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ジャパンバッシング

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジャパンバッシング英語えいご: Japan bashing)とは、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく日本にっぽん経済けいざいめん政治せいじめん不当ふとう攻撃こうげきすること。

日本にっぽん米国べいこく関係かんけい観察かんさつするものが、米国べいこくから日本にっぽんけられた批判ひはん反発はんぱつを、日本にっぽんがわへのアンバランスで一方いっぽうてき攻撃こうげきであると解釈かいしゃくしたときに、問題もんだいする意味いみもちいる言葉ことばである。

とくに高度こうど経済けいざい成長せいちょうからのバブル景気けいきなど日本にっぽんアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく世界せかいてき経済けいざい大国たいこくとして存在そんざいかんし、日米にちべい経済けいざい摩擦まさつ日米にちべい貿易ぼうえき摩擦まさつ)が激化げきかするにつれて表面ひょうめんした、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく1970年代ねんだいからの反日はんにち感情かんじょうたかまりに付随ふずいする政治せいじ現象げんしょうすときに使つかわれることがおおい。

概要がいよう

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1970年代ねんだいアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく経済けいざいが、インフレーション景気けいき後退こうたいくるしむかたわら、日本にっぽん世界せかいだい2のGDPをほこるまで経済けいざい成長せいちょうつづけ、たいべい貿易ぼうえきは10年間ねんかん以上いじょう黒字くろじつづけていた。一般いっぱんてきにこの時期じきえん実力じつりょく以上いじょうやすかったとかんがえられており、ここから米国べいこくないたいにち感情かんじょう悪化あっかする。

世界せかいへの輸出ゆしゅつばしつづける日本にっぽんたいし、べいがわでは貿易ぼうえき関係かんけいしゃ通商産業省つうしょうさんぎょうしょうを「ノトーリアス・ミティ(Notorious MITI、悪名あくめいたか通産省つうさんしょう)」と表現ひょうげんしたり『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という書籍しょせきがベストセラーになるなど「驚嘆きょうたんすべき成功せいこうつづける日本にっぽん経済けいざい」への関心かんしん一般いっぱん市民しみんあいだでも好悪こうお両面りょうめんたかまる。

1980ねんに、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょうカーターからレーガン交代こうたいしても、前半ぜんはんべい大手おおて自動車じどうしゃメーカーゼネラルモーターズ生産せいさん規模きぼ大幅おおはばらしリストラをおこなうなど[注釈ちゅうしゃく 1]米国べいこく経済けいざい迅速じんそく改善かいぜんはなく、失業しつぎょうりつ一時いちじ10%にせまった。

たいべい貿易ぼうえき莫大ばくだい黒字くろじ拡大かくだいつづける日本にっぽんこうきょうき、1960年代ねんだいからたいにち赤字あかじつづけるアメリカはきょうしずみ、米国べいこく自動車じどうしゃメーカーは、1970年代ねんだいわりから1980年代ねんだいにかけて壊滅かいめつてき打撃だげきける。この対比たいひ米国べいこくじんたいにち感情かんじょう悪化あっかさせ、米国べいこくでは日本にっぽん市場いちば特殊とくしゅせい関税かんぜい障壁しょうへきとみなし、極端きょくたんえんやす問題もんだいして「ずるい日本にっぽん」とみなす議論ぎろん支持しじあつまるようになる。反日はんにち感情かんじょうたかまるなか、1982ねんには中国ちゅうごくけいアメリカじん技術ぎじゅつしゃビンセント・チン日本人にっぽんじん誤解ごかいされて、3にん白人はくじん撲殺ぼくさつされる事件じけんきた[注釈ちゅうしゃく 2]

