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真夏まなつ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
真夏まなつ
わけだい Death in Midsummer
作者さくしゃ 三島みしま由紀夫ゆきお
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 短編たんぺん小説しょうせつ中編ちゅうへん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし掲載けいさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ新潮しんちょう1952ねん10がつごう
刊本かんぽん情報じょうほう
出版しゅっぱんもと つくもとしゃ
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1953ねん2がつ15にち
装幀そうてい はやしたけし
受賞じゅしょう
英訳えいやく真夏まなつ その
1967ねんフォルメントール国際こくさい文学ぶんがくしょう
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
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真夏まなつ』(まなつのし)は、三島みしま由紀夫ゆきお短編たんぺん小説しょうせつ三島みしま自身じしんはノヴェレット[注釈ちゅうしゃく 1]としている[1])。どう作品さくひん収録しゅうろくしたたん編集へんしゅうにも表題ひょうだいされることがおおい(新潮しんちょう文庫ぶんこはんなど)。伊豆いず海岸かいがん2人ふたり幼子おさなごうしなった女性じょせい物語ものがたり理不尽りふじん悲劇ひげきから主人公しゅじんこうがいかなる衝撃しょうげきけ、とき経過けいかによってやされ、えきったのちのおそるべき空虚くうきょから、いかにしてふたた宿命しゅくめい到来とうらい要請ようせいするかという主題しゅだいから、人間にんげん宿命しゅくめい関係かんけいえがいている[1]エピグラフには、ボードレールの『人工じんこう楽園らくえん』の一節いっせつ使つかわれている。はつ世界せかい旅行りょこう(『アポロのはい参照さんしょう)から帰国きこく最初さいしょ発表はっぴょうした作品さくひんでもある[2][3][注釈ちゅうしゃく 2]

なお、英訳えいやくばん真夏まなつ その』(Death in Midsummer and other stories)は、1967ねんフォルメントール国際こくさい文学ぶんがくしょう英語えいごばんだい2受賞じゅしょうした[4]。この受賞じゅしょうさく同時どうじ収録しゅうろくは、「ひゃくまんえん煎餅せんべい〈Three Million Yen〉」「魔法瓶まほうびん〈Thermos Flasks〉」「志賀しがてら上人しょうにんこい〈The Priest of Shiga Temple and His Love〉」「はしづくし〈The Seven Bridges〉」「憂国ゆうこく〈Patriotism〉」「道成寺どうじょうじ〈Dōjōji〉」「女方おざかた〈Onnagata〉」「真珠しんじゅ〈The Pearl〉」「新聞紙しんぶんし〈Swaddling Clothes〉」である。候補こうほさくには、三島みしまの『午後ごご曳航えいこう』や安部あべ公房こうぼうの『他人たにんかお』もあった[4][注釈ちゅうしゃく 3]

発表はっぴょう経過けいか

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1952ねん昭和しょうわ27ねん)、雑誌ざっし新潮しんちょう』10がつごう掲載けいさいされた[5][6]単行本たんこうぼんは、翌年よくねん1953ねん昭和しょうわ28ねん)2がつ15にちつくもとしゃより刊行かんこうされた[7]雑誌ざっし掲載けいさいにあった末尾まつびの2ぎょうは、単行たんこうほん収録しゅうろくたって削除さくじょされ、これがてい稿こうとなった[2]文庫ぶんこばん1970ねん昭和しょうわ45ねん)7がつ15にち新潮しんちょう文庫ぶんこ刊行かんこうされた[7]

翻訳ほんやくばんエドワード・G・サイデンステッカーわけえいだい:Death in Midsummer)をはじめ、イタリアだい:Morte di mezza setate)、ドイツどくだい:Tod in hochsommer)、フランスふつだい:La mort en été)、ポルトガル(葡題:Morte no verao)、中国ちゅうごくちゅうだい仲夏ちゅうか)などでおこなわれている[8]

