吉郎よしろうひだり)とかちぐりすけみぎ
あいだ若尾わかお文子ふみこのきぬたひめ
大映だいえい製作せいさく1959ねん昭和しょうわ34ねん12月27にち公開こうかい初春しょしゅんたぬき御殿ごてん』より、スチル写真しゃしん

雷蔵らいぞう脇役わきやくせんもん役者やくしゃさん代目だいめ市川いちかわきゅうだんで、かつては代目だいめ市川いちかわむしろぞうといった。かつ新太郎しんたろう長唄ながうた三味線しゃみせんかたきねかちひがしで、かつては二代目杵屋勝丸といった。その雷蔵らいぞうかち大映だいえい専属せんぞく契約けいやくむすんだのはともに1954ねんで、2人ふたり同期どうき入社にゅうしゃだった。おなじ1931ねんまれで、歌舞伎かぶき早々そうそう見切みきりをつけて映画えいがという新天地しんてんちえらんだてんで、この2人ふたり境遇きょうぐうにあった。

前述ぜんじゅつのように、大映だいえい経営けいえいじん雷蔵らいぞう長谷川はせがわ一夫かずおつづくスターとして意向いこうっており[34]、「スムーズに軌道きどうった」[96]一方いっぽう田中たなか徳三とくぞうによるとデビュー当初とうしょかちは「長谷川はせがわ一夫かずおさんの二番煎にばんせんじのような」しろりの二枚目にまいめえんじていたが[97]監督かんとく配役はいやく一流いちりゅうのものとはいえず、ながらくヒットさくめぐまれなかった[98]

かち興行こうぎょう収入しゅうにゅう話題わだいにおいて雷蔵らいぞうしのぐほどの活躍かつやくせるようになったのは、1960年代ねんだいはいって主演しゅえんした『悪名あくめい』シリーズや『座頭市ざとういち』シリーズがヒットしてからのことであった[99]鈴木すずき晰成は、かちは「70〜80ほんってなにひとつたらん状態じょうたいつづいたのち、『悪名あくめい』でようやく使つかいものになった」[100]述懐じゅっかいしている。また田中たなか徳三とくぞうによると、1960ねんの『不知火しらぬひ検校けんぎょう』で野心やしんてき悪僧あくそうえんじて絶賛ぜっさんされるまでかち出演しゅつえんさくきゃくりがわるく、映画えいが館主かんしゅからはなぜあの俳優はいゆうばかりを使つかうのかという苦情くじょうせられるほどだったという[101]。1959ねん当時とうじ状況じょうきょうについてかちは、「番付ばんづけちがう。かみなりちゃんはもうすぐ大関おおぜき横綱よこづなになるのがかってたわけだから。おれのほうは、さんやくになれるかなれないかというところ」とかえっている[102]

かち」と「かみなり」をわせて「カツライス」とばれるまでになった大映だいえいの「まい看板かんばん市川いちかわ雷蔵らいぞうかつ新太郎しんたろう[103]は、その容姿ようし芸風げいふうおおきくことなることから比較ひかく対象たいしょうとされることがおおく、2人ふたりはライバル関係かんけいにあると一般いっぱんにはおもわれていた。しかし「っちゃん」「かみなりちゃん」とたがいを2人ふたりなかは、関係かんけいしゃによるとけっしてわるいものではなく、むしろしたしい関係かんけいにあったという[99]。そもそも雷蔵らいぞうは、かちつまである中村なかむら玉緒たまおとは、玉緒たまおちち関西かんさい歌舞伎かぶき代目だいめ中村なかむら鴈治郎がんじろうという関係かんけいもあって、彼女かのじょ幼少ようしょうから親交しんこうがあった[104]

作家さっか村松むらまつともは、「おおきいやくとはえんがなく、門閥もんばつ因襲いんしゅうにしばられる歌舞伎かぶきかいで、悶々もんもんとした日々ひびをすごし」た雷蔵らいぞう[105]と、歌舞伎かぶきかいにおいて裏方うらかたである長唄ながうた三味線しゃみせん出身しゅっしんであるかち[106]には、ともに「一種いっしゅのコンプレックスが、解決かいけつすべき重大じゅうだい問題もんだいとしてあった」のであって、「おなじようなエネルギーげんとなる要因よういん」をっていたのだと指摘してきしている[106]

