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フィレモンへの手紙てがみ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

フィレモンへの手紙てがみ』(フィレモンへのてがみ)は、新約しんやく聖書せいしょなかいちしょで、使徒しとパウロによってフィレモン(ピレモン)、および姉妹しまいアフィア、戦友せんゆうアルキポ、ならびに(コロサイにある)フィレモンのいえ教会きょうかいにあてて(フィレモンへの手紙てがみせつかれた書簡しょかんである。19世紀せいき聖書せいしょ学者がくしゃフェルディナント・クリスティアン・バウアがパウロのものであることにうたがいをしめしたことでられるが、現在げんざいではほぼうたがいなくパウロのによるものであるとかんがえられている。現存げんそんするパウロ書簡しょかんなかではもっともみじかく25せつしかない。『ピレモンへの手紙てがみ』、『フィリモンにたっするしょ』とも表記ひょうきされる。

書簡しょかん内容ないようについて

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ほん書簡しょかんは、エフェソスにおいて獄中ごくちゅうにあったパウロが、紀元きげん53ねんころ協力きょうりょくしゃフィレモンと二人ふたり仲間なかま(アフィアとアルキポ)およびフィレモンのいえ教会きょうかいにあててしるしたものである。『コロサイの信徒しんとへの手紙てがみ』によれば、フィレモンはコロサイ共同きょうどうたいのメンバーであったとおもわれる。ただ『コロサイしょ』の真筆しんぴつせいには疑問ぎもんのこる。偽書ぎしょとした場合ばあい、『コロサイしょ』は本書ほんしょたん模倣もほうしたとするせつもあるが、その成立せいりつはかなりはやいと推定すいていされるのでこうした関係かんけい否定ひていできないとするせつもある。フィレモンのいえ教会きょうかいとコロサイ教会きょうかい同一どういつであるとしてフィレモンがコロサイしょ執筆しっぴつしたというせつもある[1]。この書簡しょかん登場とうじょう人物じんぶつは、フィレモンとアフィア以外いがいはすべてコロサイの信徒しんとへの手紙てがみにも登場とうじょうしている。

この書簡しょかんでパウロはフィレモンの奴隷どれいであったオネシモ(オネシモス、ギリシアで「やくつ」の)なる人物じんぶつへの配慮はいりょもとめている。くわしい事情じじょう文面ぶんめんからりえないが、オネシモはいちやくにたないもの」としてフィレモンのもとをはなれたが、かれふたたむかれてほしいというのがパウロのねがいである。

聖書せいしょ学者がくしゃたちの見解けんかいはオネシモが主人しゅじんのもとを逃亡とうぼうしたのだろうということである。もっとも田川たがわ建三けんぞうはそれを否定ひていしている[2]。さらに逃亡とうぼう生活せいかつなかでパウロに出会であい、キリスト教徒きりすときょうとになったとかんがえられる。当然とうぜんフィレモンはげたオネシモのことをおもっていなかったが、パウロはキリスト教徒きりすときょうととしてにん和解わかいさせようとかんがえている。

近年きんねんゲルト・タイセン英語えいごばん市川いちかわ喜一きいち[3]らによって、逃亡とうぼう奴隷どれいせつではなく「オネシモは主人しゅじんとのあいだって問題もんだいおさめてくれる人物じんぶつとしてパウロをたよってた」とする調停ちょうてい依頼いらいせつされている。

パウロ書簡しょかん詳細しょうさい事情じじょうについてはかないことがおおい。この手紙てがみでもパウロはオネシモのけん解決かいけつするため、フィレモンの「キリストしゃとしてのあい」にうったえている。パウロはオネシモのフィレモンにたいするりを自分じぶんのものにしてくれるようたのむことで帳消ちょうけしにするとともに、フィレモンもまたパウロにりがあることを想起そうきさせる。パウロはオネシモが信仰しんこうはいったことで、あらたな身分みぶんになったとし、オネシモが「奴隷どれいでなくあいする兄弟きょうだいとして」フィレモンのもともどれるよう配慮はいりょしている。

パウロがフィレモンになにのぞんでいたかということは、オネシモをゆるすこと、奴隷どれいから解放かいほうすること、宣教せんきょうしゃとしてパウロの弟子でしとすることなど諸説しょせつがある。パウロにとって福音ふくいんが「奴隷どれい制度せいど」という当時とうじたりまえだった社会しゃかい構造こうぞうにくさびをむものとかんがえていたとるものもいる。

コロサイの信徒しんとへの手紙てがみ4しょう9せつによれば、同書どうしょ偽書ぎしょだとしてもオネシモはそのパウロの周辺しゅうへんでの奉仕ほうししゃとなったとかんがえられる。アンティオキアのイグナティオス2世紀せいき初頭しょとうのエフェソス司教しきょうとしてオネシモという名前なまえをあげているが、オネシモは奴隷どれい名前なまえとしてありふれたものだったのでどう一人物いちじんぶつ断定だんていするのはむずかしい。一方いっぽうエフェソス司教しきょうオネシモが後日ごじつパウロ書簡しょかんしゅう蒐集しゅうしゅうしその最後さいごにこのしょをおいたとするせつもある[4]。またハリスンらはオネシモをエフェソしょ著者ちょしゃかんがえている[5]

特徴とくちょう

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内容ないよう特定とくてい所用しょようのためにかれたものであるので、『フィレモンしょ』が神学しんがく思想しそうにほとんどれていないことは無理むりもない。マルティン・ルターは『フィレモンしょ』をパウロとキリストに共通きょうつうする「ゆるし」という視点してんからとらえているが、ルターもこの手紙てがみでパウロが社会しゃかい制度せいど変革へんかくかんがえているとはかんがえなかった。

しかし近年きんねんかんがえられていることは、「監禁かんきんちゅうにもうけたわたしのオネシモ(10)」から、この手紙てがみはパウロの後継こうけいしゃ指名しめいかんするものであるということである。「監禁かんきんちゅうにもうけた」を洗礼せんれいととるせつもあるが、オネシモがいえ教会きょうかい管理かんりしゃ奴隷どれいであることをかんがみれば、パウロとったとき受洗じゅせんであったとはかんがえにくい。「わたしのしんであるオネシモ(12)」はパウロと子弟していてきになっていることを髣髴ほうふつさせる。しかしオネシモはいまだフィレモンの奴隷どれいである。「かれがあなたになに損害そんがいあたえたり(18)」は職務しょくむじょう過失かしつ仮定かていてきいているのかもしれないし、オネシモが無能むのう奴隷どれいということではない。「以前いぜんはあなたにとってやくにたないものでしたが、いまは、あなたにもわたしにも役立やくだものとなっています(11)」は、キリストという語呂ごろふくんでおり、「キリストのために役立やくだたなかったものが役立やくだつものとなった」ということであろう。事実じじつコロサイの信徒しんとへの手紙てがみでは、オネシモはパウロにちかいキリスト奉仕ほうししゃとして登場とうじょうしている。そうなると、この手紙てがみ目的もくてき必須ひっす事項じこうはオネシモの奴隷どれいからの解放かいほうであり、「わたしが以上いじょうのことさえ(21)」はキリストの奉仕ほうししゃとしててさせることであろう。そして、パウロのねがいはいずれもかなっているのである。

脚注きゃくちゅう

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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