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金貸かねか

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
金貸かねかしを神殿しんでんからすキリスト。

金貸かねか(かねかし、えい: moneylender)とは、通貨つうか必要ひつようとしているもの通貨つうかけて、利息りそく手数料てすうりょうなどの利益りえきもののことである[1]法外ほうがい金利きんり金貸かねかぎょう高利貸こうりかしという。

歴史れきし

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金貸かねかしは、古代こだい貨幣かへい使用しようはじまると、それにおくれることなくはじまった職業しょくぎょうであるとおもわれる[よう出典しゅってん]社会しゃかいてき動物どうぶつとしての人間にんげん社会しゃかい高度こうど専業せんぎょうした結果けっか様々さまざま生産せいさん活動かつどう産物さんぶつ交換こうかんおこなわれるようになった。この多岐たきわた現物げんぶつ交換こうかん不便ふべんおぎなうものとして約束やくそく手形てがたのような代用だいよう貨幣かへい利用りようはじまった。この代用だいよう貨幣かへい使用しようによって社会しゃかい経済けいざい活動かつどうはいっそう活発かっぱつになり、結果けっかとして貨幣かへいたくわえたもの貨幣かへい必要ひつようとするものてきた。そこで貨幣かへいたいする需要じゅよう供給きょうきゅう発生はっせいし、金貸かねかしがはじまった。

このように、金貸かねかしは必然ひつぜんてき自然しぜん発生はっせいした職業しょくぎょうであるが、古代こだいから金貸かねかしはくないものとなされており、かく宗教しゅうきょう聖典せいてんでは利息りそく金貸かねかしを批判ひはんしているほか[2]古代こだい中国ちゅうごくなどの国家こっか金貸かねかしは禁止きんしされていた[よう出典しゅってん]。ただし、儒教じゅきょう経典きょうてん利息りそくることをきんじておらず、古代こだい中国ちゅうごくではさきしん時代じだいにすでに高利貸こうりかし存在そんざいしていた[3]

ヘブライ聖書せいしょでは、ユダヤじんへの金貸かねかしは奉仕ほうしであるべきで利子りしさだめられていたが、ユダヤ以外いがいみんへは有利子ゆうりしみとめられていた[4]

古代こだいローマでは、紀元前きげんぜん共和きょうわせいローマ時代じだいには、いかなる利息りそくでの金貸かねかしも禁止きんしされていたが、帝政ていせいローマ時代じだいになると、規制きせいされた利息りそくでの金貸かねかしがみとめられるようになった。帝政ていせいローマでは、金貸かねかしはほとんどが裕福ゆうふく個人こじんによっておこなわれており、銀行ぎんこうのような金融きんゆうぎょう存在そんざいしなかった。当時とうじ利率りりつ年率ねんりつ4–12%、高利こうり場合ばあいは24-48%であった。この中間ちゅうかん利率りりつのない設定せってい年率ねんりつつきりつの12ばいとして計算けいさんしていたためとおもわれる[5]

帝政ていせいローマキリスト教きりすときょう普及ふきゅうすると、古代こだいギリシアや古代こだいローマの哲学てつがく倫理りんりがくもとづく金貸かねかしにたいする認識にんしき宗教しゅうきょうてきなものにわった。

キリスト教きりすときょうでは、紀元きげん325ねんだい1ニカイアこう会議かいぎにおいて、聖職せいしょくしゃ高利貸こうりかし関与かんよすることがきんじられた。キリスト教きりすときょうにおけるとみen:Usury参照さんしょう

7世紀せいき誕生たんじょうしたイスラム社会しゃかいでは、コーランにおいてすべての高利貸こうりかしきんじられている(イスラム銀行ぎんこう参照さんしょう)。10世紀せいき後半こうはんアッバースあさは、国家こっか財政ざいせいおぎなうために、税金ぜいきん担保たんぽとして金融きんゆう御用ごよう商人しょうにんから高利こうり融資ゆうしけた。この場合ばあい金利きんりは、イスラムほう禁止きんしされた利子りしリバー)ではなく、合法ごうほうてき利潤りじゅんであると解釈かいしゃくされた。こうした金融きんゆう業者ぎょうしゃはイスラム教徒きょうとよりもユダヤ教徒きょうとキリスト教徒きりすときょうとおおかったともわれる[3]

