1921年 ねん に開催 かいさい された第 だい 2回 かい 国際 こくさい 優生 ゆうせい 学会 がっかい のロゴマーク。優生 ゆうせい 学 がく がさまざまな分野 ぶんや を束 たば ねる木 き として描 えが かれている[ 1] 。
優生 ゆうせい 学 がく (ゆうせいがく、英 えい : eugenics )は、19世紀 せいき 末 まつ から20世紀 せいき 半 なか ばにかけて多 おお くの先進 せんしん 国 こく で受 う け入 い れられてきた考 かんが え方 かた で、進化 しんか 論 ろん と遺伝 いでん 学 がく を人間 にんげん に当 あ てはめ、集団 しゅうだん の遺伝 いでん 的 てき な質 しつ を向上 こうじょう させることを目的 もくてき とした一連 いちれん の信念 しんねん と実践 じっせん である[ 2] [ 3] 。学問 がくもん としての優生 ゆうせい 学 がく は19世紀 せいき 後半 こうはん にフランシス・ゴールトン が首唱 しゅしょう し、悪質 あくしつ の遺伝 いでん 形質 けいしつ を淘汰 とうた し、優良 ゆうりょう な遺伝 いでん 形質 けいしつ を保存 ほぞん することを目的 もくてき とする[ 4] 。優生 ゆうせい 学 がく の実践 じっせん には歴史 れきし 的 てき に、「生殖 せいしょく 適性 てきせい 者 しゃ 」に生殖 せいしょく を促 うなが すという積極 せっきょく 的 てき なものと、「生殖 せいしょく に適 てき さない人 ひと 」への結婚 けっこん 禁止 きんし や強制 きょうせい 不 ふ 妊 にん 手術 しゅじゅつ (断種 だんしゅ )などの消極 しょうきょく 的 てき なものがある[ 5] 。「生殖 せいしょく に適 てき さない」とされた人々 ひとびと には、障害 しょうがい 者 しゃ や犯罪 はんざい 者 しゃ 、少数 しょうすう 民族 みんぞく が含 ふく まれることが多 おお かった[ 6] 。
優生 ゆうせい 学 がく にもとづいた政策 せいさく は特 とく にアメリカ 、ドイツ 、北欧 ほくおう 、スイス 、カナダ 、日本 にっぽん で広 ひろ く実施 じっし された。日本 にっぽん では「国民 こくみん 優生 ゆうせい 法 ほう (1940 - 1948)」「優生 ゆうせい 保護 ほご 法 ほう (1948 - 1996)」に基 もと づき、精神 せいしん 疾患 しっかん やハンセン病 はんせんびょう 患者 かんじゃ の断種 だんしゅ 手術 しゅじゅつ や人工 じんこう 妊娠 にんしん 中絶 ちゅうぜつ が行 おこな われていた[ 7] [ 2] 。
1980年代 ねんだい から1990年代 ねんだい にかけて、体外 たいがい 受精 じゅせい ・着 き 床 ゆか 前 ぜん 診断 しんだん ・出生 しゅっしょう 前 ぜん 診断 しんだん など、新 あたら しい生殖 せいしょく 補助 ほじょ 医療 いりょう が利用 りよう 可能 かのう になり、優生 ゆうせい 学 がく がより強力 きょうりょく な形 かたち で復活 ふっかつ する可能 かのう 性 せい がある[ 8] [ 9] [ 10] 。近年 きんねん 、ゲノム編集 へんしゅう や遺伝子 いでんし 検査 けんさ などの新 しん 技術 ぎじゅつ の利用 りよう をめぐる生命 せいめい 倫理 りんり 的 てき な議論 ぎろん において、これらの技術 ぎじゅつ を優生 ゆうせい 学 がく と呼 よ ぶべきかどうか、激 はげ しい議論 ぎろん が行 おこな われている[ 11] [ 12] 。
英語 えいご の「eugenics 」の和訳 わやく は「優生 ゆうせい 学 がく 」の他 ほか に「優生 ゆうせい 思想 しそう 」や「優生 ゆうせい 主義 しゅぎ 」がある[ 13] 。
生殖 せいしょく 管理 かんり により人種 じんしゅ を改良 かいりょう する、という発想 はっそう は、プラトン にまで遡 さかのぼ ることができるが[ 14] 、学問 がくもん として成立 せいりつ したのは19世紀 せいき 末 まつ から20世紀 せいき 初頭 しょとう にかけてであり、優生 ゆうせい 学 がく (eugenics)という言葉 ことば は1883年 ねん にフランシス・ゴルトン が定義 ていぎ した造語 ぞうご である[ 14] [ 15] 。ゴルトンは、従兄弟 いとこ のチャールズ・ダーウィン が1859年 ねん に著 あらわ した『種 たね の起源 きげん 』から影響 えいきょう を受 う けた[ 16] 。
フランシス・ゴルトン は初期 しょき の優生 ゆうせい 学 がく 主義 しゅぎ 者 しゃ であり、この言葉 ことば 自体 じたい を造語 ぞうご した
優生 ゆうせい 学 がく の目的 もくてき は様々 さまざま であるが、「知的 ちてき に優秀 ゆうしゅう な人間 にんげん を創造 そうぞう すること」「社会 しゃかい 的 てき な人的 じんてき 資源 しげん を保護 ほご すること」「人間 にんげん の苦 くる しみや健康 けんこう 上 じょう の問題 もんだい を軽減 けいげん すること」が挙 あ げられる。これらの目標 もくひょう を達成 たっせい するための手段 しゅだん として、産児 さんじ 制限 せいげん ・人種 じんしゅ 改良 かいりょう ・遺伝子 いでんし 操作 そうさ などが提案 ていあん された。優生 ゆうせい 学 がく は20世紀 せいき 前半 ぜんはん に先進 せんしん 国 こく の多 おお くの有力 ゆうりょく 者 しゃ や知識 ちしき 人 じん に支持 しじ され[ 17] 、その中 なか にはアレクサンダー・グラハム・ベル やジョン・メイナード・ケインズ 、ジョージ・バーナード・ショー 、セオドア・ルーズベルト 、若 わか かりし頃 ころ のウィンストン・チャーチル が含 ふく まれる[ 18] 。
当時 とうじ 、精神 せいしん 障害 しょうがい は遺伝 いでん であると漠然 ばくぜん と考 かんが えられ、それらの人々 ひとびと は一般 いっぱん の人 ひと よりも子供 こども を多 おお く作 つく ると信 しん じられていた。それゆえ精神 せいしん 障害 しょうがい 者 しゃ が増加 ぞうか して逆 ぎゃく 淘汰 とうた が起 お きると懸念 けねん され、それを回避 かいひ するために優生 ゆうせい 学 がく 的 てき な施策 しさく が求 もと められた[ 19] 。
優生 ゆうせい 学 がく にもとづいた政策 せいさく が初 はじ めて大 だい 規模 きぼ に実施 じっし された国 くに はアメリカであった。1907年 ねん にインディアナ州 しゅう で精神 せいしん 障害 しょうがい 者 しゃ への強制 きょうせい 不 ふ 妊 にん 手術 しゅじゅつ (断種 だんしゅ )を可能 かのう にした世界 せかい 初 はつ の法律 ほうりつ が制定 せいてい されたのを皮切 かわき りに、多 おお くの州 しゅう で断種 だんしゅ 法 ほう が制定 せいてい され、また特定 とくてい 国 こく からの移民 いみん 制限 せいげん が行 おこな われた[ 20] 。障害 しょうがい 者 しゃ の断種 だんしゅ は、カナダ、ヨーロッパ諸国 しょこく 、日本 にっぽん でも実施 じっし された。これらの政策 せいさく は集団 しゅうだん の遺伝 いでん 的 てき な質 しつ の向上 こうじょう を目指 めざ していた。
優生 ゆうせい 学 がく は後世 こうせい において、保守 ほしゅ 系 けい 極右 きょくう の学問 がくもん だったと誤解 ごかい されるが、むしろ自由 じゆう 主義 しゅぎ の左派 さは に人気 にんき があり、社会 しゃかい 変革 へんかく を求 もと めて多 おお くの社会 しゃかい 主義 しゅぎ 者 しゃ やリベラル 、進歩 しんぽ 主義 しゅぎ 者 しゃ が優生 ゆうせい 学 がく を支持 しじ した[ 21] [ 22] 。優生 ゆうせい 学 がく の支持 しじ 者 しゃ には、H・G・ウェルズ 、マーガレット・サンガー 、ハロルド・ラスキ やシドニー・ウェッブ らのフェビアン 社会 しゃかい 主義 しゅぎ 者 しゃ 、マルクス主義 まるくすしゅぎ の遺伝 いでん 学者 がくしゃ であるJ・B・S・ホールデン とハーマン・マラー がいる[ 22] 。初期 しょき のドイツの優生 ゆうせい 学者 がくしゃ の多 おお くは社会 しゃかい 主義 しゅぎ に共感 きょうかん をもっており、1929年 ねん に断種 だんしゅ 法 ほう を制定 せいてい したデンマーク政府 せいふ も社会 しゃかい 民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 政権 せいけん であった[ 23] 。
北欧 ほくおう では1920年代 ねんだい から、福祉 ふくし 国家 こっか の水準 すいじゅん 維持 いじ のために社会 しゃかい 保障 ほしょう 費 ひ の負担 ふたん となる障害 しょうがい 者 しゃ を減 へ らす優生 ゆうせい 政策 せいさく が積極 せっきょく 的 てき に行 おこな われた[ 24] [ 25] 。障害 しょうがい がどの程度 ていど 遺伝 いでん するのか不明 ふめい だとしても、障害 しょうがい 者 しゃ は子供 こども をきちんと育 そだ てられず、子供 こども も親 おや と同様 どうよう に福祉 ふくし の世話 せわ になるからという理由 りゆう で、断種 だんしゅ が支持 しじ された[ 26] [ 25] 。
1930年代 ねんだい 、エルンスト・リューディン (英語 えいご 版 ばん 、ドイツ語 ご 版 ばん ) が優生 ゆうせい 学 がく 的 てき な言説 げんせつ をナチス・ドイツ の人種 じんしゅ 政策 せいさく に融合 ゆうごう させる試 こころ みを開始 かいし した。ナチス政権 せいけん 下 か で、優生 ゆうせい 学 がく と安楽 あんらく 死 し と人種 じんしゅ 主義 しゅぎ を結 むす びつけた政策 せいさく が実行 じっこう され、多 おお くの倫理 りんり 的 てき 問題 もんだい を引 ひ き起 お こした[ 27] 。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の終結 しゅうけつ 以降 いこう も、アメリカ、北欧 ほくおう 、日本 にっぽん では、障害 しょうがい 者 しゃ に対 たい する不 ふ 妊 にん 手術 しゅじゅつ や人工 じんこう 妊娠 にんしん 中絶 ちゅうぜつ が行 おこな われるなど、福祉 ふくし 政策 せいさく の一環 いっかん として優生 ゆうせい 学 がく 的 てき 施策 しさく が続 つづ いたが、1970年代 ねんだい 以降 いこう に優生 ゆうせい 学 がく は大 おお きく批判 ひはん されるようになり、「民族 みんぞく 衛生 えいせい 」や「絶滅 ぜつめつ 政策 せいさく 」といったナチスの政策 せいさく と結 むす びつけて認識 にんしき されるようになり、廃 すた れた[ 28] 。集団 しゅうだん に対 たい する優生 ゆうせい 学 がく ・思想 しそう は廃 すた れたが、個人 こじん の自己 じこ 決定 けってい としてどのような子供 こども を産 う むかという問題 もんだい は「新 あたら しい優生 ゆうせい 学 がく 」として続 つづ いている[ 29] 。
