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他人たにんかお

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
他人たにんかお
わけだい The Face of Another
作者さくしゃ 安部あべ公房こうぼう
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 長編ちょうへん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし掲載けいさいろし
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ群像ぐんぞう1964ねん1がつごう
刊本かんぽん情報じょうほう
出版しゅっぱんもと 講談社こうだんしゃ
出版しゅっぱん年月日ねんがっぴ 1964ねん9がつ25にち
装幀そうてい 松本まつもといたる
そうページすう 387
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
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他人たにんかお』(たにんのかお)は、安部あべ公房こうぼう長編ちょうへん小説しょうせつ。『すなおんな』のつぎ長編ちょうへんで、「失踪しっそうさんさく」の2さくとなる[1][注釈ちゅうしゃく 1]化学かがく研究所けんきゅうじょ事故じこによって顔面がんめんみにく火傷かしょうい「かお」をうしなったおとこが、精巧せいこうな「仮面かめん」を作成さくせいし、自己じこ回復かいふくのためつま誘惑ゆうわくしようとする物語ものがたりあらたな「他人たにんかお」をつけることにより、自我じが社会しゃかいかお社会しゃかい他人たにんとの関係かんけいせい考察こうさつされている[3]

1964ねん昭和しょうわ39ねん)、雑誌ざっし群像ぐんぞう』1がつごう掲載けいさいされ、同年どうねん9がつ25にち講談社こうだんしゃより単行本たんこうぼん刊行かんこうされた。1966ねん昭和しょうわ41ねん)7がつ15にちには安部あべ自身じしん脚本きゃくほんで、勅使河原てしがわらひろし監督かんとくにより映画えいがされた。

なお、単行本たんこうぼん初出しょしゅつばん大幅おおはば加筆かひつ改稿かいこうし、やく2ばい分量ぶんりょう増加ぞうかしたかたちのものが刊行かんこうされた。おもにかお仮面かめんについての哲学てつがくてき考察こうさつ終局しゅうきょく加筆かひつされた[4][5]

主題しゅだい

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安部あべ公房こうぼうは『他人たにんかお』の主題しゅだいについて、「ぼくはやっと、他人たにん恐怖きょうふをかいまたばかりのところだ」とし、「ぼくが〈他人たにん〉との格闘かくとうをつづけ、あたらしい他人たにんとの通路つうろ発見はっけん」してゆく探検たんけんを、「ぼくの存在そんざい自体じたいにかかわるテーマであるらしい」とべている[6]。また「失踪しっそうさんさく」の2さくたる『他人たにんかお』は、「失踪しっそう前駆症状ぜんくしょうじょうにある現代げんだい」をいたとしている[1]

あらすじ

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「ぼく」は、高分子こうぶんし化学かがく研究所けんきゅうじょ液体えきたい空気くうき爆発ばくはつ事故じこで、かお重度じゅうどケロイド瘢痕はんこんってしまった。自分じぶんかお喪失そうしつしてしまったために、所長しょちょう代理だいりかおうしない、おまえ(つま)や職場しょくば人間にんげんとの関係かんけいがぎこちないものにわり、周囲しゅうい異常いじょうにするようになってしまった。「ぼく」は、精巧せいこうなプラスチックせい人工じんこう皮膚ひふ仮面かめんつくり、だれでもない「他人たにん」になりすまし、最大さいだい目的もくてきであったおまえの誘惑ゆうわくにも簡単かんたん成功せいこうする。しかし、自分じぶんというおっとがありながら「他人たにん」と密通みっつうするおまえへの不信ふしんかんつのり、「仮面かめん」に嫉妬しっとしながらも関係かんけいをやめられない自分じぶん苦悶くもんしていく。

「ぼく」は、「仮面かめん」を抹殺まっさつするために、おまえにすべての経緯けいい手記しゅきませるが、おまえは交際こうさいしていた「他人たにん」がじつは「ぼく」であったことに気付きづいていた。おまえは、自分じぶんへのいたわりのために「ぼく」が「他人たにん」をえんじているのだと理解りかいしていたが、「ぼく」がおまえにはじをかかせるために暴露ばくろ手記しゅきませたことをり、「ぼく」への非難ひなん愚弄ぐろう指摘してきした手紙てがみのこしていえていった。その絶縁ぜつえんじょうんだ「ぼく」は、ふたたび「仮面かめん」をこうむり、空気くうき拳銃けんじゅうにして、おまえをさがしてまちた。おまえの実家じっか友人ゆうじんらのいえめぐった「ぼく」は、いかりに「野獣やじゅうのような仮面かめん」になり、じゅう安全あんぜん装置そうちはずして路地ろじひそめ、ちかづくおまえらしきおんな靴音くつおとかまえた。