中世ちゅうせいヨーロッパカトリック教会きょうかいにおいても、旧約きゅうやく聖書せいしょさるいのち23:19-20の「兄弟きょうだい利息りそくってしてはならない」、4世紀せいきアンブロジウスの「資本しほんえたものをってはならない」というおしえから、信徒しんとあいだ利息りそくることは教義きょうぎじょうきんじられ、この教義きょうぎグラティアヌス教会きょうかいほうグラティアヌスきょうれいしゅう英語えいごばん)にれられた[3]。これに違反いはんしたもの破門はもんさだめられ、世俗せぞく法廷ほうていわたされるものもいた[3]だい3ラテランこう会議かいぎ(1179ねん)では、おおくのひとがまるでゆるされているかのように金貸かねかしをいとなんでいるとしてこれを非難ひなんし、高利貸こうりかし破門はもんにして秘跡ひせきキリスト教徒きりすときょうととしての埋葬まいそうけられないようにすべきであるとのきょうれい発布はっぷされた(カノン25じょう[6]だい4ラテランこう会議かいぎ(1215ねん)では、高利貸こうりかし規制きせいされているキリスト教徒きりすときょうとをユダヤじん高利貸こうりかしから保護ほごするためとして(カノン67じょう)、ユダヤじん隔離かくり方針ほうしんさだめた[7]。すでに11世紀せいきまつごろからユダヤじん高利貸こうりかしとして非難ひなんまととなっていたが、これ以降いこう、ユダヤじん職業しょくぎょう選択せんたく余地よちがなくなり、金融きんゆうぎょういとなむユダヤじんえた[8]。11世紀せいきから13世紀せいき神学しんがくしゃは、それまでくないことだとなされていた金貸かねかしがなぜわるいのかを論理ろんりてき証明しょうめいしようとした[9]。このように、金貸かねかしは表向おもてむ禁止きんしされていたが、一方いっぽう投資とうし許容きょようされていた。金貸かねかしと投資とうしちがいは、投資とうし投資とうしさき事業じぎょう参加さんかするわけで資金しきん回収かいしゅうはその事業じぎょう結果けっかによるが、金貸かねかしはその意味いみでのリスクはわない、ということである。また、慈善じぜん事業じぎょうとしておこなわれる金貸かねかしでは、手数料てすうりょうなどの徴収ちょうしゅうみとめられるようになった[10]。13-14世紀せいきのイタリア商人しょうにん教会きょうかい世俗せぞく君主くんしゅ貸付かしつけおこない、謝礼しゃれいというかたち事実じじつじょう利息りそくった[3]。このように、盛期せいき中世ちゅうせい次第しだい活発かっぱつする交易こうえきなどの経済けいざい活動かつどうにおいて、利子りしるためのさまざまな便宜べんぎじょう方策ほうさくられるようになり、中世ちゅうせい末期まっきには高利貸こうりかし公然こうぜんおこなわれるようになっていた。教会きょうかい建前たてまえじょう金利きんりることをきんじていたものの、商人しょうにんとの取引とりひきにおいて実質じっしつてきにはこれを容認ようにんするかたちとなった。フランチェスコかいが15世紀せいき開設かいせつした、高利貸こうりかしわって庶民しょみんかね公益こうえき質屋しちやモンテ・ディ・ピエタ)も年利ねんり10%程度ていど利子りしった[3]メディチなどのイタリア商人しょうにん銀行ぎんこう両替りょうがえしょう)として台頭たいとうし、大々的だいだいてき金融きんゆうになうようになった(一方いっぽう、かつては国際こくさいてき交易こうえきになったがその活動かつどう制限せいげんされるようになったユダヤじんは、近隣きんりんのさまざまな階層かいそう人々ひとびと貸付かしつけおこな質屋しちやなどの消費しょうひしゃ金融きんゆうてき業態ぎょうたいものおおかった)。両替りょうがえしょう貨幣かへい交換こうかんりつからしょうじる事実じじつじょう利子りし徴収ちょうしゅうしたが、神学しんがくしゃたちはこれは禁止きんしされている利子りし (usuria) ではないと解釈かいしゃくした。ただし、商人しょうにん時間じかんってもうけをているとされ、時間じかんかみのものであるというキリスト教きりすときょうてき観点かんてんから問題もんだいされた[11]詳細しょうさいについては利子りしこう参照さんしょう

