(Translated by https://www.hiragana.jp/)
憂国 - Wikipedia コンテンツにスキップ

憂国ゆうこく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
憂國ゆうこく
わけだい Patriotism
作者さくしゃ 三島みしま由紀夫ゆきお
くに 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
ジャンル 短編たんぺん小説しょうせつ
発表はっぴょう形態けいたい 雑誌ざっし掲載けいさい
初出しょしゅつ情報じょうほう
初出しょしゅつ小説しょうせつ中央公論ちゅうおうこうろん
1961ねんがつ・3ごう冬季とうきごう
出版しゅっぱんもと 中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ
刊本かんぽん情報じょうほう
刊行かんこう憂國ゆうこく 映画えいがばん
新潮社しんちょうしゃ 1966ねん4がつ10日とおか
収録しゅうろくスタア新潮社しんちょうしゃ 1961ねん1がつ30にち
ウィキポータル 文学ぶんがく ポータル 書物しょもつ
テンプレートを表示ひょうじ

憂国ゆうこく』(ゆうこく)は、三島みしま由紀夫ゆきお短編たんぺん小説しょうせつ原題げんだいきゅう漢字かんじの『憂國ゆうこく』である。

仲間なかまから蹶起けっきさそわれなかった新婚しんこん中尉ちゅういが、叛乱はんらんぐんとされた仲間なかまぎゃく討伐とうばつせねばならなくなった立場たちば懊悩おうのうし、つまとともに心中しんちゅうのする物語ものがたり三島みしま代表だいひょうさくひとつで、二・二六事件ににろくじけん外伝がいでんてき作品さくひんである[1]1961ねん昭和しょうわ36ねん)1がつ小説しょうせつ発表はっぴょうの4ねんには、三島みしま自身じしん監督かんとく主演しゅえんなどをつとめた映画えいが制作せいさくされ、ツール国際こくさい短編たんぺん映画えいがさい劇映画げきえいが部門ぶもんだい2受賞じゅしょうした[2][3]

大義たいぎじゅんずるもの至福しふく主題しゅだいに、皇軍こうぐんへの忠義ちゅうぎしたエロティシズムおびただしい流血りゅうけつ痛苦つうくをともなう割腹かっぷく自殺じさつ克明こくめいえがかれている[4][5]60ねん安保あんぽという時代じだい背景はいけいともに「精神せいしん肉体にくたい認識にんしき行動こうどう問題もんだい」をあらためて思考しこうするようになっていた三島みしまが、そのはん時代じだい傾向けいこう前面ぜんめんあらわにした転換てんかんてき作品さくひんである[5][6]

発表はっぴょう経過けいか

[編集へんしゅう]

1961ねん昭和しょうわ36ねん)1がつ雑誌ざっし小説しょうせつ中央公論ちゅうおうこうろん』3ごう冬季とうきごうの〈現代げんだい代表だいひょう作家さっかじゅうにん創作そうさくしゅう〉に掲載けいさいされ、同年どうねん1がつ30にち新潮社しんちょうしゃより刊行かんこうたん編集へんしゅうスタア』に収録しゅうろくされた[7][8][9][注釈ちゅうしゃく 1]。のち1966ねん昭和しょうわ41ねん)6がつ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃより刊行かんこうの『英霊えいれいこえ』にも、戯曲ぎきょく十日とおかきく』ととも二・二六事件ににろくじけんさんさくとしてまとめられた。なお、この刊行かんこうにあたって、当時とうじ実状じつじょうをよく加盟かめい将校しょうこう1人ひとり当時とうじ陸軍りくぐん歩兵ほへい大尉たいい)の末松すえまつ太平たへいからの助言じょげんにより、「近衛このえ輜重しちょうへい大隊だいたい」を「近衛このえあゆみへいだいいち聯隊れんたい」にあらためた[4][注釈ちゅうしゃく 2]

文庫ぶんこばんとしては、1968ねん昭和しょうわ43ねん)9がつ15にち新潮しんちょう文庫ぶんこより刊行かんこうの『はなざかりのもり憂国ゆうこく――自選じせんたん編集へんしゅう』に収録しゅうろくされた[8][9]。その1997ねん平成へいせい9ねん)に『中央公論ちゅうおうこうろん』11月・臨時りんじ増刊ぞうかんごうの〈激動げきどう昭和しょうわ文学ぶんがく〉にさい掲載けいさいされた[9]翻訳ほんやくばんはGeoffrey W. Sargentやくえいだい:Patriotism)をはじめ、世界せかい各国かっこくおこなわれている[11]

1965ねん昭和しょうわ40ねん)4がつには、自身じしん製作せいさく監督かんとく主演しゅえん脚色きゃくしょく美術びじゅつつとめた映画えいが憂國ゆうこく』が製作せいさくされた。映画えいが翌年よくねん1966ねん昭和しょうわ41ねん)1がつ、ツール国際こくさい短編たんぺん映画えいがさい劇映画げきえいが部門ぶもんだい2となり、同年どうねん4がつからなされた日本にっぽんでの一般いっぱん公開こうかい話題わだいび、アートけい映画えいがでは記録きろくてきなヒットとなった[3][12]。また同時どうじ映画えいが製作せいさく過程かてい写真しゃしんなどを収録しゅうろくした『憂國ゆうこく 映画えいがばん』も1966ねん4がつ10日とおか新潮社しんちょうしゃより刊行かんこうされた[8][13]

作品さくひん概要がいよう主題しゅだい

[編集へんしゅう]

憂国ゆうこく』は簡素かんそ構成こうせいと、〈おおきなはち満々まんまんたたえ(たた)へられたちちのやうで〉といった、はだしろさ(つまはだうつくしさ)をあらわ官能かんのうてき描写びょうしゃや、克明こくめいえがかれる切腹せっぷく迫真はくしんさで、短編たんぺんながら注目ちゅうもくされた作品さくひんで、三島みしま自身じしんも、〈小品しょうひんながら、わたしのすべてがこめられている〉とし[1]、「もし、いそがしいひとが、三島みしま小説しょうせつなかからいちへんだけ、三島みしまのよいところわるいところすべてを凝縮ぎょうしゅくしたエキスのやうな小説しょうせつみたいともとめたら、『憂国ゆうこく』のいちへんをよんでもらえばよい」と晩年ばんねんにもかえしている[14]

