この項目 こうもく では、三島 みしま 由紀夫 ゆきお の小説 しょうせつ について記述 きじゅつ しています。「憂国 ゆうこく 」の語義 ごぎ については、ウィクショナリー の「憂国 ゆうこく 」の項目 こうもく をご覧 らん ください。
『憂国 ゆうこく 』(ゆうこく)は、三島 みしま 由紀夫 ゆきお の短編 たんぺん 小説 しょうせつ 。原題 げんだい は旧 きゅう 漢字 かんじ の『憂國 ゆうこく 』である。
仲間 なかま から蹶起 けっき に誘 さそ われなかった新婚 しんこん の中尉 ちゅうい が、叛乱 はんらん 軍 ぐん とされた仲間 なかま を逆 ぎゃく に討伐 とうばつ せねばならなくなった立場 たちば に懊悩 おうのう し、妻 つま とともに心中 しんちゅうの する物語 ものがたり 。三島 みしま の代表 だいひょう 作 さく の一 ひと つで、二・二六事件 ににろくじけん の外伝 がいでん 的 てき 作品 さくひん である[1] 。1961年 ねん (昭和 しょうわ 36年 ねん )1月 がつ の小説 しょうせつ 発表 はっぴょう の4年 ねん 後 ご には、三島 みしま 自身 じしん が監督 かんとく ・主演 しゅえん などを務 つと めた映画 えいが も制作 せいさく され、ツール 国際 こくさい 短編 たんぺん 映画 えいが 祭 さい 劇映画 げきえいが 部門 ぶもん 第 だい 2位 い を受賞 じゅしょう した[2] [3] 。
大義 たいぎ に殉 じゅん ずる者 もの の至福 しふく と美 び を主題 しゅだい に、皇軍 こうぐん への忠義 ちゅうぎ の下 した 、死 し とエロティシズム 、夥 おびただ しい流血 りゅうけつ と痛苦 つうく をともなう割腹 かっぷく 自殺 じさつ が克明 こくめい に描 えが かれている[4] [5] 。60年 ねん 安保 あんぽ という時代 じだい 背景 はいけい と共 とも に「精神 せいしん と肉体 にくたい 、認識 にんしき と行動 こうどう の問題 もんだい 」をあらためて思考 しこう するようになっていた三島 みしま が、その反 はん 時代 じだい 傾向 けいこう を前面 ぜんめん に露 あら わにした転換 てんかん 的 てき な作品 さくひん である[5] [6] 。
1961年 ねん (昭和 しょうわ 36年 ねん )1月 がつ 、雑誌 ざっし 『小説 しょうせつ 中央公論 ちゅうおうこうろん 』3号 ごう ・冬季 とうき 号 ごう の〈現代 げんだい 代表 だいひょう 作家 さっか 二 に 十 じゅう 人 にん 創作 そうさく 集 しゅう 〉に掲載 けいさい され、同年 どうねん 1月 がつ 30日 にち に新潮社 しんちょうしゃ より刊行 かんこう の短 たん 編集 へんしゅう 『スタア 』に収録 しゅうろく された[7] [8] [9] [注釈 ちゅうしゃく 1] 。のち1966年 ねん (昭和 しょうわ 41年 ねん )6月 がつ に河出書房新社 かわでしょぼうしんしゃ より刊行 かんこう の『英霊 えいれい の聲 こえ 』にも、戯曲 ぎきょく 『十日 とおか の菊 きく 』と共 とも に二・二六事件 ににろくじけん 三 さん 部 ぶ 作 さく として纏 まと められた。なお、この刊行 かんこう にあたって、当時 とうじ の実状 じつじょう をよく知 し る加盟 かめい 将校 しょうこう の1人 ひとり (当時 とうじ 陸軍 りくぐん 歩兵 ほへい 大尉 たいい )の末松 すえまつ 太平 たへい からの助言 じょげん により、「近衛 このえ 輜重 しちょう 兵 へい 大隊 だいたい 」を「近衛 このえ 歩 あゆみ 兵 へい 第 だい 一 いち 聯隊 れんたい 」に改 あらた めた[4] [注釈 ちゅうしゃく 2] 。
文庫 ぶんこ 版 ばん としては、1968年 ねん (昭和 しょうわ 43年 ねん )9月 がつ 15日 にち に新潮 しんちょう 文庫 ぶんこ より刊行 かんこう の『花 はな ざかりの森 もり ・憂国 ゆうこく ――自選 じせん 短 たん 編集 へんしゅう 』に収録 しゅうろく された[8] [9] 。その後 ご 、1997年 ねん (平成 へいせい 9年 ねん )に『中央公論 ちゅうおうこうろん 』11月・臨時 りんじ 増刊 ぞうかん 号 ごう の〈激動 げきどう の昭和 しょうわ 文学 ぶんがく 〉に再 さい 掲載 けいさい された[9] 。翻訳 ほんやく 版 ばん はGeoffrey W. Sargent訳 やく (英 えい 題 だい :Patriotism)をはじめ、世界 せかい 各国 かっこく で行 おこな われている[11] 。
1965年 ねん (昭和 しょうわ 40年 ねん )4月 がつ には、自身 じしん が製作 せいさく ・監督 かんとく ・主演 しゅえん ・脚色 きゃくしょく ・美術 びじゅつ を務 つと めた映画 えいが 『憂國 ゆうこく 』が製作 せいさく された。映画 えいが は翌年 よくねん 1966年 ねん (昭和 しょうわ 41年 ねん )1月 がつ 、ツール国際 こくさい 短編 たんぺん 映画 えいが 祭 さい 劇映画 げきえいが 部門 ぶもん 第 だい 2位 い となり、同年 どうねん 4月 がつ からなされた日本 にっぽん での一般 いっぱん 公開 こうかい も話題 わだい を呼 よ び、アート系 けい の映画 えいが では記録 きろく 的 てき なヒットとなった[3] [12] 。また同時 どうじ に映画 えいが の製作 せいさく 過程 かてい ・写真 しゃしん などを収録 しゅうろく した『憂國 ゆうこく 映画 えいが 版 ばん 』も1966年 ねん 4月 がつ 10日 とおか に新潮社 しんちょうしゃ より刊行 かんこう された[8] [13] 。
『憂国 ゆうこく 』は簡素 かんそ な構成 こうせい と、〈大 おお きな鉢 はち に満々 まんまん と湛 たたえ (たた)へられた乳 ちち のやうで〉といった、肌 はだ の白 しろ さ(妻 つま の肌 はだ の美 うつく しさ)を表 あらわ す官能 かんのう 的 てき な描写 びょうしゃ や、克明 こくめい に描 えが かれる切腹 せっぷく の迫真 はくしん さで、短編 たんぺん ながら注目 ちゅうもく された作品 さくひん で、三島 みしま 自身 じしん も、〈小品 しょうひん ながら、私 わたし のすべてがこめられている〉とし[1] 、「もし、忙 いそが しい人 ひと が、三島 みしま の小説 しょうせつ の中 なか から一 いち 編 へん だけ、三島 みしま のよいところ悪 わる いところすべてを凝縮 ぎょうしゅく したエキス のやうな小説 しょうせつ を読 よ みたいと求 もと めたら、『憂国 ゆうこく 』の一 いち 編 へん をよんでもらえばよい」と晩年 ばんねん にも繰 く り返 かえ している[14] 。