ゴルトンは1883年 ねん 、『人間 にんげん の能力 のうりょく とその発達 はったつ の研究 けんきゅう 』の脚注 きゃくちゅう において、初 はじ めて「優生 ゆうせい 学 がく 」という用語 ようご を使用 しよう している。
優生 ゆうせい (
eugenic )は、
ギリシャ語 ご で
何 なに と
呼 よ ばれるかというと、「
eugenes 」、すなわち
良 よ い
素質 そしつ を
持 も つ、
遺伝 いでん 的 てき に
気高 けだか い
素質 そしつ を
授 さづ けられている、という
意味 いみ である。これと、
様々 さまざま な
関連 かんれん する
用語 ようご (「
eugeneia 」など)は、
等 ひと しく
ヒト や
動物 どうぶつ 、
植物 しょくぶつ に
対 たい して
応用 おうよう されている。
我々 われわれ は、
種 たね の改良 かいりょう の
科学 かがく を
表現 ひょうげん するに
簡潔 かんけつ な
用語 ようご をことのほか
好 この むものであり、それらは
決 けっ して
賢明 けんめい な
交配 こうはい という
問題 もんだい に
限 かぎ られたものではない。しかし、
取 と り
分 わ け
人類 じんるい に
関 かん して
言及 げんきゅう するならば、その
語 かたり はあらゆる
作用 さよう について
我々 われわれ に
気付 きづ かせることになる。それは、
程度 ていど の
差 さ こそあれ、より
環境 かんきょう に
適合 てきごう した
人種 じんしゅ や
血統 けっとう に
対 たい し、そうでない
存在 そんざい に
優先 ゆうせん して、より
十分 じゅうぶん な
機会 きかい を
即座 そくざ に
与 あた える
作用 さよう である。「
優生 ゆうせい 学 がく (
eugenics )」という
語 かたり はそのような
概念 がいねん を
余 あま すことなく
表現 ひょうげん するものであり、それはより
洗練 せんれん された
用語 ようご であり、
少 すく なくとも、
私 わたし が
以前 いぜん 試 こころ みに
使 つか ってみた「
viriculture 」という
語 かたり よりは
違和感 いわかん がないであろう。
[ 30] [ 注 ちゅう 1]
このように優生 ゆうせい 学 がく (eugenics )の語源 ごげん は、ギリシア語 ご でeu (良 よ い)、-genēs (誕生 たんじょう )を組 く み合 あ わせたもので、「良 よ い生 う まれについての学問 がくもん 」という意味 いみ である。
1904年 ねん 、ゴルトンは優生 ゆうせい 学 がく を次 つぎ のように定義 ていぎ した。
人種 じんしゅ の
先天的 せんてんてき な
諸 しょ 特質 とくしつ を
改善 かいぜん する、あらゆる
様々 さまざま な
影響 えいきょう に
関 かん する
科学 かがく である。そこには
究極 きゅうきょく 的 てき に
優 すぐ れた
状態 じょうたい へ
人間 にんげん を
発達 はったつ させることも
含 ふく まれる
[ 31] 。
優生 ゆうせい 政策 せいさく は歴史 れきし 的 てき に次 つぎ の2つのカテゴリーに分 わ けられてきた。
積極 せっきょく 的 てき 優生 ゆうせい 学 がく
子孫 しそん を残 のこ すに相応 ふさわ しいと見 み なされた者 もの がより子孫 しそん を残 のこ すように奨励 しょうれい する。
消極 しょうきょく 的 てき 優生 ゆうせい 学 がく
子孫 しそん を残 のこ すに相応 ふさわ しくないと見 み なされた者 もの が子孫 しそん を残 のこ すことを防 ふせ ぐ。
積極 せっきょく 的 てき 優生 ゆうせい 学 がく は、優 すぐ れた形質 けいしつ を持 も つと思 おも われた人間 にんげん を増 ふ やすことを目的 もくてき に、複数 ふくすう の子供 こども を持 も つ優 すぐ れた素質 そしつ を持 も つ両親 りょうしん を表彰 ひょうしょう したり、金銭 きんせん 的 てき 援助 えんじょ を与 あた えるという手段 しゅだん を採 と る。消極 しょうきょく 的 てき 優生 ゆうせい 学 がく は劣 おと った形質 けいしつ を持 も つ人間 にんげん に生殖 せいしょく を防 ふせ ぐものである。
先駆 せんく としての古代 こだい ギリシア優生 ゆうせい 思想 しそう [ 編集 へんしゅう ]
人種 じんしゅ 改良 かいりょう は、少 すく なくともプラトン まで遡 さかのぼ ることが可能 かのう である。彼 かれ は、人間 にんげん の生殖 せいしょく 活動 かつどう は国家 こっか によって管理 かんり されるべきであると考 かんが え、次 つぎ のように記 しる している。
最 もっと も
優 すぐ れた
男性 だんせい は、
意図 いと して
最 もっと も
優 すぐ れた
女 おんな を
妻 つま に
娶 めと ったに
違 ちが いない。そしてその
反対 はんたい に、
最 もっと も
劣 おと った
男性 だんせい についても
同 おな じことが
言 い える
— 『国家 こっか 』、プラトン
プラトンは、選択 せんたく 法則 ほうそく に気付 きづ いて人々 ひとびと の心 しん が傷 きず つけられるのを防 ふせ ぐため、偽 いつわ りのくじ引 び き で(人為 じんい 的 てき )選択 せんたく が行 おこな われるべきであると提案 ていあん している。その他 た の古代 こだい の事例 じれい としては、虚弱 きょじゃく な新生児 しんせいじ を都市 とし の外 はず れに遺棄 いき したスパルタ の伝説 でんせつ 的 てき な慣行 かんこう が挙 あ げられる。このスパルタの事例 じれい については、のちにエルンスト・ヘッケル も参照 さんしょう している[ 32] 。
1860年代 ねんだい から1870年代 ねんだい にかけて、フランシス・ゴルトンは従兄弟 いとこ のチャールズ・ダーウィン の『種 たね の起源 きげん 』におけるヒトと動物 どうぶつ の進化 しんか に関 かん する新 あら たな理論 りろん と、アドルフ・ケトレー の「社会 しゃかい 物理 ぶつり 学 がく 」から影響 えいきょう を受 う け、統計 とうけい 学 がく 的 てき アプローチに基 もと づき、進化 しんか 論 ろん を独自 どくじ に解釈 かいしゃく した[ 33] 。ゴルトンは“自然 しぜん 選択 せんたく のメカニズムはいかにして人間 にんげん の文明 ぶんめい によって潜在 せんざい 的 てき に妨 さまた げられているか”という文脈 ぶんみゃく において、ダーウィンの研究 けんきゅう を解釈 かいしゃく し、「多 おお くの人間 にんげん 社会 しゃかい は経済 けいざい 的 てき に恵 めぐ まれない人々 ひとびと と弱者 じゃくしゃ の保護 ほご に努 つと めてきた。それゆえにそれらの社会 しゃかい は、弱者 じゃくしゃ をこの世 よ から廃絶 はいぜつ するはずの自然 しぜん 選択 せんたく と齟齬 そご を来 きた してきた」と論 ろん じた。
ゴルトンは、これらの社会 しゃかい 政策 せいさく を変 か えることによってのみ、社会 しゃかい は「月並 つきな みな状態 じょうたい への逆戻 ぎゃくもど り[ 注 ちゅう 2] 」(統計 とうけい 学 がく において彼 かれ が最初 さいしょ に作 つく った造語 ぞうご である)から救出 きゅうしゅつ することが可能 かのう であると考 かんが えた。この語 かたり は、現在 げんざい では一般 いっぱん に「平均 へいきん への回帰 かいき [ 注 ちゅう 3] 」という用語 ようご に置 お き換 か わっている。ゴルトンは、1865年 ねん の論文 ろんぶん 「遺伝 いでん ・才能 さいのう ・性格 せいかく 」において、初 はじ めて自説 じせつ を開陳 かいちん し、1869年 ねん の『遺伝 いでん 的 てき 天才 てんさい 』において、「天才 てんさい 」と「才能 さいのう 」は人間 にんげん において遺伝 いでん するとした。また、「人間 にんげん は動物 どうぶつ に対 たい して様々 さまざま な形質 けいしつ を際立 きわだ たせるために人為 じんい 選択 せんたく の手段 しゅだん を用 もち いることが可能 かのう であり、そのようなモデルを人間 にんげん に対 たい して応用 おうよう するなら、同様 どうよう の結果 けっか を期待 きたい することが出来 でき る」として、次 つぎ のように述 の べた。
人間 にんげん の
生 う まれつきの
才能 さいのう は、あらゆる
生物 せいぶつ 界 かい の
形質 けいしつ と
身体 しんたい 的 てき 特徴 とくちょう がそうであるのと
全 まった く
同 おな じ
制約 せいやく を
受 う けて、
遺伝 いでん によってもたらされる。こうした
様々 さまざま な
制約 せいやく にも
拘 かかわ らず、
注意深 ちゅういぶか い
選択 せんたく 交配 こうはい により、
速 はや く
走 はし ったり
何 なに か
他 た の
特別 とくべつ の
才能 さいのう を
持 も つ
犬 いぬ や
馬 うま を
永続 えいぞく 的 てき に
繁殖 はんしょく させることが
現実 げんじつ には
簡単 かんたん に
行 おこな われている。
従 したが って、
数 かず 世代 せだい に
亘 わた って
賢明 けんめい な
結婚 けっこん を
重 かさ ねることで、
人類 じんるい についても
高 たか い
才能 さいのう を
作 つく り
出 だ しうることは
疑 うたが いない。
ゴルトンは、社会 しゃかい は既 すで に知的 ちてき に劣 おと った者 もの の出生 しゅっしょう 率 りつ が知性 ちせい に優 すぐ れた者 もの に勝 まさ る状態 じょうたい (すなわちダーウィンの用語 ようご で言 い うところの「カタストロフィー 」の状態 じょうたい )にあるとして、逆 ぎゃく 淘汰 とうた の状況 じょうきょう に進 すす んでいると主張 しゅちょう した。ゴルトン自身 じしん は如何 いか なる形 かたち での選別 せんべつ 方法 ほうほう も提示 ていじ することはなかったが、もし人々 ひとびと が子孫 しそん を残 のこ すことの重大 じゅうだい 性 せい を認識 にんしき することで社会 しゃかい 的 てき 規範 きはん が多少 たしょう なりとも変 か わるならば、いつの日 ひ にか解決 かいけつ 方法 ほうほう が見 み つかるであろう、と願 ねが った。
