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諏訪すわ大社たいしゃ

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諏訪すわ大社たいしゃ


上社かみやしろ 本宮もとみやうえ)・下社しもしゃ あきみやした
所在地しょざいち 長野ながのけん諏訪湖すわこ周辺しゅうへんに4みや
各項かくこう参照さんしょう
主祭しゅさいしん けん御名ぎょめいかたしん
八坂やさかかたなうりしん
社格しゃかくひとし 式内しきないしゃめい神大しんだい
信濃しなのこく一宮いちのみや
きゅうかんぬさ大社たいしゃ
別表べっぴょう神社じんじゃ
創建そうけん しょう
別名べつめい 諏訪すわ神社じんじゃ諏訪すわ明神みょうじん諏訪すわ大明神だいみょうじん諏訪すわしゃ ほか
おも神事しんじ はしらさいあたまさい御舟みふねさい など多数たすう
祭事さいじ参照さんしょう
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5 km
下社しもしゃ春宮とうぐう
下社しもしゃあきみや
上社かみやしろぜんみや
.
上社かみやしろ本宮ほんぐう
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上社かみやしろかみもん諏訪すわかじ
かみもん上社かみやしろよんかじ下社しもしゃ五根ごこんかじ

諏訪すわ大社たいしゃ(すわたいしゃ)は、長野ながのけん諏訪湖すわこ周辺しゅうへん4かしょにある神社じんじゃ式内しきないしゃ名神めいしん大社たいしゃ)、信濃しなのこく一宮いちのみやきゅう社格しゃかくかんぬさ大社たいしゃで、現在げんざい神社じんじゃ本庁ほんちょう別表べっぴょう神社じんじゃかみもんは「かじ」。

全国ぜんこくやく25,000しゃある諏訪すわ神社じんじゃそう本社ほんしゃである。旧称きゅうしょうは「諏訪すわ神社じんじゃ」。通称つうしょうとして「お諏訪すわさま」「諏訪すわ大明神だいみょうじんとうとも。

概要がいよう[編集へんしゅう]

中心ちゅうしん諏訪湖すわこみずうみ左下ひだりした南東なんとう)に上社かみやしろみぎじょうきた)に下社しもしゃ鎮座ちんざする。左下ひだりした守屋山もりやさん

長野ながのけん中央ちゅうおう諏訪湖すわこはさんで、つぎしゃ四宮しのみや鎮座ちんざする。

上社かみやしろ諏訪湖すわこ南岸なんがん下社しもしゃ北岸ほくがん位置いちとおはなれているため、実質じっしつてきにはべつ神社じんじゃとなっている。なお「上社かみやしろ下社しもしゃ」とあるが社格しゃかく序列じょれつはない。

創建そうけん年代ねんだい不明ふめいだが、日本にっぽん最古さいこ神社じんじゃの1つとされるほどふるくから存在そんざいする。『梁塵りょうじんしょう』に「せきよりひがし軍神ぐんしん鹿島かしま香取かとり諏訪すわみや」とうたわれているように軍神ぐんしんとして崇敬すうけいされた。また中世ちゅうせい狩猟しゅりょう神事しんじおこなっていたことから、狩猟しゅりょう漁業ぎょぎょう守護しゅご祈願きがんでもられる[1]

社殿しゃでん四隅よすみはしら(おんばしら)とばしらてられているほか、社殿しゃでん配置はいちにも独特どくとくかたちそなえている。社殿しゃでん多数たすう重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされているほか、6ねんいち(7ねんいちもよおされるはしらさいられる。

祭神さいじん[編集へんしゅう]

諏訪すわ大社たいしゃ全体ぜんたいまつ主祭しゅさいしんつぎの2はしらかくみや祭神さいじんについては各項かくこう参照さんしょう)。りょうかみとも上社かみやしろ下社しもしゃまつられている。

なお、上社かみやしろふる神事しんじ祭祀さいしには長野ながのけん中心ちゅうしん東日本ひがしにっぽん全域ぜんいき分布ぶんぷしていたミシャグジ信仰しんこう痕跡こんせきられる。また、みずかみかぜかみとされたことから諏訪すわ大社たいしゃかみへび(あるいはりゅう)とみなす信仰しんこうむかしからつたわり、諏訪すわかみへびまたはりゅうとして登場とうじょうする伝承でんしょう民話みんわ甲賀こうが三郎さぶろう伝説でんせつ小泉こいずみ小太郎こたろう伝説でんせつなど)は数多かずおおのこっている。

八幡やはたしん住吉すみよし三神みかみなど信仰しんこうにもられるように個々ここ祭神さいじん意識いしきされることすくなく、まとめて「諏訪すわ大明神だいみょうじん諏訪すわ明神みょうじん)」・「諏訪すわかみ」としてあつかわれることおおい。

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

はしら[編集へんしゅう]

本宮もとみや一之かずゆきはしら
小祠しょうしにももうけられたはしられい
諏訪すわ 手長てなが神社じんじゃ境内けいだいしゃ

諏訪すわ大社たいしゃ社殿しゃでん周囲しゅうい四隅よすみには、はしら(おんばしら)と以下いか4ほんモミはしらてられている。はしらいちからよんじゅんみじかほそくなり、上空じょうくうから場合ばあい時計とけいまわりに配置はいちされる。

  • 一之かずゆきはしら社殿しゃでんみぎ手前てまえ
  • 二之にのはしらひだり手前てまえ
  • 三之さんのはしらひだりおく
  • よんはしらみぎおく

下社しもしゃあきみや春宮とうぐうでははしら先端せんたん御幣ごへい正面しょうめん裏面りめんは曳行によりけずれている)をいているが、上社かみやしろ本宮ほんぐうぜんみやでは諏訪すわ大社たいしゃ奥宮おくのみやのある八ヶ岳やつがたけ方向ほうこういている。諏訪すわ地方ちほうでは、おおきい神社じんじゃからちいさいほこらいたるまで、諏訪すわ大社たいしゃにならってこのはしらもうけるしゃおおい。はしら由来ゆらいあきらかでなく古来こらいよりせつがあるが、今日きょうでは神霊しんれい降臨こうりんだいせつ聖地せいち標示ひょうじせつ社殿しゃでん代用だいようせつ検討けんとう余地よちのこしている[3]

諏訪すわ大社たいしゃはしらとらさるとしえられ(はしらさい)、全国ぜんこく諏訪すわ神社じんじゃ関連かんれんしゃでも同様どうようまつり小宮こみやさい)がおこなわれる。『諏方すわ大明神だいみょうじん』(1356ねん)には平安へいあん時代じだい初期しょき桓武かんむ天皇てんのう年間ねんかん781ねん806ねん)にはしらさい実施じっし記載きさいがあり[4]、そのころにはすでにはしらもうけられていたとされる。

神体しんたい[編集へんしゅう]

上社かみやしろ[編集へんしゅう]

ぜんみやにあった精進しょうじん

上社かみやしろ本宮ほんぐうには本殿ほんでんもうけられていない。本宮ほんぐう神体しんたい現在げんざい守屋山もりやさん一般いっぱんてき認識にんしきされているが[5]明治めいじ時代じだいはじまりまでは諏訪すわ明神みょうじんことけん御名ぎょめいかたしんの「正体しょうたい」(だい)とされた諏訪すわ出身しゅっしんだいしゅく(おおほうり)が上社かみやしろ神体しんたいないし現人神あらひとがみとして崇敬すうけいされていた[6]

ぜんみやふるくは上社かみやしろ摂社せっしゃであった関係かんけい本殿ほんでんゆうしている。元々もともと、これはだいしゅく就任しゅうにんするまえ精進潔斎しょうじんけっさいおこな仮屋かりやであったが、昭和しょうわ7ねん(1932ねん)にこわされ、伊勢神宮いせじんぐうからいただいたざい現在げんざい本殿ほんでんてられた。解体かいたいされた精進しょうじん茅野ちのうちにあるべつ神社じんじゃ社殿しゃでんとしてさい利用りようされた[7]

神体しんたいやま[編集へんしゅう]

』に「当社とうしゃだいしゅくれを神体しんたいとして崇敬すうけい重職じゅうしょくなり」とあるとおり、中世ちゅうせいには上社かみやしろ祭祀さいし対象たいしょうだいしゅくであるという認識にんしき根強ねづよかった[8]

