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鹿鳴館 (戯曲) - Wikipedia コンテンツにスキップ

鹿しかかん (戯曲ぎきょく)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
鹿しかかん
鹿鳴館の模型(江戸東京博物館)
鹿しかかん模型もけい江戸えど東京とうきょう博物館はくぶつかん
わけだい The Rokumeikan
作者さくしゃ 三島みしま由紀夫ゆきお
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 戯曲ぎきょく
まくすう 4まく
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ文學ぶんがくかい1956ねん12月ごう
刊本かんぽん情報じょうほう
出版しゅっぱんもと 東京とうきょうそうもとしゃ
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1957ねん3月5にち
装幀そうてい 駒井こまい哲郎てつろう
そうページすう 193
初演しょえん情報じょうほう
公演こうえんめい 文学ぶんがく創立そうりつ20周年しゅうねん記念きねん公演こうえん
場所ばしょ 第一生命だいいちせいめいホール
初演しょえん公開こうかい 1956ねん11月27にち
劇団げきだん 文学ぶんがく
演出えんしゅつ 松浦まつうら竹夫たけお
主演しゅえん 中村なかむら伸郎のぶお杉村すぎむら春子はるこ
ポータル 文学ぶんがく ポータル 舞台ぶたい芸術げいじゅつ
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鹿しかかん』(ろくめいかん)は、三島みしま由紀夫ゆきお戯曲ぎきょくぜん4まくからる。三島みしま代表だいひょうさくひとつで、かえ上演じょうえんされつづけている人気にんきたか演目えんもくである[1]明治めいじ19ねん天長節てんちょうせつ鹿しかかんもよおされただい夜会やかい舞台ぶたいに、政治せいじこい陰謀いんぼう愛憎あいぞううずなか翻弄ほんろうされる男女だんじょ親子おやこ悲劇ひげきをドラマチックにえがいた物語ものがたり修辞しゅうじんだ詩的してき高揚こうようかんのある台詞せりふまわしと緻密ちみつ構成こうせいで、はなやかな様式ようしきだい芝居しばいたのしめる作品さくひんである[1][2]三島みしま自作じさくについて、〈この芝居しばいはいはば、わたしのはじめていた「俳優はいゆう芸術げいじゅつのための作品さくひん」である〉としるしている[3]

1956ねん昭和しょうわ31ねん)、文芸ぶんげい雑誌ざっし文學ぶんがくかい』12がつごう掲載けいさいされ、初演しょえんはそのごう発売はつばい直後ちょくごの11月27にち文学ぶんがく創立そうりつ20周年しゅうねん記念きねん公演こうえんとして第一生命だいいちせいめいホール上演じょうえんされた[4][5]単行本たんこうぼん翌年よくねん1957ねん昭和しょうわ32ねん)3がつ5にちに、東京とうきょうそうもとしゃより刊行かんこうされ、文庫ぶんこばん新潮しんちょう文庫ぶんこ刊行かんこうされた[6]翻訳ほんやくばん佐藤さとうひろしあきらわけえいだい:The Rokumeikan)、フランスのGeorges Neyrandやくふつだい:Le Palais des fêtes)でおこなわれている[7]

作品さくひん成立せいりつ概要がいよう

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鹿しかかん』の舞台ぶたいは、明治めいじ時代じだい落成らくせいあいだもない鹿しかかんで、登場とうじょう人物じんぶつ華族かぞく維新いしん功臣こうしん勲功くんこう華族かぞくともいう)たちである。舞台ぶたい当日とうじつだい夜会やかいは、ピエール・ロティの『江戸えど舞踏ぶとうかい』と、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけの『舞踏ぶとうかい』にえがかれた舞踏ぶとうかい下敷したじきとなっている[3]三島みしまはその意味いみについて、鹿しかかんおど日本人にっぽんじん滑稽こっけいようえがいた当時とうじ風刺ふうしかくそのままの再現さいげんではなく、われわれのイメージのなかの〈現実げんじつよりはずつとうつくしい〉舞踏ぶとうかい[3]、〈ノスタルジヤにいろどられて、日本にっぽん近代きんだい史上しじょうまれにはなやかなロマンチックな時代じだい〉をえがくことであるとし[8]以下いかのように解説かいせつしている。

もちろん時代じだいへだたりがすべてを美化びかしたことが原因げんいんだが、それだけではない。こんなふうに、ある現実げんじつ時代じだい変改へんかいし、そのイメージを現実げんじつとちがつたものにつくへんへて、それを固定こていしてしまふ作業さぎょうこそ、作家さっか仕事しごとであつて、それをわれわれは、ピエール・ロチ(日本にっぽんあき)と芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ舞踏ぶとうかい)にうてゐる。そこにさらにこの『鹿しかかんいちへんへることを、作者さくしゃ法外ほうがいおものぼりとなみせらるるやいなや。 — 三島みしま由紀夫ゆきおうつくしき鹿しかたて時代ときよ――再演さいえん鹿しかかん』について」[8]

また、三島みしま自身じしん演出えんしゅつ上演じょうえんしたいとかんがえていたヴィクトル・ユーゴーの『ルクレツィア・ボルジアフランス語ふらんすごばん』(リュクレース・ボルジア)の人物じんぶつ設定せっていなども、藍本らんぽんになっているのではないかという村松むらまつつよし今村いまむらただしじゅん指摘してきもある[9][10][11][ちゅう 1]。ちなみに、三島みしま自身じしんボルジャについて、〈わたし生得しょうとくボルジャ代々だいだいきである。チエザレ・ボルジャルクレツィア・ボルジャきである〉とかたっている[12]

