(Translated by https://www.hiragana.jp/)
川村晃 - Wikipedia コンテンツにスキップ

川村かわむらあきら

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
川村かわむら あきら
主婦しゅふ生活社せいかつしゃ主婦しゅふ生活せいかつだい21かんだい10ごう(1965)より
誕生たんじょう (1927-12-03) 1927ねん12月3にち
台湾たいわんよしみよし
死没しぼつ (1996-01-04) 1996ねん1がつ4にち(68さいぼつ
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
最終さいしゅう学歴がくれき 陸軍りくぐん航空こうくう通信つうしん学校がっこう
活動かつどう期間きかん 1959ねん - 1996ねん
ジャンル 小説しょうせつ
代表だいひょうさく美談びだん出発しゅっぱつ
おも受賞じゅしょうれき 芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけしょう
テンプレートを表示ひょうじ

川村かわむら あきら(かわむら あきら、1927ねん12月3にち - 1996ねん1がつ4にち)は日本にっぽん小説しょうせつ

人物じんぶつ

[編集へんしゅう]

日本にっぽん統治とうち時代じだい台湾たいわんよしみよし出身しゅっしん静岡しずおかけん沼津ぬまづそだち。静岡しずおか県立けんりつ沼津ぬまづ中学校ちゅうがっこうげん静岡しずおか県立けんりつ沼津ぬまづひがし高等こうとう学校がっこう在学ざいがくちゅう、1941ねん小説しょうせついて停学ていがく処分しょぶんとなり、以後いご奇矯ききょういのため放校ほうこうとなりかけ、陸軍りくぐん航空こうくう通信つうしん学校がっこう入学にゅうがく大阪おおさか飛行場ひこうじょう配属はいぞくされていたさい敗戦はいせんむかえる。 文学ぶんがくしょ耽読たんどくするが定職ていしょくなく、自殺じさつくわだて後遺症こういしょうのこす。1949ねん日本にっぽん共産党きょうさんとうはいる。筆耕ひっこう職人しょくにんとしてはたらく。58ねん離党りとう、59ねんより『文学ぶんがく四季しき』に作品さくひん発表はっぴょう子持こもちの女性じょせい同居どうきょする。60ねんより『文学ぶんがくがい』に小説しょうせつ発表はっぴょう

美談びだん出発しゅっぱつ」(「文學ぶんがくがい1962ねん3がつごう)が同人どうじん雑誌ざっし優秀ゆうしゅうさくとして『文學ぶんがくかい』に転載てんさいされ、1962ねん上半期かみはんきだい47かい芥川賞あくたがわしょう受賞じゅしょう小説しょうせつ執筆しっぴつのかたわら70ねんより毎日新聞まいにちしんぶん人生じんせい相談そうだん担当たんとうしテレビにも出演しゅつえん、レポーターなどをつとめる。76―78ねん週刊しゅうかん新潮しんちょう』に「くろ報告ほうこくしょ」を執筆しっぴつ。『こう1コース』『蛍雪けいせつ時代じだい』などに小説しょうせつ連載れんさいする。(『芥川賞あくたがわしょう全集ぜんしゅう年譜ねんぷより)

著書ちょしょ

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]