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大江おおえ健三郎けんざぶろう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
大江おおえ 健三郎けんざぶろう
(おおえ けんざぶろう)
大江おおえ健三郎けんざぶろう(2012ねんパリにて)
誕生たんじょう (1935-01-31) 1935ねん1がつ31にち
日本の旗 日本にっぽん 愛媛えひめけん喜多きたぐん大瀬おおぜむら
死没しぼつ (2023-03-03) 2023ねん3月3にち(88さいぼつ
職業しょくぎょう 小説しょうせつ
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
教育きょういく 文学ぶんがく東京大学とうきょうだいがく1959ねん
最終さいしゅう学歴がくれき 東京大学とうきょうだいがく文学部ぶんがくぶ仏文ふつぶん
活動かつどう期間きかん 1957ねん - 2019ねん
ジャンル 小説しょうせつ評論ひょうろん随筆ずいひつ
主題しゅだい せい政治せいじかく時代じだい障害しょうがいしゃとの共生きょうせい故郷こきょう伝承でんしょういのあたらしいひと偶発ぐうはつごと[1]たましいのことひとし
代表だいひょうさく飼育しいく』(1958ねん
むしり』(1958ねん
セヴンティーン』(1961ねん)
個人こじんてき体験たいけん』(1964ねん
万延まんえん元年がんねんのフットボール』(1967ねん
洪水こうずいはわがたましいおよ』(1973ねん
どう時代じだいゲーム』(1979ねん
あたらしいひとざめよ』(1983ねん
なつかしいとしへの手紙てがみ』(1987ねん
えあがるみどり』(1993ねん - 1995ねん
(チェンジリング)』(2000ねん
水死すいし』(2009ねん
おも受賞じゅしょうれき 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけしょう(1958ねん
新潮社しんちょうしゃ文学ぶんがくしょう(1964ねん
谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうしょう(1967ねん
野間のま文芸ぶんげいしょう(1973ねん
読売よみうり文学ぶんがくしょう(1983ねん
大佛だいぶつ次郎じろうしょう(1983ねん
川端かわばた康成やすなり文学ぶんがくしょう(1984ねん
伊藤いとうせい文学ぶんがくしょう(1990ねん
ノーベル文学ぶんがくしょう(1994ねん
朝日あさひしょう(1995ねん
グリンザーネ・カヴールしょう(1996ねん
ハーバード大学だいがく名誉めいよ博士はかせごう(2000ねん
レジオンドヌール勲章くんしょう(コマンドゥール)(2002ねん
デビューさく奇妙きみょう仕事しごと』(1957ねん
配偶はいぐうしゃ 大江おおえゆかり
子供こども 大江おおえひかり長男ちょうなん
親族しんぞく 伊丹いたみ万作まんさく岳父がくふ
伊丹いたみ十三じゅうざ義兄ぎけい
池内いけうち万作まんさくおい
ウィキポータル 文学ぶんがく
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ノーベルしょう受賞じゅしょうしゃノーベル賞
受賞じゅしょうねん1994ねん
受賞じゅしょう部門ぶもんノーベル文学ぶんがくしょう
受賞じゅしょう理由りゆう詩趣ししゅ表現ひょうげんりょくち、現実げんじつ虚構きょこう一体いったいとなった世界せかい創作そうさくして、読者どくしゃしんさぶりをかけるように現代げんだいじん苦境くきょうりにしている[4][2]

大江おおえ 健三郎けんざぶろう(おおえ けんざぶろう、1935ねん昭和しょうわ10ねん1がつ31にち - 2023ねんれい5ねん3月3にち)は、日本にっぽん小説しょうせつ昭和しょうわ中期ちゅうきから平成へいせい後期こうきにかけて活躍かつやくした現代げんだい日本にっぽん文学ぶんがく代表だいひょうする作家さっか一人ひとりである。愛媛えひめけん喜多きたぐん大瀬おおぜむらげん内子うちこまち出身しゅっしん

東京大学とうきょうだいがく文学部ぶんがくぶ仏文ふつぶんそつ学生がくせい作家さっかとしてデビューして、大学だいがく在学ざいがくちゅう1958ねん短編たんぺん小説しょうせつ飼育しいく」により当時とうじ最年少さいねんしょうの23さい芥川賞あくたがわしょう受賞じゅしょう新進しんしん作家さっかとして脚光きゃっこうびた[5]

あたらしい文学ぶんがく旗手きしゅとして、ゆたかな想像そうぞうりょく独特どくとく文体ぶんたいで、現代げんだいふかざした作品さくひん次々つぎつぎ発表はっぴょうしていく[6]1967ねん代表だいひょうさくとされる[7]万延まんえん元年がんねんのフットボール』により歴代れきだい最年少さいねんしょう[8]谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうしょう受賞じゅしょうした。

1973ねんに『洪水こうずいはわがたましいおよ』により野間のま文芸ぶんげいしょう1983ねんに『あめ(レイン・ツリー)」をおんなたち』により読売よみうり文学ぶんがくしょう小説しょうせつしょう)など多数たすう文学ぶんがくしょう受賞じゅしょう1994ねん日本にっぽん文学ぶんがく史上しじょうにおいて2人ふたりノーベル文学ぶんがくしょう受賞じゅしょうしゃとなった。

核兵器かくへいき天皇てんのうせいなどの社会しゃかいてき政治せいじてき問題もんだい知的ちてき障害しょうがいをもつ長男ちょうなん作曲さっきょく大江おおえひかり)との共生きょうせい故郷こきょうである四国しこくもりのなかの谷間たにまむら歴史れきし伝承でんしょうといった主題しゅだいかさわせた作品さくひん世界せかいつくげた[9][10]

上記じょうき以外いがいおも作品さくひんに『むしり』『個人こじんてき体験たいけん』『どう時代じだいゲーム』『あたらしいひとざめよ』『なつかしいとしへの手紙てがみ』『えあがるみどり』『(チェンジリング)』『水死すいし』などがある[11]

戦後せんご民主みんしゅ主義しゅぎ支持しじしゃ自認じにんし、国内外こくないがいにおける社会しゃかいてき問題もんだいへの発言はつげん積極せっきょくてきっていた。

来歴らいれき

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1935ねん1がつ31にち愛媛えひめけん喜多きたぐん大瀬おおぜむらげん内子うちこまち)にまれる。両親りょうしんあににんあねにんおとうといちにんいもうといちにんの9にん家族かぞくであった。大瀬おおぜむらもりかこまれた谷間たにまむらで、のちに大江おおえ作品さくひん舞台ぶたいとなる。1941ねん大瀬おおせ小学校しょうがっこう入学にゅうがく。このとし太平洋戦争たいへいようせんそうはじまり、5年生ねんせいなつまでつづいた。1944ねん父親ちちおやが50さい心臓麻痺しんぞうまひ急死きゅうししている[12]1947ねん大瀬おおせ中学校ちゅうがっこう入学にゅうがく1950ねん愛媛えひめ県立けんりつ内子うちこ高等こうとう学校がっこう入学にゅうがくするも、翌年よくねん大学だいがく進学しんがくのための教育きょういくけるために愛媛えひめ県立けんりつ松山東まつやまひがし高等こうとう学校がっこう転校てんこうする[13]高校こうこう時代じだい石川いしかわあつし小林こばやし秀雄ひでお渡辺わたなべ一夫かずお花田はなた清輝きよてるなどの作品さくひん[14]松山東まつやまひがし高校こうこうでは文芸ぶんげい所属しょぞくして掌上しょうじょう』を編集へんしゅう自作じさく評論ひょうろん掲載けいさいした。同校どうこうにおいて同級生どうきゅうせいだった伊丹いたみ十三じゅうざ親交しんこうむすぶ。

1953ねん上京じょうきょうし、浪人ろうにんせいとして予備校よびこうとおったのち、1954ねん東京大学とうきょうだいがく教養きょうよう学部がくぶ文科ぶんかるい現在げんざい文科ぶんかIIIるい)に入学にゅうがく演劇えんげき脚本きゃくほん短編たんぺん小説しょうせつ執筆しっぴつはじめる。1955ねん小説しょうせつやさしいひとたち」が「文藝ぶんげいだいさんかい全国ぜんこく学生がくせい小説しょうせつコンクールで入選にゅうせん佳作かさくとなる。同年どうねん小説しょうせつ火山かざん」が銀杏いちょう並木なみき文学ぶんがくしょう東京大学とうきょうだいがく教養きょうよう学部がくぶ学友がくゆうかい学生がくせい理事りじかい主催しゅさい[15]だいせきとなり、教養きょうよう学部がくぶ学内がくない掲載けいさいされて、作品さくひんはじめて活字かつじとなる[12]。このころブレーズ・パスカルアルベール・カミュジャン=ポール・サルトルノーマン・メイラーウィリアム・フォークナー安部あべ公房こうぼうなどの作品さくひん[12]1956ねん文学部ぶんがくぶ仏文ふつぶんすすみ、高校こうこう時代じだいより著作ちょさく愛読あいどく私淑ししゅくしてきた[16]渡辺わたなべ一夫かずお直接ちょくせつ師事しじする。小説しょうせつ火葬かそうのあと」が「文藝ぶんげいだいかい全国ぜんこく学生がくせい小説しょうせつコンクール選外せんがい佳作かさくとなる。東大とうだい学生がくせい演劇えんげき脚本きゃくほん戯曲ぎきょくししたちのこえ」(「奇妙きみょう仕事しごと」の原案げんあん)で創作そうさく戯曲ぎきょくコンクールに入選にゅうせんする[12]

芥川賞あくたがわしょう作家さっかとして ─ 飼育しいくむしりち、個人こじんてき体験たいけん

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しん日本にっぽん文学ぶんがく全集ぜんしゅう だい11かん』(集英社しゅうえいしゃ、1962ねん10がつ)より

1957ねんがつさいしょう受賞じゅしょうさくとして小説しょうせつ奇妙きみょう仕事しごと」が『東京大学とうきょうだいがく新聞しんぶん』に掲載けいさいされ、文芸ぶんげい評論ひょうろん平野ひらのけん激賞げきしょうける。これを契機けいきとして、短編たんぺん死者ししゃおご」により学生がくせい作家さっかとしてデビューし、続々ぞくぞく短編たんぺんかく文芸ぶんげい発表はっぴょうするようになる。「死者ししゃおごり」はだい38かい芥川賞あくたがわしょう候補こうほとなる。1958ねん自身じしんはつ長編ちょうへん小説しょうせつむしり』を発表はっぴょうする。大江おおえ故郷こきょうむらをモデルにした[17]ざされた山村さんそん舞台ぶたいにして、社会しゃかいから疎外そがいされた感化院かんかいん少年しょうねんたちのつか自由じゆうとその蹉跌さてつえがいた。同年どうねん短編たんぺん飼育しいく」によりだい39かい芥川賞あくたがわしょうを23さい受賞じゅしょうする。

1959ねん東京とうきょう大学だいがく卒業そつぎょう卒業そつぎょう論文ろんぶんは「サルトルの小説しょうせつにおけるイメージについて」であった[12]同年どうねんろし長編ちょうへんわれらの時代じだい』を刊行かんこうする。政治せいじなどの現実げんじつ社会しゃかいから内向ないこうてきせい世界せかいへと退却たいきゃくする、停滞ていたいじょうきょうにある現代げんだい青年せいねんえが[18]。この時期じき大江おおえの、せい露骨ろこつえがいて日常にちじょうてき規範きはんを攪拌させる方法ほうほうノーマン・メイラー影響えいきょうけている[19]。このとし東京とうきょう世田谷せたがや成城せいじょう転居てんきょし、近所きんじょ武満たけみつとおる親交しんこうはじまる。1960ねん伊丹いたみじゅうさんいもうとのゆかりと結婚けっこん同年どうねん石原いしはら慎太郎しんたろう江藤えとうあつし浅利あさり慶太けいたらと「わか日本にっぽんかい」で活動かつどうをともにし、日米にちべい安保あんぽ条約じょうやくしん安保あんぽ条約じょうやく締結ていけつ反対はんたいする[12](「安保あんぽ闘争とうそう参照さんしょう)。「日本にっぽん文学ぶんがく代表だいひょうだん」の一員いちいんとして、野間のまひろし亀井かめい勝一郎かついちろう開高かいこうけんらとともに中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく中国ちゅうごく)を訪問ほうもんして中国ちゅうごく文学ぶんがくしゃ交流こうりゅうし、毛沢東もうたくとう対面たいめんしている[20]

1961ねん中編ちゅうへんセヴンティーン」と続編ぞくへん政治せいじ少年しょうねんす(セヴンティーンだい)」を発表はっぴょうする。浅沼あさぬま稲次郎いねじろう暗殺あんさつ事件じけん触発しょくはつされて、オナニストの青年せいねん天皇てんのうとの合一ごういつ夢想むそう陶酔とうすいして右翼うよくテロリストとなるようえがいたが、おなごろ発表はっぴょうされた深沢ふかざわ七郎しちろうの『風流ふうりゅうゆめたん』と同様どうよう右翼うよく団体だんたいからの脅迫きょうはくさらされた(このため「政治せいじ少年しょうねんす(セヴンティーンだい)」はその単行本たんこうぼんおさめられていなかったが、2018ねん大江おおえ健三郎けんざぶろうぜん小説しょうせつ3』でついに「セヴンティーン」とあわせて収録しゅうろくされた)[21]同年どうねんブルガリアポーランドまねきにおうじて、両国りょうこくソ連それん、ヨーロッパ各地かくち訪問ほうもんして、フランスの首都しゅとパリでサルトルにインタビューをおこなっている[12][22]

1963ねん長男ちょうなんひかり頭蓋骨ずがいこつ異常いじょうのため知的ちてき障害しょうがいをもって誕生たんじょうする。1964ねんひかり誕生たんじょうけての作品さくひん個人こじんてき体験たいけん』によりだい11かい新潮社しんちょうしゃ文学ぶんがくしょう受賞じゅしょう知的ちてき障害しょうがいをもってまれた子供こどもねが父親ちちおやが、様々さまざま精神せいしん遍歴へんれきすえ現実げんじつ受容じゅようして子供こどもとともにきる決意けついをするまでの過程かていえがいた作品さくひんである。同年どうねん太平洋戦争たいへいようせんそう末期まっき人類じんるい史上しじょうはじめてかく攻撃こうげきけた広島ひろしまなんおとずれた体験たいけんや、原水爆げんすいばく禁止きんし世界せかい大会たいかい参加さんかした体験たいけんもとルポルタージュヒロシマ・ノート』の連載れんさい開始かいしする。障害しょうがいとの共生きょうせいかく時代じだい問題もんだいという終生しゅうせいおおきなテーマを同時どうじふたしゅにしたこのとしは、大江おおえにとって重大じゅうだい転機てんきとしであった[23]1965ねん広島ひろしまについて報告ほうこくするために、米国べいこく国際こくさい政治せいじ学者がくしゃヘンリー・キッシンジャーのセミナーに研究けんきゅういんとして参加さんかして、ハーヴァード大学だいがく滞在たいざいしている[12][24]

国際こくさいてき作家さっかへ ─ 万延まんえん元年がんねんのフットボール、洪水こうずいはわがたましいおよび、どう時代じだいゲーム

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1967ねん、30だい最初さいしょ長編ちょうへんとして『万延まんえん元年がんねんのフットボール』を発表はっぴょうし、最年少さいねんしょう(2019ねん時点じてんやぶられていない)でだい3かい谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうしょう受賞じゅしょうする。べい使節しせつ渡航とこうした万延まんえん元年がんねん(1860ねん)から安保あんぽ闘争とうそう(1960ねん)までのひゃくねん歴史れきしてき思想しそうてき展望てんぼうして[25][26]四国しこくもり谷間たにまむらこる「想像そうぞうりょく暴動ぼうどう」と様々さまざまきずかかえた家族かぞく恢復かいふく物語ものがたりえがいた。1968ねん東京とうきょう新宿しんじゅくにある紀伊國屋きのくにやホールにて月例げつれい連続れんぞく講演こうえんいち年間ねんかんおこない、これは『かく時代じだい想像そうぞうりょく』(1970ねん)としてまとめられた。このころからガストン・バシュラール依拠いきょして、現実げんじつえていくちからとしての「想像そうぞうりょくろんしていく[27]。1968ねん、『個人こじんてき体験たいけん』の英訳えいやく "A Personal Matter" が出版しゅっぱんされている。1967ねんには長女ちょうじょ菜採子なつみこ、1969ねんには次男じなんさくらあさまれている[28]