やま上社かみやしろ神体しんたいとする現存げんそんする最古さいこ文献ぶんけん天文てんもん22ねん(1553ねん)12月の奥書おくがきのある『上宮かみみや鎮坐伝記でんき[9]である。

古記こきうんはく、かみいわかくれか、諏方すわこく鎮座ちんざしょみやしゃつくらずして、ただ拝殿はいでんこれて、やまもっ神体しんたいしてこれはいす。のりちちみこと大和やまとこくさんりんかみりょうに傚(なら)ひてけんる。かみかずたましいかげれい鎮座ちんざところなり。はら漢文かんぶん
守屋もりや神社じんじゃ奥宮おくのみや守屋山もりやさん東峰とうほう

これが守屋山もりやさん神体しんたいやませつもとかんがえられているが、ここには守屋山もりやさんてこない[8]江戸えど時代じだい文献ぶんけんには守屋山もりやさん筆頭ひっとう神官しんかんかみ長官ちょうかんつとめる守矢もりや祖先そせん矢神やがみあるいは物部守屋もののべのもりや)のれいまつるとはあるものの、守屋山もりやさん上社かみやしろ神体しんたいやまとうかがわせる記述きじゅつはない。守屋山もりやさん神体しんたいやまとするせつはむしろ明治めいじ時代じだい以降いこうからられるものである[10]実際じっさいには山頂さんちょういしほこら物部守屋もののべのもりやまつ守屋もりや神社じんじゃ伊那いな高遠こうえんまち)の奥宮おくのみやとされているうえにそれにははしらがなく、諏訪すわけている[11]。ただし、諏訪すわ明神みょうじん守屋もりや大臣だいじん矢神やがみ)と覇権はけんあらそをしたさい降臨こうりんした場所ばしょ守屋山もりやさんふもとという『諏訪すわ信重のぶしげかいじょう』(つたえ・1249ねん)にかれている伝承でんしょうられるように[12][13]、このやまかならずしも上社かみやしろとはまった関係かんけいがないとはえない。織田おだによる甲州こうしゅう征伐せいばつ(1582ねん)のさい神輿しんよかついだ神官しんかんたちが避難ひなんしたさき守屋山もりやさんであったとわれている[14]

いわ[編集へんしゅう]
硯石すずりいし上社かみやしろ本宮ほんぐう

室町むろまち時代ときよ書写しょしゃの『諏訪すわ上社かみやしろ物忌ものいみれいこと』(1237ねん成立せいりつ[15]によると中世ちゅうせい上社かみやしろしゃだんさんまゆみさんおり地形ちけいで、うえだん現在げんざい拝殿はいでんときにわとそのおく禁足きんそく)には「いし御座ぎょざ」があり、ちゅうだんには宝殿ほうでんがあり、しもだん神事しんじおこなうところである。『』にも「社頭しゃとうからださんしょれいだんかまえたり、かみだんみことしん御在所ございしょ鳥居とりい格子こうしのみあり」とある。つまりじょうだんにはいわ存在そんざいし、それがかみりる場所ばしょ信仰しんこうされた[16][17]。このいわ拝殿はいでん右側みぎがわすこたかいところにある「硯石すずりいし(すずりいし)」で、ふるくは硯石すずりいしとおしてその背後はいごにある守屋山もりやさん遥拝ようはいしていたというせつがあるが[16]硯石すずりいし元々もともとこのところにあったのではなく中世ちゅうせい以降いこう他所よそからうつされた可能かのうせいがあるという指摘してきもある[18]

はら正直まさなお(2012ねん)は諏訪すわ明神みょうじんいわ拝殿はいでんおくにある「えぼしがん」とし、文献ぶんけんられる「かえるせき」や「かぶとせき(かぶといし)」や「御座ぎょざせき」はすべてこのいわのことをすというせつげている[19]。(なお、本宮もとみや境内けいだい蓮池はすいけには「かえるせき」とつたえるいしもあり、茅野ちのにある御座ぎょざ石神いしがみしゃ[20]にも「御座ぎょざせき」とばれるいしがある。)

かみいわ降臨こうりんするという思想しそうだいしゅく即位そくいしきにもられる。だいしゅくとなるわらわおとこ諏訪すわ明神みょうじん神体しんたいとなるためには、ひいらぎのある鶏冠けいかんしゃぜんみや境内けいだい)のいしうえ大祝だいしゅく装束しょうぞくせられる。この儀式ぎしきけることによって少年しょうねんかみとなるとされた[21][16]ぜんみや本殿ほんでん精進しょうじんがあった場所ばしょ)のしたにもいわがあるとつたわる[22]

信仰しんこうじく変更へんこうせつ[編集へんしゅう]
御射山みさやま神社じんじゃ富士見ふじみまち

上社かみやしろ本宮ほんぐう本来ほんらい信仰しんこう対象たいしょううえだんいわ(ここでは硯石すずりいし比定ひてい)とその背後はいごやま守屋山もりやさん)であり、本宮ほんぐうはしら位置いちがそれを反映はんえいしているというせつがある。このせつでは、中世ちゅうせい以降いこううえだん拝殿はいでんつくられ神仏しんぶつ混交こんこう影響えいきょうでそのおくにある聖域せいいき神居かむい)に「お鉄塔てっとう」とばれる仏塔ぶっとう以下いか詳細しょうさい)が設置せっちされると信仰しんこうじくやまから拝殿はいでんおくわってしまったとされている[23]

本宮もとみや境内けいだい

一方いっぽう金井かないのり(1982ねん[24]はら正直まさなお(2018ねん)は上社かみやしろ本来ほんらい神体しんたいやま八ヶ岳やつがたけ一帯いったいであり、そのふもとにある上社かみやしろ狩場かりば御射山みさやま(みさやま)はそれをまつ場所ばしょであったというせつてている[25]。(これにたいして八島ヶ原湿原やしまがはらしつげん位置いちする下社しもしゃきゅう御射山みさやま鷲ヶ峰わしがみね神霊しんれいまつ祭場さいじょうであったとかんがえられている。)はら中世ちゅうせいわりごろ武田たけだ信玄しんげんによる上社かみやしろ祭祀さいし復興ふっこうあるいは天正てんしょう10ねん(1582ねん)に焼失しょうしつした社殿しゃでん再建さいけん)にさいして信仰しんこうじく変更へんこうがあったことを否定ひていしており、むしろ中世ちゅうせいからわっていないとかんがえている。本宮ほんぐう拝殿はいでんさきには御射山みさやまがあることを根拠こんきょに、はらは『上宮かみみや鎮坐伝記でんき』にられる「やま」を上社かみやしろ御射山みさやま比定ひていしている[26]

御射山みさやま境内けいだいにはさんりんしゃ鎮座ちんざしており、中世ちゅうせいでは御射山みさやま地主じぬししん本地ほんじふつ虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつ)とさんりん明神みょうじん大物おおもの主神しゅしん)の習合しゅうごうにまでいたった。これについてはらさんりん信仰しんこう吸収きゅうしゅうした近江おうみこく山伏やまぶしひろめた甲賀こうが三郎さぶろう伝説でんせつ影響えいきょう諏訪すわ信仰しんこうそのものもさんりん信仰しんこう影響えいきょうけた結果けっか御射山みさやまかみさんりんやまかみ同体どうたいとする思想しそうまれたという見解けんかいべている[27]。なお諏訪すわかみ)を大神おおがみ同族どうぞく集団しゅうだんとするせつもあり[28]大神神社おおみわじんじゃ同様どうよう諏訪すわ大社たいしゃ本殿ほんでんがないのはこのためであるとかんがえられている[29]

神仏しんぶつ習合しゅうごう[編集へんしゅう]
いし御座ぎょざ多宝塔たほうとう

神仏しんぶつ習合しゅうごう時代じだいには本宮ほんぐうぬさ殿どのおく南天なんてん鉄塔てっとうをもとにしたいし御座ぎょざ多宝塔たほうとう(「お鉄塔てっとう」とも)とばれる仏塔ぶっとう安置あんちされ、大祝だいしゅくのほかに神体しんたい相当そうとうするものとされた[30]。かつては毎年まいとし1がつ15にちにこのとうに『法華経ほけきょう』をおさめる仏事ぶつじおこなわれていたが、経巻きょうかんりゅう姿すがたあらわれる諏訪すわ明神みょうじんりにくためつぎとしにはなくなるとしんじられていた[30]。また、上社かみやしろ本地ほんじふつである普賢菩薩ふげんぼさつまつる「ひろし賢堂かしこどう」はおくいんとしておおくの参拝さんぱいしゃあつめた[31]ひろし賢堂かしこどう安置あんちされていた普賢菩薩ふげんぼさつぞう諏訪すわ明神みょうじんそのものとしてまつられて、甲州こうしゅう征伐せいばつとき織田おだ信長のぶながかみちからおそれて菩薩ぼさつぞう部分ぶぶん破壊はかいしたといういいつたえがある(ぞう信長のぶなが死後しごさい彫刻ちょうこくされる)[32]