英国 えいこく の統計 とうけい 学者 がくしゃ カール・ピアソン は、学問 がくもん 分野 ぶんや としての優生 ゆうせい 学 がく を打 う ち建 た てることに尽力 じんりょく した[ 34] 。ゴルトンと彼 かれ の統計 とうけい 学 がく 的 てき 方法 ほうほう を継承 けいしょう したピアソンは、「優生 ゆうせい 学 がく 」に対 たい して生物 せいぶつ 測定 そくてい 学 がく 的 てき アプローチと呼 よ んだものを発展 はってん させた。それは種 たね の遺伝 いでん を記述 きじゅつ するために新 あら たな複雑 ふくざつ な統計 とうけい モデルを発達 はったつ させたものである。
しかし、グレゴール・メンデル の遺伝 いでん 法則 ほうそく の再 さい 発見 はっけん に伴 ともな って、優生 ゆうせい 学 がく を唱道 しょうどう する2つの学派 がくは が現 あらわ れることになった。その1つは統計 とうけい 学者 がくしゃ から、他方 たほう は生物 せいぶつ 学者 がくしゃ から構成 こうせい された。統計 とうけい 学者 がくしゃ たちは、生物 せいぶつ 学者 がくしゃ たちは粗雑 そざつ な数学 すうがく モデル しか用 もち いないと考 かんが え、一方 いっぽう 、生物 せいぶつ 学者 がくしゃ たちは、統計 とうけい 学者 がくしゃ たちは生物 せいぶつ 学 がく についてほとんど知識 ちしき を持 も たないと考 かんが えた。
優生 ゆうせい 学 がく は、最終 さいしゅう 的 てき には、出生 しゅっしょう 率 りつ に直接 ちょくせつ 影響 えいきょう を及 およ ぼす研究 けんきゅう 手法 しゅほう を通 つう じて、望 のぞ ましい形質 けいしつ を持 も った子供 こども を作 つく り出 だ すために、意図 いと 的 てき な選択 せんたく 的 てき 生殖 せいしょく に関 かか わっていった。
「社会 しゃかい 進化 しんか 論 ろん 」は、優生 ゆうせい 学 がく とは分岐 ぶんき していった。両者 りょうしゃ は知性 ちせい は遺伝 いでん するという点 てん では主張 しゅちょう は一致 いっち するが、優生 ゆうせい 学者 がくしゃ たちは新 あたら しい諸 しょ 政策 せいさく は、より「優生 ゆうせい 学 がく 的 てき な」状況 じょうきょう へ現状 げんじょう を変 か える必要 ひつよう があると主張 しゅちょう した。他方 たほう 、社会 しゃかい 進化 しんか 論 ろん 者 しゃ たちは、社会 しゃかい そのものは、もし社会 しゃかい 福祉 ふくし 政策 せいさく が機能 きのう しなければ(例 たと えば、貧困 ひんこん 者 もの は多産 たさん であるが、乳幼児 にゅうようじ 死亡 しぼう 率 りつ も高 たか いといった具合 ぐあい に)、ゴルトンが危惧 きぐ した「逆 ぎゃく 淘汰 とうた 」の問題 もんだい を自然 しぜん に食 く い止 と めることが出来 でき たと主張 しゅちょう した。
ロナルド・フィッシャー は優生 ゆうせい 学 がく の熱心 ねっしん な推進 すいしん 者 しゃ でもあり、1930年 ねん に出版 しゅっぱん された『自然 しぜん 選択 せんたく の遺伝 いでん 学 がく 的 てき 理論 りろん 』では、「集団 しゅうだん 数 すう (個体 こたい 群 ぐん )の増大 ぞうだい が多様 たよう 性 せい を生 う み、それによって生存 せいぞん の機会 きかい の数 かず も増大 ぞうだい していく」と述 の べて後 ご の集団 しゅうだん 遺伝 いでん 学 がく の基礎 きそ となった。さらにフィッシャーはこの考 かんが えはヒトに関 かん しても適用 てきよう できると述 の べ、「文明 ぶんめい の衰退 すいたい と凋落 ちょうらく は、上流 じょうりゅう 階級 かいきゅう の生殖 せいしょく 力 りょく の低下 ていか に帰 き することが出来 でき る」とした。例証 れいしょう として、1911年 ねん のイギリスの国勢調査 こくせいちょうさ 結果 けっか を基 もと に、生殖 せいしょく 力 りょく と社会 しゃかい 階級 かいきゅう とに逆 ぎゃく 関係 かんけい があると述 の べた。そして子供 こども の少 すく ない家庭 かてい への補助 ほじょ を撤廃 てっぱい する一方 いっぽう 、子沢山 こだくさん の家庭 かてい に対 たい して父親 ちちおや の収入 しゅうにゅう に比例 ひれい した補助 ほじょ 金 きん を出 だ すことを提案 ていあん している。これに関 かん してはフィッシャー自身 じしん が8人 にん の子供 こども の父親 ちちおや であり、その養育 よういく の負担 ふたん が、彼 かれ の遺伝 いでん 学 がく ・進化 しんか 論 ろん 的 てき 確信 かくしん を深 ふか める原因 げんいん の一 ひと つとする家族 かぞく や友人 ゆうじん 達 たち の証言 しょうげん もある。
フィッシャーの理論 りろん は、チャールズ・ゴールトン・ダーウィン (チャールズ・ダーウィンの孫 まご )を初 はじ め、ウィリアム・ドナルド・ハミルトン の血縁 けつえん 選択 せんたく 説 せつ の形成 けいせい にも影響 えいきょう を与 あた えた。また優生 ゆうせい 学会 がっかい は、1929年 ねん から1934年 ねん にかけて、優生 ゆうせい 的 てき 観点 かんてん から断種 だんしゅ 法 ほう (結果 けっか 的 てき には否決 ひけつ されたが)の制定 せいてい を求 もと めるキャンペーンを、フィッシャーらを中心 ちゅうしん として行 い っている。
集団 しゅうだん 遺伝 いでん 学者 がくしゃ には、J・B・S・ホールデン 、ハーマン・J・マラー などがおり、「改革 かいかく 派 は 優生 ゆうせい 学 がく 」として知 し られる。
優生 ゆうせい 学 がく 運動 うんどう (1890年代 ねんだい - 1945年 ねん )[ 編集 へんしゅう ]
1905年 ねん にはドイツ優生 ゆうせい 学 がく 教育 きょういく 協会 きょうかい が設立 せつりつ され、優生 ゆうせい 学 がく は、急速 きゅうそく に世界 せかい 的 てき な潮流 ちょうりゅう となった[ 34] 。英国 えいこく では、優生 ゆうせい 学 がく 教育 きょういく 協会 きょうかい (英語 えいご 版 ばん ) (1908年 ねん )、スウェーデン優生 ゆうせい 学 がく 教育 きょういく 協会 きょうかい (1909年 ねん )、そして国際 こくさい 優生 ゆうせい 学 がく 会議 かいぎ (1912年 ねん )が続 つづ いて設立 せつりつ された[ 34] 。
ゴルトンの資金 しきん 援助 えんじょ により、ロンドンのユニヴァーシティ・カレッジに優生 ゆうせい 学 がく の研究 けんきゅう 部門 ぶもん (1907年 ねん )と講座 こうざ (1911年 ねん )が設 もう けられた[ 35] 。
近代 きんだい において優生 ゆうせい 学 がく 的 てき な考 かんが え方 かた を提唱 ていしょう した最初 さいしょ の一人 ひとり に電話 でんわ を発明 はつめい したことで知 し られるアレクサンダー・グラハム・ベル がいる。1881年 ねん にベルはマサチューセッツ州 しゅう マーサズ・ヴィニヤード 島 しま における聾 ろう 者 しゃ の人口 じんこう 比率 ひりつ を調査 ちょうさ した結果 けっか 、聴覚 ちょうかく 障害 しょうがい は自然 しぜん に遺伝 いでん すると結論 けつろん 付 づ け、聴覚 ちょうかく 障害 しょうがい を遺伝 いでん しない結婚 けっこん を奨励 しょうれい した[ 36] 。ベルは1921年 ねん に第 だい 2回 かい 国際 こくさい 優生 ゆうせい 学 がく 会議 かいぎ の名誉 めいよ 議長 ぎちょう を務 つと めた[ 37] 。
優生 ゆうせい 学 がく と人種 じんしゅ 研究 けんきゅう の科学 かがく 的 てき 地位 ちい は、ナチス・ドイツの時代 じだい に最 もっと も高 たか まったが、その後 ご は急速 きゅうそく に失墜 しっつい した[ 35] 。
優生 ゆうせい 学 がく は今 いま では、「人間 にんげん 遺伝 いでん 学 がく 」や「社会 しゃかい 生物 せいぶつ 学 がく 」と呼 よ ばれている[ 35] 。1954年 ねん に『優生 ゆうせい 学 がく 年報 ねんぽう 』(Annals of Eugenics )は『人間 にんげん 遺伝 いでん 学 がく 年報 ねんぽう 』(Annals of Human Genetics )と改名 かいめい された[ 35] 。また、1969年 ねん に『季刊 きかん 優生 ゆうせい 学 がく 』(Eugenics Quarterly )は『社会 しゃかい 生物 せいぶつ 学 がく 』(Social Biology )となった[ 35] 。講座 こうざ や研究所 けんきゅうじょ も同様 どうよう の改名 かいめい が行 おこな われた[ 35] 。
人種 じんしゅ 優生 ゆうせい 政策 せいさく で有名 ゆうめい なドイツよりも、アメリカの方 ほう が優生 ゆうせい 学 がく 的 てき な政策 せいさく を開始 かいし した時期 じき が早 はや く、また実施 じっし していた期間 きかん も長 なが い。アメリカの優生 ゆうせい 政策 せいさく がむしろドイツに影響 えいきょう を与 あた えた[ 38] 。しかし、ナチスのようないわゆる「積極 せっきょく 的 てき 駆逐 くちく 」(=組織 そしき 的 てき 殺害 さつがい )は行 おこな っていない。
アメリカの優生 ゆうせい 政策 せいさく で最 もっと も著名 ちょめい なのは、1907年 ねん 制定 せいてい の断種 だんしゅ 法 ほう と1909年 ねん 制定 せいてい のカリフォルニア州法 しゅうほう だが、それ以前 いぜん の19世紀 せいき 末 まつ から優生 ゆうせい 学 がく 的 てき 理由 りゆう による制限 せいげん を設 もう けた法律 ほうりつ は制定 せいてい され始 はじ めている。1896年 ねん のコネチカット州 しゅう を皮切 かわき りに、多 おお くの州 しゅう で精神 せいしん 障害 しょうがい 者 しゃ の結婚 けっこん を制限 せいげん する法律 ほうりつ が可決 かけつ された[ 39] 。コネチカット州法 しゅうほう は45歳 さい 以下 いか の女性 じょせい の結婚 けっこん および婚姻 こんいん 外 がい の性的 せいてき 関係 かんけい に制限 せいげん を課 か す法律 ほうりつ で、優生 ゆうせい 学 がく 的 てき に好 この ましからざる相手 あいて との結婚 けっこん ・性 せい 関係 かんけい を禁 きん じていた[ 39] 。違反 いはん 者 しゃ には、最低 さいてい 3年 ねん の禁固刑 きんこけい の罰則 ばっそく が規定 きてい されていた[ 39] 。