『憂国 ゆうこく 』は、死 し とエロティシズム を直結 ちょっけつ させるジョルジュ・バタイユ の『エロティシズム』に通 つう じる作品 さくひん 構造 こうぞう となっている[15] 。そこに描 えが かれる〈愛 あい と死 し の光景 こうけい 、エロス と大義 たいぎ との完全 かんぜん な融合 ゆうごう と相乗 そうじょう 作用 さよう は、私 わたし がこの人生 じんせい に期待 きたい する唯一 ゆいいつ の至福 しふく 〉と三島 みしま は語 かた り[14] 、その映画 えいが 化 か のねらいについては、以下 いか のように説明 せつめい している[2] 。
日本人 にっぽんじん のエロースが
死 し といかにして
結 むす びつくか、しかも
一定 いってい の
追 つい ひ
詰 つ められた
政治 せいじ 的 てき 状況 じょうきょう において、
正義 まさよし に、あるひはその
政治 せいじ 的 てき 状況 じょうきょう に
殉 じゅん じるために、エロースがいかに
最高 さいこう 度 ど の
形 かたち をとるか、そこに
主眼 しゅがん があつたのである。
— 三島 みしま 由紀夫 ゆきお 「製作 せいさく 意図 いと 及 およ び経過 けいか 」(『憂國 ゆうこく 映画 えいが 版 ばん 』)[2]
登場 とうじょう 人物 じんぶつ の青年 せいねん 将校 しょうこう や、その妻 つま については、〈彼 かれ はただ軍人 ぐんじん 、ただ大義 たいぎ に殉 じゅん ずるもの、ただモラルのために献身 けんしん するもの、ただ純粋 じゅんすい 無垢 むく な軍人 ぐんじん 精神 せいしん の権化 ごんげ でなければならなかつた〉、〈彼女 かのじょ こそ、まさに昭和 しょうわ 十 じゅう 年代 ねんだい の平凡 へいぼん な陸軍 りくぐん 中尉 ちゅうい が自分 じぶん の妻 つま こそは世界一 せかいいち の美人 びじん だと思 おも ふやうな、素朴 そぼく であり、女 おんな らしく、しかも情熱 じょうねつ をうちに秘 ひ めた女性 じょせい でなければならなかつた〉としている[2] 。
また、三島 みしま は『憂国 ゆうこく 』を、『詩 し を書 か く少年 しょうねん 』、『海 うみ と夕 ゆう 焼 しょう 』と共 とも に〈私 わたし にとつてもつとも切実 せつじつ な問題 もんだい を秘 ひ めたもの〉としているが、そういった主題 しゅだい の問題 もんだい 性 せい などに斟酌 しんしゃく せずに、物語 ものがたり として楽 たの しんでもらえればよいとして、〈現 げん に或 ある る銀座 ぎんざ のバア のマダム は、『憂国 ゆうこく 』を全 まった く春本 しゅんぽん として読 よ み、一 いち 晩 ばん 眠 ねむ れなかったと告白 こくはく した〉という話 はなし を紹介 しょうかい している[14] 。
昭和 しょうわ 11年 ねん 2月 がつ 28日 にち 、二・二六事件 ににろくじけん で蹶起 けっき をした親友 しんゆう たちを叛乱 はんらん 軍 ぐん として勅命 ちょくめい によって討 う たざるをえない状況 じょうきょう に立 た たされた近衛 このえ 歩兵 ほへい 一 いち 聯隊 れんたい 勤務 きんむ の武山 たけやま 信二 しんじ 中尉 ちゅうい は懊悩 おうのう の末 すえ 、自 じ 死 し を選 えら ぶことを新婚 しんこん の妻 つま ・麗子 れいこ に伝 つた える。すでに、どんなことになろうと夫 おっと の後 のち を追 お う覚悟 かくご ができていた麗子 れいこ はたじろがず、共 とも に死 し を選 えら ぶことを決意 けつい する。そして死 し までの短 みじか い間 あいだ 、夫 おっと と共 とも に濃密 のうみつ な最期 さいご の営 いとな みの時 とき を過 す ごす。そして、2人 ふたり で身支度 みじたく を整 ととの え遺書 いしょ を書 か いた後 のち 、夫 おっと の切腹 せっぷく に立会 たちあ い、自 みずか らも咽喉 いんこう を切 き り、後 ご を追 お う。
武山 たけやま 信二 しんじ
30歳 さい 。近衛 このえ 歩兵 ほへい 一 いち 聯隊 れんたい 勤務 きんむ の中尉 ちゅうい 。凛々 りり しい顔立 かおだ ちで、濃 こ い眉 まゆ の美男 びなん 。四谷 よつや 区 く 青葉 あおば 町 まち 6に新婚 しんこん の妻 つま と居住 きょじゅう 。
麗子 れいこ
23歳 さい 。信二 しんじ の妻 つま 。やさしい眉 まゆ の下 した のつぶらな目 め 、ほっそりとした形 かたち のよい鼻 はな 、ふくよかな唇 くちびる 。艶 あで やかさと高貴 こうき とがある美女 びじょ 。
三島 みしま 由紀夫 ゆきお 自身 じしん の解説 かいせつ には、特定 とくてい の誰 だれ かをモデルにしたという記述 きじゅつ はなく、河野 こうの 壽 ひさし 大尉 たいい をモデルにしたのではないかという自衛隊 じえいたい 員 いん の読者 どくしゃ からの手紙 てがみ にも、「特定 とくてい のモデルはおりません」と返信 へんしん しているという[16] 。なお、二・二六事件 ににろくじけん の後 のち には、叛乱 はんらん 軍 ぐん の野中 のなか 四郎 しろう 大尉 たいい や、皇軍 こうぐん の天野 あまの 武雄 たけお 少佐 しょうさ などの他 ほか 、以下 いか のような『憂国 ゆうこく 』の主人公 しゅじんこう と同 おな じような自 じ 死 し をした人物 じんぶつ もあった[9] [17] 。
近衛 このえ 輜重 しちょう 兵 へい 大隊 だいたい の輜重 しちょう 兵 へい 中尉 ちゅうい 青島 あおしま 健吉 けんきち (31)が、2月 がつ 29日 にち 朝 あさ に自宅 じたく である偕行社 かいこうしゃ 社宅 しゃたく において妻 つま の喜美子 きみこ (23)とともに切腹 せっぷく 自殺 じさつ しているのが発見 はっけん された。事件 じけん 発生 はっせい から不眠 ふみん 不休 ふきゅう で任務 にんむ にあたっていたが、消耗 しょうもう が見 み られたため前日 ぜんじつ に休養 きゅうよう を命 めい じられ帰宅 きたく した後 のち の自 じ 死 し だった[17] 。
和田 わだ 克徳 かつのり 著 ちょ の『切腹 せっぷく 』によれば、青島 ちんたお 中尉 ちゅうい は親友 しんゆう が叛乱 はんらん 軍 ぐん に加入 かにゅう していたために、相撃 あいう つことになることに悩 なや み、「彼等 かれら がその行為 こうい に責任 せきにん を感 かん じて速 すみや かに自決 じけつ すること」を待 ま ち望 のぞ んでいたにもかかわらずに、彼等 かれら が「叛乱 はんらん の汚名 おめい を着 き せられ、明 あきら くればどんな事態 じたい に立 た ち至 いた るかも知 し れぬといふことを考 かんが へたあまり、死 し によつて一切 いっさい を清算 せいさん すること」を決意 けつい しての夫妻 ふさい 揃 そろ っての自決 じけつ であったという[17] 。妻 つま の遺書 いしょ には「軍人 ぐんじん の妻 つま として来 きた るべき日 ひ が参 まい りました」と記 しる されている[17] 。