このころから海外かいがい作家さっかとの交流こうりゅうさかんになる。1968ねんオーストラリアアデレード芸術げいじゅつさい参加さんかし、エンツェンスベルガービュトール面会めんかいする。1970ねん1973ねんにはアジア・アフリカ作家さっか会議かいぎ参加さんか1977ねんハワイ大学はわいだいがくのセミナー「文学ぶんがくにおける東西とうざい文化ぶんか出会であい」に参加さんかしてアレン・ギンズバーグウォーレ・ショインカ対話たいわする[29]。また1970年代ねんだいには文芸ぶんげい新潮しんちょう』『うみ』においてアップダイクギュンター・グラスバルガス・リョサ対談たいだんしている[12]

1971ねん1972ねん発表はっぴょうしたふたつの中篇ちゅうへん「みずからなみだをぬぐいたまう」「つきおとこ(ムーン・マン)」では、前年ぜんねん三島みしま由紀夫ゆきおのクーデター未遂みすい自決じけつけて天皇てんのうせい批判ひはんてきなおすことを主題しゅだいとした[30]。1973ねんには『洪水こうずいはわがたましいおよ』を発表はっぴょうし、だい26かい野間のま文芸ぶんげいしょう受賞じゅしょうほんさくかく状況じょうきょうにおける終末しゅうまつかんてき世界せかい把握はあくした構想こうそうされており[31]破滅はめつかう先進せんしん文明ぶんめい対抗たいこうするものとしてのスピリチュアルないのりを主題しゅだいとしている[32]。1974ねんには『万延まんえん元年がんねんのフットボール』の英訳えいやく "The Silent Cry" が出版しゅっぱんされている。

1975ねん大学だいがく時代じだい恩師おんし渡辺わたなべ一夫かずお肺癌はいがん死去しきょし、おおきなショックをけた。なおりのきっかけをもとめて[33]1976ねんメキシコわたり、コレヒオ・デ・メヒコ客員きゃくいん教授きょうじゅとして日本にっぽん戦後せんご思想しそう講座こうざつ。現地げんちオクタビオ・パスフアン・ルルフォ、メキシコにきょかまえていたガブリエル・ガルシア=マルケスラテン・アメリカ文学ぶんがくしゃ[33][34]。1976ねん発表はっぴょうされた『ピンチランナー調書ちょうしょ』は天皇てんのうせいかく問題もんだい主題しゅだいとしている。

1978ねんには「おくれてきた構造こうぞう主義しゅぎもの」としょうして[35]、ちょうど日本にっぽん紹介しょうかいされはじめたバフチンロシア・フォルマリズムなどの思想しそう潮流ちょうりゅう山口やまぐち昌男まさお理論りろんなどを参照さんしょうして『小説しょうせつ方法ほうほう』を出版しゅっぱんしている[36][37]1979ねん発表はっぴょうされた原稿げんこう用紙ようし1,000まい大作たいさく[38]どう時代じだいゲーム』において、故郷こきょうもり谷間たにまの「むら国家こっか小宇宙しょううちゅう」の神話しんわ歴史れきしえがいた。大江おおえはこれをみずからの文学ぶんがくてき人生じんせいおおきいはしら作品さくひん位置付いちづけており[39]実際じっさいほんさくにはこれ以前いぜん大江おおえ作品さくひん様々さまざまなモチーフが回収かいしゅうされ、以降いこう作品さくひんあらわれる要素ようそ胚胎はいたいしている[40]1980ねんから1982ねんにかけて、中村なかむら雄二郎ゆうじろう山口やまぐち昌男まさおとともに編集へんしゅう代表だいひょうつとめて論集ろんしゅう叢書そうしょ文化ぶんか現在げんざい」(ぜん13かん)を編纂へんさんして、学際がくさいてきあたらしい「」の枠組わくぐみを提示ていじする[41]

円熟えんじゅく連作れんさく短編たんぺん時代じだい ─ 「あめ」をおんなたち、あたらしいひとざめよ

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1982ねん荒涼こうりょうとした世界せかいにおける男女だんじょせいにをつめた[38]連作れんさくたん編集へんしゅうあめ(レイン・ツリー)」をおんなたち』を発表はっぴょうして、よく1983ねんだい34かい読売よみうり文学ぶんがくしょう受賞じゅしょうほんさく武満たけみつとおるとの関係かんけいは、後述こうじゅつかかわりのふか人物じんぶつ項目こうもく参照さんしょう)。ほんさく以降いこう大江おおえおおくの作品さくひんにおいて、作家さっか自身じしんおもわせる小説しょうせつかたとして、自分じぶん経験けいけん思索しさく虚構きょこうしていく[42]。また自作じさく引用いんよう自己じこ批評ひひょうなおしや西洋せいよう古典こてんほんさくにおいてはマルカム・ラウリーである)[43]との対話たいわによって、むことくことの試行錯誤しこうさくごそのものを小説しょうせつむようになる[44]

1983ねん連作れんさくたん編集へんしゅうあたらしいひとざめよ』ではウィリアム・ブレイク預言よげんや、それに関連かんれんする研究けんきゅうむことでみちびかれた思索しさくぜながら、知的ちてき障害しょうがいをもつ長男ちょうなんひかり中心ちゅうしんとした家族かぞく日常にちじょう私小説ししょうせつてきえがき、だい10かい大佛だいぶつ次郎じろうしょう受賞じゅしょうする。ここで、ブレイク研究けんきゅうしゃ女性じょせい詩人しじんキャスリーン・レインおおきなみちびしゅとしてネオ・プラトニズムれ、大江おおえ文学ぶんがく中期ちゅうきのテーマである「たましい問題もんだい」「再生さいせい」といった神秘しんぴてき問題もんだいはじめるようになった[14][45][46]同年どうねん米国べいこくカリフォルニア大学だいがくバークレーこう共同きょうどう研究けんきゅういんとして滞在たいざいしている[12]

1984ねん磯崎いそざきしん大岡おおおかしん武満たけみつとおる中村なかむら雄二郎ゆうじろう山口やまぐち昌男まさおとともに編集へんしゅう同人どうじんとなり、季刊きかんへるめす』を創刊そうかん(『M/Tともりのフシギの物語ものがたり』『キルプの軍団ぐんだん』『治療ちりょうとう』『治療ちりょうとう惑星わくせい』は同誌どうし連載れんさいされた)。当時とうじ出版しゅっぱんかいが「」のブームがなか創刊そうかんされた本誌ほんしは1980年代ねんだい代表だいひょうする知識ちしきじん拠点きょてんとなる[47]同年どうねん国際こくさいペンクラブ東京とうきょう大会たいかい参加さんかして、講演こうえんかく状況じょうきょうにおける文学ぶんがく─なぜわれわれはくか」をおこない、カート・ヴォネガットアラン・ロブ=グリエウィリアム・スタイロン対話たいわする[12][48]。1985ねん連合赤軍れんごうせきぐん事件じけん文学ぶんがく仕事しごととしてなお[49]連作れんさくたん編集へんしゅう河馬かばに嚙まれる』を発表はっぴょうする。表題ひょうだいさくだい11かい川端かわばた康成やすなり文学ぶんがくしょう受賞じゅしょうしている。同年どうねん万延まんえん元年がんねんのフットボール』のフランス語ふらんすごやく "Le jeu du siècle" がガリマール出版しゅっぱんしゃより刊行かんこうされている[50]

ノーベルしょう受賞じゅしょうまで ─ なつかしいとしへの手紙てがみえあがるみどり

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1986ねんには『どう時代じだいゲーム』の世界せかいをリライトした『M/Tともりのフシギの物語ものがたり』を発表はっぴょうする。このリライトは難渋なんじゅうであるとして読者どくしゃ十分じゅうぶんれられなかった『どう時代じだいゲーム』を平易へいいにすると同時どうじ[51]、『どう時代じだいゲーム』において十分じゅうぶん展開てんかいしきれなかった「たましい再生さいせい」のテーマを追求ついきゅうする意味合いみあいがあった[52]1987ねんにはダンテの『かみきょく』を下敷したじきにした虚実きょじつぜのメタ・フィクショナル自伝じでん[14]なつかしいとしへの手紙てがみ』を発表はっぴょうする。『どう時代じだいゲーム』以来いらい原稿げんこう用紙ようし1,000まい大作たいさくで、『むしりち』以来いらいえがつづけてきたもり谷間たにま小宇宙しょううちゅう統合とうごうするこころみであった[53]前者ぜんしゃは1989ねんに "M/T et l'histoire des merveilles de la forêt" のタイトルで、後者こうしゃは1993ねんに "Lettres aux années de nostalgie" のタイトルで、フランス語ふらんすごやくがガリマールしゃより刊行かんこうされた[50]

1989ねんの『人生じんせい親戚しんせき』では長編ちょうへんはじめて女性じょせい主人公しゅじんこうとし[54]子供こども自殺じさつうしなった女性じょせい悲嘆ひたんとそのえをえがいてだい1かい伊藤いとうせい文学ぶんがくしょう受賞じゅしょうする。1990ねん発表はっぴょうされたSF『治療ちりょうとう』とその続編ぞくへんの『治療ちりょうとう惑星わくせい』(1991ねん)では、イェーツきながらかく時代じだい危機きき人類じんるい救済きゅうさい主題しゅだいえがいている。1990ねん連作れんさくたん編集へんしゅうしずかな生活せいかつ』を発表はっぴょう。『あたらしいひとざめよ』において主題しゅだいとなった知的ちてき障害しょうがい長男ちょうなんとの共生きょうせい体験たいけんを、かれいもうと視点してんとおしてあらためてえがいている。この時期じき大江おおえ女性じょせいかたえらび、それにこう模索もさくしている[55]。また超越ちょうえつてき存在そんざい自分じぶん自身じしん関係かんけいなおそうとしている[56]

1993ねん9月より原稿げんこう用紙ようし2,000まいおよさんからなる長編ちょうへんえあがるみどり』の連載れんさい開始かいしする。『なつかしいとしへの手紙てがみ』の後日ごじつたんとして、四国しこくもりなか谷間たにまむら舞台ぶたいとした「教会きょうかい」の勃興ぼっこうから瓦解がかいいたるまでの過程かていを、両性りょうせい具有ぐゆうわか女性じょせい視点してんとおしてえがき、「たましい救済きゅうさい」の問題もんだいえがくした[57]連載れんさい当時とうじはこれを「最後さいご小説しょうせつ」としていた[58]

えあがるみどり連載れんさいちゅう1994ねん、「詩的してき想像そうぞうりょくによって、現実げんじつ神話しんわ密接みっせつ凝縮ぎょうしゅくされた想像そうぞう世界せかいつくし、読者どくしゃしんさぶりをかけるように現代げんだいじん苦境くきょうりにしている[59](who with poetic force creates an imagined world, where life and myth condense to form a disconcerting picture of the human predicament today)」という理由りゆうノーベル文学ぶんがくしょう受賞じゅしょうする。川端かわばた康成やすなり以来いらい26ねんぶり、日本人にっぽんじんでは2人ふたり受賞じゅしょうしゃであった。ストックホルムおこなわれた受賞じゅしょう講演こうえん川端かわばたの「うつくしい日本にっぽんわたし」をもじった「あいまいな日本にっぽんわたし」というものであった。ここで大江おおえは、川端かわばた講演こうえんきわめてvague(あいまい、ぼんやりした)であり、じた神秘しんぴ主義しゅぎであるとし、自分じぶん日本にっぽんをambiguous(あいまい、両義りょうぎてき)なくにとしてとらえるとべた。日本にっぽんは、開国かいこく以来いらい伝統でんとうてき日本にっぽん西欧せいおう両極りょうきょくかれたくにであるとの見方みかたしめし、小説しょうせつとしての自分じぶん仕事しごとは、ユマニスムの精神せいしんって「言葉ことばによって表現ひょうげんするものと、その受容じゅようしゃとを、個人こじんの、また時代じだい痛苦つうくからともに恢復かいふくさせ、それぞれのたましいきずいやす」ことであるとべた[60]

小説しょうせつ執筆しっぴつ一旦いったん終了しゅうりょうけて1996ねんより新潮社しんちょうしゃより『大江おおえ健三郎けんざぶろう小説しょうせつ』(10かん)が刊行かんこう開始かいしされた[61]。これは全集ぜんしゅうではなく、作者さくしゃ吟味ぎんみ基準きじゅんかなうもののみが収録しゅうろくされた。長編ちょうへんでいうと初期しょき作品さくひんの『われらの時代じだい』『よるよゆるやかにあゆめ』『青年せいねん汚名おめい』『おくれてきた青年せいねん』『日常にちじょう生活せいかつ冒険ぼうけん』は収録しゅうろくされなかった。

後期こうき仕事しごと(レイト・ワーク)─ 水死すいし

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1995ねんに「最後さいご小説しょうせつ」としていた『えあがるみどり』が完結かんけつし、小説しょうせつ執筆しっぴつをやめてスピノザ研究けんきゅうむとべていた[58][62]。だが1996ねん友人ゆうじん武満たけみつとおる病死びょうし契機けいきかんがえをえ、告別こくべつしき弔辞ちょうじにおいて新作しんさくささげるとし[63]、1999ねんに『宙返ちゅうがえ』を発表はっぴょう信徒しんと計画けいかくするテロをふせぐためにいち「棄教」した新興しんこう宗教しゅうきょう教祖きょうそらによる、波乱はらんなかでの教団きょうだん再建さいけんえがいている。これ以降いこう創作そうさく活動かつどう作家さっか自身じしんが「後期こうき仕事しごと(レイト・ワーク)」としょうする。

2000ねん義兄ぎけい伊丹いたみ十三じゅうざ自殺じさつけて、文学ぶんがくてき追悼ついとうとして伊丹いたみ新生しんせい希望きぼうへとつな[64](チェンジリング)』を発表はっぴょうする。つづけて『かお童子どうじ』(2002ねん)、『さようなら、わたしほんよ!』(2005ねん)を発表はっぴょうした。これらは「スウード・カップル(おかしな人組にんぐみ)」が登場とうじょうするさんさくとなっている。『さようなら、わたしほんよ!』では2001ねんアメリカ同時どうじ多発たはつテロ事件じけんけてテロリズムの問題もんだい主題しゅだいとされた。

2007ねんには、30ねんまえにおぞうりとなった映画えいが制作せいさく顛末てんまつと、ふたた企画きかくげる老人ろうじんたちの友情ゆうじょうえがいた『臈たしアナベル・リイ 総毛立そうけだちつまかりつ』(文庫ぶんこ刊行かんこうに『うつくしいアナベル・リイ』に改題かいだい)を発表はっぴょうする。2009ねんには、終戦しゅうせんなつにおきた父親ちちおや水死すいし真相しんそうえがこうとするろう作家さっかきこまれる騒動そうどうえがく『水死すいし』を発表はっぴょうほんさくは70年代ねんだい中編ちゅうへん「みずからなみだをぬぐいたまう」でまれた「ちち天皇てんのうせい」のテーマに再度さいどいどむものであった[65]2013ねんには、東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいとそれにともな原発げんぱつ事故じこ題材だいざいとした『晩年ばんねん様式ようしきしゅう(イン・レイト・スタイル)』を刊行かんこうした。

(チェンジリング)』以降いこうのレイト・ワークは『うつくしいアナベル・リイ』をのぞき、大江おおえをモデル人物じんぶつとしたろう作家さっか長江ながえ義人ぎじん主人公しゅじんこうとする[65][66][67](『うつくしいアナベル・リイ』のかたろう作家さっかわたし」は、作中さくちゅう登場とうじょう人物じんぶつからケンサンロウ、Kenzaburoとばれる)[68]

創作そうさく以外いがい活動かつどうとしては1996ねんプリンストン大学ぷりんすとんだいがく客員きゃくいん講師こうしを、1999ねんベルリン自由じゆう大学だいがく客員きゃくいん教授きょうじゅつとめている。2006ねん純文学じゅんぶんがくこころざ有望ゆうぼう若手わかて作家さっか世界せかい紹介しょうかいする目的もくてき[12]大江おおえ健三郎けんざぶろうしょう創設そうせつされた(ほんしょう2014ねん終了しゅうりょうした)。

2014ねん、『大江おおえ健三郎けんざぶろう自選じせん短篇たんぺん』(岩波いわなみ文庫ぶんこ)を出版しゅっぱん作家さっか自身じしん作品さくひん厳選げんせんし、ぜん収録しゅうろく作品さくひん加筆かひつ修訂しゅうていほどこしている。2016ねんふつガリマールしゃより1,300ページをえる選集せんしゅう刊行かんこうされた(「政治せいじ少年しょうねんす(「セヴンティーン」だい)」が収録しゅうろくされた)[12]。2018ねんより『大江おおえ健三郎けんざぶろうぜん小説しょうせつ』(15かん)が講談社こうだんしゃから刊行かんこう開始かいしされた。「政治せいじ少年しょうねんす(セヴンティーンだい)」が収録しゅうろくされることで話題わだいになった。ぜん小説しょうせつ銘打めいうっているが作者さくしゃ不出来ふできだと封印ふういんしている『よるよゆるやかにあゆめ』『青年せいねん汚名おめい』のてん収録しゅうろくされておらず完全かんぜん全集ぜんしゅうではない[69]