あらすじ

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生田いくた朝子あさこ(ともこ)は3にん子供こどもははである。あるなつ朝子あさこは6さい清雄きよお、5さい啓子けいこ、3さい克雄かつおと、おっといもうと安枝やすえとで、伊豆半島いずはんとう南端なんたんちかいA海岸かいがん永楽荘えいらくそうあそびにていた。事件じけん朝子あさこ永楽荘えいらくそう一室いっしつ午睡ごすいをしているあいだきた。3にん子供こども安枝やすえうみていた。そして2人ふたり子供こども清雄きよお啓子けいこなみにさらわれてしまう。おどろいた安枝やすえうみかうが、おそってきたなみむねたれ心臓麻痺しんぞうまひおこす。一時いちじに3にんいのちうしなわれた。

1人ひとりのこされた子供こども克雄かつお溺愛できあいしつつ、この衝撃しょうげきから朝子あさこ時間じかん経過けいかとともになおっていくが、それは自分じぶん意思いし関係かんけいなく悲劇ひげき忘却ぼうきゃくしていく作業さぎょうであった。朝子あさこ自分じぶんわすれっぽさと薄情はくじょうおそろしくなる。朝子あさこは、母親ははおやにあるまじきこんな忘却ぼうきゃく薄情はくじょうを、子供こどもたちのれいびていた。朝子あさこは、諦念ていねんがいかに死者ししゃたいする冒涜ぼうとくであるかをかんじ、悲劇ひげきかんじようと努力どりょくをした。自分じぶんたちはきており、かれらはんでいる。それが朝子あさこには、非常ひじょう悪事あくじはたらいているような心地ここちがした。きているということは、なにという残酷ざんこくさだと朝子あさこおもった。

ふゆのさなか、朝子あさこ懐胎かいたいする。しかし、あの事件じけん以来いらい朝子あさこあじわった絶望ぜつぼう単純たんじゅんなものではなかった。あれほどの不幸ふこういながら、気違きちがいにならないという絶望ぜつぼう、まだ正気しょうきのままでいるという絶望ぜつぼう人間にんげん神経しんけい強靭きょうじんさにかんする絶望ぜつぼう、そういうものを朝子あさこくまなくあじわった。そして晩夏ばんか女児じょじ桃子ももこ出産しゅっさんする。一家いっかよろこんだ。

桃子ももこまれた翌年よくねんなつ事件じけんがあってから2ねん経過けいかした晩夏ばんか朝子あさこおっとに、A海岸かいがんってみたいといいだす。おっとしょうおどろ反対はんたいしたが、朝子あさこおな提言ていげんを3したので、ついにくことになった。かちきたい理由りゆううたが、朝子あさこはわからないという。家族かぞく4にん波打なみうぎわった。かち朝子あさこ横顔よこがおると、桃子ももこいて、じっとうみつめ放心ほうしんしているような、なにかをっている表情ひょうじょうである。かち朝子あさこに、一体いったいなにっているのか、こうとしたが、その瞬間しゅんかんかないでもわかるようながし、つないでいた息子むすこ克雄かつおはなさないようにつよにぎった。

主題しゅだい構成こうせい

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真夏まなつうみ』は、伊豆いず今井いまいはま実際じっさいこった水死すいし事故じこ下敷したじきにしててた小説しょうせつであるが[1]三島みしま由紀夫ゆきお作品さくひんの〈眼目がんもく〉を〈最後さいごいちぎょうにある〉として、この最後さいごの〈いちてん頂点ちょうてんとした円錐えんすいからだをわざと逆様さかさまてたやうな、普通ふつう小説しょうせつぎゃく構成こうせい〉を方法ほうほうろんとしてかんがえたとしている[1]。そして、〈通常つうじょう意味いみでの破局はきょくカタストロフ)が冒頭ぼうとうにあり、しかもその破局はきょくにはなん必然ひつぜんせい〉もなく、〈その必然ひつぜんせいとしての宿命しゅくめい暗示あんじされるのは最後さいごいちぎょう〉であるとしながら、通常つうじょうギリシャ悲劇ひげきであれば、この最後さいごいちぎょうからはじまり、〈冒頭ぼうとう破局はきょく結果けっかとすべき〉ところを、『真夏まなつ』では、それをあえて〈逆様さかさま〉に構成こうせいしたと自作じさく解説かいせつしている[1]