三島 みしま は、付 つ き合 あ いのあった元 もと 青年 せいねん 将校 しょうこう (当時 とうじ 陸軍 りくぐん 歩兵 ほへい 大尉 たいい )からの指摘 してき を受 う けて、主人公 しゅじんこう の所属 しょぞく を「近衛 このえ 輜重 しちょう 兵 へい 大隊 だいたい 」から「近衛 このえ 歩兵 ほへい 一 いち 聯隊 れんたい 」に変更 へんこう した[4] 。事件 じけん 当時 とうじ 、蹶起 けっき に逸 はぐれ る青年 せいねん 将校 しょうこう は歩兵 ほへい 将校 しょうこう が多 おお く、輜重 しちょう 兵 へい などあり得 え ないとの意見 いけん だった。輜重 しちょう 兵 へい では聯隊 れんたい 旗 き がなく、作中 さくちゅう の描写 びょうしゃ と合 あ わないということも判 わか り、未練 みれん はあったが変更 へんこう した[4] 。
『憂国 ゆうこく 』は、三島 みしま の初期 しょき 作品 さくひん から内包 ないほう されていた認識 にんしき と行為 こうい 、精神 せいしん と肉体 にくたい 、内側 うちがわ と外側 そとがわ の一体化 いったいか といった「二元論 にげんろん 」の解消 かいしょう や克服 こくふく といった「存在 そんざい 論 ろん 的 てき な問 と い」、〈至上 しじょう の肉体 にくたい 的 てき 快楽 かいらく と至上 しじょう の肉体 にくたい 的 てき 苦痛 くつう が、同一 どういつ 原理 げんり の下 した に統括 とうかつ され、それによつて至福 しふく の到来 とうらい を招 まね く〉[4] といった志向 しこう の根源 こんげん 的 てき な情念 じょうねん 、あるいは反 はん 時代 じだい 的 てき な情熱 じょうねつ が露 あら わになった転換 てんかん 的 てき な作品 さくひん として論究 ろんきゅう されることが多 おお く[18] [6] 、三島 みしま 文学 ぶんがく にとって重要 じゅうよう な作品 さくひん であるが、発表 はっぴょう された時期 じき が60年 ねん 安保 あんぽ 翌年 よくねん の1961年 ねん (昭和 しょうわ 36年 ねん )ということもあり、存命 ぞんめい 中 ちゅう を通 とお して皇国 こうこく 的 てき 内容 ないよう などから嫌悪 けんお を示 しめ す評者 ひょうしゃ もいた。
一方 いっぽう 、肯定 こうてい 的 てき な論評 ろんぴょう では、山本 やまもと 健吉 けんきち などに代表 だいひょう されるように、三島 みしま が皇 すめらぎ 道 どう 主義 しゅぎ の若 わか い男女 だんじょ の中 なか に、「思考 しこう 停止 ていし のニヒリスト 的 てき な世界 せかい 」における「美 よし 」「魅惑 みわく 」の「造形 ぞうけい 化 か 」を試 こころ み、「現代 げんだい 人 じん に一 ひと つのカタルシス をもたらそうとしている」と捉 とら え[19] 、否定 ひてい 的 てき なものでは、「才気 さいき に溢 あふ れた有能 ゆうのう な作家 さっか 」の三島 みしま が、「とてつもなく大 おお きな錯誤 さくご の陥穽 かんせい におちこんでいる」ため、早 はや く「危険 きけん 地帯 ちたい 」を脱出 だっしゅつ してほしいと古林 ふるばやし 尚 しょう が提言 ていげん し[20] 、花田 はなた 清輝 きよてる は「こういう小説 しょうせつ は非常 ひじょう にくだらない」と断 だん じている[21] 。この花田 はなた の発言 はつげん については具体 ぐたい 的 てき 論点 ろんてん が不明 ふめい なため、神谷 かみや 忠孝 ただたか は、「花田 はなた の真意 しんい がどこにあったかについてはまだ研究 けんきゅう されていない」と説明 せつめい している[22] 。
野口 のぐち 武彦 たけひこ は、『憂国 ゆうこく 』の切腹 せっぷく 描写 びょうしゃ や、死 し の情念 じょうねん とエロティシズム のマゾヒスティック な化合 かごう の根源 こんげん に、「江戸 えど 頽唐 たいとう 期 き のデカダンス 芸術 げいじゅつ 」があることや、文体 ぶんたい に「爛熟 らんじゅく 期 き の江戸 えど 歌舞伎 かぶき や草双紙 くさぞうし 」の感受性 かんじゅせい に通 つう じていることを指摘 してき し[23] 、田中 たなか 美代子 みよこ も、浄瑠璃 じょうるり や心中 しんちゅうの といった「日本人 にっぽんじん の深層 しんそう にひそむ美意識 びいしき を、もっとも暴露 ばくろ 的 てき な仕方 しかた で、刷 す り出 だ したもの」が『憂国 ゆうこく 』だと解説 かいせつ している[24] 。また田中 たなか は、蹶起 けっき から外 はず された中尉 ちゅうい の境遇 きょうぐう をアイロニカル な至福 しふく の死 し で賛美 さんび することにより、「歴史 れきし の彼方 かなた に葬 ほうむ り去 さ られた無数 むすう の犬死 いぬじに 、かつて栄光 えいこう と信 しん じて栄光 えいこう から見捨 みす てられた人々 ひとびと の痛恨 つうこん 」の救済 きゅうさい を試 こころ みている作品 さくひん だと考察 こうさつ している[24] 。
伊藤 いとう 勝彦 かつひこ は、三島 みしま が『憂国 ゆうこく 』において、露 あら わに反 はん 時代 じだい 的 てき な嗜好 しこう や情熱 じょうねつ を示 しめ したことについて、「戦後 せんご 精神 せいしん に対 たい する拒絶 きょぜつ の姿勢 しせい をはっきり表 ひょう に出 だ したのである」とし[6] 、それまでは嫌々 いやいや ながらも、「戦後 せんご の日常 にちじょう 生活 せいかつ との〈軽薄 けいはく な交際 こうさい 〉をつづけ、否定 ひてい しながらそこから何 なん らかの利得 りとく をえて暮 くら してきた」三島 みしま が、『憂国 ゆうこく 』以降 いこう 、「思想 しそう に殉 じゅん じて死 し ぬ人間 にんげん の至上 しじょう の美 うつく しさ」を主題 しゅだい にするようになったが、それは思想 しそう そのものを扱 あつか ったのではなく、「〈死 し にいたるまでの生 せい の称揚 しょうよう 〉(バタイユ )としてのエロティシズムの美 び 」が描 えが かれていると解説 かいせつ している[6] 。
江藤 えとう 淳 あつし は、エロティシズムと政治 せいじ の関係 かんけい を主題 しゅだい にした『憂国 ゆうこく 』を「三島 みしま 氏 し の数 かず ある作品 さくひん のなかでも秀作 しゅうさく のひとつに数 かぞ えられるもの」とし、以下 いか のように解説 かいせつ している[25] 。
作者 さくしゃ の
目的 もくてき は、
中尉 ちゅうい と
夫人 ふじん が「
大義 たいぎ に
殉 じゅん ずる」という
公的 こうてき に「
聖 きよし 化 か 」された
喜 よろこ びのために、「
私 わたし 」の
枠 わく を
超 こ えて
一層 いっそう 高 たか く
