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黄禍こうかろん

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黄禍こうか」(どく: gelbe Gefahr)を世界せかいらしめた寓意ぐうい"ヨーロッパのしょ国民こくみんよ、諸君しょくんらのもっと神聖しんせいたからまもドイツばん"。ドイツ皇帝こうていヴィルヘルム2せい図案ずあんをもとに、歴史れきし画家がかヘルマン・クナックフースドイツばん英語えいごばんえがいたこのは、当時とうじヨーロッパ日本にっぽん中国ちゅうごく清朝せいちょう)にたいする警戒けいかいしん端的たんてきあらわしたイラストである。右手みぎて田園でんえんさかほのおなか仏陀ぶっだがおり、左手ひだりて十字架じゅうじか頭上ずじょうかがや高台たかだいには、ブリタニアイギリス)、ゲルマニアドイツ)、マリアンヌフランス)などヨーロッパ諸国しょこく擬人ぎじんした女神めがみたちのまえキリスト教きりすときょうだい天使てんしミカエルたたかいをけている。

黄禍こうかろん(こうかろん、おうかろん[1][2]どく: Gelbe Gefahr英語えいご: Yellow Peril)とは、19世紀せいき後半こうはんから20世紀せいき前半ぜんはんにかけてヨーロッパきたアメリカオーストラリアなどの欧米おうべい国家こっかにおいてあらわれた、日本人にっぽんじん脅威きょういろん人種じんしゅ差別さべつ一種いっしゅとされる。

概要がいよう

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にちしん戦争せんそう1894ねん)における日本にっぽんによる中国ちゅうごく大陸たいりくへの軍事ぐんじてき進出しんしゅつをきっかけに、同様どうよう中国ちゅうごく大陸たいりく進出しんしゅつしていたロシアドイツフランスひろがった政策せいさく思想しそうである[3]フランスでは1896ねん時点じてんでこの言葉ことば使用しよう確認かくにんされており、ドイツ帝国ていこく皇帝こうていヴィルヘルム2せいひろめた寓意ぐういヨーロッパのしょ国民こくみんよ、諸君しょくんらのもっと神聖しんせいたからまもドイツばん』によって世界せかいひろがった[4]にちしん戦争せんそうつづにち戦争せんそうにちどく戦争せんそう日本にっぽん勝利しょうり欧州おうしゅう全体ぜんたいひろまったとされる[5][6]おも論者ろんしゃどく: gelbe Gefahr(「黄禍こうか」)というスローガンをかかげたドイツ帝国ていこく皇帝こうていヴィルヘルム2せいげられる。1900ねんきたきよし事件じけん義和よしかずだんらんきよし内乱ないらん暴力ぼうりょく傾向けいこう宗教しゅうきょうてき差異さい関連付かんれんづけるかたちでドイツ国内こくない報道ほうどうされた。

だい航海こうかい時代じだい以前いぜんモンゴル帝国ていこくをはじめとした東方とうほうけい民族みんぞくによる侵攻しんこうくるしめられた白人はくじんは、黄色おうしょく人種じんしゅモンゴロイドしょうした。キタイという言葉ことば直接ちょくせつ意味いみは、10世紀せいきころ華北かほくにてりょうあさ建国けんこくした遊牧ゆうぼく民族みんぞくちぎり」をすが、ロシアにおいては(現在げんざいふくめた)「中国ちゅうごく」を意味いみし、北方ほっぽうへの対外たいがい侵略しんりゃくつねとしてきたちぎり同一どういつすることで警戒けいかい畏怖いふする意味いみめられている[7]。そのため、黄色おうしょく人種じんしゅは、モスクワ大公たいこうこくロシア帝国ていこく)においては「タタールのくびき」として、また、西にしヨーロッパではアンチキリストがアジアからあらわれるとしんじられ、ともおそれられてきた。近衛このえ篤麿あつまろどう人種じんしゅ同盟どうめいろんとなえたように、かりにちちゅうさらにはインドが連携れんけいした場合ばあい絶大ぜつだい人口じんこうほこ勢力せいりょくとなるため、欧米おうべい離間りかん工作こうさくかえしてきた[8]

