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異化いか

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異化いか(いか、 ロシア: остранение, ostranenie[1])は、したしんだ日常にちじょうてき事物じぶつ奇異きい日常にちじょうてきなものとして表現ひょうげんするための手法しゅほう知覚ちかくの「自動じどう」をけるためのものである。ソ連それん文学ぶんがく理論りろんであるヴィクトル・シクロフスキーによって概念がいねんされた。

これまでに「異常いじょう」や「だつ自動じどう」などの訳語やくごかんがえられてきた[2]

概要がいよう

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異化いかとは、日常にちじょうてき言語げんご詩的してき言語げんご区別くべつし、(自動じどう状態じょうたいにある)事物じぶつを「再認さいにん」するのではなく、「直視ちょくし」することで「なま感覚かんかく」をとりもどす芸術げいじゅついち手法しゅほうだと要約ようやくできる。つまり、しばしばれいかれるように「いしころをいしころらしくする」ためである。いわば思考しこう節約せつやくむねとする、理解りかいのしやすさ、平易へいいさが前提ぜんていとなった日常にちじょうてき言語げんごとはことなり、芸術げいじゅつもとめられる詩的してき言語げんごは、その知覚ちかく困難こんなんにし、認識にんしき過程かてい長引ながびかせることを第一義だいいちぎとする。「芸術げいじゅつにあっては知覚ちかくのプロセスそのものが目的もくてき 」であるからである[3]。またそれによって「手法しゅほう」(形式けいしき)を前景ぜんけいさせることが可能かのうになる。

歴史れきし

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シクロフスキーが「異化いか概念がいねん成立せいりつさせるべくあらわした2つのしょうろん、「言葉ことば復活ふっかつ」(1914ねん)と「手法しゅほうとしての芸術げいじゅつ」(1917ねん)は、内容ないようではなく形式けいしき(フォルム)をうべきだとした文学ぶんがく運動うんどうロシア・フォルマリズム嚆矢こうし一般いっぱんにはかんがえられている[4]。フォルム、つまり形式けいしきうということは文学ぶんがく自律じりつせいもとめることであった。このながれそのものは、フェルディナン・ド・ソシュール言語げんごがく影響えいきょうけたものとされている[5]。しかし「異化いか」という概念がいねんそのものは、未来みらいのザーウミ(意味いみ理解りかい前提ぜんていとしないちょう意味いみ言語げんご)を理論りろんづけるために提起ていきされたもので、ソシュールの影響えいきょうけていないとかんがえられている[6]

異化いかとは「文学ぶんがく文学ぶんがくたらしめているもの」をこそあらたな潮流ちょうりゅうのもとされた概念がいねんであるが、たとえば演劇えんげきにおける「おどろき」の意味いみろんじたアリストテレスにまでさかのぼることができるように、この「あたらしさ」を目指めざすことそのものはシクロフスキー、あるいは異化いか特有とくゆうなものではない[7]佐藤さとう千登勢ちとせ言葉ことばりれば、それ自体じたいはごく「シンプルな思考しこう」である[8]。しかしまた同時どうじにそれに「異化いか」という用語ようごをつくり、その非常ひじょう重要じゅうようせいいた人間にんげんはシクロフスキー以前いぜんにはいなかった[8]

ヴィクトル・シクロフスキー

言葉ことば復活ふっかつ」ではまだ異化いか(ロシア: Остранение)という言葉ことば使つかわれていない。が、そこには明確めいかくな「異化いか」の概念がいねんと「形式けいしき」の意識いしきへの意思いしがみてとれる。それによれば、言葉ことばとは本来ほんらい生気せいきあふれ」、「イメージ」にちて」いた。

たとえば、「つき」(месяц メーシャツ)、このかたり原義げんぎは「計測けいそく」(меритель メリーチェリ)であった。「悲哀ひあい」(горе ゴーレ)、「かなしみ」(печаль ペチャーリ)の原義げんぎは、「じりじりえて(жжет ジジョート)、ひりひりけるいたみ(парит パーリト)」。(…)

かつて語幹ごかん宿やどっていながら現在げんざいではうしなわれれてしまったイメージにたどりつくとき、そのうつくしさにぼくらはしばしば驚嘆きょうたんさせられる。かつてった、だがもはやうしなわれてしまったそのうつくしさに。

しかし、見慣みなれてしまった言葉ことばは、もはや日常にちじょうでは「て」知覚ちかくされることはない。それは「再認さいにん」されるのである。それを打破だはするために形容けいようもちいられることがある。しかしそれもすぐに慣用かんようてきもちいられ、「あぶらのろうそく」といったナンセンスな表現ひょうげんへとしてしまう。いわば「化石かせき」してしまうのである。またここでかれは、詩的してき言語げんごもとめられるのはなか理解りかい可能かのう言葉ことばであるということをはっきりとべている[9]