燃 も え
上 あ がる
性 せい の
歓楽 かんらく をつくす――そしてその
光芒 こうぼう の
明 あか るさは、
正確 せいかく に
前提 ぜんてい とされる「
自害 じがい 」という
事実 じじつ の
暗 くら さに
比例 ひれい する、という
過程 かてい を
出来 でき 得 え るかぎり
細密 さいみつ にたどるところにあるからである。「
帝国 ていこく 陸軍 りくぐん 」
叛乱 はんらん という
政治 せいじ 的 てき 非常時 ひじょうじ の
頂点 ちょうてん を、「
政治 せいじ 」の
側面 そくめん からではなく「エロティシズム」の
側面 そくめん からとらえようという、
三島 みしま 氏 し の
アイロニイ 構成 こうせい の
意図 いと は、ここで
見事 みごと に
成功 せいこう している。
割腹 かっぷく した
夫 おっと の
返 がえ り
血 ち をあびて
白無垢 しろむく を
紅 べに に
染 そ めた
中尉 ちゅうい 夫人 ふじん が、
血 ち にすべる
白 しろ 足袋 たび をふみしめて
死 し 化粧 けしょう に
立 た つ
姿 すがた などは、
三島 みしま 流 りゅう のエロティシズムの
極致 きょくち ともいえるに
違 ちが いない。
— 江藤 えとう 淳 あつし 「エロスと政治 せいじ の作品 さくひん 」[25]
磯田 いそだ 光一 こういち は、「鴎外 おうがい 以来 いらい 、〈義 よし 〉のための殉教 じゅんきょう をこれだけの密度 みつど をもって描 えが き出 だ した作品 さくひん はないだろう」と述 の べ[26] 、「死 し のリアリティの問題 もんだい を、第三者 だいさんしゃ の心 しん への反 はん 応 おう としてではなく、直接 ちょくせつ に死 し を選 えら ぶ者 もの の内側 うちがわ に入 はい って描 えが いた」作品 さくひん として評価 ひょうか し、バタイユへの共鳴 きょうめい があることを指摘 してき している[15] 。
鎌田 かまた 広 ひろ 巳 み は、三島 みしま が『憂国 ゆうこく 』執筆 しっぴつ 前 まえ に書 か いたバタイユ 著 ちょ 「エロティシズム」の書評 しょひょう [27] に触 ふ れながら『憂国 ゆうこく 』との関係 かんけい を論 ろん じ、そこにおいて三島 みしま は、「生殖 せいしょく =連続 れんぞく 性 せい =死 し をこの思想 しそう の核心 かくしん をして捉 とら えているばかりではなく、非 ひ 連続 れんぞく 性 せい な生 なま および生活 せいかつ の解体 かいたい という、そのラディカル な作用 さよう の可能 かのう 性 せい に着目 ちゃくもく している」とし[28] 、三島 みしま がバタイユに共感 きょうかん を寄 よ せる、大 おお きな理由 りゆう の一 ひと つとして、この思想 しそう の核心 かくしん に、「〈われわれの生 せい 〉の限定 げんてい 性 せい (三島 みしま によれば、それは同時 どうじ に非 ひ 連続 れんぞく 性 せい を超 こ えることができない主知 しゅち 主義 しゅぎ の限界 げんかい )」を打 う ち破 やぶ る、「新 あら たな原理 げんり 的 てき な可能 かのう 性 せい 」を三島 みしま が見 み いだしていると解説 かいせつ している[28] 。
佐々木 ささき 幸綱 ゆきつな は、『憂国 ゆうこく 』における武山 たけやま 中尉 ちゅうい の家 いえ の1階 かい には日常 にちじょう があり、2階 かい には非 ひ 日常 にちじょう があると分析 ぶんせき しながら[29] 、その「反発 はんぱつ する両極 りょうきょく を引 ひ き寄 よ せる何 なに か」は、「〈絶対 ぜったい 〉的 てき な力 ちから を持 も った何 なに か」でなければならないとし[29] 、三島 みしま はその〈絶対 ぜったい 〉的 てき な力 ちから を持 も つ何 なに かとして「片恋 かたこい 」を想定 そうてい したと解説 かいせつ している[29] 。そして、「天皇 てんのう への片恋 かたこい 、妻 つま への片恋 かたこい 、さらには状況 じょうきょう への片恋 かたこい 。強烈 きょうれつ な意志 いし 的 てき な片恋 かたこい 」の前 まえ には「極 きょく という〈絶対 ぜったい 〉」も相対 そうたい 化 か されるとし[29] 、「片恋 かたこい を貫 つらぬ き通 とお すことさえできるならば、そこでは、生 せい も死 し も、男 おとこ も女 おんな も、肉体 にくたい も精神 せいしん も、永遠 えいえん の瞬間 しゅんかん も、政治 せいじ も性 せい も、公 おおやけ も私 わたし も、非 ひ 日常 にちじょう も日常 にちじょう も、清潔 せいけつ も猥 わい せつも、静 せい も動 どう も、炎 ほのお も雪 ゆき も、主観 しゅかん 的 てき に重 かさ ね合 あ わせることが可能 かのう である」と論考 ろんこう している[29] 。
『憂國 ゆうこく 』(自主 じしゅ 製作 せいさく 。配給 はいきゅう :東宝 とうほう +日本 にっぽん ATG ) 1966年 ねん (昭和 しょうわ 41年 ねん )4月 がつ 12日 にち 封切 ふうきり 。
※ 1966年 ねん (昭和 しょうわ 41年 ねん )1月 がつ 、ツール国際 こくさい 短編 たんぺん 映画 えいが 祭 さい 出品 しゅっぴん 。劇映画 げきえいが 部門 ぶもん 第 だい 2位 い 受賞 じゅしょう 。
※ 東宝 とうほう +日本 にっぽん ATG共同 きょうどう 配給 はいきゅう は6月 がつ 15日 にち より。
※ 写真 しゃしん 集 しゅう ・撮影 さつえい 台本 だいほん :『憂國 ゆうこく 映画 えいが 版 ばん 』(新潮社 しんちょうしゃ 、1966年 ねん 4月 がつ 10日 とおか )-古書 こしょ 値 ち は非常 ひじょう に高価 こうか 。
2005年 ねん (平成 へいせい 17年 ねん )8月 がつ 、それまで現存 げんそん しないと言 い われた『憂国 ゆうこく 』のネガフィルム が、三島 みしま の自宅 じたく (現在 げんざい は長男 ちょうなん 平岡 ひらおか 威一郎 いいちろう 邸 やしき )で発見 はっけん されたことが報 ほう じられ、話題 わだい を呼 よ んだ[3] 。映画 えいが 『憂国 ゆうこく 』は、後 ご の三島 みしま 事件 じけん の自決 じけつ を予感 よかん させるような切腹 せっぷく シーンがあるため、瑤子 ようこ 夫人 ふじん が忌避 きひ し、三島 みしま の死 し の後 のち の1971年 ねん (昭和 しょうわ 46年 ねん )に、瑤子 ようこ 夫人 ふじん の要請 ようせい により上映 じょうえい 用 よう フィルムは焼却 しょうきゃく 処分 しょぶん された。しかし共同 きょうどう 製作 せいさく 者 しゃ ・藤井 ふじい 浩明 ひろあき の「ネガフィルムだけはどうか残 のこ しておいてほしい」という要望 ようぼう で、瑤子 ようこ 夫人 ふじん が密 ひそ かに自宅 じたく に保存 ほぞん し、茶 ちゃ 箱 ばこ の中 なか にネガフィルムのほか、映画 えいが 『憂国 ゆうこく 』に関 かん するすべての資料 しりょう が数個 すうこ のケースにきちんと分類 ぶんるい され収 おさ められていた[3] 。