鹿しかかん』の「大時代おおじだいてき」な風味ふうみや、台詞せりふまわしには、三島みしま少年しょうねんからしたしんでいた歌舞伎かぶき影響えいきょうもあり[1]、その「台詞せりふ構築こうちくされた、台詞せりふかせる、いくそうにもめぐらされたあい陰謀いんぼうのスリリングな悲劇ひげき」は、「伝統でんとうてきでありながら、斬新ざんしん」でもあり、劇場げきじょう芝居しばいたのしみをあじわえる作品さくひんだと松本まつもととおる解説かいせつ[1]有元ありもと伸子のぶこも「緊密きんみつ構成こうせいされ修辞しゅうじちた絢爛けんらんたるセリフによる緊張きんちょうかんと、シアトリカルでたのしめるだい芝居しばいふたつの要素ようそわせている」作品さくひんだとしている[2]

三島みしまは『鹿しかかん』を〈俳優はいゆう芸術げいじゅつのための作品さくひん〉だとし[3]作中さくちゅう登場とうじょう人物じんぶつたちに、ひとひと信頼しんらいすること、骨肉こつにく情愛じょうあい憎悪ぞうおひとひとうごかす政治せいじについての怜悧れいり洞察どうさつのあるなが台詞せりふ吐露とろさせているが、そういったところもきどころのひとつで、俳優はいゆう力量りきりょうためされる(ゆえに主演しゅえんはベテラン俳優はいゆうたちがえんじることがおおい)。また、ストーリー展開てんかいやドラマチックな要素ようそ娯楽ごらくせいたか作品さくひんだが、「られた台詞せりふ」に緊張きんちょうかんのあるため、「役者やくしゃ技術ぎじゅつだけでなく、身体しんたいせい経験けいけんまえ雰囲気ふんいきやパワーまでも総動員そうどういんしなければ、通俗つうぞくげきする危険きけん」があると佐藤さとう秀明ひであき指摘してきしており[13]役者やくしゃにとってはむずかしい芝居しばいである。

執筆しっぴつ当時とうじ文学ぶんがくせきいていた三島みしまは、看板かんばん女優じょゆう杉村すぎむら春子はるこ念頭ねんとうにおいて『鹿しかかん』をいたが[14]、1963ねん昭和しょうわ38ねん)に、戯曲ぎきょくよろこびのきん』の上演じょうえん中止ちゅうし問題もんだいよろこびのきん事件じけん)から、三島みしま文学ぶんがく絶縁ぜつえんとなって以降いこうは、文学ぶんがくによる上演じょうえんめられ、その劇団げきだん新派しんぱ代表だいひょうさくとなり、初代しょだい水谷みずたに八重子やえこ八重子やえこじゅうしゅひとつとして、新派しんぱげき主要しゅよう演目えんもくとなった[2]初代しょだい水谷みずたに八重子やえこぼつ公演こうえんでは、代目だいめ水谷みずたに八重子やえこ市川いちかわだん十郎じゅうろう主演しゅえん上演じょうえんされた。近年きんねんは、劇団四季げきだんしきのレパートリー演目えんもくとしても公演こうえんされている(演出えんしゅつ浅利あさり慶太けいた主演しゅえん日下くさか武史たけしほか)。

なお、1956ねん昭和しょうわ31ねん)の初演しょえんと1958ねん昭和しょうわ33ねん)の東京とうきょう公演こうえんでは、三島みしま自身じしんも3まく鹿しかかん模様替もようがえする大工だいく植木うえき職人しょくにんふんし、いまカメオ出演しゅつえんをしている(三島みしま自身じしん座興ざきょうべている)。

テレビドラマは、1959ねん昭和しょうわ34ねん)に初演しょえん舞台ぶたいおなじキャストでフジテレビ放映ほうえい。1961ねん昭和しょうわ36ねん)は主演しゅえん佐分利さぶりしんむかえ、それ以外いがい初演しょえん舞台ぶたいとほぼおなじキャストでTBSテレビ放映ほうえい。1970ねん昭和しょうわ45ねん)は岩下いわした志麻しま芦田あしだ伸介しんすけ主演しゅえんNHK放映ほうえい近年きんねんは2008ねん平成へいせい20ねん正月しょうがつ田村たむら正和まさかず黒木くろきひとみ主演しゅえんテレビ朝日てれびあさひ放映ほうえいされた。映画えいがは1986ねん昭和しょうわ61ねん)に東宝とうほうによって菅原すがわら文太ぶんた浅丘あさおかルリ子るりこ主演しゅえん市川いちかわこん監督かんとくでなされた。かずおくえんとうじて東宝とうほうだいステージいっぱいに再現さいげんされた豪華ごうか鹿しかかんセットが話題わだいんだ。