通常つうじょう小説しょうせつならラストにきたるべき悲劇ひげきがはじめて極限きょくげんてきかたちしめされ、のこつたじょ主人公しゅじんこう朝子あさこが、このまった理不尽りふじん悲劇ひげきからいかなる衝撃しょうげきけ、しかも徐々じょじょたるとき経過けいかめぐみによつていかにこれからえ、えきつたのちのおそるべき空虚くうきょから、いかにしてふたたび宿命しゅくめい到来とうらい要請ようせいするか、といふのがいちへん主題しゅだいである。
ある苛酷かこくこわろしい宿命しゅくめいを、なが時間じかんをかけて、やうやく日常にちじょう生活せいかつのこまかい網目あみめなか融解ゆうかいることに成功せいこうしたとき、人間にんげんふたた宿命しゅくめいかつえゑはじめる。このプロセスが、どうして読者どくしゃにできるだけ退屈たいくつあずかへずにえがせるか、といふてんわたしうでだめしがあつた。小説しょうせつのはじめにもっと刺戟しげきてき場面ばめん使つかいつてしまへば、そのあと、読者どくしゃなん刺戟しげきけなくなつてしまふ惧れがあるからである。 — 三島みしま由紀夫ゆきお解説かいせつ」(『真夏まなつ――自選じせんたん編集へんしゅう』)[1]

作品さくひん評価ひょうか研究けんきゅう

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真夏まなつ』は発表はっぴょう当時とうじに、創作そうさく合評がっぴょうなどで「小説しょうせつらしい小説しょうせつ」、「時間じかん人間にんげん事件じけん」の「みっつの関係かんけい直覚ちょっかくてきにつかんでいる」として好評こうひょうされ[9]どう時代じだいてきにもそうじてたか評価ひょうかされた作品さくひんである[6][10]本格ほんかくてき論究ろんきゅうとしては、主人公しゅじんこう朝子あさこ仮託かたくされた三島みしま内面ないめん主題しゅだい考察こうさつするものがおお[6]

野口のぐち武彦たけひこは、三島みしま世界せかい旅行りょこうから帰国きこくしたばかりで、ゲ海げかい耀かがやきのあかるさの「陰画いんが」のようなうみと〈〉のかげがさした『真夏まなつ』をいたことにれ、三島みしまにとり「終戦しゅうせん」が「終末しゅうまつにしてはじまりのとしの〈なつ〉」のイメージとして刻印こくいんされているとし、「三島みしま由紀夫ゆきお内面ないめん世界せかいにあっては、〈なつ〉は〈〉を触媒しょくばいにして永遠えいえんぶしにまであかるく凍結とうけつしてしまった」と考察こうさつしている[11]。そして『真夏まなつ』というタイトルは、「なつおとずれる」という意味いみでなく、「〈なつ〉と〈〉とはこの作家さっか辞書じしょのなかでは、たとえ同義語どうぎごではないにもせよ、完全かんぜん等価とうかぶつなのである」と野口のぐちろんじている[11]

さらに野口のぐちは、三島みしま戦争せんそう末期まっき青空あおぞらなつくもた「死神しにがみ姿すがた」が作品さくひん描写びょうしゃなか告白こくはくされているとし、作品さくひんとして「戦後せんご社会しゃかい平凡へいぼん事件じけんをいわば形而上けいじじょうしてせること」で、あらためて三島みしまみずからの「〈〉の主題しゅだい」を「さい確認かくにん」していると考察こうさつし、『真夏まなつ』をその三島みしま後継こうけい作品さくひん系譜けいふの「予感よかんてき作品さくひん」として位置いちづけている[11]

