韓国 の民族 主義
概要 [編集 ]
李 氏 朝鮮 時代 [編集 ]
『日東 壮 遊 歌 』現代 語 訳
大 坂 での記述 より
- (
多 くの船 が)一斉 に行 き来 する様 は驚 くばかりの壮観 である。その昔 、楼 船 で下 る王 濬が益 州 を称 えた詩 があるが、ここに比 べてみれば間違 いなく見劣 りするであろう[7]。流 れの両側 には人家 が軒 を連 ね、漆喰 塗 りの広 い塀 には鯨 の背 のような大 きい家 を金 や紅 でたくみに飾 り立 てているが、三神 山 の金 闕銀台 (きんけつぎんだい:仙人 の住処 のこと)とは、まことのこの地 のことであろう[8]。本願寺 に向 かう道 の両側 には人家 が塀 や軒 をつらね、その賑 わいのほどは我 が国 の鍾絽(チョンノ:ソウルの繁華 街 )の万 倍 も上 である[8]。館 所 に入 る、建物 は宏壮 雄大 、我 が国 の宮殿 よりも大 きく高 く豪華 である[9]。我 が国 の都城 の内 は、東 から西 にいたるまで一 里 といわれているが、実際 には一 里 に及 ばない。富貴 な宰相 らでも、百 間 をもつ邸 を建 てることは御法度 。屋根 を全 て瓦葺 にしていることに感心 しているのに、大 したものよ倭人 らは千 間 もある邸 を建 て、中 でも富豪 の輩 は銅 を以って屋根 を葺 き、黄金 を以って家 を飾 り立 てている。 その奢侈 は異常 なほどだ[10]。天下 広 しといえこのような眺 め、またいずこの地 で見 られようか。北京 を見 たという訳 官 が一 行 に加 わっているが、かの中原 (中国 )の壮麗 さもこの地 には及 ばないという。この世界 も海 の向 こうよりわたってきた穢 れた愚 かな血 を持 つ獣 のような人間 が、周 の平 王 のときにこの地 に入 り、今日 まで二 千 年 の間 世 の興亡 と関 わりなくひとつの姓 を伝 えきて、人民 も次第 に増 えこのように富 み栄 えているが、知 らぬは天 ばかり、嘆 くべし恨 むべしである[11]。- この
国 では高貴 な家 の婦女子 が厠 へ行 くときはパジ(ズボン状 の下着 のこと)を着用 していないため、立 ったまま排尿 するという。お供 のものが後 ろで、絹 の手拭 きを持 って立 ち、寄 こせと言 われれば渡 すとのこと。聞 いて驚 きあきれた次第 [11]。京 での記述 より尾張 名古屋 での記述 より
- その
豪華 壮麗 なこと大 坂城 と変 わりない。夜 に入 り灯火 が暗 く、よくは見 えぬが、山川 迂闊 にして人口 の多 さ、田地 の肥沃 、家々 の贅沢 なつくり、沿路 随一 とも言 える。中原 にも見当 たらないであろう。朝鮮 の三京 も大層 立派 であるが、この地 に比 べればさびしい限 りである[14]。人々 の容姿 の優 れていることも沿路 随一 である。わけても女人 が皆 とびぬけて美 しい。明星 のような瞳 、朱 砂 の唇 、白玉 の歯 、蛾 の眉 、茅花 (つばな)の手 、蝉 の額 、氷 を刻 んだようであり雪 でしつらえたようでもある。趙 飛燕 や楊太真 が万古 より美女 と誉 れ高 いが、この地 で見 れば色 を失 うのは必定 。越 女 が天下一 というが、それもまこととは思 えぬほどである[15]。- (
復路 にて)女人 の眉目 の麗 しさ、倭国 第 一 といえる、若 い名 武 軍 官 らは、道 の左右 で見物 している美人 を、一人 も見落 とすまいと、あっちきょろきょろこっちきょろきょろ、頭 を振 るのに忙 しい、まるで幼児 のいやいやを見 ているようであった[16]。江戸 での記述 より
このような
大韓 帝国 時代 [編集 ]
