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嫉妬しっと

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嫉妬しっと(しっと)とは、自分じぶんよりもすぐれているとかんじるひとたいしてねたみやそねみといった感情かんじょういだ悪徳あくとくである[1]

概説がいせつ

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たとえば恋愛れんあい関係かんけいにおくと、3にんひとがいて、たとえば自分じぶん自身じしんが「A」だとする場合ばあい自分じぶんあいするひとかりにCさん)が、べつひとかりにBさん)にしんせること(愛情あいじょうかうこと)をこわ、そのひとBをねたみにく感情かんじょうである[1]

嫉妬しっと(jealousy)と羨望せんぼう(envy)という2つの言葉ことばは、一般いっぱんてきにはおなじような意味いみ言葉ことばのようにあつかわれているが、その元来がんらい意味いみことなっている。嫉妬しっとは、自分じぶん以外いがいだれかがのぞましいよいものをわがものとしていて、それをたのしんでいることにたいするいかりの感情かんじょうであり、しゃ関係かんけいもとづいている[2]

とはえ、嫉妬しっとは、信頼しんらいうしなうことを予期よきすることからくる懸念けねんこわれ、不安ふあんというネガティブな思考しこういかり、うら自分じぶんとはわないという感覚かんかく、どうにもできないという無力むりょくかん嫌悪けんおかんなどといった感情かんじょうこし、結果けっかとしてしばしば、さまざまな感情かんじょうからった複雑ふくざつふくあいてき感情かんじょうとなる。

現在げんざいでは嫉妬しっとという言葉ことばは、従来じゅうらいにおいて羨望せんぼうという言葉ことばにのみもちいられていた意味いみをもびるようになっている。嫉妬しっとは、典型てんけいてきには人間にんげん関係かんけいにおける経験けいけんである。嫉妬しっと生後せいご5かげつ乳児にゅうじにも観察かんさつされている[3][4][5][6]嫉妬しっとはあらゆる文化ぶんかにみられると主張しゅちょうするものがいる一方いっぽう[7][8][9]嫉妬しっと文化ぶんか依存いぞんてき現象げんしょうだと主張しゅちょうするものもいる[10]

羨望せんぼうとの比較ひかく

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嫉妬しっと(jealousy)と羨望せんぼう(envy)は一般いっぱんてきにはおなじような意味いみ言葉ことばとしてもちいられているが、心理しんり学的がくてきにはことなる2つの感情かんじょうである[ちゅう 1]

羨望せんぼうしゅとして現実げんじつ想像そうぞうじょうにかかわらず、自分じぶん以外いがいだれかとの情欲じょうよく関係かんけいにおいてみられる。嫉妬しっともっと原始げんしてき悪性あくせい攻撃こうげきよくどうであり、対象たいしょう破壊はかいしてしまうが、羨望せんぼうあいする対象たいしょうへの愛情あいじょう存在そんざいしていて、嫉妬しっとよう対象たいしょう破壊はかいされてしまうことはない[ちゅう 2]羨望せんぼうえたところに発達はったつする、相対そうたいする情緒じょうちょとして慈悲じひげられる。

嫉妬しっとたいする考察こうさつ

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* 嫉妬しっとつよ人物じんぶつは、したえるひとえつる、うええるひと反感はんかんいだ傾向けいこうがある。

*人間にんげん以外いがい動物どうぶつにも「嫉妬しっと」の感情かんじょう存在そんざいする。複数ふくすうのペットをっていて、特定とくてい個体こたいだけを可愛かわいがったりするとその個体こたいいやがらせをしたり、部屋へやをわざとらかしたりすることもある。

  • 嫉妬しっとの「嫉」も「妬」もともに「ねたみ」をあらわしている(『新大しんおお辞典じてん講談社こうだんしゃ)。また『広辞苑こうじえん』(岩波書店いわなみしょてん)の「嫉妬しっと」のこうには、(1)「自分じぶんよりすぐれたものをねたみそねむこと」、および(2)「自分じぶんあいするもの愛情あいじょうにむくのをうらみにくむこと」とある。つまり嫉妬しっとと「ねたみ」とはあまり区別くべつされずに使つかわれてきた。両者りょうしゃ区別くべつしたとしても、現象げんしょうによっては、どちらともえない場合ばあいもあり、また両者りょうしゃ混在こんざいしている場合ばあいもしばしばある。ときには、そのちがいをあまり強調きょうちょうしないほうが場合ばあいもあろう。
  • たとえば、「嫉妬しっととは日常にちじょうてき意味いみでは、他人たにん自分じぶんより物心ぶっしん両面りょうめんにわたってすぐれていることにたいする『ねたみ』であり、また自分じぶんあいしているものが、他人たにん愛情あいじょうけるのを『うらみにくむ』といった、はげしい感情かんじょうである」[12]という研究けんきゅうしゃもいる。