近代きんだい黄禍こうかろん対象たいしょうとされる民族みんぞくは、おも中国人ちゅうごくじん日本人にっぽんじんである。このことはとくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでは1882ねん制定せいていされたはいはな移民いみんほう1924ねん制定せいていされた排日はいにち移民いみんほうなど反日はんにちてき立法りっぽうあらわわれ、影響えいきょうろんじられる。

歴史れきし

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"The Yellow Terror In All His Glory"(1899ねん)とだいされた、黄禍こうかかんする諷刺ふうし辮髪べんぱつ中国人ちゅうごくじん女性じょせいみつけにしている。
The Yellow Menace (1916ねん9がつ)

黄禍こうかというスローガンは、にちしん戦争せんそう前後ぜんご1894ねんから1895ねんにかけて新聞しんぶんパンフレット雑誌ざっしなどのマスメディアに流布るふするようになった[9]。それ以前いぜんに、黄禍こうかという言葉ことばこそ使つかっていないものの、中国人ちゅうごくじん脅威きょういいたミハイル・バクーニンれいられる[10]。その1900ねん義和よしかずだんらん勃発ぼっぱつまではドイツ帝国ていこく国内こくないでさえ「黄禍こうか」という言葉ことばはほとんど無視むしされ、対照たいしょうてきラインがわ西にしだいさん共和きょうわせいフランスでは1896ねんから1899ねんあいだ言論げんろんかいで「黄禍こうか」がしばしばろんじられた[11]

ハインツ・ゴルヴィツァー著書ちょしょ、『黄禍こうかろんとはなにか』にて、「黄禍こうか」は1895ねんにラインがわ西にし発生はっせいし、拡散かくさんしていったと推定すいていしている[12]

まず、イギリスで黄禍こうかろん頻繁ひんぱんにジャーナリズムに登場とうじょうするようになり、それがロシア、フランスに波及はきゅうしていった[13]

フランスのアナトール・フランスは、黄禍こうかろん横行おうこうする世相せそうなか1904ねん発表はっぴょうした小説しょうせつしろ試金石しきんせきフランス語ふらんすごばん』のなかで、ヨーロッパの「しろ」こそが「黄禍こうか」をしたのだと主張しゅちょうし、はん植民しょくみん主義しゅぎとなえた[14]

ロナルド・ノックスは、推理すいり小説しょうせつさいのルールとして1928ねん発表はっぴょうしたノックスの十戒じっかいにおいて「主要しゅよう人物じんぶつとして中国人ちゅうごくじん登場とうじょうさせてはならない」を追加ついかしたが、その理由りゆうとして「われわれ西欧せいおうじん[15]のあいだには、“中国人ちゅうごくじん頭脳ずのう優秀ゆうしゅうでありながら、モラルのてんおとものおおい”との偏見へんけん根強ねづよい」と説明せつめいしている[16]

黄禍こうか」という言葉ことばまれる以前いぜん黄禍こうか思想しそうにちしん戦争せんそう講和こうわ条約じょうやくさいしてロシアドイツフランスさんこく1895ねん4がつ23にちったさんこく干渉かんしょうによってひろまった[17]ヒューストン・ステュアート・チェンバレン人種じんしゅ理論りろん影響えいきょうけた[18]ドイツ帝国ていこく皇帝こうていヴィルヘルム2せいは「黄禍こうか」をくことによって、それまでのひろしスラヴ主義しゅぎひろしゲルマン主義しゅぎ対立たいりつによってドイツと敵対てきたいしていたロシアを極東きょくとう釘付くぎづけし、さらにロシアと同盟どうめい関係かんけいにあったフランス相手あいてにドイツのヨーロッパにおける立場たちば有利ゆうりにすることを画策かくさくしたのであった[19]さんこく干渉かんしょう同年どうねんの1895ねんあきにヴィルヘルム2せいみずからが原画げんがえがき、宮廷きゅうてい画家がかヘルマン・クナックフースドイツばん仕上しあげた寓意ぐういヨーロッパのしょ国民こくみんよ、なんじらのもっと神聖しんせいたからまもれ!ドイツばん」をロシア帝国ていこく皇帝こうていニコライ2せい贈呈ぞうていし、さらにその複製ふくせいがフランスのフェリックス・フォール大統領だいとうりょうアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくウィリアム・マッキンリー大統領だいとうりょうらに配布はいふされ、この寓意ぐういのイメージは西洋せいよう世界せかい黄禍こうかろん普及ふきゅうさせるにいたった[20]