俳優はいゆうとしての比較ひかく
雷蔵らいぞう台本だいほん完成かんせいするまでは作品さくひんについて色々いろいろ意見いけん性格せいかくで、「ゴテかみなり」とばれた。ただし一度いちど納得なっとくすると不平ふへい愚痴ぐちうことはなく、撮影さつえいはいってから意見いけんうこともなかった[107][108][109][110]一方いっぽうかち台本だいほん段階だんかいではなにわず、撮影さつえい現場げんば意見いけんをするタイプで、台本だいほんとはまったちが演技えんぎをしてスタッフをこまらせることもしばしばあった[111][112]
井上いのうえあきらによると、雷蔵らいぞう監督かんとく演出えんしゅつ方法ほうほうわせてやくえんじることができた。そのため、たとえばおなねむり狂四郎きょうしろうでも監督かんとくちがうとにおいやあじちがうのだとべている。一方いっぽうかち場合ばあいは、監督かんとくちがっても「座頭市ざとういちだったら、全部ぜんぶかつちゃんの座頭市ざとういち」になるとべている[113]鈴木すずき晰也も同様どうよう意見いけんべている[114]村松むらまつともは、かちは「なにをやってもかつ新太郎しんたろうのイメージ」になるタイプの俳優はいゆうで、長谷川はせがわ一夫かずお片岡かたおか千恵ちえぞうらとともに日本にっぽん映画えいがスターの本流ほんりゅうぞくするのにたいして、雷蔵らいぞう役柄やくがらおうじて多彩たさいえんける、日本にっぽん映画えいがスターのなかでは異色いしょく存在そんざいであったと分析ぶんせきしている[115]
両者りょうしゃ主演しゅえん作品さくひん監督かんとくした田中たなか徳三とくぞうは、両者りょうしゃ殺陣さつじん比較ひかくして、雷蔵らいぞうについては「こしからしたがきまらないてんはあるが、それでも十分じゅうぶんにリアルなまわりもできるひと」とおおむね肯定こうていてき評価ひょうかあたえている一方いっぽうで、「かつちゃんがたくみすぎる」としてかち軍配ぐんばいげている[116]
人物じんぶつぞう比較ひかく
いけ広一ひろかずおっとによると、かちきらいな相手あいてたいしても「一応いちおう調子ちょうしわせる」ことができたが、雷蔵らいぞう場合ばあいは「きらいなひと徹底的てっていてききらう」タイプで、めんかって「かおたくない」という態度たいどをとったという。いけひろによると、雷蔵らいぞうとくきらったのは仕事しごとがいい加減かげん人間にんげんだった[25]
大映だいえい映画えいがおおくで美術びじゅつ監督かんとくをつとめた西岡にしおか善信よしのぶは、映画えいが関係かんけいしゃとの人付ひとづかたについて、かち俳優はいゆう会社かいしゃえらいさんとみにくタイプだったのにたいし、雷蔵らいぞう裏方うらかた若輩じゃくはいしゃ交流こうりゅうするタイプだったという[117]田中たなか徳三とくぞうも、雷蔵らいぞうはスタッフの面倒めんどうがよく、しばしば自宅じたくまねいたり一緒いっしょ食事しょくじをするなどしていたとべている[118]星川ほしかわ清司せいじによると、雷蔵らいぞうは「ネオンのけばけばしいみせ有名ゆうめい料亭りょうてい」をこのまず、「ごくふつうの料亭りょうてい格式かくしきばらずに」、「正直しょうじき映画えいがろん人生じんせいろんをたたかわした」[119]
雷蔵らいぞうの『ねむり狂四郎きょうしろうえんじょうけん』とかちの『座頭市ざとういちだん』をほぼどう時期じきがけた撮影さつえい監督かんとくもり田富たとみ士郎しろうは、両者りょうしゃ性格せいかくについて、雷蔵らいぞう真面目まじめ直線ちょくせんてきだが、かち直感ちょっかんてきてんをあちこちにらばめたような行動こうどう様式ようしきだったとべている[120]

出演しゅつえん作品さくひん

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これまでに確認かくにんされている雷蔵らいぞう出演しゅつえん作品さくひんは159ほんである[77]以下いか年度ねんどべつ出演しゅつえん作品さくひんしめ[注釈ちゅうしゃく 6]

1954ねん

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公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
8がつ25にち はな白虎隊びゃっこたい 八尋やひろ不二ふじ 田坂たさか勝彦かつひこ 花柳はなやぎたけはじめかつ新太郎しんたろう黒川くろかわ弥太郎やたろう
9月29にち ぜにがた平次へいじ捕物とりものひかえ 幽霊ゆうれい大名だいみょう英語えいごばん はちじゅう利雄としお ひろ三男さんなん 長谷川はせがわ一夫かずお長谷川はせがわ裕見子ゆみこ
10がつ20日はつか 千姫せんひめ 八尋やひろ不二ふじ 木村きむらめぐみわれ きょうマチ子まちこ大河内おおこうち傳次郎でんじろう菅原すがわら謙二けんじ
11月1にち うたごよみ おなつきよし十郎じゅうろう 舟橋ふなばし和郎かずお 冬島ふゆしま泰三たいぞう 美空みそらひばり香川かがわ良介りょうすけ
12月22にち 潮来いたこ出島でじま 美男よしお剣法けんぽう英語えいごばん 八木やぎ隆一郎りゅういちろう 安田やすだ公義きみよし 嵯峨さが美智子みちこ水戸みと光子みつこ黒川くろかわ弥太郎やたろう

1955ねん

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公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
1がつ29にち 次男じなんぼうからす 八尋やひろ不二ふじ ひろ三男さんなん 嵯峨さが美智子みちこ香川かがわ良介りょうすけ
3月25にち 次男じなんぼう判官ほうがん ころもりゅう貞之助ていのすけ 加戸かどさとし みね幸子さちこ代目だいめ市川いちかわ小太夫こだゆう浅茅あさじしのぶ
4がつ20日はつか おに若様わかさま 犬塚いぬづかみのる 安田やすだ公義きみよし 八潮やしお悠子ゆうこ水戸みと光子みつこおか譲二じょうじ
4がつ24にち 薔薇ばらいくたびか ころもりゅう貞之助ていのすけ
相良さがらじゅん
ころもりゅう貞之助ていのすけ 根上ねあがりあつし長谷川はせがわ一夫かずお若尾わかお文子ふみこ南田みなみだ洋子ようこ
6月26にち おど行状ぎょうじょう 西条さいじょうあきら太郎たろう
犬塚いぬづかみのる
安田やすだ公義きみよし かつ新太郎しんたろう山本やまもと富士子ふじこ長谷川はせがわ裕見子ゆみこ
9月6にち 綱渡つなわた見世物みせものさむらい 賀集かしゅういん太郎たろう 加戸かどさとし 水原みずはら真知子まちこ清川きよかわにじ益田ますだとみ
9月21にち しん平家ひらか物語ものがたり 依田よだ義賢よしかた
成沢なりさわあきらしげる
溝口みぞぐち健二けんじ はやし成年しげとし木暮こぐれ実千代みちよ
11月1にち いろは囃子ばやし英語えいごばん ころもりゅう貞之助ていのすけ
犬塚いぬづかみのる
加戸かどさとし 山根やまね寿子ひさこみね幸子さちこ沢村さわむら貞子さだこ
12月7にち 怪盗かいとう判官ほうがん英語えいごばん 小国おぐに英雄ひでお 加戸かどさとし かつ新太郎しんたろう阿井あい美千子みちこ長谷川はせがわ裕見子ゆみこ