憂国ゆうこく』は、エロティシズム直結ちょっけつさせるジョルジュ・バタイユの『エロティシズム』につうじる作品さくひん構造こうぞうとなっている[15]。そこにえがかれる〈あい光景こうけいエロス大義たいぎとの完全かんぜん融合ゆうごう相乗そうじょう作用さようは、わたしがこの人生じんせい期待きたいする唯一ゆいいつ至福しふく〉と三島みしまかた[14]、その映画えいがのねらいについては、以下いかのように説明せつめいしている[2]

日本人にっぽんじんのエロースがといかにしてむすびつくか、しかも一定いっていついめられた政治せいじてき状況じょうきょうにおいて、正義まさよしに、あるひはその政治せいじてき状況じょうきょうじゅんじるために、エロースがいかに最高さいこうかたちをとるか、そこに主眼しゅがんがあつたのである。 — 三島みしま由紀夫ゆきお製作せいさく意図いとおよ経過けいか」(『憂國ゆうこく 映画えいがばん』)[2]

登場とうじょう人物じんぶつ青年せいねん将校しょうこうや、そのつまについては、〈かれはただ軍人ぐんじん、ただ大義たいぎじゅんずるもの、ただモラルのために献身けんしんするもの、ただ純粋じゅんすい無垢むく軍人ぐんじん精神せいしん権化ごんげでなければならなかつた〉、〈彼女かのじょこそ、まさに昭和しょうわじゅう年代ねんだい平凡へいぼん陸軍りくぐん中尉ちゅうい自分じぶんつまこそは世界一せかいいち美人びじんだとおもふやうな、素朴そぼくであり、おんならしく、しかも情熱じょうねつをうちにめた女性じょせいでなければならなかつた〉としている[2]

また、三島みしまは『憂国ゆうこく』を、『少年しょうねん』、『うみゆうしょう』とともに〈わたしにとつてもつとも切実せつじつ問題もんだいめたもの〉としているが、そういった主題しゅだい問題もんだいせいなどに斟酌しんしゃくせずに、物語ものがたりとしてたのしんでもらえればよいとして、〈げんある銀座ぎんざバアマダムは、『憂国ゆうこく』をまった春本しゅんぽんとしてみ、いちばんねむれなかったと告白こくはくした〉というはなし紹介しょうかいしている[14]

あらすじ

[編集へんしゅう]

昭和しょうわ11ねん2がつ28にち二・二六事件ににろくじけん蹶起けっきをした親友しんゆうたちを叛乱はんらんぐんとして勅命ちょくめいによってたざるをえない状況じょうきょうたされた近衛このえ歩兵ほへいいち聯隊れんたい勤務きんむ武山たけやま信二しんじ中尉ちゅうい懊悩おうのうすええらぶことを新婚しんこんつま麗子れいこつたえる。すでに、どんなことになろうとおっとのち覚悟かくごができていた麗子れいこはたじろがず、ともえらぶことを決意けついする。そしてまでのみじかあいだおっととも濃密のうみつ最期さいごいとなみのときごす。そして、2人ふたり身支度みじたくととの遺書いしょいたのちおっと切腹せっぷく立会たちあい、みずからも咽喉いんこうり、う。

登場とうじょう人物じんぶつ

[編集へんしゅう]
武山たけやま信二しんじ
30さい近衛このえ歩兵ほへいいち聯隊れんたい勤務きんむ中尉ちゅうい凛々りりしい顔立かおだちで、まゆ美男びなん四谷よつや青葉あおばまち6に新婚しんこんつま居住きょじゅう
麗子れいこ
23さい信二しんじつま。やさしいまゆしたのつぶらな、ほっそりとしたかたちのよいはな、ふくよかなくちびるあでやかさと高貴こうきとがある美女びじょ

モデルの推察すいさつ

[編集へんしゅう]

三島みしま由紀夫ゆきお自身じしん解説かいせつには、特定とくていだれかをモデルにしたという記述きじゅつはなく、河野こうのひさし大尉たいいをモデルにしたのではないかという自衛隊じえいたいいん読者どくしゃからの手紙てがみにも、「特定とくていのモデルはおりません」と返信へんしんしているという[16]。なお、二・二六事件ににろくじけんのちには、叛乱はんらんぐん野中のなか四郎しろう大尉たいいや、皇軍こうぐん天野あまの武雄たけお少佐しょうさなどのほか以下いかのような『憂国ゆうこく』の主人公しゅじんこうおなじようなをした人物じんぶつもあった[9][17]

近衛このえ輜重しちょうへい大隊だいたい輜重しちょうへい中尉ちゅうい青島あおしま健吉けんきち(31)が、2がつ29にちあさ自宅じたくである偕行社かいこうしゃ社宅しゃたくにおいてつま喜美子きみこ(23)とともに切腹せっぷく自殺じさつしているのが発見はっけんされた。事件じけん発生はっせいから不眠ふみん不休ふきゅう任務にんむにあたっていたが、消耗しょうもうられたため前日ぜんじつ休養きゅうようめいじられ帰宅きたくしたのちだった[17]

和田わだ克徳かつのりちょの『切腹せっぷく』によれば、青島ちんたお中尉ちゅうい親友しんゆう叛乱はんらんぐん加入かにゅうしていたために、相撃あいうつことになることになやみ、「彼等かれらがその行為こうい責任せきにんかんじてすみやかに自決じけつすること」をのぞんでいたにもかかわらずに、彼等かれらが「叛乱はんらん汚名おめいせられ、あきらくればどんな事態じたいいたるかもれぬといふことをかんがへたあまり、によつて一切いっさい清算せいさんすること」を決意けついしての夫妻ふさいそろっての自決じけつであったという[17]つま遺書いしょには「軍人ぐんじんつまとしてきたるべきまいりました」としるされている[17]

三島みしまは、いのあったもと青年せいねん将校しょうこう当時とうじ陸軍りくぐん歩兵ほへい大尉たいい)からの指摘してきけて、主人公しゅじんこう所属しょぞくを「近衛このえ輜重しちょうへい大隊だいたい」から「近衛このえ歩兵ほへいいち聯隊れんたい」に変更へんこうした[4]事件じけん当時とうじ蹶起けっきはぐれ青年せいねん将校しょうこう歩兵ほへい将校しょうこうおおく、輜重しちょうへいなどありないとの意見いけんだった。輜重しちょうへいでは聯隊れんたいがなく、作中さくちゅう描写びょうしゃわないということもわかり、未練みれんはあったが変更へんこうした[4]