大韓 帝国 は4000年 の歴史 を持 つ独立 国家 である一方 、日本 は1200~1300年代 に入 ってやっと国家 を樹立 した。日本 のさまざまな風習 は朕 (皇帝 が自 らを指 し示 す言葉 )の国 から由来 し、文字 も朕 の国民 が教 えた。日本人 たちは自分 たちの先祖 のように朕 の国 を尊敬 し、朕 の国 とあえて敵対 的 関係 を結 ぶ考 えもできなかった[21]。
日本 統治 時代 [編集 ]
「
「
大韓民国 建国 以後 [編集 ]
独裁 体制 の時代 [編集 ]
また
* 「我 が半 万 年 の歴史 は、一言 で言 って退嬰 と粗雑 と沈滞 の連鎖 史 であった」
- 「
姑息 、怠惰 、安逸 、日和見 主義 に示 される小児 病的 な封建 社会 の一 つの縮図 に過 ぎない」- 「わが
民族 史 を考察 してみると情 けないというほかない」- 「われわれが
真 に一大 民族 の中興 を期 するなら、まずどんなことがあっても、この歴史 を改新 しなければならない。このあらゆる悪 の倉庫 のようなわが歴史 は、むしろ燃 やして然 るべきである」
また、
* 「四 色 党争 、事大 主義 、両 班 の安易 な無事 主義 な生活 態度 によって、後世 の子孫 まで悪影響 を及 ぼした、民族 的 犯罪 史 である」
- 「
今日 の我々 の生活 が辛 く困難 に満 ちているのは、さながら李 朝 史 (韓国 史 )の悪 遺産 そのものである」- 「
今日 の若 い世代 は、既成 世代 とともに先祖 たちの足跡 を恨 めしい眼 で振 り返 り、軽蔑 と憤怒 をあわせて感 じるのである」
さらに、
*事大 主義
怠惰 と不 労働 所得 観念 開拓 精神 の欠如 企業 心 の不足 悪性 利己 主義 名誉 観念 の欠如 健全 な批判 精神 の欠如
近年 [編集 ]
また、
このような
「
朝鮮 民族 優越 主義 者 による主張 の例 [編集 ]
韓国 起源 説 [編集 ]
誇大妄想 史観 [編集 ]
「
事例 [編集 ]
- 2007
年 大韓民国 大統領 選挙 に立候補 した許 京 寧 経済 共和党 総裁 は、「中国 諸国 と連邦 をしてアジア連邦 を作 り、失 われた高句麗 領土 を取 り戻 したい」「失 われた渤海の旧領 と、三 国 時代 にヨーロッパまで伸 ばした韓 半島 の故 土 を取 り戻 すのが私 の夢 だ」としている[46]。 韓国 放送 公社 (KBS)の番組 「満 洲 大 探査 」は、「満 洲 はもともと韓 民族 の土地 。清朝 を樹立 したアイシンギオロ氏 も、祖先 は韓国 人 」と主張 している[47]。大田 大 学校 哲学 科 の林 均 澤 教授 が2002年 12月に韓国 書 鎮出版 社 から出版 した『韓国 史 』において、唐 の時代 に、高句麗 、新 羅 、百済 が中国 の大半 を有 しており、唐 の版図 は雲南 省 や四川 省 などのわずかな部分 に過 ぎず、高句麗 、百済 を滅 ぼしたあとの新 羅 の版図 は、現在 の東 シベリア、モンゴル、華北 地域 など三 北 (中国 北部 全体 )、華中 地域 、西蔵 自治 区 、新疆 ウイグル自治 区 など広大 なものとなり、唐 は華中 地域 や華南 地域 をおさえるにとどまったと主張 している[48]。韓国 の圓光 大 学校 教授 が広西 チワン族 自治 区 の百済 郷 を調査 し、「この地 はかつて、百済 の殖民 地 だった」と発表 した[49]。歴史 学者 オ・ジェソンの著書 『隠 された歴史 を探 して』『地図 で見 る韓国 歴史 』の本 の図表 には、高句麗 ・百済 が活動 した範囲 が、内 蒙 古 ・山東 省 ・福建 省 などに至 っている。中国 のネチズンは、「唐 の新 疆統治 組織 だった安西 都 護 府 が、統一 新 羅 のチベット統治 機構 に伝 えられたのはとんでもないこと」と指摘 している[50]。