1956ねん

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公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
1がつ3にち はなわたどり英語えいごばん 犬塚いぬづかみのる 田坂たさか勝彦かつひこ 長谷川はせがわ一夫かずおかつ新太郎しんたろう木暮こぐれ実千代みちよ
1がつ9にち 又四郎またしろう喧嘩けんかたび英語えいごばん 賀集かしゅういん太郎たろう 田坂たさか勝彦かつひこ 嵯峨さが美智子みちこ阿井あい美千子みちこ田端たばた義夫よしお
2がつ26にち 柳生やぎゅうれん也斎 秘伝ひでん月影つきかげしょう 鈴木すずき兵吾ひょうご 田坂たさか勝彦かつひこ かつ新太郎しんたろうはやし成年しげとし夏目なつめ俊二しゅんじすみ梨枝子りえこ
3月28にち あさ太郎たろうからす英語えいごばん 比佐ひさかおるたけ 三隅みすみけん 嵯峨さが美智子みちこはま世津子せつこ水戸みと光子みつこ
5月25にち 喧嘩けんか鴛鴦えんおう英語えいごばん 小国おぐに英雄ひでお 田坂たさか勝彦かつひこ 嵯峨さが美智子みちこ大河内おおこうち傳次郎でんじろう阿井あい美千子みちこ
6月8にち はな兄弟きょうだい 犬塚いぬづかみのる 三隅みすみけん はやし成年しげとし木暮こぐれ実千代みちよ三田みた登喜子ときこ
7がつ25にち はな頭巾ずきん英語えいごばん ころもりゅう貞之助ていのすけ 田坂たさか勝彦かつひこ 山本やまもと富士子ふじこかつ新太郎しんたろうはやし成年しげとし
8がつ14にち ぜにがた平次へいじ捕物とりものひかえ 人肌ひとはだ蜘蛛くも英語えいごばん 小国おぐに英雄ひでお もり一生かずお 長谷川はせがわ一夫かずお山本やまもと富士子ふじこ矢島やじまひろ
8がつ22にち 弥次喜多やじきた道中どうちゅう みんかど敏雄としお 斎藤さいとう寅次郎とらじろう はやし成年しげとし花菱はなびしアチャコさかい駿しゅん田端たばた義夫よしお
10月17にち 月形つきがた半平はんぺんふとし ころもりゅう貞之助ていのすけ
犬塚いぬづかみのる
ころもりゅう貞之助ていのすけ 長谷川はせがわ一夫かずお
11月7にち ぞくはな頭巾ずきん英語えいごばん 犬塚いぬづかみのる 田坂たさか勝彦かつひこ 山本やまもと富士子ふじこかつ新太郎しんたろうはやし成年しげとし
12月12にち あばれとんび英語えいごばん はちじゅう利雄としお もり一生かずお 嵯峨さが美智子みちこはやし成年しげとし近藤こんどう美恵子みえこ
12月28にち 編笠あみがさけんはち英語えいごばん 松村まつむらただしあつし 三隅みすみけん すみ梨枝子りえこ夏目なつめ俊二しゅんじ三田みた登喜子ときこ

1957ねん

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公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
1がつ15にち スタジオはてんやわんや[注釈ちゅうしゃく 7] 浜野はまの信彦のぶひこ 長谷川はせがわ一夫かずおきょうマチ子まちこ
3月6にち 大阪おおさか物語ものがたり 依田よだ義賢よしかた 吉村よしむらこう三郎さぶろう 代目だいめ中村なかむら鴈治郎がんじろう香川かがわ京子きょうこ浪花なにわ千栄子ちえこ
3がつ20日はつか 朱雀すざくもん 八尋やひろ不二ふじ もり一生かずお やなぎ永二郎えいじろう若尾わかお文子ふみこ夏目なつめ俊二しゅんじ山本やまもと富士子ふじこ
4がつ30にち 源氏物語げんじものがたり 浮舟うきふね英語えいごばん 八尋やひろ不二ふじ
ころもりゅう貞之助ていのすけ
ころもりゅう貞之助ていのすけ 長谷川はせがわ一夫かずお代目だいめ中村なかむら鴈治郎がんじろう山本やまもと富士子ふじこ
6月4にち じゅうきゅうにん喧嘩けんかじょう英語えいごばん 八尋やひろ不二ふじ 安田やすだ公義きみよし 阿井あい美千子みちこ嵯峨さが美智子みちこはやし成年しげとし
7がつ2にち 弥太郎やたろうかさ 八尋やひろ不二ふじ もり一生かずお うら洋子ようこ夏目なつめ俊二しゅんじ木暮こぐれ実千代みちよ
8がつ6にち まんろう天狗てんぐ 土屋つちや欣三きんぞう もり一生かずお 阿井あい美千子みちこ小野おの道子みちこ
9月21にち 稲妻いなづま街道かいどう英語えいごばん ころもりゅう貞之助ていのすけ
犬塚いぬづかみのる
もり一生かずお 阿井あい美千子みちこ品川しながわ隆二りゅうじ小堀こぼり明男あきお
9月29にち 鳴門なるとじょう ころもりゅう貞之助ていのすけ
犬塚いぬづかみのる
ころもりゅう貞之助ていのすけ 長谷川はせがわ一夫かずお淡島あわしま千景ちかげはやし成年しげとし
11月10にち 鬼火おにびかご英語えいごばん 八尋やひろ不二ふじ ひろ三男さんなん 中村なかむら玉緒たまお嵯峨さが美智子みちこ矢島やじまひろ
12月15にち 桃太郎ももたろうさむらい 八尋やひろ不二ふじ 三隅みすみけん 木暮こぐれ実千代みちようら洋子ようこさかい駿しゅん

