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鎮守ちんじゅもり

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
水田すいでんかこまれた鎮守ちんじゅもり兵庫ひょうごけん丹波たんば篠山しのやま川北かわきた春日かすが神社じんじゃ)。日本にっぽん稲作いなさく地帯ちたいでは、現在げんざいでも同様どうよう景観けいかんひろられる

鎮守ちんじゅもり(ちんじゅのもり)とは、日本にっぽんにおいて、神社じんじゃ鎮守ちんじゅしん)に付随ふずいして境内けいだいやその周辺しゅうへんに、神殿しんでん参道さんどうはいしょかこむように設定せってい維持いじされている森林しんりんである。鎮守ちんじゅもりとも。

神道しんとうにおけるかみ奈備(かむなび・かんなび)というかみ鎮座ちんざするもりのことで、神代かみしろ上代じょうだい(かみしろ)ともいう。

その意味いみ

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鎮守ちんじゅもりというのは、おおくの神社じんじゃかこむようにして存在そんざいした森林しんりんのことで[ちゅう 1]もりをあてることもおおい。「神社じんじゃ」といて「もり」とませているれいもあり、神道しんとうから神社じんじゃ神道しんとう派生はせいしたことがうかがえる[1]。また、「しゃくさむら」(しゃそう)としょうされることもおおい。

現代げんだいにおいて、神社じんじゃ神道しんとう神体しんたい本殿ほんでん拝殿はいでんなどの、注連縄しめなわられた「しゃ」であり、それをかこむものが鎮守ちんじゅもりであると理解りかいされている。本来ほんらい神道しんとう源流げんりゅうである神道しんとうには、かみませ(ひもろぎ)・いわ(いわくら)信仰しんこうがあり、森林しんりん森林しんりんおおわれた土地とち山岳さんがく霊峰れいほう富士ふじなど)・巨石きょせきうみ河川かせん岩礁がんしょうたきなど特徴とくちょうてき場所ばしょ)など自然しぜんそのものが信仰しんこう対象たいしょうになっている。神社じんじゃ境内けいだい山中さんちゅうでは、みきえだぶりが特徴とくちょうてき樹木じゅもく巨木きょぼく神木しんぼくあがめられているれいおおい。

神社じんじゃ神道しんとう神社じんじゃも、元々もともとはこのような神域しんいきや、常世とこよ(とこよ)と現世げんせい(うつしよ)のはしさかいかんがえられた、かみませいわのある場所ばしょ建立こんりゅうされたものがほとんどで、境内けいだい神体しんたいとしての神木しんぼくれいせきなどもることができる。そして神道しんとうそのままに、奈良ならけん三輪山みわやま信仰しんこうする大神神社おおみわじんじゃのようにやまそのものが神体しんたい神霊しんれいだいとされる神社じんじゃ今日きょうでも各地かくちられる。なかには本殿ほんでん拝殿はいでんさえ存在そんざいしない神社じんじゃもあり、森林しんりんやそのおか神体しんたいとしているものなどがあり、日本にっぽん自然しぜん崇拝すうはい精霊せいれい崇拝すうはいでもある神道しんとういまつたえている[2]

宮脇みやわきあきらによれば、「鎮守ちんじゅもり」は国際こくさい植生しょくせい学会がっかいでは学術がくじゅつ用語ようごとしてもちいられるという[3][4]

人工じんこうてきつくられたれい

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これらとぎゃくに、神社じんじゃのために鎮守ちんじゅもりつくられたれいもある。とく有名ゆうめいなのが明治めいじ神宮じんぐうである。台湾たいわんなどからのけんじまれたしゅもあるが、基本きほん方針ほうしんとして本来ほんらいそのにあるべき植生しょくせい潜在せんざい自然しぜん植生しょくせい)に配慮はいりょし、将来しょうらいてきには天然てんねん更新こうしんによって、自然しぜん鎮守ちんじゅもりらしくなるよう計画けいかくされたものである。なお、春日山かすがやまは、世界せかい遺産いさん登録とうろくされるさい、このてん考慮こうりょされて自然しぜん遺産いさんではなく、文化ぶんか遺産いさんとされた。

植生しょくせい

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鎮守ちんじゅもりは、ふるくからそのような姿すがた保存ほぞんされてきたとかんがえられている。したがって、その森林しんりん植生しょくせいは、その地域ちいき本来ほんらい植生しょくせい、いわゆるはら植生しょくせいのこしているとかんがえられる。周辺しゅうへん自然しぜん破壊はかいされていることがおお現在げんざいでは、鎮守ちんじゅもりが、かつてのその地域ちいき自然しぜんるための数少かずすくない手掛てがかりとなっていることもおおい。そのような意味いみから、日本にっぽん森林しんりん生態せいたいがくでは鎮守ちんじゅもり重視じゅうしされ、神社じんじゃりん、あるいは社寺しゃじりん(しゃじりん)とばれ、よく調査ちょうさ対象たいしょうとされる。その過程かてい貴重きちょうさがたしかめられ、天然記念物てんねんきねんぶつひとしかたち保護ほごけるれいおおい。そのような意味いみでは、沖縄おきなわける御嶽おんたけ付随ふずいする森林しんりん同様どうようなものである。