明治めいじ初期しょき神仏しんぶつ分離ぶんりれい発令はつれいされたさい、「お鉄塔てっとう」は諏訪すわ藩主はんしゅ菩提寺ぼだいじであった温泉寺おんせんじ諏訪すわわき)にうつされ[33]ひろし賢堂かしこどう普賢菩薩ふげんぼさつぞうとその仏像ぶつぞう仏法ぶっぽう紹隆てら諏訪すわ四賀しが)へとひそかにはこばれた[34]。2015ねん平成へいせい27ねん)6がつからの解体かいたい修理しゅうりぞう内部ないぶに「信州しんしゅうすはの本尊ほんぞん也」との書付かきつけつかった[35]

下社しもしゃ[編集へんしゅう]

春宮とうぐうさんはしら砥川とがわ

あきみや神体しんたいイチイ春宮とうぐうスギとされている[5]。ただし春宮とうぐう砥川とがわのほとりに位置いちしているため、本来ほんらいみずれいまつ祭祀さいしじょうであったとおもわれる。砥川とがわ八島ヶ原湿原やしまがはらしつげん八島やじま湿原しつげん)を水源すいげんとするが、ここには下社しもしゃきゅう御射山みさやま(もとみさやま)があり、あしかん芽吹めぶころには水田すいでんにもえるため「かみ」として崇拝すうはい対象たいしょうであったとかんがえられる[36][37]

一方いっぽうあきみや付近ふきんには青塚あおつか古墳こふんがあることから、元々もともと金刺かなざし下社しもしゃ大祝だいしゅく)のれい祭祀さいしであったという見解けんかいがある[36]

神仏しんぶつ習合しゅうごう[編集へんしゅう]

下社しもしゃあきみや本地ほんじふつ千手観音せんじゅかんのんとされ、あきみや付属ふぞく神宮寺じんぐうじ現存げんそんせず)には千手堂せんじゅどうがあった。このどうでは毎朝まいあさ千手せんじゅ秘法ひほう護摩ごましゅうし、節分せつぶんにはついおこなわれた。いっぽう薬師やくし如来にょらい本地ほんじふつとする春宮とうぐうには薬師堂やくしどう存在そんざいしていた[38]明治めいじ廃仏毀釈はいぶつきしゃくさい移動いどうされたあきみや千手観音せんじゅかんのんぞう岡谷おかやにある照光しょうこうてら[39]春宮とうぐう薬師如来像やくしにょらいぞう鎌倉かまくら時代ときよさく)は下諏訪しもすわまちにある敬愛けいあいしゃ安置あんちされている[40][41]

宝殿ほうでん[編集へんしゅう]

社殿しゃでんとしてさい利用りようされたきゅう宝殿ほうでん
本宮もとみやちかくの大国たいこく主命しゅうめいしゃ

本宮もとみやあきみや春宮とうぐうには、本殿ほんでんがないわりに2つの宝殿ほうでんがある。宝殿ほうでん一方いっぽうには神輿しんよおさめられ、とらさるとしはしらさいはしらえと同時どうじにもう一方いっぽう遷座せんざし、ふる宝殿ほうでんえられる。すなわち1つの宝殿ほうでんは12ねんごとにえられ、神明しんめいづくりふる様式ようしき現在げんざいつたえている。とらねんからさるねんあいだ神輿しんよかってみぎ宝殿ほうでんおさめられる(さるねんからよくとらねんぎゃく)。神輿しんよおさめられる宝殿ほうでんは「神殿しんでん」とばれて祭祀さいしおこなわれ、もう一方いっぽうは「けん殿どの」とばれる[42]。このように宝殿ほうでん一般いっぱん本殿ほんでんにあたるとほぐされ、神社じんじゃ本殿ほんでんもうけられる過渡かと状態じょうたいかんがえられている。

えられ役目やくめえた宝殿ほうでん近傍きんぼう摂社せっしゃ末社まっしゃ分社ぶんしゃなどの社屋しゃおく補修ほしゅう用材ようざいとしてさい利用りようされる。平成へいせい18ねん7がつ豪雨ごうう土石流どせきりゅう災害さいがいにより流出りゅうしゅつした岡谷おかやの舩魂神社じんじゃ上社かみやしろ本宮ほんぐう宝殿ほうでん移築いちくして平成へいせい21ねん再建さいけんされた。

そのほか、宝殿ほうでんふく社殿しゃでん華美かび装飾そうしょく塗装とそうはなされず、すべもと木造もくぞうである。

歴史れきし[編集へんしゅう]

がい[編集へんしゅう]

創建そうけん[編集へんしゅう]

けん御名ぎょめいかたしん登場とうじょうする場面ばめん
真福寺しんふくじほん古事記こじき』より)

神社じんじゃ起源きげんかんしては様々さまざま説話せつわかたられている。

古事記こじき』『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』では、天照大御神あまてらすおおみかみまご邇邇げいいのち降臨こうりん先立さきだち、たて雷神らいじん大国たいこく主神しゅしんくにゆずするようにせまったとされる。これにたいして、大国たいこく主神しゅしん次男じなんであるけん御名ぎょめいかたしんくにゆずりに反対はんたいし、たて雷神らいじんたたかいをいどんだがけてしまい、諏訪すわまでのがれた。そして、以後いご諏訪すわから土地とちないこと、天津てんしんしんいのちしたがうことをちかったとされる[43]説話せつわにはしゃいとなんだことまではしるされていないが、当社とうしゃ起源きげんはこの神話しんわにあるといわれている。なお、この説話せつわは『日本書紀にほんしょき』には記載きさいされていない。

一方いっぽうで、諏訪すわ地域ちいきつたわる神話しんわではけん御名ぎょめいかたしん諏訪すわ明神みょうじん)が諏訪すわ侵入しんにゅうした征服せいふくしゃとしてえがかれている。これによると先住せんじゅうしん矢神やがみ守矢もりや遠祖えんそ)がけん御名ぎょめいかたしん対抗たいこうしようとしてたたかいをいどむもやぶれ、最終さいしゅうてき諏訪すわ統治とうちけんけん御名ぎょめいかたしんゆずったとわれている[44][45][46]。またもうひとつの伝承でんしょうによると、諏訪すわ明神みょうじんが8さい男児だんじ自分じぶん装束しょうぞくせつけたのちに「からだなし、しゅく(ほうり)をもっからだとす」とげて自分じぶん身代みがわり(神体しんたい)として認定にんていした。この少年しょうねんはやがて守屋山もりやさんふもとしゃだん上社かみやしろ)をかまえて上社かみやしろだいしゅくつとめるかみ諏訪すわ)の始祖しそとなったとわれている[47][48]

以上いじょうはあくまでも神話しんわいきないが、これをもと先住せんじゅう勢力せいりょく守矢もりや)のうえそとからはいった氏族しぞく上社かみやしろかみ下社しもしゃ金刺かなざし)によって成立せいりつしたとかんがえられている[49][50][51]諏訪すわ一帯いったい遺跡いせき分布ぶんぷ密度みつど出土しゅつどする土器どき豪華ごうかさは全国ぜんこくでもぐんいており[52]当地とうち繁栄はんえいしていた様子ようすがうかがわれる。

古代こだい[編集へんしゅう]

祭祀さいしはじまった時期じきしょう上社かみやしろ本宮ほんぐう付近ふきんにあるフネ古墳こふん(5世紀せいき前半ぜんはん築造ちくぞう)には蛇行だこうけん呪術じゅじゅつせい副葬品ふくそうひん銅鏡どうきょう・釧・鹿角かつの小刀こがたなとう)が発見はっけんされているため、被葬ひそうしゃ天竜川てんりゅうがわ上流じょうりゅう諏訪湖すわこ水系すいけい統治とうちして上社かみやしろ信仰しんこう関連かんれんのある人物じんぶつおもわれる[53][54][55]文献ぶんけんじょうは『日本書紀にほんしょき』のもちすべ天皇てんのう5ねん(691ねん)8がつに「信濃しなの須波すなみ」のかみまつるというのがはつである[56]