2021ねん2がつ、「死者ししゃおごり」『どう時代じだいゲーム』『晩年ばんねん様式ようしきしゅう(イン・レイト・スタイル)』などの作品さくひん自筆じひつ原稿げんこう1まんまいちょうふく資料しりょうやく50てん東京大学とうきょうだいがく寄託きたくされると発表はっぴょうされた。資料しりょう保管ほかん管理かんりし、国内外こくないがい研究けんきゅうしゃ公開こうかいする研究けんきゅう拠点きょてん大江おおえ健三郎けんざぶろう文庫ぶんこ」が文学部ぶんがくぶない設立せつりつされる。どういち作家さっか自筆じひつ原稿げんこうコレクションとしては屈指くっし規模きぼになるという[70]

死去しきょ

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2023ねん3月3にち老衰ろうすいのため死去しきょ。88さいぼつ[71]

主題しゅだいけい

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監禁かんきん状態じょうたい性的せいてき人間にんげん

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最初さいしょ大江おおえ作品さくひんろんじるときにまって引用いんようされるのが、1958ねんだいいち作品さくひんしゅう死者ししゃおご』の後書あとがきにしるされたつぎ一文いちぶんである。「監禁かんきんされている状態じょうたいざされたかべなかきる状態じょうたいかんがえることが、一貫いっかんしたぼく主題しゅだいでした」[72]大江おおえは、一人称いちにんしょうによる感覚かんかくてき表現ひょうげんで、いぬころし、死体したい運搬うんぱんじんカリエス患者かんじゃにせ学生がくせいらえられた黒人こくじんへい少年院しょうねんいん少年しょうねん、など多彩たさい題材だいざいのヴァリエーションでこの主題しゅだい展開てんかいした[72]。そして、占領せんりょう生活せいかついられた敗戦はいせん日本にっぽん日本人にっぽんじんの「監禁かんきん状態じょうたい」、未来みらい希望きぼう確信かくしんてない青年せいねん不安ふあんえがした[72]。これらは当時とうじ大学だいがく仏文ふつぶん学生がくせいとして、ガリマールはんサルトルんで、サルトルの作品さくひんかべ』『自由じゆうへのみち』などから「かべなか」「猶予ゆうよ」という概念がいねん獲得かくとくして、それにならってのものであった[73]

この「監禁かんきん状態じょうたい」の主題しゅだいからのつぎ展開てんかいとして、大江おおえは、独自どくじの「政治せいじてき人間にんげん」と「性的せいてき人間にんげん」のこう対立たいりつを、主題しゅだいみちびれる。つぎ文章ぶんしょうも、初期しょき大江おおえろんつね引用いんようされる文章ぶんしょうである。「政治せいじてき人間にんげん他者たしゃかたつめたく対立たいりつ抵抗ていこうし、他者たしゃちたおすか、あるいは他者たしゃ他者たしゃであることをみずから放棄ほうきさせる。」「性的せいてき人間にんげんはいかなる他者たしゃとも対立たいりつせずこうそうしない。かれは他者たしゃかたつめたい関係かんけいをもたぬばかりか、かれにとって本来ほんらい他者たしゃ存在そんざいしない。かれ自身じしんのいかなる存在そんざいにとっても他者たしゃでありえない。」「政治せいじてきめすになったくに青年せいねんは、性的せいてき人間にんげんとして滑稽こっけいに、悲劇ひげきてききるしかない、政治せいじてき人間にんげん他者たしゃ対立たいりつし、抗争こうそうつづけるだけだ」(「われらのせい世界せかい」)。大江おおえは、現実げんじつから疎外そがいされ、現実げんじつ生活せいかつにおける行動こうどう契機けいきうばわれて停滞ていたい余儀よぎなくされている現代げんだい青年せいねん性的せいてき人間にんげん)をえがいていく[74]。『われらの時代じだい』(1959)『おくれてきた青年せいねん』(1962)『さけごえ』(1963) の登場とうじょう人物じんぶつは、日米にちべい安保あんぽ体制たいせいしも政治せいじてきにアメリカに従属じゅうぞくしながらではあるが、それなりのは経済けいざいてき繁栄はんえい安定あんていにしつつあった戦後せんご日本にっぽん社会しゃかい政治せいじてきめすになったくに)において、日常にちじょう生活せいかつ埋没まいぼつすることを忌避きひしながらも、そこでしかない自分じぶん嫌悪けんおして、狂気きょうき暴力ぼうりょくかれていく青年せいねんである。かれらは戦争せんそう渇望かつぼうしたり、外国がいこくへの脱出だっしゅつ希望きぼうする[75]。しかしねがいはかなうことはなく、やがて破滅はめつして「敗北はいぼく確認かくにん」といったかたち小説しょうせつわる。

共生きょうせいかく時代じだいいの

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戦後せんご社会しゃかい呪詛じゅそする絶望ぜつぼうてき青年せいねんぞうえがいてきた大江おおえにとって、おおきな転機てんきとなったのが、1963ねん6がつ長男ちょうなん大江おおえひかり誕生たんじょうであった。この出来事できごとは、これまでの創作そうさくにおいて、否定ひていてき表象ひょうしょうされてきた「日常にちじょう」に大江おおえもど契機けいきとなった[76]ひかり誕生たんじょう題材だいざいとしてかれた1964ねんの『個人こじんてき体験たいけん』はこの関心かんしん変容へんようを、物語ものがたり展開てんかいとしてはらんでいる[77]主人公しゅじんこうの「とり(バード)」は、それまでの大江おおえ作品さくひん主人公しゅじんこう同様どうように、現実げんじつ逃避とうひてき心性しんせいから、アフリカへ逃避とうひする願望がんぼうっている。「とり」はまれてきたのうおも障害しょうがいをもつあかぼう見棄みすてるか、手術しゅじゅつけさせてかすかの決断けつだんまえれて、最終さいしゅうてきには回心かいしんしてアフリカへの幻想げんそうてて、子供こどもとともにきる覚悟かくごめる[78]大江おおえ現実げんじつ世界せかいたいする関心かんしんもまた、従前じゅうぜん日米にちべい安保あんぽ体制たいせいでの軍事ぐんじてき政治せいじてき従属じゅうぞく批判ひはんてきとらえるという眼差まなざしから、より世界せかいてきひろがりのある「ヒロシマ」を中心ちゅうしんとする「かく」の問題もんだいへとうつることになる[79]

大江おおえは、ひかり誕生たんじょう同年どうねんの1963ねん8がつ原水爆げんすいばく禁止きんし世界せかい大会たいかい取材しゅざいし、その原爆げんばく病院びょういん医師いし原爆げんばく生存せいぞんしゃ取材しゅざいかさねて1965ねんに『ヒロシマ・ノート』を出版しゅっぱんしている。『ヒロシマ・ノート』は冒頭ぼうとうこうはじめられる。「このようなほんを、個人こじんてきはなしからきはじめるのは、妥当だとうでないかもしれない。」「ぼくについては、自分じぶん最初さいしょ息子むすこ瀕死ひんし状態じょうたいでガラスばこのなかによこたわったまま恢復かいふくのみこみはまったくたたない始末しまつであった。」この私生活しせいかつくるしい状況じょうきょうなかでの取材しゅざいで、大江おおえ悲惨ひさん体験たいけんをした広島ひろしま人々ひとびとかたからはげましをる。そしてこうべている。「まさに広島ひろしま人間にんげんらしい人々ひとびとかた思想しそうとにふか印象いんしょうをうけていた。ぼく直接ちょくせつかれらに勇気ゆうきづけられたし、ぎゃくに、いまぼく自身じしんが、ガラスばこのなかの自分じぶん息子むすことの相関そうかんにおいておちこみつつある一種いっしゅ神経症しんけいしょう種子しゅし頽廃たいはいを、深奥しんおうからえぐりだされるいたみの感覚かんかくをもあじわっていた。そしてぼくは、広島ひろしまとこれらのしん広島ひろしまてきなる人々ひとびとをヤスリとして、自分じぶん自身じしん内部ないぶ硬度こうど点検てんけんしてみたいとねがいはじめたのである。」[80]障害しょうがい子供こどもとの共生きょうせいという個人こじんてき問題もんだい世界せかい規模きぼかく状況じょうきょうという一見いっけん対極たいきょくてきふたつの問題もんだいは、大江おおえにとって当初とうしょからひとつながりのものである[81]。『個人こじんてき体験たいけん』にはかく状況じょうきょう主題しゅだいとしてまれており、(あかぼう誕生たんじょう時期じきねん遡行そこうさせて)1961ねんソ連それんによる通称つうしょうツァーリ・ボンバ」の水爆すいばく実験じっけんえがかれる。そして、あかぼうをどうするべきか、という個人こじんてき問題もんだいめられて、世界せかい規模きぼ脅威きょうい感応かんおうしえなくなった主人公しゅじんこうとり(バード)」の姿すがたえがかれて、私的してき問題もんだいとの対比たいひかく問題もんだい重大じゅうだいさが強調きょうちょうされた[82]。「かく」の問題もんだいと「共生きょうせい」の問題もんだいは、現実げんじつ世界せかい最大さいだい暴力ぼうりょくであるかくたいしてもっと無力むりょく存在そんざいとしての障害しょうがいとして大江おおえ想像そうぞうりょくなか関連かんれんづけられて、以後いご作品さくひんにおいてもこのふたつの主題しゅだい同時どうじあらわれることになる[82]

1973ねんの『洪水こうずいはわがたましいおよ』のかくシェルターにじこもる主人公しゅじんこう大木おおきいさむぎょとその子供こども知的ちてき障害しょうがいをもつ幼児ようじジンと交流こうりゅうをする不良ふりょう少年しょうねんたち「自由じゆう航海こうかいだん」は、初期しょき作品さくひんの『われらの時代じだい』の「不幸ふこう若者わかものたち(アンラッキー・ヤングメン)」や『さけごえ』の「友人ゆうじんたち(レ・ザミ)ごう」の乗員じょういんたちと同類どうるいがた登場とうじょう人物じんぶつである。しかしほんさくは「洪水こうずい」にかく時代じだいはじまりというイメージがかさねられているように、かく状況じょうきょう終末しゅうまつかん背景はいけいとしていること、そして、それに対抗たいこうするものとしての「いのり」が主題しゅだいとして登場とうじょうすることにおいてあたらしい[83]。この「いのり」はかみなどの特定とくていいの対象たいしょうのない「いのり」であり、大江おおえ自身じしん説明せつめいによるならば「人間にんげん存在そんざい破壊はかいされえぬことの顕現けんげん」(ミルチャ・エリアーデ)を感得かんとくするためのものである[84]

長男ちょうなんひかりと「いのり」との関係かんけいについては、1987ねん10がつ東京女子大学とうきょうじょしだいがくおこなわれた「信仰しんこうたないもののいのり」(『人生じんせい習慣しゅうかん』)という講演こうえんがあり、そこで大江おおえつぎのような回想かいそうをしている。ひかりは、よんさいになっても能動のうどうてき言葉ことばはなさず、意思いし疎通そつうむずかしかったが、とりこえのテレビ番組ばんぐみには関心かんしんしめした。そこでとりこえのレコードをってきて、自宅じたくいちにちちゅうながつづけていた。いちねん北軽井沢きたかるいざわはやし長男ちょうなん散歩さんぽしていると、クイナがいた直後ちょくご長男ちょうなんが「クイナです」と反応はんのうした。幻聴げんちょうかと緊張きんちょうしながら、とりがもう一度いちどいたらいいとおもい、そのときに自分じぶんしんなかに「あるいのりのようなもの」をかんじた。そしてもう一度いちどクイナがき、ひかりはまた「クイナです」とった。大江おおえは、この場面ばめんつぎのように説明せつめいしている。「いのったというよりも、集中しゅうちゅうしていたというほうがただしいかもしれませんけど。まえ一本いっぽんがありましてね。(......)いま自分じぶんがこの集中しゅうちゅうしている、ほかのことをかんがえないでコンセントレートしている。このいまの一刻いっこくが、自分じぶん人生じんせいでいちばん大切たいせつときかもしれないぞ、とおもっていたんです。」[85]この一種いっしゅ啓示けいじ体験たいけんが『洪水こうずいはわがたましいおよび』に設定せっていとしてまれた[86]

1983ねん作品さくひんあたらしいひとざめよ』はヴァルネラブルなちちが、『洪水こうずいはわがたましいにおよび』のように社会しゃかいそと退避たいひするのではなく、社会しゃかいなかでどうきていくのかをこころみであった。虚構きょこうせいひく私小説ししょうせつてきつくりの小説しょうせつなかで、日常にちじょう生活せいかつなかひかり存在そんざいからけた多様たようづきにウィリアム・ブレイクかさわされていく[87]大江おおえがブレイクの神秘しんぴ主義しゅぎてきな「再生さいせい」のヴィジョンにふかうごかされたのは、大江おおえすでに、ブレイクのヴィジョンに共通きょうつうするところのある「人間にんげん存在そんざい破壊はかいされえぬことの顕現けんげん」をひかりとの共生きょうせいによって見出みいだしてきていたことに由来ゆらいし、また、ブレイクをかいすることによって大江おおえは「障害しょうがいってまれざるをえなかった息子むすこについての遺恨いこんおもいと「つみのゆるし」、自分じぶんのきたるべきと、息子むすこともどもの再生さいせいへのおもい」をあらためて把握はあくなおすことになった。作品さくひんにおいては、息子むすことの共生きょうせい時々ときどきが、ブレイクのヴィジョンを触媒しょくばいにして、瞬時しゅんじに、おどろきにちた解放かいほうかんともなって、普遍ふへんてき光景こうけいとして救出きゅうしゅつされていく[88]ほんさくにおいても、かく状況じょうきょう現代げんだい世界せかいにおける極小きょくしょうてき弱者じゃくしゃである障害しょうがいと、それに拮抗きっこうする極大きょくだいてき暴力ぼうりょくであるかくというモチーフはがれており、結末けつまつにおいて、ブレイクのみちびかれてひかり存在そんざいに「きょう々しいかく時代じだい」に拮抗きっこうする「あたらしいひと」を見出みいだしてわる[89][90]

信仰しんこうたないもののいのり」というテーマは、こののちも『人生じんせい親戚しんせき』、『なつかしいとしへの手紙てがみ』とそのたんとなる『えあがるみどり』『宙返ちゅうがえ』にがれていく[91]

天皇てんのうせいもり神話しんわ

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個人こじんてき体験たいけん』な体験たいけんさかいにして、大江おおえ作品さくひん質的しつてき変化へんかする。作品さくひん世界せかいがそれまでの水平型すいへいがたな「脱出だっしゅつ」のモチーフから、垂直すいちょくがた空間くうかん体験たいけんわる。このことは『万延まんえん元年がんねんのフットボール』に顕著けんちょられ、自宅じたくにわったあなぼこにもぐんだ主人公しゅじんこう描写びょうしゃから物語ものがたりはじまり、終章しゅうしょう故郷こきょう屋敷やしき地下ちかすわんだ主人公しゅじんこう思念しねんかたられる。主人公しゅじんこうはアイデンティティの回復かいふくもとめて父祖ふそもどり、父祖ふそ歴史れきし真相しんそうさぐり、未来みらい想像そうぞうりょくはたらかせる[92]。こうしたたて関係かんけい探究たんきゅうは、幼少ようしょう体験たいけんとして心理しんりてききずとなったちち天皇てんのうせい問題もんだいこすことにもなった[92]。『われらの狂気きょうきびるみちおしえよ』で、うしなわれたちち全容ぜんよう復元ふくげんしようとするなかで、ちちはしばしば超越ちょうえつしゃ混同こんどうされるが、三島みしま由紀夫ゆきおのクーデター未遂みすいけてかれた1972ねんの『みずからなみだをぬぐいたまう』では明確めいかく天皇てんのうせい問題もんだいとなった[93]