ところが、1900ねん義和よしかずだんらん勃発ぼっぱつすると、ヴィルヘルム2せいどう1900ねん7がつ6にちキールみなとにて義和よしかずだんらん派遣はけんされるドイツぐん将兵しょうへいたいして「匈奴きょうど演説えんぜつドイツばん」(フンネンレーデ)とばれる黄色おうしょく人種じんしゅ排斥はいせき演説えんぜつおこない、7がつおこなわれた幾度いくどかの演説えんぜつなかでドイツ皇帝こうてい清国きよくに兵士へいしをドイツぐん捕虜ほりょにする必要ひつようはないことなどをうったえ、このヴィルヘルム2せい過激かげき言動げんどう西洋せいよう諸国しょこくからも批判ひはんけた[21]

さらに1904ねんにち戦争せんそう勃発ぼっぱつすると、ヴィルヘルム2せいアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくセオドア・ルーズベルト大統領だいとうりょうたいし、にち戦争せんそう黄白こうはく人種じんしゅあいだ人種じんしゅ戦争せんそうであることをうったえた[22]1905ねん9月5にちにち戦争せんそう講和こうわ条約じょうやくであるポーツマス条約じょうやく締結ていけつされたさいには、よく9月6にちの『ニューヨーク・タイムズ』のインタビューにてヴィルヘルム2せいはドイツ外交がいこう当局とうきょく意図いとえて黄禍こうかうったえ、にち戦争せんそう勝利しょうりによって列強れっきょうあいだ門戸もんこ開放かいほう政策せいさくくずしかねない日本にっぽんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくちから抑制よくせいしようとこころみている[23]

だいいち世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつし、中央ちゅうおう同盟どうめいこくいちこくであるドイツにたいし、連合れんごうこくいちこくとして日本にっぽん参戦さんせんしてにちどく戦争せんそうきると、ドイツでは黄禍こうか感情かんじょうがよみがえり、雑誌ざっしルスティゲ・ブレッタードイツばん』や『ヴァーレ・ヤーコプドイツばん』にはヴィルヘルム2せい寓意ぐうい、「ヨーロッパのしょ国民こくみんよ、なんじらのもっと神聖しんせいたからまもれ!ドイツばん」をパロディにしたたいにち風刺ふうし掲載けいさいされた[5]

イタリア

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ファシスタイタリアすべりょうベニート・ムッソリーニは、1931ねんまんしゅう事変じへん勃発ぼっぱつ以後いごイタリア中国ちゅうごく支持しじ政策せいさくや、エチオピアへの領土りょうどてき野心やしんからはっした当時とうじ日本にっぽんとエチオピアの関係かんけい拡大かくだいへの対抗たいこうから、1934ねん日本人にっぽんじんたいして黄禍こうかろん表明ひょうめいし、杉村すぎむら陽太郎ようたろうちゅう日本にっぽん大使たいし衝突しょうとつしている[24][25]。だが、そのだい世界せかい大戦たいせんでは、ナチスドイツとともににちどくさんこく同盟どうめい締結ていけつし、枢軸すうじくこく一員いちいんとして日本にっぽんとは友好ゆうこう関係かんけいてんじた。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく

