(Translated by https://www.hiragana.jp/)
洪水はわが魂に及び - Wikipedia コンテンツにスキップ

洪水こうずいはわがたましいおよ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

洪水こうずいはわがたましいおよ』(こうずいはわがたましいにおよび)は日本にっぽん小説しょうせつ大江おおえ健三郎けんざぶろう純文学じゅんぶんがく長編ちょうへん小説しょうせつ1973ねん新潮社しんちょうしゃより「純文学じゅんぶんがく書下かきおろし特別とくべつ作品さくひん」として出版しゅっぱんされた。だい26かい野間のま文芸ぶんげいしょう受賞じゅしょう

概要がいよう

[編集へんしゅう]
  • ほんさくは、新潮社しんちょうしゃの「純文学じゅんぶんがくろし特別とくべつ作品さくひん」として上下じょうげかんはこりで出版しゅっぱんされているが、そのはこには以下いか著者ちょしゃのメッセージがしるされている。
ぼくろく年代ねんだい後半こうはんから、なな年代ねんだいはじめにかけてこの小説しょうせついた。現実げんじつふかくからみとられているぼくが、あらためてこの時代じだい想像そうぞうりょくてきなおす。それがすなわち小説しょうせつくことなのであった。いまや「だい洪水こうずい」が目前もくぜんにせまっているというこえは、一般いっぱんてきとなっている。そのとき想像そうぞうりょくてききなおす、ということは現実げんじつてき意味いみがあるであろう。 著者ちょしゃ
ぼく遠方えんぽうからおしよせる「だい洪水こうずい」の水音みずおとを、ふたつの世代せだい人間にんげん想像そうぞうりょくのうちに、またかれらの行為こうい実存じつぞんのうちに、きょうふるえするひびきをつうじてとらえようとした。その、しだいに増大ぞうだいするコダマは、ついに全的ぜんてきなカタストロフィを構成こうせいせざるをえない。しかもなおそれをびる、人間にんげん赤裸せきら意志いしひかりにおいて、ぼくは「だい洪水こうずい」をらしだすことをのぞんだのである。 著者ちょしゃ
  • ほんさく表題ひょうだい旧約きゅうやく聖書せいしょ詩篇しへんかみよねがはくはをすくひたまへ 大水おおみずながれきたりてがたましひにまでおよべり 〉にっている。結末けつまつきながら作家さっか連想れんそうしていたのは旧約きゅうやく聖書せいしょヨナしょの 〈ヨナぎょはらうちよりそのかみエホバにいのり禱て 曰けるはわれ患難のなかよりエホバをびしにかれわれにこたへたまへり 〉だという[1]
  • 1990年代ねんだいなかばの「大江おおえ健三郎けんざぶろう小説しょうせつ」(新潮社しんちょうしゃ)の刊行かんこう、その販促はんそくようのパンフレットにおいて、大江おおえ自作じさく解説かいせつとして「わたしは、この世界せかいおわり、というつよかんにとりつかれていたのだった。『洪水こうずいはわがたましいおよび』は、ひとつの悲劇ひげきとして、『ピンチランナー調書ちょうしょ』は、喜劇きげきとして、しかしそれぞれにせまってくる緊張きんちょうかんなかいた」と回想かいそうしている[2]
  • ほんさくは、息子むすこ大江おおえひかり存在そんざいから影響えいきょうけた作品さくひんぐんひとつである。主人公しゅじんこう大木おおきいさむぎょ息子むすこのジンは、とりこえをききわけること出来できとりこえくと「─センダイムシクイ、ですよ。」などととりてて父親ちちおや報告ほうこくする。これは大江おおえひかり幼少ようしょう実際じっさい行動こうどうをとって作品さくひんかしている。

あらすじ

[編集へんしゅう]

大木おおきいさむぎょ息子むすこ知的ちてき障害しょうがいのある幼児ようじジンとともに、社会しゃかいから逃避とうひし、東京とうきょう郊外こうがいかく避難ひなんしょあともり、瞑想めいそうによって「樹木じゅもくたましい」「くじらたましい」と交感こうかんしてらしている。

勇魚いさなは「自由じゆう航海こうかいだん」の若者わかものたちに出会であう。「自由じゆう航海こうかいだん」は、たるカタストロフにそなえた集団しゅうだん訓練くんれんおこなう、社会しゃかいにうまく適応てきおうできなかった夢想むそうてき少年しょうねんたちである。

あるきっかけから「自由じゆう航海こうかいだん」メムバーのおんな伊奈いなとジンはしんかよわせるようになる。勇魚いさなは「自由じゆう航海こうかいだん」リーダーの喬木きょうぼくと「くじら」についてはなしをする。勇魚いさなと「自由じゆう航海こうかいだん」は徐々じょじょけていく。