ネガフィルムの存在 そんざい を半 なか ば諦 あきら めていた藤井 ふじい 浩明 ひろあき はそれを発見 はっけん したときのことを、「そこには御 ご 主人 しゅじん (三島 みしま )に対 たい する愛情 あいじょう と尊敬 そんけい がこめられていた。ふるえるほどの感動 かんどう に私 わたし は立 た ちつくしていた」と語 かた っている[3] 。これらネガフィルムや資料 しりょう は1995年 ねん (平成 へいせい 7年 ねん )に夫人 ふじん が死去 しきょ した数 すう 年 ねん 後 ご に発見 はっけん されていた[3] 。映画 えいが DVD は2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )4月 がつ に東宝 とうほう で販売 はんばい され、同 どう 時期 じき に新潮社 しんちょうしゃ の『決定 けってい 版 ばん 三島 みしま 由紀夫 ゆきお 全集 ぜんしゅう 別巻 べっかん ・映画 えいが 「憂国 ゆうこく 」』にも、DVDと写真 しゃしん 解説 かいせつ が所収 しょしゅう された。
『憂国 ゆうこく 』はツール国際 こくさい 短編 たんぺん 映画 えいが 祭 さい 劇映画 げきえいが 部門 ぶもん 第 だい 2位 い となったが、その時 とき の評価 ひょうか は賛否 さんぴ 両論 りょうろん あり、中 なか には「ショックを与 あた えることをねらった露出 ろしゅつ 趣味 しゅみ 」という映画 えいが 評論 ひょうろん 家 か ・ジョルジュ・サドゥールの辛口 からくち 評 ひょう もあったが[31] 、『ヌーヴェル・レプブリック』紙 し のベルナアル・アーメルは、『憂国 ゆうこく 』を「真実 しんじつ な、短 みじか い、兇暴 きょうぼう な悲劇 ひげき 」とし、近代 きんだい 化 か された「能 のう 」の形式 けいしき の中 なか に「ギリシア悲劇 ひげき の持 も つ或 ある るものを、永遠 えいえん の詩 し を、すなわち愛 あい と死 し をその中 なか にはらんでいる」と評 ひょう し、以下 いか のように解説 かいせつ している[2] 。
驚 おどろ くべきことに、
ワグナー (『
トリスタンとイゾルデ 』)はこの
日本 にっぽん の
影像 えいぞう (イメージ)に
最 もっと も
深 ふか く
調和 ちょうわ している。そしてこの
日本 にっぽん の
影像 えいぞう の
持 も つ、
肉 にく 惑
的 てき であると
同時 どうじ に
宗教 しゅうきょう 的 てき なリズムは、
西洋 せいよう のこれまでに
創 つく り
得 え たもっとも
美 うつく しい
至福 しふく の
歌 うた の
持 も つ
旋律 せんりつ 構成 こうせい に、すこぶる
密接 みっせつ に
癒着 ゆちゃく しているのである。
— ベルナアル・アーメル「ヌーヴェル・レプブリック」紙 し [2]
また、フランスの一般 いっぱん の観客 かんきゃく から、「良人 りょうじん が切腹 せっぷく している間 あいだ 、妻 つま がいうにいわれない悲痛 ひつう な表情 ひょうじょう でそれを見守 みまも りながら、しかも、その良人 りょうじん のはげしい苦痛 くつう を自分 じぶん がわかつことができないという悲 かな しみにひしがれている姿 すがた が最 もっと も感動 かんどう 的 てき であった」と言 い われ、三島 みしま は感動 かんどう したと述 の べている[2] 。
澁澤 しぶさわ 龍彦 たつひこ は、「三島 みしま 氏 し はこの映画 えいが で、日本人 にっぽんじん の集合 しゅうごう 的 てき 無意識 むいしき の奥底 おくそこ によどんでいるどろどろした欲望 よくぼう に、映像 えいぞう として明確 めいかく な形 かたち をあたえ、人間 にんげん の肉 にく のけいれんとしてのオルガスム を、エロティシズムと死 し の両面 りょうめん から二 に 重 じゅう 写 うつ しに描 えが き出 だ した」と評価 ひょうか している[32] 。
安部 あべ 公房 こうぼう は、小説 しょうせつ 『憂国 ゆうこく 』を支 ささ えていた「精緻 せいち な均衡 きんこう 」とくらべ、映画 えいが の方 ほう は、「ひどく安定 あんてい に欠 か けたところ」があったが、むしろその不安定 ふあんてい さのもつ「緊張 きんちょう 感 かん 」にひきつけられたとし、次 つぎ のように語 かた っている[33] 。
その
不安定 ふあんてい さは、もしかすると、
作者 さくしゃ が
映画 えいが を
完全 かんぜん には
信 しん じていないところからくるものだったかもしれない。
信 しん じていないからこそ
作者 さくしゃ があれほど
前面 ぜんめん に
押 お し
出 だ されて
来 き てしまったのだろう。
作者 さくしゃ が
主役 しゅやく を
演 えん じているというようなことではなく、あの
作品 さくひん 全体 ぜんたい が、まさに
作者 さくしゃ 自身 じしん の
分身 ぶんしん なのだ。
自己 じこ の
作品 さくひん 化 か をするのが、
私小説 ししょうせつ 作家 さっか だとすれば、
三島 みしま 由紀夫 ゆきお は
逆 ぎゃく に
作品 さくひん に、
自己 じこ を
転位 てんい させようとしたのかもしれない。むろんそんなことは
不可能 ふかのう だ。
作者 さくしゃ と
作品 さくひん とは、もともと
ポジ と
ネガ の
関係 かんけい にあり、
両方 りょうほう を
完全 かんぜん に
一致 いっち させてしまえば、
相互 そうご に
打 う ち
消 け しあって、
無 む がのこるだけである。
そんなことを
三島 みしま 由紀夫 ゆきお が
知 し らないわけがない。
知 し っていながらあえてその
不可能 ふかのう に
挑戦 ちょうせん したのだろう。なんという
傲慢 ごうまん な、そして
逆説 ぎゃくせつ 的 てき な
挑戦 ちょうせん であることか。ぼくに、
羨望 せんぼう に
近 ちか い
共感 きょうかん を
感 かん じさせたのも、
恐 おそ らくその
不敵 ふてき な
野望 やぼう のせいだったに
違 ちが いない。いずれにしても、
単 たん なる
作品 さくひん 評 ひょう などでは
片付 かたづ けてしまえない、
大 おお きな
問題 もんだい をはらんでいる。
作家 さっか の
姿勢 しせい として、ともかくぼくは
脱帽 だつぼう を
惜 お しまない。
— 安部 あべ 公房 こうぼう 「“三島 みしま 美学 びがく ”の傲慢 ごうまん な挑戦 ちょうせん ―映画 えいが 『憂国 ゆうこく 』のはらむ問題 もんだい は何 なに か」[33]