コネチカット州 しゅう に始 はじ まる優生 ゆうせい 学 がく 的 てき な理由 りゆう で結婚 けっこん を制限 せいげん する法律 ほうりつ は、1905年 ねん に成立 せいりつ したインディアナ州 しゅう の州法 しゅうほう に受 う け継 つ がれた (後述 こうじゅつ の1907年 ねん の断種 だんしゅ 法 ほう とは別 べつ の法律 ほうりつ )[ 39] 。この時 とき のインディアナ州法 しゅうほう は、精神 せいしん 障害 しょうがい 者 しゃ 、「感染 かんせん 性 せい の疾病 しっぺい 」の持 も ち主 ぬし 、過度 かど の飲酒 いんしゅ 常用 じょうよう 者 しゃ の結婚 けっこん を禁止 きんし し、精神病 せいしんびょう 治療 ちりょう 施設 しせつ から退院 たいいん した元 もと 患者 かんじゃ に健康 けんこう 診断 しんだん 書 しょ の携帯 けいたい を義務付 ぎむづ けていた[ 39] 。1920年代 ねんだい に入 はい ると何 なん らかの形 かたち で結婚 けっこん に制限 せいげん を加 くわ える法律 ほうりつ が多 おお くの州 しゅう で制定 せいてい されるようになったが、これらは必 かなら ずしも優生 ゆうせい 学 がく の支持 しじ 者 しゃ が主導 しゅどう して作 つく られたものではなかった[ 39] 。一方 いっぽう 、断種 だんしゅ の法制 ほうせい 化 か については優生 ゆうせい 主義 しゅぎ 者 しゃ が決定的 けっていてき な役割 やくわり を果 は たした[ 40] 。
公式 こうしき 文書 ぶんしょ による限 かぎ り、アメリカの断種 だんしゅ 手術 しゅじゅつ はシカゴ の聖 ひじり マリー病院 びょういん の外科 げか 医 い A.J.オクスナーが1897年 ねん に実施 じっし したものが最初 さいしょ である[ 41] 。オクスナーの断種 だんしゅ 手術 しゅじゅつ が優生 ゆうせい 学 がく 的 てき 理由 りゆう で実施 じっし されたかどうかは不明 ふめい だが、1902年 ねん にインディアナ州 しゅう の少年院 しょうねんいん 付 つ き外科 げか 医 い だったH.C.シャープが行 おこな った断種 だんしゅ 手術 しゅじゅつ は、優生 ゆうせい 学 がく 的 てき 理由 りゆう に基 もと づいて実施 じっし された断種 だんしゅ 手術 しゅじゅつ の最初 さいしょ の例 れい と見 み て差 さ し支 つか えない[ 41] 。この時 とき 、シャープは収容 しゅうよう されていた犯罪 はんざい 者 しゃ 42人 にん に断種 だんしゅ 手術 しゅじゅつ を行 おこな った[ 41] 。シャープは1890年 ねん の国勢調査 こくせいちょうさ から、犯罪 はんざい 者 しゃ が急増 きゅうぞう している事実 じじつ を引 ひ き出 だ して、その解決 かいけつ 策 さく として自己 じこ の判断 はんだん で断種 だんしゅ 手術 しゅじゅつ を行 おこな った[ 41] 。
ただ、当時 とうじ 、このような手術 しゅじゅつ を行 おこな えば刑法 けいほう の傷害 しょうがい 罪 ざい に抵触 ていしょく する可能 かのう 性 せい があったため、シャープはインディアナ州 しゅう 議会 ぎかい にロビー活動 かつどう を行 おこな い、1907年 ねん に同 どう 州 しゅう の州法 しゅうほう として、世界 せかい 初 はつ の断種 だんしゅ を合法 ごうほう 化 か する法律 ほうりつ を制定 せいてい させた[ 42] 。これは精神 せいしん 障害 しょうがい 者 もの の強制 きょうせい 不 ふ 妊 にん 手術 しゅじゅつ (断種 だんしゅ 手術 しゅじゅつ )を法的 ほうてき に認 みと めたものである[ 43] 。この時 とき の法律 ほうりつ は1920年 ねん に違憲 いけん 判決 はんけつ を受 う けたため後 のち に改正 かいせい された[ 44] [ 43] 。
インディアナ州 しゅう での断種 だんしゅ 法 ほう 成立 せいりつ をきっかけに他 た の州 しゅう も続々 ぞくぞく と法律 ほうりつ を制定 せいてい した[ 43] 。当時 とうじ のアメリカには断種 だんしゅ 法 ほう の前例 ぜんれい がなかったので、インディアナ州法 しゅうほう はそのモデルにされた[ 43] 。断種 だんしゅ 法 ほう は、1909年 ねん から1913年 ねん と、1923年 ねん の2回 かい のピークを経 へ て、最終 さいしゅう 的 てき には32州 しゅう で制定 せいてい された[ 43] 。その中 なか で、1911年 ねん のアイオワ州 しゅう 法 ほう は合法 ごうほう 的 てき 断種 だんしゅ の対象 たいしょう を最 もっと も広 ひろ くとったもので、薬物 やくぶつ 中毒 ちゅうどく 患者 かんじゃ 、性 せい 犯罪 はんざい 者 もの 、てんかん 患者 かんじゃ も含 ふく まれていた[ 45] 。白人 はくじん 女性 じょせい に強要 きょうよう して売春 ばいしゅん をさせた場合 ばあい 、初犯 しょはん であっても犯人 はんにん を断種 だんしゅ するという優生 ゆうせい 学 がく とは無関係 むかんけい な条項 じょうこう も定 さだ められていた[ 45] 。前述 ぜんじゅつ のように1920年 ねん にインディアナ州 しゅう の断種 だんしゅ 法 ほう の違憲 いけん 判決 はんけつ が出 で るが、同 どう 時期 じき 、アラバマ州 しゅう 、ニュージャージー州 しゅう 、ニューヨーク州 しゅう 、ネブラスカ州 しゅう 、ワシントン州 しゅう の州法 しゅうほう も違憲 いけん 判決 はんけつ を受 う け、これらの州 しゅう では断種 だんしゅ 法 ほう は廃止 はいし された[ 44] 。違憲 いけん 判決 はんけつ が出 で た主要 しゅよう な理由 りゆう は、法律 ほうりつ が事実 じじつ 上 じょう 、犯罪 はんざい 者 しゃ 、特 とく に性 せい 犯罪 はんざい 者 しゃ への懲罰 ちょうばつ をなしており、法律 ほうりつ 本来 ほんらい の優生 ゆうせい 学 がく 的 てき 理由 りゆう から逸脱 いつだつ しているとのものである[ 44] 。そのため、断種 だんしゅ 推進 すいしん 派 は が元 もと の断種 だんしゅ 法 ほう から犯罪 はんざい 者 しゃ への条項 じょうこう を削除 さくじょ して改正 かいせい ・成立 せいりつ させる州 しゅう が多 おお かった[ 44] 。しかし、1927年 ねん には連邦 れんぽう 最高 さいこう 裁判所 さいばんしょ が、「不 ふ 適格 てきかく 者 しゃ 」と見 み 做された人間 にんげん に断種 だんしゅ を行 おこな うことを可能 かのう としたヴァージニア州 しゅう の断種 だんしゅ 法 ほう をアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 憲法 けんぽう に対 たい する合憲 ごうけん とした判決 はんけつ (バック対 たい ベル裁判 さいばん (英語 えいご 版 ばん ) )を出 だ した[ 44] 。その影響 えいきょう は大 おお きく1920年代 ねんだい 後半 こうはん 以降 いこう 、断種 だんしゅ 推進 すいしん 派 は を勢 いきお いづかせることにつながった[ 44] 。
カリフォルニア州 しゅう では1909年 ねん に断種 だんしゅ 法 ほう が制定 せいてい された (1913年 ねん に改正 かいせい )[ 43] 。カリフォルニアの州法 しゅうほう は、他 た の州 しゅう に比 くら べて特異 とくい だったが、法 ほう の運用 うんよう 面 めん でも特徴 とくちょう 的 てき だった[ 43] 。カリフォルニア州 しゅう では、刑務所 けいむしょ の収監 しゅうかん 者 しゃ への断種 だんしゅ に力 ちから を入 い れた他 ほか 、精神病 せいしんびょう 患者 かんじゃ に加 くわ えて、梅毒 ばいどく 患者 かんじゃ 、性 せい 犯罪 はんざい 者 もの も断種 だんしゅ の対象 たいしょう となっただけでなく、断種 だんしゅ の実施 じっし 件数 けんすう が突出 とっしゅつ して多 おお かった[ 43] 。断種 だんしゅ 手術 しゅじゅつ は、1921年 ねん までに全米 ぜんべい 3,233件 けん 中 ちゅう カリフォルニア州 しゅう のみで約 やく 79パーセントの2,558件 けん [ 46] 、1924年 ねん までに約 やく 3,000件 けん 行 おこな われたうちカリフォルニア州 しゅう が2,500件 けん と大 だい 多数 たすう だった[ 47] 。1936年 ねん 末 すえ のデータで見 み ても、全米 ぜんべい での実施 じっし 件数 けんすう のうち約 やく 半分 はんぶん はカリフォルニア州 しゅう でのものである[ 46] 。カリフォルニア州 しゅう での断種 だんしゅ 法 ほう とその実施 じっし 例 れい は、ワイマール共和 きょうわ 国 こく 末期 まっき のプロイセン自由 じゆう 州 しゅう で1932年 ねん に実施 じっし 寸前 すんぜん まで行 い った断種 だんしゅ 法 ほう (1933年 ねん にはナチス政権 せいけん 下 か で法律 ほうりつ 化 か ) のモデルになった点 てん で著名 ちょめい である[ 46] [ 48] 。
アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく ではその後 ご も、知的 ちてき 障害 しょうがい 者 しゃ に対 たい する断種 だんしゅ が行 おこな われ、1970年代 ねんだい まで続 つづ いた。1970年代 ねんだい までに、全米 ぜんべい 33州 しゅう で6万 まん 人 にん が強制 きょうせい 的 てき に断種 だんしゅ 手術 しゅじゅつ を受 う けさせられた[ 47] 。そのうち3分 ぶん の1がカリフォルニア州 しゅう である。障害 しょうがい 者 しゃ 差別 さべつ が社会 しゃかい 問題 もんだい としてはっきり確立 かくりつ されるようになったのは、1960年代 ねんだい 前半 ぜんはん の公民 こうみん 権 けん 運動 うんどう がきっかけである[ 49] 。
1898年 ねん 、米国 べいこく の著名 ちょめい な生物 せいぶつ 学者 がくしゃ であるチャールズ・B・ダベンポート はコールド・スプリング・ハーバー 生物 せいぶつ 学 がく 研究所 けんきゅうじょ 所長 しょちょう として植物 しょくぶつ と動物 どうぶつ の進化 しんか に関 かん する研究 けんきゅう を開始 かいし した。