きょう反日はんにち世論せろんたかまり、かく業界ぎょうかいからのげを背景はいけいに、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく連邦れんぽう政府せいふ日本国にっぽんこく政府せいふ市場いちば開放かいほう輸入ゆにゅう拡大かくだいつよせまり、米国べいこく輸出ゆしゅつ妨害ぼうがいするものとして日本にっぽんがわ為替かわせレートや業界ぎょうかい慣行かんこう関税かんぜい次々つぎつぎ遡上そじょうにあげることになる。日本にっぽんがわはこれにたいして、1970年代ねんだいつづいて輸出ゆしゅつ自主じしゅ規制きせい約束やくそくしたり、農産のうさんひん輸入ゆにゅう拡大かくだい約束やくそくしたり、関税かんぜいげを約束やくそくするなど、かえ協力きょうりょくてき姿勢しせいしめそうとするが、市場いちばシェアを日本にっぽん製品せいひんうばわれているべい業界ぎょうかい団体だんたいは、相次あいついで日本にっぽんダンピングひとし法令ほうれい違反いはん提訴ていそし、たいにち感情かんじょう改善かいぜんしなかった。

米国べいこく経常けいじょう収支しゅうし赤字あかじになると、日本にっぽん公正こうせい貿易ぼうえき障壁しょうへききずいているとの批判ひはんが、1984ねんにもふたた強力きょうりょくになり、日本にっぽんはアメリカのたいにち感情かんじょう悪化あっか緩和かんわしつつ、自国じこく産業さんぎょう保護ほごしたいなか、えんやす是正ぜせい輸入ゆにゅう拡大かくだい約束やくそくし、市場いちば開放かいほうのための規制きせい緩和かんわ約束やくそくするが、おおきな効果こうかはなかった。1985ねんには先進せんしんこく首脳しゅのう会議かいぎ蔵相ぞうしょう中央ちゅうおう銀行ぎんこう総裁そうさい会合かいごうで、為替かわせをドルやす誘導ゆうどうするプラザ合意ごうい実施じっしされ、ドルえん為替かわせレート大幅おおはばなドルやすてんじたものの、これによってもべいがわたいにち輸出ゆしゅつ期待きたいしたようにびなかった。

アメリカのたいにち赤字あかじ拡大かくだいつづけ、米国べいこくないではますます日本にっぽん貿易ぼうえき障壁しょうへきへの批判ひはんつよまった。米国べいこく日本にっぽん金融きんゆう関税かんぜいなど税制ぜいせい・ソフトウェアなどおおくの分野ぶんやすうおおくの障壁しょうへききずいているとして強硬きょうこうせまり、日本にっぽんがわはそのたびにべいがわ妥協だきょうあんしめすがべいがわかたちだけの不十分ふじゅうぶん譲歩じょうほ日米にちべい認識にんしきみぞうずまらなかった。

この時期じき米国べいこくからの「日本にっぽん自由じゆう貿易ぼうえきかかげる経済けいざい大国たいこくであるにもかかわらず実際じっさいには保護ほご主義しゅぎてきるまい自国じこく市場いちばへのアクセスを制限せいげんしている」という二枚舌にまいじた批判ひはん本音ほんね建前たてまえ使つかけるという批判ひはんについて、日本にっぽんがわ納得なっとくしていたわけではなく、メイドインUSAがえらばれないのは日本にっぽんがわ発展はってんによって日本にっぽん製品せいひんがアメリカ製品せいひんしつ全体ぜんたいとして上回うわまわるようになり、消費しょうひしゃにとって粗悪そあくなアメリカせいえら理由りゆうがないためだとする見方みかたつよかった。日本にっぽんがわではべいがわ要求ようきゅうについては、生産せいさんせいひく米国べいこく産業さんぎょう問題もんだいたなげて国力こくりょく背景はいけい日本にっぽんにねじこみをかけていると理解りかいしており、理不尽りふじんりであるとていたが、内需ないじゅ拡大かくだいかえ約束やくそくした。