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1911ねん刊行かんこうされたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくキリスト教きりすときょうディスペンセーション主義しゅぎしゃG・G・ルパート英語えいごばん著書ちょしょ"The Yellow Peril"(『黄禍こうか』)のだいさんはん
アメリカの反日はんにちプロパガンダ

19世紀せいきなかば、清朝せいちょう衰退すいたいし、イギリスをはじめとする西洋せいよう諸国しょこくによってはん植民しょくみん状態じょうたいにおかれた中国ちゅうごくでは、安定あんていした生活せいかつもと海外かいがい移住いじゅうするもの華僑かきょう)がはじめた。

ちょうどこのころ1848ねん1がつ24にち当時とうじはまだメキシコ一部いちぶであったカリフォルニアしゅうきむ鉱山こうざん発見はっけんされゴールドラッシュかえっていた(カリフォルニア・ゴールドラッシュ)。ゴールドラッシュによる好景気こうけいき影響えいきょうもあって西部せいぶ開拓かいたくすすめられ、大陸たいりく横断おうだん鉄道てつどう敷設ふせつすすめられた。金鉱きんこう鉱夫こうふ鉄道てつどう工事こうじ工夫くふうとしておおくの中国人ちゅうごくじん労働ろうどうしゃれられた(苦力くーりー)。1860年代ねんだいよりカリフォルニアのアイルランドじん中心ちゅうしんとする白人はくじん労働ろうどうしゃあいだはん中国人ちゅうごくじん苦力くーりー感情かんじょうたかまっており、1869ねんには中国人ちゅうごくじん雇用こようする企業きぎょうたいして「アングロサクソン保護ほご委員いいんかい」としょうする組織そしき脅迫きょうはくじょうおくっている[26]

1870ねん帰化きかほう改正かいせいされ(Naturalization Act of 1870英語えいごばん)、帰化きかできる人種じんしゅに「アフリカけい」がくわえられた。これは南北戦争なんぼくせんそう処理しょり一環いっかんであるが、チャールズ・サムナーらの人種じんしゅによる要件ようけんをなくす提案ていあん拒否きょひされ、この条項じょうこうはのちにアジアけい区別くべつすることにひろ使つかわれることになる[27]てい賃金ちんぎん労働ろうどういとわずに白人はくじん労働ろうどうしゃ競争きょうそうしていた中国人ちゅうごくじん労働ろうどうしゃへの反発はんぱつから、1882ねん中国人ちゅうごくじん排斥はいせきほう制定せいていされた[28]。この1882ねん中国人ちゅうごくじん排斥はいせきほう成立せいりつはドイツとオーストリアはんユダヤ主義しゅぎしゃ思想しそうてき影響えいきょうあたえ、『しんドイツ民族みんぞく新聞しんぶん(Neue Deutsche Volkszeitung)』やオーストリアの政治せいじカール・ボイルレドイツばんユダヤじんを「ヨーロッパ中国人ちゅうごくじん」とんで攻撃こうげきする立場たちばからこの法律ほうりつ賛同さんどうする声明せいめい発表はっぴょうしている[29]おな差別さべつけるものとして中国人ちゅうごくじん擁護ようごてきであったユダヤじん作家さっかであるマーク・トゥエインですら、1905ねんには『黄色きいろ恐怖きょうふ物語ものがたり』を執筆しっぴつしている[30]

すこおくれて19世紀せいき後半こうはん日本人にっぽんじんハワイ移住いじゅうはじめる。1898ねんハワイが米国べいこく併合へいごうされ、また、カリフォルニア開発かいはつ進展しんてんなどにより農場のうじょう労働ろうどうしゃ必要ひつようになると、日系にっけい移民いみんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく本土ほんどへの移転いてん増加ぞうかする。

祖国そこくでは困窮こんきゅうしきっていたかれらは新天地しんてんちでの仕事しごとてい賃金ちんぎんでも文句もんくわずはたらいた。そのためイタリアけいアイルランドけい(いずれも熱心ねっしんカトリック教徒きょうと)などの白人はくじん社会しゃかいでは、下層かそうめていた人々ひとびと雇用こよう中国人ちゅうごくじん移民いみん日本人にっぽんじん移民いみんなどの黄色おうしょく人種じんしゅうばうようになった。それが社会しゃかい問題もんだいし、黄禍こうかろんとなえられるようになった。

