だいいちインターナショナル綱領こうりょう

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だいいちインターナショナル綱領こうりょう
国際こくさい労働ろうどうしゃ協会きょうかい綱領こうりょう
(「個々ここ問題もんだいについての暫定ざんてい中央ちゅうおう評議ひょうぎかい代議員だいぎいんへの指示しじ」)
マルクス(1867ねん)とエンゲルス(1868ねん
作成さくせい1866ねん

だいいちインターナショナル綱領こうりょう』または『国際こくさい労働ろうどうしゃ協会きょうかい綱領こうりょう』とは「だいいちインターナショナル」あるいは「国際こくさい労働ろうどうしゃ協会きょうかい(IWA)」で採択さいたくされた綱領こうりょうである。1866ねん9月3-8にちにかけて開催かいさいされたジュネーヴ大会たいかい英語えいごばん討議とうぎけて、カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスによって時間じかんをかけて総括そうかつされ、ぜん世界せかい労働ろうどうしゃのため『個々ここ問題もんだいについての暫定ざんてい中央ちゅうおう評議ひょうぎかい代議員だいぎいんへの指示しじ』というタイトルでIWA中央ちゅうおう評議ひょうぎかい提出ていしゅつされたものである。どう文書ぶんしょはIWAの最低限さいていげん綱領こうりょう』として発表はっぴょうされた。

採択さいたく経緯けいい[編集へんしゅう]

じゅうきゅう世紀せいき当時とうじは、資本しほん主義しゅぎ経済けいざい現実げんじつ美化びか擁護ようごする現状げんじょう肯定こうていてき主張しゅちょう立場たちば―ブリテンでは自由じゆう労働ろうどう主義しゅぎ英語えいごばんであり、フランスではプルードン主義しゅぎであり、ドイツではラッサール主義しゅぎなど妥協だきょうてき日和見ひよりみてきはん社会しゃかい主義しゅぎ自由じゆう民主みんしゅ主義しゅぎ―のイデオロギー支配しはい労働ろうどうしゃ階級かいきゅう意識いしきくもらせていた。そのため、マルクスはジュネーヴ大会たいかい英語えいごばん討議とうぎ内容ないよう沿ってIWAの指針ししん提示ていじすることとした。『綱領こうりょう』の内容ないようとその射程しゃていてん要約ようやくできる[1]。すなわち、1)労働ろうどう組合くみあい奨励しょうれい運動うんどう支援しえん、2)労働ろうどう時間じかん短縮たんしゅく、3)婦人ふじん児童じどう労働ろうどう制限せいげん、4)税制ぜいせい問題もんだい討議とうぎ、5)常備じょうびぐん廃止はいし決議けつぎしたのである[2]

綱領こうりょう』の内容ないよう[編集へんしゅう]

労働ろうどう制限せいげん[編集へんしゅう]

労働ろうどう時間じかん制限せいげんは、労働ろうどうしゃ生活せいかつ状態じょうたいめるうえで非常ひじょう重要じゅうよう問題もんだいであった。

ブリテンのような先進せんしんこくかぎらず工業こうぎょう過程かていにあるくにでは、から日没にちぼつまでの労働ろうどう合間あいま休息きゅうそくというぜん近代きんだいてき労働ろうどう時間じかん管理かんりがいつまでも存続そんぞくしていた。農村のうそん田畑たはたたがやし、鍛冶たんやじょう精錬せいれん従事じゅうじするのも農民のうみん職人しょくにん世界せかい労働ろうどう独立どくりつ保障ほしょうされた世界せかいであるが、工場こうじょう事務所じむしょ店舗てんぽ邸宅ていたくなどはたら労働ろうどうしゃ労働ろうどう時間じかん使用しようしゃから管理かんりされる状況じょうきょうにあった。当然とうぜん人間にんげん生活せいかつ最低さいてい限度げんど保証ほしょうするかしないかは貴族きぞく資本しほん恣意しいゆだねられ、この不平等ふびょうどう関係かんけい労働ろうどうしゃ人生じんせい現実げんじつであった。