歴史れきし背景はいけい・モデル

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明治維新めいじいしん武士ぶしはいされたが、本来ほんらい華族かぞくきゅう大名だいみょういえきゅう公家くげから諸侯しょこう華族かぞく)ではない将軍しょうぐん大名だいみょう一族いちぞくや、功労こうろうしゃおも下級かきゅう武士ぶし出身しゅっしん)にも国家こっかへの勲功くんこうにより、1883ねん明治めいじ16ねん)に爵位しゃくいあたえられ、しん華族かぞくとなった。また、きゅう大名だいみょう維新いしんすうねんで、公卿くぎょうじゅうすうねん政治せいじ実務じつむからははずされており、1884ねん明治めいじ17ねん)の内閣ないかく制度せいど発足ほっそく閣僚かくりょうとなったのは、功労こうろうしゃ出身しゅっしんしん華族かぞくとこれにつづ官僚かんりょう軍人ぐんじんのみであった。

鹿しかかん』ではこういった華族かぞくしん華族かぞく閣僚かくりょうらが主要しゅよう登場とうじょう人物じんぶつとなり、実在じつざい架空かくうとりまぜて造形ぞうけいされているが、井上いのうえかおる井上いのうえ武子たけこ夫人ふじん主催しゅさいした天長節てんちょうせつ夜会やかい当日とうじつの1886ねん明治めいじ19ねん)11月3にちに、この作品さくひんないこるような事件じけんこっていない。なお、外務がいむ大臣だいじん影山かげやまゆうさとし伯爵はくしゃくと、「自由党じゆうとう」の壮士そうし清原きよはらひさし輔のモデルはそれぞれ、井上いのうえかおる後藤ごとう象二しょうじろうであることは、三島みしまの「創作そうさくノート」かられる。後藤ごとう象二しょうじろうはこの時期じきせいかんろんやぶれてから自由じゆう民権みんけん運動うんどう指揮しきしていたが、それ以前いぜん井上いのうえかおるよりはや参議さんぎ閣僚かくりょうであるきょうより上席じょうせき)にいており、またのちには伯爵はくしゃくじょされて閣僚かくりょう歴任れきにんしている。このように二人ふたり関係かんけいが、権力けんりょくしゃくさはん体制たいせい活動かつどうではなく、あくまで二人ふたり大物おおもの政治せいじ政争せいそうであるてんは、げきちゅう影山かげやま清原きよはら関係かんけいにも投影とうえいされている。なお、井上いのうえ後藤ごとう下級かきゅう武士ぶし出身しゅっしんしゃおお明治維新めいじいしん関係かんけいしゃなかでは、比較的ひかくてき富裕ふゆう中級ちゅうきゅう武士ぶし出身しゅっしんしゃであった(後藤ごとう最終さいしゅうてきには実質じっしつてき家老がろうにまでのぼっている)てん共通きょうつうしている。

また、明治めいじにあっては、首相しゅしょうたちをふく政治せいじ貴顕きけんたちは、芸者げいしゃ愛人あいじんとしただけでなく、正妻せいさいとすることも一般いっぱんてきおこなわれていた。朝子あさこ影山かげやま伯爵はくしゃく夫人ふじんもその一人ひとりで、これはかくすべきことでもずべきことでもなかった。三島みしまの「創作そうさくノート」には、「伊藤いとう夫人ふじん陸奥むつ夫人ふじん中心ちゅうしん人物じんぶつ」としるされており、朝子あさこのモデルは、井上いのうえ武子たけこよりも、伊藤いとう博文ひろぶみ夫人ふじん伊藤いとう梅子うめこほうから造形ぞうけいされたのではないかという見方みかた一部いちぶにはある[15]井上いのうえ武子たけこ芸者げいしゃであったかは不明ふめいだが、伊藤いとう梅子うめこもと芸者げいしゃ小梅こうめ」であり、陸奥むつ宗光むねみつ夫人ふじん陸奥むつ亮子あきこもと芸者げいしゃしょうすず」であったことはよくられている。

あらすじ

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ときは1886ねん明治めいじ19ねん)11月3にち天長節てんちょうせつ

だい1まく - 午前ごぜん10影山かげやま伯爵はくしゃくていにわないにある茶室ちゃしつ潺湲せんかんてい

てんちょういわ観兵かんぺいしきおこなわれている日比谷ひびや練兵れんぺいじょう見渡みわたせる影山かげやま伯爵はくしゃくていにわない茶室ちゃしつ潺湲せんかんていあつまった華族かぞく夫人ふじんたちのまえに、もと新橋しんばし芸者げいしゃだった影山かげやま伯爵はくしゃく夫人ふじん朝子あさこあらわれた。朝子あさこかがやくようなうつくしさと人当ひとあたりのよさで華族かぞく夫人ふじんたちの中心ちゅうしんとなっていた。公卿くぎょう大徳寺だいとくじ侯爵こうしゃく夫人ふじん季子としこ朝子あさこ崇拝すうはいするひとりで、むすめ顕子あきこ恋人こいびと問題もんだい助言じょげんもとめてきた。恋人こいびと自由じゆう民権みんけん運動うんどういえ清原きよはらひさし輔の息子むすこ清原きよはら久雄ひさおだという。そのいたとき朝子あさこ心臓しんぞうまるほどショックをける。はなしくと、久雄ひさおなに危険きけん行動こうどうようとしているらしい。そしていま、その久雄ひさおんできているという。
朝子あさこ久雄ひさお危険きけん計画けいかくめさせようと、自分じぶん久雄ひさおははであること、芸者げいしゃ時代じだい自分じぶんえい輔とのあいとをける。だが久雄ひさおは、自分じぶん今夜こんや暗殺あんさつしようとしている相手あいて影山かげやま伯爵はくしゃくではなく、ちち清原きよはらひさし輔であると意外いがいなことをった。

