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アフリカ社会しゃかい主義しゅぎ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

アフリカ社会しゃかい主義しゅぎ(アフリカしゃかいしゅぎ)は、古典こてんてき社会しゃかい主義しゅぎとはことなり、伝統でんとうてきアフリカ流儀りゅうぎ経済けいざい資源しげん共有きょうゆうするという思想しそう1950年代ねんだい1960年代ねんだいおおくのアフリカの政治せいじは、その用語ようご解釈かいしゃく一様いちようでなかったにせよ、アフリカ社会しゃかい主義しゅぎたいする支持しじ表明ひょうめいしていた。アフリカ社会しゃかい主義しゅぎ支持しじした代表だいひょうてき政治せいじとして、タンザニア初代しょだい大統領だいとうりょうジュリウス・ニエレレガーナ初代しょだい大統領だいとうりょうクワメ・エンクルママリ共和きょうわこく初代しょだい大統領だいとうりょうモディボ・ケイタらがげられる。

概要がいよう

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1960年代ねんだいおおくのアフリカ諸国しょこく植民しょくみん支配しはいから独立どくりつしたのち、アフリカの指導しどうしゃたちは、かつての宗主そうしゅこくおな資本しほん主義しゅぎというシステムを使用しようつづけるならば、ヨーロッパひとたいする勝利しょうり主張しゅちょうできないとかんがえた。西洋せいようてき価値かち迎合げいごうせず、アフリカ中心ちゅうしんてき経済けいざいモデルをつくろうといううごきがまれ、この時期じき指導しどうしゃたちが「アフリカ社会しゃかい主義しゅぎ」という言葉ことば使つかいはじめた[1]

同時どうじに、アフリカ社会しゃかい主義しゅぎ主唱しゅしょうしゃは、それが資本しほん主義しゅぎたいするたんなる反動はんどうではないと主張しゅちょうした。国家こっか主義しゅぎしゃたちはそれが完全かんぜんにアフリカてきであると主張しゅちょうし、はん資本しほん主義しゅぎよりさらにつよかったアフリカじんのアイデンティティにうったえた。

また支持しじしゃだい多数たすうは、アフリカが経済けいざい発展はってんにおいて、資本しほん主義しゅぎ国家こっか公正こうせいあらそうのは、あまりに現実げんじつてきであるとかんがえていた。一部いちぶ識者しきしゃからは、競争きょうそうてき資本しほん主義しゅぎ体制たいせい提供ていきょうしえない一体いったいかんうったえたり、アフリカの開発かいはつかぎりある資源しげん浪費ろうひすることや、将来しょうらい階級かいきゅう闘争とうそうけるために計画けいかくされなければならない、といった主張しゅちょうかれた。

アフリカのアイデンティティと社会しゃかい主義しゅぎは、しばしばからっていた。一部いちぶのリーダーは、アフリカがつねに“社会しゃかい主義しゅぎてき”で、アフリカじん統一とういつする文化ぶんかてき要素ようそとして社会しゃかい主義しゅぎうったえたと主張しゅちょうした。これはけっして、かれらがうったえたアフリカのアイデンティティの唯一ゆいいつかたちではなかったのだが、社会しゃかい主義しゅぎとアフリカのアイデンティティの組合くみあわせは、帝国ていこく体制たいせい時代じだいえることじゅう効果こうかてきだった。社会しゃかい革命かくめいは、社会しゃかい主義しゅぎをとったようになった。

しかし、アフリカ社会しゃかい主義しゅぎのプログラムののちだい部分ぶぶん体制たいせいは、自足じそく繁栄はんえい平等びょうどうといった公約こうやくたすこと出来できず、その結果けっかおおくの民衆みんしゅうはアフリカ社会しゃかい主義しゅぎ幻滅げんめつすることとなった[よう出典しゅってん]

かんがかた

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アフリカ社会しゃかい主義しゅぎにはさまざまなバージョンがあるが、共通きょうつうする原則げんそくとしては、おおきな公共こうきょう部門ぶもん主導しゅどうする社会しゃかい発展はってん、アフリカじんとしてのアイデンティティを包含ほうがんすること、社会しゃかいのなかに階級かいきゅうつくらないことなどがげられる[2]セネガル初代しょだい大統領だいとうりょうレオポール・セダール・サンゴールによれば、部族ぶぞくてき共同きょうどうたいというアフリカの社会しゃかいてき背景はいけい自然しぜん社会しゃかい主義しゅぎにつながるが、同時どうじにこの社会しゃかいてき背景はいけい階級かいきゅう闘争とうそう理論りろん妥当だとうせい否定ひていするものである[3]。したがってアフリカ社会しゃかい主義しゅぎは、マルクス主義まるくすしゅぎやヨーロッパの社会しゃかい主義しゅぎとは必然ひつぜんてきことなるものになるとされた。

アフリカ社会しゃかい主義しゅぎは、ガーナ、ギニア、セネガル、タンザニアといった国々くにぐに経済けいざい発展はってん重要じゅうようなモデルとなった。くにによって方針ほうしんちがいはあったが、一定いってい共通きょうつうしたながれもえてきた。このながれとは政治せいじてき経済けいざいてき自治じち自立じりつ、ビジネスおよび行政ぎょうせいアフリカ英語えいごばんひろしアフリカ主義しゅぎ、そして大国たいこくくみしない同盟どうめい主義しゅぎである[4]

著名ちょめいなアフリカ社会しゃかい主義しゅぎしゃ

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社会しゃかい主義しゅぎしゃ公言こうげんするリーダーのなかでも、アゴスティニョ・ネトクワメ・エンクルマメンギスツ・ハイレ・マリアムモハメド・シアド・バーレひとしは、各々おのおのくに土着どちゃくというより、もっとソ連それん指向しこうした国家こっか体制たいせいつくげることかんがえた。

アフリカ社会しゃかい主義しゅぎもとづく組織そしき

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アフリカ社会しゃかい主義しゅぎ同一どういつされるもっと顕著けんちょ組織そしきは、アパルトヘイト体制たいせいみなみアフリカ共和きょうわこくにおける黒人こくじん解放かいほう運動うんどうであった。これら運動うんどうなかでも最大さいだい組織そしきは、人種じんしゅ平等びょうどううったえるアフリカ民族みんぞく会議かいぎ(ANC)と、“アフリカじんためのアフリカ”をうったえるひろしアフリカ主義しゅぎしゃ会議かいぎ(PAC)で、アパルトヘイトの撤廃てっぱいにより、ANCはみなみアフリカの主要しゅよう政党せいとうとなった。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Charles K. Wilber, Kenneth P. Jameson, ed (2013). Socialist Models of Development. Elsevier. p. 851 
  2. ^ Friedland, William H.; Rosberg, Carl G., eds (1964-12-01) (English). African Socialism. Stanford University Press. pp. 3-5. ISBN 978-0-8047-0203-4. https://www.amazon.com/African-Socialism-William-H-Friedland/dp/0804702039 
  3. ^ Geroge Bernard Brockway, Archibald Fenner (1963-01-01) (English). African Socialism: A Background Book.. Dufour Editions. p. 32 
  4. ^ Akyeampong, Emmanuel (2018-01-02). “African socialism; or, the search for an indigenous model of economic development?” (英語えいご). Economic History of Developing Regions 33 (1): 69–87. doi:10.1080/20780389.2018.1434411. ISSN 2078-0389. https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/20780389.2018.1434411.