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ウォン

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ウォン
各種かくしゅ表記ひょうき
ハングル
漢字かんじ えん
発音はつおん ウォン
マ字まじ won
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ウォンあさ: )は、朝鮮半島ちょうせんはんとう通貨つうかである。現在げんざい朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく以下いか北朝鮮きたちょうせん」)と大韓民国だいかんみんこく以下いか韓国かんこく」)で使つかわれている。

名称めいしょう[編集へんしゅう]

もともとウォンは漢字かんじえん」(しん字体じたいえん)の朝鮮ちょうせん韓国かんこくみであったが、現在げんざいでは韓国かんこく北朝鮮きたちょうせんとも、正式せいしきには漢字かんじ表記ひょうきはない。

えん」は、18世紀せいき以降いこう大型おおがた銀貨ぎんかメキシコドル流入りゅうにゅうひがしアジアでひろ使つかわれるようになった通貨つうか単位たんいであり、日本にっぽん中国ちゅうごくでも通貨つうかめい使つかわれていた。

日本にっぽんでは当用漢字とうようかんじの「えん」に字体じたいわっている。中国ちゅうごくけんでは、正式せいしきには「えん」(簡体字かんたいじ)のままだが、通常つうじょう同音どうおん異字いじ字画じかくすうすくない「もと(ユアン、ユエン)」で代用だいようする。このため、中国ちゅうごくではウォンを「えん」(簡体字かんたいじ)あるいは「もと」と漢字かんじ表記ひょうきする。ただし、中国ちゅうごく日本にっぽん通貨つうかめい区別くべつできないので、韓国かんこくウォンは「かんまどかかんはじめ」(簡体字かんたいじ韩圆・韩元)、北朝鮮きたちょうせんウォンは「朝鮮ちょうせんえん朝鮮ちょうせんもと」(簡体字かんたいじあさ鲜圆・あさ鲜元)、そして日本円にほんえんは「にちえんにちもと」(簡体字かんたいじにち圆・にちもと)とくのが普通ふつうである。

ウォンの漢字かんじ表記ひょうきには「」という漢字かんじ使つかわれる。「圜」(日本語にほんごではエンまたはカンとみ、朝鮮ちょうせん韓国かんこく)ではファンとまれる)は、「たまき」「円形えんけいのもの」という意味いみがあり、「えん」とも共通きょうつうする。圜という表記ひょうき(ウォンとんだときもあれば、ファンとんだときもある。しかし、まさしくはファンである。)は19世紀せいきまつから20世紀せいき初頭しょとうや、大韓民国だいかんみんこく成立せいりつ1950年代ねんだい一時期いちじきにももちいられた。

記号きごう[編集へんしゅう]

ラテン文字もじ大文字おおもじW」にじゅう横線おうせんくわえた「₩」が、南北なんぼく双方そうほう使つかわれる。

補助ほじょ通貨つうか[編集へんしゅう]

1ウォン = 100チョン(ぜにきゅう字体じたい ぜに、jeon)。ただし、韓国かんこくでは現金げんきん単位たんいとしては使用しようされておらず(廃止はいしではない)、計算けいさんじょうのみの存在そんざいとなっている。ウォンと同様どうよう韓国かんこく北朝鮮きたちょうせんとも、現在げんざいではチョンにたいする漢字かんじ表記ひょうきはない。

歴史れきし[編集へんしゅう]

ウォン以前いぜん[編集へんしゅう]

1633ねんから1892ねんまではつねひら通宝つうほうぜに一文いちぶんぜにおりぜになどが流通りゅうつうしていた。通貨つうか単位たんいぶん(ムン、mun)であった。開港かいこう朝鮮ちょうせん王朝おうちょう末期まっきには5ぶんぜになど大型おおがたぜにや、大東だいとういちせんせんさんぜになどの銀貨ぎんか鋳造ちゅうぞうされたがあまり流通りゅうつうしなかった。

1876ねんにちかん修好しゅうこう條規じょうき付録ふろくむすばれ、だいななじょうだいいちこう日本にっぽん通貨つうか朝鮮ちょうせん使つかえるようになった。また、どうだいこうぜに貨をわたししたものかくそのくに法律ほうりつらして処断しょだんすることとなった。

幣制へいせい近代きんだいのために1883ねん成立せいりつしたてん圜局が、1888ねんはつこく製造せいぞう貨幣かへいである1圜(ファン、warn, whan)銀貨ぎんかや、10ぶん、5ぶん銅貨どうか発行はっこうした。1圜=1,000ぶんとされた。1892ねんには補助ほじょ通貨つうか単位たんい変更へんこうされ、1圜=5りょうきゅう字体じたい りょう、ヤン、yang)、補助ほじょ単位たんいは1りょう = 10ぜに(ジョン、jeon) = 100ふん(ブン、bun)となり、その単位たんいわせて1りょう銀貨ぎんか・2ぜに5ふんしろ銅貨どうか(1/4りょう)・5ふん銅貨どうか・1ふん銅貨どうか発行はっこうされ、なかでも2ぜに5ふんしろ銅貨どうか大量たいりょう発行はっこうされた。