1967ねん出版しゅっぱんされた『万延まんえん元年がんねんのフットボール』は、当時とうじ色川いろかわ大吉だいきち安丸やすまる良夫よしおらによって先導せんどうされた民衆みんしゅうとの並行へいこう関係かんけい指摘してきされるように[94]歴史れきし権力けんりょくがわからではなく、民衆みんしゅうがわからようとするこころみであった。執筆しっぴつ当時とうじは、建国けんこく記念きねん制定せいていや、政府せいふ主導しゅどうの「明治めいじひゃくねん記念きねんイベントが大々的だいだいてき展開てんかいされるなど、復古ふっこ主義しゅぎてきうごきがあり、大江おおえはそれにおおきな違和感いわかんいており[95]、これが作品さくひん成立せいりつ背景はいけいにある。1965ねん本土ほんど復帰ふっきまえ沖縄おきなわおとずれた大江おおえは、日本にっぽん本土ほんど天皇てんのうという中心ちゅうしん指向しこうする文化ぶんかとはべつ文化ぶんか発見はっけんしておおきな衝撃しょうげきけている。日本にっぽんてきというよりアジアてき宇宙うちゅうかん神話しんわ構造こうぞうざした民衆みんしゅう文化ぶんかることで、四国しこくもりなか故郷こきょう土地とちあたらしいるきっかけをており、これが作品さくひん反映はんえいされている[95]

1979ねん発表はっぴょうされた『どう時代じだいゲーム』は、幼少ようしょう祖母そぼなどからいた故郷こきょう伝承でんしょうがかりにして、ロシア・フォルマリズムミハイル・バフチン構造こうぞう主義しゅぎなどの知見ちけん援用えんようするかたちで、大江おおえ故郷こきょうもり谷間たにまむら神話しんわさい構築こうちくした[96]大江おおえは、執筆しっぴつ動機どうきとして天皇てんのうとの関係かんけいべている。「ぼくがこのもりのなかの「共同きょうどうたい」を、はじめてそこに古代こだい国家こっか建設けんせつしたひとびとのものとして成立せいりつさせえたことの(かれらがじつはその「場所ばしょ」の侵犯しんぱんしゃではないかといううたがいもまた、かくされた主題しゅだいとしてあるのではあるが)その根本こんぽんてき条件じょうけんとしては、ぼく中心ちゅうしん志向しこう天皇てんのうせい文化ぶんかとは対極たいきょくにある、周縁しゅうえん志向しこうはん天皇てんのうせい文化ぶんかをひとつの全体ぜんたいとして表現ひょうげんすることをめざしたということがあるとおもう。アマツカミという中心ちゅうしんの、万世ばんせいいちけい末裔まつえい=天皇てんのう頂点ちょうてんいた世界せかいモデルとしての日本にっぽん文化ぶんか。それに対立たいりつする、クニツカミという多様たよう周縁しゅうえんてき存在そんざいにつながるものとしての世界せかいモデル。ぼくはそのような文化ぶんかに、自分じぶん希求ききゅうする共同きょうどうたい文化ぶんか中核ちゅうかく共同きょうどうたい文化ぶんか中核ちゅうかく傍点ぼうてん)を想定そうていし、そこに「位置いちする」はたらきに、自己じこ個人こじん中核ちゅうかく個人こじん中核ちゅうかく傍点ぼうてん)に「位置いちする」はたらきをかさねることをめざして、この小説しょうせついたのである。」[97]

どう時代じだいゲーム』は1986ねんに、ナラティブをえて、やわらかい口語こうごてき文体ぶんたいで『M/Tともりのフシギの物語ものがたり』にリライトされる。『どう時代じだいゲーム』では、もり谷間たにまの「むら=国家こっか=小宇宙しょううちゅう」の創建そうけんしゃこわひと」や「ちち=神主かんぬし」の父権ふけんてき族長ぞくちょう(ぺイトリアーク)をめぐる歴史れきし主眼しゅがんかれたが、『M/Tともりのフシギの物語ものがたり』ではおんな族長ぞくちょう(メイトリアーク)とトリックスターというふたつの神話しんわ原型げんけい物語ものがたり枠組わくぐみとなった[98]。そしてさい終章しゅうしょうかたぼく」の母親ははおやと「ぼく」の息子むすこヒカリ(ひかり)と交感こうかんのエピソードをき、『万延まんえん元年がんねんのフットボール』から『どう時代じだいゲーム』へと大江おおえ追求ついきゅうしてきた「もり神話しんわ」の作品さくひんぐんと、『個人こじんてき体験たいけん』から『あたらしいひとざめよ』にいたる「共生きょうせい」の物語ものがたりぐん交錯こうさくすることとなった[99]あわせて『どう時代じだいゲーム』において傍系ぼうけいてき挿話そうわであった「もりのフシギ」が、土地とち人間にんげんまれ、そだち、んでいく、いのちのおおもと、でありながらひとつの全体ぜんたいせい形作かたちづく共同きょうどう幻想げんそうとして物語ものがたり中心ちゅうしんえられ、ウィリアム・ブレイクやダンテにつながる神秘しんぴ思想しそうてき世界せかいかんしめされた[100]

人物じんぶつ

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創作そうさく方法ほうほうなど

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小説しょうせつ方法ほうほう

小説しょうせつ方法ほうほう自覚じかくてき作家さっかである。『小説しょうせつ方法ほうほう』をはじめとした小説しょうせつ方法ほうほうろん考察こうさつした著作ちょさくがある。小説しょうせつ創造そうぞうのベースにいているかんがかたで、とく重要じゅうようなものはガストン・バシュラール想像そうぞうりょくろんの「想像そうぞうりょくとは、知覚ちかくによって提供ていきょうされたイメージをいびつがたする能力のうりょくであり、基本きほんてきイメージからわれわれを解放かいほうしてイメージをえる能力のうりょくである」というかんがかたミハイル・バフチンの「グロテスク・リアリズム」の概念がいねん精神せいしんてき理想りそうてきなものを肉体にくたいてき物質ぶっしつてき次元じげんげ、民衆みんしゅうてき祝祭しゅくさいてききた総体そうたいとしてとらえること)、ロシア・フォルマリズム理論りろんヴィクトル・シクロフスキー芸術げいじゅつにおける「異化いか」の概念がいねんなどである[101][102][103][104]

引用いんよう

自作じさく先行せんこう文学ぶんがく作品さくひんからの引用いんようんで作品さくひん世界せかいつくげることに特徴とくちょうがある[105]。これは1980年代ねんだい以降いこう顕著けんちょとなる。その効果こうかとして作品さくひんちゅうぶんべつのテクスチュアのぶんむことで文体ぶんたい多様たようはかる。文章ぶんしょうひとつのはしらとしたら、それと構造こうぞうてきささい、ちからおよぼしうもうひとつのはしらとして引用いんようてて作品さくひん奥行おくゆきをす。という効果こうかねらっている。このやりかた立脚りっきゃくする根本こんぽん思想しそうとしては「本来ほんらい言葉ことばとは他人たにんのものだ」という言語げんごかんがある[106]大江おおえ大学だいがく時代じだい恩師おんしである渡辺わたなべ一夫かずおから作家さっか生活せいかつをやっていくうえで、さんねんごとに主題しゅだいめて一人ひとり作家さっかなり思想家しそうかなりをその作品さくひんのみならず、研究けんきゅうまでむとい、というすすめをけており、それを実践じっせんしている[107][108]。その実践じっせん上述じょうじゅつ引用いんようむすびついている。

引用いんようについてこうべている。「本当ほんとうに、引用いんよう問題もんだいはいままでの小説しょうせつ──すくなくとも『なつかしいとしへの手紙てがみ以降いこう自分じぶん小説しょうせつ──の課題かだいとして、わたし小説しょうせつ作法さほう最大さいだいのものでした。まず引用いんようする文章ぶんしょう文章ぶんしょうとのあいだになめらかさも大事だいじですが、なによりズレがなきゃいけない。そのズレをたもちつつ、そのうえ精妙せいみょうなつながりかたをさせていく、そういう文章ぶんしょうつくることが文体ぶんたいのつくりかたでのしゅ目的もくてきにさえなりました。ある感銘かんめいするでしょう、その引用いんよう一番いちばんぴったりするように、その環境かんきょうとしての文章ぶんしょうつくっていく。そういうわけですから、引用いんようが、なにより決定的けっていてき重要じゅうよう意味いみはじめます。『なつかしいとしへの手紙てがみ』ではダンテですし、短篇たんぺん連作れんさくしゅう『「あめ」をおんなたち』の場合ばあいは、マルカム・ラウリー。『あたらしいひとざめよ』ではウィリアム・ブレイクですね。『えあがるみどりさんさく場合ばあいイエーツ、『宙返ちゅうがえり』ではR・S・トーマスだった。」(大江おおえ健三郎けんざぶろう作家さっか自身じしんかた)

自作じさくリライト

1980年代ねんだい以降いこう大江おおえほとんどの小説しょうせつは、過去かこいた自己じこ小説しょうせつ引用いんよう参照さんしょうし、さい利用りよう再生さいせいすることでかれている。こうした方法ほうほう理論りろんてき起源きげんは『小説しょうせつ方法ほうほう』で考察こうさつされたシクロフスキーの「異化いか理論りろんである。自作じさくを「異化いか」することは、創作そうさくしゃ意識いしきにおいて、すでに反射はんしゃされた自作じさくふたた明視めいしすること、自作じさくたいするかたまった観念かんねん疑問ぎもんするということ、自作じさくへの異議いぎもうてである[109]自作じさく言及げんきゅう自作じさく引用いんようする作品さくひんおおくの場合ばあい自作じさく注釈ちゅうしゃく説明せつめいという方向ほうこうではなく、自作じさく解体かいたいする方向ほうこう物語ものがたりみちびいて、それまでの「大江おおえ健三郎けんざぶろう」「大江おおえ健三郎けんざぶろう小説しょうせつ」およびそれらにまつわる批評ひひょうふくむ、総合そうごうてきな「自己じこ」を相対そうたいしていく[109]一方いっぽう自伝じでん小説しょうせつなつかしいとしへの手紙てがみ』は多数たすう自作じさく作家さっか作品さくひん縦横無尽じゅうおうむじん引用いんようしていくが、こうした複数ふくすう自作じさく同時どうじさい検討けんとうさい解釈かいしゃくをする形式けいしき過去かこ自作じさくあたらしい意味いみ内容ないよう付与ふよするだけではなく、それらの自作じさく統合とうごうするという方向ほうこういている。大江おおえ自己じこ言及げんきゅう小説しょうせつは、自己じこ統合とうごう達成たっせい遅延ちえんし、完成かんせい目的もくてきとする「晩年ばんねん様式ようしきがたと、自作じさく完成かんせい統合とうごうめくくりを目指めざす「最後さいご小説しょうせつがたとの類型るいけい分類ぶんるいできる[109]

重視じゅうし

大江おおえ自身じしん散文さんぶん人間にんげんであるが、重要じゅうようしており、上述じょうじゅつとおり、ダンテ、ブレイク、イェーツなどの自分じぶんなかんで、その磁場じばなか創作そうさくおこなっている。元々もともと高校こうこうころから三好みよし達治たつじ萩原はぎはら朔太郎さくたろう中原なかはら中也ちゅうや富永とみなが太郎たろう谷川たにがわ俊太郎しゅんたろうなどの日本にっぽん詩人しじん愛読あいどくしていた。大学だいがく生協せいきょう図書としょ深瀬ふかせ基寛もとひろ対訳たいやくT・S・エリオットオーデンれて、その翻訳ほんやく文体ぶんたいでその文体ぶんたいで、このくににはない小説しょうせつけるのではないかとかんがえるようになったという[110]

こうべている。「とくにオーデンのについて、わたし魅力みりょくかんじたのはこういうことだった。そこではこまかな具体ぐたいてき事物じぶつから人間にんげんについて、また社会しゃかい政治せいじ国際こくさい関係かんけいについて、ひとつながりに、共通きょうつうのヴォキャブラリーとナラティヴによってかたられている。さらに、エリオットの詩的してき優雅ゆうがさが日常にちじょうてき散文さんぶんかたくちへとなだらかな移行いこうしめす――あるいは、そのぎゃく方向ほうこうへ――そのかたきだったのだ。そして両者りょうしゃともに、日常にちじょう生活せいかつ観察かんさつのレヴェルにかさねて形而上学けいじじょうがくてきな、さらには神秘しんぴ主義しゅぎてきですらあるゆたかさ、ふかさにいたる表現ひょうげんかれて、それもまたわたしにはあたらしい小説しょうせつのスタイルへの指針ししんのようにかんじられたのである。だからといって、すぐさまそれを、わたし作品さくひん実現じつげんしえたのではなかったけれども。」[110]

小説しょうせつとしての自分じぶんにとってがどういう意味いみつかについて『われらの狂気きょうきびるみちおしえよ』の序文じょぶん「なぜでなく小説しょうせつくか、というプロローグとよっつののごときもの」においてつぎのようにべている。

「この不慮ふりょ陥穽かんせいにみちみちた時代じだいきるにあたって、そうした突然とつぜんのまぎわに、自分じぶん肉体にくたいたましい内部ないぶに、ぼくとともにぬところの確保かくほすることで、いくらかなりと恐怖きょうふ苦痛くつうをやわらげるべくをもとめているのであるし、そのようなよりほかの、いかなるはなやかな言葉ことばかざりもさがしだそうとしているのではないのだ。」
(しかし)
「ぼくはをあきらめた人間にんげんである。それは、あきらめるという言葉ことばがもともとじゅう意味いみあいをそなえていち言葉ことばとして実在じつざいしている事情じじょうそのままに、言葉ことば小説しょうせつ言葉ことば根本こんぽんてきなことなりについて、なんとかあきらかに認識にんしきしたことによって、くことをやめ、小説しょうせつにむかった人間にんげんだ。」
「ぼくがをあきらめたのは、自分じぶん言葉ことばにたいする、自分じぶん自身じしん方向ほうこうづけが、言葉ことばより、小説しょうせつ言葉ことばにむいていることをみとめざるをえなかったからである。」
「ぼくにとっては、小説しょうせつ人間にんげんである自分じぶん肉体にくたいたましいにつきささっているトゲのようにかんじられる。それはえるトゲである。日常にちじょう生活せいかつにおいて自分じぶん肉体にくたいたましいが、そのふかみにしっかりしずんでいるおもりをたよりにきているとすれば、小説しょうせつこうとしているぼくの肉体にくたいたましいは、自分じぶん小説しょうせつ言葉ことばによって、なんとかこのえるトゲにたちむかおうとしているわけである。このうちなるトゲを、外部がいぶのものとすべく小説しょうせつ言葉ことばにとらえなおしたいとかんがえるのが小説しょうせつ制作せいさく操作そうさである。」

あたらしいひとざめよ』を執筆しっぴつしながらブレイクを読解どっかいしていたが、おおきな参考さんこうとしていたのが、学者がくしゃディヴィッド・V・アードマン『ブレイク、帝国ていこくむこ予言よげんしゃ』と、学匠がくしょう詩人しじんキャスリン・レイン『ブレイクと伝統でんとう』だという。レインの、ブレイクのたましい課題かだいキリスト教きりすときょう以前いぜん神秘しんぴてき信仰しんこうきつけての解釈かいしゃくかいして「これまでずっといつまでも漠然ばくぜんとしたところののこがかりな対象たいしょうだったネオ・プラトニズムが、ブレイクの絵画かいが素材そざいにして、よく理解りかいできるとおもえた」「レインにみちびかれたわたしは、ひかりとの共生きょうせい直接ちょくせつ経験けいけんかさねてきたことを、明快めいかい神秘しんぴ主義しゅぎにおいてけとめなおすことができるとかんじた」という。ダンテに関心かんしんみちびいたのもレインであるという。その大江おおえはイェーツに関心かんしんうつしていくが、イェーツにも、ユダヤ・キリスト教きりすときょう背後はいご、あるいは外側そとがわ伝統でんとうとしての宗教しゅうきょう感情かんじょう、イマジェリー、宇宙うちゅうかんんでいく。そのイェーツ解釈かいしゃくをもとにして、『えあがるみどり』を執筆しっぴつしている[110]

後期こうき仕事しごと(レイト・ワーク)」においてもR・S・トーマス(『宙返ちゅうがえり』)、アルチュール・ランボー(『(チェンジリング)』)T・S・エリオット(『さようなら、わたしほんよ!』)、エドガー・アラン・ポー(『うつくしいアナベル・リイ』)とたす役割やくわりおおきい。

詩人しじんマイ・ベストスリーをわれてT・S・エリオット、イエーツ、ブレイクとこたえている[111]

エラボレーション

一旦いったんげた草稿そうこう徹底的てっていてき推敲すいこうしてなお[112]本人ほんにんはこの作業さぎょう友人ゆうじん批評ひひょうエドワード・サイード用語ようごからとって「エラボレーション」とんでいる[113][114]たとえば『(チェンジリング)』の場合ばあい、1000まいほどいてそれを500まいまでちぢめ、さらに加筆かひつして現在げんざいながさになったという[115]最初さいしょかれた文章ぶんしょう原型げんけいめないほどに、徹底的てっていてきなおされた原稿げんこう用紙ようし写真しゃしんは『大江おおえ健三郎けんざぶろうぜん小説しょうせつ』などでることができる。