平安へいあん時代じだいの『日本にっぽんさんだい実録じつろく』には「けん御名ぎょめいかたとみいのち神社じんじゃ[57]、『ひだりけい』には「須波すなみしゃ」と記載きさいされている[58]。また『延喜えんぎしきかみめいちょう』では「信濃しなのこく諏訪すわぐん 南方なんぽうがたな美神びしんしゃ めい神大しんだい」と記載きさいされ名神めいしん大社たいしゃれつしているが、この上社かみやしろ下社しもしゃすとされる[59]。また、信濃しなのこく一宮いちのみやとされた。

ふるくから軍神ぐんしんとして崇敬すうけいされ、坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ蝦夷えぞ征伐せいばつさい戦勝せんしょう祈願きがんをしたとつたえられる。

日本書紀にほんしょき』の「須波すなみかみ」について[編集へんしゅう]

諏訪すわ大社たいしゃは『日本書紀にほんしょき』のもちすべ天皇てんのう5ねん(691ねん)8がつじょうえる「信濃しなの須波すなみ」のかみまつるというのがはつである。宮地みやじ直一なおかず吉野よしの裕子ゆうこは、4がつから6がつにかけてったあめなどの、このとし天候てんこう不順ふじゅん須波すなみかみまつられた原因げんいんであると指摘してきした[60]。このときかみではない諏訪すわかみえらばれた理由りゆうは、天武天皇てんむてんのう信濃しなのこく関係かんけいふかさや、諏訪すわ地理ちりてき特徴とくちょうなどのほかに、『古事記こじき』にのみ登場とうじょうする「けん御名ぎょめいかたしん」はこの時点じてんでは創作そうさくされておらず、けん御名ぎょめいかたしんとなる以前いぜんの「諏訪すわ土着どちゃくかみ」が、諏訪湖すわこ天竜川てんりゅうがわ関連かんれんする水神すいじんであったからであるとするせつがある[60]

中世ちゅうせい[編集へんしゅう]

平安へいあん時代じだい末期まっきにははちじょういんりょう荘園しょうえんである一方いっぽう一之宮いちのみやとして信濃しなの国内こくない所領しょりょうゆうした地方ちほう権門けんもんでもあった[61]。そのりょうはちじょういん女房にょうぼう宰相さいしょうでそのまごいけよりゆきもり正室せいしつでんりょうされた[62]うけたまわ寿ことぶきひさしらん源平げんぺい合戦かっせん)にはだいしゅく諏訪すわあつしこうあつしこう)ががみなもとのために祈願きがんした。

鎌倉かまくら時代ときよになると平家ひらかぼつかんりょうとしてみなもと頼朝よりとも給付きゅうふされた[63]頼朝よりとも諏訪すわ大社たいしゃ神馬しんめ奉納ほうのう[64]信濃しなの御家人ごけにんたいしては、毎年まいとし恒例こうれい重要じゅうよう祭事さいじであるがつかい上社かみやしろ南方なんぽう御射山みさやまおこなわれた御射山みさやまさいにおけるあたまやく祭礼さいれい世話せわやく)をつとめるかみやくつとむつかまつ(しんやくごんじ)を徹底てっていさせ、大祝だいしゅくしたがうべきことをめいじている[65]よしみれき4ねん1329ねん幕府ばくふ上社かみやしろ発給はっきゅうした「あたまやく下知げじじょうあん」では信濃しなの地頭じとう御家人ごけにんじゅうよんばん編成へんせいされ、輪番りんばんせいで1ねんごとあたまやくつとむつかまつしたことがしめされている[66]あたまやくにんじられた御家人ごけにん鎌倉かまくらばんやく将軍しょうぐん御所ごしょとう警護けいご任務にんむ)を免除めんじょされる特権とっけんあたえられ、みずからの家格かかく権勢けんせい財力ざいりょく誇示こじにもつながることから、熱心ねっしんつとむつかまつした。五月ごがつかい御射山みさやまさい神事しんじあたまやくたる信濃しなの御家人ごけにんは、その任期にんきちゅう国司こくし初任しょにんけんちゅう免除めんじょされた[67]五月ごがつかい御射山みさやまさいには鎌倉かまくらはじ甲斐がい信濃しなのなど周辺しゅうへん武士ぶし参加さんかした[68]。それにくわえて、軍神ぐんしんとしての武士ぶしからの崇敬すうけい諏訪すわ鎌倉かまくら京都きょうとへの出仕しゅっしにより、今日きょう諏訪すわ信仰しんこう全国ぜんこくへのひろまりが形成けいせいされた[56]。また、諏訪すわ両社りょうしゃにおいてもだいしゅく中心ちゅうしんとして武士ぶしだんすすんだ[59]

このころには「諏訪すわしゃ」の表記ひょうきられ、また「上宮かみみや」・「上社かみやしろ」の記載きさいもあり[69]うけたまわ4ねん(1180ねん)が上社かみやしろ下社しもしゃ区別くべつ明示めいじされているはつであり、幕府ばくふによって「かちれつあるべからず」とされていた[70]神社じんじゃ同様どうよう諏訪すわ大社たいしゃ神仏しんぶつ習合しゅうごうにより上社かみやしろ下社しもしゃ神宮寺じんぐうじもうけられて別当寺べつとうじ神社じんじゃ管理かんりするてら)となり、上社かみやしろ普賢菩薩ふげんぼさつ下社しもしゃ千手観音せんじゅかんのん本地ほんじふつとされた。けんれき2ねん1212ねん)、幕府ばくふ諸国しょこく守護しゅご地頭じとう鷹狩たかがり禁止きんしれいしたが、諏訪すわ大明神だいみょうじんの「かみにえたか」については、勧請かんじょうされた分社ぶんしゃふくめて例外れいがいてき許可きょかしたことにより[71]諸国しょこく御家人ごけにん諏訪すわ大社たいしゃ相次あいついで勧請かんじょうする契機けいきとなった[72]。また諏訪すわかみとうぞくする根津ねづ鷹匠たかじょう流派りゅうは確立かくりつした。

戦国せんごく時代じだい甲斐かいこく武田たけだ諏訪すわ同盟どうめい関係かんけいにあったが、天文てんもん11ねん(1542ねん)には手切てぎれとなり、武田たけだ晴信はるのぶ信玄しんげん)による諏訪すわ侵攻しんこうおこなわれ、諏訪すわぐん武田たけだ領国りょうごくされる。信玄しんげんによってえいろく8ねん(1565ねん)から翌年よくねんにかけて上社かみやしろ下社しもしゃ祭祀さいし再興さいこうはかられた[73]信玄しんげんからの崇敬すうけいつよく、戦時せんじには「南無なむ諏訪すわ南宮なんぐうほうせい上下じょうげだい明神みょうじん」の旗印はたじるし先頭せんとう諏訪すわほうせいかぶとをかぶって出陣しゅつじんしたとつたえられる[74]

天正てんしょう10ねん(1582ねん)3がつには織田おだ徳川とくがわ連合れんごうぐんによる武田たけだりょう侵攻しんこうおこなわれ、同年どうねん3がつ2にちには高遠こうえんじょう陥落かんらくさせた織田おだ信忠のぶただ軍勢ぐんぜい諏訪すわぐん侵攻しんこうし、3月3にちには上社かみやしろへの放火ほうかおこなった。

近世きんせい[編集へんしゅう]

江戸えど時代じだいはいり、江戸えど幕府ばくふだい3だい将軍しょうぐん徳川とくがわ家光いえみつによって慶安けいあん元年がんねん(1648ねん)に上社かみやしろ朱印しゅいん1,000せき下社しもしゃに500せき安堵あんどされた。また高島たかしまはんから上社かみやしろ50せき(のち100せき)・下社しもしゃ30せき(のち60せき)、会津あいづ藩主はんしゅ保科ほしな正之まさゆきから上社かみやしろ100せき下社しもしゃ50せき寄進きしんされた[56][73]

近代きんだい以降いこう[編集へんしゅう]

