イスカリオテのユダ

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イスカリオテのユダ(ジェームズ・ティソ
ユダの最期さいごえがいた絵画かいが

イスカリオテのユダ古代こだいギリシア: Ἰούδας ὁ Ἰσκαριώτης または Ἰούδας Ἰσκαριώθ, ヘブライ: יהודה איש-קריותYehûdâh ʾΚ-Qǝriyyôt 英語えいご: Judas Iscariot)は、新約しんやく聖書せいしょの4つの福音ふくいんしょ使徒しと言行げんこうろく登場とうじょうするイエスの弟子でしのうちとくえらばれたじゅうにん、いわゆる使徒しと一人ひとりである。


概要がいよう[編集へんしゅう]

「イスカリオテ」はヘブライ: איש קריותイシュ・ケリヨト「ケリヨトのひと」に由来ゆらいするとかんがえられ(ケリヨトはユダヤ地方ちほうむら[1])、ユダיהודה Yehûdâh, イェフーダー)とは「ヤハウェ感謝かんしゃする」という意味いみ

ほかの弟子でしガリラヤ出身しゅっしんであったのにたいし、ユダの出身しゅっしんはガリラヤではないとされている。イエスを裏切うらぎったことから、裏切うらぎもの代名詞だいめいしとしてあつかわれることがおおい。なお、ユダは12番目ばんめ使徒しとであり[2]かれ裏切うらぎりのすえんだためにマティアあたらしい12番目ばんめ使徒しととなった[3]のであって、イスカリオテのユダをだい13使徒しととするのはあやまりである。

使徒しとユダ(タダイ)とは別人べつじんである。また、新約しんやく聖書せいしょの『ユダの手紙てがみ』の著者ちょしゃ別人べつじんである。

ユダの福音ふくいんしょ』などの外典げてんにもあらわれる。

イエスいちぎょう会計かいけいかかりまかされており、不正ふせいおこなこと可能かのう立場たちばにいた。

イエスへの裏切うらぎりから「裏切うらぎもの代名詞だいめいしとなっている。また、ユダのていた黄色おうしょくふくから欧米おうべいでは「黄色おうしょく」が「腰抜こしぬけ」や「卑劣ひれつ」などのマイナスイメージをつようになった。[4]

新約しんやく聖書せいしょ記述きじゅつ[編集へんしゅう]

ユダがいつ弟子でしになったかという記述きじゅつ福音ふくいんしょにはみられない。『ヨハネによる福音ふくいんしょ[5]は「イスカリオテのシモンのユダ」と紹介しょうかいしている。

マタイによる福音ふくいんしょ[6]ではユダはきむ目当めあてで祭司さいしちょうたちにイエスのわたしをちかけ、報酬ほうしゅうとして30シェケルもら約束やくそくをとりつけている。『ヨハネによる福音ふくいんしょ[7]では高価こうか香油こうゆをイエスのあしにぬったマリアを非難ひなんする。そこにつづけてかれ使徒しとたちの会計かいけいまかされながら、不正ふせいおこなっていたとしるされている。

複数ふくすう福音ふくいんしょ最後さいご晩餐ばんさん場面ばめんではイエスに裏切うらぎりを予告よこくされ、『マルコによる福音ふくいんしょ[8]では「まれなかったほうが、そのもののためによかった。」とまでイエスにわれている。

ユダは祭司さいしちょうたちと群衆ぐんしゅうをイエスのもとに案内あんないし、接吻せっぷんすることでイエスをしめしてわたした。

その、『マタイ福音ふくいんしょ』では、ユダはみずからのおこないをいて、祭司さいしちょうたちからった銀貨ぎんか神殿しんでんみ、くびって自殺じさつしたことになっている [9]

使徒しと言行げんこうろく[10]では、ユダは裏切うらぎりでかねった土地とち逆様さかさまちて、内臓ないぞうがすべてしてんだことになっている。

解釈かいしゃく[編集へんしゅう]

福音ふくいん書中しょちゅうでイエスの側近そっきん不信心ふしんじん逸話いつわは、弟子でしたちの離反りはん[11]ペトロ否認ひにん[12]うたがぶかトマス[13]ったおんなたち[14]など事欠ことかかず、なかでもユダの裏切うらぎりは衝撃しょうげきてきだが、これには不可解ふかかいてんがある。

  1. イエスは裏切うらぎりを予知よちしていた。ならばなぜ回避かいひできなかったのか?
  2. ユダはいつから背信はいしんしんったのか?
  3. 裏切うらぎりの動機どうきなにか? そもそもかれ自由じゆう意志いしによるものか?