真夏まなつ』で緻密ちみつかたすすめられている心理しんり綾目あやめ、「」の追憶ついおくがいつか「」の待望たいぼうへと、微妙びみょうに、さりげなく転調てんちょうされてゆくしん経緯けいいは、そのじつなにかくそう、『あいかわ』・『あお時代じだい』・『禁色きんじき』などの一連いちれん仕事しごと戦後せんご作家さっかとしての確固かっこたる地位ちいきずいた三島みしまが、さてその戦後せんご世界せかい内部ないぶ自己じこ本来ほんらい主題しゅだいをいかについひろするかの原型げんけい獲得かくとくしたことを表白ひょうはくするいち箇の里程りていしるべだったのである。
戦後せんご平穏へいおん無事ぶじ日常にちじょう世界せかい平和へいわ物質ぶっしつてき繁栄はんえい堅固けんご支配しはい確立かくりつしたかにえる日本にっぽん市民しみん社会しゃかいに「」の強烈きょうれつレントゲン光線こうせん透過とうかしてせ、そこにちあらわれる異形いぎょうものたちをあやしくもしくも発光はっこうさせること――そうした三島みしま文学ぶんがくてき主題しゅだいがいまここに明瞭めいりょう輪郭りんかくをとるにいたるのである。 — 野口のぐち武彦たけひこ三島みしま由紀夫ゆきお世界せかい[11]

田坂たさかのぼるは、ヒロイン・朝子あさこ最後さいご場面ばめんで、海岸かいがん波打なみうちぎわってつめるなつそら印象いんしょうてき描写びょうしゃについて、それはたんなる風景ふうけい描写びょうしゃだけではなく、「作者さくしゃ本然ほんぜん心象しんしょう風景ふうけい」だとし、それは『仮面かめん告白こくはく』でられたなつうみおきくも想起そうきされる風景ふうけいであり、「三島みしま文学ぶんがくもっと根源こんげんてき方法ほうほう内容ないよう形態けいたい構造こうぞう」をかたっているようにみえると論考ろんこうしながら[12]、〈何事なにごとかをつてゐる〉朝子あさこ三島みしま自身じしんでもあるとし、朝子あさこがもう一度いちどあじわいたいと無意識むいしきのうちにっている〈つよひた一瞬いっしゅん感動かんどう〉は、戦争せんそう末期まっきにおぼえた作者さくしゃ三島みしまみずからの〈恐怖きょうふ甘美かんび〉のわすれることのできない記憶きおくかよいあうのではないかと考察こうさつしている[12]

そして、なつそらなかいちあらわれた〈こわろしい大理石だいりせき彫像ちょうぞう〉は、三島みしま戦時せんじにみたこわろしい〈魔神まじん姿すがた〉であり、朝子あさこ一家いっかをおそった〈真夏まなつ〉が日常にちじょう生活せいかつ支配しはいてき時代じだいのなかでうすれながらも記憶きおくなかまされるのは、三島みしまにとっての「敗戦はいせんこん酷烈こくれつ」をたたえたなつ記憶きおくよみがえりを象徴しょうちょうしていると解説かいせつ[12]ボードレールの『人工じんこう楽園らくえん』の一節いっせつなつ豪華ごうか真盛しんぜいあいだには、われらはよりふかうごかされる〉がエピグラフかかげられている『真夏まなつ』を支配しはいしているのは、〈こわろしい風姿ふうし〉の「魔神まじんから放射ほうしゃされる視線しせん」だとひょうしている[12]

