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ノスタルジア (英 えい : nostalgia )またはノスタルジー (仏 ふつ : nostalgie )は、
異郷 いきょう から故郷 こきょう を懐 なつ かしむこと、またその懐 なつ かしさ。同義語 どうぎご に郷愁 きょうしゅう (きょうしゅう)・望郷 ぼうきょう (ぼうきょう)など。
過 す ぎ去 さ った時代 じだい を懐 なつ かしむこと、またその懐 なつ かしさ。同義語 どうぎご に懐古 かいこ (かいこ)・追憶 ついおく (ついおく)など。
また上記 じょうき の2つの意味 いみ から派生 はせい して、懐 なつ かしさに伴 ともな う儚 はかな さ、哀 かな しさ、或 ある いは寂 さび しさ、しみじみ想 おも いを馳 は せる心境 しんきょう のこと。→エモーショナル(若者 わかもの 言葉 ことば の「エモい 」と同義 どうぎ )、センチメンタル 、メランコリック な感情 かんじょう をもたらす。
と定義 ていぎ される。
対義語 たいぎご は、ノストフォビア (帰郷 ききょう 嫌悪 けんお )[1] 。
人 ひと が現在 げんざい いるところから、時間 じかん 的 てき に遡 さかのぼ って過去 かこ の特定 とくてい の時期 じき 、あるいは空間 くうかん 的 てき に離 はな れた場所 ばしょ を想像 そうぞう し、その特定 とくてい の時間 じかん や空間 くうかん を対象 たいしょう として、「懐 なつ かしい」という感情 かんじょう で価値 かち づけることをいう。
通常 つうじょう は、時間 じかん 的 てき に未来 みらい がその対象 たいしょう とされることはなく、また対象 たいしょう の負 まけ の部分 ぶぶん は除外 じょがい され、都合 つごう よくイメージ が再 さい 構成 こうせい される場合 ばあい が多 おお い。過去 かこ の事物 じぶつ を肯定 こうてい し、相対 そうたい 的 てき に現代 げんだい を否定 ひてい する「懐古 かいこ 主義 しゅぎ (nostalgism。近年 きんねん の日本 にっぽん では「思 おも い出 で 補正 ほせい 」とも呼 よ ばれる)」はこの感情 かんじょう に起因 きいん する。なお、過去 かこ の人々 ひとびと が思 おも い描 えが いた未来 みらい (または近 きん 未来 みらい )に対 たい して、ノスタルジアを思 おも い起 お こさせる場合 ばあい があり、それはレトロフューチャー として定義 ていぎ される。
本人 ほんにん がその時間 じかん や空間 くうかん を実体験 じつたいけん したかどうかは必 かなら ずしも問 と われず、第三者 だいさんしゃ からの情報 じょうほう にもとづいて想起 そうき し、さらに自己 じこ の創作 そうさく した想像 そうぞう を加 くわ え拡大 かくだい しこの感情 かんじょう を持 も つことも可能 かのう である。
また過去 かこ や異 い 空間 くうかん からもたらされた特定 とくてい のものや人物 じんぶつ に即 そく し、これを媒介 ばいかい としてこの感情 かんじょう を持 も つことも可能 かのう である。
「時間 じかん 的 てき または空間 くうかん 的 てき に、(ある時点 じてん に)戻 もど ったり、(ある状況 じょうきょう を)再 ふたた び経験 けいけん したり、(ある人物 じんぶつ に)再会 さいかい することができない」という感覚 かんかく はノスタルジアを想起 そうき あるいは増幅 ぞうふく させ、前述 ぜんじゅつ したような感傷 かんしょう 的 てき な気分 きぶん をもたらす。
この言葉 ことば は1688年 ねん にスイスの医学 いがく 生 せい 、ヨハネス・ホーファー (Johannes Hofer:1669-1752) によって新 あたら しくつくられた概念 がいねん である。2つのギリシャ語 ご (「nostos」:帰郷 ききょう 、および「algos」:心 しん の痛 いた み)を基 もと にして造 つく った合成 ごうせい 語 ご で、「故郷 こきょう へ戻 もど りたいと願 ねが うが、二度 にど と目 め にすることが叶 かな わないかも知 し れないという恐 おそ れを伴 ともな う病人 びょうにん の心 しん の痛 いた み」とされた。精神 せいしん 科 か 医 い となった彼 かれ は、「ノスタルジア」という心 しん の病気 びょうき について、その症例 しょうれい を多 おお く取 と り扱 あつか い、診断 しんだん した結果 けっか を発表 はっぴょう した。17世紀 せいき 末 まつ から19世紀 せいき 末 まつ にかけて、この病気 びょうき には「mal du pays(国 くに の痛 いた み:仏 ふつ )」、「Heimweh(家 いえ の痛 いた み:独 どく )」、「hiraeth(ウェールズ語 ご )」、「mal de corazón(心 しん の痛 いた み:スペイン語 ご )」など、様々 さまざま な言語 げんご で名称 めいしょう が付 つ けられて、医学 いがく 的 てき な研究 けんきゅう の対象 たいしょう とされた。