だい2まく - 午後ごご1同所どうしょ

朝子あさこは、かつての恋人こいびといまあいしている清原きよはらひさし輔をやしきびつけた。清原きよはら今夜こんや鹿しかかん舞踏ぶとうかいに、自由じゆう民権みんけん運動うんどういちとう乱入らんにゅうしてることをめさせようとするためだった。しかし清原きよはら朝子あさこ説得せっとく容易よういにききいれない。そこで朝子あさこは、これまで鹿しかかん夜会やかいにはないことにしていた主義しゅぎひるがえし、今夜こんや自分じぶん主宰しゅさいしゃとしてると宣言せんげんする。朝子あさこは、わたし夜会やかいをぶちこわしにしないでください、あなたのいのちをおすくいしたい一心いっしん贈物おくりものですと清原きよはら説得せっとくし、承諾しょうだくさせる。
影山かげやま伯爵はくしゃく側近そっきん飛田ひだ天骨てんこつ観兵かんぺいしきからかえってきて茶室ちゃしつにやってた。外務がいむきょう影山かげやま伯爵はくしゃくは、内閣ないかくっての実力じつりょくしゃ自他じたどもみとめる存在そんざいだった。清原きよはらいそいでかえらせた朝子あさこ女中じょちゅうくさ乃は木蔭こかげかくれ、影山かげやま伯爵はくしゃく飛田ひだはなしている内容ないよういてしまう。清原きよはらひさし輔の暗殺あんさつ計画けいかく首謀しゅぼうしゃじつは、おっと影山かげやま伯爵はくしゃくだったのである。げんわした朝子あさこは、今夜こんや壮士そうし乱入らんにゅうはありません、とおっとにきっぱり宣言せんげんする。

だい3まく - 午後ごご4鹿しかかんの2かい

はは朝子あさこ舞踏ぶとうかいるようにめいじられ、正装せいそうした久雄ひさお恋人こいびと顕子あきこ鹿しかかんの2かいにいる。やがて2人ふたり朝子あさこ季子としこともなわれこうあいだ移動いどうし、わりにそこへ影山かげやま伯爵はくしゃくくさ乃がやってる。影山かげやま伯爵はくしゃくくさ乃を強引ごういん籠絡ろうらく一切いっさいをききだす。清原きよはらひきいるたけしこころざし乱入らんにゅうがないことが確実かくじつだとった影山かげやま伯爵はくしゃくは、にせたい乱入らんにゅうさせ、くさ乃を使つか清原きよはららせて、かれをおびきせる計画けいかくをする。そして朝子あさこはからいで今夜こんやちち乱入らんにゅうしないとおもっている久雄ひさおたいし、そんなものをしんじているのかとそそのかし、かれにピストルをわたす。

だい4まく - 午後ごご9すぎ。鹿しかかんの2かい舞踏ぶとうじょう

はなやかな舞踏ぶとうかいはじまった。やがて給仕きゅうじ朝子あさこたけしこころざし乱入らんにゅうらせた。朝子あさこ階段かいだんうえりんとしてちはだかり、これを阻止そしする。本物ほんものたけしこころざし乱入らんにゅうおもんだ久雄ひさお自分じぶんはは裏切うらぎったちち激昂げっこうし、戸外こがいていく。銃声じゅうせいが2はつとどろいた。朝子あさこは、とうとう久雄ひさおはやってしまったとおもったが、露台ろだいあらわれたのは清原きよはらひさし輔であった。自分じぶんとの約束やくそくやぶり、久雄ひさおまでころした清原きよはら朝子あさこはなじるが、じつ久雄ひさおはわざとたまをはずし、自分じぶんちちたれぬことをえらんでいたのであった。そして清原きよはらは、自分じぶん朝子あさことの約束やくそくやぶったのではないこと、にせたけしこころざし仕向しむけたのは影山かげやま伯爵はくしゃくであるとげてっていく。
朝子あさこ影山かげやま伯爵はくしゃくはげしくいいあう。そして今夜こんやかぎりでわかれ、清原きよはらもとこうと決心けっしんした朝子あさこ影山かげやま伯爵はくしゃくはいつわりのワルツをおどる。そこへ戸外こがい銃声じゅうせい一発いっぱつとどろおとがする。

舞台ぶたい公演こうえん

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初演しょえん

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キャスト

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ほか

初演しょえん以降いこうのおもな公演こうえん

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劇団四季げきだんしき 自由じゆう劇場げきじょう 2006ねん初演しょえん 浅利あさり慶太けいた演出えんしゅつ 衣装いしょう もり英恵はなえ 音楽おんがく はやしひかり フラワーデザイン 假屋かりやさき省吾しょうご  日下くさか武史たけし 野村のむら玲子れいこ 末次すえつぐ美沙緒みさお 濱田はまだめぐみ 広瀬ひろせ明雄あきお 田邊たなべしん也 しば清道きよみち

テレビドラマ

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1959年版ねんばん

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木曜もくよう観劇かんげきかい鹿しかかん[17]

フジテレビ 1959ねん昭和しょうわ34ねん)7がつ9にち 木曜日もくようび 20:00 - 21:45(JST

スタッフ

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キャスト

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1961年版ねんばん

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近鉄きんてつ金曜きんよう劇場げきじょう[ちゅう 2]鹿しかかん[18]