明治めいじ初頭しょとうされた神仏しんぶつ分離ぶんりれい影響えいきょう上社かみやしろ下社しもしゃ付属ふぞく寺院じいんおおくが撤去てっきょ破壊はかいされ、そのなか安置あんちしていた仏像ぶつぞう仏具ぶつぐ諏訪すわぐんない寺院じいんうつされた。

明治めいじ4ねん(1871ねん)に神職しんしょく世襲せしゅうせい廃止はいしされた結果けっか従来じゅうらい社家しゃけはすべて解職かいしょくされた。近代きんだい社格しゃかく制度せいどにおいてくにぬさ中社なかやしろれっし「諏訪すわ神社じんじゃ」を正式せいしき名称めいしょうとした。その明治めいじ29ねん(1896ねん)にかんぬさ中社なかやしろ大正たいしょう5ねん(1916ねん)にかんぬさ大社たいしゃ昇格しょうかくした。

戦後せんご神社じんじゃ本庁ほんちょう別表べっぴょう神社じんじゃいちしゃとなり、昭和しょうわ23ねん(1948ねん)から諏訪すわ神社じんじゃ区別くべつする必要ひつようとうにより「諏訪すわ大社たいしゃ」のごうもちいられている。

昭和しょうわ39ねん1964ねん)5がつ12にち昭和しょうわ天皇てんのうこうじゅん皇后こうごうだい15かい全国ぜんこく植樹しょくじゅさい開催かいさいわせて県内けんない行幸ぎょうこうけい下社しもしゃ訪問ほうもんした[75]

神階しんかい[編集へんしゅう]

諏訪すわ大社たいしゃ 神階しんかい
けん御名ぎょめいかたしん
  • うけたまわ9ねん(842ねん)5がつ14にち無位むいくんはちとうからしたがえくんはちとう(『ぞく日本にっぽん』) - 表記ひょうきは「南方なんぽうがたな美神びしん[76]
  • よしみさち3ねん(850ねん)10がつ15にちしたがえじょう(『日本にっぽん文徳ふみのり天皇てんのう実録じつろく』) - 表記ひょうきは「御名ぎょめいかたとみいのちしん」。
  • じん寿ことぶき元年がんねん(851ねん)10がつ27にちしたがえさん(『日本にっぽん文徳ふみのり天皇てんのう実録じつろく』) - 表記ひょうきは「けん御名ぎょめいかたとみいのち大神だいじん」。
  • さだかん元年がんねん(859ねん)1がつ27にちせいさんくんはちとうからしたがえくんはちとう(『日本にっぽんさんだい実録じつろく』) - 表記ひょうきは「けん御名ぎょめいかたとみいのちしん」。
  • さだかん元年がんねん(859ねん)2がつ11にちせいくんはちとう(『日本にっぽんさんだい実録じつろく』) - 表記ひょうきは「けん御名ぎょめいかたとみいのちしん」。
  • さだかん9ねん(867ねん)3がつ11にちしたがえいちくんはちとう(『日本にっぽんさんだい実録じつろく』) - 表記ひょうきは「けん御名ぎょめいかたとみいのちしん」。
  • 寛平かんぺい5ねん(893ねん)11月3にちせいいち(『日本にっぽんりゃく』)[77]
八坂やさかかたなうりしん
  • うけたまわ9ねん(842ねん)10がつ2にち無位むいからしたがえ(『ぞく日本にっぽん』) - 表記ひょうきは「けん御名ぎょめいかたとみいのちまえはちさかがたなうれしん[76]
  • よしみさち3ねん(850ねん)10がつ15にちしたがえじょう(『日本にっぽん文徳ふみのり天皇てんのう実録じつろく』) - 表記ひょうきは「けん御名ぎょめいかたとみいのちまえはちさかがたなうりいのちしん」。
  • じん寿ことぶき元年がんねん(851ねん)10がつ27にちしたがえさん(『日本にっぽん文徳ふみのり天皇てんのう実録じつろく』) - 表記ひょうきは「ぜん八坂刀売命大神」。
  • さだかん元年がんねん(859ねん)1がつ27にちせいさん(『日本にっぽんさんだい実録じつろく』) - 表記ひょうきは「けん御名ぎょめいかたとみいのちまえはちさかがたなうりいのちしん」。
  • さだかん元年がんねん(859ねん)2がつ11にちしたがえ(『日本にっぽんさんだい実録じつろく』) - 表記ひょうきは「けん御名ぎょめいかたとみいのちまえはちさかがたなうりいのちしん」。
  • さだかん9ねん(867ねん)3がつ11にちせい(『日本にっぽんさんだい実録じつろく』) - 表記ひょうきは「けん御名ぎょめいかたとみいのちまえはちざか刀自とじいのちしん」。
  • 寛平かんぺい5ねん(893ねん)11月3にちしたがえいち(『日本にっぽんりゃく』)[77]
  • てんけい年間ねんかん938ねん-946ねん)、せいいち(『諏方すわ大明神だいみょうじん』)[77]

神職しんしょく[編集へんしゅう]

諏訪すわ大社たいしゃにはかつて最高さいこう神官しんかんだいしゅく(おおほうり)のもと、五官ごかんしゅく(ごがんのほうり)とばれる神職しんしょくかれた。

上社かみやしろ
下社しもしゃ
  • だいしゅく - 金刺かなざしのち武居たけい国造くにのみやつこ後裔こうえいすめらぎべつ)。中世ちゅうせいにはだいしゅく中心ちゅうしんとして武士ぶしだんした。室町むろまち時代ときよ金刺かなざし上社かみやしろとのあらそいにやぶ他国たこくり、以後いご武居たけいしゅくからだいしゅくてられた[73]居館きょかん下諏訪しもすわまち上馬場かみばっぱのち諏訪すわまち武居たけい
  • 武居たけいはじめ(たけいほうり、竹居たけいしゅく) - 武居たけいのち今井いまい武居たけい支族しぞく)。下社しもしゃ五官ごかんの1つで筆頭ひっとう矢神やがみ同様どうようけん御名ぎょめいかたしん服従ふくじゅうした武居たけい大伴おおとも主神しゅしん後裔こうえいとされる。
  • 禰宜ねぎ太夫たゆう - 志津野しつののち桃井ももい下社しもしゃ五官ごかんの1つ。
  • けんしゅく - 山田やまだのち古田ふるた下社しもしゃ五官ごかんの1つ。
  • なずらえしゅく - 山田やまだ下社しもしゃ五官ごかんの1つ。
  • ふくしゅく - 山田やまだ下社しもしゃ五官ごかんの1つ。


その神職しんしょくとして、若宮わかみやはじめ宮津みやづしゅく神楽かぐらやく検校けんぎょう大夫たいふ天王てんのうしゅくなどのしゅく八乙女やおとめなどが文献ぶんけんられる。明治めいじ以降いこう社家しゃけ制度せいど廃止はいしされ神社じんじゃ本庁ほんちょうから神職しんしょく派遣はけんされるようになったため、上記じょうき氏族しぞく現在げんざい祭祀さいしかかわっていない。

境内けいだい[編集へんしゅう]

上社かみやしろ[編集へんしゅう]

諏訪すわ大社たいしゃ 上社かみやしろ


うえ本宮もとみや 拝殿はいでんくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい
したぜんみや はいしょ
所在地しょざいち 本宮もとみや長野ながのけん諏訪すわ中洲なかす宮山みややま1
ぜんみや長野ながのけん茅野ちの宮川みやがわ2030
位置いち 本宮もとみや
北緯ほくい3559ふん53.37びょう 東経とうけい13807ふん10.09びょう / 北緯ほくい35.9981583 東経とうけい138.1194694 / 35.9981583; 138.1194694 (諏訪すわ大社たいしゃ上社かみやしろ 本宮ほんぐう)
ぜんみや
北緯ほくい3559ふん28.08びょう 東経とうけい13808ふん00.28びょう / 北緯ほくい35.9911333 東経とうけい138.1334111 / 35.9911333; 138.1334111 (諏訪すわ大社たいしゃ上社かみやしろ ぜんみや)
主祭しゅさいしん 本宮もとみやけん御名ぎょめいかたしん
ぜんみや八坂やさかかたなうりしん
神体しんたい 本宮もとみや御山おんやま神体しんたいやま
本殿ほんでん様式ようしき 本宮もとみや:なし
例祭れいさい 4がつ15にちあたまさいとりまつり
地図ちず
地図
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1.5 km
上社かみやしろぜんみや
.
上社かみやしろ本宮ほんぐう
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上社かみやしろ(かみしゃ)は、諏訪湖すわこ南岸なんがん諏訪盆地すわぼんち西南せいなんはしにある。下社しもしゃたいしては上流じょうりゅう位置いちにあたる。

