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移住いじゅう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

移住いじゅう(いじゅう、えい: migration)とは、生活せいかつである住居じゅうきょえること[1]場所ばしょえること[2]土地とちうつりじゅうむこと[3]

概要がいよう

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移住いじゅうは、場所ばしょ住居じゅうきょえることである。

『ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん』は、移住いじゅうだい分類ぶんるいすると3つにけられる、としている[1]どう文献ぶんけんによると、大分おおいたるいの1番目ばんめは、いままでんでいた住居じゅうきょってあたらしい住居じゅうきょつけ、そこに永久えいきゅうてきむことである[1]。 2番目ばんめは、一時いちじてき住居じゅうきょえる移住いじゅうがあるという[1]。3番目ばんめとしては、居住きょじゅうえることを不定期ふていきまぐれにおこない、定住ていじゅうたず転々てんてん生活せいかつえる移住いじゅうもあるという[1]

なお『ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん』は、1番目ばんめ典型てんけいてきれいとしてはつぎの2つをげていた[1]

(※1)なお2020ねんはるコロナ発生はっせいしてからは、人口じんこう密集みっしゅう感染かんせんきがちな都市とし世界せかいてききらわれるようになり、ぎゃくに 《都市としから田舎いなかへの移住いじゅう》 が世界せかいてきにさかんになっている。日本にっぽんでも同様どうようである。

2番目ばんめ移住いじゅう典型てんけいれいとしては、『ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん』は、セカンドハウスてそこで一定いってい期間きかん生活せいかつすることをげている[1]。(※2)

(※2)ほかにも、心身しんしん不調ふちょうきている場合ばあいは、転地てんち療養りょうようのためにすうヶ月かげつ〜1ねん(あるいはすうねん)ほど住居じゅうきょえる、ということはむかしから各国かっこくひろおこなわれている。不調ふちょう原因げんいんからないひとでも転地てんち療養りょうようをしてみるとあっさり心身しんしん調子ちょうしくなることもおおく、じつ不調ふちょう原因げんいんはもとんでいた場所ばしょ特定とくてい社会しゃかい環境かんきょう特定とくていのストレスげん特定とくていひととのゆがんだ人間にんげん関係かんけいなどだった、とのちから判明はんめいしたり分析ぶんせきできるようになることもおおく、その具体ぐたいてき対処たいしょほういだせるようになり人生じんせいあかるい展望てんぼうられることもおおい。

移住いじゅう」という用語ようごは、通常つうじょう自主じしゅてき移動いどうについてもちいるが、「強制きょうせい移住いじゅう」というものもあり、政府せいふがわ都合つごう強制きょうせいりょくをもって集団しゅうだんてき移住いじゅうさせられるものである。人権じんけん軽視けいしで、人種じんしゅ差別さべつ民族みんぞく排除はいじょ気分きぶんひろがっているくにおこなわれることがあり、強制きょうせい移住いじゅうは、それをいられるがわにとっては、かなりおそろしい事態じたいである。民族みんぞく浄化じょうか大量たいりょう虐殺ぎゃくさつ)がはじまるきざしともなるからである。

歴史れきし

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移住いじゅう世界せかいおおきな影響えいきょうおよぼしてきた。18世紀せいきから19世紀せいきには、ヨーロッパからアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくすうひゃくまん人々ひとびと移住いじゅうした。

移住いじゅう要因よういん

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ある場所ばしょからはなれたくなる要因よういんと、ある場所ばしょみたくなる要因よういんにはつぎのようなものがある。おおむね裏表うらおもて関係かんけいにある