TBS[ちゅう 2] 1961ねん昭和しょうわ36ねん)12月1にち、8にちぜん2かい金曜日きんようび 20:00 - 21:00(JST

スタッフ

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キャスト

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佐分利さぶり以外いがいは、初演しょえん舞台ぶたいばんとほぼおなじキャストである。

前後ぜんご番組ばんぐみ

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TBS系列けいれつ 近鉄きんてつ金曜きんよう劇場げきじょう(1961ねん12月1にち - 12月8にち
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
鹿しかかん
【TBS制作せいさく
家族かぞく会議かいぎ
ABC制作せいさく

1970年版ねんばん

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ドラマ『鹿しかかん[19][20]

NHKテレビ 1970ねん4がつ25にち 土曜日どようび 22:10 - 23:40(JST

スタッフ

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キャスト

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2008年版ねんばん

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tv asahi 50th anniversary 開局かいきょく50周年しゅうねん記念きねんtv asahi(テレビ朝日てれびあさひ開局かいきょく50周年しゅうねん記念きねんドラマスペシャル)『鹿しかかん[21]

テレビ朝日てれびあさひ系列けいれつ 2008ねん平成へいせい20ねん)1がつ5にち 土曜日どようび 21:00 - 23:09(JST)
視聴しちょうりつ12.2%。

キャスト

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ほか

スタッフ

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おくれネットきょく

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KNB 北日本放送きたにほんほうそう日本にほんテレビ系列けいれつ) 2008ねん平成へいせい20ねん)2がつ2にち土曜日どようび14:50 - 16:55放送ほうそう

映画えいが

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鹿しかかん
監督かんとく 市川いちかわこん
脚本きゃくほん 日高ひだかしん市川いちかわこん
原作げんさく 三島みしま由紀夫ゆきお
製作せいさく 川本かわもとみなもと司郎しろう
出演しゅつえんしゃ 浅丘あさおかルリ子るりこ
中井なかい貴一きいち
沢口さわぐち靖子やすこ
井川いかわ比佐志ひさし
渡辺わたなべ篤史あつし
尾美おみとしのり
常田つねだ富士男ふじお
浜村はまむらじゅん
神山かみやましげる
岸田きしだ今日子きょうこ
三橋みつはし達也たつや
石坂いしざか浩二こうじ
菅原すがわら文太ぶんた
音楽おんがく 山本やまもとじゅんかい谷川たにがわ賢作けんさく
撮影さつえい 小林こばやし節雄せつお
編集へんしゅう 長田ながた千鶴子ちづこ
製作せいさく会社かいしゃ MARUGEN-FILM
配給はいきゅう 東宝とうほう
公開こうかい 日本の旗 1986ねん9がつ20日はつか
上映じょうえい時間じかん 125ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
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東宝とうほう配給はいきゅうで1986ねん昭和しょうわ61ねん)9がつ20日はつか公開こうかいされた。上映じょうえい時間じかんは125ふんかしビル「まるはじめ」を多数たすう所有しょゆうしていた実業じつぎょう川本かわもとみなもと司郎しろうが「マルゲンフィルム」名義めいぎ製作せいさくし、すうおくえんとうじて再現さいげんされた鹿しかかん影山かげやま伯爵はくしゃくてい豪華ごうかセット、セリフを舞台ぶたいふうませた大胆だいたん演出えんしゅつなどで話題わだいになった。

しかし作品さくひんは、マルゲンフィルムの解散かいさん権利けんりじょう問題もんだい封印ふういんされている。作品さくひんそのものの版権はんけん原盤げんばん所在しょざい明確めいかくで、そのためソフトはもちろん上映じょうえい困難こんなんとなっている[22]。また川本かわもと意志いしによりビデオとうはもとより、封切ふうきりをのぞきその公開こうかい一切いっさいゆるされていないともいう[23]川本かわもとは2024ねん死去しきょしたが、生涯しょうがい独身どくしんだった川本かわもと権利けんりがどのように相続そうぞくされたかは不明ふめいである。

ただし上映じょうえいようフィルムは国立こくりつ映画えいがアーカイブ所蔵しょぞうされており[24]、2003ねん特集とくしゅう映画えいが監督かんとく 市川いちかわこん(2)」において、9月18にちと10がつ3にち上映じょうえいされた[25]

なお、三島みしま存命ぞんめいちゅうの1957ねん昭和しょうわ32ねん)にも、渋谷しぶやみのる監督かんとくにより松竹しょうちく映画えいが企画きかくがあったが、実現じつげんにはいたらなかった[26]

製作せいさく

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もと実在じつざいする鹿しかかん題材だいざいにしたドラマ企画きかく市川いちかわ監督かんとくまれ、市川いちかわ以前いぜん三島みしま戯曲ぎきょく映画えいがしたいと周囲しゅういらしていたこともあり、戯曲ぎきょく映画えいが決定けっていした。その、スポンサーにマルゲンフィルムの川本かわもとみなもと司郎しろう名乗なのりをげ、製作せいさくはじまった。