作品さくひん評価ひょうか解釈かいしゃく

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平野ひらのさかえひさは、〈仮面かめん〉の作成さくせい過程かていや、〈ぼく〉の〈仮面かめん〉との分裂ぶんれつ対立たいりつえが安部あべふでは、「自由じゆうかつ精緻せいち」で、安部あべ力作りきさくであることが充分じゅうぶんうかがえるとし、「〈純粋じゅんすい自由じゆう消費しょうひが、じつは性欲せいよくだった〉ということについての綿密めんみつ考察こうさつや、仮面かめん大量たいりょう生産せいさんされたらという仮定かていから出発しゅっぱつし、その社会しゃかいてき意味いみいつめることにより、〈国家こっか自身じしんひとつの巨大きょだい仮面かめん〉ではなかろうか、という結論けつろんされるまでの着想ちゃくそう論理ろんりなどすぐれた部分ぶぶんすくなくない」とひょうしている[7]。しかしその一方いっぽう作品さくひん全体ぜんたいとしては物足ものたりなかったとし、「『デンドロカカリヤ』や『かべ以来いらい――こと戯曲ぎきょくなかで――安部あべ文体ぶんたいつねぞうされていた、しぶといフモール(の精神せいしん)といったものや、『だいよんあいだごおり』がもっていた無意味むいみさや、また『すなおんな』があたえてくれたアクチュアリティかんじなかったものである」ともべている[7]

三島みしま由紀夫ゆきおは、近来きんらいほとんどられなくなった、横光よこみつ利一としかず傑作けっさく機械きかい』のような「思考しこう実験じっけん小説しょうせつ」の位置いち安部あべ文学ぶんがく全般ぜんぱん期待きたいしつつ、『他人たにんかお』は作品さくひんとして『すなおんな』よりも重要じゅうようであるとし、主題しゅだいたいする安部あべ意図いとについて、以下いかのように解説かいせつしている[3]

かおはふつう所与しょよのものであつて、遺伝いでんやさまざまの要因よういんによつて決定けっていされてをり、整形せいけい手術しゅじゅつでさへ、かお決定けっていろんてき因子いんし破壊はかいしつくすことはできない。しかもかお自分じぶんぞくするといふよりもなか以上いじょう他人たにんぞくしてをり、他人たにん判断はんだんによつて、おのず区別くべつする大切たいせつ表徴ひょうちょうなのである。つまりわれわれは社会しゃかいとのつながりを、自我じが社会しゃかいといふ図式ずしきでとらへがちであるが、作者さくしゃはこの観念かんねん不確ふたしかさを実証じっしょうするために、まづがお社会しゃかいといふはん措定そていき、しかもそのかおうしなはせて、自我じがそこなしぬまとすことからはじめるのだ。
この自我じが絶対ぜったい孤独こどく仮面かめんつくすにいたる綿密めんみつきはまる努力どりょくは、あたかも作者さくしゃ芸術げいじゅつてき意慾いよくとおもしろく符合ふごうしてゐて、読者どくしゃ作者さくしゃともにこんななん事業じぎょうむことを余儀よぎなくされる。仮面かめんつくるにとうつて、古典こてんてき客観きゃっかんてき基準きじゅんといふものは存在そんざいしないし、たとへ存在そんざいしてもなんやくにもたない。だいいち純粋じゅんすい自我じががそのやうにして「」の表徴ひょうちょうすことができるかどうか、論理ろんりてき難点なんてん先行せんこうするわけである。 — 三島みしま由紀夫ゆきお現代げんだい小説しょうせつさん方向ほうこう[3]

そして、「仮面かめん作製さくせい作業さぎょうは、その問題もんだいせいめれば、「やがて、宇宙うちゅう秩序ちつじょにひびをれ、自然しぜん歯車はぐるまきょうはせるやうな、とてつもない作業さぎょう」で、それは「もつとも徹底的てっていてきな、認識にんしきによる革命かくめい」であり、「この世界せかいにもしいち完璧かんぺき仮面かめんげんはれたが最後さいご社会しゃかい秩序ちつじょ崩壊ほうかいはついまえにある。もちろんこれが、芸術げいじゅつ行為こういしん社会しゃかいてき現実げんじつせいびることをきんじられてゐる根本こんぽん原因げんいんなのである」と三島みしま説明せつめいしつつ、作中さくちゅう主人公しゅじんこうが、仮面かめん作製さくせい完成かんせい途上とじょうで、「芸術げいじゅつてき昂奮こうふん」「戦慄せんりつてき陶酔とうすい」をかた部分ぶぶんうつくしいとひょうしている[3]