はなれる要因よういん

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  • 危険きけん
  • 宗教しゅうきょうじょう迫害はくがい信教しんきょう自由じゆう欠如けつじょ
  • 政治せいじてき抑圧よくあつ政府せいふによる抑圧よくあつ恐怖きょうふ政治せいじ独裁どくさいてき政府せいふによる国民こくみんたいするおど政府せいふによる国民こくみんたいするテロリズム)。
  • 民族みんぞく差別さべつ人種じんしゅ差別さべつ
  • 国内こくない慢性まんせいてき景気けいき悪化あっかけた家計かけい苦境くきょう貧困ひんこん)。仕事しごと欠如けつじょ
  • 農地のうち慢性まんせいてき不足ふそく
  • 国内こくない飢饉ききん旱魃かんばつ
  • 内戦ないせん国内こくない民族みんぞく紛争ふんそう国内こくない民族みんぞくあいだ対立たいりつ
  • おろかな指導しどうしゃ野蛮やばん指導しどうしゃこす)他国たこくたいする野蛮やばん侵略しんりゃく戦争せんそう。それにともな自身じしん家族かぞくが、恣意しいてき徴兵ちょうへいされ「無駄むだ」することへの恐怖きょうふ。(ロシアのプーチンがウクライナ侵略しんりゃく戦争せんそうこしたら、ロシアじん恐怖きょうふかんじ、その侵略しんりゃく戦争せんそう開始かいし直後ちょくごすう週間しゅうかんだけでも、すうじゅうまんにんのロシアじん外国がいこく移住いじゅうした。)
  • 他国たこくからこされた侵略しんりゃく戦争せんそう国内こくない戦場せんじょうとなった場合ばあい戦闘せんとういんおも子供こどもたちやその母親ははおや)の「安全あんぜん確保かくほ」のための外国がいこくへの緊急きんきゅう移住いじゅう。(2022ねん、ロシアに侵略しんりゃくされたウクライナでは1500まんにん女性じょせい子供こどもたちが外国がいこく移住いじゅう避難ひなん)することになった[4]。そのにも、ウクライナ国内こくない移住いじゅう避難ひなん)せざるをなくなったウクライナじんが600まんにん以上いじょういる[4]
  • 女性じょせいたいする、国内こくないぜん時代じだいてき差別さべつ
  • 子育こそだてのしにくい環境かんきょう
  • LGBTたいする差別さべつ性的せいてき指向しこううえ寛容かんようさらには迫害はくがい具体ぐたいてき危険きけん)。
  • 賃金ちんぎん水準すいじゅんわるさや低下ていかかずじゅうねんにもわた世界せかいてき平均へいきん賃金ちんぎん水準すいじゅんびているのに、自国じこくないだけでは企業きぎょう狡猾こうかつ内部ないぶ留保りゅうほばかりし、従業じゅうぎょういん分配ぶんぱいするまった欠如けつじょしており、平均へいきん賃金ちんぎんびておらず、自国じこくあきらかに相対そうたいてきしずんでおり、「うしなわれた30ねん」などとわれていること(近年きんねん日本にっぽん若者わかものでは日本にっぽん愛想あいそをつかし、外国がいこく移住いじゅうして就職しゅうしょくすることをえらひと増加ぞうかしている)
  • 物価ぶっか高騰こうとう

かれる」要因よういん

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  • 安全あんぜん
  • 忖度そんたくせず、自分じぶん信念しんねんについて普通ふつうかたっていという、西側にしがわ先進せんしん諸国しょこくでは"たりまえ"となっている自由じゆうがあること。政治せいじてき自由じゆう
  • 荒地あれち自力じりきたがや農地のうちとすればその土地とち自分じぶん所有しょゆうとしてタダでられる、とする政府せいふからの約束やくそく
  • 物価ぶっかやす
  • とみ獲得かくとくカリフォルニア・ゴールドラッシュひとし
  • 就職しゅうしょく機会きかい増加ぞうか
  • 賃金ちんぎん上昇じょうしょう。(たとえば2022ねん時点じてんで、日本にっぽんからオーストラリアなどに移住いじゅうして就職しゅうしょくすると、おなじんでも賃金ちんぎんが2ばいほどになる)
  • 自分じぶんたか能力のうりょく見合みあった、仕事しごと機会きかい
  • 子育こそだ環境かんきょう
  • より教育きょういく
  • より福祉ふくし
  • 家族かぞく親戚しんせき友人ゆうじんんでいること
  • 国家こっか建設けんせつイスラエル
  • 特別とくべつ文化ぶんかてき宗教しゅうきょうてきコミュニティの創設そうせつ
  • 文化ぶんかゆたかさ

移住いじゅう制限せいげん

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ドイツさい統一とういつ以前いぜんひがしドイツから西にしドイツへの移民いみん制限せいげんしたベルリンのかべ

複数ふくすうくには、国民こくみんたいして移住いじゅう自由じゆう制限せいげんしていた。1668ねん以降いこう中国ちゅうごく王朝おうちょうきよしかん民族みんぞくたいして、満州まんしゅう中国ちゅうごく東北とうほく)への移住いじゅう禁止きんしした。1681ねん皇帝こうていは、中国ちゅうごく国民こくみん満州まんしゅうおよびモンゴルに越境えっきょうできないようにするためのやなぎじょうあたり建設けんせつめいじた[5]

1918ねんソビエト連邦れんぽう構成こうせい共和きょうわこく法律ほうりつ国境こっきょうきびしくしてそのような制限せいげんはじめ、1928ねんまで違法いほう移住いじゅうもほぼ不可能ふかのうであった[6]。これを強化きょうかするため、ソビエト連邦れんぽう政府せいふ国内こくないパスポート制度せいどかく都市とし住民じゅうみん登録とうろく制度せいど規定きていし、「101st kilometre」とばれる規則きそくによって、ちいさな地域ちいきない移動いどう制限せいげんした[7]

