ぼんち (小説しょうせつ)

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ぼんち』は、1959ねん発表はっぴょうされた山崎やまざき豊子とよこによる小説しょうせつ。『週刊しゅうかん新潮しんちょう』に連載れんさいされた。単行本たんこうぼん新潮社しんちょうしゃから上下じょうげ2かんが1959ねんと1960ねん刊行かんこうされた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

老舗しにせ足袋たび問屋とんや一人ひとり息子むすこ喜久治きくじ人生じんせい修業しゅうぎょう中心ちゅうしんに、かれめぐる5にんおんな船場ふなば商家しょうかきびしい家族かぞく制度せいど特殊とくしゅ風習ふうしゅう丁寧ていねいえがいた長編ちょうへん小説しょうせつ[1]。「ぼんち」とは船場ふなば商家しょうか跡取あととりにたいするのひとつで、たんなる「ぼんぼん」とはことなり、放蕩ほうとうかさねてもぴしりと帳尻ちょうじりったあそかたで、あしがついたスケールのおおきなものあたえられる愛称あいしょう[2]昭和しょうわ初期しょき経済けいざい変動へんどう背景はいけいに、商魂しょうこんてっしてきた大阪おおさか商人しょうにん理想りそうてき典型てんけいえがき、大阪おおさか文芸ぶんげい興隆こうりゅう寄与きよしたとして大阪おおさか芸術げいじゅつしょうけた[3]

1960ねんには大映だいえいにて映画えいがされ、また、1962ねん1972ねんには同名どうめいで、1966ねんには『横堀よこぼりがわ』(『暖簾のれん』『はなのれん』と合同ごうどう)として3テレビドラマされた。2008ねんには「音楽おんがくげき“ぼんち”」として舞台ぶたいされている。最初さいしょ映画えいが完成かんせいしたさい試写ししゃ原作げんさくしゃ山崎やまざき豊子とよこは、しみったれた主人公しゅじんこうえがかれていることに不満ふまんらし、監督かんとく市川いちかわこんの『ぼんち』であって自分じぶんの『ぼんち』ではないと感想かんそうべた[4]実際じっさい山崎やまざきは、映画えいが撮影さつえいちゅう現場げんば訪問ほうもんして、監督かんとく市川いちかわこん直接ちょくせつ口頭こうとう撮影さつえい中止ちゅうしもうれている[5]

あらすじ[編集へんしゅう]

出版しゅっぱん[編集へんしゅう]

  • 単行本たんこうぼん
    • 『ぼんち』じょうした(1959ねん、1960ねん新潮社しんちょうしゃ
    • 『ぼんち』(1960ねん新潮社しんちょうしゃ)※1さつにまとめたもの。
  • 文庫ぶんこ
    • 『ぼんち』(1961ねん新潮社しんちょうしゃ
    • 『ぼんち(改訂かいていだい1はん)』(1974ねん新潮社しんちょうしゃ
    • 『ぼんち(改訂かいていだい2はん)』(2005ねん新潮社しんちょうしゃ)※活字かつじ大幅おおはば拡大かくだい
  • 全集ぜんしゅう
    • 山崎やまざき豊子とよこぜん作品さくひんだい2かん(1985ねん新潮社しんちょうしゃ
    • 山崎やまざき豊子とよこ全集ぜんしゅうだい2かん(2004ねん新潮社しんちょうしゃ

英訳えいやく[編集へんしゅう]

  • Bonchi a novel translated by Harue and Travis Summersgill、1982

映画えいが[編集へんしゅう]

ぼんち
監督かんとく 市川いちかわこん
脚本きゃくほん 和田わだなつじゅう
市川いちかわこん
製作せいさく 永田ながた雅一まさいち
出演しゅつえんしゃ 市川いちかわ雷蔵らいぞう
若尾わかお文子ふみこ
越路こしじ吹雪ふぶき
山田やまだ五十鈴いすず
草笛くさぶえ光子こうし
中村なかむら玉緒たまお
船越ふなこし英二えいじ
きょうマチ子まちこ
音楽おんがく 芥川あくたがわ也寸志やすし
撮影さつえい 宮川みやがわ一夫かずお
編集へんしゅう 西田にしだ重雄しげお
製作せいさく会社かいしゃ 大映だいえい大映だいえい京都きょうと撮影さつえいしょ[6][7]
配給はいきゅう 大映だいえい
公開こうかい 日本の旗 1960ねん4がつ13にち
上映じょうえい時間じかん 104ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
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製作せいさく配給はいきゅう大映だいえい1960ねん4がつ13にち公開こうかい併映へいえいは『とびらたた』、4がつ17にちより『じんあい』。1965ねん3月6にちさい上映じょうえい併映へいえいは『あばけん』。