真夏まなつ」とは、いかにも象徴しょうちょうてき題名だいめいである。なつと、しかも背景はいけいうみである。「はなざかりのもり以来いらいくりかえしあらわれてくる三島みしま文学ぶんがくげんイメージ。そして日本にっぽん敗戦はいせんなつであったことは、これまたなにかの暗号あんごうでもあるかのようだ。なつうみのイメージがあらわれてくるときは、この作者さくしゃ最深さいしん情念じょうねん魅惑みわくにゆすぶられているときである。そこにはしばしば敗戦はいせんとしなつのイメージがダブらされているにちがいない。たとえば、「なつといふ言葉ことばそのものが、糜爛びらん聯想れんそうともなえつてゐた。かがやかしい晩夏ばんかひかりには糜爛びらん火照ほてりがあつた。」というような表現ひょうげんには、作中さくちゅう朝子あさこ内面ないめんをこえて、戦争せんそう末期まっき苛烈かれつ空襲くうしゅう焦土しょうどした廃墟はいきょのうえに充満じゅうまんする「糜爛びらん」の終末しゅうまつのような光景こうけい記憶きおく投射とうしゃがみられるようにおもえるからだ。 — 田坂たさかのぼる三島みしま由紀夫ゆきおろん[12]

西本にしもとただしかつは、磯田いそだ光一こういち三島みしま文学ぶんがくにおける基本きほんてきテーマのひとつとして指摘してきした「現実げんじつの〈人生じんせい〉が不完全ふかんぜんかつ曖昧あいまいなもので、華麗かれいな〈〉においてこそ〈よし〉と〈完成かんせい〉が具現ぐげんする」という考察こうさつ[13]まえながら、戦争せんそうちゅう動乱どうらんなか召集しょうしゅうけ、「けたたたかいの情念じょうねん」や、医師いし誤診ごしんによる「即日そくじつ帰郷ききょうという運命うんめい」に出逢であった三島みしまが、「御国みくにためいのち純粋じゅんすいなあのとき心境しんきょう」をふたたつめようとしたのが、『真夏まなつ』の主題しゅだいではないかと論考ろんこう[14]、「日本にっぽん敗戦はいせん」という事実じじつったときのあの「挫折ざせつかん」は、青年せいねん三島みしまにとってあまりにもおおきすぎたのであると解説かいせつしている[14]

そして西本にしもとは、戦後せんご繁栄はんえい平和へいわ日常にちじょう生活せいかつ安定あんていして確立かくりつしだした1952ねん昭和しょうわ27ねん)の執筆しっぴつ当時とうじの「しょう市民しみん社会しゃかい」のなか敗戦はいせんなつの「入道雲にゅうどうぐも」のなか世界せかい旅行りょこうちゅうの「ギリシャゲ海げかい」のなかうみをバックにさかなでするような『真夏まなつ』の「ぎゃく構成こうせい知的ちてき場面ばめん」のなかに、三島みしまが「〈〉をダブルイメージして形象けいしょう」したと考察こうさつしながら[14]、それは、極限きょくげん状態じょうたいにおける「なま実在じつざいかん」であり、えがくことによって「なま現象げんしょうてき意味いみ」をさぐろうとしたものだとし、「によって、せい可能かのうならしめるという論理ろんりは、三島みしまそのものの気質きしつ体験たいけん見事みごと結晶けっしょう」であるとろんじ、『真夏まなつ』のだつ稿こうが1952ねん昭和しょうわ27ねん)の「8がつ15にち」であることも指摘してきしている[14]