上述じょうじゅつのように、このしょうろんには「異化いか」という言葉ことば、および日常にちじょうてき言語げんご詩的してき言語げんご対比たいひという特徴とくちょう見出みだせない。3ねんのシクロフスキーがそれを自身じしん理論りろん導入どうにゅうし、「手法しゅほうとしての芸術げいじゅつ」をあらわしたのは、どう時代じだい言語げんご学者がくしゃレフ・ヤクビンスキーとの出会であい(あるいは相互そうご交流こうりゅう)がおおきな影響えいきょうあたえたことによるものだ。ヤクビンスキーは音声おんせいがく見地けんちから、「日常にちじょうてき言語げんご詩的してき言語げんご」・「異化いか自動じどう」を対立たいりつさせていたのである[10][11]

たとえば「言葉ことば復活ふっかつ」のなかで、シクロフスキーは造語ぞうご不正確ふせいかくなアクセントづけなどを「異化いか」のいちれいとしてげているが、佐藤さとうがいうように、けっきょく厳密げんみつ定義ていぎはなしえなかった[12]。とはいえ、たとえばかれ自身じしんが「手法しゅほうとしての芸術げいじゅつ」のなかでく、トルストイ「戦争せんそう平和へいわ」のいち場面ばめん異化いか典型てんけいとしてあげられる。

舞台ぶたい中央ちゅうおうにはたいらないたられ、そのりょうわきにはえがいたいろりの背景はいけいてられており、奥手おくてにはあまぬの床板とこいたまでられていた(…)

この文章ぶんしょうはじまる劇場げきじょう描写びょうしゃでは、その美的びてき側面そくめん捨象しゃしょうされ、「はじめてみたもののようにえがかれている」。シクロフスキーによれば、これはトルストイが常用じょうようする異化いか手法しゅほうである[13]。また大石おおいし雅彦まさひこ異化いか手法しゅほうとして、ザーウミ、逸脱いつだつ撞着どうちゃく語法ごほう、イメージなどをげている[14]

ブレヒトと異化いか

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批判ひはん

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シクロフスキー研究けんきゅうしゃ佐藤さとうみとめるように、異化いか理論りろんはそのプリミティヴさのゆえにしばしば批判ひはんびてきた。いわゆるフォルマリズム論争ろんそうのなかで異化いか徹底的てっていてき批判ひはんした人物じんぶつ一人ひとりミハイル・バフチンである。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 提唱ていしょうしゃのシクロフスキーはのちстранный(奇妙きみょうな)という言葉ことばにすべきだったと述懐じゅっかいしている。佐藤さとう千登勢ちとせは、ロシアостранить(わきによける)という動詞どうしがあることをげ、異化いかには「奇妙きみょうなものにし、位置いちをずらす」という意味いみんでいる (佐藤さとう 2006ねん) p.22
  2. ^ (佐藤さとう 2006ねん) p.23
  3. ^ 松原まつばらあきらやく手法しゅほうとしての芸術げいじゅつ」『フォルマリズム : 詩的してき言語げんごろん』p.25
  4. ^ (桑野くわの 1979ねん) p.426
  5. ^ ソシュールは実際じっさいはなされている言葉ことばパロール)でなくその体系たいけいラング)こそが言語げんごがくあつか対象たいしょうだとした
  6. ^ (佐藤さとう 2006ねん) p.27
  7. ^ (大石おおいし 1988ねん) p.433
  8. ^ a b (佐藤さとう 2006ねん) p.8
  9. ^ 坂倉さかくら千鶴ちづるやく言葉ことば復活ふっかつ」『フォルマリズム : 詩的してき言語げんごろん』1988ねん、pp.13-19
  10. ^ (桑野くわの 1979ねん) pp.97-100
  11. ^ (佐藤さとう 2006ねん) pp.27-28
  12. ^ 一方いっぽう佐藤さとうは、厳密げんみつ定義ていぎそのものが自動じどうをもたらすものであり、それは異化いか思想しそうはんするものだともべている (佐藤さとう 2006ねん) p.33
  13. ^ 松原まつばらあきらやく手法しゅほうとしての芸術げいじゅつ」『フォルマリズム : 詩的してき言語げんごろん』1988ねん、p.26
  14. ^ (大石おおいし 1988ねん) p.432

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 桑野くわのたかしソ連それん言語げんご理論りろん小史しょうし : ボードアン・ド・クルトネからロシア・フォルマリズムへ」さんいち書房しょぼう、1979ねん
  • 佐藤さとう千登勢ちとせ「シクロフスキイ規範きはん破壊はかいしゃ南雲なぐもどうフェニックス、2006ねん
  • 桑野くわのたかし大石おおいし雅彦まさひこへん「フォルマリズム : 詩的してき言語げんごろん国書刊行会こくしょかんこうかい、1988ねん
  • 水野みずの忠夫ただおへん「ロシア・フォルマリズム文学ぶんがく論集ろんしゅう. 1」せりか書房しょぼう、1971ねん
  • 水野みずの忠夫ただおへん「ロシア・フォルマリズム文学ぶんがく論集ろんしゅう. 2」せりか書房しょぼう、1982ねん