1880年代ねんだいよりきたアメリカ本土ほんどのカリフォルニアに移住いじゅうした日本人にっぽんじん移民いみん1900年代ねんだい初頭しょとう急増きゅうぞうし、急増きゅうぞうともなって中国人ちゅうごくじん排斥はいせきされたのと同様どうよう理由りゆう現地げんち社会しゃかいから排斥はいせきされるようになり、1905ねん5月には日本人にっぽんじん韓国かんこくじん排斥はいせき連盟れんめい結成けっせいされた[31]1906ねん4がつサンフランシスコ地震じしんのち悪化あっかしたカリフォルニアのたいにち感情かんじょうのもつれは、1907ねん日米にちべい当局とうきょくによる日本人にっぽんじん移民いみん制限せいげんというかたち政治せいじ決着けっちゃくした[32](日米にちべい紳士しんし協約きょうやく[33][34])。この事件じけん契機けいきに、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくでは「黄禍こうか」は「にち」としてとらえられるようになった[35]。そのアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくたいにち感情かんじょう強硬きょうこうであり、日系にっけいじん農業のうぎょうおお進出しんしゅつしていたカリフォルニアしゅうで、土地とち所有しょゆうと3ねん以上いじょう貸与たいよ禁止きんしする州法しゅうほうカリフォルニアしゅう外国がいこくじん土地とちほう1913ねん制定せいていされ、だいいち世界せかい大戦たいせん1924ねん7がつ1にち排日はいにち移民いみんほう制定せいていされた。

1909ねんにはホーマー・リー英語えいご: Homer Leaが『さとし勇気ゆうき』(The Valor of Ignorance) を発表はっぴょうしている[注釈ちゅうしゃく 1]

1980年代ねんだいより日米にちべい貿易ぼうえき摩擦まさつ激化げきかともなってジャパンバッシングき、中国人ちゅうごくじん移民いみんであるビンセント・チン白人はくじんおな黄色おうしょく人種じんしゅ日本人にっぽんじん間違まちがえられて殺害さつがいされ、加害かがいしゃ懲役ちょうえき執行しっこう猶予ゆうよ服役ふくえきすることはなかったけいかるさと(見当けんとうちがいの)人種じんしゅ差別さべつによる殺人さつじんおおきな社会しゃかい問題もんだいとなってアジアけいアメリカじん権利けんり主張しゅちょうする契機けいきとなった[39][40][41]

2019ねんべいちゅう貿易ぼうえき戦争せんそうべいちゅう貿易ぼうえき摩擦まさつ激化げきかけ、中長期ちゅうちょうきてきなアメリカの外交がいこう戦略せんりゃくになアメリカ国務省こくむしょう政策せいさく企画きかく本部ほんぶべいちゅう対立たいりつ東西とうざい冷戦れいせんことなる白人はくじんコーカサス人種じんしゅ、Caucasian)文明ぶんめい中国ちゅうごく文明ぶんめい対立たいりつ位置付いちづけることを表明ひょうめいしたさい文明ぶんめい衝突しょうとつ白色はくしょく人種じんしゅ優位ゆういせいいたことにたいして中国ちゅうごく政府せいふ反発はんぱつした[42][43][44][45]

2020ねんには中国ちゅうごく武漢ぶかんからCOVID-19感染かんせん拡大かくだいすると、各地かくちでアジアじん襲撃しゅうげき相次あいつ日本人にっぽんじんねらわれている。加害かがいしゃには白人はくじんだけでなく黒人こくじんおお[46]