また三島みしまは、『他人たにんかお』とどう時期じき発表はっぴょうされた大江おおえ健三郎けんざぶろうの『個人こじんてき体験たいけん』と比較ひかくしつつ、技術ぎじゅつてきめんでは『個人こじんてき体験たいけん』のほうすぐれ、大江おおえ苦闘くとうてき文体ぶんたい、「言語げんごエロス」でみちびかれる文体ぶんたい、「誘惑ゆうわくてき汎神論はんしんろんてきな」な文体ぶんたいほうが、安部あべ簡素かんそ文体ぶんたい、「拒絶きょぜつてき一神教いっしんきょうてきな」文体ぶんたいよりも三島みしまこのみであるとべつつも、大江おおえの『個人こじんてき体験たいけん』のほうは、ふく人物じんぶつぞうや、くら主題しゅだいたいして安易あんいあかるい偽善ぎぜんてきなラストをつけてしまったことにがっかりしたとひょう[3][8]芸術げいじゅつてきめんでは安部あべの『他人たにんかお』のほうすぐれていると総評そうひょうしている[3][8]

映画えいが

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他人たにんかお
The Face of Another
監督かんとく 勅使河原てしがわらひろし
脚本きゃくほん 安部あべ公房こうぼう
原作げんさく 安部あべ公房こうぼう
製作せいさく 堀場ほりばしん市川いちかわ喜一きいち大野おおのただし
出演しゅつえんしゃ 仲代なかだい達矢たつやきょうマチ子まちこ
音楽おんがく 武満たけみつとおる
撮影さつえい 瀬川せかわひろし
編集へんしゅう 杉原すぎはら
製作せいさく会社かいしゃ 東京とうきょう映画えいが勅使河原てしがわらプロダクション
配給はいきゅう 東宝とうほう
公開こうかい 日本の旗 1966ねん7がつ15にち
上映じょうえい時間じかん 122ふん(モノクロ)
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
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他人たにんかお』(東京とうきょう映画えいが勅使河原てしがわらプロダクション、東宝とうほう

1966ねん昭和しょうわ41ねん7がつ15にち公開こうかい。モノクロ・スタンダード、122ふん。1966年度ねんどキネマ旬報きねまじゅんぽうベストテンのだい5となった[9][10]。1966年度ねんど映画えいが記者きしゃかいしょうベスト3、NHK映画えいがしょうベスト7優秀ゆうしゅう映画えいが鑑賞かんしょうかいベスト2選出せんしゅつ

安部あべ公房こうぼう脚本きゃくほんは、1966ねん昭和しょうわ41ねん)、雑誌ざっしキネマ旬報きねまじゅんぽう』3がつ上旬じょうじゅんごう掲載けいさいされ、1986ねん昭和しょうわ61ねん)10がつそうりんしゃより刊行かんこうされた『安部あべ公房こうぼう映画えいがシナリオせん』に所収しょしゅうに、映画えいが公開こうかい記念きねんしてつくられたとおもわれる非売品ひばいひんの、『“東宝とうほうシナリオ選集せんしゅう”「他人たにんかお」』もある。映画えいが脚本きゃくほん小説しょうせつとはことなるラストとなっている。

なお、新橋しんばしビヤホール「ミュンヘン」でのシーンに、安部あべ本人ほんにん作曲さっきょく武満たけみつとおるら、ゆかりの文化ぶんかじん出演しゅつえんしているのが画面がめんから確認かくにんできる[11]

音楽おんがく担当たんとうした武満たけみつとおるは、げきちゅうの『ワルツ』を弦楽げんがく合奏がっそうのための『3つの映画えいが音楽おんがくだい3きょくとして編曲へんきょくしている。

キャスト

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スタッフ

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ソフト

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  • 1990ねん平成へいせい2ねん)11月1にちCBS/SONYグループよりビデオテープ発売はつばい分類ぶんるい番号ばんごう:CSVF1302
  • 2002ねん平成へいせい14ねん)4がつアスミック・エースエンタテインメントより発売はつばいされたDVD『勅使河原てしがわらひろし世界せかい DVDコレクション』に所収しょしゅう分類ぶんるい番号ばんごう:AEBD10102