ラジオ朗読ろうどく放送ほうそう

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おもな収録しゅうろく刊行かんこうほん

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単行本たんこうぼん

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  • 真夏まなつ』(つくもとしゃ、1953ねん2がつ15にちNCID BN13927797
    • 装幀そうていはやしたけしかみそう黄色おうしょくたい。210ぺーじ
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「真夏まなつ」「クロスワードパズル」「美神びしん」「つばさ」「ただほどたかいものはない」「卒塔婆そとうば小町こまち
  • 文庫ぶんこばん真夏まなつ へん』(角川かどかわ文庫ぶんこ、1955ねん8がつ20日はつか
    • 緑色みどりいろたい解説かいせつ奥野おくの健男たけお
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「怪物かいぶつ」「大臣だいじん」「親切しんせつ機械きかい」「獅子しし」「クロスワードパズル」
  • 文庫ぶんこばん真夏まなつ――自選じせんたん編集へんしゅう』(新潮しんちょう文庫ぶんこ、1970ねん7がつ15にち改版かいはん1996ねん7がつ15にち新版しんぱん2020ねん11月)
    • 自作じさく解説かいせつ三島みしま由紀夫ゆきお新版しんぱん解説かいせつ津村つむら久子ひさこ追加ついか、カバーデザインも変更へんこう
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「真夏まなつ」「煙草たばこ」「春子はるこ」「サーカス」「つばさ」「離宮りきゅうまつ」「クロスワードパズル」「花火はなび」「貴顕きけん」「葡萄ぶどうパン」「あめのなかの噴水ふんすい
  • 英訳えいやくばん真夏まなつ その』 “Death in Midsummer and other stories”(わけエドワード・G・サイデンステッカードナルド・キーンアイヴァン・モリス、ほか)(New Directions、1966ねん。Penguin Books Ltd、1986ねん

朗読ろうどくCD

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全集ぜんしゅう

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  • 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう6かん小説しょうせつVI)』(新潮社しんちょうしゃ、1973ねん9がつ25にち
    • 装幀そうてい杉山すぎやまやすしよんろくばん背革せがわつぎそうはこ
    • 月報げっぽうドナルド・キーン三島みしま由紀夫ゆきお海外かいがい批評ひひょう」。《評伝ひょうでん三島みしま由紀夫ゆきお 5》佐伯さえき彰一しょういちふたつの遺作いさく(その4)」。《どう時代じだいひょうから 5》虫明むしあけりょしゅとして『真夏まなつ』をめぐって」
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「女流じょりゅう立志伝りっしでん」「偉大いだい姉妹しまい」「箱根はこね細工ざいく」「椅子いす」「しま」「つばさ」「みぎ領収りょうしゅうつかまつこう」「手長てながひめ」「朝顔あさがお」「携帯けいたいよう」「離宮りきゅうまつ」「クロスワード・パズル」「学生がくせい歌舞伎かぶき気質きしつ」「近世きんせいしゅうと気質きしつ」「金魚きんぎょ奥様おくさま」「真夏まなつ」「二人ふたり老嬢ろうじょう」「美神びしん」「江口えぐちはつおんな覚書おぼえがき」「たび墓碑銘ぼひめい」「急停車きゅうていしゃ」「たまご」「不満ふまんおんなたち」「花火はなび」「ラディゲの
    • どういち内容ないよう豪華ごうか限定げんていばん装幀そうてい杉山すぎやまやすしそうかわそう天金てんきんみどりかわはこだんボール夫婦ふうふがいはこ。A5変型へんけいばん本文ほんぶん2色刷いろずり)が1,000あり。
  • 三島みしま由紀夫ゆきお短篇たんぺん全集ぜんしゅう』〈下巻げかん〉(新潮社しんちょうしゃ、1987ねん11月20にち
    • よんろくばんぬのそう。セット機械きかいはこ。2だんぐみ
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「家庭かてい裁判さいばん」から「らんりょうおう」までの73へん
  • 決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう18かん短編たんぺん4』(新潮社しんちょうしゃ、2002ねん5がつ
    • 装幀そうてい新潮社しんちょうしゃ装幀そうていしつ装画そうが柄澤からさわひとし四六判しろくばんはこぬのクロスそうまる箔押はくおし2しょく
    • 月報げっぽう酒井さかい順子じゅんこ究極きゅうきょく制服せいふくき」。和田わだ謙三けんぞう平岡ひらおかこうたけしさんとのわすがた出会であい」。[小説しょうせつつくかた18]田中たなか美代子みよここばんだあいこばまれたあい
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「果実かじつ」「鴛鴦えんおう」「修学旅行しゅうがくりょこう」「日曜日にちようび」「とおじょうかい」「孤閨こけい悶々もんもん」「日食にっしょく」「食道楽くいどうらく」「めすけん」「女流じょりゅう立志伝りっしでん」「家庭かてい裁判さいばん」「偉大いだい姉妹しまい」「箱根はこね細工ざいく」「椅子いす」「しま」「つばさ」「みぎ領収りょうしゅうつかまつこう」「手長てながひめ」「朝顔あさがお」「携帯けいたいよう」「離宮りきゅうまつ」「クロスワード・パズル」「学生がくせい歌舞伎かぶき気質きしつ」「近世きんせいしゅうと気質きしつ」「金魚きんぎょ奥様おくさま」「真夏まなつ」「二人ふたり老嬢ろうじょう」「美神びしん」「江口えぐちはつおんな覚書おぼえがき」「ひな宿やど」「たび墓碑銘ぼひめい