とくに18世紀 せいき から19世紀 せいき にかけて、前線 ぜんせん の兵士 へいし 達 いたる に蔓延 まんえん するノスタルジアの現象 げんしょう は重大 じゅうだい な精神病 せいしんびょう 理学 りがく の研究 けんきゅう 対象 たいしょう とされ、その原因 げんいん や病 やまい としての症状 しょうじょう が分析 ぶんせき された。故郷 こきょう への想 おも いに満 み ちたこの現象 げんしょう は、しばしば兵士 へいし 達 たち の間 あいだ に伝染 でんせん するが、隊 たい が優勢 ゆうせい な時 とき にはそうでもなく、戦況 せんきょう が不利 ふり な場合 ばあい に多 おお く現 あらわ れる。軍事 ぐんじ 的 てき な観点 かんてん からは、生死 せいし を前 まえ にして勇気 ゆうき を鼓舞 こぶ せねばならないときに、故郷 こきょう を想 おも い見 み る兵士 へいし 達 たち のノスタルジアは、後 うし ろ向 む きのネガティブなものとして戦意 せんい の喪失 そうしつ と見 み なされ、排除 はいじょ されねばならない感情 かんじょう とされた。
19世紀 せいき 末 まつ までには、精神 せいしん 医学 いがく のカテゴリとしての「ノスタルジア」への関心 かんしん はほとんど消 き え失 う せる。当初 とうしょ の「深刻 しんこく な医学 いがく 的 てき 疾患 しっかん 」の意味合 いみあ いはなくなり、一般 いっぱん の日常 にちじょう 会話 かいわ にも「ノスタルジア」という言葉 ことば が現 あらわ れるようになった。今 いま では、通常 つうじょう それほど昔 むかし ではない過去 かこ の失 うしな われた時間 じかん や場所 ばしょ を懐 なつ かしむ慣用 かんよう 句 く である。しかし、現代 げんだい においても「ノスタルジア」が「ホームシック」と同 おな じような意味 いみ で扱 あつか われたり、未来 みらい への展望 てんぼう が明 あか るく勢 いきお いの良 よ い時 とき には、過去 かこ や故郷 こきょう を振 ふ り返 かえ ることについて、しばしばこれを咎 とが めるような論調 ろんちょう が現 あらわ れることもある。
アメリカ の社会 しゃかい 学 がく 者 もの 、フレッド・デーヴィス は、ノスタルジアの体験 たいけん が生 しょう じる必要 ひつよう 条件 じょうけん は「良 よ い過去 かこ ・ 悪 わる い現在 げんざい 」という明 あき らかな対称 たいしょう が成 な り立 た つことであるとし、「現在 げんざい もしくは差 さ し迫 せま った状況 じょうきょう に対 たい するなんらかの否定 ひてい 的 てき な感情 かんじょう を背景 はいけい にして、生 い きられた過去 かこ を肯定 こうてい 的 てき な響 ひび きでもって呼 よ び起 お こす 」と定義 ていぎ した[2] [3] 。
さらに「ノスタルジアの体験 たいけん が持続 じぞく するための滋養 じよう 分 ぶん をどれほど過去 かこ の記憶 きおく から引 ひ き出 だ してこようと、われわれがノスタルジアを感 かん じるきっかけとなる要因 よういん は、やはり現在 げんざい のなかに存在 そんざい しているはずである 」と述 の べ、ノスタルジアは単 たん に過去 かこ を振 ふ り返 かえ る行為 こうい ではなく、あくまでも現在 げんざい の価値 かち 観 かん が基軸 きじく となっていることを指摘 してき した[3] [4] 。