おおくの神学しんがくしゃ哲学てつがくがこの問題もんだいんでた。

いちれいげれば、スイス神学しんがくしゃカール・バルトは、ユダはイエスを十字架じゅうじかけキリストにする重要じゅうよう役割やくわりたした人物じんぶつであり、「かみ使つかわしたもの」とかんがえた。このかんがえは突飛とっぴなものではない。たとえば『ヨハネによる福音ふくいんしょ』のイエスは最初さいしょから裏切者うらぎりものだれであるかをっていた[15]。しかし最終さいしゅうてきには最後さいご晩餐ばんさんおり裏切うらぎりを予告よこくしたのち、

イエスは「わたしがパンれをひたしてあたえるのがそのひとだ」とこたえられた。それから、パンれをひたしてり、イスカリオテのシモンのユダにおあたえになった。ユダがパンれをると、サタンがかれなかはいった。そこでイエスは、「しようとしていることを、いますぐ、しなさい」とかれわれた。 — 13:26-27、しん共同きょうどうやく

イエスはこるべきことをすべてっており、むしろすすんでユダに指図さしずしているようにすらえる。ともかん福音ふくいんしょつたえる「ユダの接吻せっぷん」も、『ヨハネによる福音ふくいんしょ』のイエスはそれをけず、みずかすす名乗なのった[16]

すでに2世紀せいき後半こうはんのキリスト教父きょうふ文書ぶんしょには、異端いたんせつとして「イエスを裏切うらぎったユダがじつはイエス・キリストの弟子でしなかほかだれよりも真理しんりさずかっており、裏切うらぎりの神秘しんぴ達成たっせいした」とのかんがえがあったことをげている。

ユダにられた「裏切うらぎもの」のレッテルとがして復権ふっけんさせようというこころみはおおきく2種類しゅるい分類ぶんるいできる。

  • 裏切うらぎり」は人間にんげんせいとセットになっているものであり、ユダのみの特性とくせいではないとする見方みかた
  • 裏切うらぎり」という行為こういそのものの評価ひょうか両義りょうぎてき視点してん(「ユダの裏切うらぎりは必要ひつようあくであった」というような)をくわえるという見方みかた[17]

また、ひがしヨーロッパにはオイディプス伝説でんせつをモチーフとした、ユダの裏切うらぎりとその末路まつろ出生しゅっしょうからさだめられた運命うんめいとする民話みんわがいくつもられる。そのるいばなしヤコブス・デ・ウォラギネによる聖者せいじゃでんしゅうレゲンダ・アウレア』「使徒しとせいマッテヤ」のこう収録しゅうろくされ、ひじりつたえ解釈かいしゃくのひとつとして中世ちゅうせいのカトリック文化ぶんかけん全域ぜんいきひろまった[18]


芸術げいじゅつ作品さくひんなかられるユダ[編集へんしゅう]

