ちん労働ろうどう

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ちん労働ろうどう(ちんろうどう)とは、賃金ちんぎん対価たいかにしておこなわれる労働ろうどうのこと。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ちん労働ろうどうは、労働ろうどうしゃ労働ろうどう能力のうりょく商品しょうひんとみなして売買ばいばいおこなうもので、所有しょゆうしゃである労働ろうどうしゃ自己じこ労働ろうどう能力のうりょく一定いってい条件じょうけん時間じかん価格かかく)によって購入こうにゅうしゃである雇用こようぬしり、雇用こようぬしはその労働ろうどう能力のうりょく消費しょうひして生産せいさん活動かつどうなどをおこない、そこから利益りえき一部いちぶである貨幣かへい賃金ちんぎんという名目めいもく労働ろうどうしゃはらうことによって成立せいりつする。

カール・マルクスちん労働ろうどう自己じこ経済けいざい理論りろん基本きほん概念がいねんの1つとして重視じゅうしし、ちん労働ろうどう成立せいりつするためにはじゅう意味いみ自由じゆうである労働ろうどうしゃ存在そんざい必要ひつようであるとした。すなわち、自己じこ自由じゆう意志いしもとづいて労働ろうどうりょく販売はんばいすることができ(人格じんかくてき隷属れいぞく関係かんけいからの自由じゆう)、かつ生産せいさん手段しゅだん所有しょゆうしていないため(生産せいさん手段しゅだんから自由じゆう)、労働ろうどうりょく販売はんばいする以外いがい生活せいかつすることが不可能ふかのう人々ひとびとのことをしている。

ちん労働ろうどうにおける労働ろうどうしゃ形式けいしきてきあるいは人格じんかくてき雇用こようしゃからは自由じゆうである。これは、労働ろうどうしゃ自身じしん私有しゆう財産ざいさんとしてあつかわれた奴隷どれいせい生産せいさん手段しゅだんである土地とち緊縛きんばくされて自由じゆう移動いどうゆるされなかった農奴のうどせいとのおおきなちがいである。そのため、ちん労働ろうどう形成けいせい資本しほん主義しゅぎ成立せいりつ前提ぜんてい条件じょうけんであるとともにそのもとひろ一般いっぱんされる現象げんしょうであるとする。すなわち、ちん労働ろうどうきにした資本しほん主義しゅぎもその反対はんたいもありないということになる。その一方いっぽうで、労働ろうどうしゃ生産せいさん手段しゅだんっていないため、自分じぶん労働ろうどう能力のうりょく販売はんばいして貨幣かへい収入しゅうにゅうないかぎりはきていくことが出来できない。そのために労働ろうどうしゃ表面ひょうめんじょう労働ろうどう能力のうりょく販売はんばいおこなうかかの自由じゆうゆうしているものの、実態じったい一部いちぶ資産しさん例外れいがいとすれば、労働ろうどう能力のうりょく販売はんばいしないかぎりは人間にんげん社会しゃかい生存せいぞんしていくことすら困難こんなんとなる。さらに労働ろうどうしゃ販売はんばいさきである雇用こようしゃ自由じゆう選択せんたくすることが可能かのうである。だが実態じったい販売はんばいこばむことが出来できないため、その販売はんばい条件じょうけん雇用こようしゃがわ意向いこうつよ反映はんえいされ、雇用こようしゃつよ隷属れいぞくされる労働ろうどうおこなわざるをない。

さらにちん労働ろうどうにおいて、労働ろうどう能力のうりょく価値かち反映はんえいとされる賃金ちんぎんには、労働ろうどう能力のうりょく消費しょうひによっておこなわれる生産せいさん活動かつどうによって労働ろうどう能力のうりょく価値かち上回うわまわ価値かちされることにてんについては考慮こうりょされていない。実際じっさい生産せいさん活動かつどうによって創出そうしゅつされた価値かち賃金ちんぎん支払しはらいにあてられている必要ひつよう労働ろうどう部分ぶぶん利潤りじゅん形成けいせいする余剰よじょう労働ろうどう部分ぶぶんけられ、余剰よじょう労働ろうどうによってされる剰余じょうよ価値かち雇用こようしゃ拡大かくだいさい生産せいさん資本しほん形成けいせい利用りようされている。にもかかわらず、必要ひつよう労働ろうどう余剰よじょう労働ろうどう区別くべつ困難こんなんであるため、労働ろうどうしゃには剰余じょうよ価値かち存在そんざい意識いしきすることができず、すべての労働ろうどうたいする賃金ちんぎんはらわれている(必要ひつよう労働ろうどうしか存在そんざいしない)かのようにられる。このため、マルクスはちん労働ろうどう賃金ちんぎん存在そんざいによって搾取さくしゅ事実じじつたくみに隠蔽いんぺいする労働ろうどうとみなし、共産きょうさん主義しゅぎによってこれを廃絶はいぜつする必要ひつよう一方いっぽう資本しほん主義しゅぎ発展はってんとともにちん労働ろうどう発達はったつして雇用こようぬし資本しほん)への労働ろうどうしゃ従属じゅうぞく拡大かくだい深化しんかするものの、同時どうじにこの関係かんけい克服こくふくする変革へんかく主体しゅたいとして労働ろうどうしゃ階級かいきゅう組織そしきすすみ、革命かくめいへのあしがかりになるととらえられている。

