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うった

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み訴へ」(かけこみうったえ、しんかなでは「うったえ」)は、太宰だざいおさむ短編たんぺん小説しょうせつ

概要がいよう[編集へんしゅう]

初出しょしゅつ 中央公論ちゅうおうこうろん』1940ねん2がつごう
単行本たんこうぼん おんな決闘けっとう』(河出かわで書房しょぼう、1940ねん6がつ15にち
執筆しっぴつ時期じき 1939ねん12月完成かんせい[1]
原稿げんこう用紙ようし 34まい[2]

ほん作品さくひんつま美知子みちこ太宰だざい口述こうじゅつ筆記ひっきしてできたものである[1]後年こうねん美知子みちこ以下いかのように回想かいそうしている[3]

太宰だざい炬燵こたつたって、さかずきをふくみながら全文ぜんぶんかいこいとくように口述こうじゅつし、よどみもなく、いいなおしもなかった。ふだんとってわったきびしいかれ表情ひょうじょう威圧いあつされて、わたしはただ機械きかいてきにペンをうごかすだけだった。

イスカリオテのユダ主人公しゅじんこうとした視点してんで、イエス・キリストたいしてどういう感情かんじょうっていたのかをべるという形式けいしきっている。全体ぜんたいとしてはイエスの薄情はくじょういやらしさをうったえる内容ないようとなっている。しかしその実質じっしつは、自暴自棄じぼうじきになったユダのあいにくしみがないまぜになって、どちらがどちらか本人ほんにんすらすでに判別はんべつつかなくなり、混乱こんらんしながらも悲痛ひつううったえているというものである。ユダがどこにんでだれうったえかけたのかは、あきらかにされない。

太宰だざいは「うば」において「ユダのあくつよければつよいほど、キリストのやさしさのひかりす」としるしている。

関連かんれん書籍しょせき[編集へんしゅう]

関連かんれん作品さくひん[編集へんしゅう]

ドラマ[編集へんしゅう]

舞台ぶたい[編集へんしゅう]

  • JUDAS, CHRIST WITH SOY ユダ、キリスト ウィズ ソイ 〜太宰だざいおさむうったえ』より〜(2015ねん10がつ、HONMOKU AREA-2)[4]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 太宰だざいおさむ全集ぜんしゅう 附録ふろくだいよんごう八雲やくも書店しょてん、1948ねん11月30にち所収しょしゅう津島つしま美知子みちこ御崎おんざきまちから三鷹みたかへ」。
  2. ^ 太宰だざいおさむ全集ぜんしゅう だい3かん筑摩書房ちくましょぼう、1989ねん10がつ25にち、420ぺーじ解題かいだい山内やまうちさち)より。
  3. ^ 津島つしま美知子みちこ三鷹みたか」『回想かいそう太宰だざいおさむ講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ ; つH1〉、2008ねん3がつ、43ぺーじISBN 9784062900072 
  4. ^ 蓮沼はすぬまふとし×森山もりやま未來みらい太宰だざいおさむうったえ」土台どだい舞台ぶたい作品さくひんでコラボ”. 音楽おんがくナタリー (2015ねん9がつ18にち). 2015ねん9がつ18にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]