またデーヴィスは、ノスタルジアが、 アイデンティティ の形成 けいせい 、維持 いじ 、再 さい 構成 こうせい と深 ふか く結 むす びついていることを強調 きょうちょう した[3] 。ノスタルジアは、青年 せいねん の依存 いぞん 期 き から成人 せいじん としての独立 どくりつ 期 き ヘ、独身 どくしん から結婚 けっこん ヘ、職業 しょくぎょう 生活 せいかつ から退職 たいしょく 後 ご の生活 せいかつ ヘ、といった人生 じんせい の転換 てんかん 点 てん 、すなわち非 ひ 連続 れんぞく に対 たい する不安 ふあん に苛 さいな まれるライフサイクルの移行 いこう 期 き に顕著 けんちょ に現 あらわ れるという[3] 。同様 どうよう に、戦争 せんそう や恐慌 きょうこう 、市民 しみん 生活 せいかつ の擾乱 じょうらん 、天変地異 てんぺんちい といった現象 げんしょう によって引 ひ き起 お こされた社会 しゃかい 的 てき な非 ひ 連続 れんぞく と混乱 こんらん によってもノスタルジアが立 た ち現 あらわ れ、これを「集合 しゅうごう 的 てき ノスタルジア」と呼 よ んだ[3] 。以上 いじょう のように、個人 こじん 的 てき 、社会 しゃかい 的 てき に何 なん らかのアイデンティティに関 かん する非 ひ 連続 れんぞく の危機 きき が訪 おとず れた時 とき 、ノスタルジアはその連続 れんぞく を確保 かくほ させるために機能 きのう する、と結論 けつろん づけた[3] (しかし、アイデンティティの視点 してん にとらわれすぎることにより、多様 たよう な現象 げんしょう をすべてアイデンティティに結 むす びつけて解釈 かいしゃく されてしまうという批判 ひはん もある[5] )。
ノスタルジアの精神 せいしん 的 てき な影響 えいきょう としては、ノスタルジアが「心理 しんり 的 てき なリソース」として心理 しんり 的 てき なwell-being や精神 せいしん 的 てき 健康 けんこう にもたらす効果 こうか があるという研究 けんきゅう 結果 けっか が各国 かっこく の学術 がくじゅつ 誌 し から発表 はっぴょう されている[6] [7] 。それによればノスタルジアは、自己 じこ 評価 ひょうか の向上 こうじょう や、心理 しんり 的 てき 脅威 きょうい への対抗 たいこう 手段 しゅだん として役立 やくだ ち、また人生 じんせい の意味 いみ を見 み つけたり、将来 しょうらい を楽観 らっかん 視 し できる場合 ばあい があるという。例 たと えば、アメリカの社会 しゃかい 心理 しんり 学 がく 者 もの 、J・ゲバウェルとC・セディキデスによれば、「人々 ひとびと が悲 かな しみや孤立 こりつ 感 かん から立 た ち直 なお るのに役立 やくだ つが、それだけでなく、 懐 なつ かしく素晴 すば らしい記憶 きおく は、先々 さきざき に生 しょう じるひどい気分 きぶん を予防 よぼう するワクチンになりうる 」と結論 けつろん づけた[3] [8] 。
比較 ひかく 文学 ぶんがく 者 もの スヴェトラーナ・ボイム (英語 えいご 版 ばん ) によれば、ノスタルジアには「復興 ふっこう 的 てき (復旧 ふっきゅう 的 てき )ノスタルジア」と「反射 はんしゃ 的 てき (反省 はんせい 的 てき )ノスタルジア」の2つのカテゴリーがあるといい、前者 ぜんしゃ は失 うしな った故郷 こきょう を歴史 れきし を超 こ えて再 さい 構築 こうちく しようとするが、後者 こうしゃ は痛 いた みや喪失 そうしつ 、憧 あこが れにとどまる[9] 。そして前者 ぜんしゃ の「復興 ふっこう 的 てき ノスタルジア」は時 とき に神話 しんわ まで創 つく り出 だ すという(例 れい としてナチズム や韓国 かんこく の民族 みんぞく 主義 しゅぎ など)。またボイムによれば、「ノスタルジアは、もはや存在 そんざい しない家 いえ か、存在 そんざい したことのない家 いえ へのあこがれである。ノスタルジアは、喪失 そうしつ と転位 てんい (displacement)の感情 かんじょう であるが、しかしまた自身 じしん のファンタジーへのロマンス である 」ともしている[10] 。
ノスタルジアとは、"甘美 かんび で取 と るに足 た らない陳腐 ちんぷ だが、同時 どうじ に無害 むがい な懐古 かいこ 趣味 しゅみ である"とし、そのうえで「良 よ い時代 じだい 」を懐 なつ かしむ無害 むがい なものだからこそ歓迎 かんげい しても良 よ いという考 かんが えと、一方 いっぽう で、そんな感傷 かんしょう にひたるのは後 うし ろ向 む きであるとする批判 ひはん に分 わ かれるのが一般 いっぱん 的 てき である[10] 。しかしながら、ノスタルジアとは、本来 ほんらい はもっと複雑 ふくざつ な歴史 れきし 的 てき 背景 はいけい と含意 がんい を備 そな えた言葉 ことば であり、単 たん なる「甘美 かんび 」で「無害 むがい 」な過去 かこ への憧 あこが れではなく、モダニティ の矛盾 むじゅん を暴 あば く公共 こうきょう 的 てき な「脅威 きょうい 」とされた歴史 れきし があったことを見逃 みのが してはならない[10] 。いわば、革命 かくめい や産業 さんぎょう 革命 かくめい における「進歩 しんぽ 」が最 さい 重要 じゅうよう な概念 がいねん であるモダニティの時代 じだい にとって、大切 たいせつ なのは未来 みらい の改革 かいかく であり、過去 かこ への内省 ないせい ではなかったため、ノスタルジアは決 けっ して都合 つごう が良 よ いものではなかったのである[10] 。