1904年 ねん 、ダベンポートは実験 じっけん 的 てき 進化 しんか を目的 もくてき とした研究所 けんきゅうじょ の創設 そうせつ のためにカーネギー財団 ざいだん から資金 しきん 援助 えんじょ を受 う け、カーネギー研究所 けんきゅうじょ のなかに実験 じっけん 進化 しんか 研究所 けんきゅうじょ を設立 せつりつ した。1910年 ねん に同 どう 研究所 けんきゅうじょ の付属 ふぞく 施設 しせつ として優生 ゆうせい 記録 きろく 所 しょ (英語 えいご 版 ばん ) が開設 かいせつ され、ダベンポートとハリー・H・ラフリン (英語 えいご 版 ばん ) は優生 ゆうせい 学 がく の普及 ふきゅう を開始 かいし した。翌 よく 1911年 ねん のダベンポートの著作 ちょさく 『人種 じんしゅ 改良 かいりょう 学 がく 』[ 50] はアメリカ優生 ゆうせい 学 がく 史上 しじょう に残 のこ る仕事 しごと であり、大学 だいがく 教科書 きょうかしょ として使用 しよう された[ 注 ちゅう 5] 。翌年 よくねん ダベンポートは米国 べいこく 科学 かがく アカデミー の会員 かいいん に選出 せんしゅつ された。
「優生 ゆうせい 記録 きろく 所 しょ 」は数 すう 年間 ねんかん に渡 わた って膨大 ぼうだい な量 りょう の家系 かけい 図 ず を収集 しゅうしゅう し、不 ふ 適者 てきしゃ 達 たち の存在 そんざい は経済 けいざい 的 てき かつ社会 しゃかい 的 てき に劣悪 れつあく な背景 はいけい が遠因 えんいん となっていると結論 けつろん 付 つ けた。ダベンポートや心理 しんり 学 がく 者 もの のヘンリー・H・ゴダード (英語 えいご 版 ばん ) 、自然 しぜん 保護 ほご 論 ろん 者 しゃ のマディソン・グラント (英語 えいご 版 ばん ) などの優生 ゆうせい 学 がく の信奉 しんぽう 者 しゃ 達 たち は、「不 ふ 適格 てきかく 者 しゃ 」の問題 もんだい への解決 かいけつ について様々 さまざま なロビー活動 かつどう の展開 てんかい を開始 かいし した。ダベンポートは最 さい 優先 ゆうせん 事項 じこう として移民 いみん 制限 せいげん と断種 だんしゅ に賛意 さんい を表 あらわ した。ゴダードは自著 じちょ 『カリカック家 か 』(1912年 ねん )において人種隔離 じんしゅかくり を主張 しゅちょう し、グラントはこれら全 すべ てのアイデアに賛意 さんい を表 あらわ し、かつ絶滅 ぜつめつ 計画 けいかく も示唆 しさ していた。
ダベンポートは、1929年 ねん の著作 ちょさく 『ジャマイカにおける混血 こんけつ 』[ 注 ちゅう 6] において、黒人 こくじん と白人 はくじん の間 あいだ で生 う まれた混血 こんけつ の子供 こども は生物 せいぶつ 学的 がくてき にも文化 ぶんか 的 てき にも劣 おと っているという統計 とうけい 学 がく 的 てき な証拠 しょうこ が示 しめ されたとした。これは今日 きょう では科学 かがく 的 てき 人種 じんしゅ 差別 さべつ と見 み なされ、また当時 とうじ もトーマス・ハント・モーガン などから批判 ひはん された。さらにダベンポートは、ナチス・ドイツ の研究所 けんきゅうじょ とつながりがあり、ドイツの2つの学術 がくじゅつ 誌 し (1935年 ねん 創刊 そうかん )の編集 へんしゅう 委員 いいん や、1939年 ねん には劣等 れっとう 人種 じんしゅ の隔離 かくり 政策 せいさく にかかわったオットー・レーヒェ (ドイツ語 ご 版 ばん ) に対 たい する記念 きねん 論 ろん 文集 ぶんしゅう に寄稿 きこう している[ 51] 。
群 ぐん を抜 ぬ いて多数 たすう の強制 きょうせい 的 てき な断種 だんしゅ 手術 しゅじゅつ が実施 じっし されたカリフォルニア州 しゅう の断種 だんしゅ 手術 しゅじゅつ に対 たい し、生物 せいぶつ 学者 がくしゃ ポール・ポパノウ (英語 えいご 版 ばん ) が好意 こうい 的 てき な報告 ほうこく 書 しょ を出版 しゅっぱん した。この報告 ほうこく はナチスドイツにも影響 えいきょう を与 あた えた[ 注 ちゅう 7] 。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご 、ニュルンベルク戦犯 せんぱん 法廷 ほうてい に引 ひ き出 だ されたナチスの行政 ぎょうせい 官 かん 達 たち は、米国 べいこく の事例 じれい を引用 いんよう することで、ナチス政権 せいけん による大 だい 規模 きぼ な断種 だんしゅ 計画 けいかく (10年 ねん に満 み たない期間 きかん に40万 まん 人 にん が手術 しゅじゅつ を受 う けさせられた)は異常 いじょう なことではなく、国際 こくさい 的 てき には一般 いっぱん 的 てき であったとして、正当 せいとう 性 せい を主張 しゅちょう した。
1924年 ねん 、アメリカで移民 いみん 法 ほう (いわゆる排日 はいにち 移民 いみん 法 ほう [ 注 ちゅう 8] )が議会 ぎかい を通過 つうか した。このことは優生 ゆうせい 学者 がくしゃ たちにとっては、東 ひがし ヨーロッパ と南 みなみ ヨーロッパ からやって来 く る「劣 おと った血統 けっとう 」の脅威 きょうい に関 かん する議会 ぎかい の討論 とうろん において専門 せんもん 職 しょく 顧問 こもん として中心 ちゅうしん 的 てき な役割 やくわり を果 は たす最初 さいしょ の機会 きかい であった。この新法 しんぽう は遺伝子 いでんし プール を維持 いじ するための試 こころ みであり、既存 きそん の人種 じんしゅ 間 あいだ の交配 こうはい を禁 きん ずる様々 さまざま な法 ほう を強化 きょうか したものであった。優生 ゆうせい 学 がく 的 てき な考 かんが え方 かた は米国 べいこく の多 おお くの州 しゅう で導入 どうにゅう されている近親 きんしん 姦 かん を禁 きん ずる様々 さまざま な法律 ほうりつ の背後 はいご に基礎 きそ を置 お くものであり、そしてそれは多 おお くの白人 はくじん と有色 ゆうしょく 人種 じんしゅ 間 あいだ の混血 こんけつ を禁 きん ずる法律 ほうりつ を正当 せいとう 化 か するために用 もち いられた。
スティーヴン・ジェイ・グールド らは、米国 べいこく において1920年代 ねんだい に成立 せいりつ し1960年 ねん に大幅 おおはば な改正 かいせい を受 う けた移民 いみん 制限 せいげん が、自然 しぜん の遺伝子 いでんし プールから「劣 おと った」人種 じんしゅ を排除 はいじょ することを意図 いと した優生 ゆうせい 学 がく 的 てき 目標 もくひょう によって動機付 どうきず けられたものであったと主張 しゅちょう している[ 52] 。20世紀 せいき 初頭 しょとう 、米国 べいこく とカナダは、南欧 なんおう と東欧 とうおう から膨大 ぼうだい な量 りょう の移民 いみん を受 う け入 い れるようになった。ロスロップ・スタッダード (英語 えいご 版 ばん ) やヘンリー・ラフリン (英語 えいご 版 ばん ) [ 注 ちゅう 9] の様 よう な影響 えいきょう 力 りょく を持 も った優生 ゆうせい 学者 がくしゃ たちは、もしこの先 さき 移民 いみん が制限 せいげん されないとするならば、国 くに の遺伝子 いでんし プールを汚染 おせん することになる劣等 れっとう 人種 じんしゅ が国 くに 中 ちゅう に満 み ち溢 あふ れることになる、とする議論 ぎろん を立 た ち上 あ げた。これらの議論 ぎろん によってカナダと米国 べいこく は民族 みんぞく 間 あいだ の序列 じょれつ 化 か を行 おこな う様々 さまざま な法 ほう の立法 りっぽう 化 か へと向 む かうことになった。
これらの法律 ほうりつ では最 さい 上位 じょうい にアングロ・サクソン とスカンジナビア人 じん が位置付 いちづ けられ、下 した に向 む かって事実 じじつ 上 じょう 移民 いみん から完全 かんぜん に閉 し め出 だ された日本人 にっぽんじん と中国人 ちゅうごくじん に至 いた る格付 かくづ け が行 おこな われた。
他方 たほう 、移民 いみん 制限 せいげん 政策 せいさく は多量 たりょう の外国 がいこく 人 じん の流入 りゅうにゅう に対 たい する国 くに の文化 ぶんか 的 てき 健全 けんぜん さを維持 いじ する欲求 よっきゅう に動機付 どうきず けられたものであるとする見解 けんかい もある[ 53] 。
1926年 ねん にはハリー・クランプトン 、ハリー・H・ローリン 、マディソン・グラント 、ヘンリー・フェアフィールド・オズボーン などによって、アメリカ優生 ゆうせい 学 がく 協会 きょうかい が創設 そうせつ された[ 54] 。1926年 ねん から1994年 ねん までの20世紀 せいき 後半 こうはん 期 き の著名 ちょめい な会員 かいいん には状況 じょうきょう 倫理 りんり の創始 そうし 者 しゃ のジョーゼフ・フレッチャー (英語 えいご 版 ばん ) 、P&G 財団 ざいだん のクラレンス・ギャンブル (英語 えいご 版 ばん ) 博士 はかせ 、産児 さんじ 制限 せいげん の提唱 ていしょう 者 しゃ で『共有 きょうゆう 地 ち の悲劇 ひげき 』の著者 ちょしゃ のギャレット・ハーディン らが含 ふく まれる。アメリカ優生 ゆうせい 学 がく 協会 きょうかい は1972年 ねん に社会 しゃかい 生物 せいぶつ 学会 がっかい へと改名 かいめい された。
一般 いっぱん 的 てき に優生 ゆうせい 学 がく の概念 がいねん に同意 どうい しない立場 たちば においても優生 ゆうせい 学 がく 的 てき 立法 りっぽう は依然 いぜん として公益 こうえき 性 せい を有 ゆう すると主張 しゅちょう している人々 ひとびと が存在 そんざい した一 いち 例 れい として、米国 べいこく 産児 さんじ 制限 せいげん 協会 きょうかい 創立 そうりつ 者 しゃ のマーガレット・サンガー は優生 ゆうせい 学 がく に基 もと づいて、産児 さんじ 制限 せいげん (バース・コントロール)運動 うんどう を展開 てんかい した[ 54] 。当時 とうじ 優生 ゆうせい 学 がく は科学 かがく 的 てき かつ進歩 しんぽ 的 てき な思想 しそう であり、人間 にんげん の生命 せいめい の領域 りょういき に、産児 さんじ に関 かん して科学 かがく 的 てき な知見 ちけん を応用 おうよう するものであると多 おお くの人々 ひとびと から理解 りかい されていた。第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん の強制 きょうせい 絶滅 ぜつめつ 収容 しゅうよう 所 しょ 以前 いぜん 、優生 ゆうせい 学 がく がジェノサイド に繋 つな がる恐 おそ れがあるとする考 かんが え方 かた は真剣 しんけん には受 う け取 と られなかった。
