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銀貨ぎんか

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
スペインドル(8レアル銀貨ぎんか)、1768ねん

銀貨ぎんか(ぎんか)とは、ぎん素材そざいとしてつくられた貨幣かへいをいう。古来こらい金貨きんか銅貨どうかとともに世界せかい各地かくち流通りゅうつうした。

概要がいよう

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銀本位ぎんほんいせいしたでは銀貨ぎんか本位ほんい貨幣かへいとして、自由じゆう鋳造ちゅうぞう自由じゆう融解ゆうかいみとめられた制限せいげん法貨ほうかであった。その代表だいひょうてきものに、アメリカ1ドル銀貨ぎんか香港ほんこんの1ドル銀貨ぎんかフランスの5フラン銀貨ぎんかメキシコの8レアル銀貨ぎんかなどがある。日本にっぽんでも、明治めいじ時代じだいにはしょ外国がいこくとの貿易ぼうえき決済けっさいよういちえん銀貨ぎんか発行はっこうされていた。

現在げんざいでも、フランス語ふらんすごでは金銭きんせんして「ぎん」(アルジャンargent)とい、南米なんべいスペインけん口語こうごでもカネというニュアンスで「ぎん」(プラタplata)という。日本語にほんごでも銀行ぎんこう路銀ろぎんなどのかたりで「ぎん」に金銭きんせん意味いみたせている。

現代げんだい社会しゃかいにおいて、銀貨ぎんか最早もはや流通りゅうつうよう発行はっこうされることはなく、ほとんどが収集しゅうしゅうけに特殊とくしゅ仕上しあげ(プルーフ加工かこう)をしたり、ケースにれたりして販売はんばいされている。また、一部いちぶ地金じがねがた銀貨ぎんか販売はんばいされている。日本にっぽんでは、臨時りんじ通貨つうかほう施行しこう1966ねんいたるまで銀貨ぎんか発行はっこうされていた。平成へいせいからは、1,000えん・5,000えん記念きねん銀貨ぎんか収集しゅうしゅうけに発行はっこうされ、2005ねんにははじめての記念きねん500えん銀貨ぎんか発行はっこうされた。

銀貨ぎんか品位ひんい純度じゅんど)は、いにしえより様々さまざまであり、日本にっぽんでは明治めいじ時代じだいの50ぜにから5ぜに補助ほじょ通貨つうかが80%、一円いちえん貿易ぼうえきぎん本位ほんい銀貨ぎんかが90%、明治めいじ末期まっきから大正たいしょうにかけての旭日きょくじつ10ぜに銀貨ぎんか大正たいしょうから昭和しょうわ初期しょきにかけての小型こがた鳳凰ほうおう50ぜに銀貨ぎんかが72%であった。また戦後せんご発行はっこうされた100えん銀貨ぎんか鳳凰ほうおう稲穂いなほのデザインがあり、稲穂いなほのデザインのものは一般いっぱんりゅう通用つうようとして日本にっぽん最後さいご銀貨ぎんか)は60%であった。外国がいこくには、オランダの1グルデン銀貨ぎんか(1917ねんまで、品位ひんい94.5%)などのこう品位ひんい銀貨ぎんか存在そんざいしたが、一般いっぱんてき本位ほんい銀貨ぎんかは90%(SV900)を使用しようするケースがおおく、コインシルバーとぶ。また、英国えいこく銀貨ぎんか伝統でんとうてきに92.5%(SV925)の品位ひんいつくられており、これをスターリングシルバーぶ。

なお、イエス・キリスト使徒しとのひとりユダが、銀貨ぎんか30まいでイエスを異教徒いきょうとわたしたことから、キリスト教きりすときょう文化ぶんかけんにおいて裏切うらぎりをあらわ成句せいくとして「銀貨ぎんか30まいる」という表現ひょうげんもちいられることがある。

歴史れきし

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ドルの語源ごげんとなったターラー銀貨ぎんか

しろかがやぎん天然てんねん産出さんしゅつすくなく、そのうつくしさはひと魅了みりょうするためふるくから装飾そうしょくひんなどに使つかわれ、価値かちたか金属きんぞくであった。秤量ひょうりょう貨幣かへいとしての銀貨ぎんかふるエジプト文明ぶんめいのころに萌芽ほうがあらわれ、古代こだいギリシャ・ローマ文明ぶんめいでは金貨きんかいで高額こうがく貨幣かへいとして鋳造ちゅうぞうされた。