勇魚いさなが、つまちちである保守ほしゅけい大物おおもの政治せいじかい」(け)の個人こじん秘書ひしょであったときおかしたつみを「自由じゆう航海こうかいだん」のメムバーにけたことで、かれらから信頼しんらいされて仲間なかまとなる。勇魚いさなは「自由じゆう航海こうかいだん」における「言葉ことば専門せんもん」として『カラマーゾフの兄弟きょうだい』の講読こうどくおこない、少年しょうねんらを教育きょういくする。

自由じゆう航海こうかいだん」は、自分じぶんたちの情報じょうほうをマスメディアにったカメラマン、ちぢおとこ尋問じんもんちゅう殺害さつがいしてしまう。「自由じゆう航海こうかいだん」の存在そんざいおおやけになると、かく避難ひなんしょ機動きどうたい包囲ほういされて銃撃じゅうげきせんへと発展はってんする。

勇魚いさなはジン、ドクター、伊奈いな喬木きょうぼくかく避難ひなんしょから脱出だっしゅつさせ、多麻たまきちとも最後さいごまで篭城ろうじょうつづける。

そのなか勇魚いさなは、みずからが自認じにんする樹木じゅもくくじら代理人だいりにんとは僭称せんしょうぎず、それらをころさんとたばか人々ひとびとおながわ人間にんげんであったことさとる。そして機動きどうたい放水ほうすいによってみずたされるかく避難ひなんしょなかで「樹木じゅもくたましい」と「くじらたましい」に最後さいご挨拶あいさつおくる。「すべてよし!

自由じゆう航海こうかいだん」の主要しゅようメムバー

[編集へんしゅう]
  • 喬木たかぎ - 自由じゆう航海こうかいだんのリーダー。メムバーのなかでは比較的ひかくてき冷静れいせいほう人物じんぶつ最後さいご伊奈いなとジンととも機動きどうたい投降とうこうする。
  • ボオイ - 直情径行ちょくじょうけいこうがた人物じんぶつ自由じゆう航海こうかいだん拠点きょてん解体かいたいする人夫にんぷをブルドーザーで攻撃こうげきし、撲殺ぼくさつされる。
  • 伊奈いな - 性的せいてき奔放ほんぽう性格せいかく。ジンのおやく
  • ちぢおとこ - 自分じぶんちぢみつつあると妄想もうそうする人物じんぶつ。メムバーの写真しゃしん雑誌ざっししゃんだかどでリンチをけてぬ。
  • 赤面せきめん - あだはすぐにかおあかくなることから。最後さいごにダイナマイトで自爆じばくして死亡しぼう
  • 多麻たまきち - 自由じゆう航海こうかいだんのサブリーダーてき存在そんざい性格せいかくはげしい。最後さいごまでシェルターに勇魚いさなともこめる。
  • 無線むせん技士ぎし - あだとおりの役割やくわり。シェルターのうえのアンテナをなおそうと屋上おくじょうるも機動きどうたい射殺しゃさつされる。
  • ドクター - あだとおりの役割やくわり。ジンの水疱瘡みずぼうそう治療ちりょうしたり、催涙さいるいだん負傷ふしょうした治療ちりょうになう。

評価ひょうか

[編集へんしゅう]

大岡おおおか昇平しょうへい野間のま文芸ぶんげいしょう選評せんぴょうとしてこうべている。「「『洪水こうずいはわがたましいおよび 』をします。題材だいざい一貫いっかんせいがあり、あふ想像そうぞうりょくによって統制とうせいされた世界せかい現出げんしゅつしています。文体ぶんたいびがあり、小説しょうせつたのしさをかんじました。一作いつさくごとに現代げんだいてきなテーマをえらび、全力ぜんりょく投球とうきゅうする作者さくしゃ姿勢しせい敬意けいいかんじました。『万延まんえん元年がんねんのフットボール 』以来いらいろくねんりで、あたらしい価値かち創造そうぞうしたので、授賞じゅしょうにふさわしいとおもいます」蛇足だそくをつけくわえれば、「いのり」がこのたび作品さくひんあらわれたあたらしい要素ようそであり、「ジン」というアラビヤンナイトてき名前なまえった小児しょうにひじりせいが、作品さくひん全体ぜんたいになんともいえない神秘しんぴひかりをみなぎらせているのに魅惑みわくされた。」[3]

出版しゅっぱん

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ すことによってく 」『文学ぶんがくノート』(新潮社しんちょうしゃ所収しょしゅう
  2. ^ 大江おおえ健三郎けんざぶろう 自作じさく解説かいせつ」ウェブサイト「わたしなかえないほのお
  3. ^ 大江おおえ健三郎けんざぶろう作家さっか自身じしんかたる』(新潮社しんちょうしゃ