韓国 の梨花 女子大 学校 の歴史 書 、申 瀅植『梨花 女子大 学校 コリア文化 叢書 韓国 史 入門 』p4には、「韓国 民族 は70万 年 前 の旧石器時代 から新 石器 ・青銅器 時代 へと移 り、古代 国家 を成立 させて以後 、現在 まで東 アジアの主役 として堂々 と固有 の歴史 を守 り続 けてきた。特 に、古代 社会 で韓 民族 は満州 大陸 を支配 しながら中国 の東進 を防 ぎ、近代 に入 り一 時期 日本 の支配 を受 けたものの最後 まで民族 の独自 の文化 を守 り続 けてきた」とある[51]。林 志 弦 によると、東北 工程 を厳 しく非難 している進歩 的 な国会 議員 であり、韓国 大統領 候補 にまでなった金元雄 は、国会 で満州 回復 を演説 したことがあり、他 にも陸軍 士官 学校 の校長 室 には、満州 を韓国 の領土 と図示 した地図 が掲 げてあり、それを見 た中国 の将官 が驚愕 した[52]。中国 の長江 流域 と黄河 流域 を新 羅 、高句麗 、百済 、高 麗 、李 氏 朝鮮 が支配 していたことを明 らかにする研究 を続 けてきたキム・ジンギョン(朝鮮 語 : 김진경)国学 博士 は、2018年 の著書 『동방의 비밀1-조선천축(東方 の秘密 1-朝鮮 天竺 )』において、高句麗 、百済 、新 羅 、伽耶 などは現在 の中国 の北京 の黄河 を越 えて長江 の南側 地域 までを領土 にしており、建国 初期 にはすでに現在 のインドとの交流 が活発 だったと主張 している[53]。韓国 の東洋大 学校 の金 ウンフェ教授 は、著書 『大 ジュシンを探 して』において、「満州 族 が建 てた金 と清 の歴史 書 が、自分 たちの始祖 を新 羅 出身 の函 普 だと明 かしていることに注目 」しており、金 と清 の姓 の「愛 新 覚 羅 氏 」は、「新 羅 を愛 し、記憶 する」という意味 だと主張 している[54]。- キム・ドゥギュ
又 石 大 学校 教授 は、「韓 民族 とも血縁 関係 がある金 の時代 のこと。金 の始祖 函 普 が高麗 出身 だということは『金 史 』が明 らかにしている」と述 べている[55][56]。 高句麗 研究 会 (会長 徐 吉 洙(朝鮮 語 : 서길수、西京 大学 )所属 学者 たちが、学術 セミナーで「女 真 族 の金 と満州 族 の清 を広 い意味 で韓国 史 の一部 に編入 し、中国 の悪意 的 な歴史 歪曲 に積極 的 に対処 しなければならない」と主張 している。キム・ウィヒョン明知 大 学校 教授 は「『宋 史 』には金 の太 祖 阿 骨 打 の8代 祖 が新 羅 王族 出身 の函 普 という記録 がある」「統一 新 羅 と渤海を南北 国 と記述 するように金 ・高 麗 を南北 朝 に分類 することができる」と述 べている[57]。韓国 の『ファイナンス・トゥデイ』は、「清 はどういう国 か!高句麗 と渤海を継承 して聖山 とした白頭山 を中心 に活動 した女 真 族 は『金 史 』に記録 された通 り高麗 から移住 してきた函 普 の後裔 阿 骨 打 が糾合 して開国 した金 を継承 した国 だ。清 以前 の明 も開国 始祖 はまさに明地 図書 『大明 統 志 』で『朕 の先祖 は朝鮮 人 だ。先祖 の墓 は朝鮮 にある』と話 した朝鮮半島 の朱 元 璋 だ。結果 的 に今 の広大 な領土 を所有 した中国 を存在 させて与 えた人物 は朝鮮半島 の後裔 だ」と報 じている[58]。韓国 放送 公社 (KBS)は、「中原 で最初 で漢 族 を押 し出 した阿 骨 打 、彼 の祖先 は驚 くべきことに新 羅 人 である函 普 だった。