1985ねんになると米国べいこく景気けいきえて改善かいぜんしていたが、日本にっぽん好景気こうけいきはそれ以上いじょう目覚めざましく(バブル経済けいざい米国べいこくでは20年間ねんかんにわたって莫大ばくだいたいにち赤字あかじつづうえにGDP経常けいじょう収支しゅうし赤字あかじ過去かこ最高さいこう記録きろくし、たい日本にっぽん心理しんり目立めだってやわらぐ部分ぶぶんはなかった。この時期じきはハリウッド映画えいがでも日本にっぽんがわ日本にっぽんはたきと描写びょうしゃめずらしくはなく、1985ねんから製作せいさくはじまったワーナー映画えいがでも登場とうじょう人物じんぶつ日本にっぽんせい電子でんし機器ききわるうセリフがられる。1987ねん4がつには、アメリカ政府せいふ日本にっぽんのダンピングを理由りゆう日本にっぽんせいパーソナルコンピュータカラーテレビなどに異例いれいの100%の制裁せいさい関税かんぜい賦課ふかした[1][2]

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく議会ぎかいでは報復ほうふく措置そち審議しんぎされ、1987ねんには東芝とうしばココム事件じけんをきっかけとして日本にっぽん製品せいひん議員ぎいん破壊はかいするパフォーマンスも注目ちゅうもくあつめた。東芝とうしばココム事件じけん米国べいこくおおきな反応はんのうつながったのも当時とうじたいにち感情かんじょうわるさゆえとわれる。1988ねんにはアメリカがわ公正こうせいとみなした日本にっぽんがわ慣行かんこう強力きょうりょく制裁せいさい発動はつどうできるように1974ねん通商つうしょうほう改正かいせいおこなわれる。

結局けっきょく、アメリカから日本にっぽんへの黒字くろじらせという要求ようきゅうは1980年代ねんだいまつやわらぐもののバブル崩壊ほうかいまでつづいた。

なお、この言葉ことば欧米おうべい採用さいようするたいにち政策せいさく欧米おうべいがわから日本にっぽんがわけられる批判ひはんにたいして、日本にっぽんがわ悪意あくいがあるものとして非難ひなんするときに使つか言葉ことばであり、ジャパンバッシングとされるものと、そうではないシビアなたいにち批判ひはん要求ようきゅうといつも区別くべつできるわけではない。

ゼネラルモーターズ企業きぎょう城下町じょうかまちであるデトロイトでは、工場こうじょう労働ろうどうしゃがアジアけいたい友好ゆうこうてき態度たいどせっするなど、ジャパンバッシングを発端ほったんとする差別さべつ感情かんじょう根強ねづよのこっている[注釈ちゅうしゃく 3][3]

事例じれい

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東芝機械とうしばきかいココム違反いはん事件じけん

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1987ねん東芝機械とうしばきかいソ連それん技術ぎじゅつ機械きかい輸入ゆにゅう公団こうだんへの取引とりひきけんについて、たい共産きょうさんけん輸出ゆしゅつ統制とうせい委員いいんかい略称りゃくしょう「ココム」。1994ねん解散かいさん)の協定きょうてい違反いはんしたことが問題もんだいされた。巨額きょがくたいにち赤字あかじへの不満ふまんつづいているなかで発覚はっかくしたこの事件じけんは、ホワイトハウスまえアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく議会ぎかい議員ぎいんが、東芝とうしばのラジカセやテレビ受像じゅぞうハンマーはたこわすパフォーマンスをせる事態じたいにまで発展はってんした。