三島 みしま が有名 ゆうめい な作家 さっか であることから、周 まわ りの映画 えいが 評論 ひょうろん 家 か たちが賛辞 さんじ ばかりを贈 おく るなか、『薔薇 ばら 族 ぞく 』の表紙 ひょうし 絵 え を描 えが いていた大川 おおかわ 辰次 たつじ が率直 そっちょく な感想 かんそう を雑誌 ざっし に書 か いたところ、三島 みしま から面会 めんかい を求 もと められ、意気投合 いきとうごう 。付 つ き合 あ いを重 かさ ねるうち、三島 みしま が大川 おおかわ のことを「親父 おやじ 」と呼 よ ぶまでの仲 なか になったと、伊藤 いとう 文学 ぶんがく は回顧 かいこ している[34] 。
2006年 ねん 4月 がつ 28日 にち に東宝 とうほう からDVDが発売 はつばい された。
2006年 ねん 4月 がつ 28日 にち に新潮社 しんちょうしゃ から発売 はつばい された『決定 けってい 版 ばん 三島 みしま 由紀夫 ゆきお 全集 ぜんしゅう 別巻 べっかん 映画 えいが 「憂国 ゆうこく 」』にも、DVDと写真 しゃしん 解説 かいせつ が所収 しょしゅう された。
前述 ぜんじゅつ の事情 じじょう から2006年 ねん のDVD化 か 以前 いぜん は一切 いっさい 映像 えいぞう ソフト化 か されていなかったが、海外 かいがい には焼却 しょうきゃく 処分 しょぶん を免 まぬか れた本 ほん 作 さく の上映 じょうえい 用 よう プリントが残 のこ っており、そのフィルムを元 もと にした海賊版 かいぞくばん ビデオが出回 でまわ っていた。藤井 ふじい 浩明 ひろあき はDVD化 か の際 さい に「海賊版 かいぞくばん がネットオークションなどで出回 でまわ っていて粗悪 そあく な画面 がめん だったので、いずれ発表 はっぴょう しなくてはいけないと思 おも っていた[35] 」とコメントしている。
三島 みしま 由紀夫 ゆきお 没 ぼつ 後 ご 50周年 しゅうねん 企画 きかく 『MISHIMA2020』「(死 し なない)憂国 ゆうこく 」
『スタア 』(新潮社 しんちょうしゃ 、1961年 ねん 1月 がつ 30日 にち )
『スタア』(講談社 こうだんしゃ ロマン・ブックス、1963年 ねん 8月 がつ 10日 とおか )
カバー装幀 そうてい :真鍋 まなべ 博 ひろし
収録 しゅうろく 作品 さくひん :「スタア」「憂國 ゆうこく 」「百 ひゃく 万 まん 円 えん 煎餅 せんべい 」
『憂國 ゆうこく 映画 えいが 版 ばん 』(新潮社 しんちょうしゃ 、1966年 ねん 4月 がつ 10日 とおか ) NCID BA48563039
クロス装 そう 。ビニールカバー。赤色 あかいろ 帯 たい 。138頁 ぺーじ 。
収録 しゅうろく 作品 さくひん :原作 げんさく 。撮影 さつえい 台本 だいほん 。スチール(52頁 ぺーじ 69葉 よう 。撮影 さつえい :神谷 かみや 武和 たけかず )。製作 せいさく 意図 いと 及 およ び経過 けいか 。
見返 みかえ しに著者 ちょしゃ 自筆 じひつ 「シナリオ憂國 ゆうこく 」の舞台 ぶたい スケッチ等 とう を印刷 いんさつ 。
※ 写真 しゃしん のNo.28が、三島 みしま の意 い にそわないため、実写 じっしゃ 写真 しゃしん を貼付 ちょうふ したものあり。
『英霊 えいれい の聲 こえ 』(河出書房新社 かわでしょぼうしんしゃ 、1966年 ねん 6月 がつ 30日 にち )
装幀 そうてい :榛 はしばみ 地 ち 和 わ 。布 ぬの 装 そう 。貼 は 函 はこ 。赤色 あかいろ 帯 たい 。
収録 しゅうろく 作品 さくひん :「英霊 えいれい の聲 こえ 」「憂國 ゆうこく 」「十日 とおか の菊 きく 」「二・二六事件 ににろくじけん と私 わたし 」
帯 おび (裏 うら )に「二 に ・二 に 六 ろく 事件 じけん と私 わたし 」より抜粋 ばっすい された「三 みっ つの作品 さくひん の意図 いと 」と題 だい する文章 ぶんしょう 。
『英霊 えいれい の聲 こえ 』(河出 かわで 文芸 ぶんげい 選書 せんしょ 、1976年 ねん 2月 がつ 15日 にち )
カバー装幀 そうてい :横山 よこやま 宏 ひろし 輔。紙 かみ 装 そう 。橙色 だいだいいろ 帯 たい 。
収録 しゅうろく 作品 さくひん :「英霊 えいれい の聲 こえ 」「憂國 ゆうこく 」「十日 とおか の菊 きく 」「二 に ・二 に 六 ろく 事件 じけん と私 わたし 」
付録 ふろく ・月報 げっぽう として、書評 しょひょう :山崎 やまざき 正和 まさかず 、日沼 ひぬま 倫太郎 りんたろう 。文芸 ぶんげい 時評 じひょう :山本 やまもと 健吉 けんきち
口絵 くちえ 写真 しゃしん 1頁 ぺーじ 1葉 よう (著者 ちょしゃ 肖像 しょうぞう 写真 しゃしん 。撮影 さつえい :細江 ほそえ 英 えい 公 こう )
自選 じせん 短 たん 編集 へんしゅう 『花 はな ざかりの森 もり ・憂国 ゆうこく ――自選 じせん 短 たん 編集 へんしゅう 』(新潮 しんちょう 文庫 ぶんこ 、1968年 ねん 9月 がつ 15日 にち 。改版 かいはん 1992年 ねん 3月 がつ 20日 はつか )
解説 かいせつ :三島 みしま 由紀夫 ゆきお 。口絵 くちえ 写真 しゃしん 1頁 ぺーじ 1葉 よう (映画 えいが 『憂国 ゆうこく 』スチール)。白色 はくしょく 帯 たい 。
収録 しゅうろく 作品 さくひん :「花 はな ざかりの森 もり 」「中世 ちゅうせい に於 お ける一 いち 殺人 さつじん 常習 じょうしゅう 者 しゃ の遺 のこ せる哲学 てつがく 的 てき 日記 にっき の抜萃 ばっすい 」「遠 とお 乗 じょう 会 かい 」「卵 たまご 」「詩 し を書 か く少年 しょうねん 」「海 うみ と夕 ゆう 焼 しょう 」「新聞紙 しんぶんし 」「牡丹 ぼたん 」「橋 はし づくし 」「女方 おざかた 」「百 ひゃく 万 まん 円 えん 煎餅 せんべい 」「憂国 ゆうこく 」「月 つき 」
※ 度々 たびたび カバー改装 かいそう 。
文庫 ぶんこ 新版 しんぱん 『花 はな ざかりの森 もり ・憂国 ゆうこく 』(新潮 しんちょう 文庫 ぶんこ 、2020年 ねん 11月1日 にち )。同上 どうじょう +新版 しんぱん 解説 かいせつ :佐藤 さとう 秀明 ひであき
文庫 ぶんこ 版 ばん 『英霊 えいれい の聲 こえ オリジナル版 ばん 』(河出 かわで 文庫 ぶんこ 、2005年 ねん 10月 がつ 5日 にち )
カバーデザイン:榛 はしばみ 地 ち 和 わ 。カバー装画 そうが :粟津 あわづ 潔 きよし 。カバーフォーマット:佐々木 ささき 暁 あきら 。全 ぜん 268頁 ぺーじ
解説 かいせつ :藤田 ふじた 三男 みつお 「『英霊 えいれい の聲 こえ 』の声 こえ 」