作品さくひん評価ひょうか研究けんきゅう

[編集へんしゅう]

憂国ゆうこく』は、三島みしま初期しょき作品さくひんから内包ないほうされていた認識にんしき行為こうい精神せいしん肉体にくたい内側うちがわ外側そとがわ一体化いったいかといった「二元論にげんろん」の解消かいしょう克服こくふくといった「存在そんざいろんてきい」、〈至上しじょう肉体にくたいてき快楽かいらく至上しじょう肉体にくたいてき苦痛くつうが、同一どういつ原理げんりした統括とうかつされ、それによつて至福しふく到来とうらいまねく〉[4]といった志向しこう根源こんげんてき情念じょうねん、あるいははん時代じだいてき情熱じょうねつあらわになった転換てんかんてき作品さくひんとして論究ろんきゅうされることがおお[18][6]三島みしま文学ぶんがくにとって重要じゅうよう作品さくひんであるが、発表はっぴょうされた時期じき60ねん安保あんぽ翌年よくねんの1961ねん昭和しょうわ36ねん)ということもあり、存命ぞんめいちゅうとおして皇国こうこくてき内容ないようなどから嫌悪けんおしめ評者ひょうしゃもいた。

一方いっぽう肯定こうていてき論評ろんぴょうでは、山本やまもと健吉けんきちなどに代表だいひょうされるように、三島みしますめらぎどう主義しゅぎわか男女だんじょなかに、「思考しこう停止ていしニヒリストてき世界せかい」における「よし」「魅惑みわく」の「造形ぞうけい」をこころみ、「現代げんだいじんひとつのカタルシスをもたらそうとしている」ととら[19]否定ひていてきなものでは、「才気さいきあふれた有能ゆうのう作家さっか」の三島みしまが、「とてつもなくおおきな錯誤さくご陥穽かんせいにおちこんでいる」ため、はやく「危険きけん地帯ちたい」を脱出だっしゅつしてほしいと古林ふるばやししょう提言ていげん[20]花田はなた清輝きよてるは「こういう小説しょうせつ非常ひじょうにくだらない」とだんじている[21]。この花田はなた発言はつげんについては具体ぐたいてき論点ろんてん不明ふめいなため、神谷かみや忠孝ただたかは、「花田はなた真意しんいがどこにあったかについてはまだ研究けんきゅうされていない」と説明せつめいしている[22]

野口のぐち武彦たけひこは、『憂国ゆうこく』の切腹せっぷく描写びょうしゃや、情念じょうねんエロティシズムマゾヒスティック化合かごう根源こんげんに、「江戸えど頽唐たいとうデカダンス芸術げいじゅつ」があることや、文体ぶんたいに「爛熟らんじゅく江戸えど歌舞伎かぶき草双紙くさぞうし」の感受性かんじゅせいつうじていることを指摘してき[23]田中たなか美代子みよこも、浄瑠璃じょうるり心中しんちゅうのといった「日本人にっぽんじん深層しんそうにひそむ美意識びいしきを、もっとも暴露ばくろてき仕方しかたで、したもの」が『憂国ゆうこく』だと解説かいせつしている[24]。また田中たなかは、蹶起けっきからはずされた中尉ちゅうい境遇きょうぐうアイロニカル至福しふく賛美さんびすることにより、「歴史れきし彼方かなたほうむられた無数むすう犬死いぬじに、かつて栄光えいこうしんじて栄光えいこうから見捨みすてられた人々ひとびと痛恨つうこん」の救済きゅうさいこころみている作品さくひんだと考察こうさつしている[24]

伊藤いとう勝彦かつひこは、三島みしまが『憂国ゆうこく』において、あらわにはん時代じだいてき嗜好しこう情熱じょうねつしめしたことについて、「戦後せんご精神せいしんたいする拒絶きょぜつ姿勢しせいをはっきりひょうしたのである」とし[6]、それまでは嫌々いやいやながらも、「戦後せんご日常にちじょう生活せいかつとの〈軽薄けいはく交際こうさい〉をつづけ、否定ひていしながらそこからなんらかの利得りとくをえてくらしてきた」三島みしまが、『憂国ゆうこく以降いこう、「思想しそうじゅんじて人間にんげん至上しじょううつくしさ」を主題しゅだいにするようになったが、それは思想しそうそのものをあつかったのではなく、「〈にいたるまでのせい称揚しょうよう〉(バタイユ)としてのエロティシズムの」がえがかれていると解説かいせつしている[6]

江藤えとうあつしは、エロティシズムと政治せいじ関係かんけい主題しゅだいにした『憂国ゆうこく』を「三島みしまかずある作品さくひんのなかでも秀作しゅうさくのひとつにかぞえられるもの」とし、以下いかのように解説かいせつしている[25]

作者さくしゃ目的もくてきは、中尉ちゅうい夫人ふじんが「大義たいぎじゅんずる」という公的こうてきに「きよし」されたよろこびのために、「わたし」のわくえて一層いっそうたかがるせい歓楽かんらくをつくす――そしてその光芒こうぼうあかるさは、正確せいかく前提ぜんていとされる「自害じがい」という事実じじつくらさに比例ひれいする、という過程かてい出来できるかぎり細密さいみつにたどるところにあるからである。「帝国ていこく陸軍りくぐん叛乱はんらんという政治せいじてき非常時ひじょうじ頂点ちょうてんを、「政治せいじ」の側面そくめんからではなく「エロティシズム」の側面そくめんからとらえようという、三島みしまアイロニイ構成こうせい意図いとは、ここで見事みごと成功せいこうしている。割腹かっぷくしたおっとがえをあびて白無垢しろむくべにめた中尉ちゅうい夫人ふじんが、にすべるしろ足袋たびをふみしめて化粧けしょう姿すがたなどは、三島みしまりゅうのエロティシズムの極致きょくちともいえるにちがいない。 — 江藤えとうあつし「エロスと政治せいじ作品さくひん[25]