捕鯨ほげい問題もんだい

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日本にっぽん商業しょうぎょう捕鯨ほげい環境かんきょう保護ほご団体だんたい非難ひなんされ、様々さまざま環境かんきょう保護ほご団体だんたい動物どうぶつ愛護あいご団体だんたいまたこれらの団体だんたいようする環境かんきょうロビイストが捕鯨ほげい批判ひはんのキャンペーンを実施じっしおりからの経済けいざい摩擦まさつ問題もんだい火種ひだねとなり、この状況じょうきょう便乗びんじょうするかたち同調どうちょうした自動車じどうしゃ産業さんぎょう団体だんたいや、農産物のうさんぶつ生産せいさんしゃとうんで、だい規模きぼはん日本にっぽんキャンペーンが方々かたがた開催かいさいされた。このなかには、日章旗にっしょうきやしたり、日本にっぽんせい乗用車じょうようしゃをハンマーでたたつぶすといった過激かげきなパフォーマンスがおこなわれた[注釈ちゅうしゃく 4]

この圧力あつりょくなか日本にっぽん商業しょうぎょう捕鯨ほげい事実じじつじょう期限きげん停止ていし決定けっていし、2018ねん国際こくさい捕鯨ほげい委員いいんかい脱退だったいするまでつづいた。

スーパー301じょう

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米国べいこく議会ぎかいはこのようなジャパンバッシングの流行りゅうこうなかで、輸入ゆにゅう関税かんぜい大幅おおはばげを武器ぶきとしたスーパー301じょう可決かけつして日本にっぽん市場いちば開放かいほうせまった。日本にっぽんがわ牛肉ぎゅうにく柑橘類かんきつるい関税かんぜい縮小しゅくしょう余儀よぎなくされた(牛肉ぎゅうにく・オレンジ自由じゆう)。

もっとも、同時どうじにオーストラリアやカナダ、中国ちゅうごくなどもたいにち輸出ゆしゅつ拡大かくだいしたため、米国べいこく食糧しょくりょう生産せいさんしゃ期待きたいしたほどにはたいにち貿易ぼうえき増大ぞうだいせず、米国べいこく以外いがい日本にっぽん食糧しょくりょう市場いちば分配ぶんぱいする結果けっかわっている。また日本にっぽん輸入ゆにゅうされる自動車じどうしゃへのきびしい規制きせい緩和かんわされたが、結果けっかてきにはむしろ日本にっぽんにヨーロッパしゃ輸入ゆにゅう拡大かくだいをもたらす結果けっかとなった。

その当時とうじ日本にっぽん内閣ないかく総理そうり大臣だいじん中曽根なかそね康弘やすひろと、米国べいこく大統領だいとうりょうロナルド・レーガンの、「ロンヤス・コンビ」とばれたリーダーあいだ折衝せっしょうすすみ、次第しだい日米にちべい政府せいふあいだでは信頼しんらい関係かんけい回復かいふくしていったが、両国りょうこく国民こくみんあいだには、現在げんざいでも以上いじょうのような貿易ぼうえき摩擦まさつや、偏見へんけん存在そんざいしている。

1989ねん以後いご日米にちべい構造こうぞう協議きょうぎ実施じっしされ、つづいて1994ねん以後いご年次ねんじ改革かいかく要望ようぼうしょされるようになった。

批判ひはん

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石原いしはら慎太郎しんたろう筆頭ひっとうとする反米はんべい保守ほしゅ勢力せいりょくは、「なん努力どりょくもせずに文句もんくだけつけてる」として批判ひはんした[注釈ちゅうしゃく 5]

米国べいこく出身しゅっしん実業じつぎょうビル・トッテン(2006ねん現在げんざい日本にっぽん帰化きかしている)は、こうした一連いちれんのジャパンバッシングを『敗者はいしゃ喧騒けんそう』とだんじ、同名どうめい(サブタイトル)の著書ちょしょ上梓じょうししている。なお、かれはジャパンバッシングのみならず、日本にっぽん政府せいふのアメリカ追従ついしょう政策せいさくについてもその著作ちょさくきびしく批判ひはんしている。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • ビル・トッテン日本にっぽんわるくない―アメリカの日本にっぽんはたきは「敗者はいしゃ喧噪けんそう」だ』(ごま書房しょぼう、1990ねん