13世紀せいきのイタリアの神学しんがくしゃトマス・アクィナスは、アリストテレスニコマコス倫理りんりがくもとづき、貨幣かへい内在ないざいてき価値かちたないので、それをすことにより利益りえきてはならないとさだめた。この思想しそうトマス主義しゅぎとしてドミニコかいれられ、16世紀せいきにはイエズスかいサラマンカ学派がくは)にがれた[12]。このトマス主義しゅぎでは、おかねすことにリスクがともない、すことによって逸失いっしつ利益りえきしょうじる場合ばあい利息りそくることを容認ようにんしていたため、利息りそく禁止きんし厳密げんみつ運用うんようすることが困難こんなんであった。17世紀せいきにはプロテスタント各国かっこく徐々じょじょ緩和かんわされ、最終さいしゅうてきには撤廃てっぱいされた[12]

初期しょき近代きんだいの16-17世紀せいきには、カトリック教会きょうかい影響えいきょうりょくおとろえ、各国かっこく絶対ぜったい王政おうせい確立かくりつした。それらのくに国力こくりょくきそい、じゅうしょう主義しゅぎかかげ、国富くにとみ増大ぞうだい邁進まいしんした。それにともな経済けいざい活動かつどう拡大かくだいし、とみ集中しゅうちゅう加速かそくされ、ものたざるもの格差かくさひろがった。つづく18世紀せいき以降いこう産業さんぎょう革命かくめいでは、それまでの地域ちいき社会しゃかいでの需給じゅきゅう均衡きんこうおおきくしの生産せいさんせい向上こうじょうられ、資本しほん主義しゅぎ台頭たいとうした。この時期じきになると様々さまざま経済けいざい学者がくしゃによる資本しほん金融きんゆうかんする研究けんきゅうはじまった。

そのあいだイギリスでは1545ねん利息りそくともな金貸かねかしが許可きょかされた[13]

日本にっぽんにおける金貸かねかしの歴史れきし

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7世紀せいきごろ文献ぶんけん金貸かねかしにかんする記述きじゅつがある[14]。これは和同開珎わどうかいちん発行はっこう以前いぜんのことであるので、無文むもんぎんぜに貸付かしつけおもわれる。

江戸えど時代じだいには、幕府ばくふによって利息りそく上限じょうげん年率ねんりつ20%(のちに15%、12%)とさだめられた。

現代げんだい金貸かねか

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金貸かねかしにはネガティブな印象いんしょう古代こだいよりあるが、資金しきん流動りゅうどうせいたかめ、様々さまざま経済けいざい活動かつどう加速かそく発展はってんさせているのも事実じじつである。金貸かねかしが事業じぎょうとして成立せいりつするためには、リスク管理かんりコスト管理かんり必要ひつようであり、貸付かしつけさい担保たんぽ利息りそくともなうことになる。また、かく産業さんぎょう巨大きょだい、その資金しきん需要じゅよう拡大かくだいともない、金融きんゆうぎょう拡大かくだいしてきている。20世紀せいき、21世紀せいき初頭しょとうだい恐慌きょうこうさいには、過度かど流動りゅうどうせいった金融きんゆう拡大かくだい原因げんいんひとつとなされ、社会しゃかいてきにも政治せいじてきにも金融きんゆう機関きかんへのきびしいけられ、各種かくしゅ規制きせい導入どうにゅうされた。一方いっぽうで、これらの金融きんゆう規制きせい景気けいき回復かいふくおよび産業さんぎょう発展はってん阻害そがいするため、きょうたいする施策しさくとしてはぎゃく効果こうかめんがあり、バブル崩壊ほうかいによる初期しょき混乱こんらんおさまり、経済けいざい回復かいふく基調きちょうはいると、しばしば金融きんゆう緩和かんわさくられる。