磯田いそだ光一こういちは、「鴎外おうがい以来いらい、〈よし〉のための殉教じゅんきょうをこれだけの密度みつどをもってえがした作品さくひんはないだろう」と[26]、「のリアリティの問題もんだいを、第三者だいさんしゃしんへのはんおうとしてではなく、直接ちょくせつえらもの内側うちがわはいってえがいた」作品さくひんとして評価ひょうかし、バタイユへの共鳴きょうめいがあることを指摘してきしている[15]

鎌田かまたひろは、三島みしまが『憂国ゆうこく執筆しっぴつまえいたバタイユちょ「エロティシズム」の書評しょひょう[27]れながら『憂国ゆうこく』との関係かんけいろんじ、そこにおいて三島みしまは、「生殖せいしょく連続れんぞくせいをこの思想しそう核心かくしんをしてとらえているばかりではなく、連続れんぞくせいなまおよび生活せいかつ解体かいたいという、そのラディカル作用さよう可能かのうせい着目ちゃくもくしている」とし[28]三島みしまがバタイユに共感きょうかんせる、おおきな理由りゆうひとつとして、この思想しそう核心かくしんに、「〈われわれのせい〉の限定げんていせい三島みしまによれば、それは同時どうじ連続れんぞくせいえることができない主知しゅち主義しゅぎ限界げんかい)」をやぶる、「あらたな原理げんりてき可能かのうせい」を三島みしまいだしていると解説かいせつしている[28]

佐々木ささき幸綱ゆきつなは、『憂国ゆうこく』における武山たけやま中尉ちゅういいえの1かいには日常にちじょうがあり、2かいには日常にちじょうがあると分析ぶんせきしながら[29]、その「反発はんぱつする両極りょうきょくせるなにか」は、「〈絶対ぜったいてきちからったなにか」でなければならないとし[29]三島みしまはその〈絶対ぜったいてきちからなにかとして「片恋かたこい」を想定そうていしたと解説かいせつしている[29]。そして、「天皇てんのうへの片恋かたこいつまへの片恋かたこい、さらには状況じょうきょうへの片恋かたこい強烈きょうれつ意志いしてき片恋かたこい」のまえには「きょくという〈絶対ぜったい〉」も相対そうたいされるとし[29]、「片恋かたこいつらぬとおすことさえできるならば、そこでは、せいも、おとこおんなも、肉体にくたい精神せいしんも、永遠えいえん瞬間しゅんかんも、政治せいじせいも、おおやけわたしも、日常にちじょう日常にちじょうも、清潔せいけつわいせつも、せいどうも、ほのおゆきも、主観しゅかんてきかさわせることが可能かのうである」と論考ろんこうしている[29]

映画えいが

[編集へんしゅう]
憂國ゆうこく
Patriotism
監督かんとく 三島みしま由紀夫ゆきお
脚本きゃくほん 三島みしま由紀夫ゆきお
原作げんさく 三島みしま由紀夫ゆきお憂國ゆうこく
製作せいさく 三島みしま由紀夫ゆきお藤井ふじい浩明ひろあき
製作せいさくそう指揮しき 三島みしま由紀夫ゆきお
出演しゅつえんしゃ 三島みしま由紀夫ゆきお鶴岡つるおか淑子としこ
音楽おんがく ワグナー(『トリスタンとイゾルデ
撮影さつえい 渡辺わたなべ公夫きみお
配給はいきゅう 東宝とうほう日本にっぽんATG
公開こうかい 日本の旗1966ねん4がつ12にち
上映じょうえい時間じかん 28ふん(モノクロ)
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
製作せいさく 120まんえん[30]
テンプレートを表示ひょうじ

憂國ゆうこく』(自主じしゅ製作せいさく配給はいきゅう東宝とうほう日本にっぽんATG) 1966ねん昭和しょうわ41ねん)4がつ12にち封切ふうきり

※ 1966ねん昭和しょうわ41ねん)1がつ、ツール国際こくさい短編たんぺん映画えいがさい出品しゅっぴん劇映画げきえいが部門ぶもんだい2受賞じゅしょう
東宝とうほう日本にっぽんATG共同きょうどう配給はいきゅうは6がつ15にちより。
写真しゃしんしゅう撮影さつえい台本だいほん:『憂國ゆうこく 映画えいがばん』(新潮社しんちょうしゃ、1966ねん4がつ10日とおか)-古書こしょ非常ひじょう高価こうか

2005ねん平成へいせい17ねん)8がつ、それまで現存げんそんしないとわれた『憂国ゆうこく』のネガフィルムが、三島みしま自宅じたく現在げんざい長男ちょうなん平岡ひらおか威一郎いいちろうやしき)で発見はっけんされたことがほうじられ、話題わだいんだ[3]映画えいが憂国ゆうこく』は、三島みしま事件じけん自決じけつ予感よかんさせるような切腹せっぷくシーンがあるため、瑤子ようこ夫人ふじん忌避きひし、三島みしまのちの1971ねん昭和しょうわ46ねん)に、瑤子ようこ夫人ふじん要請ようせいにより上映じょうえいようフィルムは焼却しょうきゃく処分しょぶんされた。しかし共同きょうどう製作せいさくしゃ藤井ふじい浩明ひろあきの「ネガフィルムだけはどうかのこしておいてほしい」という要望ようぼうで、瑤子ようこ夫人ふじんひそかに自宅じたく保存ほぞんし、ちゃばこなかにネガフィルムのほか、映画えいが憂国ゆうこく』にかんするすべての資料しりょう数個すうこのケースにきちんと分類ぶんるいされおさめられていた[3]

ネガフィルムの存在そんざいなかあきらめていた藤井ふじい浩明ひろあきはそれを発見はっけんしたときのことを、「そこには主人しゅじん三島みしま)にたいする愛情あいじょう尊敬そんけいがこめられていた。ふるえるほどの感動かんどうわたしちつくしていた」とかたっている[3]。これらネガフィルムや資料しりょうは1995ねん平成へいせい7ねん)に夫人ふじん死去しきょしたすうねん発見はっけんされていた[3]映画えいがDVDは2006ねん平成へいせい18ねん)4がつ東宝とうほう販売はんばいされ、どう時期じき新潮社しんちょうしゃの『決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう別巻べっかん映画えいが憂国ゆうこく」』にも、DVDと写真しゃしん解説かいせつ所収しょしゅうされた。