おもな刊行かんこうほん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 安部あべ公房こうぼうは、『すなおんな』『他人たにんかお』『えつきた地図ちず』を「失踪しっそうさんさく」としている[2][1]

出典しゅってん

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  1. ^ a b c 安部あべ公房こうぼう(ききて秋山あきやま駿しゅん)「わたし文学ぶんがくかたる」(三田みた文学ぶんがく 1968ねん3がつごう掲載けいさい
  2. ^ 安部あべ公房こうぼう「〈著者ちょしゃとの対話たいわ通信つうしんしゃ配信はいしん談話だんわ記事きじ」(名古屋なごやタイムズ 1967ねん10がつ2にちごう掲載けいさい
  3. ^ a b c d e f 三島みしま由紀夫ゆきお現代げんだい小説しょうせつさん方向ほうこう」(展望てんぼう 1965ねん1がつごう掲載けいさい
  4. ^ 作品さくひんノート17」(『安部あべ公房こうぼう全集ぜんしゅう 17 1962.11-1964.01』)(新潮社しんちょうしゃ、1999ねん
  5. ^ 作品さくひんノート18」(『安部あべ公房こうぼう全集ぜんしゅう 18 1964.01-1964.09』)(新潮社しんちょうしゃ、1999ねん
  6. ^ 安部あべ公房こうぼうしゴムでく――わたし文学ぶんがく」(1966ねん2がつ
  7. ^ a b 平野ひらのさかえひさ仮面かめんつみ――安部あべ公房こうぼう他人たにんかお』における作家さっか主体しゅたい作品さくひん世界せかい」(しん日本にっぽん文学ぶんがく 1966ねん8がつごう掲載けいさい
  8. ^ a b 三島みしま由紀夫ゆきお「すばらしい技倆ぎりょう、しかし……―大江おおえ健三郎けんざぶろう書下かきおろし「個人こじんてき体験たいけん」」(週刊しゅうかん読書どくしょじん 1964ねん9がつ14にちごう掲載けいさい
  9. ^ 昭和しょうわ41ねん」(80かい 2007, pp. 156–161)
  10. ^ 「1966ねん」(85かい 2012, pp. 230–238)
  11. ^ 作品さくひんノート20」(『安部あべ公房こうぼう全集ぜんしゅう 20 1966.01-1967.04』)(新潮社しんちょうしゃ、1999ねん
  12. ^ 安部あべ, 公房こうぼう、Benl, Oscar『Das Gesicht des Anderen : Roman』(Neuausg)Eichborn Verlag、1992ねんhttps://ci.nii.ac.jp/ncid/BA2156151X 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 文庫ぶんこばん他人たにんかお』(付録ふろく解説かいせつ 大江おおえ健三郎けんざぶろう)(新潮しんちょう文庫ぶんこ、1968ねん改版かいはん1989ねん、2013ねん
  • 安部あべ公房こうぼう全集ぜんしゅう 17 1962.11-1964.01』(新潮社しんちょうしゃ、1999ねん
  • 安部あべ公房こうぼう全集ぜんしゅう 18 1964.01-1964.09』(新潮社しんちょうしゃ、1999ねん
  • 安部あべ公房こうぼう全集ぜんしゅう 20 1966.01-1967.04』(新潮社しんちょうしゃ、1999ねん
  • 新潮しんちょう日本にっぽん文学ぶんがくアルバム51 安部あべ公房こうぼう』(新潮社しんちょうしゃ、1994ねん
  • 決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅうだい33かん評論ひょうろん8』(新潮社しんちょうしゃ、2003ねん
  • キネマ旬報きねまじゅんぽうベスト・テン80かいぜん 1924-2006』キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃキネマ旬報きねまじゅんぽうムック〉、2007ねん7がつISBN 978-4873766560 
  • キネマ旬報きねまじゅんぽうベスト・テン85かいぜん 1924-2011』キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃキネマ旬報きねまじゅんぽうムック〉、2012ねん5がつISBN 978-4873767550 
  • 日高ひだかやすしいちポスター提供ていきょう『なつかしの日本にっぽん映画えいがポスターコレクション――昭和しょうわ黄金おうごん日本にっぽん映画えいがのすべて』近代映画社きんだいえいがしゃ〈デラックス近代きんだい映画えいが〉、1989ねん5がつISBN 978-4764870550