1958ねん

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公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
1がつ9にち つきひめ系図けいず英語えいごばん 高岩たかいわはじめ 渡辺わたなべみのる 代目だいめ中村なかむら鴈治郎がんじろう田代たしろ百合子ゆりこ
1がつ15にち 遊侠ゆうきょうにんおとこ英語えいごばん 八尋やひろ不二ふじ 加戸かどさとし 長谷川はせがわ一夫かずお梅若うめわか正二しょうじかつ新太郎しんたろう黒川くろかわ弥太郎やたろう
2がつ5にち はな太郎たろう呪文じゅもん英語えいごばん 高岩たかいわはじめ 安田やすだ公義きみよし 中村なかむら玉緒たまおはやし成年しげとし阿井あい美千子みちこ
4がつ1にち 忠臣蔵ちゅうしんぐら 渡辺わたなべ邦男くにお
八尋やひろ不二ふじ
みんかど敏雄としお
松村まつむらただしあつし
渡辺わたなべ邦男くにお 長谷川はせがわ一夫かずお
4がつ16にち たびまぐれふうまかせ英語えいごばん 小国おぐに英雄ひでお 田坂たさか勝彦かつひこ 三田みた登喜子ときこ根上ねあがりあつし千葉ちば敏郎としお
4がつ29にち いのちけるおとこ 八尋やひろ不二ふじ 加戸かどさとし 長谷川はせがわ一夫かずお山本やまもと富士子ふじこ近藤こんどう美恵子みえこ
6がつ10日とおか なな番目ばんめ密使みっし英語えいごばん 鈴木すずき兵吾ひょうご もり一生かずお 阿井あい美千子みちこ三田みた登喜子ときこ舟木ふなき洋一よういち
7がつ13にち おんなきつね風呂ふろ英語えいごばん 小国おぐに英雄ひでお 安田やすだ公義きみよし 嵯峨さが美智子みちこはやし成年しげとしうら洋子ようこ
8がつ3にち 人肌ひとはだ孔雀くじゃく英語えいごばん 松村まつむらただしあつし もり一生かずお 山本やまもと富士子ふじこ梅若うめわか正二しょうじ近藤こんどう美恵子みえこ
8がつ19にち 炎上えんじょう 和田わだなつじゅう
長谷部はせべ慶治けいじ
市川いちかわこん 新珠あらたま三千代みちよ仲代なかだい達矢たつや代目だいめ中村なかむら鴈治郎がんじろう
10月1にち 日蓮にちれんこうむだい襲来しゅうらい 八尋やひろ不二ふじ
渡辺わたなべ邦男くにお
渡辺わたなべ邦男くにお 長谷川はせがわ一夫かずおかつ新太郎しんたろうはやし成年しげとし
11月8にち がみ剣法けんぽう英語えいごばん 松村まつむらただしあつし 加戸かどさとし 小堀こぼり明男あきお八千草やちぐさかおるうしお万太郎まんたろう
11月15にち 伊賀いが水月すいげつ 渡辺わたなべ邦男くにお 渡辺わたなべ邦男くにお 長谷川はせがわ一夫かずお近藤こんどう美恵子みえこ中村なかむら玉緒たまお
11月29にち 弁天べんてん小僧こぞう 八尋やひろ不二ふじ 伊藤いとう大輔だいすけ 青山あおやま京子きょうこかつ新太郎しんたろう河津かわづ清三郎せいさぶろう
12月21にち ねこ御用ごよう[注釈ちゅうしゃく 7] みんかど敏雄としお 田中たなか徳三とくぞう 梅若うめわか正二しょうじ近藤こんどう美恵子みえこ

1959ねん

[編集へんしゅう]
公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
1がつ3にち 人肌ひとはだ牡丹ぼたん 松村まつむらただしあつし もり一生かずお 山本やまもと富士子ふじこ鶴見つるみ丈二じょうじ近藤こんどう美恵子みえこ
1がつ14にち ゆう太郎たろう巷談こうだん 八尋やひろ不二ふじ 田坂たさか勝彦かつひこ うら洋子ようこ金田一きんだいち敦子あつこはやし成年しげとし
2がつ25にち へびひめさま 渡辺わたなべ邦男くにお 渡辺わたなべ邦男くにお 嵯峨さが美智子みちこ中村なかむら玉緒たまお近藤こんどう美恵子みえこ
3月17にち わか信長のぶなが 八尋やひろ不二ふじ もり一生かずお 金田一きんだいち敦子あつこ高松たかまつ英郎ひでお青山あおやま京子きょうこ
4がつ21にち じょう吉三きちぞう 犬塚いぬづかみのる 田中たなか徳三とくぞう うら洋子ようこ島田しまだ竜三りゅうぞう中村なかむら玉緒たまお
5月1にち 山田やまだ長政ながまさ 王者おうじゃけん 小国おぐに英雄ひでお 加戸かどさとし 長谷川はせがわ一夫かずお若尾わかお文子ふみこ根上ねあがりあつし
5がつ20日はつか 千羽鶴せんばづるじょう 八尋やひろ不二ふじ 三隅みすみけん 中村なかむら玉緒たまお鶴見つるみ丈二じょうじひだり幸子さちこ
6月3にち 次郎じろう長富ながとみ 八尋やひろ不二ふじ もり一生かずお 長谷川はせがわ一夫かずおきょうマチ子まちこ山本やまもと富士子ふじこ
7がつ12にち ジャン・有馬ありま襲撃しゅうげき 伊藤いとう大輔だいすけ 伊藤いとう大輔だいすけ かのう順子じゅんこ根上ねあがりあつし山村やまむらさとしゆみ恵子けいこ
8がつ1にち がみ三度笠さんどがさ 八尋やひろ不二ふじ 田中たなか徳三とくぞう 淡路あわじ恵子けいこ本郷ほんごういさお次郎じろう中村なかむら玉緒たまお
9月27にち かげろう絵図えず ころもりゅう貞之助ていのすけ
犬塚いぬづかみのる
ころもりゅう貞之助ていのすけ 木暮こぐれ実千代みちよ山本やまもと富士子ふじこ志村しむらたかし
11月22にち うすさくら 伊藤いとう大輔だいすけ もり一生かずお かつ新太郎しんたろう真城まき千都世ちとせ北原きたはら義郎よしお
12月8にち かれ三度笠さんどがさ 松村まつむらただしあつし 田中たなか徳三とくぞう 本郷ほんごういさお次郎じろう中村なかむら玉緒たまお宇治うじみさ
12月27にち 初春しょしゅんたぬき御殿ごてん 木村きむらめぐみわれ 木村きむらめぐみわれ 若尾わかお文子ふみこかつ新太郎しんたろう中村なかむら玉緒たまお