オーストラリア

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オーストラリアでは1860年代ねんだいより白人はくじん労働ろうどうしゃによってはんなかキャンペーンがひろげられていた[47]。オーストラリアでは労働ろうどう組合くみあい先頭せんとうって黄色きいろ人種じんしゅ排斥はいせき運動うんどう展開てんかいされ[48]、オーストラリア植民しょくみん政府せいふ黄禍こうかろん出発しゅっぱつてん外交がいこう政策せいさくてたため、にちえい同盟どうめいむすんでいたイギリス本国ほんごく外交がいこう政策せいさくとはおおきなへだたりがあった[49]ランビング・フラット暴動ぼうどう英語えいご: Lambing Flat riots(オーストラリアにおける中国人ちゅうごくじん労働ろうどうしゃ襲撃しゅうげき事件じけん)も参照さんしょう

反論はんろん

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  • 岡倉おかくら天心てんしんはその英字えいじ論文ろんぶんで、"White Disaster(しろ)"という言葉ことばげ、軍隊ぐんたいキリスト教きりすときょう宣教せんきょう活動かつどうともなった西洋せいよう帝国ていこく主義しゅぎ他国たこく生活せいかつ文化ぶんか侵蝕しんしょくしていると喝破かっぱした。これは欧州おうしゅうでもまれ、日本にっぽんでも『東洋とうよう覚醒かくせい日本にっぽん覚醒かくせい)』として出版しゅっぱんされた[50][51]
  • 桑原くわばら隲蔵は1913ねん大正たいしょう2ねん)10がつ、『新日本しんにほん』に発表はっぴょうした論文ろんぶん

    白人はくじん今日きょうでも自分勝手じぶんがって世界せかいさい優等ゆうとう人種じんしゅで、世界せかい支配しはいすべき特権とっけんあるがごとしんじてる。この偏見へんけんからすべてのこと判定はんていする。じん彼等かれらう儘に、なす儘になつてあいだは、苦情くじょうぬが、じん覚醒かくせいして、幾分いくぶん彼等かれら自由じゆうにならぬと、ただちに黄禍こうかろんを唱へ、はなはだしきはじんたいして謀反むほんばはりをする。それほどじん危険きけんなら、無理むり出掛でかけてて、極東きょくとう通商つうしょうひらき、あるいはその土地とち占領せんりょうしながら、じん危険きけんくは、ひとつの滑稽こっけいといはねばならぬ

    白人はくじん身勝手みがってさを論駁ろんばくしている[注釈ちゅうしゃく 2]

脚註きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 同書どうしょは1911ねん明治めいじ44ねん)に『日米にちべい必戦ろん』として全訳ぜんやく発行はっこうされた[36]。また同年どうねんいけ亨吉こうきちしょうやくで『日米にちべい戦争せんそう』として日本にっぽん発行はっこうされた[37][38]
  2. ^ どう論文ろんぶん岩波書店いわなみしょてんばん桑原くわばら隲蔵全集ぜんしゅう』〈だい1かん〉におさめられている[52][53]

出典しゅってん

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  1. ^ 黄禍こうかろん(こうかろん、おうかろん) オーストラリア辞典じてん - 大阪大学おおさかだいがく大学院だいがくいん西洋せいよう史学しがく研究けんきゅうしつ
  2. ^ 竹沢たけざわ泰子やすこ<講演こうえん5>日本人にっぽんじん移民いみん歴史れきし文化ぶんか共生きょうせい社会しゃかい明日あした」『京都きょうと大学だいがく 附置ふち研究所けんきゅうじょ ・センター シンポジウム : 京都きょうとからの提言ていげん-21世紀せいき日本にっぽんかんがえる(だい7かい) 「あかるい未来みらいぞう」』だい7かん京都大きょうとだいがく京都きょうとからの提言ていげん事務じむきょく、2013ねん2がつ 
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  51. ^ 新井あらい 2004
  52. ^ 桑原くわばら 1968
  53. ^ 橋川はしかわ 2000, pp. 93f