これは伝説 や外史 に出 るのではなく正史 である『金 史 』と金 建国 時 に宋 人 が書 いた『松 漠 紀 聞』に明確 に出 ている」「高麗 から来 た身分 である新 羅 人 の阿 骨 打 」の生年 から計算 すれば函 普 が満州 に行 った時期 は、統一 新 羅 から高麗 時代 であり、「彼 の姓 が金 であり新 羅 の後裔 であることは確実 」「新 羅 後裔 である王族 と渤海子孫 の王妃 族 が建 てた国 、金 」「金 滅亡 後 、1606年 、女 真 は再 び中原 を掌握 した。まさに中国 の最後 の王朝 清 である。ところが、清 の皇帝 姓 は愛 新 覚 羅 氏 」であり、愛 新 とは、金 という意味 であり、かつて女 真 族 が興 した王朝 名 であり、そして後 にヌルハチが興 した王朝 からとった族 名 のため、「新 羅 王族 の人種 金 氏 は、彼 の子孫 である金 皇帝 、清 皇帝 まで、彼 らの姓 はすべて金 氏 だった」「満州 の歴史 は中国 の歴史 ではない」「古 朝鮮 、夫 余 、高句麗 、渤海、金 、清 につながる満州 の歴史 は我 が民族 と深 い連関 性 を持 っている」「漢 族 の領土 である中原 を満州 と合併 して、今日 の中国 を完成 した女 真 族 、それらの先祖 が新 羅 人 であるという事実 」というドキュメンタリーを報道 した[47]。在 日本 朝鮮 人 科学 技術 協会 が1977年 に刊行 した『朝鮮 學術 通報 』14~15巻 の21ページには、「『金 史 』世紀 によれば、完 顔 部 女 真 の始祖 は、その弟 保 活 里 とともに移住 してきた高 麗人 函 普 」と記述 している。李 基 白 (朝鮮 語 : 이기백、西 江 大学 )は、「金 を建国 した阿 骨 打 は、新 羅 末期 から高麗 初期 の黄海 地方 で生活 していて、その後 満州 に移住 した金 氏 の末裔 という記録 があります。『金 史 』世紀 には、阿 骨 打 の7代 祖先 の函 普 が金 の始祖 となっており、『満 洲 源流 考 』には、函 普 は新 羅 後裔 の金 氏 なので国号 を金 にした記録 されています」と述 べている[59]。- 이도학(
韓国 伝統 文化 大学 )は、清 以前 の女 真 の歴史 は中国 の歴史 ではなく、朝鮮 の歴史 であると主張 しており、「満州 で生成 、成長 、消滅 した民族 のなかで、夫 余 、高句麗 、渤海は朝鮮 の歴史 に編入 されたが、満州 で活動 していた女 真 族 の歴史 は、曖昧 な状況 になった」「(女 真 族 が立 てた)後金 が山海 関 を南下 して中原 を制覇 して以後 は、中国 の歴史 であることは明 らかである」が、それ以前 の女 真 は「中国 の歴史 であるはずがない」として、その根拠 として、『高麗 史 』『異域 志 』『神 麓 記 』『満 洲 源流 考 』などの中国 史料 が金 の始祖 を「新 羅 人 」或 いは「高 麗人 」と記述 していることを挙 げており、「民族 主義 の歴史 家 である朴 殷 植 は、女 真 の歴史 は朝鮮 の歴史 と認識 しており、解放 後 に出版 された孫 晋 泰 も粛慎以来 女 真 の金 まで朝鮮 の歴史 に編入 している」として、さらに「後金 の歴史 も朝鮮 の歴史 に編入 す作業 が有効 である」と主張 している[60]。
「韓国 の文明 化 は日本 よりも時期 が早 い」という主張 [編集 ]
在日 認定 [編集 ]
日 帝 残滓 [編集 ]
親日 派 [編集 ]
外国 人 に対 する差別 意識 [編集 ]
アウトサイダーに
また
在日 差別 [編集 ]
また、
各国 における類似 思想 [編集 ]
朝鮮 の民族 主義 に対 する批判 [編集 ]