* その一方いっぽうおおくの研究けんきゅうしゃたちは各々おのおののいいまわしで、両者りょうしゃちがいを明確めいかくにしようとしてきた。かれらは、日本語にほんご嫉妬しっととねたみを区別くべつするように、ドイツフランス語ふらんすご英語えいごでもEifersucht, jalousie, jealousyとNeid, envie, envyを区別くべつしてきたのである。

  • 嫉妬しっと」という用語ようごにも混乱こんらんがみられる。羨望せんぼう意味いみ使つかわれるときもあり、ほんとうの嫉妬しっとすこともある、患者かんじゃが<自分じぶんだれそれの地位ちい等々とうとうをたいへん嫉妬しっとしているとせん万言まんげんついやしてしゃべりまくることがあれば、当人とうにんじつ羨望せんぼうしているのに、づいていないだけのことだ[13]
  • ひと自分じぶん所有しょゆうしているものに嫉妬しっとし、他人たにん所有しょゆうしているものを羨望せんぼうする」〈ダランベール〉[14]羨望せんぼうとは「他人たにん勢力せいりょくにあるものを所有しょゆうしたいという欲望よくぼう」であり、嫉妬しっと jalousie とは「自分じぶん自身じしん所有しょゆうぶつをもちつづけようとするときの邪推じゃすいふかづかい」である[15]
  • テレンバッハ・Hは嫉妬しっとはたらいている場合ばあいは「わたしわたしのものであるとおもっているなにかの喪失そうしつおそれがある」のにたいして、ねたみは「つねいちてき他人たにんのものであるなにかにいている」[16]のである。
  • フリートマン・M も、ねたみNeidは「我々われわれ自身じしんたいとつよねがっているある価値かちを、ある他人たにんがもっているか獲得かくとくしたことについてのいかりのじったくやしがり」[17]である、としている。フリートマン・M [17]愛情あいじょう嫉妬しっと性愛せいあい嫉妬しっと)のほかに、志向しこうせい嫉妬しっとにも言及げんきゅうしている。地位ちい名誉めいよ財産ざいさんなどの価値かちあるものをめぐっての嫉妬しっとである。たとえば、名誉めいよある地位ちいについていた師匠ししょう評価ひょうかされて、その後継こうけいしゃであると自他じたともにみとめていたところに、ある分野ぶんやでは自分じぶんよりすぐれためんをもっているライバルあらわれたとする。そのライバルが総合そうごうてきにも目覚めざましい成長せいちょうげ、ついには師匠ししょう評価ひょうかて、自分じぶんから後継こうけいしゃ地位ちいうばってしまうのではないかとおそれる場合ばあいなどにしょうじる感情かんじょうである。
  • 文学ぶんがくしゃラ・ロシュフコーは、他人たにん美点びてんめそやすことのうらにも、嫉妬しっとがあるとる。そのひとえらさにたいする敬意けいいよりも、自分じぶん自身じしん見識けんしきたいする得意とくいがあり、じつ自分じぶん賛美さんびびたいとおもしんがあるという[18]。これは、嫉妬しっとつねいかりや非難ひなんというかたち表現ひょうげんされるとはかぎらないということを示唆しさしている。

*心理しんりがく専攻せんこう西村にしむら博之ひろゆきによれば、ゆたかな嫉妬しっとしんでお金持かねもちを攻撃こうげきするよりも、相手あいてをおだてて調子ちょうしらせるほういのだそうである[19]