ただし、完全かんぜんむかし植生しょくせいのこしているとはかんがえないほうがよい。周辺しゅうへん開発かいはつされ、鎮守ちんじゅもりだけが孤立こりつしてのこれば、元々もともとひろ連続れんぞくしていた植生しょくせいちいさくられたことになる。その結果けっか面積めんせきちいさくなるから、それによって個体こたいぐん維持いじできないたねてくることはおおいにありる。地形ちけいてき渓流けいりゅう沿いなどはふくまれないこともあり、古来こらいには存在そんざいした群落ぐんらくからはうしなわれる部分ぶぶんおおい。また、それにともな乾燥かんそうとうしょうじる。それによって変化へんかする部分ぶぶんもあり、あらたに侵入しんにゅうするたねもある。たとえば神社じんじゃによくられるクスノキは、本来ほんらい日本にっぽんなか南部なんぶ森林しんりんにあったものではないとかんがえられている。また、ケヤキムクノキなどの落葉樹らくようじゅも、本州ほんしゅう中部ちゅうぶ平地ひらち以南いなんでは、きょくしょうりんにはあまり出現しゅつげんしないはずのものである。

さらに、こうした分断ぶんだんされた植生しょくせいでは、そこを生活せいかつ場所ばしょとする動物どうぶつ行動こうどうけん個体こたいぐん維持いじするのに十分じゅうぶんなだけ確保かくほできないことがおおく、植物しょくぶつ群落ぐんらく以上いじょう動物どうぶつ群集ぐんしゅう劣化れっかすすんでいるとかんがえられる。植物しょくぶつ花粉かふん媒介ばいかい種子しゅし散布さんぷなどに特定とくてい動物どうぶつ必要ひつようとするものがおおいため、こうした動物どうぶつ群集ぐんしゅう劣化れっかはさまざまなかたち植生しょくせいそのものの変質へんしつにかかわっているともえる。

また、直接的ちょくせつてき人間にんげんによる撹乱かくらんおこなわれる。境内けいだいには野生やせいでない植物しょくぶつうえ栽がおこなわれることがよくある。また、森林しんりんないたおれた場合ばあいに、それによってしょうじた隙間すきま生態せいたいがく用語ようごギャップ)を、スギヒノキなどをむことでめられることもよくある。近世きんせい段階だんかいで、境内けいだいにおける林野りんや資源しげん利用りようすすんでいたという報告ほうこくもある[5]近年きんねんでは、森林しんりん下刈したがりやきをおこな場所ばしょもあるが、このような手入ていれはたきぎすみりん人工じんこうりんならいざらず、自然しぜん森林しんりんでこれをおこなえば荒廃こうはい進行しんこうさせるものである。あるいは周囲しゅういからけずられたり、道路どうろ拡張かくちょうなどによって森林しんりん周囲しゅういられたりすることがままある。その場合ばあい、マント群落ぐんらくやソデ群落ぐんらくうしなった森林しんりんはやしゆか乾燥かんそうなどをこして荒廃こうはいしやすい。また、その部分ぶぶん修復しゅうふくにコンクリートきつけなど、安易あんい自然しぜん回復かいふく見込みこめない方法ほうほう使つかうことがえている。

それでもなお、いわゆる里山さとやまとはことなり、身近みぢか森林しんりんでありながらも、人間にんげん利用りようのためにれられる森林しんりんとは一線いっせんかくするあつかいをけ、一定いってい存在そんざいかんをもつもりでありつづけてたものである。

衰退すいたい

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きん現代げんだいでは、神道しんとうかみ々にたいする信仰しんこう抽象ちゅうしょう思考しこうしたこともあって、鬱蒼うっそうとした鎮守ちんじゅもりそのものにたいする崇敬すうけいねんうすれ、氏子うじこなどの信仰しんこうしゃにとって神社じんじゃもりかならずしも必要ひつようなものとはかんがえられないこともおおくなっている。中核ちゅうかくとなる神社じんじゃあつ崇敬すうけいされてしゃ叢林そうりん保持ほじされるれい上記じょうき明治めいじ神宮じんぐうのほか、京都きょうとただすもりなど)がある一方いっぽうで、道路どうろ改修かいしゅう農地のうち宅地たくち開発かいはつ保育ほいくしょなど公共こうきょう施設しせつ用地ようち確保かくほさい鎮守ちんじゅもりけずられることもおおかった。とく市街地しがいちでは、もりまったうしなわれるれいもある。完全かんぜん鳥居とりい本殿ほんでんのみからなる神社じんじゃ存在そんざいし、本来ほんらい自然しぜん崇拝すうはい背景はいけいとした神社じんじゃ意味いみおおきくうすれた。