キャスト

[編集へんしゅう]

スタッフ

[編集へんしゅう]

映画えいが評価ひょうか

[編集へんしゅう]

憂国ゆうこく』はツール国際こくさい短編たんぺん映画えいがさい劇映画げきえいが部門ぶもんだい2となったが、そのとき評価ひょうか賛否さんぴ両論りょうろんあり、なかには「ショックをあたえることをねらった露出ろしゅつ趣味しゅみ」という映画えいが評論ひょうろん・ジョルジュ・サドゥールの辛口からくちひょうもあったが[31]、『ヌーヴェル・レプブリック』のベルナアル・アーメルは、『憂国ゆうこく』を「真実しんじつな、みじかい、兇暴きょうぼう悲劇ひげき」とし、近代きんだいされた「のう」の形式けいしきなかに「ギリシア悲劇ひげきあるるものを、永遠えいえんを、すなわちあいをそのなかにはらんでいる」とひょうし、以下いかのように解説かいせつしている[2]

おどろくべきことに、ワグナー(『トリスタンとイゾルデ』)はこの日本にっぽん影像えいぞう(イメージ)にもっとふか調和ちょうわしている。そしてこの日本にっぽん影像えいぞうつ、にくてきであると同時どうじ宗教しゅうきょうてきなリズムは、西洋せいようのこれまでにつくたもっともうつくしい至福しふくうた旋律せんりつ構成こうせいに、すこぶる密接みっせつ癒着ゆちゃくしているのである。 — ベルナアル・アーメル「ヌーヴェル・レプブリック」[2]

また、フランスの一般いっぱん観客かんきゃくから、「良人りょうじん切腹せっぷくしているあいだつまがいうにいわれない悲痛ひつう表情ひょうじょうでそれを見守みまもりながら、しかも、その良人りょうじんのはげしい苦痛くつう自分じぶんがわかつことができないというかなしみにひしがれている姿すがたもっと感動かんどうてきであった」とわれ、三島みしま感動かんどうしたとべている[2]

澁澤しぶさわ龍彦たつひこは、「三島みしまはこの映画えいがで、日本人にっぽんじん集合しゅうごうてき無意識むいしき奥底おくそこによどんでいるどろどろした欲望よくぼうに、映像えいぞうとして明確めいかくかたちをあたえ、人間にんげんにくのけいれんとしてのオルガスムを、エロティシズムと両面りょうめんからじゅううつしにえがした」と評価ひょうかしている[32]

安部あべ公房こうぼうは、小説しょうせつ憂国ゆうこく』をささえていた「精緻せいち均衡きんこう」とくらべ、映画えいがほうは、「ひどく安定あんていけたところ」があったが、むしろその不安定ふあんていさのもつ「緊張きんちょうかん」にひきつけられたとし、つぎのようにかたっている[33]

その不安定ふあんていさは、もしかすると、作者さくしゃ映画えいが完全かんぜんにはしんじていないところからくるものだったかもしれない。しんじていないからこそ作者さくしゃがあれほど前面ぜんめんされててしまったのだろう。作者さくしゃ主役しゅやくえんじているというようなことではなく、あの作品さくひん全体ぜんたいが、まさに作者さくしゃ自身じしん分身ぶんしんなのだ。自己じこ作品さくひんをするのが、私小説ししょうせつ作家さっかだとすれば、三島みしま由紀夫ゆきおぎゃく作品さくひんに、自己じこ転位てんいさせようとしたのかもしれない。むろんそんなことは不可能ふかのうだ。作者さくしゃ作品さくひんとは、もともとポジネガ関係かんけいにあり、両方りょうほう完全かんぜん一致いっちさせてしまえば、相互そうごしあって、がのこるだけである。
そんなことを三島みしま由紀夫ゆきおらないわけがない。っていながらあえてその不可能ふかのう挑戦ちょうせんしたのだろう。なんという傲慢ごうまんな、そして逆説ぎゃくせつてき挑戦ちょうせんであることか。ぼくに、羨望せんぼうちか共感きょうかんかんじさせたのも、おそらくその不敵ふてき野望やぼうのせいだったにちがいない。いずれにしても、たんなる作品さくひんひょうなどでは片付かたづけてしまえない、おおきな問題もんだいをはらんでいる。作家さっか姿勢しせいとして、ともかくぼくは脱帽だつぼうしまない。 — 安部あべ公房こうぼう「“三島みしま美学びがく”の傲慢ごうまん挑戦ちょうせん映画えいが憂国ゆうこく』のはらむ問題もんだいなにか」[33]

エピソード

[編集へんしゅう]

三島みしま有名ゆうめい作家さっかであることから、まわりの映画えいが評論ひょうろんたちが賛辞さんじばかりをおくるなか、『薔薇ばらぞく』の表紙ひょうしえがいていた大川おおかわ辰次たつじ率直そっちょく感想かんそう雑誌ざっしいたところ、三島みしまから面会めんかいもとめられ、意気投合いきとうごういをかさねるうち、三島みしま大川おおかわのことを「親父おやじ」とぶまでのなかになったと、伊藤いとう文学ぶんがく回顧かいこしている[34]

映像えいぞうソフト

[編集へんしゅう]
  • 2006ねん4がつ28にち東宝とうほうからDVDが発売はつばいされた。
  • 2006ねん4がつ28にち新潮社しんちょうしゃから発売はつばいされた『決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう 別巻べっかん 映画えいが憂国ゆうこく」』にも、DVDと写真しゃしん解説かいせつ所収しょしゅうされた。
  • 前述ぜんじゅつ事情じじょうから2006ねんのDVD以前いぜん一切いっさい映像えいぞうソフトされていなかったが、海外かいがいには焼却しょうきゃく処分しょぶんまぬかれたほんさく上映じょうえいようプリントがのこっており、そのフィルムをもとにした海賊版かいぞくばんビデオが出回でまわっていた。藤井ふじい浩明ひろあきはDVDさいに「海賊版かいぞくばんがネットオークションなどで出回でまわっていて粗悪そあく画面がめんだったので、いずれ発表はっぴょうしなくてはいけないとおもっていた[35]」とコメントしている。

舞台ぶたい

[編集へんしゅう]

おもな収録しゅうろく刊行かんこうほん

[編集へんしゅう]