本宮もとみやぜんみやからなり、下社しもしゃことなり二宮にのみやふるくは本社ほんしゃ摂社せっしゃという関係かんけいであった。古来こらい神事しんじかえるかり神事しんじあたまさい年中ねんじゅう4かり神事しんじなど)にられるように狩猟しゅりょう民族みんぞくてき性格せいかくゆうしている。

かつては本宮ほんぐうしゅとして上諏訪かみすわ中心ちゅうしんであったが、近世きんせい以後いご北方ほっぽう高島たかしましろ城下町じょうかまちうつり、そちらに甲州こうしゅう街道かいどう上諏訪かみすわ宿やどもうけられた。

祭神さいじん[編集へんしゅう]

本宮もとみや[編集へんしゅう]

本宮もとみや(ほんみや)は、赤石山脈あかいしさんみゃく北端ほくたん守屋山もりやさんきたふもと鎮座ちんざする。社殿しゃでん6むねくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされ、しゃくさむら落葉樹らくようじゅからなる自然しぜんりん長野ながのけん指定してい天然記念物てんねんきねんぶつ指定していされている。

  • 拝殿はいでん重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 拝殿はいでんうしろにぬさ殿どの左右さゆうかた拝殿はいでんつづく「諏訪すわづくり」とばれる独自どくじ配置はいち
  • はいしょ - 拝殿はいでんからときにわへだててつ。
  • 勅願ちょくがん殿どの祈祷きとうしょ) - 元禄げんろく3ねん(1690ねん建立こんりゅう守屋山もりやさんかって祈願きがんするための建物たてものわれているが、元々もともと拝殿はいでんいていたというせつもある。
  • よんきゃくもん重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 慶長けいちょう13ねん(1608ねん)、徳川とくがわ家康いえやす大久保おおくぼ長安ながやすめいじて建立こんりゅうさせたもの。現在げんざい重要じゅうよう祭事さいじにおいてのみひらかれる。
  • 西にし宝殿ほうでん - 本宮ほんぐう宝殿ほうでん拝殿はいでんそとよんきゃくもんりょうわきにあり、参拝さんぱいのラインと直角ちょっかくいている。
  • 東宝とうほう殿どの - 宝殿ほうでんからはかならに3てきしずくちるといわれる(諏訪すわ大社たいしゃ七不思議ななふしぎ)。
  • 硯石すずりいし(すずりいし) - 諏訪すわななせきひとつにかぞえられる。境内けいだいさい上段じょうだん位置いちし、上部じょうぶの凹面にみずっていることに由来ゆらいする。諏訪すわ明神みょうじん降臨こうりんするいわとして信仰しんこうされた。なお、明治めいじ以前いぜん絵図えずには境内けいだい硯石すずりいしえがかれていないため、過去かこにおいて現在地げんざいちことなる場所ばしょにあったとかんがえられる[79]
  • 上社かみやしろ宝物殿ほうもつでん - 上社かみやしろつたわる武田たけだ信玄しんげんせんりにらしたとわれるてつ鐸(さなぎのすずはちさかえすずなぎがまひとし宝物ほうもつ保管ほかん展示てんじされている[80]。また、諏訪すわ大社たいしゃには日本にっぽん前田まえだ青邨せいそん岩波いわなみ昭彦あきひこ[81]川崎かわさきにちかいり[82]や、漫画まんが山本鈴美香やまもとすみか原画げんが絵本えほん作家さっか平林ひらばやしいずみの絵馬えま[83]ひとし奉納ほうのうされている。
  • ぬのきょう重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - ふるくはだいしゅくのみがわたり、ぬのかれた。
  • 入口いりくち御門みかど重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 文政ぶんせい12ねん(1829ねん造営ぞうえい
  • がくどう絵馬えまどう重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい) - どうないはしらさいのメド梃子てこ
  • 神馬しんめしゃ重要じゅうよう文化財ぶんかざい
  • にえけのけやき - 境内けいだい最古さいこ樹木じゅもくの1つ。
  • あいだろう重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 安永やすなが2ねん(1773ねん造営ぞうえい
  • 勅使ちょくし殿どの重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 元禄げんろく3ねん(1690ねん造営ぞうえい数々かずかず神事しんじおこなわれた。
  • 神楽かぐら殿どの重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 文政ぶんせい10ねん(1827ねん造営ぞうえい殿内とのうちだい太鼓たいこ
  • てん流水りゅうすいしゃ重要じゅうよう文化財ぶんかざい
  • 御沓みくつせき(おくついし) - 諏訪すわななせきひとつ。諏訪すわかみうまがこのいしえたときに、あといしめんとどまったとつたわる[5]
  • てん逆鉾さかほこ
  • 明神みょうじん - 温泉おんせん手水ちょうず諏訪すわ温泉おんせん源泉げんせんとされている。無色むしょく透明とうめいアルカリ性あるかりせいで、温度おんどやく60める温泉おんせんとして平成へいせい23ねん(2011ねん)に認可にんかされた[84]
  • 蓮池はすいけ - いけはしには蓮池はすいけいんしたぼうとも)というてら存在そんざいしていた。いけにあるかえるがたいし諏訪すわななせきひとつにかぞえられるかえるせき
  • みなみ鳥居とりい二之にの鳥居とりい) - 南東なんとうかたつ。まえには御手洗みたらいがわがあり、はしけられている。かつては本宮ほんぐう正門せいもんとされた。
  • 正面しょうめん鳥居とりい - 平成へいせい15ねん(2003ねん造営ぞうえい。この鳥居とりいのあるきた参道さんどう太平洋戦争たいへいようせんそうなか開設かいせつされたものである(敗戦はいせん同時どうじ一時いちじ中断ちゅうだんのち工事こうじ再開さいかい)。
  • なみじょ鳥居とりい(なみよけとりい、一之かずゆき鳥居とりい) - 北西方きたにしかたつ。昭和しょうわ15ねん(1940ねん造営ぞうえいで、諏訪すわ大社たいしゃ唯一ゆいいつ木造もくぞう両部りょうぶ鳥居とりいふるくは諏訪湖すわこがこの鳥居とりいまえまでびていたとわれている。

ぜんみや[編集へんしゅう]

ぜんみや境内けいだい

ぜんみや(まえみや)は、本宮ほんぐう南東なんとうやく2kmの鎮座ちんざする。諏訪すわ祭祀さいし発祥はっしょうとされる。境内けいだいにはみずがわ(すいががわ)がながれる。

上社かみやしろなか一番いちばんふるしゃで、かつては祭事さいじ中心ちゅうしんでもあった。本来ほんらい守矢もりや本拠地ほんきょちであったが、かみ諏訪すわ進入しんにゅうして大祝だいしゅく体制たいせい成立せいりつしてから大祝だいしゅくゆずったといわれている[85]

当地とうちにはだいしゅく始祖しそとされるゆういんはじめてだいしゅくいて以来いらい大祝だいしゅく居館きょかんもうけられていた。だいしゅく神体しんたい同視どうし(いわば現人神あらひとがみ)されていたことから、その居館きょかんは「神殿しんでん(ごうどの)」と尊称そんしょうされ、周辺しゅうへんは「神原かみはら(ごうばら)」とばれた。当地とうちでは代々だいだい大祝だいしゅく職位しょくいしきのほかおおくの祭事さいじおこなわれ、末社まっしゃおおかれた。だいしゅく祭政さいせいりょうけんゆうしたことから、当地とうち諏訪すわ地方ちほう政治せいじ中心ちゅうしんであった。

のち諏訪すわ兵馬へいば惣領そうりょう祭祀さいし大祝だいしゅくとにかれ、政治せいじ中心ちゅうしん惣領そうりょう居城きょじょうである上原うえはらしろうつった。そしてだいしゅく屋敷やしきもまた慶長けいちょう6ねん(1601ねん)に移転いてんしたが、祭事さいじつづいて当地とうちにておこなわれていた。