おかしな人組にんぐみ

批評ひひょうフレドリック・ジェイムソンが『宙返ちゅうがえり』についてロンドン・レビュー・オブ・ブックスで「スウード・カップル (Pseudo-Couples)」というタイトルの評論ひょうろんいている。ジェイムソンは、大江おおえ作品さくひんには、ベケット戯曲ぎきょく小説しょうせつにつながる「おかしな人組にんぐみ(スウード・カップル)」がてきて、二人ふたり人物じんぶつわせが物語ものがたりうごかす構造こうぞうになっていると指摘してきしている[116]。この指摘してき作家さっか自身じしんっており、『』からのさんさくを「「おかしな人組にんぐみ(スゥード・カップル)」さんさく」と名付なづけている[117]。『むしり』の兄弟きょうだい、『万延まんえん元年がんねんのフットボール』のみつさんろうたかよん、『なつかしいとしへの手紙てがみ』の「ぼく」とギーにいさんなどにこの人組にんぐみ系譜けいふ確認かくにんできる[115]

サーガの形成けいせい

1980年代ねんだい以降いこう大江おおえ作品さくひんは、フォークナーヨクナパトーファ・サーガのようにひとつの作品さくひん登場とうじょうした人物じんぶつ(とその子孫しそん)がべつ作品さくひん登場とうじょうし、全体ぜんたいとしてゆるくつながっていることに特徴とくちょうがある。たとえば、『あめ(レイン・ツリー)」をおんなたち』に登場とうじょうするアルコール依存いぞんしょう英文えいぶん学者がくしゃくずれの高安たかやすカッチャンの息子むすこ、ザッカリー・K・高安たかやすが『えあがるみどり』に登場とうじょう[118]、『なつかしいとしへの手紙てがみ』の主要しゅよう人物じんぶつギーにいさんの息子むすこのギー・ジュニアが『晩年ばんねん様式ようしきしゅう(イン・レイト・スタイル)』に登場とうじょう[119]などのれいげられる。

日本にっぽん文学ぶんがく

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日本にっぽん古典こてん

影響えいきょうけた古典こてんとして長編ちょうへん源氏物語げんじものがたり』、中編ちゅうへん好色こうしょくにんおんな』、短編たんぺん枕草子まくらのそうし』とこたえている。「新潮しんちょう日本にっぽん古典こてん集成しゅうせい」をベッドや電車でんしゃ愛読あいどくしたという[120]

私小説ししょうせつへの偏愛へんあい

大江おおえ自身じしんが(擬似ぎじてきな)私小説ししょうせつであることもあり、近代きんだい文学ぶんがくなかでは、日本にっぽん独自どくじ文学ぶんがくのスタイルである、読者どくしゃとの共犯きょうはん関係かんけいのもとで告白こくはくおこな私小説ししょうせつ特別とくべつ関心かんしんせている。葛西かさい善蔵ぜんぞう嘉村かむらいそ牧野まきの信一しんいちといった破滅はめつがた私小説ししょうせつ作家さっか評価ひょうかしている[121][122]

敬愛けいあいする先行せんこう文学ぶんがくしゃ

ノーベルしょう受賞じゅしょう第一報だいいっぽうけて自宅じたくまえ記者きしゃかこまれて「日本にっぽん文学ぶんがく水準すいじゅんたかい。安部あべ公房こうぼう大岡おおおか昇平しょうへい井伏いぶせ鱒二ますじきていれば、そのひとたちがもらって当然とうぜんでした。日本にっぽん現代げんだい作家さっかたちがげてきた仕事しごとのおかげで、きているわたし受賞じゅしょうしたのです」とコメントした[123]熱心ねっしんんでいた日本にっぽん作家さっか石川いしかわあつし中野なかの重治しげはるであるという[124]安部あべ大岡おおおかとはプライベートな交際こうさいもあった[125]

三島みしま由紀夫ゆきお

三島みしま由紀夫ゆきお自決じけつけてすぐに、天皇てんのうせい批判ひはんてきなおす「みずからなみだをぬぐいたまう」をいている。その三島みしま事件じけんは『あたらしいひとざめよ』(1983ねん連作れんさくの「ちる、ちる、さけびながら…」「のみ幽霊ゆうれい」、『さようなら、わたしほんよ!』(2005ねん)とかえげられる。大江おおえがかつて天皇てんのう崇拝すうはいのテロリストの少年しょうねんえがいた「セヴンティーン」を発表はっぴょうしたさい、それをんだ三島みしまは、大江おおえ国家こっか主義しゅぎ情念じょうねんてききつけられるところがある人間にんげんなのではないか、とかんがえて『新潮しんちょう』の編集へんしゅうしゃかいして大江おおえ手紙てがみをよこしたという。2007ねんのインタビューで大江おおえは、三島みしまりはまさしく、自分じぶんなかにアンビバレントなものがあることをみとめている[126]

村上むらかみ春樹はるき

村上むらかみ春樹はるき口語体こうごたい小説しょうせつ翻訳ほんやくが、「英語えいご小説しょうせつ」として世界せかいひろれられていることについて、それは日本にっぽん文学ぶんがく史上しじょうはつ達成たっせいであると肯定こうていてき評価ひょうかしている[127]。かつて芥川賞あくたがわしょう選者せんじゃとして村上むらかみの『ふううた』を評価ひょうかできなかったのは、表層ひょうそうカート・ヴォネガットてき口語体こうごたい言葉ことばのくせにっかかって、実力じつりょく見抜みぬけなかったとべている[128]

趣味しゅみなど

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音楽おんがく

わかころはジャズをいており、デューク・エリントンジャンゴ・ラインハルトには相当そうとうくわしいという(外国がいこく大学だいがくってエリントンの30年代ねんだいから50年代ねんだい時期じきのビッグバンドの演奏えんそう歌手かしゅについての話題わだいになって、ヒケをとったことはないという)。MJQジョン・ルイスのピアノのはいったLPはすべてあつめていた、という時期じきもあったという[129]。ただ長男ちょうなんこうがジャズをかけているといやがるためクラシックに転向てんこうした[130]。クラシックのこのみは武満たけみつとおる、バッハ、晩期ばんきベートーヴェン、ヴェルディである[131]

だい酒家しゅか

だい酒家しゅかである。中年ちゅうねんにそれで痛風つうふうになってだんしゅしたりもした[132]。2007ねん出版しゅっぱんされたインタビューでは、シングルモルト、タンブラー1はいを350mLのビール4かんをチェイサーにしてむとこたえている[133]

水泳すいえい

80年代ねんだいから、しゅう6にちプールにかよい、1にち1000mおよぐことを習慣しゅうかんとしている[134]。『「あめ」をおんなたち』や『あたらしいひとざめよ』では題材だいざいとして小説しょうせつれられている。

まる眼鏡めがね

大江おおえのアイコンとなっているまる眼鏡めがねは、辞書じしょきながら読書どくしょをするのにくものをさがして、ほんをよくんだひとたち、柳田やなぎだ國男くにお折口おりぐち信夫しのぶサルトルジェイムズ・ジョイスまる眼鏡めがねをかけているのを参考さんこうさがしたもので、おなじものを10まとめて購入こうにゅうしたという[135]

その

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かかわりのふか人物じんぶつ

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大江おおえひかり

作曲さっきょく(1963ねん6がつ13にち - )。大江おおえ長男ちょうなんで、知的ちてき障害しょうがいってまれた。ひかりという名前なまえは、シモーヌ・ヴェイユ著作ちょさくでひいた、カラスがあたりがくらなのでなかなかえさつけられずにいるときに「このひかりがあったら、どんなにえさひろうのがやさしいだろう」とおもった瞬間しゅんかん世界せかいひかりちたというイヌイット寓話ぐうわからられたという[138]ひかり作曲さっきょくであり、日本にほんコロムビアより「大江おおえひかり音楽おんがく」(1992)「大江おおえひかりふたたび」(1994) のCDをしており、後者こうしゃ日本にっぽんゴールドディスク大賞たいしょう受賞じゅしょうしている[139]ひかり存在そんざいは、大江おおえ創作そうさくのインスピレーションのみなもととなり、共生きょうせい経験けいけん大江おおえぶんぎょうつらぬおおきな主題しゅだいとなっている。『個人こじんてき体験たいけん』『あたらしいひとざめよ』『しずかな生活せいかつ』はひかり誕生たんじょう成長せいちょうがテーマ・題材だいざいである(なお、ひかり大江おおえ作品さくひんにもヒカリ、アカリの名前なまえ登場とうじょうする)[140]。 NHKは1994ねん大江おおえ息子むすこひかりとの共生きょうせい題材だいざいにして「ひびきあうちち 大江おおえ健三郎けんざぶろう息子むすここうさんねん」という番組ばんぐみ放映ほうえいした[12]。1995ねん伊丹いたみ十三じゅうざ大江おおえ原作げんさく映画えいがした『しずかな生活せいかつ』のげきとも音楽おんがくひかりきょく採用さいようされている[141]

伊丹いたみ十三じゅうざ

映画えいが監督かんとく俳優はいゆう・エッセイスト(1933ねん5がつ15にち - 1997ねん12月20にち)。大江おおえつま・ゆかりのあにである。大江おおえとは松山東まつやまひがし高等こうとう学校がっこうい、大江おおえアルチュール・ランボー原語げんご詩集ししゅうあたえるような文化ぶんかてきほどきをした[142]伊丹いたみ俳優はいゆう時代じだいのヨーロッパ滞在たいざい見聞けんぶんつづったエッセイ『ヨーロッパ退屈たいくつ日記にっき』は『日常にちじょう生活せいかつ冒険ぼうけん』のもとネタとされ、主人公しゅじんこうとき木犀もくせいきち伊丹いたみがモデルであるとされる[143]伊丹いたみは、大江おおえのノーベルしょう受賞じゅしょうの1995ねんしずかな生活せいかつ』を原作げんさくとした同名どうめい映画えいが監督かんとくしており、文庫ぶんこばんの『しずかな生活せいかつ』の解説かいせつとして、エッセイをせて映画えいが撮影さつえい裏話うらばなし披露ひろうしている[141]大江おおえ小説しょうせつ(チェンジリング)』は1997ねん伊丹いたみ投身とうしん自殺じさつ衝撃しょうげきけてかれており、伊丹いたみをモデル人物じんぶつとする登場とうじょう人物じんぶつは「はなわわれりょう」と名付なづけられている。大江おおえ擬似ぎじ自伝じでん小説しょうせつなつかしいとしへの手紙てがみ』においては伊丹いたみは「秋山あきやまくん」として登場とうじょうする[144]

渡辺わたなべ一夫かずお

フランス文学ぶんがくしゃ東京大学とうきょうだいがく教授きょうじゅ(1901ねん9がつ25にち - 1975ねん5がつ10日とおか)。大江おおえ高校こうこう時代じだい渡辺わたなべ著作ちょさく『フランス・ルネサンス断章だんしょう』をんで感銘かんめいけ、渡辺わたなべ指導しどうけたいとかんがえて東京とうきょう大学だいがく進学しんがくして師事しじする[12][145]大江おおえ最初さいしょ作品さくひん文体ぶんたい渡辺わたなべ翻訳ほんやくしたピエール・ガスカールたん編集へんしゅう『けものたち・死者ししゃとき』の文体ぶんたいからおおきな影響えいきょうけている[145]渡辺わたなべ大学だいがく卒業そつぎょう大江おおえ精神せいしんてき庇護ひごしゃであり、大江おおえ仲人なこうどつとめている[146]渡辺わたなべは、作家さっか生活せいかつつづけるうえさんねんごとひとつの主題しゅだいめて書物しょもつすすめていくといいと助言じょげんあたえ、大江おおえはそれを実践じっせん創作そうさくむすびつけている(「人物じんぶつ項目こうもくの「創作そうさく方法ほうほうなど」参照さんしょう[147]。1975ねん渡辺わたなべ死去しきょ大江おおえおおきなショックをあたえて、大江おおえのメキシコ渡航とこううながした[33]大江おおえにとってメキシコ体験たいけん重要じゅうようで『どう時代じだいゲーム』のおおきなインスピレーションのみなもととなった(大江おおえのメキシコでの体験たいけんは『あめ(レイン・ツリー)」をおんなたち』や『人生じんせい親戚しんせき』などの題材だいざいともなった)[148]。1984ねん大江おおえ渡辺わたなべ全体ぜんたいぞうかたった連続れんぞく講義こうぎ日本にっぽん現代げんだいのユマニスト渡辺わたなべ一夫かずおむ』を出版しゅっぱんしている。また『狂気きょうきについて―渡辺わたなべ一夫かずお評論ひょうろんせん』(岩波いわなみ文庫ぶんこ)の編纂へんさん清水しみずとおるとともにおこない、同書どうしょと『フランス・ルネサンスの人々ひとびと』(岩波いわなみ文庫ぶんこ)の解説かいせつ執筆しっぴつしている。大江おおえのレイト・ワークにおいては渡辺わたなべは「ろくすみ先生せんせい」として登場とうじょうする[149]

武満たけみつとおる

作曲さっきょく(1930ねん10がつ8にち - 1996ねん2がつ20日はつか)。「わか日本にっぽんかい」に大江おおえとともに参加さんかして1960ねん安保あんぽ改定かいてい反対はんたいする。1963ねん武満たけみつ大江おおえ成城せいじょういえの100mくらいの近所きんじょしてきて親交しんこうはじまる[12][143]武満たけみつ大江おおえ文学ぶんがくのよき理解りかいしゃで、大江おおえ著作ちょさく解説かいせつ担当たんとうしたこともある[150]。1980ねん大江おおえが『文學ぶんがくかい』に発表はっぴょうした短編たんぺんあたまのいい「あめ」」にインスピレーションをけて武満たけみつは「(3にん打楽器だがっき奏者そうしゃのための)あめ」を作曲さっきょくする。さらにそれをけて大江おおえは『あめ(レイン・ツリー)」をおんなたち連作れんさくぐことになった。連作れんさくだいさく表題ひょうだいさく冒頭ぼうとうには、その初演しょえんのコンサートの場面ばめんてくる[151][152]。1985ねん雑誌ざっしへるめす創刊そうかんに、ともに編集へんしゅう同人どうじんとなった。1980年代ねんだい武満たけみつ大江おおえとともにオペラをつく構想こうそうてており、おたがいの芸術げいじゅつかん世界せかいかんかたりあった対談たいだんおこない、共著きょうちょ『オペラをつくる』(岩波いわなみ新書しんしょ)を出版しゅっぱんしている[153]。ここから派生はせいして大江おおえは『治療ちりょうとう』を執筆しっぴつしている(『治療ちりょうとう』にはリブレットもあり、これはたん編集へんしゅうぼく本当ほんとうわかかったころ』に収録しゅうろくされている)[154]。1990年代ねんだい大江おおえは「最後さいご小説しょうせつ」とした『えあがるみどり』を1995ねんえて小説しょうせつ執筆しっぴつをやめていたが、1996ねん武満たけみつうながされて『宙返ちゅうがえ』で小説しょうせつ執筆しっぴつ再開さいかいした。同書どうしょ巻頭かんとうには「──永遠えいえん武満たけみつとおるに」という献辞けんじしるされた[63]。2001ねん東京とうきょうオペラシティのコンサートホール・タケミツメモリアル没後ぼつご5ねん特別とくべつ企画きかくとしておこなわれた「講演こうえん室内楽しつないがく演奏えんそうかいおと言葉ことば」」の講演こうえんろくは「武満たけみつとおるのエラボレーション」としてエッセイしゅうがたなげきもて』に収録しゅうろくされている[155]大江おおえのレイト・ワークにおいて、武満たけみつは「たかむらさん」として登場とうじょうする[149]