すでにブリテンでは1847ねん工場こうじょうほう英語えいごばん通過つうか成立せいりつにより、労働ろうどう時間じかんじゅうあいだ制限せいげんされていたが、それでも建築けんちくぎょう機械きかいこうなど職種しょくしゅによってはまだまだ重労働じゅうろうどうであった。労働ろうどうしゃない闘争とうそうによって労働ろうどう時間じかん短縮たんしゅく部分ぶぶんてきではあるが達成たっせいしていたものの、それは個々ここ職種しょくしゅにおける業界ぎょうかいルールにまるもので法的ほうてき拘束こうそくりょくなどない代物しろものであった。しかし、アメリカの労働ろうどうしゃはちあいだ労働ろうどう法制ほうせい獲得かくとく要求ようきゅうしており、ぜん世界せかいがそのかんがえに感銘かんめいけていた。

IWAは「労働ろうどう制限せいげんは…先決せんけつ条件じょうけんである労働ろうどうしゃ階級かいきゅうの…健康けんこう体力たいりょく回復かいふくするためにも、またこの労働ろうどうしゃ階級かいきゅう知的ちてき発達はったつをとげ、社交しゃこう社会しゃかいてき政治せいじてき活動かつどうたずさわる可能かのうせい保証ほしょうするためにもぜひとも必要ひつようである」と時短じたん運動うんどう重要じゅうようせい主張しゅちょうして、生活せいかつしつ向上こうじょうしていくみち確保かくほして、つぎのステップをんでいくべきだとべた。「方向ほうこうとしては夜間やかん労働ろうどう完全かんぜん廃止はいし目指めざさなければならない」、「女子じょしについては夜間やかん労働ろうどうはいっさい厳重げんじゅう禁止きんししなければならないし、また両性りょうせい関係かんけい礼儀れいぎきずつけたり、女性じょせい身体しんたい有害ゆうがい作用さようやその有害ゆうがい影響えいきょうおよぼすような作業さぎょうも、いっさい厳重げんじゅう禁止きんしされなければならない」と指摘してきして、健康けんこうがい生活せいかつ破壊はかいするきつい夜業やぎょう禁止きんし結婚けっこんまえ重労働じゅうろうどういのちとすような女子じょし労働ろうどう根絶こんぜつされるように工場こうじょう労働ろうどう抜本ばっぽんてき改善かいぜん必要ひつようだとうったえた[3]

児童じどう労働ろうどう制限せいげん[編集へんしゅう]

坑道こうどう石炭せきたんをひく少女しょうじょ。19世紀せいき中頃なかごろ、このような児童じどう労働ろうどう実態じったい議会ぎかいでもげられ問題もんだいとなった

また、じゅうきゅう世紀せいき社会しゃかい現代げんだい社会しゃかい同様どうよう児童じどう労働ろうどうどもの貧困ひんこんもっと深刻しんこくした時代じだいであった。あらゆる先進せんしん工業こうぎょうこく児童じどう酷使こくしし、搾取さくしゅし、しいたげることを経済けいざい発展はってんかてとしてあらゆる形態けいたい人権じんけん侵害しんがいほしいままにした。

一方いっぽう当時とうじ社会しゃかいでは労働ろうどうしゃ階級かいきゅうぞくじゅうはちさい未満みまん児童じどう労働ろうどうするのは一般いっぱんてきであった。古代こだい中世ちゅうせいから徒弟とてい労働ろうどう近代きんだい工業こうぎょう社会しゃかいにいたってもなお存在そんざいしていたのである。徒弟とてい修業しゅうぎょうには、技術ぎじゅつ習得しゅうとく機会きかいあたえる教育きょういくてき効果こうか、そして人間にんげんとしていち人前にんまえにしていくという育成いくせいてき提供ていきょうしていた。したがって、こうした過酷かこく情勢じょうせいたいして、IWAは「合理ごうりてき社会しゃかい状態じょうたいのもとでは、きゅうさい以上いじょうのすべての児童じどう生産せいさんてき労働ろうどうしゃとならなければならない。うためには労働ろうどうしなければならず、しかも頭脳ずのうによってではなく、によって労働ろうどうしなければならない」と言及げんきゅうし、児童じどう労働ろうどうたいして「現実げんじつ主義しゅぎ」の立場たちばった。ただし、「きゅうさいからじゅうななさいまでのもの夜間やかん労働ろうどう健康けんこう有害ゆうがいなあらゆる職業しょくぎょう使用しようすることは、いっさい法律ほうりつによって厳重げんじゅう禁止きんしされなければならない」し、「資本しほんのもとでゆがめられたまわしいかたちをとって」酷使こくしして使つかいつぶすという資本しほん主義しゅぎ経済けいざいたいして痛烈つうれつ批判ひはんをおこなった。