調布ちょうふ基地きちあと関東かんとうむら跡地あとち)に、鹿しかかんファサード原寸げんすんだい再現さいげんした制作せいさく1おくえんのオープンセットがまれ、和装わそう舞踏ぶとうかい場面ばめん使用しようする夜会やかいふく三松みまつ斎藤さいとうひろし社長しゃちょう全面ぜんめん協力きょうりょく制作せいさくされた。衣装いしょう監修かんしゅう斎藤さいとうひろしはフランスのパリ装飾そうしょく芸術げいじゅつ美術館びじゅつかん衣装いしょう博物館はくぶつかん(Musée des Arts décoratifs)を見学けんがく現地げんち駐在ちゅうざいいんたすけをりて19世紀せいき当時とうじドレスてん購入こうにゅうしている。影山かげやま伯爵はくしゃくてい庭園ていえん京都きょうと嵐山あらしやま中山なかやまていげんたからいわおいん)にて撮影さつえい

市川いちかわ三島みしま戯曲ぎきょく忠実ちゅうじつ映像えいぞうかかわり、芝居しばい演出えんしゅつ舞台ぶたい演劇えんげきそのままの様式ようしき採用さいようしたが、後年こうねん、「やっぱりひとにどこかで違和感いわかんあたえているんですね。演劇えんげきではOKだからと、あえて映画えいがでそれをやったのが間違まちがいだった。もうすこ慎重しんちょう計算けいさん必要ひつようだった」と失敗しっぱいべんべている[27]どう年度ねんどキネマ旬報きねまじゅんぽうベストテン14微妙びみょうこう評価ひょうかとまではいたらなかった。

受賞じゅしょう

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  • 日本にっぽんアカデミーしょう最優秀さいゆうしゅう美術びじゅつしょう村木むらきしのぶ
  • 映画えいが技術ぎじゅつしょう美術びじゅつ部門ぶもん村木むらきしのぶ
  • 年間ねんかん代表だいひょうシナリオ選出せんしゅつ

キャスト

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スタッフ

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おもな刊行かんこうほん

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  • 鹿しかかん』(新潮社しんちょうしゃ、1957ねん3がつ5にちNCID BA30933105
  • 文庫ぶんこばん鹿しかかん』(新潮しんちょう文庫ぶんこ、1984ねん12月20にち
    • カバー装幀そうてい辰己たつみ四郎しろう
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「鹿しかかん」「ただほどたかいものはない」「よる向日葵ひまわり」「あさ躑躅つつじ
    • 自作じさく解題かいだい:「作者さくしゃ言葉ことば鹿しかかん)」「『鹿しかかん』について(文学ぶんがくプログラム掲載けいさい)」「『鹿しかかん』について(毎日新聞まいにちしんぶん掲載けいさい)」「あとがき(鹿しかかん)」「うつくしき鹿しかたて時代ときよ――再演さいえん鹿しかかん』について」「『鹿しかかん再演さいえん」「上演じょうえんされるわたし作品さくひん――『あおいじょう』と『ただほどたかいものはない』」「『あおいじょう』と『ただほどたかいものはない』」「あとがき(よる向日葵ひまわり)」「『あさ躑躅つつじ』について」
    • のちにカバーに映画えいが(1986ねん9がつ封切ふうきり)のスチールを使用しようしたものあり。
  • 鹿しかかん』(利彦としひこ出版しゅっぱん名作めいさく舞台ぶたいシリーズ、1990ねん10がつ27にち
    • 監修かんしゅういぬ市郎いちろうかみそう。A5ばん紫色むらさきいろたい
    • 収録しゅうろく内容ないよう:「鹿しかかん」「うつくしき鹿しかたて時代ときよ――再演さいえん鹿しかかん』について」
    • 付録ふろくいぬ市郎いちろう「『鹿しかかん回想かいそう」。鹿しかかん上演じょうえん記録きろく
    • 口絵くちえ写真しゃしん8ぺーじ8よう歴代れきだい影山かげやま朝子あさこ舞台ぶたい写真しゃしん7よう舞踏ぶとうかい場面ばめん1よう)。本文ほんぶんちゅう舞台ぶたい写真しゃしん29よう
  • 英文えいぶんばん『My Friend Hitler and Other Plays』(わけ佐藤さとうひろしあきら)(Columbia University Press、2002ねん11月15にち