1971年 ねん 、女性 じょせい の人工 じんこう 妊娠 にんしん 中絶 ちゅうぜつ の権利 けんり を認 みと めた『ロー対 たい ウェイド判決 はんけつ 』において、優生 ゆうせい 学 がく はそれを支持 しじ する役割 やくわり を果 は たした[ 55] 。この事 こと は、反 はん 中絶 ちゅうぜつ 派 は の批判 ひはん の論拠 ろんきょ の一 ひと つとなっている。
不 ふ 妊 にん 手術 しゅじゅつ と安楽 あんらく 死 し
1933年 ねん 、ドイツ において、遺伝 いでん 的 てき かつ矯正 きょうせい 不能 ふのう のアルコール依存 いぞん 症 しょう 患者 かんじゃ 、性 せい 犯罪 はんざい 者 もの 、精神 せいしん 障害 しょうがい 者 もの 、そして子孫 しそん に遺伝 いでん する治療 ちりょう 不能 ふのう の疾病 しっぺい に苦 くる しむ患者 かんじゃ に対 たい する強制 きょうせい 断種 だんしゅ を可能 かのう とする法律 ほうりつ が立法 りっぽう 化 か された。これはナチス政権 せいけん において議会 ぎかい の承認 しょうにん なしに制定 せいてい されたものだが、障害 しょうがい 者 しゃ に対 たい する強制 きょうせい 不 ふ 妊 にん 措置 そち の導入 どうにゅう をやむを得 え ないと考 かんが える者 もの は社民党 しゃみんとう 内部 ないぶ にも相当 そうとう 数 すう いた[ 56] 。ナチス政権 せいけん に特徴 とくちょう 的 てき だったのは下部 かぶ 組織 そしき の自律 じりつ 性 せい や決定 けってい 権 けん を奪 うば い、政府 せいふ の管理 かんり 下 か に置 お いたことである[ 57] 。遺伝 いでん 病 びょう や重度 じゅうど のアルコール障害 しょうがい に対 たい する不妊 ふにん 手術 しゅじゅつ を裁判所 さいばんしょ に申請 しんせい しなかった場合 ばあい 、医療 いりょう 活動 かつどう の永久 えいきゅう 停止 ていし を含 ふく む処罰 しょばつ が科 か された[ 57] 。ナチス政権 せいけん 下 か で実施 じっし された不 ふ 妊 にん 手術 しゅじゅつ の件数 けんすう は36万 まん 件 けん から40万 まん 件 けん にのぼり、他国 たこく に比 くら べてかなり多 おお い[ 57] 。
第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん が始 はじ まった1939年 ねん 9月 がつ に不 ふ 妊 にん 手術 しゅじゅつ は原則 げんそく として中止 ちゅうし され、同時 どうじ にT4作戦 さくせん と呼 よ ばれる、精神 せいしん 的 てき または肉体 にくたい 的 てき に「不 ふ 適格 てきかく 」と判断 はんだん された人々 ひとびと に対 たい する強制 きょうせい 的 てき 安楽 あんらく 死 し 政策 せいさく が開始 かいし され、1945年 ねん までに少 すく なくとも7万 まん 人 にん 、多 おお ければ十 じゅう 数 すう 万 まん 人 にん が死亡 しぼう した[ 58] 。
ただドイツの優生 ゆうせい 学者 がくしゃ (民族 みんぞく 衛生 えいせい 学者 がくしゃ )のほとんどは安楽 あんらく 死 し には反対 はんたい の立場 たちば をとっていた。その理由 りゆう は、次世代 じせだい への遺伝子 いでんし 継承 けいしょう を阻止 そし するという優生 ゆうせい 学 がく の目的 もくてき のためには断種 だんしゅ で十分 じゅうぶん であり、安楽 あんらく 死 し には人道的 じんどうてき な問題 もんだい があること、そもそも安楽 あんらく 死 し の対象 たいしょう となるような重度 じゅうど の患者 かんじゃ は子供 こども を作 つく らないこと、などであった[ 59] [ 60] 。安楽 あんらく 死 し の法制 ほうせい 化 か 準備 じゅんび に加 くわ わった唯一 ゆいいつ の優生 ゆうせい 学者 がくしゃ であるフリッツ・レンツ (英語 えいご 版 ばん ) は、不治 ふち の患者 かんじゃ の苦痛 くつう を取 と り除 のぞ くという、優生 ゆうせい 学 がく とは別 べつ の観点 かんてん から安楽 あんらく 死 し を支持 しじ した[ 注 ちゅう 10] [ 59] 。
なお不 ふ 妊 にん 手術 しゅじゅつ の数 かず は1939年 ねん 以降 いこう 、大幅 おおはば に減少 げんしょう したが、終戦 しゅうせん まで継続 けいぞく している[ 60] 。
レーベンスボルン(生命 せいめい の泉 いずみ )計画 けいかく
ナチス政府 せいふ は「積極 せっきょく 的 てき 優生 ゆうせい 政策 せいさく 」をも実施 じっし し、多産 たさん のアーリア民族 みんぞく の女性 じょせい を表彰 ひょうしょう し、また「レーベンスボルン (生命 せいめい の泉 いずみ )計画 けいかく 」によって「人種 じんしゅ 的 てき に純粋 じゅんすい 」な独身 どくしん の女性 じょせい がSS(ナチス親衛隊 しんえいたい ) の士官 しかん と結婚 けっこん し、子供 こども をもうけることを奨励 しょうれい した。
エルンスト・リューディン
1930年代 ねんだい 、エルンスト・リューディン (ドイツ語 ご 版 ばん ) が優生 ゆうせい 学 がく 的 てき な言説 げんせつ をナチスドイツの人種 じんしゅ 政策 せいさく に融合 ゆうごう させる試 こころ みを開始 かいし した。アドルフ・ヒトラー が指揮 しき するナチスドイツは、民族 みんぞく 衛生 えいせい の名 な のもとに、純粋 じゅんすい ゲルマン民族 みんぞく を維持 いじ するため様々 さまざま な優生 ゆうせい 計画 けいかく を実施 じっし した。
ナチス政府 せいふ による優生 ゆうせい 学 がく と安楽 あんらく 死 し と人種 じんしゅ 主義 しゅぎ の結合 けつごう は、ホロコースト を通 とお してユダヤ人 じん ・ロマ ・同性愛 どうせいあい 者 しゃ を含 ふく む数 すう 百 ひゃく 万 まん の「不 ふ 適格 てきかく 」なヨーロッパ人 じん を組織 そしき 的 てき ・大量 たいりょう に殺戮 さつりく する形 かたち となって現 あらわ れた。そして、絶滅 ぜつめつ 収容 しゅうよう 所 しょ において、殺害 さつがい に使 つか われた多数 たすう の装置 そうち や殺害 さつがい の方法 ほうほう は、安楽 あんらく 死 し 計画 けいかく においてまず最初 さいしょ に開発 かいはつ されたものであった。ナチス政府 せいふ の下 もと で、優生 ゆうせい 学 がく といわゆる「民族 みんぞく 科学 かがく 」のレトリック が多用 たよう されたのと併 あわ せて、優生 ゆうせい 学 がく と人種 じんしゅ 主義 しゅぎ に関連 かんれん した広範 こうはん な政策 せいさく が強制 きょうせい 力 りょく をもって実行 じっこう されたことで、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 後 ご に優生 ゆうせい 学 がく とナチスドイツ との間 あいだ の、消 け せない文化 ぶんか 的 てき つながりが生 う まれたのである。
1859年 ねん 、チャールズ・ダーウィン が、『種 たね の起源 きげん 』を出版 しゅっぱん したが、これを統計 とうけい 学 がく 的 てき に研究 けんきゅう したのが、ダーウィンのいとこのフランシス・ゴルトン であった。
ゴルトンは1869年 ねん に出版 しゅっぱん した『遺伝 いでん 的 てき 天才 てんさい (英語 えいご 版 ばん ) 』という著書 ちょしょ で、人 ひと の才能 さいのう はほぼ遺伝 いでん によって受 う け継 つ がれるものだと主張 しゅちょう した。1883年 ねん に優生 ゆうせい 学 がく という言葉 ことば を初 はじ めて用 もち いたのも彼 かれ である[ 62] 。1907年 ねん には、優生 ゆうせい 学 がく 教育 きょういく 協会 きょうかい (英語 えいご 版 ばん ) が設立 せつりつ された。
このようにイギリスは優生 ゆうせい 学 がく を生 う み育 そだ てた国 くに であるが、法制 ほうせい 化 か はさほど進 すす まなかった。1913年 ねん に知的 ちてき 障害 しょうがい 者 しゃ の強制 きょうせい 収容 しゅうよう を可能 かのう とする精神 せいしん 薄弱 はくじゃく 者 しゃ 法 ほう (英語 えいご 版 ばん ) が可決 かけつ されたが、断種 だんしゅ についての法案 ほうあん はその後 ご も可決 かけつ されず、精神 せいしん 障害 しょうがい 者 しゃ の結婚 けっこん を制限 せいげん する包括 ほうかつ 的 てき な法律 ほうりつ も制定 せいてい されなかった[ 63] 。
優生 ゆうせい 法 ほう は、ほとんど全 すべ ての非 ひ カトリック の西 にし ヨーロッパ諸国 しょこく によっても採用 さいよう された。
デンマーク はドイツに先立 さきだ って1929年 ねん に断種 だんしゅ 法 ほう を制定 せいてい した。原則 げんそく として本人 ほんにん の同意 どうい が必要 ひつよう とされたが、同意 どうい 能力 のうりょく が期待 きたい できない場合 ばあい には後見人 こうけんにん の代理 だいり 申請 しんせい が認 みと められていた[ 64] 。1934年 ねん の改正 かいせい で本人 ほんにん 同意 どうい が不要 ふよう となり、1967年 ねん に廃止 はいし されるまで続 つづ いた。
スウェーデン 政府 せいふ は40年 ねん の間 あいだ に優生 ゆうせい 計画 けいかく の一環 いっかん として6万 まん 2千 せん 人 にん の「不 ふ 適格 てきかく 者 しゃ 」に対 たい する強制 きょうせい 断種 だんしゅ を実行 じっこう している[ 65] 。
同様 どうよう にカナダ ・オーストラリア ・ノルウェー ・フィンランド ・エストニア ・スイス ・アイスランド で政府 せいふ が知的 ちてき 障害 しょうがい 者 しゃ であると認定 にんてい した人々 ひとびと に対 たい して強制 きょうせい 断種 だんしゅ が行 おこな われた。カナダ とスウェーデン においては、1970年代 ねんだい に至 いた るまで、他 た の医療 いりょう 行為 こうい と同様 どうよう に精神 せいしん 障害 しょうがい 者 しゃ に対 たい する強制 きょうせい 断種 だんしゅ を含 ふく む大 だい 規模 きぼ な優生 ゆうせい 学 がく プログラムが実行 じっこう され続 つづ けた。スイスでは、精神病 せいしんびょう 患者 かんじゃ などの強制 きょうせい 的 てき な堕胎 だたい 、不 ふ 妊 にん 手術 しゅじゅつ が1981年 ねん まで続 つづ いた[ 66] 。