IWAは「労働ろうどう教育きょういく結合けつごうされないかぎり、両親りょうしん企業きぎょう年少ねんしょうしゃ労働ろうどう使用しようゆるしてはならない」と主張しゅちょうし、するどアンチテーゼ提出ていしゅつしている。

児童じどうみっつの等級とうきゅうけて区分くぶんし、別々べつべつあつかうことを提唱ていしょうした。すなわち、だいいちきゅうきゅうさいからじゅうさいまでとしその使用しようあいだ制限せいげんすること、だいきゅうじゅうさんさいからじゅうさいまでとしよんあいだに、だいさんきゅうじゅうろくじゅうななさいとして一時いちじあいだ以上いじょう休憩きゅうけいあたえることを前提ぜんていろくあいだ制限せいげんすることを提案ていあんした。そして労働ろうどう制約せいやくして自由じゆう生活せいかつ時間じかん約束やくそくすることにくわえて重要じゅうようなことが教育きょういくあたえることである。

IWAは「労働ろうどうしゃのひとりひとりは、窮迫きゅうはくがせまってやむなくされる非行ひこうけることができない。労働ろうどうしゃはあまりにも無知むちなため、どものしん利益りえき人間にんげん発達はったつ正常せいじょう条件じょうけん理解りかいできない場合ばあい非常ひじょうおおい」とべる一方いっぽう、「知的ちてき労働ろうどうしゃは、自分じぶん階級かいきゅう将来しょうらい、したがってまた人類じんるい将来しょうらいがひとえにわか労働ろうどうしゃ世代せだい育成いくせいにかかっていることを、十分じゅうぶん理解りかいしている」として児童じどう問題もんだい重要じゅうようせい強調きょうちょうし、そして教育きょういくけんつぎのようにかたる。「初等しょとう学校がっこう教育きょういくは、おそらくきゅうさいたっするよりはやくからはじめることがのぞましいであろう。児童じどう年少ねんしょうしゃ権利けんりまもらなければならない。かれらは自分じぶんでそれをまもるために行動こうどうすることはできない。だから、かれらにわって行動こうどうすることが社会しゃかい義務ぎむである」。知育ちいく体育たいいく技術ぎじゅつ教育きょういくじくとして年齢ねんれいもとづく発達はったつ学習がくしゅうけるプログラムが最適さいてきとして提唱ていしょうした。この技術ぎじゅつ教育きょういくつうじて、やがて製造せいぞう現場げんば通用つうようする技術ぎじゅつりょくやしない、製品せいひん製造せいぞう販売はんばいしてげを小遣こづかいとしてわか生活せいかつ満喫まんきつできるようにはかり、やがて将来しょうらい飛躍ひやくこころざしていくように育成いくせいするべきであると認識にんしき提示ていじしている[4]

政治せいじ参加さんか必要ひつようせい[編集へんしゅう]

