ひろしけん (小説しょうせつ)

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ひろしけん』(ふげん)は、石川いしかわあつし1936ねんいた高踏こうとうてき観念かんねん小説しょうせつ雑誌ざっし作品さくひん昭和しょうわ11ねん6がつごう - 9がつごう初出しょしゅつだいよんかい芥川賞あくたがわしょう受賞じゅしょうさく

ジャンヌ・ダルク題材だいざいにした大作たいさくこうとしている主人公しゅじんこうまわりでは、観念かんねん世界せかいでは立派りっぱなことをうが、現実げんじつ世界せかいではさけ博打ばくち薬物やくぶつモルヒネ)とろくなことをしない、窮乏きゅうぼうして、堕落だらくしているあたまでっかちな若者わかものあつまる。

あらすじ[編集へんしゅう]

ある事情じじょう一家いっか破産はさんした〈わたし〉は貧困ひんこんそこで、ふるいの政治せいじ評論ひょうろん坂上さかがみ青軒せいけん主催しゅさいする雑誌ざっし政論せいろん」に関係かんけいをつないだり、種々しゅじゅ評論ひょうろん作品さくひんいたりしてらしていた。

中世ちゅうせいフランスの、ジャンヌ・ダルクを讃仰さんぎょうする作品さくひんつくった女流じょりゅう詩人しじんクリスティヌ・ド・ピザン伝記でんきこうとする〈わたし〉が、垂井たるいしげ自宅じたくいちばんまったあきらくるあさから、物語ものがたりはじまる。

〈わたし〉はひょんなことから、さけびたりのあん文蔵ぶぞう、モルヒネ中毒ちゅうどくつま・おくみ鳥屋とりやおも田部たなべ彦介ひこすけ肋膜ろくまくつま久子ひさこち、骨董こっとうしょう寺尾てらお甚作、アパートのおんなぬし葛原くずはら安子やすことう底辺ていへんきる俗物ぞくぶつたちう。彼等かれらとの交流こうりゅうつうじて、様々さまざま世間せけん諸相しょそうを〈わたし〉はたりにする。

3ねんりにった文蔵ぶぞう凄惨せいさんにやつれており、かれいもうと・ユカリは非合法ひごうほう運動うんどうをする青年せいねん恋仲こいなかになり家出いえでしてしまう。おくみははきゅう電車でんしゃ轢死れきしし、呆気あっけなく火葬かそうされる。甚作はつまいてあらたにおつなというおんなつくるが、今度こんどはそのおつなしげられてしまう。安子やすこ青軒せいけん山ノ井やまのい飛行機ひこうき製作所せいさくしょてつくずはら入札にゅうさつけん斡旋あっせんもとめにくが上手うまくいかない。田部たなべつま・おくみ麻薬まやく摂取せっしゅつみ留置りゅうちしょはいり、出所しゅっしょあいだもなく、せこけた姿すがたおっと抱擁ほうようもとめてばす最中さいちゅう事切こときれる。

田部たなべかくしていたモルヒネの小瓶こびんはいつのにか見当みあたらなくなっており、文蔵ぶぞういもうと・ユカリはえき警察けいさつつかまり、連行れんこうされてしまう。〈わたし〉はくるしい市井しせい普賢菩薩ふげんぼさつ示現じげんすることをねがうが、そのねがいもむなしく、おつなひそかにホテルでたその翌日よくじつ仮宿かりやどかえってみると、安子やすこ梯子段はしごだんりて文蔵ぶぞう異変いへんらせ、文蔵ぶぞう部屋へやけつけてみれば、たたみうえ骸骨がいこつのぶっちがえのいたモルヒネの小瓶こびんころがっていた。

おも登場とうじょう人物じんぶつ[編集へんしゅう]

〈わたし〉
ぼう私立しりつ大学だいがく中退ちゅうたいし、一家いっか破産はさん貧困ひんこんそこでペンだけで生計せいけいててこうとする。
垂井たるい茂市もいち
つい半年はんとしまえまでぼう喜劇きげきだん幹部かんぶ役者やくしゃ雑用ざつようをしていたおとこうしたて幹部かんぶ役者やくしゃ一座いちざ脱退だったいしてからは関西かんさいち、無尽むじん会社かいしゃつとめることになった。後半こうはんで、甚作の愛人あいじん・おつな関係かんけいったことが判明はんめいする。
あん文蔵ぶぞう
鼈甲べっこうえん眼鏡めがねをかけた美貌びぼうおとこで、〈わたし〉とともぼう私立しりつ大学だいがく中退ちゅうたいむねびょう喀血かっけつしたことがある。中退ちゅうたいは、北海道ほっかいどう東京とうきょう転々てんてんをしている。
ユカリ
文蔵ぶぞういもうとぼうミッションスクールを卒業そつぎょうしてからは非合法ひごうほう運動うんどう青年せいねんとも家出いえでしてしまう。ひそかに〈わたし〉がジャンヌ・ダルクや普賢菩薩ふげんぼさつのように崇高すうこう存在そんざいとしてしたっていた存在そんざい
田部たなべ彦介ひこすけ
鳥屋とりやけん長屋ながやしゅとして生計せいけいてる35・6のおとこつまのモルヒネの注射ちゅうしゃだい自身じしんべい相場そうば投機とうき生計せいけい破綻はたんしかかっている。
くみ
もと信州しんしゅうぼう温泉おんせんまち芸者げいしゃで、持病じびょう胃痙攣いけいれんかせないモルヒネの中毒ちゅうどくになってしまう。終日しゅうじつ座敷ざしきおく寝込ねこんでいる。
寺尾てらお甚作
しば愛宕下あたごした骨董こっとうしょう「驊騮きょ」の主人しゅじん息子むすこで、のうつくっている。つま久子ひさこほかおんな(おつな)をつくるも、しげうばわれてしまい、断腸だんちょうおもいをいだく。
葛原くずはら安子やすこ
田部たなべいで最近さいきんあらたに田部たなべわって〈わたし〉の宿やど主人しゅじんになったなか年女としおんな化粧けしょうい。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 石川いしかわあつしひろしけん佳人かじん講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ〉、1995ねん5がつISBN 4-06-196320-1