== 嫉妬しっとたいする発言はつげん ==

  • 精神せいしん土居どい健郎たけお英語えいご学者がくしゃ渡部わたなべ昇一しょういち共著きょうちょしょ「いじめとねたみ」のなかで、2人ふたりともキリスト教きりすときょう言及げんきゅうし、土居どいは「キリストきょうてきえば、ねたみはまれながらにあるもので、だれにでも、どこでもこりうるしん状態じょうたいなのです。」[20]べ、渡部わたなべは「わたしは、キリストきょうで、"あい"の反対はんたいは"ねたみ"だとならいました。」[21]べている。土居どいは「しんけられるひとつことがとても大切たいせつだとおもいます。」とべている[22]
  • げき作家さっか山崎やまざき正和まさかず筑紫哲也ちくしてつやとの対談たいだんしゅう若者わかものたちの大神おおがみ』のなかで「大衆たいしゅう社会しゃかい一番いちばんこわいのは、平等びょうどうからくるねたみだとおもう。ねたみというのはね、上下じょうげちいさくなったときにきるものです。それに、ねたみはいわゆるおおやけいきどおりと非常ひじょうにくっきりとしたちがいをもっていますね。これは、たとえ自分じぶんのほうにがあるとっていてもこる感情かんじょうなんです。しかも、これは、ほうっておくと無限むげん自己じこ増殖ぞうしょくするんですね。大衆たいしゅう社会しゃかい退廃たいはいしていく最初さいしょのきっかけはねたみなんです。この感情かんじょうだけは、どうしたらいいのかわたしにはかりません」とのこしている。

* パリス・ヒルトンは「嫉妬しっとするということは、相手あいてより自分じぶんしたであるとみとめてしまうこと」[23]嫉妬しっとというのは最高さいこう感情かんじょう悪魔あくまやさしいしんひとにカルマをあたえるの。わたしいち嫉妬しっとしたことがないわ」と発言はつげんしている[24]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ななつの大罪だいざいにおいて、そのもと言葉ことばはいくつかの日本語にほんご翻訳ほんやくすることができるが、そのいちれいとして envy がげられる。envy は「羨望せんぼう嫉妬しっとうらやみ、ねたみ」とう翻訳ほんやくすることができる。それらは心理しんりがく領域りょういきで、嫉妬しっと(jealousy)と羨望せんぼう(envy)というなる感情かんじょうとして議論ぎろんされることがあるが、ななつの大罪だいざいにおける元々もともと言葉ことばは envy ひとつであり、そうした議論ぎろんとは無縁むえんであるてん注意ちゅうい必要ひつようである。そもそも日常にちじょう生活せいかつもちいる「嫉妬しっと」という日本語にほんごには2つの意味いみがあり、「自分じぶんあいするひと愛情あいじょう他人たにんにむけられるとき」にしょうじる愛情あいじょう関連かんれん嫉妬しっとと、「自分じぶんがほしいのにられなかったものっているひとをみたとき」にしょうじる優劣ゆうれつ関連かんれん嫉妬しっとがある[11]英語えいごの jealousy(嫉妬しっと)とenvy(羨望せんぼう)は欧米おうべい心理しんりがくてき議論ぎろん沿ってやくけられたが、実際じっさい日本語にほんご日常にちじょう生活せいかつにおいては、「愛情あいじょう関連かんれん嫉妬しっと」と「優劣ゆうれつ関連かんれん嫉妬しっと」として、嫉妬しっと一語いちごで jealousy と envy の両方りょうほう意味いみになうことができる。
  2. ^ 嫉妬しっとなか羨望せんぼうはいりこむことはある。