さかのぼれば、明治めいじ以前いぜん集落しゅうらくごとに大小だいしょう様々さまざま神社じんじゃがあり、そのおおくに鎮守ちんじゅもりがあった。これがおおいに減少げんしょうさせられたのが、いわゆる神社じんじゃ合祀ごうしれいである。この結果けっかおおくの神社じんじゃ廃止はいしされると同時どうじに、そこにあった鎮守ちんじゅもり伐採ばっさいされた。南方みなかた熊楠くまぐすは、当時とうじからこの伐採ばっさいによるだい規模きぼ自然しぜん破壊はかい危惧きぐし、神社じんじゃ合祀ごうし反対はんたいしている。

神社じんじゃ合祀ごうし神社じんじゃ行政ぎょうせいむら1つにつき1つだけに整理せいりすることにより、土着どちゃく信仰しんこう国家こっか神道しんとうむためにおこなわれたものだが、一説いっせつには、その木材もくざい資源しげん、あるいはそれにともな副産物ふくさんぶつ樟脳しょうのうなど)の利権りけんてき獲得かくとく目的もくてきであったともわれる。とく本州ほんしゅう中部ちゅうぶ以南いなん神社じんじゃには、クスノキやタブノキなどの大木たいぼくおおく、これが高額こうがくあつかわれたのではないかとのせつがある。

また、こまかいてんえば、ふるくは神社じんじゃ神木しんぼくにはよくいていたフウランセッコクだいかぶが、山野やまのくさブームのあおりでほとんどられなくなっている。れいむかしもあったようで、南方みなかた熊楠くまぐす和歌山わかやまけんのある神社じんじゃ立派りっぱ着生ちゃくせいランだいかぶつけ、よろこんでこれを神主かんぬし説明せつめいしたところ、神主かんぬしはこれをおおいに宣伝せんでんした。これにたいして、「せっかくのめずらしいものを、そのように宣伝せんでんするとは。ぬすまれてしまう」とはらてたぶんのこっている。

さい評価ひょうか再生さいせい

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太平洋戦争たいへいようせんそうこう国家こっか神道しんとう統制とうせいでなく、国土こくど開発かいはつ一環いっかんとして、鎮守ちんじゅもりふくおおくの森林しんりん伐採ばっさいされた。そのぎた開発かいはつへの反省はんせい過疎かそバブル経済けいざい崩壊ほうかいによる土地とち不足ふそく緩和かんわ解消かいしょうにより、森林しんりんなど緑地りょくち保全ほぜん再生さいせいしようという機運きうんたかまって、ナショナルトラスト運動うんどうなどにつながっている。鎮守ちんじゅもりについても、上記じょうきのような生態せいたいけい保全ほぜんという観点かんてんだけでなく、住民じゅうみん観光かんこうきゃくにとっての行楽こうらくいやしの東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい(2011ねん)で津波つなみいきおいを減衰げんすいさせた防潮ぼうちょうりんとしての役割やくわり注目ちゅうもくされ、維持いじ再生さいせいけた運動うんどうおこなわれている[6][7]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ほこらふくちいさな神社じんじゃで、神殿しんでんのすぐとなりまで人家じんかなどがてられている神社じんじゃのぞく。

出典しゅってん

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  1. ^ 「みそぎ神社じんじゃ建物たてもの施設しせつ紹介しょうかい
  2. ^ かみ奈備さいについて
  3. ^ 読売新聞よみうりしんぶん 2009ねん1がつ10日とおか 12はん6めん 山田養蜂場やまだようほうじょう全面広告ぜんめんこうこく
  4. ^ える-21世紀せいき鎮守ちんじゅもり目指めざして-」 宮脇みやわきあきらNPO PLANT A TREE PLANT LOVEサイト
  5. ^ 鳴海なるみくにただし小林こばやししげる近世きんせい以降いこう神社じんじゃりん景観けいかん変化へんか歴史れきし地理ちりがく48-1、2006ねん
  6. ^ 鎮守ちんじゅもりプロジェクト(2018ねん5がつ19にち閲覧えつらん
  7. ^ 鎮守ちんじゅもりふたたび シャクナゲなど130ほん植樹しょくじゅ 二里にりまち大里おおさと地区ちく住民じゅうみん佐賀さが新聞しんぶん』LiVE(2018ねん3がつ7にち)2018ねん5がつ19にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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