1960ねん

[編集へんしゅう]
公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
1がつ3にち 二人ふたり武蔵むさし 渡辺わたなべ邦男くにお
吉田よしだ哲郎てつろう
渡辺わたなべ邦男くにお 長谷川はせがわ一夫かずおかつ新太郎しんたろう本郷ほんごういさお次郎じろう
2がつ17にち がみ喧嘩けんかたび 八尋やひろ不二ふじ もり一生かずお 川崎かわさき敬三けいぞう三田みた登喜子ときこうら洋子ようこ
4がつ6にち 幽霊ゆうれい小判こばん[注釈ちゅうしゃく 7] 松村まつむらただしあつし 井上いのうえあきら 丹羽にわまた三郎さぶろう島田しまだ竜三りゅうぞう
4がつ13にち ぼんち 和田わだなつじゅう
市川いちかわこん
市川いちかわこん きょうマチ子まちこ船越ふなこし英二えいじ山田やまだ五十鈴いすず若尾わかお文子ふみこ
4がつ27にち 大江山おおえやましゅてん童子どうじ 八尋やひろ不二ふじ 田中たなか徳三とくぞう 長谷川はせがわ一夫かずお山本やまもと富士子ふじこかつ新太郎しんたろう中村なかむら玉緒たまお
5月18にち うた行燈あんどん いずみ鏡花きょうか ころもりゅう貞之助ていのすけ 山本やまもと富士子ふじこやなぎ永二郎えいじろうすみ梨枝子りえこ
6月1にち ぞく次郎じろう長富ながとみ 八尋やひろ不二ふじ もり一生かずお 長谷川はせがわ一夫かずお本郷ほんごういさお次郎じろう根上ねあがりあつしかつ新太郎しんたろう
7がつ10日とおか られ与三郎よさぶろう 伊藤いとう大輔だいすけ 伊藤いとう大輔だいすけ 淡路あわじ恵子けいこ中村なかむら玉緒たまお多々良たたらじゅん
8がつ9にち やすちん清姫きよひめ 小国おぐに英雄ひでお しまこう 若尾わかお文子ふみこ毛利もうり郁子いくこ片山かたやま明彦あきひこ
10月18にち 大菩薩峠だいぼさつとうげ ころもりゅう貞之助ていのすけ 三隅みすみけん 中村なかむら玉緒たまお本郷ほんごういさお次郎じろう島田しまだ正吾しょうご根上ねあがりあつし
11月22にち 忠直ただなおきょう行状ぎょうじょう 八尋やひろ不二ふじ もり一生かずお 代目だいめ中村なかむら鴈治郎がんじろう初代しょだい水谷みずたに八重子やえこ小林こばやし勝彦かつひこ
12月7にち 薔薇ばら大名だいみょう[注釈ちゅうしゃく 7] 淀川よどがわ新八しんぱち いけ広一ひろかずおっと 小林こばやし勝彦かつひこうら洋子ようこ宮川みやがわ和子かずこ
12月27にち 大菩薩峠だいぼさつとうげ 竜神りゅうじんまき ころもりゅう貞之助ていのすけ 三隅みすみけん 山本やまもと富士子ふじこ本郷ほんごういさお次郎じろう中村なかむら玉緒たまお

1961ねん

[編集へんしゅう]
公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
1がつ3にち はなくらべたぬき道中どうちゅう 八尋やひろ不二ふじ 田中たなか徳三とくぞう かつ新太郎しんたろう若尾わかお文子ふみこ近藤こんどう美恵子みえこ
2がつ8にち がみ牡丹ぼたん 八尋やひろ不二ふじ 田中たなか徳三とくぞう きょうマチ子まちこ小林こばやし勝彦かつひこしょうさくら純子じゅんこ
3月21にち 好色こうしょくいちだいおとこ 白坂しらさかこころざしおっと 増村ますむらたもつづくり 若尾わかお文子ふみこ船越ふなこし英二えいじ水谷みずたに良重よしえ
4がつ5にち おけさうたえば 笠原かさはら良三りょうぞう もり一生かずお はし幸夫ゆきお中村なかむら玉緒たまお代目だいめ中村なかむら鴈治郎がんじろう
4がつ26にち たびはお色気いろけ 小国おぐに英雄ひでお 黒田くろだ義之よしゆき カメオ出演しゅつえん[121]
5月3にち おてもやん[注釈ちゅうしゃく 7] 高岩たかいわはじめ 土井どいしげる 三田村みたむらはじめ三木みき裕子ゆうこ宮川みやがわ和子かずこ
5月17にち 大菩薩峠だいぼさつとうげ完結かんけつへん ころもりゅう貞之助ていのすけ もり一生かずお 中村なかむら玉緒たまお本郷ほんごういさお次郎じろう近藤こんどう美恵子みえこ
6月14にち 沓掛くつかけ時次郎ときじろう 宇野うの正男まさお
松村まつむらただしあつし
いけ広一ひろかずおっと 新珠あらたま三千代みちよ島田しまだ竜三りゅうぞう須賀すか不二男ふじお
7がつ12にち 水戸黄門みとこうもんうみわた 川内かわうち康範やすのり
もり松吉まつきち
渡辺わたなべ邦男くにお 長谷川はせがわ一夫かずおかつ新太郎しんたろう野添のぞえひとみ
8がつ27にち こいめいぎんひらた 犬塚いぬづかみのる 田中たなか徳三とくぞう 中村なかむら玉緒たまお成田なりた純一郎じゅんいちろう大辻おおつじ伺郎
10月14にち しん源氏物語げんじものがたり 八尋やひろ不二ふじ もり一生かずお 若尾わかお文子ふみこ寿ことぶき美花みかだい中村なかむら玉緒たまお
11月1にち 釈迦しゃか 八尋やひろ不二ふじ 三隅みすみけん 本郷ほんごういさお次郎じろうきょうマチ子まちこ山本やまもと富士子ふじこ
11月19にち かげろうさむらい 松村まつむらただしあつし いけ広一ひろかずおっと 中村なかむら玉緒たまお島田しまだ竜三りゅうぞう近藤こんどう美恵子みえこ
12月27にち はな兄弟きょうだい 笠原かさはら良三りょうぞう いけ広一ひろかずおっと はし幸夫ゆきお水谷みずたに良重よしえ姿すがた美千子みちこ