戦後 せんご も優生 ゆうせい 学 がく の動 うご きは残 のこ り、戦後 せんご の混乱 こんらん 期 き の人口 じんこう 抑制 よくせい を目的 もくてき として優生 ゆうせい 保護 ほご 法 ほう が1948年 ねん (昭和 しょうわ 23年 ねん )に全会 ぜんかい 一致 いっち で成立 せいりつ した[ 75] 。
日本 にっぽん 社会党 しゃかいとう は福田 ふくだ 昌子 まさこ 、加藤 かとう シヅエ 、太田 おおた 典礼 てんれい を中心 ちゅうしん に1947年 ねん (昭和 しょうわ 22年 ねん )「優生 ゆうせい 保護 ほご 考案 こうあん 」を第 だい 2回 かい 国会 こっかい に上程 じょうてい したが、GHQ との折衝 せっしょう に時間 じかん をとられ、国会 こっかい で十分 じゅうぶん な審議 しんぎ がなされないまま廃案 はいあん となった。
ついで後 のち に日本 にっぽん 医師 いし 会 かい 会長 かいちょう になる民主党 みんしゅとう の谷口 たにぐち 弥三郎 やさぶろう 参議院 さんぎいん 議員 ぎいん を中心 ちゅうしん とした超党派 ちょうとうは による議員 ぎいん 立法 りっぽう で1948年 ねん に優生 ゆうせい 保護 ほご 法 ほう が提案 ていあん ・採択 さいたく された。
優生 ゆうせい 保護 ほご 法 ほう は優生 ゆうせい 学 がく 的 てき 見地 けんち からの強制 きょうせい 断種 だんしゅ が強化 きょうか される原因 げんいん になったことでも特筆 とくひつ される。当時 とうじ 必須 ひっす とされた日本 にっぽん の人口 じんこう 抑制 よくせい による民族 みんぞく の逆 ぎゃく 淘汰 とうた を回避 かいひ することを提案 ていあん 理由 りゆう として、子孫 しそん を残 のこ すことが不適切 ふてきせつ とされる者 もの に対 たい する強制 きょうせい 性 せい を増加 ぞうか させたものとなった。
同 どう 法 ほう は、らい予防 よぼう 法 ほう でハンセン病 はんせんびょう を新 あら たに断種 だんしゅ 対象 たいしょう としたほか、1952年 ねん の改正 かいせい の際 さい 、新 あら たに遺伝 いでん 性 せい 疾患 しっかん 以外 いがい に、精神病 せいしんびょう (精神 せいしん 障害 しょうがい )、精神 せいしん 薄弱 はくじゃく (知的 ちてき 障害 しょうがい )も断種 だんしゅ 対象 たいしょう とした。1948年 ねん から1996年 ねん の間 あいだ に、手続 てつづ き上 じょう 本人 ほんにん の同意 どうい を必要 ひつよう としない強制 きょうせい 不 ふ 妊 にん 手術 しゅじゅつ (第 だい 4条 じょう 、12条 じょう )が1万 まん 6500件 けん 実施 じっし された[ 76] 。強制 きょうせい 不 ふ 妊 にん 手術 しゅじゅつ の実施 じっし 数 すう は1950年代 ねんだい 末 まつ に年 とし 1000件 けん 以上 いじょう に達 たっ したが、その後 ご 、次第 しだい に減少 げんしょう し、1980年代 ねんだい にはほとんど行 おこな われなくなった[ 2] 。1996年 ねん に優生 ゆうせい 条項 じょうこう を削除 さくじょ する法 ほう 改正 かいせい がなされ、名称 めいしょう も母体 ぼたい 保護 ほご 法 ほう と変更 へんこう された。
集団 しゅうだん に対 たい する優生 ゆうせい 政策 せいさく は、1980年代 ねんだい 以降 いこう ほぼ行 おこな われなくなり、個人 こじん の自己 じこ 決定 けってい に基 もとづ いて子供 こども の病気 びょうき を予防 よぼう するリベラル優生 ゆうせい 学 がく が実践 じっせん されるようになった[ 77] 。出生 しゅっしょう 前 ぜん 診断 しんだん の結果 けっか をもとに、個人 こじん の自己 じこ 選択 せんたく に基 もと づく人工 じんこう 妊娠 にんしん 中絶 ちゅうぜつ を行 おこな うか、あるいは着 き 床 ゆか 前 ぜん 診断 しんだん により病気 びょうき をもたない胚 はい を選択 せんたく するという形 かたち で行 おこな われる。
イギリス では、行政 ぎょうせい が費用 ひよう を負担 ふたん してほとんどの人 ひと が出生 しゅっしょう 前 ぜん 診断 しんだん を受 う けており、人工 じんこう 妊娠 にんしん 中絶 ちゅうぜつ により二分 にぶん 脊椎 せきつい 症 しょう は1990年代 ねんだい までに激減 げきげん した[ 78] 。またダウン症 だうんしょう と診断 しんだん された妊 にん 婦 ふ の90%以上 いじょう が、人工 じんこう 妊娠 にんしん 中絶 ちゅうぜつ を選択 せんたく している[ 79] 。
キプロス ではβ べーた サラセミア という貧血 ひんけつ を引 ひ き起 お こす劣性 れっせい 遺伝 いでん 病 びょう の患者 かんじゃ が多 おお く、人口 じんこう の17%が保 ほ 因 いん 者 しゃ と推定 すいてい されている[ 80] 。結婚 けっこん 前 まえ の保 ほ 因 いん 者 しゃ 検査 けんさ の義務 ぎむ 化 か や、出生 しゅっしょう 前 ぜん 診断 しんだん と中絶 ちゅうぜつ を推奨 すいしょう する政策 せいさく により、新規 しんき 発症 はっしょう 者 しゃ 数 すう は1988年 ねん 以降 いこう ほぼゼロになった[ 80] [ 81] 。
1970年 ねん 以降 いこう 、ユダヤ人 じん コミュニティに多 おお いテイ・サックス病 びょう などの保 ほ 因 いん 者 しゃ 検査 けんさ が自発 じはつ 的 てき に行 おこな われている[ 82] 。正統 せいとう 派 は ユダヤ教 きょう のコミュニティに対 たい してはDor Yeshorim (英語 えいご 版 ばん ) という団体 だんたい が、ユダヤ人 じん に多 おお い劣性 れっせい 遺伝 いでん 病 びょう の保 ほ 因 いん 者 しゃ 検査 けんさ を提供 ていきょう しており、イスラエルなど様々 さまざま な国 くに に事務所 じむしょ がある。これらの影響 えいきょう で、病気 びょうき の頻度 ひんど は大 おお きく減少 げんしょう した[ 83] [ 84] 。カップルの両者 りょうしゃ がともに保 ほ 因 いん 者 しゃ だった場合 ばあい 、破談 はだん となることはよくある。ユダヤ教 きょう 国 こく であるイスラエル では、費用 ひよう 負担 ふたん なしで妊娠 にんしん 初期 しょき に遺伝子 いでんし 検査 けんさ を受 う けるよう推奨 すいしょう され、胎児 たいじ が遺伝 いでん 病 びょう と診断 しんだん された場合 ばあい 、自発 じはつ 的 てき に人工 じんこう 妊娠 にんしん 中絶 ちゅうぜつ することがある。
中国 ちゅうごく では「優生 ゆうせい 優 ゆう 育 いく 」政策 せいさく (簡体字 かんたいじ : 优生优育 )と呼 よ ばれる障害 しょうがい 者 しゃ の出生 しゅっしょう 率 りつ を抑制 よくせい する優生 ゆうせい 学 がく 的 てき 国家 こっか 政策 せいさく が行 おこな われている[ 85] [ 86] [ 87] 。一人 ひとり っ子 こ 政策 せいさく (計画 けいかく 生育 せいいく 政策 せいさく )の柱 はしら の1つは「優生 ゆうせい 」(健康 けんこう で優 すぐ れた子供 こども を生 う む)である。中国 ちゅうごく 優生 ゆうせい 優 ゆう 育 そだて 協会 きょうかい [ 88] 、中国 ちゅうごく 優生 ゆうせい 科学 かがく 協会 きょうかい [ 89] が中国 ちゅうごく 政府 せいふ の下 した でこの政策 せいさく を支 ささ える社会 しゃかい 団体 だんたい (日本 にっぽん の独立 どくりつ 行政 ぎょうせい 法人 ほうじん や外郭 がいかく 団体 だんたい に近 ちか い)として設立 せつりつ されている。2018年 ねん 11月に中国 ちゅうごく で世界 せかい 初 はつ の遺伝子 いでんし 操作 そうさ されたヒトの出産 しゅっさん が発表 はっぴょう されて国際 こくさい 的 てき な波紋 はもん を呼 よ んだ際 さい は中国 ちゅうごく の「優生 ゆうせい 優 ゆう 育 いく 」などに代表 だいひょう される研究 けんきゅう 者 しゃ や政府 せいふ の都合 つごう を優先 ゆうせん する中国 ちゅうごく の組織 そしき 風土 ふうど が槍玉 やりだま にあがった[ 90] 。
2000年代 ねんだい にヒトゲノム が解明 かいめい された事 こと によって、再 ふたた び優生 ゆうせい 学 がく 的 てき なヒト遺伝子 いでんし の選抜 せんばつ が論 ろん じられるようになった。これて新 あら たな優生 ゆうせい 学 がく が誕生 たんじょう しつつあるとの意見 いけん がある。例 たと えば、デオキシリボ核酸 かくさん を用 もち いた遺伝子 いでんし 診断 しんだん サービスなどが商業 しょうぎょう 化 か され、自己 じこ 責任 せきにん においてそれを利用 りよう するなど、個人 こじん レベルでの優生 ゆうせい 思想 しそう が、現実 げんじつ 問題 もんだい として現 あらわ れてきた。今後 こんご は、この様 よう な新 あたら しい優生 ゆうせい 学 がく の、倫理 りんり 問題 もんだい について考 かんが えていく時代 じだい となっている。
2000年 ねん に採択 さいたく された国連 こくれん ミレニアム宣言 せんげん は、こうしたヒトゲノムや生物 せいぶつ 工学 こうがく の倫理 りんり 的 てき 配慮 はいりょ を要請 ようせい し、同年 どうねん に欧州 おうしゅう 連合 れんごう が採択 さいたく した欧州 おうしゅう 連合 れんごう 基本 きほん 権 けん 憲章 けんしょう では、人 ひと の選別 せんべつ を目的 もくてき とした優生 ゆうせい 学 がく 的 てき 措置 そち を禁止 きんし している[ 91] 。また障害 しょうがい 者 しゃ 権利 けんり 条約 じょうやく も、第 だい 10条 じょう に障害 しょうがい 者 しゃ 差別 さべつ のない生存 せいぞん 権 けん [ 92] 、第 だい 15条 じょう に医学 いがく 的 てき 実験 じっけん の禁止 きんし 、第 だい 17条 じょう に不可侵 ふかしん 性 せい の権利 けんり を掲 かか げ[ 93] 、障害 しょうがい 者 しゃ に対 たい する優生 ゆうせい 学 がく 的 てき 措置 そち を否定 ひてい している。
カール・セーガン は、人類 じんるい がヌクレオチド を自由 じゆう に並 なら べ替 か えられるようになり、望 のぞ み通 どお りの特質 とくしつ をもった人間 にんげん を作 つく り出 だ せるようになるだろうが、そのような未来 みらい は不安 ふあん なものだと述 の べている[ 94] 。