ある人 は白頭山 を天下一 の名声 高 い中国 の崑崙山 の脈 を正統 に受 け継 ぐ山 であると言 いました。また別 の人 は白頭山 の上 から朝鮮 領 を見下 ろし、箕 子 の国 がささやかに広 がっていると詠 いました。このように李 朝 時代 の白頭山 は、性 理学 の自然 観 と歴史 観 とを象徴 する山 でした。李 朝 の性 理学 者 たちは、朝鮮 の文明 は古代 中国 の聖人 である箕 子 が東遷 し建 てた箕 子 朝鮮 から始 まったと信 じていました。箕 子 朝鮮 の最後 の王 である準 王 が南下 し、馬 韓 に吸収 され、その馬 韓 が新 羅 に吸収 されたのですから、朝鮮 の歴史 の伝統 が、箕 子 朝鮮 から馬 韓 へ、新 羅 へ、高麗 へ、そして李 氏 朝鮮 へ受 け継 がれたというのです。李 朝 の歴史 学 はこのような箕 子 正統 説 を信奉 しました。李 朝 時代 の人々 が檀 君 を知 らなかったわけではありませんが、ぞんざいに扱 い、また脇 に放 っておいたのです。十 八 世紀 になると若干 の変化 が生 じて、檀 君 の古 朝鮮 が朝鮮 史 の先頭 を飾 るようになりますが、それでも文明 の正統 は箕 子 朝鮮 から出発 したという既存 の歴史 観 には変 わりがありませんでした。先 に見 たように、白頭山 をめぐり、これを崑崙山 の嫡子 であるとしたり、李 朝 を「箕 子 の国 」であると言 ったのも、すべてはそのような歴史 観 によるものです。そのように、李 朝 時代 の歴史 観 が中国 を中心 とするものだったとすれば、その時代 に今日 と同様 な民族 意識 が存在 していたと考 えるのは難 しいでしょう。これに関連 しては、もう一 つ例 をあげましょう。十 五 世紀 の初 め、世 宗 年間 のことです。「箕 子 正統 説 」がちょうど成立 した時期 にあたります。当時 の両 班 学者 たちがなぜ箕 子 正統 説 を導入 したのか、その理由 を考 えると以下 のとおりです。当時 は人口 の三 〜四 割 が奴婢 という賤しい身分 でありました。両 班 たちは自分 たちが奴婢 を思 うままに支配 してもよい根拠 がどこにあるのかという問 いにぶつかります。そこで、聖人 である箕 子 が真 っ暗 な東 の蛮地に来 て、八 条 からなる禁則 を下 したが、その中 に盗 みを犯 した人間 を奴婢 とする法 があるじゃないか。だから奴婢 というのはもともと聖人 の教 えに従 わない野蛮 人 であり、我 ら両 班 は聖人 の教 えを悟 った文明 人 である。だから、両 班 が奴婢 を支配 するのは世 の中 の風俗 を正 そうとした聖人 の思 し召 しである。このような論理 が生 み出 されたのです。箕 子 正統 説 が出現 する現実 的 な理由 とはそういうものでした。そのような社会 で互 いに異 なる身分 の人間 たちが、自分 たちは一 つの血筋 でつながった運命 共同 体 であるという意識 を分 かち合 えたのでしょうか。私 はおよそありえない話 であると思 っています。 —李 栄 薫
「5000年 単一 民族 」が科学 的 ・歴史 的 な事実 ではないと言 うと、激昂 する人々 が周囲 には多 い。しかし各種 資料 が明示 するように、われわれの姓氏 の中 には歴史 時代 を通 して中国 や日本 ・ベトナムをはじめ遠近 各国 から帰化 した人々 を祖先 とする事例 がひとつやふたつではない。もしわれわれが「5000年 単一 民族 」を額面 どおりに信 じるのならば、姓氏 の祖先 がもともと韓 半島 にいなかったことが明 らかな数 多 くの現代 韓国 人 たちを、今後 は韓国 人 とみなしてはならないだろう。(中略 )われわれはよく、われわれ自身 を檀 君 の子孫 と称 し、5000年 の悠久 な歴史 をもつ単一 民族 であると称 している。この言葉 を額面 どおり受 け入 れれば、韓 民族 は5000年 前 にひとつの民族 集団 としてその実体 が完成 され、そのとき完成 された実体 が変化 することなく、そのまま現在 まで続 いたという意味 になろう。しかしこの言葉 は、われわれの歴史 意識 と民族 意識 の鼓吹 に必要 な教育 的 手段 にはなるであろうが、客観 的 証拠 に立脚 した科学 的 で歴史 的 な事実 にはなりえない。 —李 鮮馥