文芸ぶんげい作品さくひんにおける金貸かねか

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16世紀せいきのシェイクスピアの『ヴェニスの商人しょうにん』における金貸かねかしは、近代きんだいてき銀行ぎんこう制度せいどがまだ確立かくりつしておらず、無法むほう高利貸こうりかし横行おうこうしていた当時とうじのイングランドの世論せろん風潮ふうちょう反映はんえいされており、シェイクスピアの金貸かねかかん現在げんざいでも議論ぎろんまととなっている。貸金かしきん返済へんさいすることができなくなった場合ばあい主人公しゅじんこう親友しんゆうである商人しょうにんアントーニオのにくがなければならないという、高利貸こうりかし冷酷れいこく非道ひどうさを強調きょうちょうした描写びょうしゃがなされている。そこに登場とうじょうする高利貸こうりかし人物じんぶつはシャイロック (Shylock) であるが、英語えいごではぞく無慈悲むじひ高利貸こうりかしして shylock といういいまわしが使つかわれるようにもなった。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ デジタル大辞泉だいじせん金貸かねかし」
  2. ^ Karim, Shafiel A. (2010). The Islamic Moral Economy: A Study of Islamic Money and Financial Instruments. Boca Raton, FL: Brown Walker Press. ISBN 978-1-59942-539-9 
  3. ^ a b c d e f 平凡社へいぼんしゃ世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん』「高利貸こうりかし」のこう
  4. ^ Examples of debt: NIV, NIV, Isaiah 50:1. Prophetic condemnation of usury: Ezekiel 22:12, Nehemiah 5:7 and 12:13. Cautions regarding debt: Prov 22:7, passim.
  5. ^ Temin, Peter: Financial Intermediation in the Early Roman Empire, The Journal of Economic History, Cambridge University Press, 2004, vol. 64, issue 03, p. 15.
  6. ^ THIRD LATERAN COUNCIL (1179)(2014ねん9がつ28にち閲覧えつらん
  7. ^ Lateran IV 1215(2014ねん9がつ28にち閲覧えつらん
  8. ^ 大澤おおさわ武男たけお 『ユダヤじんとドイツ』 講談社こうだんしゃ講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ〉、1991ねん、32-35ぺーじ
  9. ^ Thomas Aquinas. Summa Theologica, “Of Cheating, Which Is Committed in Buying and Selling.” Translated by The Fathers of the English Dominican Province. pp. 1-10 [1] Retrieved June 19, 2012
  10. ^ "Session Ten: On the reform of credit organisations (Montes pietatis)". だい5ラテランこう会議かいぎ. ローマ, イタリア: カトリック教会きょうかい. 2008ねん4がつ5にち閲覧えつらん
  11. ^ J・ル=ゴフ 『中世ちゅうせいとはなにか』 藤原ふじわら書店しょてん、2005ねん、134ぺーじ
  12. ^ a b Gonçalo L. Fonseca, Leanne Ussher, (わけ) 山形やまがたひろしせい 古代こだいとスコラ学派がくは
  13. ^ Eisenstein, Charles: Sacred Economics: Money, Gift, and Society in the Age of Transition
  14. ^ 福岡ふくおかけん弁護士べんごしかい 金貸かねかしの日本にっぽん

参考さんこう文献ぶんけん

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水上みずかみ宏明ひろあき 新潮しんちょう新書しんしょ金貸かねかしの日本にっぽん』、新潮社しんちょうしゃISBN 978-4-10-610096-3

関連かんれん項目こうもく

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