江戸えど時代じだいまでは「ぜんみやしゃ」として上社かみやしろさかいがい摂社せっしゃ筆頭ひっとう社格しゃかく[86]ゆうして鎮座ちんざしていたが、明治めいじ以降いこう上社かみやしろぜんみやさだめられた。上社かみやしろ祭政さいせい一致いっち時代じだい姿すがた色濃いろこのこしていることから、現在げんざい境内けいだいは「諏訪すわ大社たいしゃ上社かみやしろぜんみや神殿しんでんあと」として長野ながのけん史跡しせき指定していされている。

現在げんざい祭神さいじん八坂はっさかがたなうれしんとなっているが、これは『ぞく日本にっぽん』に記載きさいされている「ぜんはちさかがたなうれしん」から発生はっせいした後世こうせい解釈かいしゃくであり[87]文献ぶんけんには「ぜんみやじゅう御社おんしゃみやしん」がられることから本来ほんらいミシャグジまつ場所ばしょだったというせつがある[88][89]

  • 本殿ほんでん - 伊勢神宮いせじんぐうざいつくられた社殿しゃでん大祝だいしゅく精進しょうじんがあったところにつ。
  • かみりょう伝承でんしょう - 本殿ほんでんよこ所在しょざい諏訪すわかみけん御名ぎょめいかたしん)のかみりょうあととされる[86]
  • はいしょ
  • じゅうあいだろう - ふるくは「神原かみはらろう」ともばれた。上社かみやしろ例祭れいさいあたまさい」がおこなわれる。
  • うち御玉おたま殿どの(うちみたまでん)
  • 神殿しんでんあと - 上社かみやしろだいしゅくんでいた居館きょかん跡地あとち

末社まっしゃ[編集へんしゅう]

  • 本宮もとみや境内けいだいしゃ
  • さんじゅうきゅうしょ
    上社かみやしろにはうえなかしたじゅうさんしょずつのけいさんじゅうきゅうしょ末社まっしゃもうけられていた。現在げんざい末社まっしゃ上社かみやしろで42しゃ下社しもしゃで27しゃあり、明治めいじ以後いご独立どくりつした関係かんけいしゃふくめるとけい95しゃおよ[90]本宮ほんぐうにはこれらのかみ々を遥拝ようはいする遥拝ようはいしょがあり、朝夕あさゆう遥拝ようはいおこなわれる。遥拝ようはいしょ文政ぶんせい11ねん(1828ねん造営ぞうえい
諏訪すわ大社たいしゃ上社かみやしろ さんじゅうきゅうしょ一覧いちらん

諏訪すわ大社たいしゃ上社かみやしろさんじゅうきゅうしょ一覧いちらん

  • うえじゅうさんしょ
    1. ところまさししゃ(ところまつしゃ)(ぜんみや
    2. ぜんみやしゃぜんみや
    3. いそなみしゃ(いそなみしゃ)(茅野ちの宮川みやがわだか
    4. 大年おおとししゃ(おおとししゃ)(茅野ちのちの茅野ちのまち
    5. あらたましゃ(あらたましゃ)(ぜんみや
    6. 千野ちのがわしゃ(ちのがわしゃ)(亀石かめいししゃ)(茅野ちの宮川みやがわ西にし茅野ちの
    7. わか御子みこしゃ(わかみこしゃ)(ぜんみや
    8. 柏手かしわでしゃ(かしわでしゃ)(ぜんみや
    9. かずらしゃ(くずいしゃ)(茅野ちのちの上原うえはら
    10. 溝上みぞかみしゃ(みぞがみしゃ)(ぜんみや
    11. しゃ(せしゃ)(茅野ちの宮川みやがわだか
    12. たましゃ(たまおしゃ)(茅野ちの宮川みやがわだか
    13. またしゃ(ほまたしゃ)(茅野ちの宮川みやがわだか
  • ちゅうじゅうさんしょ
    1. 藤島ふじしましゃ諏訪すわ中洲なかず神宮寺じんぐうじ
    2. うち御玉おたま殿どの(うちみたまでん)(ぜんみや
    3. 鶏冠けいかんしゃ(けいかんしゃ)(ぜんみや
    4. ぞうしゃ(すくらしゃ)(茅野ちのちの横内よこうち
    5. 習焼しゃ(ならやきしゃ)(諏訪すわ湖南こなみ
    6. 御座ぎょざせきしゃ(ございししゃ)(茅野ちの本町ほんちょう
    7. 御飯ごはん殿どの本宮ほんぐう
    8. 相本あいもとしゃ(あいもとしゃ)(茅野ちの宮川みやがわだか
    9. 若宮わかみやしゃ(わかみやしゃ)(諏訪すわ中洲なかず神宮寺じんぐうじ
    10. だいよんあん(おおよつみいお)(富士見ふじみまち御射山みさやま
    11. やまあん(やまみいお)(富士見ふじみまち御射山みさやま
    12. 御作みつくり久田きゅうでんしゃ(みさくだしゃ)(不明ふめい
    13. 闢尾しゃ(あきほしゃ)(原村はらむら室内しつない
  • したじゅうさんしょ
    1. 八剱はちけんしゃ(やつるぎしゃ、八剣やつるぎ神社じんじゃ)(諏訪すわ小和田こわだ
    2. 小坂こさかしゃ(おさかしゃ)(岡谷おかやみなと
    3. 鷺宮さぎのみやしゃ(さぎのみやしゃ、さきみや神社じんじゃ)(諏訪すわ大和やまと
    4. おぎみや諏訪すわ四賀しが上桑原かみくわはら
    5. いたるしゃ(たつやしゃ)(茅野ちのちの横内よこうち
    6. さけしつしゃ(さかむろしゃ)(茅野ちの宮川みやがわざかしつ
    7. 下馬げばしゃ(げばしゃ)(茅野ちの宮川みやがわだか
    8. 御室おむろしゃ(みむろしゃ)(ぜんみや
    9. しゃ(おかましゃ)(本宮ほんぐう
    10. いそなみ山神さんじん(いそなみやまのかみ)(茅野ちの宮川みやがわだか
    11. 武居たけいかい美酒びしゅ諏訪すわ中洲なかず神宮寺じんぐうじ武居たけいたいら
    12. 神殿しんでんちゅう部屋へや(ごうどのなかべや)(ぜんみや神宮寺じんぐうじ
    13. ちょうろう神社じんじゃ本宮ほんぐう

その[編集へんしゅう]

  • 上社かみやしろいにしえ』 - 上社かみやしろ境内けいだいかんしては天正てんしょう年間ねんかん1573ねん-1592ねん)にえがかれたとつたえられる[91]上社かみやしろいにしえ』があり、当時とうじ様子ようすがわかっている。絵図えず現在げんざい諏訪すわ博物館はくぶつかん保管ほかんされ、かみ長官ちょうかん守矢もりや史料しりょうかん模写もしゃばん展示てんじされている。
  • 上社かみやしろ神宮寺じんぐうじあと - もと別当寺べつとうじしゃでんでは空海くうかい創建そうけんといわれ、本宮ほんぐうまわりに大坊だいぼうかみぼうしもぼう法華寺ほっけじ上社かみやしろ4てらほかおおくのぼうがあった[92]ひろし賢堂かしこどう五重塔ごじゅうのとう二王門におうもんといった伽藍がらんがあったことが絵図えずからわかっている。なお、絵図えずえがかれる法花寺ほっけいじ法燈ほうとう現在げんざいつたえている(げん 法華寺ほっけじ)。
  • 小屋こやさん - 上社かみやしろはしらはしらさん諏訪すわ大社たいしゃ社有地しゃゆうちで、奥宮おくのみやがある。

下社しもしゃ[編集へんしゅう]