韓国 では、単一 民族 という神話 が広 く信 じられてきた。1960年代 、70年代 に比 べいくぶん減 ってはきたものの、社会 の成員 の皆 が檀 君 祖父 様 の子孫 だというのは、いまでもよく耳 にする話 である。われわれは本当 に、檀 君 祖父 様 という一人 の人物 の子孫 として血縁 的 につながった単一 民族 なのだろうか。答 えは「いいえ」です。檀 君 の父 桓雄とともに朝鮮半島 にやって来 た3000人 の集団 や、加 えて檀 君 が治 めていた民 人 たちの皆 が皆 、子 をなさなかったわけはないのですから。彼 らの子孫 はどこに行 ってしまったのでしょうか。箕 子 の子孫 を名乗 る人々 の渡来 から、高麗 初期 の渤海遺 民 の集団 移住 にいたるまで、我 が国 の歴史 において大量 に人々 が流入 した事例 は数多 く見 られます。一方 、契 丹 ・モンゴル・日本 ・満州 からの大 規模 な侵入 と朝鮮 戦争 の残 した傷跡 もまた無視 することはできません。こうしたことを考 えれば、檀 君 祖父 様 という一人 の人物 の先祖 から始 まったのだとする単一 民族 意識 は、一 つの神話 に過 ぎないのです。(中略 )いろいろな姓氏 の族 譜 を見 ても、祖先 が中国 から渡来 したと主張 する帰化 姓氏 が少 なくありません。また韓国 の代表 的 な土着 の姓氏 であるである金 氏 や朴 氏 を見 ても、その始祖 は卵 から生 まれたとされ、檀 君 の子孫 を名乗 ってはいません。これは、大 部分 の族 譜 が初 めて編纂 された朝鮮 時代 中期 や後期 までは、少 なくとも檀 君 祖父 様 という共通 の祖先 をいただく単一 民族 であるという意識 は別段 なかったという証拠 です。また、厳格 な身分 制 が維持 されていた伝統 社会 では、奴婢 ら賤民 と支配 層 がともに同 じ祖先 の子孫 だという意識 が存在 する余地 はないのです。共通 の祖先 から枝分 かれした単一 民族 という意思 が初 めて登場 したのは、わが国 の歴史 においていくらひいき目 に見 ても大韓 帝国 時代 よりさかのぼることはあり得 ません。(中略 )国 が危機 に直面 したとき、檀 君 を掲 げて民族 の求心 点 としたのは、大韓 帝国 時代 から日 帝 時代 初期 にかけての進歩 的 民族 主義 者 の知恵 でした。 —韓 洪 九
脚注 [編集 ]
- ^
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礼 教 、音楽 、法律 、制度 、衣冠 (身分 秩序 )、文物 (文化 の産物 )、ことごとく中国 の制度 に従 い」『童蒙 先 習』総論 末尾 、1699年 本 、粛宗王 序 ・宋 時 烈 跋文 - ^
第 四 回 副使 、金 世 濂『金 東 溟海槎録見聞 雑記 』 - ^
第 六 回 使節 従事 官 、南 龍 翼 『扶桑 録 』 - ^ 『
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上 掲書、p234 - ^
上 掲書、p236 - ^
上 掲書、p241 - ^ a b
上 掲書、p242 - ^
上 掲書、p251 - ^
上 掲書、p252 - ^
上 掲書、p263 - ^
上 掲書、p264 - ^
上 掲書、p320 - ^
上 掲書、p282 - ^
上 掲書、p294 - ^
上 掲書、p295 - ^ a b