単行本たんこうぼん

[編集へんしゅう]
  • スタア』(新潮社しんちょうしゃ、1961ねん1がつ30にち
  • 『スタア』(講談社こうだんしゃ ロマン・ブックス、1963ねん8がつ10日とおか
    • カバー装幀そうてい真鍋まなべひろし
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「スタア」「憂國ゆうこく」「ひゃくまんえん煎餅せんべい
  • 憂國ゆうこく 映画えいがばん』(新潮社しんちょうしゃ、1966ねん4がつ10日とおかNCID BA48563039
    • クロスそう。ビニールカバー。赤色あかいろたい。138ぺーじ
    • 収録しゅうろく作品さくひん原作げんさく撮影さつえい台本だいほん。スチール(52ぺーじ69よう撮影さつえい神谷かみや武和たけかず)。製作せいさく意図いとおよ経過けいか
    • 見返みかえしに著者ちょしゃ自筆じひつ「シナリオ憂國ゆうこく」の舞台ぶたいスケッチとう印刷いんさつ
    • 写真しゃしんのNo.28が、三島みしまにそわないため、実写じっしゃ写真しゃしん貼付ちょうふしたものあり。
  • 英霊えいれいこえ』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1966ねん6がつ30にち
    • 装幀そうていはしばみぬのそうはこ赤色あかいろたい
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「英霊えいれいこえ」「憂國ゆうこく」「十日とおかきく」「二・二六事件ににろくじけんわたし
    • おびうら)に「ろく事件じけんわたし」より抜粋ばっすいされた「みっつの作品さくひん意図いと」とだいする文章ぶんしょう
  • 英霊えいれいこえ』(河出かわで文芸ぶんげい選書せんしょ、1976ねん2がつ15にち
    • カバー装幀そうてい横山よこやまひろし輔。かみそう橙色だいだいいろたい
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「英霊えいれいこえ」「憂國ゆうこく」「十日とおかきく」「ろく事件じけんわたし
    • 付録ふろく月報げっぽうとして、書評しょひょう山崎やまざき正和まさかず日沼ひぬま倫太郎りんたろう文芸ぶんげい時評じひょう山本やまもと健吉けんきち
    • 口絵くちえ写真しゃしん1ぺーじ1よう著者ちょしゃ肖像しょうぞう写真しゃしん撮影さつえい細江ほそええいこう
  • 自選じせんたん編集へんしゅうはなざかりのもり憂国ゆうこく――自選じせんたん編集へんしゅう』(新潮しんちょう文庫ぶんこ、1968ねん9がつ15にち改版かいはん1992ねん3がつ20日はつか
    • 解説かいせつ三島みしま由紀夫ゆきお口絵くちえ写真しゃしん1ぺーじ1よう映画えいが憂国ゆうこく』スチール)。白色はくしょくたい
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「はなざかりのもり」「中世ちゅうせいけるいち殺人さつじん常習じょうしゅうしゃのこせる哲学てつがくてき日記にっき抜萃ばっすい」「とおじょうかい」「たまご」「少年しょうねん」「うみゆうしょう」「新聞紙しんぶんし」「牡丹ぼたん」「はしづくし」「女方おざかた」「ひゃくまんえん煎餅せんべい」「憂国ゆうこく」「つき
    • 度々たびたびカバー改装かいそう
  • 文庫ぶんこ新版しんぱんはなざかりのもり憂国ゆうこく』(新潮しんちょう文庫ぶんこ、2020ねん11月1にち)。同上どうじょう新版しんぱん解説かいせつ佐藤さとう秀明ひであき
  • 文庫ぶんこばん英霊えいれいこえ オリジナルばん』(河出かわで文庫ぶんこ、2005ねん10がつ5にち
    • カバーデザイン:はしばみ。カバー装画そうが粟津あわづきよし。カバーフォーマット:佐々木ささきあきらぜん268ぺーじ
    • 解説かいせつ藤田ふじた三男みつお「『英霊えいれいこえ』のこえ
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「英霊えいれいこえ」「憂國ゆうこく」「十日とおかきく」「ろく事件じけんわたし
  • 文庫ぶんこばん近代きんだい浪漫ろうまん文庫ぶんこ42 三島みしま由紀夫ゆきお』(新学社しんがくしゃ、2007ねん7がつ
  • 英文えいぶんばん『Patriotism』(わけ:Geoffrey W. Sargent)(New Directions、1995ねん11月。
  • 英訳えいやくばん真夏まなつ その』 “Death in Midsummer and other stories”(わけエドワード・G・サイデンステッカードナルド・キーンアイヴァン・モリス、ほか)(New Directions、1966ねん。Penguin Books Ltd、1986ねん

全集ぜんしゅう

[編集へんしゅう]