これらの具体ぐたいてきプランは法律ほうりつによって施行しこうされるべきものであるが、これらプランの提唱ていしょう労働ろうどう立法りっぽう重要じゅうようせい強調きょうちょうするものであった。マルクスは、立法りっぽう活動かつどう反対はんたいするアナーキスト反抗はんこう退しりぞけて労働ろうどう立法りっぽう全般ぜんぱんかんする声明せいめいし、つぎのようにいた。「このたね法律ほうりつ通過つうかさせることで、労働ろうどうしゃ階級かいきゅう支配しはい権力けんりょく強化きょうかするのではなく、反対はんたいに、現在げんざいかれらをおさえるために使つかわれているその権力けんりょくを、自分じぶん自身じしん武器ぶきえるのである」[5]。マルクスには、労働ろうどう立法りっぽう労働ろうどうしゃ保護ほごのための法的ほうてきたてとなり、そして攻撃こうげき手段しゅだんである武器ぶきとして資本しほんやめするさいおおいに役立やくだつとかんがえていたのである。

ポーランド復興ふっこうが『綱領こうりょう』に追加ついかされ、「民族みんぞく自決じけつけん実現じつげんとおして」、「民主みんしゅてき社会しゃかい主義しゅぎてき基礎きそをもつポーランドの再建さいけん」が要求ようきゅうされた。また、ロシア専制せんせい体制たいせい大国たいこく主義しゅぎてき侵略しんりゃくつよ非難ひなんされ、ロシア帝国ていこく擁護ようごして反動はんどう主義しゅぎまもろうとするヨーロッパの君主くんしゅこく(ヨーロッパ大陸たいりくでもっとも未開みかいてきかつ野蛮やばんくにロシア帝国ていこく、そしていで反動はんどうてきなのがベルギーオーストリア帝国ていこくプロイセン王国おうこくフランスだい帝政ていせいブリテン王国おうこく新興しんこうこくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく世界せかい仕切しきっていた)、そして、国家こっかとこれを牛耳ぎゅうじ資本しほん対抗たいこうする世界せかいてき連帯れんたい確立かくりつびかけられた[6]。IWAは世界せかいてき連帯れんたいによっていち国家こっか非難ひなんし、制裁せいさいびかける歴史れきしてきはじめての国際こくさい団体だんたいとなった。どう大会たいかい国家こっかへの経済けいざい制裁せいさい実施じっし国際こくさいてきなストやぶりの防止ぼうしのために結束けっそくするようびかけた。

IWAは各地かくち支部しぶ基礎きそに、それぞれが連合れんごう評議ひょうぎかい統合とうごうされ、さらにそのうえ運動うんどう全体ぜんたい指導しどうするものとして「中央ちゅうおう評議ひょうぎかい」すなわちそう評議ひょうぎかい設置せっちされていた。このそう評議ひょうぎかい構成こうせいする代表だいひょう労働ろうどうしゃ団体だんたい参加さんかする大会たいかい選出せんしゅつされ、大会たいかい決定けってい実行じっこうして大会たいかいたいして責任せきにんたすものとされた。IWAはマルクスが起草きそうした決議けつぎのもとに、労働ろうどう運動うんどう反対はんたいするプルードンおさえて、ジュネーヴ大会たいかい英語えいごばん労働ろうどう組合くみあい支援しえん立場たちばし、ストライキ支援しえんのために資金しきん援助えんじょをおこなうようになる[6]

労働ろうどう組合くみあいかんする決議けつぎ[編集へんしゅう]