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ アメリカの自動車じどうしゃ産業さんぎょうは1970年代ねんだいから、てい価格かかくてい燃費ねんぴ日本にっぽんしゃ輸入ゆにゅうにより、打撃だげきこうむっていた。
  2. ^ ビンセント・チン殺害さつがい事件じけん
  3. ^ デトロイト大都市だいとしけんにおける日本人にっぽんじん歴史れきし参照さんしょう
  4. ^ ただし、これらのパフォーマンスは反日はんにち個人こじん行為こういであり、保護ほご団体だんたい経済けいざい団体だんたいなどの組織そしきてきなものではないという指摘してきもある。[4]
  5. ^ 石原いしはらは、1989ねん刊行かんこうした『「NO」とえる日本にっぽん』<盛田もりた昭夫あきおとの共著きょうちょ光文社こうぶんしゃカッパ・ホームス>のなかで、この持論じろん展開てんかいしている。

出典しゅってん

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  1. ^ べいちゅう貿易ぼうえき&ハイテク戦争せんそう」はどうなる? 「日米にちべい半導体はんどうたい摩擦まさつ」をかえ”. 電子でんしデバイス産業さんぎょう新聞しんぶん (2018ねん10がつ12にち). 2019ねん5がつ13にち閲覧えつらん
  2. ^ べいちゅう貿易ぼうえき戦争せんそう土壇場どたんば中国ちゅうごく強硬きょうこうた2つの理由りゆう——中国ちゅうごくがわ持久じきゅうせんかま”. ビジネスインサイダー (2019ねん5がつ15にち). 2019ねん5がつ24にち閲覧えつらん
  3. ^ アメリカでひろがる都市としあいだ格差かくさ 将来しょうらい日本にっぽんも?|NHK NEWS WEB[リンク]
  4. ^ くじらりよ、かたれ!』C・W・ニコル、アートデイズ、2007ねん ISBN 9784861190896 P82

関連かんれん作品さくひん

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  • システムソフト - 1992ねん3月27にち政治せいじシミュレーションソフト「ジャパンバッシング」を発売はつばい米国べいこくがわ担当たんとうしゃとなり、日本にっぽんがわ理不尽りふじん要求ようきゅうませる、というもの。
  • タッカー (映画えいが) - 作品さくひんえがいている時代じだい終戦しゅうせん直後ちょくご時代じだいであり、直接ちょくせつ関係かんけいはないが、作品さくひん製作せいさくされた時代じだい問題もんだいしていた「日米にちべい貿易ぼうえき摩擦まさつ」が影響えいきょうあたえていたとされる。とくに「将来しょうらい米国べいこくじんが(国内こくない新規しんき参入さんにゅうメーカーへの寛容かんようさやしん技術ぎじゅつ導入どうにゅうすすまない硬直こうちょく米国べいこく自動車じどうしゃ企業きぎょう見限みかぎり)自動車じどうしゃ敗戦はいせんこく日本にっぽん、ドイツ、イタリア)からうのがたりまえになる危険きけんせいがある」についての印象いんしょうてき台詞せりふがある。
  • ガン・ホー - 1986ねん製作せいさくされたロン・ハワード監督かんとく、マイケル・キートン主演しゅえんのコメディ映画えいがおもなテーマは日本にっぽんメーカーの工場こうじょうのアメリカ進出しんしゅつだが、日米にちべい貿易ぼうえき摩擦まさつもシナリオの背景はいけいにある。
  • ロボコップ3 - 「ロボコップ」を開発かいはつした企業きぎょう日本にっぽん企業きぎょう買収ばいしゅうされているという設定せっていである。
  • ダイハード - シリーズだい1さくの「日系にっけい企業きぎょうのナカトミ商事しょうじ」という設定せってい背景はいけいとして、この時代じだい日本にっぽんかんがある。
  • ファイナルファイト - 1989ねんのアーケードゲーム。ボーナスステージで破壊はかいするくるまに「JAPAN」とかれたナンバープレートがいている。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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