1962ねん

[編集へんしゅう]
公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
1がつ3にち おんなさん悪人あくにん 井上いのうえ梅次うめじ 井上いのうえ梅次うめじ 山本やまもと富士子ふじこかつ新太郎しんたろう中村なかむら玉緒たまお
2がつ21にち 系図けいず 依田よだ義賢よしかた 三隅みすみけん 万里まり昌代まさよ船越ふなこし英二えいじ三条さんじょう魔子まこ
4がつ6にち 破戒はかい 和田わだなつじゅう 市川いちかわこん 藤村ふじむら志保しほ長門ながと裕之ひろゆき岸田きしだ今日子きょうこ
5月12にち 仲良なかよ音頭おんど日本一にっぽんいちだよ[注釈ちゅうしゃく 7] 逸見いつみじゅう 井上いのうえ芳夫よしお 本郷ほんごういさお次郎じろう代目だいめ中村なかむら鴈治郎がんじろうかのう順子じゅんこ
5月27にち 映画えいが 中山七里なかやましちり 宇野うの正男まさお
松村まつむらただしあつし
いけ広一ひろかずおっと 中村なかむら玉緒たまお大瀬おおせ康一やすいちやなぎ永二郎えいじろう
7がつ1にち 新藤しんどう兼人かねと 三隅みすみけん 藤村ふじむら志保しほ天知あまちしげる万里まり昌代まさよ丹羽にわまた三郎さぶろう
7がつ29にち 江戸えどひゃくななじゅう 笠原かさはら良三りょうぞう もり一生かずお 嵯峨さが三智子みちこ代目だいめ中村なかむら鴈治郎がんじろう五月さつきみどり
8がつ12にち 長脇差ながわきざし忠臣蔵ちゅうしんぐら 八尋やひろ不二ふじ
渡辺わたなべ邦男くにお
渡辺わたなべ邦男くにお かつ新太郎しんたろう本郷ほんごういさお次郎じろう宇津井うついけん
9月16にち けんける 八尋やひろ不二ふじ
浅井あさい昭三郎しょうさぶろう
田中たなか徳三とくぞう 万里まり昌代まさよ天知あまちしげる高千穂たかちほひづる
9月30にち 殺陣師たてし段平だんびら 黒澤くろさわあきら 瑞穂みずほ春海しゅんかい 代目だいめ中村なかむら鴈治郎がんじろう山茶花さざんかきわむ高田たかだ美和みわ
11月1にち はた始皇帝しこうてい 八尋やひろ不二ふじ 田中たなか重雄しげお かつ新太郎しんたろう本郷ほんごういさお次郎じろう宇津井うついけん
12月1にち しのびのもの 高岩たかいわはじめ 山本やまもと薩夫 藤村ふじむら志保しほじょうけん三朗さぶろう伊藤いとうつよしこれすけ
12月15にち 陽気ようき殿様とのさま 笠原かさはら良三りょうぞう もり一生かずお 坪内つぼうちミキ子みきこ宇津井うついけん高田たかだ美和みわ

1963ねん

[編集へんしゅう]
公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
1がつ3にち 新撰しんせんぐみ始末しまつ 星川ほしかわ清司せいじ 三隅みすみけん 藤村ふじむら志保しほじょうけん三朗さぶろう近藤こんどう美恵子みえこ
1がつ13にち ゆきすすむ変化へんか 伊藤いとう大輔だいすけ
ころもりゅう貞之助ていのすけ
和田わだなつじゅう
市川いちかわこん 長谷川はせがわ一夫かずお山本やまもと富士子ふじこ若尾わかお文子ふみこ
3月1にち かげ 小国おぐに英雄ひでお いけ広一ひろかずおっと 嵯峨さが三智子みちこ成田なりた純一郎じゅんいちろう坪内つぼうちミキ子みきこ
4がつ21にち だいさん影武者かげむしゃ 星川ほしかわ清司せいじ 井上いのうえ梅次うめじ 高千穂たかちほひづる、万里まり昌代まさよ小林こばやし勝彦かつひこ
5月29にち 八尋やひろ不二ふじ 田中たなか徳三とくぞう ふじ由紀子ゆきこじょうけん三朗さぶろう阿井あい美千子みちこ
6月30にち てんやわんや次郎じろう長道ながみちちゅう 八尋やひろ不二ふじ もり一生かずお 坪内つぼうちミキ子みきこ藤原ふじわら礼子あやこ姿すがた美千子みちこ
8がつ10日とおか ぞくしのびのもの 高岩たかいわはじめ 山本やまもと薩夫 藤村ふじむら志保しほじょうけん三朗さぶろう坪内つぼうちミキ子みきこ
10月5にち 妖僧 ころもりゅう貞之助ていのすけ
相良さがらじゅんさん
ころもりゅう貞之助ていのすけ ふじ由紀子ゆきこ小林こばやし勝彦かつひこ万里まり昌代まさよ
11月2にち ねむり狂四郎きょうしろうころせ法帖ほうじょう 星川ほしかわ清司せいじ 田中たなか徳三とくぞう 中村なかむら玉緒たまおじょうけん三朗さぶろう扇町おうぎまち景子けいこ
12月28にち しんしのびのもの 高岩たかいわはじめ もり一生かずお 若尾わかお文子ふみこじょうけん三朗さぶろう細川ほそかわちか