映画 えいが 監督 かんとく の押井 おしい 守 まもる は、「あの時代 じだい にノスタルジーを感 かん じさせるという行為 こうい 自体 じたい が虚構 きょこう の現代 げんだい 史 し であって、あの時代 じだい に対 たい する清算 せいさん をうやむやにするだけ。清算 せいさん も終 お わっていないのにノスタルジーにすり替 か えているんですよ。僕 ぼく の立場 たちば からすれば、ノスタルジアは虚構 きょこう の現代 げんだい 史 し をつくる方法 ほうほう 論 ろん に過 す ぎない。歴史 れきし を忘 わす れさせるための装置 そうち 「歴史 れきし の忘却 ぼうきゃく 装置 そうち 」なんですよ 」と述 の べ、過去 かこ の歴史 れきし 的 てき 事実 じじつ がノスタルジアによって隠蔽 いんぺい されかねない危険 きけん 性 せい を指摘 してき した[3] [11] 。
著述 ちょじゅつ 家 か の松岡 まつおか 正 ただし 剛 つよし は、「ノスタルジアは指定 してい できないものへの憧 あこが れにもとづきながらも、その指定 してい できないものからすらはぐれた時点 じてん で世界 せかい を眺 なが めている視線 しせん なのである 」とし、また「ノスタルジアの正体 しょうたい は視線 しせん が辿 たど るべき正体 しょうたい がないことから生 しょう じたものなのだ。したがってノスタルジアは過 す ぎ去 さ ったものへの追憶 ついおく ではなく、追憶 ついおく することが過 す ぎ去 さ ることであり、失 うしな った故郷 こきょう を取 と り戻 もど したい感情 かんじょう なのではなくて、取 と り戻 もど したい故郷 こきょう が失 うしな われたことをめぐる感情 かんじょう なのである 」とも述 の べている[1] 。
ノスタルジアを想起 そうき する理由 りゆう とその対象 たいしょう [ 編集 へんしゅう ]
ノスタルジアの感情 かんじょう は人間 にんげん の五感 ごかん (視覚 しかく 、聴覚 ちょうかく 、触覚 しょっかく 、味覚 みかく 、嗅覚 きゅうかく )全 すべ てから得 え ることができる。嗅覚 きゅうかく は嗅細胞 さいぼう 、嗅球 を介 かい して大脳 だいのう 辺 べ 縁 えん 系 けい に接続 せつぞく されているため、記憶 きおく や感情 かんじょう を呼 よ び起 お こしやすいと言 い われている(プルースト 効果 こうか )[12] 。視覚 しかく は既 すんで 視 し 感 かん (デジャブ)から想起 そうき される可能 かのう 性 せい もある[13] 。また前項 ぜんこう で述 の べたように想像 そうぞう や推測 すいそく によってこの感情 かんじょう が誘 さそえ 起 おこ されることもあり得 え るため、言語 げんご ・文化 ぶんか の相違 そうい が影響 えいきょう することはない。
自伝 じでん 的 てき 記憶 きおく によって引 ひ き起 お こされるノスタルジアの感情 かんじょう は、過去 かこ のある時期 じき における情報 じょうほう への接触 せっしょく 頻度 ひんど の高 たか さと、接触 せっしょく 時期 じき から現在 げんざい までの長 なが い時間 じかん 経過 けいか が考 かんが えられる[13] 。過去 かこ における事物 じぶつ との頻繁 ひんぱん な接触 せっしょく があり、その後 ご 全 まった く接触 せっしょく がない長 なが い空白 くうはく 期間 きかん 、そして現在 げんざい において過去 かこ に接触 せっしょく した事物 じぶつ または類似 るいじ した事物 じぶつ に再 ふたた び接触 せっしょく することである[13] 。その事物 じぶつ が手 て がかりになって、強 つよ い懐 なつ かしさの感情 かんじょう とともに、その当時 とうじ の個人 こじん 的 てき 思 おも い出 で や社会 しゃかい 的 てき 出来事 できごと などが連鎖 れんさ 的 てき に思 おも い出 だ され、過去 かこ へのタイムスリップ が起 お こると考 かんが えられる[13] 。