製作せいさく[編集へんしゅう]

大映だいえいがわからの企画きかくではなく、主演しゅえんした市川いちかわ雷蔵らいぞうみずか監督かんとく市川いちかわこんんだもので、市川いちかわ日本にっぽん映画えいがかい巨匠きょしょうひょうされる一端いったんとなった映画えいが炎上えんじょう』に出演しゅつえんしたことへの「御礼返おれいがえし」の意味合いみあいがあったという。原作げんさくんだ市川いちかわは、自分じぶんはだわないとかんじつつも、雷蔵らいぞうの「先生せんせい御礼返おれいがえしをしとくれやすや」の洒落しゃれ言葉ことばうごかされて映画えいがけた。脚本きゃくほんつま和田わだなつじゅう一任いちにんして、原作げんさくにはない戦後せんご場面ばめんくわえるなど、大胆だいたん脚色きゃくしょくおこなったうえ撮影さつえい開始かいしした。主演しゅえん市川いちかわ雷蔵らいぞうみずか企画きかくしたこともあり、上機嫌じょうきげん奔放ほんぽう演技えんぎをするなど、撮影さつえい快調かいちょうだったが、1週間しゅうかんほどたったころ大映だいえい宣伝せんでんがPRように、原作げんさくしゃ山崎やまざき撮影さつえいしょんでくるという出来事できごとがあった。山崎やまざき当初とうしょ主演しゅえん雷蔵らいぞう出演しゅつえんしゃたちと記念きねん写真しゃしんおうじていたが、終了しゅうりょう市川いちかわところへやってくると「原作げんさく脚本きゃくほん全然ぜんぜんちがう、映画えいがにするのをやめてください」と撮影さつえい中止ちゅうし急遽きゅうきょもうれてきた。常軌じょうき逸脱いつだつしているとかんじた市川いちかわは「あなたにはすで脚本きゃくほん提示ていじされていて、原作げんさくりょうわたって、こうして撮影さつえいおこなわれているわけだから、常識じょうしきてきえば了承りょうしょうされていることになる。しかし、どうあってもいやだとおおせるなら、ぼくじゃなく会社かいしゃのほうにってくれ。会社かいしゃ了承りょうしょうすれば中止ちゅうしになるだろうけど、かなりの製作せいさく消費しょうひされているから、それをあなたが弁償べんしょうすることになるでしょう。それでもければどうぞ」とはなし、山崎やまざきも「ええ、そのおかねはらってもいいからやめてほしい」とかいさなかった。いく雷蔵らいぞうへの御礼返おれいがえしでも原作げんさくのダイジェストをつくなら監督かんとく辞退じたいするつもりでいた市川いちかわだったが、結局けっきょく製作せいさく中止ちゅうしされることなく、映画えいが無事ぶじ完成かんせいした。後年こうねん市川いちかわはあのとき山崎やまざき態度たいどを「ああいうことをいたかっただけの不思議ふしぎひと」とひょうしている[8]。その証拠しょうこに、大映だいえいほんさく以降いこう山崎やまざきより『おんな勲章くんしょう』・『女系じょけい家族かぞく』・『しろきょとう』の映画えいが許可きょか製作せいさくいたっている。

撮影さつえい演出えんしゅつ[編集へんしゅう]