収録 しゅうろく 作品 さくひん :「英霊 えいれい の聲 こえ 」「憂國 ゆうこく 」「十日 とおか の菊 きく 」「二 に ・二 に 六 ろく 事件 じけん と私 わたし 」
文庫 ぶんこ 版 ばん 『近代 きんだい 浪漫 ろうまん 派 は 文庫 ぶんこ 42 三島 みしま 由紀夫 ゆきお 』(新学社 しんがくしゃ 、2007年 ねん 7月 がつ )
英文 えいぶん 版 ばん 『Patriotism』(訳 わけ :Geoffrey W. Sargent)(New Directions、1995年 ねん 11月。他 た )
英訳 えいやく 版 ばん 『真夏 まなつ の死 し その他 た 』 “Death in Midsummer and other stories”(訳 わけ :エドワード・G・サイデンステッカー 、ドナルド・キーン 、アイヴァン・モリス 、ほか)(New Directions、1966年 ねん 。Penguin Books Ltd、1986年 ねん )
収録 しゅうろく 作品 さくひん :真夏 まなつ の死 し (Death in Midsummer)、百 ひゃく 万 まん 円 えん 煎餅 せんべい (Three Million Yen)、魔法瓶 まほうびん (Thermos Flasks)、志賀 しが 寺 てら 上人 しょうにん の恋 こい (The Priest of Shiga Temple and His Love)、橋 はし づくし (The Seven Bridges)、憂国 ゆうこく (Patriotism)、道成寺 どうじょうじ (Dōjōji)、女方 おざかた (Onnagata)、真珠 しんじゅ (The Pearl)、新聞紙 しんぶんし (Swaddling Clothes)
※ 1967年 ねん (昭和 しょうわ 42年 ねん )度 ど のフォルメントール国際 こくさい 文学 ぶんがく 賞 しょう (Formentor Literature Prize)第 だい 2位 い 受賞 じゅしょう 。
※映画 えいが 台本 だいほん は★印 しるし
『三島 みしま 由紀夫 ゆきお 全集 ぜんしゅう 13巻 かん (小説 しょうせつ XIII)』(新潮社 しんちょうしゃ 、1973年 ねん 10月 がつ 25日 にち )
装幀 そうてい :杉山 すぎやま 寧 やすし 。四 よん 六 ろく 判 ばん 。背革 せがわ 紙 し 継 つぎ ぎ装 そう 。貼 は 函 はこ 。
月報 げっぽう :斎藤 さいとう 直一 なおかず 「『宴 うたげ のあと 』訴訟 そしょう 事件 じけん を想 おも い三島 みしま 君 くん を偲 しの ぶ」。《評伝 ひょうでん ・三島 みしま 由紀夫 ゆきお 6》佐伯 さえき 彰一 しょういち 「二 ふた つの遺作 いさく (その5)」。《同 どう 時代 じだい 評 ひょう から 6》虫明 むしあけ 亜 あ 呂 りょ 無 な 「『宴 うたげ のあと』『憂国 ゆうこく 』をめぐって」
収録 しゅうろく 作品 さくひん :「宴 うたげ のあと」「憂国 ゆうこく 」「獣 しし の戯 じゃ れ 」「苺 いちご 」「帽子 ぼうし の花 はな 」「魔法瓶 まほうびん 」「月 つき 」「葡萄 ぶどう パン」「真珠 しんじゅ 」「雨 あめ のなかの噴水 ふんすい 」「切符 きっぷ 」
※ 同 どう 一 いち 内容 ないよう で豪華 ごうか 限定 げんてい 版 ばん (装幀 そうてい :杉山 すぎやま 寧 やすし 。総 そう 革 かわ 装 そう 。天金 てんきん 。緑 みどり 革 かわ 貼 は 函 はこ 。段 だん ボール夫婦 ふうふ 外 がい 函 はこ 。A5変型 へんけい 版 ばん 。本文 ほんぶん 2色刷 いろずり )が1,000部 ぶ あり。
『三島 みしま 由紀夫 ゆきお 全集 ぜんしゅう 23(戯曲 ぎきょく IV)』(新潮社 しんちょうしゃ 、1974年 ねん 11月25日 にち )★
『三島 みしま 由紀夫 ゆきお 短篇 たんぺん 全集 ぜんしゅう 』〈下巻 げかん 〉(新潮社 しんちょうしゃ 、1987年 ねん 11月20日 にち )
布 ぬの 装 そう 。セット機械 きかい 函 はこ 。四六判 しろくばん 。2段 だん 組 ぐみ 。
収録 しゅうろく 作品 さくひん :「家庭 かてい 裁判 さいばん 」から「蘭 らん 陵 りょう 王 おう 」までの73篇 へん 。
『三島 みしま 由紀夫 ゆきお 戯曲 ぎきょく 全集 ぜんしゅう 下巻 げかん 』(新潮社 しんちょうしゃ 、1990年 ねん 9月 がつ 10日 とおか )★
『決定 けってい 版 ばん 三島 みしま 由紀夫 ゆきお 全集 ぜんしゅう 20巻 かん ・短編 たんぺん 6』(新潮社 しんちょうしゃ 、2002年 ねん 7月 がつ 10日 とおか )
貼 は 函 はこ 。布 ぬの クロス装 そう 。丸 まる 背 せ 。箔押 はくお し2色 しょく 。帯 おび 。四六判 しろくばん 。旧 きゅう 字 じ ・旧 きゅう 仮名遣 かなづか い。
装幀 そうてい :新潮社 しんちょうしゃ 装幀 そうてい 室 しつ 。装画 そうが :柄澤 からさわ 齊 ひとし 。口絵 くちえ 写真 しゃしん 1頁 ぺーじ 1葉 よう (著者 ちょしゃ 肖像 しょうぞう )あり
月報 げっぽう :金子 かねこ 國義 くによし 「優 やさ しく澄 す んだ眼差 まなざ し」。出 で 久根 くね 達郎 たつお 「商人 しょうにん 根性 こんじょう 」。田中 たなか 美代子 みよこ 《小説 しょうせつ の創 つく り方 かた 》20「精霊 せいれい の来訪 らいほう 」
収録 しゅうろく 作品 さくひん :「憂国 ゆうこく 」「苺 いちご 」「帽子 ぼうし の花 はな 」「魔法瓶 まほうびん 」「月 つき 」「葡萄 ぶどう パン」「真珠 しんじゅ 」「自動車 じどうしゃ 」「可 か 哀 あい さうなパパ」「雨 あめ のなかの噴水 ふんすい 」「切符 きっぷ 」「剣 けん 」「月 つき 澹荘綺 あやぎぬ 譚 たん 」「三 さん 熊野 くまの 詣 まい 」「孔雀 くじゃく 」「朝 あさ の純愛 じゅんあい 」「仲間 なかま 」「英霊 えいれい の声 こえ 」「荒野 あらの より 」「時計 とけい 」「蘭 らん 陵 りょう 王 おう 」、参考 さんこう 作品 さくひん 21篇 へん 、異 い 稿 こう 5篇 へん 、創作 そうさく ノート
『決定 けってい 版 ばん 三島 みしま 由紀夫 ゆきお 全集 ぜんしゅう 24巻 かん ・戯曲 ぎきょく 4』(新潮社 しんちょうしゃ 、2002年 ねん 11月8日 にち )★
仕様 しよう は上記 じょうき と同様 どうよう 。
月報 げっぽう :立松 たてまつ 和平 わへい 「厳粛 げんしゅく なる快楽 かいらく 」、斎藤 さいとう 康一 やすいち 「ファインダーの中 なか の三島 みしま さん」、〔天球儀 てんきゅうぎ としての劇場 げきじょう 4〕田中 たなか 美代子 みよこ 「政治 せいじ 劇 げき のあとに」