想像 そうぞう や推測 すいそく から得 え られるノスタルジアの感情 かんじょう は、その一見 いっけん 理解 りかい し難 がた い生起 せいき 機 き 序 じょ から「前世 ぜんせい の記憶 きおく 」、「人類 じんるい 共通 きょうつう の記憶 きおく 」といったオカルト 的 てき な要素 ようそ に結 むす びつけられることがある。しかしながらその多 おお くは自己 じこ 投影 とうえい ・感情 かんじょう 移入 いにゅう の容易 たやす さに関連 かんれん していることは周知 しゅうち の通 とお りである。一般 いっぱん 的 てき に想像 そうぞう や推測 すいそく から得 え られるノスタルジアの感情 かんじょう は視覚 しかく からの情報 じょうほう が主 おも (発端 ほったん または引 ひ き金 がね )であり、また完全 かんぜん な自然 しぜん 物 ぶつ よりも、人工 じんこう 物 ぶつ とそれに付随 ふずい する自然 しぜん 物 ぶつ や空間 くうかん によって想起 そうき される。それは事物 じぶつ に関 かか わる人々 ひとびと や空間 くうかん に対 たい して自己 じこ 投影 とうえい ・感情 かんじょう 移入 いにゅう がしやすいことで、推測 すいそく によって体験 たいけん が擬似 ぎじ 的 てき に行 おこな われるためである。それがあたかも過去 かこ に経験 けいけん したかのような錯覚 さっかく を生 しょう じさせている。個人 こじん 本位 ほんい の無機 むき 的 てき 対象 たいしょう から有機 ゆうき 的 てき 対象 たいしょう への意識 いしき の変換 へんかん [注釈 ちゅうしゃく 1] である(メタファー の作用 さよう にも関連 かんれん する[14] [15] [16] )。この過程 かてい は無意識 むいしき 下 か に行 おこな われるため、感情 かんじょう を自 みずか らコントロールすることは難 むずか しい。またその変換 へんかん は視覚 しかく 情報 じょうほう から聴覚 ちょうかく 、嗅覚 きゅうかく 情報 じょうほう へと拡大 かくだい するため、空白 くうはく 期間 きかん の後 のち に聴覚 ちょうかく や嗅覚 きゅうかく の情報 じょうほう のみ与 あた えたとしても以前 いぜん に得 え たノスタルジアが想起 そうき される。
一 いち 例 れい として里山 さとやま の風景 ふうけい が挙 あ げられる。里山 さとやま を単 たん に山 やま として捉 とら えた場合 ばあい はあくまで自然 しぜん 物 ぶつ であり人間 にんげん の存在 そんざい を感 かん じさせない事物 じぶつ である。山 やま に無機 むき 的 てき な印象 いんしょう が生 う まれるため、ノスタルジアの感情 かんじょう は想起 そうき されにくい。しかし山 やま の麓 ふもと に民家 みんか や田畑 たはた 、神社 じんじゃ といった人工 じんこう 物 ぶつ が存在 そんざい することで、そこに住 す む/住 す んでいたであろう人々 ひとびと に対 たい し自己 じこ 投影 とうえい が働 はたら く。必然 ひつぜん 的 てき に山 やま に対 たい しても身近 みぢか で有機 ゆうき 的 てき な印象 いんしょう を受 う けるため、(そこで実際 じっさい に生活 せいかつ したことがなくとも)その風景 ふうけい に「懐 なつ かしい」という感情 かんじょう を生 しょう じさせる。その反応 はんのう はセミ の鳴 な き声 ごえ や田畑 たはた の匂 にお いといった聴覚 ちょうかく 、嗅覚 きゅうかく 情報 じょうほう にまで拡大 かくだい していく。
一方 いっぽう でこういったノスタルジアの想起 そうき には個人 こじん 差 さ があることも事実 じじつ である。過去 かこ に推測 すいそく によって得 え たノスタルジア感 かん そのものが自伝 じでん 的 てき 記憶 きおく となっていたり、マスメディア や映画 えいが ・小説 しょうせつ ・漫画 まんが 等 とう によってその印象 いんしょう が増幅 ぞうふく されている可能 かのう 性 せい もある。「懐古 かいこ 主義 しゅぎ 」とも関連 かんれん する。あるいは集合 しゅうごう 的 てき 無意識 むいしき との関連 かんれん 性 せい も考 かんが えられるなど、解明 かいめい されていない点 てん が多 おお くある。