出典しゅってん

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  1. ^ a b 岩崎いわさき徹也てつや (2002) p. 194
  2. ^ 松木まつき邦裕くにひろ (2002) p. 305
  3. ^ Draghi-Lorenz, R. (2000). Five-month-old infants can be jealous: Against cognitivist solipsism. Paper presented in a symposium convened for the XIIth Biennial International Conference on Infant Studies (ICIS), 16–19 July, Brighton, UK.
  4. ^ Hart, S (2002). “Jealousy in 6-month-old infants”. Infancy 3: 395–402. doi:10.1207/s15327078in0303_6. 
  5. ^ Hart, S (2004). “When infants lose exclusive maternal attention: Is it jealousy?”. Infancy 6: 57–78. doi:10.1207/s15327078in0601_3. 
  6. ^ Shackelford, T.K.; Voracek, M.; Schmitt, D.P.; Buss, D.M.; Weekes-Shackelford, V.A.; Michalski, R.L. (2004). “Romantic jealousy in early adulthood and in later life”. Human Nature 15: 283–300. doi:10.1007/s12110-004-1010-z. 
  7. ^ Buss, D.M. (2000). The Dangerous Passion: Why Jealousy is as Necessary as Love and Sex. New York: Free Press.
  8. ^ Buss DM (December 2001), “Human nature and culture: an evolutionary psychological perspective”, J Pers 69 (6): 955–78, doi:10.1111/1467-6494.696171, PMID 11767825. 
  9. ^ White, G.L., & Mullen, P.E. (1989). Jealousy: Theory, Research, and Clinical Practice. New York, NY: Guilford Press.
  10. ^ Peter Salovey. The Psychology of Jealousy and Envy. 1991. ISBN 978-0-89862-555-4
  11. ^ 水島みずしま広子ひろこ (2014) pp. 18, 26, 68
  12. ^ 倉持くらもちひろしちょ女性じょせい幻覚げんかく妄想もうそう金剛こんごう出版しゅっぱん、1984ねん、74ぺーじ
  13. ^ H.S.サリバンちょ中井なかい久夫ひさお山口やまぐち直彦なおひこ松川まつかわしゅうさとるわけ)『精神せいしん医学いがく臨床りんしょう研究けんきゅう』みすず書房しょぼう、1983ねん、148ぺーじ
  14. ^ ドウーピエールちょ荻野おぎの恒一つねかず杉田すぎた栄一郎えいいちろうわけ)『嫉妬しっと心理しんり中央ちゅうおう出版しゅっぱんしゃ、1961ねん、43ぺーじ
  15. ^ ドウーピエールちょ荻野おぎの恒一つねかず杉田すぎた栄一郎えいいちろうわけ)『嫉妬しっと心理しんり中央ちゅうおう出版しゅっぱんしゃ、1961ねん、43,44ぺーじ
  16. ^ Tellenbach,H. (1967). Zur Phӓnomenologie der Eifersucht.Nervenarzt 38:333-336,1967
  17. ^ a b Friedmann,M. (1911). Über der Psychologie der Eifersuchtswahn. Wiesbaden,1911.
  18. ^ 『ラ・ロシュフコー箴言しんげんしゅう邦訳ほうやく二宮にのみやフサ,岩波いわなみ文庫ぶんこISBN 4003251016
  19. ^ ひろゆきがあきれる「お金持かねもちに嫉妬しっとするひと」の残念ざんねん特徴とくちょう”. ダイヤモンド・オンライン (2022ねん4がつ6にち). 2022ねん5がつ24にち閲覧えつらん
  20. ^ 「いじめとねた戦後せんご民主みんしゅ主義しゅぎとし」、土居どい健郎たけお/渡部わたなべ昇一しょういち 共著きょうちょ、PHP文庫ぶんこ、1997ねん、154ぺーじ
  21. ^ 「いじめとねた戦後せんご民主みんしゅ主義しゅぎとし」、土居どい健郎たけお/渡部わたなべ昇一しょういち 共著きょうちょ、PHP文庫ぶんこ、1997ねん、75ぺーじ
  22. ^ 「いじめとねた戦後せんご民主みんしゅ主義しゅぎとし」、土居どい健郎たけお/渡部わたなべ昇一しょういち 共著きょうちょ、PHP文庫ぶんこ、1997ねん、156ぺーじ
  23. ^ 著書ちょしょ「Confession of ann air reply」
  24. ^ bounce.com. “インタビューファイル パリス・ヒルトン”. 2008ねん12月18にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 小此木おこのぎ啓吾けいごへんだい)『精神せいしん分析ぶんせき事典じてん岩崎いわさき学術がくじゅつ出版しゅっぱんしゃ、2002ねんISBN 9784753302031 
  • メラニー・クライン(ちょ小此木おこのぎ啓吾けいご岩崎いわさき徹也てつやわけ)『羨望せんぼう感謝かんしゃまことしん書房しょぼう、1996ねん原著げんちょ1975ねん)。ISBN 9784414431056 
  • H・S・サリヴァン(ちょ中井なかい久夫ひさお山口やまぐち直彦なおひこ松川まつかわ周二しゅうじわけ)『精神せいしん医学いがく臨床りんしょう研究けんきゅう』みすず書房しょぼう、1983ねん原著げんちょ1973ねん)。ISBN 9784622021902 
  • H・スィーガル(ちょ岩崎いわさき徹也てつやわけ)『メラニー・クライン入門にゅうもん岩崎いわさき学術がくじゅつ出版しゅっぱんしゃ、1977ねん原著げんちょ1964ねん)。ISBN 9784753377060 
  • 松木まつき邦裕くにひろ対象たいしょう関係かんけいろんまなぶ—クライン精神せいしん分析ぶんせき入門にゅうもん岩崎いわさき学術がくじゅつ出版しゅっぱんしゃ、1996ねんISBN 9784753396054 
  • 水島みずしま広子ひろこ『「ドロドロした嫉妬しっと」がスーッとえるほん』ベストセラーズ、2014ねんISBN 9784584135433 

関連かんれん項目こうもく

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