しかし、納付のうふきんしるして2ぜに5ふんしろ銅貨どうかわたし黙許もっきょしたため[1]貨幣かへい乱造らんぞう偽造ぎぞう硬貨こうか流通りゅうつう密輸みつゆなどで貨幣かへい価値かち暴落ぼうらくした。

大韓たいかん帝国ていこくウォン[編集へんしゅう]

さらに1902ねんには、1圜(ウォン )=100ぜにきゅう字体じたい ぜに、jeon)にあらためられた。日本にっぽんでは、日本人にっぽんじんによる韓国かんこくしろ銅貨どうか偽造ぎぞう日々ひび増加ぞうかして通商つうしょうじょうすくなからず障害しょうがいきたしており、当時とうじ刑法けいほうでは外貨がいかきむ銀貨ぎんか以外いがい貨幣かへい偽造ぎぞうざい範囲はんいがいであったため、1902ねん11月15にち韓国かんこくしろ銅貨どうか偽造ぎぞうきんじるみことのりれい韓国かんこく通用つうようしろ銅貨どうか偽造ぎぞう変造へんぞう取締とりしまりせきスルけん」が施行しこうされた[2]

日本にっぽん影響えいきょうりょくした1905ねん以降いこう大阪おおさか造幣局ぞうへいきょく鋳造ちゅうぞうされるようになり、硬貨こうか図案ずあん日本にっぽんのものに酷似こくじしたものにあらためられた。

銀行ぎんこうけんとしては日本にっぽん民間みんかん銀行ぎんこうであるだいいち銀行ぎんこう韓国かんこくそう支店してん発行はっこうしていた「だいいち銀行ぎんこうけん」が独占どくせんてき地位ちい確立かくりつするにいた公用こうよう紙幣しへいとして流通りゅうつうした。この紙幣しへい日本円にほんえんとのえが保障ほしょうされた兌換だかんけんであり、通貨つうか表記ひょうきは「圜」ではなく「えん」となっている(ハングルではおなじくウォン )。

しかし、韓国かんこくにおいていち民間みんかん銀行ぎんこうぎないだいいち銀行ぎんこう中央ちゅうおう銀行ぎんこう役割やくわりたしていることが問題もんだいとなり、1909ねん大韓たいかん帝国ていこく政府せいふ日本にっぽん皇室こうしつ朝鮮ちょうせん王朝おうちょうなどの出資しゅっしにより、中央ちゅうおう銀行ぎんこう韓国かんこく銀行ぎんこう設立せつりつされ、だいいち銀行ぎんこうから中央ちゅうおう銀行ぎんこう業務ぎょうむ韓国かんこく銀行ぎんこうけん発行はっこうした。その韓国かんこく銀行ぎんこうにちかん併合へいごうのち特殊とくしゅ銀行ぎんこうとして朝鮮ちょうせん銀行ぎんこう改称かいしょうされた。

朝鮮ちょうせんえん[編集へんしゅう]

にちかん併合へいごう日本にっぽん統治とうち時代じだい朝鮮ちょうせんでは朝鮮ちょうせん銀行ぎんこうにより朝鮮ちょうせんえんきゅう字体じたい えん)の朝鮮ちょうせん銀行ぎんこうけん発行はっこうされていた。

朝鮮ちょうせんえん日本銀行にっぽんぎんこうけん金貨きんか銀貨ぎんかとの兌換だかん保証ほしょうされていた。朝鮮ちょうせん日本円にほんえん導入どうにゅうした場合ばあい朝鮮ちょうせん経済けいざい混乱こんらんこれば日本円にほんえん価値かちがり日本にっぽん本土ほんどにも経済けいざい混乱こんらん波及はきゅうする可能かのうせいがあったため、独自どくじ朝鮮ちょうせんえん発行はっこうされることになった。

補助ほじょ通貨つうか日本円にほんえん同様どうよう、1えん=100ぜにきゅう字体じたい ぜに)。

南北なんぼく分断ぶんだん[編集へんしゅう]

だい世界せかい大戦たいせん直後ちょくご1945ねん朝鮮ちょうせん銀行ぎんこう解散かいさんし、べいぐん政府せいふ接収せっしゅうされた。りょうぐん政府せいふはそれぞれ、南北なんぼく別々べつべつのウォンを発行はっこうした。韓国かんこくでは一時期いちじき通貨つうか単位たんいが「ファン」となっていた時期じきがあった(1953ねん - 1962ねん)。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 韓国かんこく経営けいえい 加藤かとう政之助まさのすけ 1905ねん
  2. ^ 韓国かんこく通用つうようしろ銅貨どうか偽造ぎぞう変造へんぞう取締とりしまりかた 国立こくりつ公文書こうぶんしょかんデジタルアーカイブ 1902ねん