収録 しゅうろく 作品 さくひん :「喜 よろこ びの琴 きん 」「美濃 みの 子 こ 」「恋 こい の帆影 ほかげ 」「サド侯爵 こうしゃく 夫人 ふじん 」「撮影 さつえい 台本 だいほん 憂国 ゆうこく 」「アラビアン・ナイト」「朱雀 すざく 家 か の滅亡 めつぼう 」「ミランダ」「わが友 とも ヒットラー 」「『喜 よろこ びの琴 きん 』創作 そうさく ノート」「『美濃 みの 子 こ 』創作 そうさく ノート」「『恋 こい の帆影 ほかげ 』創作 そうさく ノート」「『アラビアン・ナイト』創作 そうさく ノート」「『朱雀 すざく 家 か の滅亡 めつぼう 』創作 そうさく ノート」「『ミランダ』創作 そうさく ノート」
『決定 けってい 版 ばん 三島 みしま 由紀夫 ゆきお 全集 ぜんしゅう 別巻 べっかん ・映画 えいが 「憂国 ゆうこく 」(DVD)』(新潮社 しんちょうしゃ 、2006年 ねん 4月 がつ 28日 にち )
月報 げっぽう :追加 ついか 収録 しゅうろく 〔評論 ひょうろん 〕〔アンケート〕〔書簡 しょかん 〕、正誤 せいご 補 ほ 訂 てい 一覧 いちらん 追加 ついか
収録 しゅうろく 内容 ないよう :DVD『憂國 ゆうこく 』1枚 まい 、小 しょう 冊子 さっし (ブックレット)68頁 ぺーじ
^ なお、前年 ぜんねん の1960年 ねん (昭和 しょうわ 35年 ねん )10月 がつ 、ギリシャ 研究 けんきゅう ・同性愛 どうせいあい の会 かい 「アドニス会 かい 」の機関 きかん 紙 し 『ADONIS』の別冊 べっさつ 小説 しょうせつ 集 しゅう 「APOLLO(アポロ)」5集 しゅう に、三島 みしま は榊山 さかきやま 保 たもつ 名義 めいぎ で『愛 あい の処刑 しょけい 』という切腹 せっぷく をモチーフにした劇画 げきが 風 ふう の短編 たんぺん 小説 しょうせつ を投稿 とうこう している[10] 。
^ 三島 みしま 自身 じしん は武山 たけやま 中尉 ちゅうい の境遇 きょうぐう を〈冷飯 ひやめし を喰 くえ はされてゐる地位 ちい 〉に置 お きたかったために、改訂 かいてい には多少 たしょう 未練 みれん があったとしている[4] 。一般 いっぱん 的 てき に、旧 きゅう 日本 にっぽん 軍 ぐん においては、輜重 しちょう 兵 へい (現在 げんざい の後方 こうほう 支援 しえん 部隊 ぶたい )は冷遇 れいぐう されており、同 どう 部隊 ぶたい への配属 はいぞく は左遷 させん に等 ひと しい人事 じんじ とみなされた。
^ 市川 いちかわ 雷蔵 らいぞう の仕事 しごと 仲間 なかま でもあった。
^ 著書 ちょしょ に堂本 どうもと 2005 がある。
^ a b 「あとがき」(『三島 みしま 由紀夫 ゆきお 短篇 たんぺん 全集 ぜんしゅう 6』講談社 こうだんしゃ ロマンブックス、1965年 ねん 8月 がつ )。33巻 かん 2003 , pp. 414–416に所収 しょしゅう
^ a b c d e f g 「製作 せいさく 意図 いと 及 およ び経過 けいか 」(『憂國 ゆうこく 映画 えいが 版 ばん 』 新潮社 しんちょうしゃ 、1966年 ねん 4月 がつ )。34巻 かん 2003 , pp. 35–64
^ a b c d e f 藤井 ふじい 浩明 ひろあき 「映画 えいが 『憂国 ゆうこく 』の歩 あゆ んだ道 みち 」(別巻 べっかん 2006 ブックレット内 ない )
^ a b c d e f 「二 に ・二 に 六 ろく 事件 じけん と私 わたし 」(『英霊 えいれい の聲 こえ 』河出書房新社 かわでしょぼうしんしゃ 、1966年 ねん 6月 がつ )。34巻 かん 2003 , pp. 107–119
^ a b 「世界 せかい の破滅 はめつ に抗 こう して」(徹 てっ 2010 , pp. 118–131)
^ a b c d 「第 だい 一 いち 章 しょう 哲学 てつがく 者 しゃ の三島 みしま 由紀夫 ゆきお 論 ろん 5 エロティシズムの美学 びがく 」(伊藤 いとう 2006 , pp. 41–44)
^ 井上 いのうえ 隆史 たかし 「作品 さくひん 目録 もくろく ――昭和 しょうわ 36年 ねん 」(42巻 かん 2005 , pp. 424–427)
^ a b c 山中 やまなか 剛史 たけし 「著書 ちょしょ 目録 もくろく ――目次 もくじ 」(42巻 かん 2005 , pp. 540–561)
^ a b c d 田中 たなか 美代子 みよこ 「解題 かいだい ――憂国 ゆうこく 」(20巻 かん 2002 , pp. 791–795)
^ 井上 いのうえ 隆史 たかし 「作品 さくひん 目録 もくろく ――昭和 しょうわ 35年 ねん 」(42巻 かん 2005 , pp. 422–424)
^ 久保田 くぼた 裕子 ゆうこ 「三島 みしま 由紀夫 ゆきお 翻訳 ほんやく 書目 しょもく 」(事典 じてん 2000 , pp. 695–729)
^ 「第 だい 五 ご 章 しょう 文 ぶん と武 たけ の人 ひと 」(佐藤 さとう 2006 , pp. 144–205)
^ 堂本 どうもと 正樹 まさき 「『憂国 ゆうこく ・映画 えいが 版 ばん 』」(事典 じてん 2000 , pp. 386–388)
^ a b c 「解説 かいせつ 」(『花 はな ざかりの森 もり ・憂国 ゆうこく ――自選 じせん 短 たん 編集 へんしゅう 』新潮 しんちょう 文庫 ぶんこ 、1968年 ねん 9月 がつ )。花 はな ・憂国 ゆうこく 1992 , pp. 281–286、35巻 かん 2003 , pp. 172–176に所収 しょしゅう
^ a b 磯田 いそだ 光一 こういち 「解説 かいせつ 」(『日本 にっぽん 文学 ぶんがく 全集 ぜんしゅう 27・三島 みしま 由紀夫 ゆきお 』河出 かわで 書房 しょぼう 、1967年 ねん )。論集 ろんしゅう II 2001 , pp. 238–239
^ 「第 だい 二 に 部 ぶ 三島 みしま 由紀夫 ゆきお と私 わたし 一 いち 出会 であ い」(原 げん 2004 , pp. 54–62)
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^ 小笠原 おがさわら 賢二 けんじ 「『幸福 こうふく 』という存在 そんざい 論 ろん ―『美徳 びとく とよろめき 』を中心 ちゅうしん に―」(論集 ろんしゅう I 2001 , pp. 239–260)
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^ 「憂国 ゆうこく 」フィルム発見 はっけん …焼却 しょうきゃく 処分 しょぶん とされた“幻 まぼろし ”の作品 さくひん http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_08/g2005081909.html
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