最後さいご晩餐ばんさんピエール=ジュール・ジョリヴェ、パリ サン・ヴァンサン・ド・ポール教会きょうかい英語えいごばん
  • おおくの「最後さいご晩餐ばんさん」をえがいたで、ユダはつぎのように表現ひょうげんされている。
    • 一人ひとりだけ、あたまひかりかんむり後光ごこう)がえがかれない。
    • 一人ひとりだけ、つくえ反対はんたいがわすわっている。
    • ころも黄色おうしょく場合ばあいおおい。
  • イエスを逮捕たいほするときおこなった接吻せっぷん・「ユダの接吻せっぷん」は非常ひじょう有名ゆうめいで、後世こうせいにも『ゴッドファーザー PART II』でも描写びょうしゃされているようにイタリアのマフィアが裏切うらぎもの処刑しょけいするさい、この行動こうどう真似まねるという風習ふうしゅう存在そんざいした(くちづけ)。
  • ダンテ叙事詩じょじしかみきょく地獄じごくへんにおいては、地獄じごくさい下層かそう裏切者うらぎりものほうむられる地獄じごくだいきゅうけんこおり地獄じごくコキュートスの中央ちゅうおうで、魔王まおうめられるというもっとも残酷ざんこくばっけるさい重罪じゅうざいじんとしてえがかれている。コキュートスはよんえん区切くぎられているが、このうち中央ちゅうおうえんはユダにちなむ「ジュデッカ」と命名めいめいされている。
  • 邦題ほうだい最後さいご誘惑ゆうわく』として映画えいがされたニコス・カザンザキス小説しょうせつ『キリスト最後さいごのこころみ』は、イエスに信頼しんらいされ、裏切うらぎりのやくけるというユダ解釈かいしゃくしめしている。
  • 太宰だざいおさむ短編たんぺんうった』は、イエスを裏切うらぎ愛憎あいぞうじった複雑ふくざつ感情かんじょうを、ユダの一人称いちにんしょう独白どくはくたいえがいている[17]
  • ロックオペラ『ジーザス・クライスト=スーパースター』では、ジーザスをあいするがゆえに、その暴走ぼうそうめるために裏切うらぎる。そしてその役目やくめわせたかみのろいの言葉ことばき、自殺じさつする。
  • 武田たけだ泰淳たいじゅん小説しょうせつ『わがキリスト』に登場とうじょうするユダは沈着ちんちゃく冷静れいせい現実げんじつ主義しゅぎしゃであるが、同時どうじしいたげられたユダヤの民衆みんしゅうたいしてつよ同胞どうほうあいいだ人物じんぶつでもある。新興しんこうだい商人しょうにんであるユダは貿易ぼうえきじくとした経済けいざい成長せいちょうによってユダヤの民衆みんしゅう貧困ひんこんから解放かいほうしようとかんがえているが、その一方いっぽう宗教しゅうきょうという自分じぶんとはことなる立場たちばから人々ひとびとすくおうするイエスをユダヤのみん必要ひつよう救世主きゅうせいしゅみとめており、やがてイエスの処刑しょけいけられなくなるとみずからを犠牲ぎせいにしてその「復活ふっかつ」を画策かくさくする。
  • ヘンリック・パナスによってかれた『ユダによれば 外典げてん』では、ユダは現実げんじつ主義しゅぎしゃとしてえがかれ、ユダをとおしてかたられるイエスもかみではなく天賦てんぷざいった人間にんげんとしてえがかれる。ユダはイエスのことは裏切うらぎっておらず、おしえをぐようにわれる。しかし、だれひとりとしてユダをしんじようとはぜずはししゃあつかいされた、としている。
  • さいとう・たかを劇画げきがゴルゴ13』の主人公しゅじんこうゴルゴ13のコードネームは、ゴルゴダの13番目ばんめおとこ=ユダをしめしているとされている。エピソードのひとつ「15-34」では、自身じしんをキリストと認識にんしきしたコンピュータプログラム「ジーザス」が、2000ねんまえ復讐ふくしゅうとしてゴルゴを抹殺まっさつしようとする。
  • 安彦やすひこ良和よしかず漫画まんが『イエス』では、ユダはイエスいちぎょう会計かいけいがかりとして登場とうじょうし、イエスの正体しょうたい見極みきわめようとして行動こうどうともにする現実げんじつ主義しゅぎしゃとしてえがかれている。またイエスに敵対てきたいするだい祭司さいしカヤパのスパイとしても暗躍あんやくし、イエスを利用りようしようとする熱心ねっしんとうバラバ行動こうどうにも注視ちゅうししている。作品さくひん登場とうじょうする架空かくう弟子でしヨシュアに裏切うらぎりを非難ひなんされると、イエスについて「ただなみよりも物事ものごとのよくえる人間にんげん」であって、かれ救世主きゅうせいしゅまつげたのは弟子でしたちのおろかさによるものだとかたった。
  • 中村なかむらひかり漫画まんがきよし☆おにいさん』では、ダンテの『かみきょく』をほぼなぞっているが、(ギャグ漫画まんがという性質せいしつはあるものの)地獄じごくから解放かいほうされ、イエスや使徒しととも和解わかいしていることが描写びょうしゃされている。ほんさくだいえい博物館はくぶつかんでも展示てんじされた。
  • 赤松あかまつけん漫画まんがUQ HOLDER!』では、「結城ゆうきなつ凜」という名前なまえ登場とうじょう。「かみのろい」によりからだ世界せかいから断絶だんぜつされたことでからだきた事象じしょうはすべてえられるため、不死身ふじみとなっている。
  • 水無月みなづきすう漫画まんがJUDAS』では主人公しゅじんこうとして登場とうじょう(JUDAS/ジューダスはJUDA/ユダの英語えいごみ)。筋骨きんこつたくましい青年せいねんとしてえがかれ、死神しにがみとしてだい使役しえきる。ヨハネの黙示録もくしろくこすペテロ筆頭ひっとうほかじゅう使徒しとたたか設定せっていになっている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ ヨシュア15:25。口語こうごやく聖書せいしょでは「ケリオテ」
  2. ^ マタイ10.2-4、マルコ3.13-19、ルカ6.12-16
  3. ^ 使徒しと1.16
  4. ^ 腰抜こしぬけの」,由来ゆらいというせつもあります。 【使つかえる英語えいご表現ひょうげん!】いろ使つかったイディオムを紹介しょうかい ③(くろ”. Fruitful Englishのおいしいブログ~英語えいごまな (2023ねん3がつ7にち). 2024ねん2がつ3にち閲覧えつらん
  5. ^ 6:71
  6. ^ 26:14-16
  7. ^ 12:4-6
  8. ^ 14:21
  9. ^ 27:5
  10. ^ 1:18
  11. ^ ヨハネ6:66
  12. ^ マタイ26:69-75
  13. ^ ヨハネ20:24-29
  14. ^ マルコ16:8
  15. ^ 6:64
  16. ^ 18:4
  17. ^ a b [|竹下たけした節子せつこ]『ユダ 烙印らくいんされたまけ符号ふごう心性しんせい中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、2014ねん、11-14,51₋52,83ぺーじ 
  18. ^ 山中やまなか知子ともこ文化ぶんかアラベスク:神話しんわ伝説でんせつ人文書院じんぶんしょいん 2012ねん ISBN 9784409140642 pp.172-185.

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]