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ Short story(短編たんぺん)ではなく中編ちゅうへん小説しょうせつ
  2. ^ 三島みしまは、〈帰朝きちょう匆々そうそう、お土産みやげ小説しょうせつといふべきものをくのはいかにもいやだつた〉として、〈外国がいこく素材そざい日本にっぽん小説しょうせつにはなりにくいばかりか、材料ざいりょう醗酵はっこうにも格別かくべつ時日じじつようする〉とかたっている[2]
  3. ^ この年度ねんどだい1作品さくひんヴィトルド・ゴンブローヴィッチの『コスモス』だった。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f 解説かいせつ」(真夏まなつ文庫ぶんこ 1996, pp. 289–294)。36かん 2003, pp. 202–207に所収しょしゅう
  2. ^ a b c 「あとがき――『真夏まなつ』」(『三島みしま由紀夫ゆきお作品さくひんしゅう4』新潮社しんちょうしゃ、1953ねん11月)。28かん 2003, pp. 110–112に所収しょしゅう
  3. ^ わたし遍歴へんれき時代じだい」(東京とうきょう新聞しんぶん夕刊ゆうかん 1963ねん1がつ10日とおか-5月23にちごう)。『わたし遍歴へんれき時代じだい』(講談社こうだんしゃ、1964ねん4がつ)、遍歴へんれき 1995, pp. 90–151、32かん 2003, pp. 271–323に所収しょしゅう
  4. ^ a b 年譜ねんぷ」(昭和しょうわ42ねん5がつ1にち)(42かん 2005, pp. 289–290)
  5. ^ 井上いのうえ隆史たかし作品さくひん目録もくろく――昭和しょうわ27ねん」(42かん 2005, pp. 398–401)
  6. ^ a b c 菅原すがわら洋一よういち真夏まなつ」(事典じてん 2000, pp. 356–358)
  7. ^ a b 山中やまなか剛史たけし著書ちょしょ目録もくろく――目次もくじ」(42かん 2005, pp. 540–561)
  8. ^ 久保田くぼた裕子ゆうこ三島みしま由紀夫ゆきお翻訳ほんやく書目しょもく」(事典じてん 2000, pp. 695–729)
  9. ^ 平野ひらのけん大岡おおおか昇平しょうへい高橋たかはし義孝よしたか創作そうさく合評がっぴょう」(群像ぐんぞう 1952ねん11がつごう)。きゅう事典じてん 1976, pp. 397–398、事典じてん 2000, pp. 356–358
  10. ^ しょう坂部さかべ元秀もとひで真夏まなつ」(きゅう事典じてん 1976, pp. 397–398)
  11. ^ a b c d だいろくしょう だいまくへの前奏ぜんそうきょく――『真夏まなつ』と『しずめるたき』――」(野口のぐち 1968, pp. 147–164)
  12. ^ a b c d e 「III 人生じんせい重力じゅうりょくのなかで――2『潮騒しおさい』と『真夏まなつ』――なま交錯こうさく――」(田坂たさか 1977, pp. 161–182)
  13. ^ 磯田いそだ光一こういち殉教じゅんきょう美学びがく」(文學ぶんがくかい 1964ねん2-4がつごう)。磯田いそだ 1979
  14. ^ a b c d 西本にしもと 1976

参考さんこう文献ぶんけん

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