山口やまぐち昌男まさお

文化ぶんか人類じんるいがくもの東京外国語大学とうきょうがいこくごだいがく教授きょうじゅ(1931ねん8がつ20日はつか - 2013ねん3がつ10日とおか)。山口やまぐちは1970年代ねんだいに「中心ちゅうしん周縁しゅうえん理論りろん提唱ていしょう[156]大江おおえはそのおおきな影響えいきょうけた(ただし、山口やまぐちが「中心ちゅうしん周縁しゅうえん理論りろんとして提示ていじしたことは大江おおえはすでに『万延まんえん元年がんねんのフットボール』にんでいるのではないかというせつニューアカデミズム論者ろんしゃ浅田あさだあきら谷行たにいきじんらは主張しゅちょうしている。『万延まんえん元年がんねんのフットボール参照さんしょう[157][158][159]大江おおえはまた、山口やまぐちが『文化ぶんか両義りょうぎせい』などの著作ちょさくにおいて日本にっぽん紹介しょうかいした文化ぶんか理論りろんからもおおきな影響えいきょうけた[157]岩波書店いわなみしょてんの『叢書そうしょ文化ぶんか現在げんざい』の編者へんしゃをともにつとめて、親交しんこうはじまった[160]。1979ねん山口やまぐちや、やはり編者へんしゃ中村なかむら雄二郎ゆうじろうらとってバリ島ばりとう習俗しゅうぞく取材しゅざいする旅行りょこうており、そのエピソードは連作れんさくあたらしいひとざめよ』の同名どうめい短編たんぺんえがかれている[161]。1985ねんに、ともに『へるめす』編集へんしゅう同人どうじんとなる。大江おおえ関心かんしんのある書物しょもつを、蔵書ぞうしょ山口やまぐちからりたり、山口やまぐちつうじてよその大学だいがく研究けんきゅうしつからりたりしてむこともおおかったという。その代表だいひょうてきなものが大江おおえ文学ぶんがく中期ちゅうきにおいて重要じゅうよう役割やくわりたしたキャスリーン・レインちょ『ブレイクと伝統でんとう』(Blake and Tradition) である[46][162][163]大江おおえは、山口やまぐちらと酒場さかばって、書物しょもつけて内容ないよう説明せつめいいているうちに、その書物しょもつはやみたくてたまらなくなって酒席しゅせきげて一人ひとりさき帰宅きたくするということもあったという[164][165]

文学ぶんがくてき評価ひょうか

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谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうしょう最年少さいねんしょう受賞じゅしょうをはじめとして、国内こくない主要しゅよう文学ぶんがくしょう作家さっかよりじゅうねん以上いじょうはやいペースで次々つぎつぎ受賞じゅしょうして[166]、1994ねんには日本人にっぽんじん二人ふたりのノーベル文学ぶんがくしょう受賞じゅしょうしている。

比較ひかく文学ぶんがくしゃ小谷野こやのあつしは「大江おおえ戦後せんご日本にっぽん最大さいだい作家さっかである」としたうえで、三島みしま由紀夫ゆきおが、谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうぼっしたときに、明治めいじまつねん谷崎たにざきあらわれてからぼっするまでのはん世紀せいきを「谷崎たにざきちょう時代じだい」とんだのになぞらえて、大江おおえがデビューした1958ねん以降いこうを「大江おおえちょう時代じだい」であるとした[167]

どう時代じだい大江おおえ健三郎けんざぶろう」(群像ぐんぞう2018ねん8がつごう)とだいされた大江おおえどう世代せだい筒井つつい康隆やすたか×蓮實はすみ重彦しげひこによる対談たいだんにおいて、筒井つついは「1950年代ねんだいから2010年代ねんだいまで、ずっと大江おおえ健三郎けんざぶろう時代じだいだった」とひょうしている。蓮實はすみは「大江おおえさんが作家さっかとして一番いちばんえらいとおもっている」とべた[168]

読売新聞よみうりしんぶん文化ぶんか記者きしゃ尾崎おざき真理子まりこは、大江おおえ最新さいしんさくをいちはや的確てきかくひょうすることはどう時代じだい批評ひひょうにとっての必須ひっす要件ようけんであったため、大江おおえじくにして日本にっぽん主要しゅよう批評ひひょうならべることで1950年代ねんだいから2020ねんまでにいた日本にっぽん現代げんだい文学ぶんがくえがけるとした[169]

バージニア大学だいがく教授きょうじゅ Michiko Niikuni Wilson は「大江おおえ現代げんだい日本にっぽん文学ぶんがく長年ながねん孤立こりつからさせ、世界せかい文学ぶんがく中心ちゅうしんとどけた」("Oe has delivered modern Japanese literature out of its long isolation and into the heart of world literature.") とひょうしている[170]

国内こくない受賞じゅしょうれき

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政治せいじてき思想しそう見解けんかい

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戦後せんご民主みんしゅ主義しゅぎもの自認じにんし、国家こっか主義しゅぎとく日本にっぽんにおける天皇てんのうせいには一貫いっかんして批判ひはんてき立場たちばっている。また、平和へいわ主義しゅぎものとして[171][172]護憲ごけん立場たちばから、日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい9じょうについてエッセイや講演こうえん積極せっきょくてき言及げんきゅうしている。核兵器かくへいきについても反対はんたい立場たちば明確めいかくにしている。

1994ねんのノーベルしょう記念きねん講演こうえんさいにはデンマーク文法ぶんぽう学者がくしゃクリストフ・ニーロップの「(戦争せんそうに)抗議こうぎしない人間にんげん共謀きょうぼうしゃである」という言葉ことば引用いんようしている。

どう1994ねん、ノーベルしょう受賞じゅしょうけて天皇てんのうからの親授しんじゅしきともな文化ぶんか勲章くんしょう授与じゅよ内定ないていし、文化庁ぶんかちょうから電話でんわ打診だしんされたときにはそれをっている。べいニューヨークタイムズのインタビューで「わたし文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょう辞退じたいしたのは、民主みんしゅ主義しゅぎまさ権威けんい価値かちかんちゅう天皇てんのうせい)をみとめないからだ。これは単純たんじゅんなことだが非常ひじょう重要じゅうようなことだ」とはなした[173]

1995ねん、フランスの南太平洋みなみたいへいようにおけるかく実験じっけん再開さいかい抗議こうぎして、南仏なんふつ開催かいさいされる予定よていだったシンポジウムへの出席しゅっせきりやめた[12]。このことでフランスのノーベルしょう作家さっかクロード・シモンとのあいだ論争ろんそうしょうじた[174]

1999ねん朝日新聞あさひしんぶん掲載けいさいされたアメリカの批評ひひょうスーザン・ソンタグとの公開こうかい書簡しょかんにおいて、NATOによるユーゴ空爆くうばく批判ひはんし、意見いけん対立たいりつした[175]

2003ねん自衛隊じえいたいイラク派遣はけんさいふつリベラシオン掲載けいさい記事きじにおいて「イラクへは純粋じゅんすい人道的じんどうてき援助えんじょ提供ていきょうするにとどめるべきだ」とし、「戦後せんごはん世紀せいきあまりのなかでも、日本にっぽんがこれほど米国べいこく追従ついしょう姿勢しせいしめしたことはない」といかりを表明ひょうめいした[176]

2004ねんには、憲法けんぽう9じょう平和へいわ主義しゅぎ理念りねんまもることを目的もくてきとして[172]加藤かとう周一しゅういち鶴見つるみ俊輔しゅんすけらとともにきゅうじょうかい結成けっせいし、全国ぜんこく各地かくち講演こうえんかいひらいている。

歴史れきし認識にんしきについて、1990年代ねんだい以降いこう表面ひょうめんしてきた歴史れきし修正しゅうせい主義しゅぎともな右派うは運動うんどう言論げんろんについてかえ反対はんたい表明ひょうめいしている[177][178][179]。2001ねんには、「あたらしい歴史れきし教科書きょうかしょをつくるかい編集へんしゅう扶桑社ふそうしゃはん植民しょくみん支配しはい侵略しんりゃく肯定こうていする中学校ちゅうがっこう歴史れきし教科書きょうかしょ検定けんてい申請しんせいがされたことをけて鵜飼うかいあきら高橋たかはし哲哉てつや小森こもり陽一よういち井上いのうえひさし学者がくしゃ文化ぶんかじん17にん連名れんめいで「加害かがい記述きじゅつ後退こうたいさせた歴史れきし教科書きょうかしょ憂慮ゆうりょし、政府せいふ要求ようきゅうする」とだいする声明せいめい発表はっぴょうしている[180]

大江おおえは1970ねんに『沖縄おきなわノート』を上梓じょうししている。だい世界せかい大戦たいせん末期まっき地上ちじょうせんにおいて、戦後せんご朝鮮ちょうせん戦争せんそうベトナム戦争せんそう基地きちとして戦争せんそうまれ、本土ほんどからいしとされつづけていた日本にっぽん返還へんかんまえ沖縄おきなわをめぐるルポルタージュである。このしょにおいて沖縄おきなわせんにおいてしょうじた民間みんかんじん集団しゅうだん自決じけつぐんいられたものであるとした。これについて、2005ねん歴史れきし見直みなおしを主張しゅちょうする右派うはかつぎだされて[181]きゅうぐん指揮しきかん遺族いぞく大江おおえ提訴ていそしたが、裁判さいばんでは「集団しゅうだん自決じけつ日本にっぽんぐんふかかかわった」(地裁ちさい)「ぐんふかかかわったことは否定ひていできず、総体そうたいとしてのぐん強制きょうせい命令めいれい評価ひょうかする見解けんかいもありる」(高裁こうさい)と判断はんだんされて、指揮しきかん遺族いぞく敗訴はいそした[182]

原子力げんしりょく発電はつでんについて、1960年代ねんだいおこなわれた講演こうえんにおいて、かくエネルギーの開発かいはつが、自身じしんつよ反対はんたいする核兵器かくへいき開発かいはつ保持ほじむすびつくことに懸念けねん警戒けいかいしめしたうえで、両者りょうしゃはなされているのならば「(ちゅう:電源でんげんとしての)かく開発かいはつ必要ひつようだということについてぼくはまったく賛成さんせいです。このエネルギーげん人類じんるい生命せいめいあたらしい要素ようそにくわえることについて反対はんたいしたいとはけっしておもわない」とべていたが [183]、1970年代ねんだい後半こうはん以降いこう反対はんたいする立場たちばをとっている[184]。2011ねん東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさいによる福島ふくしまだいいち原子力げんしりょく発電はつでんしょ事故じこ契機けいきがっただつ原発げんぱつ社会しゃかい運動うんどうさようなら原発げんぱつ1000まんにんアクション」のびかけにん一人ひとりとなっている(びかけにん内橋うちはし克人かつと落合おちあい恵子けいこ鎌田かまたとし坂本さかもと龍一りゅういち澤地さわじ久枝くし瀬戸内せとうち寂聴じゃくちょう辻井つじいたかし鶴見つるみ俊輔しゅんすけ)。

ひがしアジア外交がいこうについては、2006ねんには中国ちゅうごく社会しゃかい科学かがくいんまねきで訪中ほうちゅうして複数ふくすう場所ばしょ講演こうえんおこない、南京なんきんだい虐殺ぎゃくさつねんかんなどにもおとずれた。講演こうえんではいずれも魯迅ろじんをテーマとしたが、そのなかにちちゅう友好ゆうこうれて日本にっぽんにおける戦争せんそう加害かがい歴史れきし忘却ぼうきゃくうれえた[185][186]。2012ねんには「『領土りょうど問題もんだい』の悪循環あくじゅんかんめよう」とだいする声明せいめいもと長崎ながさき市長しちょう本島もとじまひとしもと世界せかい編集へんしゅうちょう岡本おかもとあつしら1300にん共同きょうどう発表はっぴょう韓国かんこく中国ちゅうごくとの領土りょうど問題もんだいについて対立たいりつ感情かんじょうてきにエスカレートさせずに冷静れいせい協議きょうぎ対話たいわをしていく必要ひつようがあることをうったえた[187]

作品さくひん

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著作ちょさく英語えいごフランス語ふらんすごドイツロシア中国ちゅうごくイタリアスペインなどに翻訳ほんやくされているものもすくなくない。なお現在げんざい新潮しんちょう文庫ぶんこから出版しゅっぱんされている初期しょき短篇たんぺんしゅうは、文庫ぶんこオリジナルのさい編集へんしゅうほどこされている。

長編ちょうへん小説しょうせつ

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連作れんさくたん編集へんしゅう

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  • あめ(レイン・ツリー)」をおんなたち新潮社しんちょうしゃ、1982ねん(のち新潮しんちょう文庫ぶんこ)- 読売よみうり文学ぶんがくしょう
    • あたまのいい「あめ」/「あめ」をおんなたち/「あめ」の首吊くびつおとこ/さかさまにつ「あめ」/およおとこすいのなかの「あめ
  • あたらしいひとざめよ講談社こうだんしゃ、1983ねん(のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ)- 大佛だいぶつ次郎じろうしょう
    • 無垢むくうた経験けいけんうた/いかりの大気たいきつめたい嬰児えいじちあがって/ちる、ちる、さけびながら … …/のみ幽霊ゆうれい/たましいほしのようにって、跗骨のところへ/くさりにつながれたるたましいをして/あたらしいひとざめよ
  • 河馬かばに嚙まれる文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1985ねん(のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ)- 短編たんぺん河馬かばに嚙まれる」で川端かわばた康成やすなり文学ぶんがくしょう
    • 河馬かばに嚙まれる/「河馬かば勇士ゆうし」とあいらしいラベオ/「浅間あさま山荘さんそう」のトリックスター/河馬かば昇天しょうてん/よんまんねんまえのタチアオイ/さきだつ苦痛くつうについて/サンタクルスの「広島ひろしま週間しゅうかん」/せい連鎖れんさはたら河馬かば講談社こうだんしゃ文庫ぶんこばんには「「浅間あさま山荘さんそう」のトリックスター」と「サンタクルスの「広島ひろしま週間しゅうかん」」の作品さくひん収録しゅうろくされていない)
  • しずかな生活せいかつ講談社こうだんしゃ、1990ねん(のち講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
    • しずかな生活せいかつ/この惑星わくせい/案内あんないじん(ストーカー)/自動じどう人形にんぎょう悪夢あくむ/小説しょうせつかなしみ/いえとしての日記にっき

なかたん編集へんしゅう

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  • 死者ししゃおごり』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1958ねん - 短編たんぺん飼育しいく」で芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけしょう
  • るまえにべ』新潮社しんちょうしゃ、1958ねん
    • るまえにべ/くらかわおもいかい/不意ふいおし/喝采かっさい/たたかいの今日きょう
  • 死者ししゃおごり・飼育しいく新潮社しんちょうしゃ、1959ねん新潮しんちょう文庫ぶんこ)【新潮しんちょう文庫ぶんこオリジナルさい編集へんしゅう
    • 死者ししゃおごり/他人たにんあし/飼育しいく/人間にんげんひつじ/不意ふいおし/たたかいの今日きょう
  • 孤独こどく青年せいねん休暇きゅうか新潮社しんちょうしゃ、1960ねん
    • 孤独こどく青年せいねん休暇きゅうか/後退こうたい青年せいねん研究所けんきゅうじょ/上機嫌じょうきげん/共同きょうどう生活せいかつ/ここより場所ばしょ
  • 性的せいてき人間にんげん新潮社しんちょうしゃ、1963ねん
  • 性的せいてき人間にんげん新潮社しんちょうしゃ、1968ねん新潮しんちょう文庫ぶんこ)【新潮しんちょう文庫ぶんこオリジナルさい編集へんしゅう
    • 性的せいてき人間にんげん/セヴンティーン/共同きょうどう生活せいかつ
  • 『われらの狂気きょうきびるみちおしえよ』新潮社しんちょうしゃ、1969ねん(のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
    • だい1 なぜでなく小説しょうせつくか、というプロローグとよっつののごときもの
    • だい2 ぼく自身じしんのごときものをかくとするみっつの短篇たんぺん はしれ、はしりつづけよ/かく時代じだいもり隠遁いんとんしゃ/にえおとこ必要ひつよう
    • だい3 オーデンブレイクかくとするふたつの中篇ちゅうへん 狩猟しゅりょうくらしたわれらの先祖せんぞ/ちちよ、あなたはどこへくのか?
  • そら怪物かいぶつアグイー』新潮社しんちょうしゃ、1972ねん新潮しんちょう文庫ぶんこ)【新潮しんちょう文庫ぶんこオリジナルさい編集へんしゅう
    • 満足まんぞく/スパルタ教育きょういく/敬老けいろう週間しゅうかん/アトミック・エイジの守護神しゅごじん/そら怪物かいぶつアグイー/ブラジルふうのポルトガル/いぬ世界せかい
  • みずからなみだをぬぐいたまう講談社こうだんしゃ、1972ねん(のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
    • ふたつの中篇ちゅうへんをむすぶ作家さっかのノート/みずからなみだをぬぐいたまう/つきおとこ(ムーン・マン)
  • るまえにべ』新潮社しんちょうしゃ、1974ねん新潮しんちょう文庫ぶんこ)【新潮しんちょう文庫ぶんこオリジナルさい編集へんしゅう
    • 奇妙きみょう仕事しごと/動物どうぶつ倉庫そうこ/運搬うんぱん/ばと/るまえにべ/とり/ここより場所ばしょ/上機嫌じょうきげん/後退こうたい青年せいねん研究所けんきゅうじょ/下降かこう生活せいかつしゃ
  • 現代げんだい伝奇でんきしゅう岩波書店いわなみしょてん、1980ねん
    • あたまのいい「あめ」/がわり山羊やぎ反撃はんげき/『むしりち』裁判さいばん
  • いかにころすか文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1984ねん(のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
    • げソーセージのかた/グルートとうのレントゲンほう/せるだけの拷問ごうもん/メヒコのだいあな/もうひとり和泉式部いずみしきぶまれた/その山羊やぎに/「つみのゆるし」のあおそう/いかにころすか
  • ぼく本当ほんとうわかかったころ講談社こうだんしゃ、1992ねん(のち講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
    • をめぐらすとり/「なみだながひと」のにれ/宇宙うちゅうだいの「あめ(レイン・ツリー)」/ゆめ師匠ししょう/治療ちりょうとう/ベラックヮのじゅうねん/マルゴおおやけのかくしつきスカート/ぼく本当ほんとうわかかったころ/茱萸ぐみ(ぐみ)のおしえ・じょ
  • 大江おおえ健三郎けんざぶろう自選じせん短篇たんぺん』、岩波書店いわなみしょてん、2014ねん岩波いわなみ文庫ぶんこ
    • 奇妙きみょう仕事しごと/死者ししゃおごり/他人たにんあし/飼育しいく/人間にんげんひつじ/不意ふいの啞/セヴンティーン/そら怪物かいぶつアグイー/あたまのいい「あめ(レイン・ツリー)」/「あめ(レイン・ツリー)」をおんなたち/さかさまにつ「あめ(レイン・ツリー)」/無垢むくうた経験けいけんうた/いかりの大気たいきつめたい嬰児えいじちあがって/ちる、ちる、さけびながら……/あたらしいひとざめよ/しずかな生活せいかつ/案内あんないじん(ストーカー)/河馬かばに嚙まれる/「河馬かば勇士ゆうし」とあいらしいラベオ/「なみだながひと」のにれ/ベラックワのじゅうねん/マルゴおおやけのかくしつきスカート/をめぐらすとり