マルクスは労働ろうどう組合くみあいかんする歴史れきしてき決議けつぎ提出ていしゅつし、同案どうあん採択さいたくみちびいた。

労働ろうどう組合くみあい―その過去かこ現在げんざい未来みらい

(1)資本しほん集中しゅうちゅうされた社会しゃかいてきりょくであるが、これにはんして労働ろうどうしゃみずか個別こべつてき労働ろうどうしか保有ほゆうしていない。それゆえ労働ろうどう資本しほんとの契約けいやくは、(所有しょゆう所有しょゆう関係かんけいにおいて)平等びょうどう条件じょうけんもとづくことはできない。労働ろうどうしゃただひとつの社会しゃかいてきりょくみずからのかずである。このかずはしかし、不一致ふいっちにより分散ぶんさんよわめられてしまう。労働ろうどうしゃ階級かいきゅう社会しゃかいてきりょく分散ぶんさんは、しょくもとめての不可避ふかひ競争きょうそうによってこされ持続じぞくせしめられる。労働ろうどう組合くみあい運動うんどうは、資本しほん専制せんせいてき命令めいれい抵抗ていこうし、労働ろうどう機会きかいもとめる相互そうご競争きょうそう阻止そしないしはすくなくともおさえ、これによって労働ろうどうしゃまさ奴隷どれい水準すいじゅんからげる……こころみとしてはじめられた。このことからして労働ろうどう組合くみあい運動うんどう直接的ちょくせつてき目的もくてきは、労働ろうどう資本しほんあいだ日常にちじょうてき抗争こうそうようするに賃金ちんぎん労働ろうどう時間じかん限定げんていされることになる。労働ろうどう組合くみあいのこれらの活動かつどうたんただしいことのみならず、絶対ぜったい必要ひつようなことであって、げん体制たいせい存続そんぞくするかぎまぬかれられない活動かつどうである。さらに、これらの活動かつどう労働ろうどうしゃ同盟どうめいによって普遍ふへんされなればならない。……労働ろうどう組合くみあいは、ちん労働ろうどうおよび資本しほんてき支配しはい廃絶はいぜつのために組織そしきされた団体だんたいとしていよいよ重要じゅうようである

(2)労働ろうどう組合くみあいは、……政治せいじ運動うんどうたいして超然ちょうぜんとしてきた。

(3)資本しほん侵害しんがいたいする日常にちじょう闘争とうそうけることなく、労働ろうどう組合くみあい労働ろうどうしゃ階級かいきゅう完全かんぜん解放かいほうのために、かれらの「中核ちゅうかく」として意識いしきてき行動こうどうすることをいままなばなければならない。労働ろうどう組合くみあいは……あらゆる社会しゃかいてきならびに政治せいじ運動うんどう支援しえんしなければならない。ぜん労働ろうどうしゃ階級かいきゅう擁護ようごしゃおよび代表だいひょうにんじるべきであり、……てい賃金ちんぎん労働ろうどうしゃ利害りがい周到しゅうとう配慮はいりょをめぐらすべきである。かくのごとき行動こうどうは、不可避ふかひてき熟練じゅくれん労働ろうどうしゃ大群たいぐんきつけることになり、そして労働ろうどう組合くみあい狭隘きょうあい利己りこ利害りがい追及ついきゅうするものではなく、むしろ蹂躙じゅうりんされた民衆みんしゅう解放かいほうするためにはたらいているという確信かくしんかれらにいだかせることになろう。()ない筆者ひっしゃ記述きじゅつ。」[7][8]

マルクスは、労働ろうどう組合くみあい社会しゃかいてき歴史れきしてき意義いぎ非常ひじょう重視じゅうしし、これまでの経済けいざいてき利害りがい闘争とうそう労使ろうし交渉こうしょうまらない価値かち主張しゅちょうしようとしていた。かれは社会しゃかい革命かくめいてき役割やくわり労働ろうどう組合くみあい付与ふよし、ぜん労働ろうどうしゃ階級かいきゅう先陣せんじんとしてなし、労働ろうどう組合くみあい運動うんどう鼓舞こぶして、労働ろうどう組合くみあいとその連合れんごう歴史れきしてきにはブリテンのTUC・労働ろうどう組合くみあい会議かいぎ代表だいひょうれい)を資本しほんによる階級かいきゅう支配しはいたいする要塞ようさいへとつくえ、また、すべての労働ろうどうしゃ階級かいきゅう、そして社会しゃかい主義しゅぎ勢力せいりょく政治せいじりょく強化きょうかしようとするかんがえを鮮明せんめいにしたのである。これ以降いこう、IWAへの労働ろうどう組合くみあい加入かにゅう増加ぞうかし、また同時どうじにIWAの指導しどうにあって労働ろうどう闘争とうそう一層いっそうはげしく展開てんかいしていくこととなる[2]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]