映画えいが台本だいほんは★しるし

  • 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう13かん小説しょうせつXIII)』(新潮社しんちょうしゃ、1973ねん10がつ25にち
    • 装幀そうてい杉山すぎやまやすしよんろくばん背革せがわつぎそうはこ
    • 月報げっぽう斎藤さいとう直一なおかず「『うたげのあと訴訟そしょう事件じけんおも三島みしまくんしのぶ」。《評伝ひょうでん三島みしま由紀夫ゆきお 6》佐伯さえき彰一しょういちふたつの遺作いさく(その5)」。《どう時代じだいひょうから 6》虫明むしあけりょ「『うたげのあと』『憂国ゆうこく』をめぐって」
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「うたげのあと」「憂国ゆうこく」「ししじゃ」「いちご」「帽子ぼうしはな」「魔法瓶まほうびん」「つき」「葡萄ぶどうパン」「真珠しんじゅ」「あめのなかの噴水ふんすい」「切符きっぷ
    • どういち内容ないよう豪華ごうか限定げんていばん装幀そうてい杉山すぎやまやすしそうかわそう天金てんきんみどりかわはこだんボール夫婦ふうふがいはこ。A5変型へんけいばん本文ほんぶん2色刷いろずり)が1,000あり。
  • 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう23(戯曲ぎきょくIV)』(新潮社しんちょうしゃ、1974ねん11月25にち)★
  • 三島みしま由紀夫ゆきお短篇たんぺん全集ぜんしゅう』〈下巻げかん〉(新潮社しんちょうしゃ、1987ねん11月20にち
    • ぬのそう。セット機械きかいはこ四六判しろくばん。2だんぐみ
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「家庭かてい裁判さいばん」から「らんりょうおう」までの73へん
  • 三島みしま由紀夫ゆきお戯曲ぎきょく全集ぜんしゅう 下巻げかん』(新潮社しんちょうしゃ、1990ねん9がつ10日とおか)★
  • 決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう20かん短編たんぺん6』(新潮社しんちょうしゃ、2002ねん7がつ10日とおか
    • はこぬのクロスそうまる箔押はくおし2しょくおび四六判しろくばんきゅうきゅう仮名遣かなづかい。
    • 装幀そうてい新潮社しんちょうしゃ装幀そうていしつ装画そうが柄澤からさわひとし口絵くちえ写真しゃしん1ぺーじ1よう著者ちょしゃ肖像しょうぞう)あり
    • 月報げっぽう金子かねこ國義くによしやさしくんだ眼差まなざし」。久根くね達郎たつお商人しょうにん根性こんじょう」。田中たなか美代子みよこ小説しょうせつつくかた》20「精霊せいれい来訪らいほう
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「憂国ゆうこく」「いちご」「帽子ぼうしはな」「魔法瓶まほうびん」「つき」「葡萄ぶどうパン」「真珠しんじゅ」「自動車じどうしゃ」「あいさうなパパ」「あめのなかの噴水ふんすい」「切符きっぷ」「けん」「つき澹荘あやぎぬたん」「さん熊野くまのまい」「孔雀くじゃく」「あさ純愛じゅんあい」「仲間なかま」「英霊えいれいこえ」「荒野あらのより」「時計とけい」「らんりょうおう」、参考さんこう作品さくひん21へん稿こう5へん創作そうさくノート
  • 決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう24かん戯曲ぎきょく4』(新潮社しんちょうしゃ、2002ねん11月8にち)★
    • 仕様しよう上記じょうき同様どうよう
    • 月報げっぽう立松たてまつ和平わへい厳粛げんしゅくなる快楽かいらく」、斎藤さいとう康一やすいち「ファインダーのなか三島みしまさん」、〔天球儀てんきゅうぎとしての劇場げきじょう4〕田中たなか美代子みよこ政治せいじげきのあとに」
    • 収録しゅうろく作品さくひん:「よろこびのきん」「美濃みの」「こい帆影ほかげ」「サド侯爵こうしゃく夫人ふじん」「撮影さつえい台本だいほん 憂国ゆうこく」「アラビアン・ナイト」「朱雀すざく滅亡めつぼう」「ミランダ」「わがともヒットラー」「『よろこびのきん創作そうさくノート」「『美濃みの創作そうさくノート」「『こい帆影ほかげ創作そうさくノート」「『アラビアン・ナイト』創作そうさくノート」「『朱雀すざく滅亡めつぼう創作そうさくノート」「『ミランダ』創作そうさくノート」
  • 決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう別巻べっかん映画えいが憂国ゆうこく」(DVD)』(新潮社しんちょうしゃ、2006ねん4がつ28にち
    • 月報げっぽう追加ついか収録しゅうろく評論ひょうろん〕〔アンケート〕〔書簡しょかん〕、正誤せいごてい一覧いちらん追加ついか
    • 収録しゅうろく内容ないよう:DVD『憂國ゆうこく』1まいしょう冊子さっし(ブックレット)68ぺーじ