  • 主人公しゅじんこう女性じょせいおお出演しゅつえんするため、一人ひとりひとりの性格せいかくちがいを表現ひょうげんする服装ふくそういろ強調きょうちょうする色彩しきさい設計せっけいがなされている[9]
  • 大阪おおさか空襲くうしゅうの のこった主人公しゅじんこういえ土蔵どぞう周辺しゅうへん大映だいえい京都きょうと撮影さつえいしょ敷地しきちないられたオープンセットで、モンタージュされる空襲くうしゅう野原のはらは、大阪城おおさかじょうちかくの工場こうじょう跡地あとちつくもの瓦礫がれき追加ついかして撮影さつえいされている[10]
  • 出演しゅつえんしゃ若尾わかお文子ふみこ日傘ひがさしてとおりをある場面ばめん船場ふなばでロケーション撮影さつえいされたが、イントレ撮影さつえいようクレーンでは俯瞰ふかんするたかさがりないため、電柱でんちゅうトランス修理しゅうりもちいる特製とくせいクレーンをレンタルして撮影さつえいされている[11]
  • 映画えいがは、戦前せんぜんから戦中せんちゅう戦後せんごという激動げきどう時代じだいとおしてえがかれているが、主人公しゅじんこう空襲くうしゅういえ焼失しょうしつしても飄々ひょうひょうとするなど、浮世うきよばなれした性格せいかく描写びょうしゃがなされている。これは時代じだい背景はいけい見据みすえる目線めせん主人公しゅじんこう人間像にんげんぞうからせん対比たいひさせつつ、それらを映画えいがとして1つに照合しょうごうさせるという、市川いちかわ独特どくとくのストーリーラインの価値かちかんもとづいているためで、この手法しゅほうのち谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうの『細雪ささめゆき』を映画えいがしたさいにももちいられている[12]

あらすじ[編集へんしゅう]

船場ふなば足袋たび問屋とんや河内屋かわちや一人ひとり息子むすこ喜久治きくじは、祖母そぼははすすめで弘子ひろこよめにしたが、養子ようし旦那だんなだった二人ふたりよめいびりで、長男ちょうなんんだのち離縁りえんする。 その喜久治きくじは、ちちんで河内屋かわちや主人しゅじんにおさまるや、かれ商売しょうばい上手じょうずみせ繁盛はんじょうし、それにつれて女性じょせい関係かんけいもますますさかんになっていく。ごうとなった芸者げいしゃぽんふとしにはおとこませ、むすめ仲居なかいいく芸者げいしゃたのをさんごうかこって、そのカフェの女給じょきゅう比佐子ひさこ仲居なかいあたまのおぶくわらわ同様どうようおんながいる。 やがてにちちゅう戦争せんそうはじまって不景気ふけいきになり、太平洋戦争たいへいようせんそう突入とつにゅうして、河内屋かわちや空襲くうしゅうぞうひとつをのこして焼失しょうしつした。喜久治きくじは、ぽんふとし比佐子ひさこ、おぶくかねわたして河内長野かわちながの菩提寺ぼだいじくよう仕向しむけ、祖母そぼはは田舎いなかかえそうとしたが、船場ふなば悲惨ひさん状況じょうきょう落胆らくたんした祖母そぼなか自殺じさつのようにんでしまう。 戦争せんそうわり、菩提寺ぼだいじおとずれた喜久治きくじは、さんにんおんなのあけすけな姿すがたをのぞきして、これで放蕩ほうとうわりと見切みきりをつけ、おんなわずにかえった。 昭和しょうわ35ねんになり、57さい喜久治きくじかれなりに商売しょうばいたいするゆめいているが、いまにん息子むすこ世話せわになっているになり、ぽんふとし太郎たろうからは今更いまさら足袋屋たびやでもないとさとされてしまう。

キャスト[編集へんしゅう]

スタッフ[編集へんしゅう]

テレビドラマ[編集へんしゅう]

1962年版ねんばん[編集へんしゅう]

NETげん:テレビ朝日てれびあさひ)で1962ねん1がつ4にちから同年どうねん6月28にち毎週まいしゅう木曜もくよう21:15 - 21:45に放送ほうそう

キャスト[編集へんしゅう]

ほか

スタッフ[編集へんしゅう]

NETけい 木曜もくよう21:15 - 21:45わく
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
ぼんち
(1962年版ねんばん

1966年版ねんばん[編集へんしゅう]

1972年版ねんばん[編集へんしゅう]