評論ひょうろん随筆ずいひつとう

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  • 世界せかい若者わかものたち』新潮社しんちょうしゃ、1962ねん
  • 『ヨーロッパのこえぼく自身じしんこえ毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1962ねん
  • 厳粛げんしゅく綱渡つなわたり』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1965ねん(のち文春ぶんしゅん文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  • ヒロシマ・ノート岩波書店いわなみしょてん <岩波いわなみ新書しんしょ>、1965ねん
  • 持続じぞくするこころざし文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1968ねん(のち講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  • こわれものとしての人間にんげん講談社こうだんしゃ、1970ねん(のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  • かく時代じだい想像そうぞうりょく新潮社しんちょうしゃ <新潮しんちょう選書せんしょ>、1970ねん
  • 沖縄おきなわノート岩波書店いわなみしょてん <岩波いわなみ新書しんしょ>、1970ねん
  • くじら死滅しめつする文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1972ねん(のち講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  • どう時代じだいとしての戦後せんご講談社こうだんしゃ、1973ねん(のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  • 状況じょうきょうへ』岩波書店いわなみしょてん、1974ねん
  • 文学ぶんがくノート づけ15へん新潮社しんちょうしゃ、1974ねん
  • 言葉ことばによって-じょうきょう文学ぶんがく*』新潮社しんちょうしゃ、1976ねん
  • 小説しょうせつ方法ほうほう岩波書店いわなみしょてん <岩波いわなみ現代げんだい選書せんしょ>、1978ねん(のちどう時代じだいライブラリー)
  • 表現ひょうげんするものじょうきょう文学ぶんがく**』新潮社しんちょうしゃ、1978ねん
  • 方法ほうほうむ=大江おおえ健三郎けんざぶろう文芸ぶんげい時評じひょう講談社こうだんしゃ、1980ねん
  • かく大火たいかと「人間にんげん」のこえ岩波書店いわなみしょてん、1982ねん
  • 広島ひろしまからオイロシマへ―'82ヨーロッパの反核はんかく平和へいわ運動うんどうる』岩波書店いわなみしょてん <岩波いわなみブックレットNo.4>、1982ねん
  • 日本にっぽん現代げんだいのユマニスト渡辺わたなべ一夫かずおむ』岩波書店いわなみしょてん<岩波いわなみセミナーブックス8>、1984ねん
  • かた定義ていぎふたた状況じょうきょうへ』岩波書店いわなみしょてん、1985ねん
  • 小説しょうせつのたくらみ、たのしみ』新潮社しんちょうしゃ、1985ねん(のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • あたらしい文学ぶんがくのために岩波書店いわなみしょてん <岩波いわなみ新書しんしょ>、1988ねん
  • 『「最後さいご小説しょうせつ」』講談社こうだんしゃ、1988ねん(のち講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
    • 大江おおえいた数少かずすくないシナリオひとつである(厳密げんみつには"戯曲ぎきょく・シナリオ草稿そうこう"、戯曲ぎきょくには文庫ぶんこばんるまえにべ』所収しょしゅうの「動物どうぶつ倉庫そうこ」がある)『革命かくめい女性じょせい』が巻末かんまつ付録ふろくされた
  • 『ヒロシマの「生命せいめい」』NHK出版しゅっぱん、1991ねん
  • 人生じんせい習慣しゅうかん(ハビット)』岩波書店いわなみしょてん、1992ねん
  • 文学ぶんがくさい入門にゅうもん』NHK出版しゅっぱん <NHK人間にんげん大学だいがく>、1992ねん
  • 新年しんねん挨拶あいさつ岩波書店いわなみしょてん、1993ねん(のちどう時代じだいライブラリー、岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ
  • 小説しょうせつ経験けいけん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1994ねん(のち朝日あさひ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  • 『あいまいな日本にっぽんわたし岩波書店いわなみしょてん <岩波いわなみ新書しんしょ>、1995ねん
  • 恢復かいふくする家族かぞく』(大江おおえゆかり講談社こうだんしゃ、1995ねん(のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • 日本にっぽんの「わたし」からの手紙てがみ岩波書店いわなみしょてん <岩波いわなみ新書しんしょ>、1996ねん
  • 『ゆるやかなきずな』(大江おおえゆかり講談社こうだんしゃ、1996ねん(のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • わたしという小説しょうせつつくかた新潮社しんちょうしゃ、1998ねん(のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • 『「自分じぶん」のしたで』(大江おおえゆかり朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、2001ねん(のち朝日あさひ文庫ぶんこ
  • 鎖国さこくしてはならない』講談社こうだんしゃ、2001ねん(のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • がたなげきもて』講談社こうだんしゃ、2001ねん(のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • 『「あたらしいひと」のほうへ』(大江おおえゆかり朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、2003ねん(のち朝日あさひ文庫ぶんこ
  • 『「はなしてかんがえる」(シンク・トーク)と「いてかんがえる」(シンク・ライト)』集英社しゅうえいしゃ、2004ねん(のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 『「つたえる言葉ことば」プラス』朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、2006ねん(のち朝日あさひ文庫ぶんこ
  • 大江おおえ健三郎けんざぶろう作家さっか自身じしんかた』(尾崎おざき真理子まりこきて構成こうせい新潮社しんちょうしゃ、2007ねん(のち新潮しんちょう文庫ぶんこ増補ぞうほされている)[188]
  • 人間にんげん読書どくしょ講義こうぎ集英社しゅうえいしゃ、2007ねん(のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ
  • 定義ていぎしゅう朝日新聞あさひしんぶん出版しゅっぱん、2012ねん(のち朝日あさひ文庫ぶんこ
  • 親密しんみつ手紙てがみ岩波書店いわなみしょてん <岩波いわなみ新書しんしょ>、2023ねん

共著きょうちょ

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全集ぜんしゅう

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  • 大江おおえ健三郎けんざぶろうぜん作品さくひん新潮社しんちょうしゃだい1ぜん6かん、1966-1967、だい2ぜん6かん、1977-1978ねん
  • 大江おおえ健三郎けんざぶろうどう時代じだい論集ろんしゅう岩波書店いわなみしょてんぜん10かん、1980-1981ねん
  • 大江おおえ健三郎けんざぶろう小説しょうせつ新潮社しんちょうしゃぜん10かん、1996-1997ねん
  • 大江おおえ健三郎けんざぶろうぜん小説しょうせつ講談社こうだんしゃぜん15かん、2018-2019ねん連作れんさくたん編集へんしゅう ◇)
    • だい1かん 初期しょき作品さくひんぐん①:奇妙きみょう仕事しごと/死者ししゃおごり/他人たにんあし/石膏せっこうマスク/偽証ぎしょうとき/動物どうぶつ倉庫そうこ/飼育しいく/人間にんげんひつじ/運搬うんぱん/ばと/むしりち/るまえにべ/くらかわ おもいかい/とり/不意ふいの啞/喝采かっさい/たたかいの今日きょう/部屋へや/われらの時代じだい
    • だい2かん 初期しょき作品さくひんぐん②:ここより場所ばしょ/共同きょうどう生活せいかつ/上機嫌じょうきげん/報復ほうふくする青年せいねん/勇敢ゆうかん兵士へいしおとうと/後退こうたい青年せいねん研究所けんきゅうじょ/孤独こどく青年せいねん休暇きゅうか/下降かこう生活せいかつしゃ/おくれてきた青年せいねん
    • だい3かん 初期しょき作品さくひんぐん③:セヴンティーン/政治せいじ少年しょうねんす(「セヴンティーン」だい)/幸福こうふくわかいギリアクじん/満足まんぞく/ヴィリリテ/人間にんげん/さけごえ/スパルタ教育きょういく/性的せいてき人間にんげん/大人おとなき/敬老けいろう週間しゅうかん/アトミック・エイジの守護神しゅごじん/ブラジルふうのポルトガル/いぬ世界せかい
    • だい4かん ちち天皇てんのうせいはしれ、はしりつづけよ/にえおとこ必要ひつようか/狩猟しゅりょうくらしたわれらの先祖せんぞ/かく時代じだいもり隠遁いんとんしゃ/ちちよ、あなたはどこへくのか?/われらの狂気きょうきびるみちおしえよ/みずからなみだをぬぐいたまう/つきおとこ(ムーン・マン)/水死すいし
    • だい5かん 共生きょうせいそら怪物かいぶつアグイー/個人こじんてき体験たいけん/ピンチランナー調書ちょうしょ/あたらしいひとざめよ ◇
    • だい6かん 中期ちゅうき傑作けっさくたん中編ちゅうへんがわり山羊やぎ反撃はんげき/『むしりち』裁判さいばん/げソーセージのかた/グルートとうのレントゲンほう/せるだけの拷問ごうもん/メヒコのだいあな/もうひとり和泉式部いずみしきぶうまれた/その山羊やぎに/「つみのゆるし」のあおそう/いかにころすか/ベラックワのじゅうねん/ゆめ師匠ししょう/宇宙うちゅうだいの「あめ(レイン・ツリー)」/をめぐらすとり/「なみだながひと」のにれ/ぼく本当ほんとうわかかったころ/マルゴおおやけのかくしつきスカート/茱萸ぐみおしえ・じょ
    • だい7かん ノーベルしょう授賞じゅしょう理由りゆうとなった作品さくひん万延まんえん元年がんねんのフットボール/洪水こうずいはわがたましいおよ
    • だい8かん もり神話しんわ:M/Tともりのフシギの物語ものがたり/どう時代じだいゲーム
    • だい9かん 女性じょせいてきなるもののちからあめ(レイン・ツリー)」をおんなたち ◇/人生じんせい親戚しんせき/しずかな生活せいかつ ◇/うつくしいアナベル・リイ
    • だい10かん 時空じくうえたSFてきこころみ:治療ちりょうとう/治療ちりょうとう惑星わくせい/ひゃくねん子供こども
    • だい11かん 革命かくめい運動うんどう理想郷りそうきょう建設けんせつ河馬かばに嚙まれる ◇/なつかしいとしへの手紙てがみ/キルプの軍団ぐんだん
    • だい12かん たましい救済きゅうさい:「すくぬし」がなぐられるまで──えあがるみどり だい一部いちぶ/うごく(ヴァシレーション)──えあがるみどり だい/おおいなるに──えあがるみどり だいさん
    • だい13かん かみなきいのり:宙返ちゅうがえ
    • だい14かん したしい友人ゆうじん日常にちじょう生活せいかつ冒険ぼうけん/(チェンジリング)/うれがお童子どうじ
    • だい15かん テロルと3・11カタストロフ:さようなら、わたしほんよ!/晩年ばんねん様式ようしきしゅう(イン・レイト・スタイル))

文学ぶんがく全集ぜんしゅう

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  • 新鋭しんえい文学ぶんがく叢書そうしょ12『大江おおえ健三郎けんざぶろうしゅう筑摩書房ちくましょぼう、1960ねん
  • しん日本にっぽん文学ぶんがく全集ぜんしゅう11『開高かいこうけん大江おおえ健三郎けんざぶろうしゅう集英社しゅうえいしゃ、1962ねん
  • 角川かどかわばん昭和しょうわ文学ぶんがく全集ぜんしゅう9『開高かいこうけん大江おおえ健三郎けんざぶろう角川書店かどかわしょてん、1963ねん
  • 現代げんだい文学ぶんがく43『大江おおえ健三郎けんざぶろうしゅう河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1964ねん
  • われらの文学ぶんがく18『大江おおえ健三郎けんざぶろう講談社こうだんしゃ、1965ねん
  • 日本にっぽん文学ぶんがく76『石原いしはら慎太郎しんたろう 開高かいこうけん 大江おおえ健三郎けんざぶろう中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1968ねん
  • 日本にっぽん文学ぶんがく全集ぜんしゅうだい2しゅう25『大江おおえ健三郎けんざぶろうしゅう河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1968ねん
  • 新潮しんちょう日本にっぽん文学ぶんがく64『大江おおえ健三郎けんざぶろうしゅう新潮社しんちょうしゃ、1969ねん
  • De Luxe われらの文学ぶんがく7『大江おおえ健三郎けんざぶろう講談社こうだんしゃ、1969ねん
  • 現代げんだい日本にっぽん文学ぶんがく47『安部あべ公房こうぼう大江おおえ健三郎けんざぶろうしゅう学習研究社がくしゅうけんきゅうしゃ、1970ねん
  • 現代げんだい文学ぶんがく28『大江おおえ健三郎けんざぶろう講談社こうだんしゃ、1972ねん
  • 日本にっぽん文学ぶんがく全集ぜんしゅう50『大江おおえ健三郎けんざぶろう/むしり日常にちじょう生活せいかつ冒険ぼうけん河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1971ねん
  • 日本にっぽん文学ぶんがく全集ぜんしゅう44『大江おおえ健三郎けんざぶろう 安部あべ公房こうぼう 開高かいこうけん新潮社しんちょうしゃ、1971ねん
  • 新潮しんちょう現代げんだい文学ぶんがく55『大江おおえ健三郎けんざぶろう/個人こじんてき体験たいけん ピンチランナー調書ちょうしょ新潮社しんちょうしゃ、1978ねん
  • 日本にっぽん原爆げんばく文学ぶんがく9『大江おおえ健三郎けんざぶろう 金井かない利博としひろ』ほるぷ出版しゅっぱん、1983ねん
  • 昭和しょうわ文学ぶんがく全集ぜんしゅう16『大岡おおおか昇平しょうへい 埴谷はにやゆうだか 野間のまひろし 大江おおえ健三郎けんざぶろう小学館しょうがくかん、1987ねん
  • 池澤いけざわ夏樹なつき=個人こじん編集へんしゅう 日本にっぽん文学ぶんがく全集ぜんしゅう22 『大江おおえ健三郎けんざぶろう河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、2015ねん

共編きょうへん

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  • 岩波いわなみ講座こうざ文学ぶんがく岩波書店いわなみしょてんぜん12かん、1975-1976ねん
  • 叢書そうしょ文化ぶんか現在げんざい岩波書店いわなみしょてんぜん13かん、1980-1982ねん(1かん 言葉ことば世界せかい小説しょうせつ言葉ことば」/4かん 中心ちゅうしん周縁しゅうえん小説しょうせつ周縁しゅうえん」/12かん 仕掛しかけとしての政治せいじ政治せいじ生首なまくびと「生命せいめい」」/13かん 文化ぶんか活性かっせい示唆しさするものとしてのかりそめの役割やくわり」を執筆しっぴつ