実際じっさいのところ、きむ貨幣かへいとして流通りゅうつうさせるには稀少きしょうぎたため、ぎん実質じっしつてき貨幣かへいとしておもきをなし、広範こうはん文明ぶんめいけん流通りゅうつうした。通貨つうか単位たんいである「ドル」「ポンド」「リーブル」など、もとはいずれも銀貨ぎんかについてもちいられた呼称こしょうである。さらにかねぎん交換こうかん比率ひりつ金銀きんぎん比価ひか)を政府せいふさだめることで金銀きんぎん複本位ふくほんいせい成立せいりつし、銀貨ぎんか金貨きんかなら本位ほんい貨幣かへいとしての地位ちいきずいた。

一方いっぽう近世きんせいにいたり銀山ぎんざん新規しんき採掘さいくつ相次あいつぎ、金銀きんぎん比価ひか低下ていか一途いっと辿たどるようになると、国内こくない大量たいりょうぎん保有ほゆうするフランス中国ちゅうごく抵抗ていこう、さらにアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでは通貨つうか供給きょうきゅうりょう増大ぞうだいのぞ中西部ちゅうせいぶ農民のうみん西部せいぶ銀坑ぎんこうおっと南部なんぶ出身しゅっしんしゃらが金銀きんぎん複本位ふくほんい制度せいど維持いじ主張しゅちょうした(自由じゆうぎん運動うんどう英語えいごばん)がとおらず、19世紀せいきまつには主要しゅようこく金銀きんぎん複本位ふくほんい制度せいど放棄ほうきして金本位きんほんいせいへの移行いこうおこなった。ここにおいて本位ほんい貨幣かへいとしての銀貨ぎんかはその役目やくめえ、銅貨どうかおなじく補助ほじょ貨幣かへいとしての銀貨ぎんか成立せいりつする。金本位きんほんいせいではかね絶対ぜったいりょう少量しょうりょうであるため、経済けいざい規模きぼ拡大かくだいたい対応たいおうできないとして恐慌きょうこう発生はっせい懸念けねんするこえがあり、さらにそれが現実げんじつのものとなったため、20世紀せいき初頭しょとうには希少きしょう金属きんぞく貨幣かへい価値かち裏付うらづけとする本位ほんい貨幣かへい制度せいどはその歴史れきしまくじた。

2004ねんにアメリカで発行はっこうされた地金じがねがた銀貨ぎんか。1トロイオンス

20世紀せいきはい工業こうぎょうようぎん需要じゅようたかまりなどでぎん価格かかく上昇じょうしょうすると、世界せかいてき銀貨ぎんかニッケル白銅はくどうなどへの素材そざい変更へんこう余儀よぎなくされていき、さら紙幣しへい流通りゅうつうもあって、20世紀せいきすえごろを最後さいご一般いっぱんりゅう通用つうようとしてぎん貨幣かへいもちいる国家こっか消滅しょうめつし、現在げんざいいたっている。

日本にっぽん中国ちゅうごくぜん近代きんだい銀貨ぎんか

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和同開珎わどうかいちんぎんぜに飛鳥あすか時代ときよ
慶長けいちょうひのとぎん江戸えど時代じだい

円形えんけいかたあな銀製ぎんせいぜにぎんぜにというが、日本にっぽんでは、飛鳥あすか時代ときよ無文むもんぎんぜにばれる貨幣かへい形態けいたいをしたぎん地金じがね貨幣かへいわりに流通りゅうつうしたとわれており、日本にっぽん最古さいこ通貨つうかわれている「和同開珎わどうかいちん」も銅銭どうせんよりもさきぎんぜに発行はっこうされている。これ以降いこう250ねんあいだに、律令りつりょう国家こっかは、12種類しゅるい銅銭どうせんと2しゅぎんぜに和同開珎わどうかいちんぎんぜに大平おおひらもとたから)と1しゅ金銭きんせん開基かいきしょうたから)を発行はっこうした。また、文献ぶんけん史料しりょう記載きさいはないぎんぜにへんさき金銭きんせんともつかっている。