フジテレビの「土曜どよう劇場げきじょうわく1972ねん1がつ1にち同年どうねん3月25にち放送ほうそう。「土曜どよう劇場げきじょう」がもと放送ほうそうされるのはほんさく唯一ゆいいつ

余談よだんだが、同日どうじつには直後ちょくごの22:30わくで『木枯こがら紋次郎もんじろう』が放送ほうそう開始かいしした。

キャスト[編集へんしゅう]

ほか

スタッフ[編集へんしゅう]

フジテレビけい 土曜どよう劇場げきじょう
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
ぼんち
(1972年版ねんばん

舞台ぶたい[編集へんしゅう]

1960年版ねんばん[編集へんしゅう]

1960ねん8がつ公演こうえん大阪おおさか歌舞伎座かぶきざ新派しんぱ公演こうえん

キャスト[編集へんしゅう]

1962年版ねんばん[編集へんしゅう]

1962ねん6がつ3にちから20にちまで産経さんけいホールで、菊田きくた一夫かずお脚色きゃくしょく演出えんしゅつ観世かんぜ栄夫ひでおプロデュースで上演じょうえんされた。テレビばん喜久治きくじ好演こうえんした中村なかむら扇雀せんじゃく主演しゅえん

キャスト[編集へんしゅう]

1966年版ねんばん[編集へんしゅう]

1966ねん10がつ東京とうきょう宝塚劇場たからづかげきじょう東宝とうほう歌舞伎かぶき公演こうえん

キャスト[編集へんしゅう]

1976年版ねんばん[編集へんしゅう]

1976ねん11月、新橋しんばし演舞えんぶじょう新派しんぱ公演こうえん

キャスト[編集へんしゅう]

2008年版ねんばん[編集へんしゅう]

2008ねん4がつ3にちから4がつ21にちまで紀伊國屋きのくにやサザンシアターおこなわれた沢田さわだ研二けんじ主演しゅえん舞台ぶたい音楽おんがくげき同年どうねん4がつ25にちから4がつ28にちまでしん神戸こうべオリエンタル劇場げきじょう、さらに、同年どうねん5がつ10日とおか、11にちには中日ちゅうにち劇場げきじょうおこなわれた。

キャスト[編集へんしゅう]

スタッフ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ぼんち新潮社しんちょうしゃ
  2. ^ 山崎やまざき豊子とよこ司馬しばりょう太郎たろう 大阪おおさか商人しょうにん視点してんゆええた日本にっぽん産経新聞さんけいしんぶん関西かんさいばん、2013.10.20
  3. ^ 船場ふなばそだち』楠本くすもと憲吉けんきち、PHP研究所けんきゅうじょ, 1976
  4. ^ わたしの『ぼんち』は、あんなおとこじゃない週刊しゅうかん女性じょせい」1961ねん5がつ1にちごう、ライフクラブ「特集とくしゅうぼんち」
  5. ^ 完本かんぽん 市川いちかわこん映画えいがたち』、2015ねん11月発行はっこう市川いちかわこんもりゆうつくえよういずみしゃ、P180~181
  6. ^ ぼんち”. 角川かどかわ映画えいが. 2021ねん1がつ28にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2022ねん9がつ13にち閲覧えつらん
  7. ^ kinenote.
  8. ^ 完本かんぽん 市川いちかわこん映画えいがたち』、2015ねん11月発行はっこう市川いちかわこんもりゆうつくえよういずみしゃ、P179~181
  9. ^ 完本かんぽん 市川いちかわこん映画えいがたち』、2015ねん11月発行はっこう市川いちかわこんもりゆうつくえよういずみしゃ、P181、183
  10. ^ 完本かんぽん 市川いちかわこん映画えいがたち』、2015ねん11月発行はっこう市川いちかわこんもりゆうつくえよういずみしゃ、P183
  11. ^ 完本かんぽん 市川いちかわこん映画えいがたち』、2015ねん11月発行はっこう市川いちかわこんもりゆうつくえよういずみしゃ、P184
  12. ^ 完本かんぽん 市川いちかわこん映画えいがたち』、2015ねん11月発行はっこう市川いちかわこんもりゆうつくえよういずみしゃ、P184、185

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]