映画 えいが 『ガタカ 』(1997年 ねん )は、優生 ゆうせい 学 がく により人々 ひとびと の能力 のうりょく と地位 ちい を決定 けってい するディストピア 社会 しゃかい を、社会 しゃかい 派 は SF で表現 ひょうげん している[ 95] [ 96] 。『ガタカ』は興行 こうぎょう 的 てき には成功 せいこう しなかったが批評 ひひょう 家 か には高 たか く評価 ひょうか され、ヒトの遺伝子 いでんし 操作 そうさ という論争 ろんそう の的 まと となる議論 ぎろん を具体 ぐたい 化 か させたと言 い われている[ 95] [ 96] 。この映画 えいが の「遺伝子 いでんし 差別 さべつ 」のディストピア的 てき 描写 びょうしゃ は、優生 ゆうせい 学 がく や遺伝子 いでんし 決定 けってい 論 ろん 的 てき イデオロギーの社会 しゃかい 的 てき 受容 じゅよう に対 たい して躊躇 ちゅうちょ や反対 はんたい をする多 おお くの生命 せいめい 倫理 りんり 学 がく 者 もの や一般人 いっぱんじん によって引用 いんよう されてきた[ 97] 。行動 こうどう 遺伝 いでん 学者 がくしゃ のロバート・プロミン は、著書 ちょしょ 『ブループリント 』(2018年 ねん )の中 なか で、ガタカは全体 ぜんたい 主義 しゅぎ 国家 こっか に遺伝子 いでんし 情報 じょうほう が利用 りよう される危険 きけん 性 せい を警告 けいこく する一方 いっぽう で、民主 みんしゅ 主義 しゅぎ 社会 しゃかい では教育 きょういく や雇用 こよう のために人 ひと を選 えら ぶ心理 しんり テストがすでに実施 じっし されており、遺伝子 いでんし 検査 けんさ が能力 のうりょく 主義 しゅぎ を促進 そくしん させるために、バイアスのない方法 ほうほう でテストを補完 ほかん する可能 かのう 性 せい を示唆 しさ している[ 98] 。
優生 ゆうせい 思想 しそう という言葉 ことば は、もともと優生 ゆうせい 学 がく と同 おな じ意味 いみ で用 もち いられていた。すなわち「不良 ふりょう な子孫 しそん の出生 しゅっしょう 防止 ぼうし 」や「優 すぐ れた子孫 しそん の出生 しゅっしょう 促進 そくしん 」という意味 いみ である。当時 とうじ の新聞 しんぶん などからも裏付 うらづ けられており、1949年 ねん の国会 こっかい 決議 けつぎ でこの言葉 ことば が使 つか われた際 さい も、子 こ の出生 しゅっしょう に限定 げんてい された意味 いみ である[ 99] 。しかし1970年代 ねんだい 以降 いこう 、優生 ゆうせい 思想 しそう は一部 いちぶ で「障害 しょうがい 者 しゃ や病者 びょうしゃ に対 たい する差別 さべつ 一般 いっぱん 」という、本来 ほんらい とは異 こと なる意味 いみ で用 もち いられるようになる[ 99] 。これは障害 しょうがい 者 しゃ 団体 だんたい の青 あお い芝 しば の会 かい が、障害 しょうがい 者 しゃ 差別 さべつ を批判 ひはん するために優生 ゆうせい 思想 しそう をこのような意味 いみ で用 もち いたことに由来 ゆらい する[ 100] 。「優生 ゆうせい (eugenic)」に対 たい するこのような用法 ようほう は、日本 にっぽん 以外 いがい ではあまり見 み られない独特 どくとく のものである[ 99] 。
さらに優生 ゆうせい 思想 しそう は、より漠然 ばくぜん と「(遺伝 いでん や生殖 せいしょく とは関係 かんけい のない)弱者 じゃくしゃ 差別 さべつ ・排除 はいじょ 」「人間 にんげん を序列 じょれつ 化 か する価値 かち 観 かん 」[ 100] のような意味 いみ で用 もち いられることもあり、いずれも日本 にっぽん 独自 どくじ の用法 ようほう である[ 99] 。
このような用法 ようほう は、英語 えいご だとエイブリズム(ableism 、健常 けんじょう 者 しゃ 中心 ちゅうしん 主義 しゅぎ )に近 ちか く[ 101] 、特 とく に2016年 ねん の相模原 さがみはら 障害 しょうがい 者 しゃ 殺傷 さっしょう 事件 じけん の後 のち に爆発 ばくはつ 的 てき に広 ひろ まった[ 102] 。
横山 よこやま 尊 たかし は、優生 ゆうせい 学 がく 史 し 研究 けんきゅう において日本 にっぽん の言論 げんろん がガラパゴス化 か する可能 かのう 性 せい があると指摘 してき し、改 あらた めて国際 こくさい 的 てき 研究 けんきゅう の標準 ひょうじゅん が学 まな ばれるべきだと主張 しゅちょう している[ 102] 。
^ 原文 げんぶん は [This book's] intention is to touch on various topics more or less connected with that of the cultivation of race, or, as we might call it, with "eugenic"1 questions, and to present the results of several of my own separate investigations.1 This is, with questions bearing on what is termed in Greek, eugenes , namely, good in stock, hereditarily endowed with noble qualities. This, and the allied words, eugeneia , etc., are equally applicable to men, brutes, and plants. We greatly want a brief word to express the science of improving stock, which is by no means confined to questions of judicious mating, but which, especially in the case of man, takes cognisance of all influences that tend in however remote a degree to give the more suitable races or strains of blood a better chance of prevailing speedily over the less suitable than they otherwise would have had. The word eugenics would sufficiently express the idea; it is at least a neater word and a more generalised one than viriculture , which I once ventured to use.
^ 英 えい : reversion towards mediocrity
^ 英 えい : regression towards the mean
^ 原文 げんぶん はI propose to show in this book that a man's natural abilities are derived by inheritance, under exactly the same limitations as are the form and physical features of the whole organic world. Consequently, as it is easy, notwithstanding those limitations, to obtain by careful selection a permanent breed of dogs or horses gifted with peculiar powers of running, or of doing anything else, so it would be quite practicable to produce a highly-gifted race of men by judicious marriages during several consecutive generations.
^ 1920年代 ねんだい から40年代 ねんだい にかけて多 おお くの高校 こうこう と大学 だいがく の教科書 きょうかしょ においては人々 ひとびと に対 たい する優生 ゆうせい 学 がく 的 てき 諸 しょ 法則 ほうそく を応用 おうよう することから得 え られる様々 さまざま な科学 かがく 的 てき 進歩 しんぽ を喧伝 けんでん する章 しょう 立 りつ が見 み られた。また初期 しょき の科学 かがく 雑誌 ざっし には遺伝 いでん 関連 かんれん の記事 きじ が多 おお く掲載 けいさい された。雑誌 ざっし の編集 へんしゅう 者 しゃ には優生 ゆうせい 学者 がくしゃ がおり、優生 ゆうせい 学 がく の特集 とくしゅう 記事 きじ を掲載 けいさい することもあった。
^ 英 えい : Race Crossing in Jamaica
^ この報告 ほうこく はナチス政府 せいふ によって、それらの広範 こうはん な断種 だんしゅ 計画 けいかく は実行 じっこう 可能 かのう であり、かつ人道 じんどう に適 かな ったものであるという証拠 しょうこ として広 ひろ く引用 いんよう された。
^ 国外 こくがい から流入 りゅうにゅう する「不 ふ 適格 てきかく 者 しゃ 」達 たち の数 かず を制限 せいげん するために制定 せいてい されたものであり、前年 ぜんねん 比 ひ で15 %移民 いみん の数 かず を減少 げんしょう させた。
^ 1920年 ねん の移民 いみん と帰化 きか に関 かん する下院 かいん 委員 いいん 会 かい に対 たい する専門 せんもん 参考 さんこう 人 じん として指名 しめい された。
^ 第 だい 一 いち 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん でドイツの精神病 せいしんびょう 患者 かんじゃ の多数 たすう (推定 すいてい 7万 まん 人 にん [ 61] )が飢餓 きが の影響 えいきょう で死亡 しぼう したことが念頭 ねんとう にあったとされる[ 59] 。
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概念 がいねん 思想 しそう ・イデオロギー関連 かんれん 条約 じょうやく ・法規 ほうき 実例 じつれい
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