日本書紀にほんしょき』には683ねん天武てんむ12ねん)のみことのりとして「いまより以後いごかなら銅銭どうせんもちいよ。ぎんぜにもちいることなかれ」と記録きろくされており、ここでいう銅銭どうせんとは富本とみもとぜにしているというせつがある。また711ねん和銅わどう4ねん)には和同開珎わどうかいちんのうちぎんぜに廃止はいしされ、銅銭どうせんのみが通用つうようりょくつとされた。しかしこの禁令きんれいあま効力こうりょくたなかったようで、721ねん養老ようろう5ねん)にはぎんぜに1まい銅銭どうせん25まいぎん1りょう銅銭どうせん100まい相当そうとうするとのみことのり発布はっぷされている。

ぎんぜに禁止きんし理由りゆうとしては、銅銭どうせんくらべて1まいたりの発行はっこう利益りえきおおきいためにわたしぜに横行おうこうしたことや、政府せいふ大陸たいりくとの取引とりひきのためにもちいられるぎん回収かいしゅうしたかったこと、当時とうじ対馬つしま以外いがいではぎん産出さんしゅつしなかったため、そもそもぎん絶対ぜったいりょうすくなく少額しょうがく決済けっさいには不向ふむきであったことなどがげられる。

従来じゅうらいから無文むもんぎんぜになど、秤量ひょうりょう貨幣かへいとしてもちいられていたぎんことなり、銅銭どうせんはその価値かち基準きじゅんさだめる経験けいけんとぼしく、価額かがく設定せってい政府せいふ恣意しいによるものとなった。711ねん和銅わどう4ねん)には銅銭どうせん1ぶんこく6ますとされたが、729ねん天平てんぺい1ねんべい1いしぎん1りょうぜに100ぶんとなっており、銅銭どうせん価値かちは1/3に下落げらくしている[1]760ねん天平てんぴょうたから4ねん)には大平おおひらもとたからというぎんぜに発行はっこうされたといわれるが、これは流通りゅうつう目的もくてきではなく、銅銭どうせん価値かちげるためのものといわれ、さらに遺物いぶつ現存げんそんしない。

江戸えど時代じだいちょうぎん豆板銀まめいたぎんといった秤量ひょうりょう銀貨ぎんかが、おも西日本にしにほんから北陸ほくりく東北とうほく流通りゅうつうした。これは戦国せんごく時代じだいから江戸えど時代じだい初期しょきけて灰吹はいふきぎん極印ごくいんった領国りょうごく貨幣かへいしょう取引とりひきさかんに使用しようされたことの名残なごりである。だが、南鐐なんりょうしゅぎん発行はっこう以後いご定位ていい貨幣かへいである額面がくめん表記ひょうき銀貨ぎんかへの移行いこうすすみ、江戸えど時代じだい後期こうきには、もんめぎんいちふんぎんいちしゅぎんなど、額面がくめん表記ひょうき銀貨ぎんか発行はっこうされた。秤量ひょうりょう銀貨ぎんかひのとぎん豆板銀まめいたぎん、および定量ていりょう銀貨ぎんかもんめぎんは「ぎんもんめ」といったぎんけん銀貨ぎんかであるのにたいし、南鐐なんりょうしゅぎんいちふんぎんいちしゅぎんといった銀貨ぎんかは、銀製ぎんせい金貨きんか代用だいよう貨幣かへいであり、金貨きんか単位たんいもちいられたものである。これらの江戸えど時代じだい銀貨ぎんかぎんぜに発達はったつしたものではなく、まったべつ系統けいとうのものである。

中国ちゅうごくではあきらひろしたけみかど治世ちせい金銀きんぎん貨幣かへい使用しよう禁止きんしされ、1375ねんには通貨つうかだい明宝あけたからという紙幣しへいえられ、額面がくめん1かんぶんぎん1りょうべい1せき相当そうとうするとされたが、永楽えいらくみかどのころには戦費せんぴ捻出ねんしゅつのために濫発らんぱつされおおきく価値かち下落げらくさせた。明代あきよ中期ちゅうき以降いこう秤量ひょうりょう貨幣かへいとしてのぎん馬蹄ばていぎん)が主要しゅよう通貨つうかとなっていく。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 滝沢たきざわ武雄たけお日本にっぽん貨幣かへい歴史れきし吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1996ねんISBN 4-642-06652-7  [ようページ番号ばんごう]

関連かんれん項目こうもく

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