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ なお、前年ぜんねんの1960ねん昭和しょうわ35ねん)10がつギリシャ研究けんきゅう同性愛どうせいあいかいアドニスかい」の機関きかん『ADONIS』の別冊べっさつ小説しょうせつしゅう「APOLLO(アポロ)」5しゅうに、三島みしま榊山さかきやまたもつ名義めいぎで『あい処刑しょけい』という切腹せっぷくをモチーフにした劇画げきがふう短編たんぺん小説しょうせつ投稿とうこうしている[10]
  2. ^ 三島みしま自身じしん武山たけやま中尉ちゅうい境遇きょうぐうを〈冷飯ひやめしくえはされてゐる地位ちい〉にきたかったために、改訂かいていには多少たしょう未練みれんがあったとしている[4]一般いっぱんてきに、きゅう日本にっぽんぐんにおいては、輜重しちょうへい現在げんざい後方こうほう支援しえん部隊ぶたい)は冷遇れいぐうされており、どう部隊ぶたいへの配属はいぞく左遷させんひとしい人事じんじとみなされた。
  3. ^ 市川いちかわ雷蔵らいぞう仕事しごと仲間なかまでもあった。
  4. ^ 著書ちょしょ堂本どうもと 2005がある。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b 「あとがき」(『三島みしま由紀夫ゆきお短篇たんぺん全集ぜんしゅう6』講談社こうだんしゃ ロマンブックス、1965ねん8がつ)。33かん 2003, pp. 414–416に所収しょしゅう
  2. ^ a b c d e f g 製作せいさく意図いとおよ経過けいか」(『憂國ゆうこく 映画えいがばん新潮社しんちょうしゃ、1966ねん4がつ)。34かん 2003, pp. 35–64
  3. ^ a b c d e f 藤井ふじい浩明ひろあき映画えいが憂国ゆうこく』のあゆんだみち」(別巻べっかん 2006ブックレットない
  4. ^ a b c d e f ろく事件じけんわたし」(『英霊えいれいこえ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1966ねん6がつ)。34かん 2003, pp. 107–119
  5. ^ a b 世界せかい破滅はめつこうして」(てっ 2010, pp. 118–131)
  6. ^ a b c d だいいちしょう 哲学てつがくしゃ三島みしま由紀夫ゆきおろん 5 エロティシズムの美学びがく」(伊藤いとう 2006, pp. 41–44)
  7. ^ 井上いのうえ隆史たかし作品さくひん目録もくろく――昭和しょうわ36ねん」(42かん 2005, pp. 424–427)
  8. ^ a b c 山中やまなか剛史たけし著書ちょしょ目録もくろく――目次もくじ」(42かん 2005, pp. 540–561)
  9. ^ a b c d 田中たなか美代子みよこ解題かいだい――憂国ゆうこく」(20かん 2002, pp. 791–795)
  10. ^ 井上いのうえ隆史たかし作品さくひん目録もくろく――昭和しょうわ35ねん」(42かん 2005, pp. 422–424)
  11. ^ 久保田くぼた裕子ゆうこ三島みしま由紀夫ゆきお翻訳ほんやく書目しょもく」(事典じてん 2000, pp. 695–729)
  12. ^ だいしょう ぶんたけひと」(佐藤さとう 2006, pp. 144–205)
  13. ^ 堂本どうもと正樹まさき「『憂国ゆうこく映画えいがばん』」(事典じてん 2000, pp. 386–388)
  14. ^ a b c 解説かいせつ」(『はなざかりのもり憂国ゆうこく――自選じせんたん編集へんしゅう新潮しんちょう文庫ぶんこ、1968ねん9がつ)。はな憂国ゆうこく 1992, pp. 281–286、35かん 2003, pp. 172–176に所収しょしゅう
  15. ^ a b 磯田いそだ光一こういち解説かいせつ」(『日本にっぽん文学ぶんがく全集ぜんしゅう27・三島みしま由紀夫ゆきお河出かわで書房しょぼう、1967ねん)。論集ろんしゅうII 2001, pp. 238–239
  16. ^ だい 三島みしま由紀夫ゆきおわたし いち 出会であい」(げん 2004, pp. 54–62)
  17. ^ a b c d 和田わだ克徳かつのり切腹せっぷく』(青葉あおば書房しょぼう、1943ねん9がつ)。20かん 2002, pp. 791–792
  18. ^ 小笠原おがさわら賢二けんじ「『幸福こうふく』という存在そんざいろん―『美徳びとくとよろめき』を中心ちゅうしんに―」(論集ろんしゅうI 2001, pp. 239–260)
  19. ^ 山本やまもと健吉けんきち文芸ぶんげい時評じひょう」(さんしゃ連合れんごう 北海道新聞ほっかいどうしんぶん中部ちゅうぶ日本にっぽん新聞しんぶん西日本にしにほん新聞しんぶん 1960ねん12月27にちごう)。山本やまもと時評じひょう 1969, p. 237に所収しょしゅう論集ろんしゅうII 2001, pp. 236–237
  20. ^ 古林ふるばやししょう「『憂國ゆうこく』にみる三島みしま由紀夫ゆきお危険きけん美学びがく」(文学ぶんがくてき立場たちば なな 1966ねん7・8がつ合併がっぺいごう)。論集ろんしゅうII 2001, p. 238
  21. ^ 花田はなた清輝きよてる江藤えとうあつし寺田てらだとおる創作そうさく合評がっぴょう」(群像ぐんぞう 1961ねん2がつごう)。論集ろんしゅうII 2001, p. 237
  22. ^ 神谷かみや忠孝ただたか逆説ぎゃくせつとしての殉死じゅんし憂國ゆうこく』」(論集ろんしゅうII 2001, pp. 236–249)
  23. ^ だいきゅうしょう うしなわれたときへの出発しゅっぱつ――むすび・『豊饒ほうじょううみ』にふれて――」(野口のぐち 1968, pp. 221–243)
  24. ^ a b 田中たなか美代子みよこ憂國ゆうこく」(『観賞かんしょう日本にっぽん現代げんだい文学ぶんがく23・三島みしま由紀夫ゆきお角川書店かどかわしょてん、1980ねん)。事典じてん 2000, p. 386
  25. ^ a b 江藤えとうあつし 「エロスと政治せいじ作品さくひん――文芸ぶんげい時評じひょう 」(朝日新聞あさひしんぶん 1960ねん12月20にちごう)。江藤えとう 1989, pp. 100–102に所収しょしゅう論集ろんしゅうII 2001, p. 236
  26. ^ 磯田いそだ光一こういち殉教じゅんきょう美学びがく――だいよんしょう 政治せいじ・エロス・よし」(文學ぶんがくかい 1964ねん2-4がつごう)。磯田いそだ 1979, pp. 55–69に所収しょしゅう
  27. ^ 「『エロチシズム』―ジョルジュ・バタイユしる むろあつしかいわけ」(こえ 1960ねん4がつごう)。31かん 2003, pp. 411–415に所収しょしゅう
  28. ^ a b 鎌田かまたひろ「『憂国ゆうこく』およびそのひょうについて―エロティシズムのゆくえ―」(国文学こくぶんがく研究けんきゅうノートだい22ごう、1988ねん)。佐藤さとう秀明ひであきへん三島みしま由紀夫ゆきおとエロスの論理ろんり』(有精ゆうせいどう、1991ねん)に所収しょしゅう事典じてん 2000, pp. 385–386
  29. ^ a b c d e 佐々木ささき幸綱ゆきつなはずのない〈絶対ぜったい〉へ―「憂国ゆうこく」について」(ユリイカ 1976ねん10がつごう)。論集ろんしゅうII 2001, p. 244
  30. ^ 「『憂国ゆうこく製作せいさく道楽どうらくではない――火曜かようインタビュー」(日刊にっかんスポーツ 1966ねん1がつ18にちごう)。33かん 2003, pp. 627–629に所収しょしゅう
  31. ^ 受賞じゅしょういっした三島みしまの『憂国ゆうこく盛会せいかいだったツール映画えいがさい」(朝日新聞あさひしんぶん夕刊ゆうかん 1966ねん2がつ3にちごう)。別巻べっかん 2006ブックレットpp.47-48に所収しょしゅう
  32. ^ 澁澤しぶさわ龍彦たつひこせんりつすべき映画えいが」(東京とうきょう新聞しんぶん夕刊ゆうかん 1966ねん3がつ22にち)。別巻べっかん 2006ブックレットpp.54-55に所収しょしゅう論集ろんしゅうII 2001, p. 237
  33. ^ a b 安部あべ公房こうぼう「『憂国ゆうこく』」(週刊しゅうかん読書どくしょじん 1966ねん5がつごう)。群像ぐんぞう18 1990, pp. 153–155
  34. ^ 伊藤いとう文学ぶんがく三島みしま由紀夫ゆきお憂国ゆうこく秘話ひわ薔薇ばらぞく周辺しゅうへんのゲイ・エロティックアート03」 [1]
  35. ^ 憂国ゆうこく」フィルム発見はっけん焼却しょうきゃく処分しょぶんとされた“まぼろし”の作品さくひん http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_08/g2005081909.html

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]