神体しんたい

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神体しんたいである霊峰れいほう富士ふじ

神体しんたい(しんたい)とは、神道しんとうかみ宿やどるとされる物体ぶったいで、礼拝れいはい対象たいしょうとなる[1]宗像むなかた大社たいしゃでは沖ノ島おきのしま大神神社おおみわじんじゃでは三輪山みわやま神体しんたいとされ[2]すめらぎ大神宮だいじんぐうでは三種さんしゅ神器じんぎひとつのはち咫鏡とされるなど様々さまざまである[1]

その神道しんとうにおける「世界せかいかんとして」の神代かみしろ(かみしろ)や神道しんとうかみ奈備(かんなび)や皇室こうしつ神道しんとう神器じんぎ(じんぎ)や古代こだいからある神殿しんでん神社じんじゃ神道しんとうしゃ(やしろ)や注連縄しめなわかざられる場所ばしょやものなど、いわゆる御霊代みたましろ(みたましろ)・だい(よりしろ)といわれるかみ宿やどる、りる(鎮座ちんざする・かくまう・る)場所ばしょもの神体しんたいという[3]

概要がいよう[編集へんしゅう]

神体しんたいとしてのもりであるかみ奈備:大神神社おおみわじんじゃ

神道しんとうにおいて、かみとはたましい精霊せいれいいのち御霊みたま(みたま)と表現ひょうげん意味いみ様々さまざまであり、定義ていぎづけることなく包摂ほうせつ享受きょうじゅしてきた経緯けいいから巨石きょせき樹木じゅもくさんもりとう森羅万象しんらばんしょう神体しんたいまたは、御霊代みたましろだいとして存在そんざいする[2][3]

一時いちじてき簡易かんい神体しんたい[編集へんしゅう]

神体しんたいなかには長期ちょうきわたがれるもの定期ていきてき更新こうしんされるものなど保存ほぞん期間きかん一貫いっかんしているものとそうでないものかれる場合ばあいがある。御幣ごへい神輿しんよ諏訪すわ大社たいしゃはしら出雲いずも大社たいしゃ神殿しんでん通常つうじょう神社じんじゃ神殿しんでんとしてのしゃなど刷新さっしんされたりがれる時間じかん機会きかい複雑ふくざつさやおおきさにかならずしもかかわらない。具体ぐたいてきには御霊代みたましろ神社じんじゃ神道しんとう儀式ぎしき使つか御幣ごへいや、簡易かんいかみませとしての広葉こうよう常緑樹じょうりょくじゅの「さかき」に代表だいひょうされる枝葉えだはや、まつりの「神輿しんよ」「山車だし」などが、られるものである[4][2]

神道しんとう[編集へんしゅう]

てんいのちかみませ

神道しんとうにおけるかみませ(ひもろぎ)・いわ(いわくら)としてのうみかわたきやまもりいわなど様相ようそうわり目立めだ場所ばしょ(ランドマーク)が、神域しんいきとされかみ宿やど場所ばしょ、または、現世げんせい(うつしよ)と常世とこよ(とこよ)のはしさかいかみくにくちかんがえれ、かみ場所ばしょ神体しんたい)とかんがえられた[2]

神道しんとうかみませいわ信仰しんこう神木しんぼく夫婦ふうふがん壮大そうだいなものでは福岡ふくおかけん宗像むなかた沖ノ島おきのしましま全体ぜんたい霊峰れいほうとしての富士山ふじさんなどを、かみ奈備(かんなび)ともいい、現世げんせいにおいてかみつね鎮座ちんざするまたはかくむ(る)場所ばしょもの[4]。その注連縄しめなわかざられているものとして、かみなり稲妻いなづま)が水田すいでんなどにちた場所ばしょなどがげられる。 鹿島かしま神宮じんぐう香取かとり神宮じんぐう存在そんざいするよういしは、たけづちしん地震じしんこすだいなまずふうじたものとしてたてまつられている。

皇室こうしつ神道しんとう[編集へんしゅう]

だい35だい横綱よこづなそう葉山はやま定次さだじ:神体しんたいである横綱よこづな

神体しんたいであるかがみかたな曲玉まがたま構成こうせいされる「三種さんしゅ神器じんぎ」は古代こだいにおける王権おうけん象徴しょうちょうとされ、皇室こうしつ神道しんとうともかかわり皇室こうしつ所有しょゆうするといわれる[2]

もともと大相撲おおずもうかみ奉納ほうのうされる神事しんじであり、そのことから力士りきし最高さいこうである大関おおぜきなか特別とくべつえらばれたものだけがかみ神体しんたいであり、自身じしんがみであるあかしとしての注連縄しめなわである横綱よこづなることができる[5]

神社じんじゃ神道しんとう[編集へんしゅう]

神社じんじゃしゃ(やしろ)には、神体しんたいとしてのあかしである注連縄しめなわかざられている[2]神社じんじゃ神道しんとう神社じんじゃもとは、かみませいわ場所ばしょ建立こんりゅうされた場合ばあいがあり[6]なが歴史れきしをもつ神社じんじゃでは、本殿ほんでんがなくさんおか神木しんぼくがご神体しんたい諏訪すわ神社じんじゃ大神神社おおみわじんじゃ)であったり[2]子宝こだからづく信仰しんこうつよ土地とちでは、子孫しそん繁栄はんえい象徴しょうちょうとしての男根だんこん神体しんたいでもある[7]。ただし、神社じんじゃ神道しんとうとしての「しゃ」もふるくからあり、遺跡いせきなどから祭礼さいれい儀式ぎしき祈祷きとうにつかわれた神殿しんでんあと発掘はっくつされている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 日本にっぽんかみ々の事典じてん
  2. ^ a b c d e f g 神道しんとうほん
  3. ^ a b はちひゃくまんかみ々』
  4. ^ a b 三橋みつはしけん決定けっていばん ればるほど面白おもしろい!神道しんとうほん西東さいとうしゃ
  5. ^ 菅田すげたただしあきら面白おもしろいほどよくわかる神道しんとうのすべて』 日本文芸社にほんぶんげいしゃ
  6. ^ 井上いのうえじゅんこう神道しんとうナツメしゃ図解ずかい雑学ざつがく〉(原著げんちょ2006ねん12月4にち)。ISBN 9784816340628 
  7. ^ 戸部とべ民夫たみお日本にっぽんかみ多彩たさい民俗みんぞくかみたち』 しん紀元きげんしゃ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 薗田そのだみのる茂木もきさかえ日本にっぽんかみ々の事典じてん 神道しんとう祭祀さいしはちひゃくまんかみ々』 学研がっけん 1997ねん
  • 戸部とべ民夫たみおはちひゃくまんかみ日本にっぽん神霊しんれいたちのプロフィール』 しん紀元きげんしゃ 1997ねん
  • 少年しょうねんしゃ後藤ごとうしか渡辺わたなべ裕之ひろゆきはね上田うえだ昌彦まさひこ神道しんとうほん はちひゃくまんかみ々がつどう秘教ひきょうてき祭祀さいし世界せかい学研がっけん 1992ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]