全集ぜんしゅう収録しゅうろく

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  • 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう21(戯曲ぎきょくII)』(新潮社しんちょうしゃ、1974ねん12月25にち
  • 三島みしま由紀夫ゆきお戯曲ぎきょく全集ぜんしゅう 上巻じょうかん』(新潮社しんちょうしゃ、1990ねん9がつ10日とおか
    • よんろくばん。2だんぐみぬのそう。セット機械きかいはこ
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「ひがし博士はかせたち」「きつねかいきく有明ありあけ」「あやめ」「火宅かたく」「あい不安ふあん」「灯台とうだい」「ニオベ」「聖女せいじょ」「魔神まじん礼拝れいはい」「邯鄲かんたん」「あや」「つやきおい近松ちかまつむすめ」「卒塔婆そとうば小町こまち」「紳士しんし」「ただほどたかいものはない」「よる向日葵ひまわり」「室町むろまち反魂香はんごんこう」「地獄変じごくへん」「あおいじょう」「若人わこうどよみがえれ」「けた天女てんにょ」「ボン・ディア・セニョーラ」「いわしうりこい曳網ひきあみ」「ボクシング」「はんおんな」「こいにはななツのかぎがある」「熊野くまの」「三原色さんげんしょく」「ふね挨拶あいさつ」「白蟻しろあり」「芙蓉ふよう大内おおうち実記じっき」「だい障碍しょうがい」「鹿しかかん」「オルフェ」「道成寺どうじょうじ」「ブリタニキュス」「あさ躑躅つつじ」「薔薇ばら海賊かいぞく」「むすめごのみおびいけ」〔初演しょえん一覧いちらん
    • 下巻げかんと2さつぐみでの刊行かんこう
  • 決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう22かん 戯曲ぎきょく2』(新潮社しんちょうしゃ、2002ねん9がつ10日とおか
    • 装幀そうてい新潮社しんちょうしゃ装幀そうていしつ装画そうが柄澤からさわひとし四六判しろくばんはこぬのクロスそうまる箔押はくおし2しょく
    • 月報げっぽう小林こばやし信彦のぶひこどう時代じだい一読いちどくしゃとして」、岸田きしだ今日子きょうこ「わたしのなか三島みしまさん」、〔天球儀てんきゅうぎとしての劇場げきじょう2〕田中たなか美代子みよこから戯曲ぎきょくへ」
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「室町むろまち反魂香はんごんこう」「地獄変じごくへん」「あおいじょう」「若人わこうどよみがえれ」「けた天女てんにょ」「ボン・ディア・セニョーラ」「いわしうりこい曳網ひきあみ」「ボクシング」「はんおんな」「こいにはななツのかぎがある」「熊野くまの」「三原色さんげんしょく」「ふね挨拶あいさつ」「白蟻しろあり」「芙蓉ふよう大内おおうち実記じっき」「だい障碍しょうがい」「鹿しかかん」「『けた天女てんにょ創作そうさくノート」「『鹿しかかん創作そうさくノート」

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ヴィクトル・ユーゴーの『ルクレツィア・ボルジア』は、先夫せんぷとのあいだにもうけたと、現在げんざいおっとあいだ苦悩くのうするルクレツィアの物語ものがたりである。ルクレツィアが最後さいごに、自分じぶんははとはらないそのころされてしまう戯曲ぎきょくである。「ああ、おまえはわたしころす……わたしはおまえのははですよ」という台詞せりふまくじられる[9]
  2. ^ a b 幹事かんじであった朝日放送あさひほうそうは、放送ほうそう当時とうじTBSJNN系列けいれつであった。  

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d 舞台ぶたい多彩たさい魅力みりょく――『鹿しかかん』の成功せいこう」(松本まつもと 2010, pp. 86–89)
  2. ^ a b c 有元ありもと伸子のぶこ緊密きんみつ構成こうせいされた絢爛けんらんたるだい芝居しばい」(太陽たいよう 2010, pp. 68–69)
  3. ^ a b c d 「『鹿しかかん』について」(毎日新聞まいにちしんぶん大阪おおさか〉 1956ねん12月4にちごう)。三島みしま 1984, pp. 354–355、29かん 2003, pp. 334–335
  4. ^ 井上いのうえ隆史たかし作品さくひん目録もくろく」(42かん 2005, pp. 377–462)
  5. ^ 山中やまなか剛史たけし上演じょうえん作品さくひん目録もくろく」(42かん 2005, pp. 731–858)
  6. ^ 山中やまなか剛史たけし著書ちょしょ目録もくろく――目次もくじ」(42かん 2005, pp. 540–561)
  7. ^ 久保田くぼた裕子ゆうこ三島みしま由紀夫ゆきお翻訳ほんやく書目しょもく」(事典じてん 2000, pp. 695–729)
  8. ^ a b うつくしき鹿しかたて時代ときよ――再演さいえん鹿しかかん』について」(新派しんぱプログラム 1962ねん11月)。三島みしま 1984, pp. 357–359、32かん 2003, pp. 137–138
  9. ^ a b 「III 栄光えいこう――『鏡子きょうこいえ』から『英霊えいれいこえ』へ ふたつの事件じけん――脅迫きょうはく告訴こくそ」(村松むらまつ 1990, p. 316)
  10. ^ 今村いまむらただしじゅん「『鹿しかかん』についてのメモ」(国文学こくぶんがく解釈かいしゃく鑑賞かんしょう 1992ねん9がつごう)。太陽たいよう 2010, p. 68
  11. ^ 今村いまむらただしじゅん鹿しかかん研究けんきゅう】」(事典じてん 2000, pp. 414–416)
  12. ^ 戯曲ぎきょくきたがる小説しょうせつきのノート」(日本にっぽん演劇えんげき 1949ねん10がつごう)。27かん 2003, pp. 222–229
  13. ^ だい一部いちぶ 評伝ひょうでん 三島みしま由紀夫ゆきお――だいさんしょう 問題もんだいせいたか作家さっか鹿しかかん』」(佐藤さとう 2006, pp. 91–92)
  14. ^ 「『鹿しかかん』について」(文学ぶんがくプログラム 1956ねん11月)。三島みしま 1984, pp. 352–353、29かん 2003, pp. 326–327
  15. ^ 冉小嬌 2012
  16. ^ 年譜ねんぷ 昭和しょうわ31ねん11月27にち」(42かん 2005, pp. 203–204)
  17. ^ 舞台劇ぶたいげき 鹿しかかん”. テレビドラマデータベース. 2023ねん9がつ28にち閲覧えつらん
  18. ^ 鹿しかかん 前後ぜんごへん”. テレビドラマデータベース. 2023ねん9がつ28にち閲覧えつらん
  19. ^ NHKクロニクル | NHKアーカイブス”. NHKオンライン. 2023ねん9がつ28にち閲覧えつらん
  20. ^ 鹿しかかん”. テレビドラマデータベース. 2023ねん9がつ28にち閲覧えつらん
  21. ^ 鹿しかかん Rokumeikan(新聞しんぶんラテらん表記ひょうき鹿しかかん華麗かれいおど貴婦人きふじんたちだい舞踏ぶとうかい社交しゃこうかいかげ夫婦ふうふあい親子おやこあいなみだ感動かんどう結末けつまつへ!!三島みしま由紀夫ゆきお名作めいさく完全かんぜん映像えいぞう”. テレビドラマデータベース. 2023ねん9がつ28にち閲覧えつらん
  22. ^ 樋口ひぐち尚文なおふみ「80年代ねんだい業種ぎょうしゅ映画えいが」の栄光えいこう挫折ざせつ」『1980年代ねんだい映画えいがにはぼくたちの青春せいしゅんがある』キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、2016ねん、188ページ
  23. ^ 小笠原おがさわらきよし梶山かじやま弘子ひろこへん映画えいが監督かんとく 小林こばやし正樹まさき岩波書店いわなみしょてん、2016ねん
  24. ^ 国立こくりつ映画えいがアーカイブ”. nfad.nfaj.go.jp. 2024ねん9がつ11にち閲覧えつらん
  25. ^ National Film Center, The National Museum of Modern Art, Tokyo”. www.nfaj.go.jp. 2024ねん9がつ11にち閲覧えつらん
  26. ^ 山中やまなか剛史たけし三島みしま映画えいが略説りゃくせつ――雑誌ざっし新聞しんぶん記事きじから」(研究けんきゅう2 2006, pp. 39–43)
  27. ^ 完本かんぽん 市川いちかわこん映画えいがたち』、2015ねん11月発行はっこう市川いちかわこんもりゆうつくえよういずみしゃ、P342~343

