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ルカ

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ひじりルカ
福音ふくいん記者きしゃ
崇敬すうけいする教派きょうは カトリック教会きょうかいカルケドン正教会せいきょうかいせい公会こうかい、ルーテル教会きょうかい
記念きねん 10月18にち(カトリック)
4がつ22にち正教会せいきょうかい
守護しゅご対象たいしょう 医者いしゃ画家がか[1]
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ルカΛらむだοおみくろんυうぷしろんκかっぱᾶς、Lukas、ギリシア発音はつおんでルカス、福音ふくいん記者きしゃルカ)は、新約しんやく聖書せいしょの『ルカによる福音ふくいんしょ』および『使徒しと言行げんこうろく』の著者ちょしゃとされる人物じんぶつ

聖人せいじん概念がいねん教派きょうはで、聖人せいじんとして崇敬すうけいもされている。カトリック教会きょうかいでの記念きねん10月18にち正教会せいきょうかいでの記憶きおく4がつ22にち5月3にち)である。西方せいほう世界せかいでは医者いしゃおよび画家がか守護しゅご聖人せいじんとされる。日本語にほんご表記ひょうきでは「みち」ともかれる。

福音ふくいん記者きしゃルカ

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『ルカによる福音ふくいんしょ』および『使徒しとぎょうでん』はルカのによるものとして「ルカ文書ぶんしょ」とばれるが、福音ふくいんしょおよび使徒しとぎょうでんには著者ちょしゃについての記述きじゅつけている。一方いっぽう新約しんやく聖書せいしょちゅうには、ルカと名前なまえパウロ書簡しょかん協力きょうりょくしゃとしてあらわれる(『フィレモンへの手紙てがみ』24、『テモテへの手紙てがみ』4:11、『コロサイの信徒しんとへの手紙てがみ』4:14)。教会きょうかい伝承でんしょうでは、はやくからこの人物じんぶつ福音ふくいんしょおよび使徒しと言行げんこうろく著者ちょしゃとされてきた。『コロサイの信徒しんとへの手紙てがみ』には「あいする医者いしゃルカ」とあり、ここから福音ふくいん書記しょきしゃルカの職業しょくぎょう伝統でんとうてき医者いしゃであるとしんじられてきた。

使徒しと言行げんこうろく』には、パウロのいくかの布教ふきょう旅行りょこうに「わたしたち」とする記述きじゅつがあり、ルカが著者ちょしゃであれば、ルカはパウロの最初さいしょマケドニア宣教せんきょうおよびマケドニアからエルサレムへの旅行りょこう、またエルサレムからローマへの護送ごそうっていたことになる。またこの記述きじゅつからは、ルカはしょうアジアトロアスなにかしらふか関係かんけいがあったようである。

ルカおよびルカ福音ふくいんしょはしばしばうしシンボルあらわされる。これは『エゼキエルしょ』1:10に登場とうじょうするよっつのもの由来ゆらいし、それぞれよんにん福音ふくいん記者きしゃ福音ふくいんしょ比定ひていされている。

後代こうだい記録きろく伝承でんしょうにおけるルカ

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4世紀せいき一説いっせつには2世紀せいきのものとされる文書ぶんしょ『ルカによる福音ふくいんしょへのはんマルキオンてき序文じょぶん』に、ルカはシリアアンティオキア出身しゅっしんで、シリアじん職業しょくぎょう医者いしゃ」とする記述きじゅつあらわれる。この文書ぶんしょはまた、ルカは生涯しょうがい独身どくしんで、84さいくなったともつたえる。いくつかの写本しゃほんはルカがくなったのはボイオーティアテーバイであると追記ついきしている。

後代こうだい伝承でんしょうでは、ルカの伝記でんきはより明確めいかくされた。エピファニオスななじゅう門徒もんと一人ひとりにルカのげている。ヨハネス・クリュソストモスは、『コリントの信徒しんとへの手紙てがみ』8:18にう「わたし兄弟きょうだい」とは、バルナバとルカのどちらかをすとかんがえていた。

また、ルカには画才がさいがあり、はじめて聖母せいぼマリアえがいたとの伝承でんしょうもあったため、中世ちゅうせい絵画かいが作品さくひんとうには、聖母子せいぼしぞうえがくルカの姿すがたこのんでえがかれている。このため、中世ちゅうせいヨーロッパの画家がか薬剤師やくざいしギルドおおくルカを守護しゅご聖人せいじんとしている。また、ネーデルラントなどのしょ都市としにある画家がかギルドは、共通きょうつうして「ひじりルカ組合くみあい」を名乗なのることがおおかった。

ルカ文書ぶんしょ筆者ひっしゃ問題もんだい

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『ルカによる福音ふくいんしょ』および『使徒しと言行げんこうろく』はルカのによるものとして「ルカ文書ぶんしょ」とばれる。だがその真偽しんぎについては以前いぜんから論争ろんそうり、いまだ決着けっちゃくていない。保守ほしゅてき学者がくしゃはルカちょしゃせつ支持しじしており、その論拠ろんきょとしては、これらの文書ぶんしょ著者ちょしゃがルカであるとすることで古代こだい記者きしゃたち一致いっちしており、新約しんやく聖書せいしょではあまり目立めだたないこの人物じんぶつ著者ちょしゃとすることで、格別かくべつ権威けんいけがなされるとはかんがえられないとする。一方いっぽうこれらの見解けんかい否定ひていする学者がくしゃは、ルカ文書ぶんしょしん著者ちょしゃ不明ふめいであるとかんがえている。

脚注きゃくちゅう

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関連かんれん項目こうもく

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