だい世界せかい大戦たいせん1945ねん、ソビエト連邦れんぽう複数ふくすうひがしヨーロッパくに占拠せんきょし、自国じこく影響えいきょうきまとめて東側ひがしがわ諸国しょこくばれた。あらたに獲得かくとくされた地域ちいきだい部分ぶぶん住人じゅうにんは、独立どくりつし、ソビエト連邦れんぽう退去たいきょすることをのぞんだ[8]だい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつして5ねんたない1950ねん以前いぜん、1500まんにん以上いじょう人々ひとびとがソビエト連邦れんぽう占領せんりょうされた共産きょうさん主義しゅぎけんひがしヨーロッパから資本しほん主義しゅぎけん西側にしがわ諸国しょこく移住いじゅうした[9]。1950年代ねんだいはじめまでに、国家こっかあいだ移動いどう制限せいげんするソビエト連邦れんぽう手法しゅほうは、東側ひがしがわ諸国しょこくほか国々くにぐにでもれられた[10]東側ひがしがわ諸国しょこく導入どうにゅうされた移住いじゅう制限せいげんは、東側ひがしがわ西側にしがわあいだ移動いどうのほとんどを停止ていしさせ、1950ねんから1990ねんまでに、東側ひがしがわから西側にしがわ移動いどうしたかずは、わずか1330まんにんであった[11]。しかし、毎年まいとしすうじゅうまんにんひがしドイツ国民こくみんが、東西とうざいベルリンのあいだにある「あな」をとおって西にしドイツに移住いじゅうしていた[12]。この移住いじゅうは、ひがしドイツから西にしドイツへ、教育きょういくけた若年じゃくねん専門せんもん技術ぎじゅつしゃの「頭脳ずのう流出りゅうしゅつ」をこし、また1961ねんまでにひがしドイツの人口じんこうの20%ちかくが西にしドイツへ移住いじゅうした[13]1961ねんひがしドイツは有刺鉄線ゆうしてっせん障壁しょうへきつくり、のちにこれはベルリンのかべ建設けんせつつながった[14]1989ねんベルリンのかべ崩壊ほうかいつづいてドイツさい統一とういつおこなわれ、それから2ねん以内いないソビエト連邦れんぽう崩壊ほうかいきた。

1950年代ねんだいはじめまでに、ソ連それん実施じっしした移住いじゅう制限せいげんは、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくモンゴルこく朝鮮民主主義人民共和国ちょうせんみんしゅしゅぎじんみんきょうわこく北朝鮮きたちょうせん)といった社会しゃかい主義しゅぎこくでも同様どうよう制度せいどれられた[10]北朝鮮きたちょうせんでは現在げんざいでも移住いじゅうきびしく制限せいげんしており、北朝鮮きたちょうせん人民じんみんは、いまだに違法いほう中国ちゅうごくへの移住いじゅうつづけているものの[15]現在げんざいでももっと移住いじゅう制限せいげんきびしいくにの1つである[16]。そのに、過去かこ現在げんざい移住いじゅうきびしく制限せいげんしていたくにには、アンゴラエチオピアモザンビークソマリアアフガニスタンミャンマー民主みんしゅカンプチアラオスきたベトナムイラクみなみイエメンキューバひとしがある[17]

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i 『ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん』「移住いじゅう
  2. ^ 精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん』「移住いじゅう
  3. ^ 『デジタル大辞泉だいじせん』「移住いじゅう
  4. ^ a b 国連こくれんUNHCR協会きょうかい公式こうしきページ、ウクライナ
  5. ^ Elliott, Mark C. "The Limits of Tartary: Manchuria in Imperial and National Geographies." Journal of Asian Studies 59, no. 3 (2000): 603-46.
  6. ^ Dowty 1989, p. 69
  7. ^ Dowty 1989, p. 70
  8. ^ Thackeray 2004, p. 188
  9. ^ Böcker 1998, p. 207
  10. ^ a b Dowty 1989, p. 114
  11. ^ Böcker 1998, p. 209
  12. ^ Harrison 2003, p. 99
  13. ^ Dowty 1989, p. 122
  14. ^ Pearson 1998, p. 75
  15. ^ Kleinschmidt, Harald, Migration, Regional Integration and Human Security: The Formation and Maintenance of Transnational Spaces, Ashgate Publishing, Ltd., 2006,ISBN 0-7546-4646-7, page 110
  16. ^ Dowty 1989, p. 208
  17. ^ Dowty 1989, p. 186

出典しゅってん

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  • Böcker, Anita (1998), Regulation of Migration: International Experiences, Het Spinhuis, ISBN 90-5589-095-2 
  • Dale, Gareth (2005), Popular Protest in East Germany, 1945-1989: Judgements on the Street, Routledge, ISBN 0-7146-5408-6 
  • Dowty, Alan (1989), Closed Borders: The Contemporary Assault on Freedom of Movement, Yale University Press, ISBN 0-300-04498-4 
  • Harrison, Hope Millard (2003), Driving the Soviets Up the Wall: Soviet-East German Relations, 1953-1961, Princeton University Press, ISBN 0-691-09678-3 
  • Krasnov, Vladislav (1985), Soviet Defectors: The KGB Wanted List, Hoover Press, ISBN 0-8179-8231-0 
  • Mynz, Rainer (1995), Where Did They All Come From? Typology and Geography of European Mass Migration In the Twentieth Century; EUROPEAN POPULATION CONFERENCE CONGRESS EUROPEAN DE DEMOGRAPHE, United Nations Population Division 
  • Pearson, Raymond (1998), The Rise and Fall of the Soviet Empire, Macmillan, ISBN 0-312-17407-1 
  • Thackeray, Frank W. (2004), Events that changed Germany, Greenwood Publishing Group, ISBN 0-313-32814-5 

外部がいぶリンク

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