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 飯倉いいくらあきら『イエロー・ペリルの神話しんわ 帝国ていこく日本にっぽんと「黄禍こうか」の逆説ぎゃくせついろどりりゅうしゃ、2004ねん7がつ21にちISBN 978-4-88202-905-2 
  • 飯倉いいくらあきら黄禍こうかろん日本人にっぽんじん 欧米おうべいなに嘲笑ちょうしょうし、おそれたのか』中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょ 2210〉、2013ねん3がつ25にちISBN 978-4-12-102210-3 
  • 岡倉おかくら登志とし 編著へんちょだい29しょうひがしアフリカ帝国ていこく構想こうそう」にこうして――だいイタリア-エチオピア戦争せんそう」『エチオピアをるための50しょう』(初版しょはんだい1さつ明石書店あかししょてん〈エリア・スタディーズ 68〉、2007ねん12月25にち、206-211ぺーじISBN 978-4-7503-2682-5 
  • 桑原くわばら隲蔵桑原くわばら隲蔵全集ぜんしゅうだい1かん岩波書店いわなみしょてん、1968ねん2がつISBN 978-4-00-091331-7 
  • ハインツ・ゴルヴィツァー しる瀬野せの文教ぶんきょう わけ黄禍こうかろんとはなにか』(初版しょはんだい1さつくさおもえしゃ、1999ねん8がつ25にちISBN 4-7942-0905-3 
  • ジョン・ダワー しる斎藤さいとう元一げんいち やく容赦ようしゃなき戦争せんそう 太平洋戦争たいへいようせんそうにおける人種じんしゅ差別さべつ平凡社へいぼんしゃ平凡社へいぼんしゃライブラリー 419〉、2001ねん12月。ISBN 978-4-582-76419-2 
  • 橋川はしかわ文三ぶんぞう黄禍こうか物語ものがたり岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ 学術がくじゅつ 24〉、2000ねん8がつISBN 978-4-00-600024-0 
  • 古川ふるかわ哲史てつし ちょだい44しょうだいまんしゅう事変じへん」をめぐって――だいイタリア-エチオピア戦争せんそう」、岡倉おかくら登志とし へん『エチオピアをるための50しょう』(初版しょはんだい1さつ明石書店あかししょてん〈エリア・スタディーズ 68〉、2007ねん12月25にち、307-312ぺーじISBN 978-4-7503-2682-5 
  • en:Homer Lea (2012-07) [1909], The Valor of Ignorance, with Specially Prepared Maps, Forgotten Books, ISBN 978-1-4400-7240-6 
    • リー, ホーマー ちょ望月もちづき小太郎こたろう やく日米にちべい必戦ろん原名げんめいさとし勇気ゆうき)』英文えいぶん通信つうしんしゃ、1911ねん2がつ13にちNDLJP:994278 
    • リー, ホーマー ちょいけ亨吉こうきち (断水だんすいろう主人しゅじん) やく日米にちべい戦争せんそう博文ひろぶみかん、1911ねん10がつ13にちNDLJP:843177 
    • リー, ホーマー ちょ望月もちづき小太郎こたろう やく日米にちべい必戦ろん原名げんめいさとし勇気ゆうき)』はら書房しょぼう、1982ねん4がつISBN 978-4-562-01231-2 
    • LeaHomer ちょ、MochizukiKotaro へん『Nichi-Bei Hissen Ron』Nabu Press、2010ねん10がつISBN 978-1171965763 

関連かんれん文献ぶんけん

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  • 橋本はしもとじゅんこう 編集へんしゅう解説かいせつ へん英国えいこく黄禍こうかろん小説しょうせつ集成しゅうせい』Edition Synapse〈黄禍こうかろん英語えいご文献ぶんけん復刻ふっこくシリーズ 1〉、2007ねん1がつISBN 978-4-86166-031-3 
  • 橋本はしもとじゅんこう 編集へんしゅう解説かいせつ へん黄禍こうかろん資料しりょう集成しゅうせい』Edition Synapse〈黄禍こうかろん英語えいご文献ぶんけん復刻ふっこくシリーズ 2〉、2013ねん4がつISBN 978-4-86166-033-7 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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