台本だいほん

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講演こうえん映像えいぞう

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  • わたし最後さいご小説しょうせつ、「えあがるみどり」』(カセット)新潮社しんちょうしゃ、1994ねん
  • 大江おおえ健三郎けんざぶろう 文学ぶんがくさい入門にゅうもん』(ビデオカセット)NHKソフトウェア、ぜん12かん、1995ねん

講演こうえんかい

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  • 人間にんげん自立じりつ共生きょうせいについて―障害しょうがいきる』(1989ねん12月2にち愛知あいちけん中小ちゅうしょう企業きぎょうセンターにて「障害しょうがいしゃ記念きねん講演こうえんかいとして[189])

テレビ番組ばんぐみ

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作品さくひん映画えいが

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研究けんきゅう評伝ひょうでん

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  • 松原まつばら新一しんいち大江おおえ健三郎けんざぶろう世界せかい講談社こうだんしゃ 1967ねん
  • 野口のぐち武彦たけひこごえさけごえ沈黙ちんもく 大江おおえ健三郎けんざぶろう世界せかい新潮社しんちょうしゃ 1971ねん
  • 篠原しのはらしげる大江おおえ健三郎けんざぶろうろん東邦とうほう出版しゅっぱんしゃ 1973ねん
  • 片岡かたおかあきら大江おおえ健三郎けんざぶろうろん?精神せいしん地獄じごくをゆくものたてふう書房しょぼう 1973ねん
  • 渡辺わたなべ広士ひろし大江おおえ健三郎けんざぶろう審美しんびしゃ 1973ねん
  • 川西かわにし政明まさあき大江おおえ健三郎けんざぶろうろん 未成みせいゆめ講談社こうだんしゃ 1979ねん
  • 蓮實はすみ重彦しげひこ大江おおえ健三郎けんざぶろうろん青土おうづちしゃ 1980ねん
  • 松崎まつざき晴夫はるお『デモクラットの文学ぶんがく 広津ひろつ和郎かずお大江おおえ健三郎けんざぶろうしん日本にっぽん出版しゅっぱんしゃ 1981ねん
  • 篠原しのはらしげる大江おおえ健三郎けんざぶろう文学ぶんがく事典じてん』スタジオVIC 1984ねん
  • 一條いちじょう孝夫たかお大江おおえ健三郎けんざぶろう世界せかい和泉いずみ書院しょいん 1985ねん
  • サミュエル横地よこち淑子としこ大江おおえ健三郎けんざぶろう文学ぶんがく 海外かいがい評価ひょうかそうりんしゃ 1985ねん
  • 榎本えのもと正樹まさき大江おおえ健三郎けんざぶろう はち年代ねんだいのテーマとモチーフ』審美しんびしゃ 1989ねん
  • くろ一夫かずお大江おおえ健三郎けんざぶろうろん もり思想しそうかた原理げんりいろどりりゅうしゃ 1989ねん
  • マサオ・ミヨシほか『大江おおえ健三郎けんざぶろう 群像ぐんぞう日本にっぽん作家さっか23』小学館しょうがくかん 1992ねん
  • 柴田しばた勝二しょうじ大江おおえ健三郎けんざぶろうろん 地上ちじょう彼岸ひがん有精ゆうせいどう出版しゅっぱん 1992ねん
  • 蓮實はすみ重彦しげひこ大江おおえ健三郎けんざぶろうろん新装しんそうばん青土おうづちしゃ 1992ねん
  • 文芸ぶんげい研究けんきゅうプロジェ編著へんちょ『よくわかる大江おおえ健三郎けんざぶろう』ジャパン・ミックス 1994ねん
  • 渡辺わたなべ広士ひろし大江おおえ健三郎けんざぶろう 増補ぞうほばん審美しんびしゃ 1994ねん
  • オーケンであそ青年せいねんかいへん大江おおえ健三郎けんざぶろうがカバにもわかるほん コレいちさつ!あといらないッ!』よういずみしゃ 1995ねん
  • 榎本えのもと正樹まさき大江おおえ健三郎けんざぶろうはち年代ねんだいいろどりりゅうしゃ 1995ねん
  • 中村なかむら泰行やすゆき大江おおえ健三郎けんざぶろう文学ぶんがく軌跡きせきしん日本にっぽん出版しゅっぱんしゃ 1995ねん
  • 平野ひらのさかえひさ大江おおえ健三郎けんざぶろうわたしのどう時代じだいゲーム』オリジン出版しゅっぱんセンター 1995ねん
  • 鷲田わしだ小弥太こやたほか『大江おおえ健三郎けんざぶろうとはだれ鼎談ていだん じん作品さくひん・イメージ』さんいち書房しょぼう 1995ねん
  • 本多ほんだ勝一かついち大江おおえ健三郎けんざぶろう人生じんせい-貧困ひんこんなる精神せいしんXしゅう毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1995ねん ISBN 4620310565
  • 谷沢たにさわ永一えいいち『こんな日本にっぽんだれがした-戦後せんご民主みんしゅ主義しゅぎ代表だいひょうしゃ大江おおえ健三郎けんざぶろうへの告発こくはつじょうKKベストセラーズ ISBN 4877120297
  • 一條いちじょう孝夫たかお大江おおえ健三郎けんざぶろう その文学ぶんがく世界せかい背景はいけい和泉いずみ書院しょいん 1997ねん
  • 桒原たけ大江おおえ健三郎けんざぶろうろんさんいち書房しょぼう 1997ねん
  • くろ一夫かずお大江おおえ健三郎けんざぶろうとこの時代じだい文学ぶんがくつとむまことしゃ 1997ねん
  • 篠原しのはらしげる大江おおえ健三郎けんざぶろう文学ぶんがく事典じてんぜん著作ちょさく年譜ねんぷ文献ぶんけん完全かんぜんガイド〔改訂かいていばん〕』森田もりた出版しゅっぱん 1998ねん ISBN 494418901X
  • ジャン・ルイ・シェフェル『大江おおえ健三郎けんざぶろう―その肉体にくたいたましい苦悩くのう再生さいせい』2001ねん ISBN 4896340779
  • 小森こもり陽一よういち歴史れきし認識にんしき小説しょうせつ大江おおえ健三郎けんざぶろうろん』2002ねん ISBN 406211304X
  • ちょうぶん穎『トポスの呪力じゅりょく大江おおえ健三郎けんざぶろう中上なかがみ健次けんじ』2002ねん ISBN 4881251244
  • くろ一夫かずお作家さっかはこのようにしてまれ、おおきくなった―大江おおえ健三郎けんざぶろう伝説でんせつ』2003ねん ISBN 4309015751
  • 井口いぐち時男ときお危機きき闘争とうそう 大江おおえ健三郎けんざぶろう中上なかがみ健次けんじ作品社さくひんしゃ 2004ねん
  • あきらせん大江おおえ健三郎けんざぶろうろん <神話しんわ形成けいせい>の文学ぶんがく世界せかい歴史れきし認識にんしきはな書院しょいん 2006ねん
  • クラウプロトック・ウォララック『大江おおえ健三郎けんざぶろうろん狂気きょうき」と「救済きゅうさい」をじくにして』専修大学せんしゅうだいがく出版しゅっぱんきょく 2007ねん
  • おうしんしんさい啓蒙けいもうから文化ぶんか批評ひひょう大江おおえ健三郎けんざぶろうの1957〜1967』東北大学とうほくだいがく出版しゅっぱんかい 2007ねん
  • くろ一夫かずお戦争せんそう辺境へんきょう文学ぶんがく人間にんげん 大江おおえ健三郎けんざぶろうから村上むらかみ春樹はるきまで』つとむまこと出版しゅっぱん 2010ねん
  • 小谷野こやのあつし江藤えとうあつし大江おおえ健三郎けんざぶろう 戦後せんご日本にっぽん政治せいじ文学ぶんがく筑摩書房ちくましょぼう 2015ねん[192]
  • 山本やまもと昭宏あきひろ大江おおえ健三郎けんざぶろうとその時代じだい戦後せんご」にえらばれた小説しょうせつ人文書院じんぶんしょいん 2019ねん
  • 尾崎おざき真理子まりこ大江おおえ健三郎けんざぶろうぜん小説しょうせつぜん解説かいせつ講談社こうだんしゃ 2020ねん
  • 工藤くどう庸子ようこ大江おおえ健三郎けんざぶろうと「晩年ばんねん仕事しごと」』講談社こうだんしゃ 2022ねん
  • 野崎のさき無垢むくうた 大江おおえ健三郎けんざぶろう子供こどもたちの物語ものがたりきのびるブックス株式会社かぶしきがいしゃ 2022ねん
  • 尾崎おざき真理子まりこ大江おおえ健三郎けんざぶろうの「よし」』講談社こうだんしゃ 2022ねん
  • 菊間きくま晴子はるこ犠牲ぎせいもり大江おおえ健三郎けんざぶろう死生しせいかん東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい 2023ねん

雑誌ざっし特集とくしゅう

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  • 国文学こくぶんがく 解釈かいしゃく教材きょうざい研究けんきゅう』「特集とくしゅう なな年代ねんだい政治せいじせい 大江おおえ健三郎けんざぶろうがくとうしゃ(1971ねん7がつごう
  • 『ユリイカ』「特集とくしゅう 大江おおえ健三郎けんざぶろうーその神話しんわてき世界せかい青土おうづちしゃ(1974ねん3がつごう
  • 国文学こくぶんがく 解釈かいしゃく教材きょうざい研究けんきゅう』「特集とくしゅう 大江おおえ健三郎けんざぶろう方法ほうほうした想像そうぞうりょくがくとうしゃ(1979ねん2がつごう
  • 国文学こくぶんがく 解釈かいしゃく教材きょうざい研究けんきゅう』「特集とくしゅう 大江おおえ健三郎けんざぶろう神話しんわてき宇宙うちゅうむ」がくとうしゃ(1982ねん6がつごう
  • 『Switch 』Vol.8 No.1「みどりしたたるもり ずる 大江おおえ健三郎けんざぶろう扶桑社ふそうしゃ(1990ねん3がつごう
  • 国文学こくぶんがく 解釈かいしゃく教材きょうざい研究けんきゅう』「特集とくしゅう 大江おおえ健三郎けんざぶろうはち年代ねんだいからきゅう年代ねんだいへ」がくとうしゃ(1990ねん7がつごう
  • 文學ぶんがくかい』「特集とくしゅう大江おおえ健三郎けんざぶろう文学ぶんがく文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう(1994ねん12がつごう
  • 新潮しんちょう』「特集とくしゅう・ノーベルしょう受賞じゅしょう 大江おおえ健三郎けんざぶろう新潮社しんちょうしゃ(1994ねん12がつごう
  • 群像ぐんぞう 特別とくべつ編集へんしゅう 大江おおえ健三郎けんざぶろう講談社こうだんしゃ(1995ねん4がつ
  • 国文学こくぶんがく 解釈かいしゃく教材きょうざい研究けんきゅう 2がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう』「21世紀せいきけていま大江おおえ健三郎けんざぶろう小説しょうせつむ」がくとうしゃ(1997ねん2がつごう
  • 『IN★POCKET』2004ねん4がつごう大江おおえ健三郎けんざぶろうの50ねん講談社こうだんしゃ(2004ねん4がつごう
  • 群像ぐんぞう』「特集とくしゅう 大江おおえ健三郎けんざぶろう文学ぶんがく言葉ことば」をつたえるために」講談社こうだんしゃ(2005ねん11がつごう
  • 早稲田わせだ文学ぶんがく』6ごう大江おおえ健三郎けんざぶろう(ほぼ)ぜん小説しょうせつ解題かいだい早稲田わせだ文学ぶんがくかい(2013ねん9がつごう
  • 『ユリイカ』「2023ねん7がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう そう特集とくしゅう大江おおえ健三郎けんざぶろう ―1935-2023―」青土おうづちしゃ

参考さんこう文献ぶんけん

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脚注きゃくちゅう

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出典しゅってん

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  3. ^ 『あのひと』「まえべ —あとがきにかえて」飛鳥新社あすかしんしゃ1985ねん8がつ1にち
  4. ^ 尾崎おざき真理子まりこ「ノーベルしょうはいかにしてもたらされたか」『大江おおえ健三郎けんざぶろうぜん小説しょうせつ7』
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  9. ^ 小野おの正嗣まさつぐ『NHK100ふんde名著めいちょ 大江おおえ健三郎けんざぶろう えあがるみどりkindle171〜209/1864
  10. ^ くろ一夫かずお作家さっかはこのようにしてまれ、おおきくなった大江おおえ健三郎けんざぶろう伝説でんせつ』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ)のつぎかくあきら「「せい」「政治せいじ」「「天皇てんのうせい」」「個人こじんてき体験たいけん」「「ヒロシマ」」「根拠地こんきょち思想しそう
  11. ^ 著者ちょしゃプロフィール(大江おおえ健三郎けんざぶろう作家さっか自身じしんかた)
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 大江おおえ健三郎けんざぶろう年譜ねんぷ」『大江おおえ健三郎けんざぶろうぜん小説しょうせつぜん解説かいせつ講談社こうだんしゃ
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  15. ^ 銀杏いちょう並木なみき文学ぶんがくしょうとは 東京大学とうきょうだいがく教養きょうよう学部がくぶ学友がくゆうかい学生がくせい理事りじかい
  16. ^ 大江おおえ健三郎けんざぶろう作家さっか自身じしんかた, p. 33-35.
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  18. ^ 山本やまもと昭宏あきひろ大江おおえ健三郎けんざぶろうとその時代じだい戦後せんご」にえらばれた小説しょうせつ』(人文書院じんぶんしょいん)pp.82-85
  19. ^ 山本やまもと昭宏あきひろ大江おおえ健三郎けんざぶろうとその時代じだい戦後せんご」にえらばれた小説しょうせつ』(人文書院じんぶんしょいん)p.83
  20. ^ 戦後せんご日本にっぽん政治せいじ文学ぶんがく, p. 144-145.
  21. ^ 尾崎おざき真理子まりこ封印ふういんかれ、ここからあらたにはじまる」『大江おおえ健三郎けんざぶろうぜん小説しょうせつ3』
  22. ^ 戦後せんご日本にっぽん政治せいじ文学ぶんがく, p. 154.
  23. ^ 山本やまもと昭宏あきひろ大江おおえ健三郎けんざぶろうとその時代じだい戦後せんご」にえらばれた小説しょうせつ』(人文書院じんぶんしょいん)p.114
  24. ^ 山本やまもと昭宏あきひろ大江おおえ健三郎けんざぶろうとその時代じだい戦後せんご」にえらばれた小説しょうせつ』(人文書院じんぶんしょいん)pp.141-142
  25. ^ 谷行たにいきじん大江おおえ健三郎けんざぶろうのアレゴリー」『終焉しゅうえんをめぐって』講談社こうだんしゃ学術がくじゅつ文庫ぶんこ
  26. ^ 山本やまもと昭宏あきひろ大江おおえ健三郎けんざぶろうとその時代じだい戦後せんご」にえらばれた小説しょうせつ』(人文書院じんぶんしょいん)pp.151ー152
  27. ^ 服部はっとりさとし大江おおえ健三郎けんざぶろうにおけるウィリアム・ブレイク受容じゅよう:フライによるブレイク」『総合そうごう文化ぶんか研究けんきゅう』(日本にっぽん大学だいがく商学部しょうがくぶ)20(1)、2014ねん6がつ pp.79-108
  28. ^ 大江おおえ健三郎けんざぶろう年譜ねんぷ」『大江おおえ健三郎けんざぶろうぜん小説しょうせつぜん解説かいせつ講談社こうだんしゃ
  29. ^ 大江おおえ健三郎けんざぶろう作家さっか自身じしんかた, p. 182.
  30. ^ 大江おおえ健三郎けんざぶろう「*ふたつの中篇ちゅうへんをむすぶ作家さっかのノート」『みずからなみだをぬぐいたまう講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  31. ^ 山本やまもと昭宏あきひろ大江おおえ健三郎けんざぶろうとその時代じだい戦後せんご」にえらばれた小説しょうせつ』(人文書院じんぶんしょいん)pp.198−202
  32. ^ 山本やまもと昭宏あきひろ大江おおえ健三郎けんざぶろうとその時代じだい戦後せんご」にえらばれた小説しょうせつ人文書院じんぶんしょいん pp.202-208
  33. ^ a b c 大江おおえ健三郎けんざぶろう作家さっか自身じしんかた, p. 139.
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  36. ^ 山本やまもと昭宏あきひろ大江おおえ健三郎けんざぶろうとその時代じだい戦後せんご」にえらばれた小説しょうせつ』(人文書院じんぶんしょいん)pp.224-229
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