例 たと えば、博物館 はくぶつかん の展示 てんじ において、白黒 しろくろ 写真 しゃしん をあえてセピア調 ちょう にする、あるいは展示 てんじ 室 しつ の照明 しょうめい を暖色 だんしょく 系 けい にして夕焼 ゆうや け のイメージに近 ちか づけるなどの手法 しゅほう は、いずれもノスタルジックな演出 えんしゅつ として有効 ゆうこう とされるが[17] 、その法則 ほうそく について根本 こんぽん 的 てき な解明 かいめい には至 いた っていない[3] 。
消費 しょうひ 者 しゃ 行動 こうどう や広告 こうこく 研究 けんきゅう の流 なが れの中 なか でB.B.スターンは、「生 う まれる以前 いぜん の古 ふる き良 よ き時代 じだい の、歴史 れきし 的 てき 物語 ものがたり や歴史 れきし 上 じょう の人物 じんぶつ への感情 かんじょう 移入 いにゅう によって生 しょう じるもの」を「歴史 れきし 的 てき ノスタルジア」として定義 ていぎ したが[18] 、堀内 ほりうち 圭子 けいこ によれば、歴史 れきし 的 てき 知識 ちしき がノスタルジックなものになるための条件 じょうけん は十分 じゅうぶん に解明 かいめい されていないとし、たとえば「年表 ねんぴょう を眺 なが めていてもなかなかノスタルジックな気分 きぶん にならない」ことの意味 いみ を問 と う必要 ひつよう があると指摘 してき する[3] [17] 。
子供 こども にとって母親 ははおや の存在 そんざい は大 おお きく、母親 ははおや というアイコン そのものがノスタルジアに置 お き換 か えられることがある(例 れい として、特攻隊 とっこうたい 員 いん の母親 ははおや への手紙 てがみ や、「おふくろの味 あじ 」など)。また青春 せいしゅん も同様 どうよう にして記号 きごう 化 か され、ノスタルジアを表 あらわ す言葉 ことば として置 お き換 か えられることが多 おお い。
流行 りゅうこう (ブーム) から生 う まれた一連 いちれん の事物 じぶつ は、一 いち 時代 じだい を象徴 しょうちょう するとともに新 あら たな流行 りゅうこう の到来 とうらい によって現実 げんじつ 世界 せかい から分離 ぶんり されるため、「懐 なつ かしさ」を感 かん じやすい[13] 。通常 つうじょう はファッション (髪型 かみがた や化粧 けしょう 法 ほう を含 ふく む)、楽曲 がっきょく 、自動車 じどうしゃ 、字体 じたい 、CM など、デザインや表現 ひょうげん に一定 いってい の自由 じゆう を有 ゆう し、常 つね に変革 へんかく が求 もと められる物 もの に適用 てきよう される。建築 けんちく 物 ぶつ は、歳月 さいげつ を感 かん じさせる現象 げんしょう が物理 ぶつり 的 てき 劣化 れっか として如実 にょじつ に顕在 けんざい 化 か するため、これもまた「懐 なつ かしさ」を誘 さそえ 起 おこ させる(→廃墟 はいきょ マニア )。他 ほか にも、漫画 まんが やアニメ における作画 さくが のタッチ、写真 しゃしん ・音響 おんきょう ・映像 えいぞう の撮影 さつえい 方法 ほうほう ・記録 きろく 方法 ほうほう に伴 ともな う画質 がしつ や音質 おんしつ 、楽曲 がっきょく に使用 しよう される楽器 がっき の音色 ねいろ など、潜在 せんざい 的 てき な部分 ぶぶん で特定 とくてい の時代 じだい 背景 はいけい や歴史 れきし 的 てき 変遷 へんせん を窺 うかが わせるようなものは凡ゆる場面 ばめん で見出 みいだ すことができ、人々 ひとびと に「懐 なつ かしさ」を想起 そうき させる。
旅行 りょこう (中 なか でも一人 ひとり 旅 たび や放浪 ほうろう )は、その土地 とち 々々における人々 ひとびと との出会 であ いと別 わか れ、一期一会 いちごいちえ の感覚 かんかく (これ以降 いこう もはや一生 いっしょう 再会 さいかい することはないだろうという思 おも い)がノスタルジアを増幅 ぞうふく させやすく、作品 さくひん として昇華 しょうか されることも多 おお い。同様 どうよう の考 かんが え方 かた としては、失恋 しつれん や人 ひと の死 し なども、ある種 しゅ ノスタルジアと密接 みっせつ に関連 かんれん した事象 じしょう と言 い える。