1964ねん

[編集へんしゅう]
公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
1がつ9にち ねむり狂四郎きょうしろう勝負しょうぶ 星川ほしかわ清司せいじ 三隅みすみけん 藤村ふじむら志保しほ成田なりた純一郎じゅんいちろう高田たかだ美和みわ
3月14にち けん 舟橋ふなばし和郎かずお 三隅みすみけん ふじ由紀子ゆきこ河津かわづ祐介ゆうすけ紺野こんのユカ
4がつ18にち 昨日きのうえたおとこ 小国おぐに英雄ひでお もり一生かずお 藤村ふじむら志保しほ宇津井うついけん高田たかだ美和みわ
5月23にち ねむり狂四郎きょうしろうえんがつ 星川ほしかわ清司せいじ 安田やすだ公義きみよし 浜田はまだゆう成田なりた純一郎じゅんいちろう東京とうきょう
7がつ11にち しのびのもの きりかくれ才蔵さいぞう 高岩たかいわはじめ 田中たなか徳三とくぞう 磯村いそむらみどりじょうけん三朗さぶろう代目だいめ中村なかむら鴈治郎がんじろう
8がつ8にち 無宿むしゅくしゃ 星川ほしかわ清司せいじ 三隅みすみけん 坪内つぼうちミキ子みきこ藤巻ふじまきじゅん小林こばやし勝彦かつひこ
10月17にち ねむり狂四郎きょうしろうじょ妖剣 星川ほしかわ清司せいじ いけ広一ひろかずおっと 藤村ふじむら志保しほじょうけん三朗さぶろう久保くぼ菜穂子なほこ
11月14にち 博徒ばくとざむらい 高岩たかいわはじめ
武田たけだあつし
もり一生かずお 坪内つぼうちミキ子みきこ本郷ほんごういさお次郎じろう紺野こんのユカ
12月30にち しのびのもの つづけきりかくれ才蔵さいぞう 高岩たかいわはじめ いけ広一ひろかずおっと ふじ由紀子ゆきこじょうけん三朗さぶろう藤村ふじむら志保しほ

1965ねん

[編集へんしゅう]
公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
1がつ13にち ねむり狂四郎きょうしろうえんじょうけん 星川ほしかわ清司せいじ 三隅みすみけん 中村なかむら玉緒たまお西村にしむらあきら姿すがた美千子みちこ
2がつ20日はつか あか手裏剣しゅりけん 高岩たかいわはじめ
野上のかみ竜雄たつお
田中たなか徳三とくぞう 小林こばやし千登勢ちとせ南原なんばら宏治こうじ春川はるかわますみ
3月13にち わか親分おやぶん 高岩たかいわはじめ
浅井あさい昭三郎しょうさぶろう
いけ広一ひろかずおっと 朝丘あさおか雪路ゆきじ成田なりた三樹みきおっと藤村ふじむら志保しほ
5月1にち ねむり狂四郎きょうしろう魔性ましょうけん 星川ほしかわ清司せいじ 安田やすだ公義きみよし 嵯峨さが三智子みちこ長谷川はせがわ待子まちこ若松わかまつ和子かずこ
6月12にち しのびのもの 伊賀いが屋敷やしき ちょくきょ欽哉きんや
服部はっとりけい
もり一生かずお 八千草やちぐさかおる山形やまがたいさお香川かがわ良介りょうすけ
8がつ14にち わか親分おやぶん出獄しゅつごく 浅井あさい昭三郎しょうさぶろう
篠原しのはら吉之助よしのすけ
いけ広一ひろかずおっと 浅丘あさおか雪路ゆきじ千波ちなみたけ太郎たろう坪内つぼうちミキ子みきこ
8がつ18にち しん鞍馬あんば天狗てんぐ 相良さがらじゅんさん
浅井あさい昭三郎しょうさぶろう
安田やすだ公義きみよし 中村なかむら玉緒たまお藤巻ふじまきじゅん藤原ふじわら礼子あやこ
10月16にち けんおに 星川ほしかわ清司せいじ 三隅みすみけん 姿すがた美千子みちこ五味ごみ竜太郎りゅうたろう佐藤さとうけい
11月27にち しん鞍馬あんば天狗てんぐ 五条ごじょうざか決闘けっとう 八尋やひろ不二ふじ 黒田くろだ義之よしゆき 万里まり昌代まさよ山本やまもとまなぶ須賀すか不二男ふじお

1966ねん

[編集へんしゅう]
公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
1がつ1にち わか親分おやぶん喧嘩けんかじょう 高岩たかいわはじめ いけ広一ひろかずおっと 高田たかだ美和みわ滝田たきた裕介ゆうすけ江波えば杏子あんず
2がつ12にち しのびのもの しんきりかくれ才蔵さいぞう 高岩たかいわはじめ もり一生かずお 藤村ふじむら志保しほ田村たむら高廣たかひろくすのき侑子ゆうこ
3月12にち ねむり狂四郎きょうしろう多情たじょうけん 星川ほしかわ清司せいじ 井上いのうえあきら 水谷みずたに良重よしえ中谷なかたに一郎いちろう五味ごみ竜太郎りゅうたろう
5月3にち わか親分おやぶん 浅井あさい昭三郎しょうさぶろう 井上いのうえあきら 藤村ふじむら志保しほ本郷ほんごういさお次郎じろう松尾まつお嘉代かよ
6月4にち 陸軍りくぐん中野なかの学校がっこう 星川ほしかわ清司せいじ 増村ますむらたもつづくり 小川おがわ真由美まゆみ東大とうだいかい仁木にき多鶴子たづこ
7がつ2にち だい殺陣さつじん ゆうりょ 星川ほしかわ清司せいじ
中村なかむらつとむ
田中たなか徳三とくぞう 藤村ふじむら志保しほ中谷なかたに一郎いちろう八千草やちぐさかおる
9月3にち わか親分おやぶんあばれ飛車ひしゃ 高岩たかいわはじめ 田中たなか重雄しげお 嵯峨さが三智子みちこ藤巻ふじまきじゅん青山あおやま良彦よしひこ
9月17にち 陸軍りくぐん中野なかの学校がっこう くもいちごう指令しれい 長谷川はせがわこうこれ もり一生かずお 村松むらまつ英子えいこ仲村なかむらたかし東大とうだいかい
11月9にち ねむり狂四郎きょうしろう無頼ぶらいけん 伊藤いとう大輔だいすけ 三隅みすみけん 藤村ふじむら志保しほ天知あまちしげるたちばな公子きみこ
12月10にち 新書しんしょしのびのもの 高岩たかいわはじめ いけ広一ひろかずおっと 安田やすだ道代みちよ伊藤いとうつよしこれすけ富士ふじ真奈美まなみ