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朴 正煕 『朴 正煕 選集 1韓 民族 の進 むべき道 』鹿島 研究所 出版 会 、1970年 、92頁 。全国 書誌 番号 :72004958。 - ^
朴 正煕 『朴 正煕 選集 1韓 民族 の進 むべき道 』鹿島 研究所 出版 会 、1970年 、79-91頁 。全国 書誌 番号 :72004958。 - ^
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時 の今日 】永遠 に癒 やされない傷 、庚 戌 国辱 (中央日報 2010.08.27) - ^ “초등 4~6학년 교과서, 단일민족・혈통 지나치게 강조” (
朝鮮 語 ).京 郷 新聞 . (2007年 8月 21日 ) 2008年 7月 14日 閲覧 。「小学校 教科書 には民族 文化 の優秀 性 を強調 するために他 民族 を蔑視 する大 きな課題 も多 く、特 に日本人 は文化 的 に(朝鮮 人 )より劣等 だと一貫 して叙述 している。民族 血統 を重視 する場合 も少 なくなかった。」 - ^
韓 日 不愉快 な同伴 者 の歴史 のなかに8人 天皇 ある(韓国 中央日報 2010年 9月 5日 ) - ^ 「
島国 日本 」と不適切 発言 韓国 駐 日 大使 、与党 も苦言 (産経新聞 2008年 7月 22日 ) - ^
日本人 を「チョッパリ」と呼 ぶのは何故 なのか、あなたは知 っていますか?(デイリアン/Yahoo!Koreaニュース2008年 09月 21日 ) - ^
糟糠 の妻 ’日本 中国 猛 非難 “そんなやつらは周 牢 を課 さなければならなくて”(中央日報 2008年 9月 28日 ) - ^ 기고 일본에 맞대응 할 길을 찾아보자「
日本 に正面 対抗 する道 を探 してみよう独島 領有 権 問題 提起 愛国 民族 愛 の道 考 えてこそ」(京畿 新聞 2010年 04月 06日 (火) 電子 新聞 |13面 ) - ^ チョッパリ'と
豚 足 (ニューデイリー2010年 4月 26日 ) - ^
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奇 誠 庸 参照 - ^
愛国 ・反日 、異様 な熱狂 鬱 陵 島 ルポ島 目指 す日本人 を厳戒 、2011年 8月 4日 産経新聞 - ^ サイテー
韓国 、日本人 を犬 ・サル扱 い…一触即発 の最大 侮辱 、夕刊 フジ 2011年 8月 23日 - ^ "
韓国 の歴史 カリフォルニア教科書 に反映 "再 推進 、THE KOREA TIMES 2012年 3月 20日 - ^
新 造語 に韓国 若者 の声 「クッポン」過剰 な愛国心 「ヘル朝鮮 」生 きづらさ社会 への不満 ・不安 映 す日本経済新聞 2016年 9月 6日 夕刊 - ^
朝鮮 の人間 は当然 、自身 の歴史 を重 んじており、儒教 文化 を尊重 していることに注意 する必要 がある。 - ^ ただし、
主張 の証拠 がなかったり、公的 には信用 できない物 が数多 くあったりする。 - ^ “허경영 “몽골과 통일해 고구려 옛땅을 되찾겠다””.
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韓国 歴史 書 「上海 も韓国 の領土 だった」中国 紙 が反論 ”. サーチナ. (2006年 5月 10日 ). オリジナルの2006年 5月 20日 時点 におけるアーカイブ。 - ^ “「
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参考 文献 [編集 ]
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