また季 き 節 ぶし の「夏 なつ 」は、外出 がいしゅつ ・レジャー の機会 きかい が多 おお いことや夏休 なつやす み ・お盆 ぼん 休 やす み という大型 おおがた 連休 れんきゅう があることも相 あい まって、個人 こじん 的 てき 思 おも い出 で が形成 けいせい されやすく、自伝 じでん 的 てき 記憶 きおく によるノスタルジアが誘 さそえ 起 おこ されやすくなる。また他 た の季 き 節 ぶし に比 くら べ、草木 くさき の色 いろ や匂 にお い、昆虫 こんちゅう の鳴 な き声 ごえ などの視覚 しかく 、嗅覚 きゅうかく 、聴覚 ちょうかく を刺激 しげき する現象 げんしょう が多 おお いことも個人 こじん 的 てき 思 おも い出 で が形成 けいせい されやすい一因 いちいん と考 かんが えられる。
ロリータ・コンプレックス は自分 じぶん が幼少 ようしょう の頃 ころ の同 どう 年配 ねんぱい の少女 しょうじょ への思 おも いが個人 こじん 的 てき なノスタルジアとなっていると解釈 かいしゃく できるだろう。
古今 ここん 東西 とうざい を問 と わず、個人 こじん 的 てき な郷愁 きょうしゅう や故郷 こきょう へのメランコリック な心理 しんり や感情 かんじょう の昂 のぼる ぶりを文学 ぶんがく や歌舞 かぶ 音曲 おんぎょく などの作品 さくひん へ昇華 しょうか させた例 れい も多 おお く、古典 こてん の名作 めいさく にも見 み られる。
楽曲 がっきょく に関 かん しては、恋人 こいびと や家族 かぞく 、知人 ちじん との「懐 なつ かしい思 おも い出 で 」、またそれらから派生 はせい して「別 わか れ」や「後悔 こうかい 」、「未練 みれん 」などをテーマにした楽曲 がっきょく がかつての日本 にっぽん では絶大 ぜつだい な人気 にんき を博 はく していたため、ノスタルジアの表現 ひょうげん が戦後 せんご 歌謡 かよう 曲 きょく における作詞 さくし 作曲 さっきょく の核 かく となっている一 いち 面 めん がある[19] (一説 いっせつ に、楽曲 がっきょく に好 この まれる傾向 けいこう は、その時代 じだい の現実 げんじつ 世界 せかい での景気 けいき 動向 どうこう や社会 しゃかい 心理 しんり と相反 あいはん するとも言 い われる)。なお昨今 さっこん の音楽 おんがく 事情 じじょう においても題材 だいざい としてノスタルジアは重要 じゅうよう な意味 いみ を持 も っており、き手 きて にエモーショナル、センチメンタルな感情 かんじょう を想起 そうき させることは多 おお い[20] [21] 。
フォーク 、ブルース 、カントリー 、ハワイアン 、ボサノヴァ 、フラメンコ 、ファド 、シャンソン 、演歌 えんか 、琉球 りゅうきゅう 民謡 みんよう といった、民謡 みんよう や民族 みんぞく 音楽 おんがく の影響 えいきょう を色濃 いろこ く残 のこ したままポップ化 か されたワールド・ミュージック の類 るい は、ノスタルジアの中 なか でも「郷愁 きょうしゅう 」の思想 しそう が核 かく となったポピュラー音楽 おんがく ジャンルである。また時代 じだい 劇 げき 、歴史 れきし 劇 げき 、歴史 れきし 映画 えいが 、西部 せいぶ 劇 げき なども同様 どうよう にして、民族 みんぞく 意識 いしき に基 もと づく一種 いっしゅ の「郷愁 きょうしゅう 」的 てき な思想 しそう (あるいは「歴史 れきし 的 てき ノスタルジア」)が強 つよ い演劇 えんげき ・映像 えいぞう 作品 さくひん である。
スタジオ・ジブリ 作品 さくひん では、建物 たてもの や街並 まちな みをその映画 えいが 舞台 ぶたい 以前 いぜん の古 ふる い様式 ようしき に変更 へんこう したり(意図 いと 的 てき なアナクロニズム)、或 ある いは住 す む人々 ひとびと の生活 せいかつ 様式 ようしき を詳細 しょうさい に建物 たてもの や背景 はいけい に描写 びょうしゃ する(質感 しつかん 表現 ひょうげん )などの工夫 くふう がなされており、登場 とうじょう 人物 じんぶつ の劇的 げきてき な人間 にんげん 模様 もよう も加味 かみ されることで観客 かんきゃく にノスタルジアを感 かん じさせやすい作品 さくひん になっている[22] 。また『男 おとこ はつらいよ 』シリーズや『ALWAYS 三 さん 丁目 ちょうめ の夕日 ゆうひ 』などは、人情 にんじょう という人間 にんげん 本来 ほんらい の情感 じょうかん とそれに付随 ふずい するように存在 そんざい している古 ふる めかしい人工 じんこう 物 ぶつ (日本 にっぽん らしさを連想 れんそう させ、かつ生活 せいかつ 様式 ようしき が色濃 いろこ く現 あらわ れている古 ふる い木造 もくぞう 建築 けんちく 群 ぐん )が観客 かんきゃく を感情 かんじょう 移入 いにゅう しやすくし、またその要素 ようそ を現代 げんだい の無機 むき 的 てき な要素 ようそ と対比 たいひ させることで、観客 かんきゃく に「懐 なつ かしさ」を想起 そうき させている[23] 。