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 三島みしま由紀夫ゆきお決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう22かん 戯曲ぎきょく2』新潮社しんちょうしゃ、2002ねん9がつISBN 978-4-106-42562-2 
  • 三島みしま由紀夫ゆきお決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう27かん 評論ひょうろん2』新潮社しんちょうしゃ、2003ねん2がつISBN 978-4-106-42567-7 
  • 三島みしま由紀夫ゆきお決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう29かん 評論ひょうろん4』新潮社しんちょうしゃ、2003ねん4がつISBN 978-4-106-42569-1 
  • 三島みしま由紀夫ゆきお決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう32かん 評論ひょうろん7』新潮社しんちょうしゃ、2003ねん7がつISBN 978-4-106-42572-1 
  • 佐藤さとう秀明ひであき井上いのうえ隆史たかし山中やまなか剛史たけし へん決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう42かん 年譜ねんぷ書誌しょし新潮社しんちょうしゃ、2005ねん8がつISBN 978-4-106-42582-0 
  • 三島みしま由紀夫ゆきお鹿しかかん新潮社しんちょうしゃ新潮しんちょう文庫ぶんこ〉、1984ねん12月。ISBN 978-4-101-05035-5 
  • 井上いのうえ隆史たかし佐藤さとう秀明ひであき松本まつもととおる へん三島みしま由紀夫ゆきお事典じてんつとむまこと出版しゅっぱん、2000ねん11月。ISBN 978-4-585-06018-5 
  • 井上いのうえ隆史たかし佐藤さとう秀明ひであき松本まつもととおる へん三島みしま由紀夫ゆきお映画えいがかなえ書房しょぼう三島みしま由紀夫ゆきお研究けんきゅう2〉、2006ねん6がつISBN 978-4-907-84643-5 
  • 佐藤さとう秀明ひであき三島みしま由紀夫ゆきお――ひと文学ぶんがくつとむまこと出版しゅっぱん日本にっぽん作家さっか100にん〉、2006ねん2がつISBN 978-4-585-05184-8 
  • 松本まつもととおる三島みしま由紀夫ゆきおく』NHK出版しゅっぱん〈NHKシリーズ NHKカルチャーラジオ・文学ぶんがく世界せかい〉、2010ねん7がつISBN 978-4-149-10746-2 
  • 別冊べっさつ太陽たいよう 日本にっぽんのこころ175――三島みしま由紀夫ゆきお松本まつもととおる 監修かんしゅう平凡社へいぼんしゃ、2010ねん10がつISBN 978-4-582-92175-5 
  • 村松むらまつつよし三島みしま由紀夫ゆきお世界せかい新潮社しんちょうしゃ、1990ねん9がつISBN 978-4-103-21402-1 
    • 村松むらまつつよし三島みしま由紀夫ゆきお世界せかい新潮社しんちょうしゃ新潮しんちょう文庫ぶんこ〉、1996ねん10がつISBN 978-4-101-49711-2  - 上記じょうき文庫ぶんこばん
  • 冉小嬌「三島みしま由紀夫ゆきお鹿しかかんろんピエール・ロチ江戸えど舞踏ぶとうかい』と芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ舞踏ぶとうかい』との比較ひかくとおして―」『早稲田大学わせだだいがく大学院だいがくいん教育きょういくがく研究けんきゅう紀要きよう』19(2)、早稲田大学わせだだいがく大学院だいがくいん教育きょういくがく研究けんきゅう、2012ねん3がつ30にち、29-41ぺーじNAID 120004442679 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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