1967ねん

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公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
1がつ3にち 陸軍りくぐん中野なかの学校がっこう りゅうさんごう指令しれい 長谷川はせがわこうこれ 田中たなか徳三とくぞう 安田やすだ道代みちよ東大とうだいかい松尾まつお嘉代かよ
2がつ11にち わか親分おやぶん 浅井あさい昭三郎しょうさぶろう 中西なかにし忠三ちゅうぞう 藤村ふじむら志保しほ五味ごみ竜太郎りゅうたろう木暮こぐれ実千代みちよ
4がつ29にち あるころ 石松いしまつあいひろし
増村ますむらたもつづくり
もり一生かずお 野川のがわ由美子ゆみこ成田なりた三樹みきおっとなぎさまゆみ
6月17にち 陸軍りくぐん中野なかの学校がっこう 密命みつめい 舟橋ふなばし和郎かずお 井上いのうえあきら 高田たかだ美和みわ野際のぎわ陽子ようこ東大とうだいかい
7がつ15にち ねむり狂四郎きょうしろう無頼ぶらいひかえ 魔性ましょうはだ 高岩たかいわはじめ いけ広一ひろかずおっと 成田なりた三樹みきおっと鰐淵わにぶち晴子はるこ久保くぼ菜穂子なほこ
8がつ12にち わか親分おやぶん兇状きょうじょうたび 高岩たかいわはじめ もり一生かずお 江波えば杏子あんず葉山はやま葉子ようこ渡辺わたなべ文雄ふみお
10がつ20日はつか はなおかあおしゅうつま 新藤しんどう兼人かねと 増村ますむらたもつづくり 若尾わかお文子ふみこ高峰たかみね秀子ひでこ伊藤いとうつよしこれすけ
12月2にち あるころかぎ 小滝こたき光郎みつお もり一生かずお 西村にしむらあきら佐藤さとう友美ゆみ山形やまがたいさお
12月30にち わか親分おやぶんせんりょうはだ ちょくきょ欽哉きんや いけ広一ひろかずおっと 藤村ふじむら志保しほ久保くぼ菜穂子なほこ長門ながといさむ

1968ねん

[編集へんしゅう]
公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
1がつ13にち ねむり狂四郎きょうしろうじょ地獄じごく 高岩たかいわはじめ 田中たなか徳三とくぞう 高田たかだ美和みわ水谷みずたに良重よしえ田村たむら高廣たかひろ
3月9にち 陸軍りくぐん中野なかの学校がっこう 開戦かいせん前夜ぜんや 長谷川はせがわこうこれ 井上いのうえあきら 小山こやま明子あきこ船越ふなこし英二えいじ東大とうだいかい
4がつ20日はつか ひとりおおかみ ちょくきょ欽哉きんや いけ広一ひろかずおっと 小川おがわ真由美まゆみ岩崎いわさき根子ねっこ長門ながといさむ
5月1にち ねむり狂四郎きょうしろう人肌ひとはだ蜘蛛くも 星川ほしかわ清司せいじ 安田やすだ公義きみよし みどり魔子まこ三条さんじょう魔子まこ河津かわづ祐介ゆうすけ

1969ねん

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公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん ポスター
1がつ11にち ねむり狂四郎きょうしろう悪女あくじょ 高岩たかいわはじめ
宮川みやがわ一郎いちろう
いけ広一ひろかずおっと 藤村ふじむら志保しほ久保くぼ菜穂子なほこ朝丘あさおか雪路ゆきじ
2がつ12にち 博徒ばくといちだい 血祭ちまつ不動ふどう 高田たかだ宏治こうじ 安田やすだ公義きみよし 近衛このえじゅうよんろう亀井かめい光代みつよ長谷川はせがわ待子まちこ

出演しゅつえん予定よていであった映画えいが

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公開こうかい 作品さくひん 脚本きゃくほん 監督かんとく 共演きょうえん
- せきわたるふとっぺ 三隅みすみけん 本郷ほんごういさお次郎じろう代役だいやく製作せいさく、『ひき用心棒ようじんぼう』として公開こうかい
1969ねん7がつ12にち あゝ海軍かいぐん 村山むらやま三男みつお 中村なかむら吉右衛門きちえもん代役だいやく製作せいさくされた

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ 歌舞伎かぶき役者やくしゃとなった経緯けいいについて、雷蔵らいぞう自身じしんは、中学ちゅうがくをやめていえごすうちになんとなく芸能げいのうかい興味きょうみち、なんとなく歌舞伎かぶき役者やくしゃになったとべている[9]が、海軍かいぐん士官しかん医師いしになることをこころざしたものの近視きんしだったため海軍かいぐん士官しかんになることはあきらめざるをず、やがて医師いしになることもあきらめたともいわれている[10][11]
  2. ^ 武智たけち歌舞伎かぶきだい1かい公演こうえんは1949ねん12月におこなわれている。
  3. ^ ことぶき海老えび」は本来ほんらい市川いちかわ宗家そうけ御曹司おんぞうし市川いちかわ海老蔵えびぞう替紋かえもん代替だいたい使つか役者やくしゃ文様もんようである。
  4. ^ 先代せんだい代目だいめ市川いちかわ新蔵しんくらきゅう代目だいめ市川いちかわだん十郎じゅうろう見込みこまれてその養子ようしとなり、ゆくゆくは「じゅう代目だいめだん十郎じゅうろう」となることが期待きたいされたがやまい早世そうせいしたという経緯けいいがあった。
  5. ^ 武智たけち鉄二てつじは、『高野たかのきよし』での配役はいやくいきどおった雷蔵らいぞう武智たけちたいし、「こんなことでは、永久えいきゅうに、脇役わきやくしゃにされてしまいます」とかたったことをかしている[30]
  6. ^ 市川いちかわ (1995)および室岡むろおか (1993)巻末かんまつ資料しりょうをもとに、上映じょうえい年別ねんべつ記載きさい(『おてもやん』のみMovie Walker参照さんしょう)。
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出典しゅってん

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関連かんれん書籍しょせき

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参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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