また『となりのトトロ 』に見 み るノスタルジアを分析 ぶんせき した吉岡 よしおか 史朗 しろう は、特定 とくてい の年代 ねんだい を指 さ し示 しめ すような要素 ようそ を排除 はいじょ し「特定 とくてい の過去 かこ という時間 じかん 的 てき なコンテクストに依存 いぞん しない」描 えが かれ方 かた をすることによって、個人 こじん 的 てき ・直接的 ちょくせつてき な経験 けいけん の有無 うむ に関 かか わらず懐 なつ かしさを感 かん じることにつながっているという[3] [24] 。すなわち、ある特定 とくてい の時代 じだい や場所 ばしょ についての「「リアル」な設定 せってい や大衆 たいしゅう 文化 ぶんか への言及 げんきゅう を欠 か いている」ことによって、作品 さくひん の「普遍 ふへん 性 せい 」が生 う まれ、それにより「トトロ」 の世界 せかい が世代 せだい を越 こ えた過去 かこ の記憶 きおく となり得 え るとした[3] 。そして、宮崎駿 みやざきはやお が作品 さくひん を通 とお して提示 ていじ するノスタルジアについて、「むしろ現在 げんざい と過去 かこ はつながっているということ、単 たん に現代 げんだい 人 じん はそのつながりを忘 わす れているだけだという継続 けいぞく の意識 いしき 」に基 もと づいたものとして高 たか く評価 ひょうか し、失 うしな われた過去 かこ ヘ戻 もど りたいというホームシックの念 ねん に基 もと づいた『ALWAYS 三 さん 丁目 ちょうめ の夕日 ゆうひ 』に代表 だいひょう される「昭和 しょうわ 30年代 ねんだい ブーム」や「レトロブーム」とは対極 たいきょく にあると位置 いち づけた[3] 。
作家 さっか の大塚 おおつか 英志 えいじ は、『ちびまる子 こ ちゃん 』に見 み るノスタルジアについて、「作品 さくひん 中 ちゅう のサブカルチャー的 てき 固有名詞 こゆうめいし は具体 ぐたい 的 てき な時代 じだい を特定 とくてい するためのものではなく〈懐 なつ かしいあの頃 ころ 〉というフィクショナルな過去 かこ に物語 ものがたり を設定 せってい する仕掛 しか けである。この種 たね のレトロ的 てき 固有名詞 こゆうめいし は具体 ぐたい 的 てき な時代 じだい や体験 たいけん ではなく、あくまでも無 む 根拠 こんきょ なノスタルジーを呼 よ び起 お こす符丁 ふちょう のようなものだといえる 」とし、この「レトロ的 てき 固有名詞 こゆうめいし 」の存在 そんざい により、「誰 だれ もが心地 ここち 良 よ く懐 なつ かしがれる万 まん 人 にん 向 む けのノスタルジアの対象 たいしょう を提示 ていじ した」と分析 ぶんせき する[3] [25] 。すなわち、〈懐 なつ かしいあの頃 ころ 〉という抽象 ちゅうしょう 化 か した記号 きごう を通 とお して、「まる子 こ 」の時代 じだい を直接 ちょくせつ 経験 けいけん していない若者 わかもの でも、 ノスタルジアを感 かん じるような仕掛 しか けが施 ほどこ されているのだという[3] 。
具体 ぐたい 的 てき な作品 さくひん については、「ノスタルジア (曖昧 あいまい さ回避 かいひ )#作品 さくひん タイトル 」「Category:失恋 しつれん を題材 だいざい とした楽曲 がっきょく 」「Category:追悼 ついとう の音楽 おんがく 」「Category:青春 せいしゅん を題材 だいざい とした楽曲 がっきょく 」「Category:別 わか れを題材 だいざい とした楽曲 がっきょく 」「Category:卒業 そつぎょう ソング 」等 とう を参照 さんしょう 。
^ ここでいう「無機 むき 的 てき 」とは、”自身 じしん (または人類 じんるい )の介入 かいにゅう がない、あるいは人知 じんち を超越 ちょうえつ した超 ちょう 自然 しぜん ”、また「有機 ゆうき 的 てき 」とは、”因果 いんが 性 せい (因縁 いんねん )を持 も った、自身 じしん (または人類 じんるい )にあたかも直接的 ちょくせつてき な関連 かんれん 性 せい があるかのような空想 くうそう ”である。
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