日本にっぽんにおけるちん労働ろうどう形成けいせい[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおけるちん労働ろうどう本格ほんかくてき形成けいせい明治維新めいじいしん以後いごのことである。初期しょきちん労働ろうどうしたのは士族しぞくそうからであった。農村のうそんにおいては農業のうぎょう不振ふしんによって出稼でかせぎや離農りのうした人々ひとびと周辺しゅうへん製糸せいし織物おりものぎょう遠隔えんかく炭鉱たんこう鉱山こうざん、さらに都市とし工場こうじょうへとながれていってちん労働ろうどうしゃしていった。職人しょくにん場合ばあいは、従来じゅうらい職人しょくにんそうマニュファクチュア問屋とんやせい商業しょうぎょう資本しほん親方おやかた制度せいど構築こうちくなか再編さいへんされてちん労働ろうどうしゃしていった。士族しぞく場合ばあいは秩禄処分しょぶん士族しぞく授産じゅさん失敗しっぱいによって没落ぼつらくしていった人々ひとびとちん労働ろうどうしゃしていった。

日本にっぽんでも産業さんぎょう革命かくめい進展しんてんしていった明治めいじ中期ちゅうきになると、その主軸しゅじくとなった製糸せいしぎょう紡績ぼうせきぎょうにおいて「女工じょこう」とばれる大量たいりょう女性じょせいちん労働ろうどうしゃ出現しゅつげんするようになる。彼女かのじょたちは経済けいざいてき不振ふしんあえ地方ちほう貧農ひんのう小作こさくじん子女しじょ出身しゅっしんしゃおおく、雇用こようさい旅費りょひ支度したくりょう名目めいもく一定いっていぜん貸金かしきんあたえ、それを根拠こんきょ契約けいやく期間きかんちゅう退職たいしょく厳禁げんきん格安かくやす賃金ちんぎん昼夜ちゅうや交代こうたいせいによる深夜しんや労働ろうどうなどの過酷かこく条件じょうけんしつけ、一種いっしゅ債務さいむ奴隷どれい状態じょうたいいていた。一方いっぽう男性だんせいちん労働ろうどうしゃ場合ばあいにはおも漁村ぎょそん鉱山こうざんなどでの出稼でかせ労働ろうどうおおかったが、重工業じゅうこうぎょう発展はってんともなうそれらの分野ぶんやへの進出しんしゅつ増加ぞうかしていった。重工業じゅうこうぎょう場合ばあい熟練じゅくれん労働ろうどうしゃでも一定いってい効果こうかをあげ女工じょこうたちとはちがい、労働ろうどうしゃ経験けいけんなどの由来ゆらいする労働ろうどう能力のうりょくたかさ(熟練じゅくれんせい)がもとめられたため、生産せいさん現場げんばにおける熟練工じゅくれんこうとく親方おやかた職長しょくちょうばれる請負人うけおいにんてき立場たちばにある熟練工じゅくれんこう役割やくわり経営けいえいがわ無視むしできなかった。かれらはわか見習みならいこう指揮しき監督かんとくするとともに見習みならいこうたいする賃金ちんぎん雇用こよう決定けっていかんして一定いってい役割やくわりになった。また、かれらのなかにはより有利ゆうり労働ろうどう条件じょうけんもとめて「わた職工しょっこう」として流動的りゅうどうてき移動いどうおこなものもいた。

大正たいしょう時代じだいとくだいいち世界せかい大戦たいせんのちになると、国際こくさいてき風潮ふうちょうによって労働ろうどうしゃ保護ほご法制ほうせい日本にっぽんでも導入どうにゅうされるとともに、労務ろうむ管理かんり概念がいねん経営けいえいがわれられるようになった。さらに工業こうぎょう全体ぜんたい機械きかい進展しんてんしたこともちん労働ろうどうのありかた変化へんかをもたらしていった。すなわち、旧来きゅうらい親方おやかた制度せいど消滅しょうめつして経営けいえいがわちん労働ろうどうしゃ採用さいよう配置はいち昇給しょうきゅう昇進しょうしんなどを把握はあくするようになり、「なが職工しょっこう」を外部がいぶかられるようなうごきはすくなくなっていった。さらに女工じょこうにおいても機械きかい進展しんてんとともに従来じゅうらい熟練じゅくれん労働ろうどうしゃ債務さいむ奴隷どれいしていく従来じゅうらい方式ほうしきすたれ、能力のうりょく適性てきせいもとづく採用さいよう重視じゅうしするようになった。さらに雇用こよう調整ちょうせいしやすいちん労働ろうどうしゃそうとしてあらたに臨時りんじこう社外しゃがいこうなどの制度せいど導入どうにゅうされ、従来じゅうらい常用じょうようこう区別くべつされていった。

さらに昭和しょうわはいると軍需ぐんじゅたかまりと男性だんせいちん労働ろうどうしゃ徴兵ちょうへいなどの影響えいきょうもあって、金属きんぞく機械きかい工業こうぎょうでもけい労働ろうどう分野ぶんやかんしては女性じょせいちん労働ろうどうしゃ進出しんしゅつられ、1940年代ねんだいはいるとかつての「女工じょこう」の活動かつどう舞台ぶたいとなっていた製糸せいし紡績ぼうせきぎょう上回うわまわるようになっていった。さらに一時いちじてき現象げんしょうとはえ、戦局せんきょく悪化あっかともな勤労きんろう動員どういん強化きょうかによって学生がくせい朝鮮半島ちょうせんはんとうなどの植民しょくみん出身しゅっしんしゃ生産せいさん現場げんば投入とうにゅうされる場面ばめん増加ぞうかしていった。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]