諏訪すわ大社たいしゃ 下社しもしゃ


うえあきみや ぬさ拝殿はいでんくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい
した春宮とうぐう ぬさ拝殿はいでんくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい
所在地しょざいち あきみや長野ながのけん諏訪すわぐん下諏訪しもすわまち5828
春宮とうぐう長野ながのけん諏訪すわぐん下諏訪しもすわまち193
位置いち あきみや
北緯ほくい3604ふん31.45びょう 東経とうけい13805ふん28.68びょう / 北緯ほくい36.0754028 東経とうけい138.0913000 / 36.0754028; 138.0913000 (諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃ あきみや)
春宮とうぐう
北緯ほくい3604ふん55.45びょう 東経とうけい13804ふん55.60びょう / 北緯ほくい36.0820694 東経とうけい138.0821111 / 36.0820694; 138.0821111 (諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃ 春宮とうぐう)
主祭しゅさいしん けん御名ぎょめいかたしん
八坂やさかかたなうりしん
八重やえ事代ことしろ主神しゅしん
神体しんたい あきみやイチイ神木しんぼく
春宮とうぐうスギ神木しんぼく
本殿ほんでん様式ようしき なし
例祭れいさい 8がつ1にち御舟みふねさい
地図ちず
地図
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1.5 km
下宮したみや春宮とうぐう
.
下宮したみやあきみや
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下社しもしゃ(しもしゃ)は、諏訪湖すわこ北岸ほくがん諏訪盆地すわぼんちきたえんにある。上社かみやしろたいしては下流かりゅう位置いちにあたる。

あきみや春宮とうぐうからなり、上社かみやしろことなり二宮にのみや地位ちい同格どうかくで、御霊代みたましろだい)が2月と8がつ両社りょうしゃあいだ遷座せんざする。南側みなみがわけておりふるくから農耕のうこうさかんなであり[93]農耕のうこう民族みんぞくてき性格せいかくゆうしている。

一帯いったい下諏訪しもすわ中心ちゅうしんで、近世きんせいには中山道なかせんどう甲州こうしゅう街道かいどう宿場しゅくばまちとして下諏訪しもすわ宿やどもうけられた。

祭神さいじん[編集へんしゅう]

あきみや[編集へんしゅう]

あきみや(あきみや)は、下諏訪しもすわまちひがしはし鎮座ちんざする。東方とうほうには承知しょうちがわながれている。

毎年まいとし8がつ-よく1がつ祭神さいじんまつられているため、あきみやとよばれている。境内けいだい社殿しゃでん4むねくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされている。周辺しゅうへん温泉おんせん湧出ゆうしゅつで、境内けいだいにもかみがある。社殿しゃでん形式けいしき春宮とうぐうおなじで、ふるくはあきみや春宮とうぐうあいだ建築けんちくわざきそわれた[94]

  • ぬさ拝殿はいでん重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 江戸えど時代じだい安永やすなが10ねん(1781ねん落成らくせいぬさ殿どの拝殿はいでん一体いったいとなったじゅう楼門ろうもんづくりで、左右さゆうかた拝殿はいでん重要じゅうよう文化財ぶんかざい)がならぶ。彫刻ちょうこく立川たちかわかず四郎しろうさく
  • 神楽かぐら殿どの重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 江戸えど時代じだい天保てんぽう6ねん(1835ねん造営ぞうえい狛犬こまいぬ彫刻ちょうこく清水しみず多嘉たかしめせさく
  • りのすぎ - 境内けいだい正面しょうめんつ。
  • 千尋ちひろ - かつてうれしんしゅくいん重要じゅうよう文化財ぶんかざい)がされた。

春宮とうぐう[編集へんしゅう]

春宮とうぐう(はるみや)は、下諏訪しもすわまち北端ほくたんあきみや北西ほくせいやく1.2kmの鎮座ちんざする。下社しもしゃ最初さいしょ遷座せんざとされる。西方せいほうには砥川とがわながれている。

毎年まいとし2がつ-7がつ祭神さいじんまつられているため、春宮とうぐうとよばれている。境内けいだい社殿しゃでん3むねくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされている。

  • ぬさ拝殿はいでん重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 江戸えど時代じだい安永やすなが9ねん(1780ねん落成らくせいぬさ殿どの拝殿はいでん一体いったいとなったじゅう楼門ろうもんづくりで、左右さゆうかた拝殿はいでん重要じゅうよう文化財ぶんかざい)がならぶ。
  • 神楽かぐら殿どの - 江戸えど時代じだい天和てんわ年間ねんかん(1681ねん-1684ねんごろ造営ぞうえい
  • 下馬げばきょう - 参道さんどう途中とちゅうにあるふとしつづみきょう室町むろまち時代ときよ造営ぞうえい下社しもしゃでは最古さいこ建造けんぞうぶつ身分みぶんにかかわらずうまからりてわたらなければならないとされ、現在げんざい遷座せんざさいにおいて神輿しんよのみがわたる。
  • つつかゆ殿どの - つつかゆ神事しんじおこなわれる。
  • むすびのすぎ - さき二又ふたまたかれる。

末社まっしゃ[編集へんしゅう]

あきみや摂社せっしゃ 若宮わかみやしゃ
ひだりすめらぎ大神宮だいじんぐうしゃみぎ稲荷いなりしゃ
春宮とうぐう摂社せっしゃ 若宮わかみやしゃ

下社しもしゃ末社まっしゃ現在げんざい27しゃある[90]おもなものはつぎとおり。

その[編集へんしゅう]

  • 下社しもしゃ神宮寺じんぐうじあと - もと別当寺べつとうじ
  • 青塚あおつか古墳こふん - 下社しもしゃあきみやちかくにある古墳こふんで、かつてはあきみや境内けいだいであった。諏訪すわ地方ちほうでは唯一ゆいいつ前方後円墳ぜんぽうこうえんふんで、墳丘ふんきゅうちょう57m[95]埋葬まいそうしゃ諏訪すわ大社たいしゃとの関係かんけい不明ふめいであるが、現在げんざい下社しもしゃ末社まっしゃ青塚あおつかしゃまつられている。

祭事さいじ[編集へんしゅう]

式年しきねん祭事さいじ[編集へんしゅう]

  • 諏訪すわ大社たいしゃ式年しきねん造営ぞうえいはしら大祭たいさい
    はしらさい(おんばしらさい/みはしらさい)」としょうされる。とらねんさるねんの6ねんごと(7ねんごと)に、もみ山中さんちゅうからし、かく社殿しゃでん四方しほうてて神木しんぼくとするまつり諏訪すわ大社たいしゃもっと重要じゅうようまつりである。はしら同時どうじに、宝殿ほうでんえのため宝殿ほうでんない神器じんぎ遷座せんざおこなわれる(詳細しょうさいは「はしらさい参照さんしょう。)。

年間ねんかん祭事さいじ[編集へんしゅう]

上社かみやしろ下社しもしゃ[編集へんしゅう]

  • かみわたる(おみわたり)
    ふゆ諏訪湖すわこ湖面こめんこおりり、にちちゅうこおり膨張ぼうちょうによって亀裂きれつはし現象げんしょうプレッシャー・リッジ)で、とく上社かみやしろから下社しもしゃ方向ほうこうはしるものにたいしていう。これはおとこかみ上社かみやしろからおんなかみのいるしたしゃとおったあととされ、神事しんじ諏訪すわ八剱はちけん神社じんじゃ宮司ぐうじによっておこなわれる。なお、同様どうよう現象げんしょう摩周湖ましゅうこひとしでもきる(詳細しょうさいは「諏訪湖すわこ#かみわた参照さんしょう。)。

上社かみやしろ[編集へんしゅう]

諏訪すわ大社たいしゃ上社かみやしろ 年間ねんかん祭事さいじ一覧いちらん
大祭たいさいちゅうさい記載きさいのないものはしょうさい
  • 毎月まいつき
    • 本宮もとみや月次げつじさい(15にち
    • ぜんみや月次げつじさい (27にち
  • 1がつ
    • 歳旦さいたんさい1がつ1にち) - ちゅうさい
    • 若宮わかみやしゃさい(1がつ1にち
    • かえるかり神事しんじ(1がつ1にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • あたまうらない神事しんじ(おんとうみうらのしんじ)(1がつ1にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • あらたましゃさい本宮ほんぐう)(1がつ1にち
    • 元始げんしさい1がつ3にち) - ちゅうさい
    • あたま受(1がつ5にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • わたり1がつ11にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • 田遊たあそび神事しんじ1がつ15にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • 新年しんねんいのり請祭(1がつ15にち
  • 2がつ
    • 御社おんしゃ宮司ぐうじください(1がつ下旬げじゅん-2がつ中旬ちゅうじゅん) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • さかいじめ神事しんじ(1がつ下旬げじゅん-2がつ中旬ちゅうじゅん) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • 紀元きげんさい2がつ11にち) - ちゅうさい
    • あらたましゃさい本宮ほんぐう)(2がつ28にち
    • 野出ので神事しんじ(2がつ28にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • うち御玉おたま殿どのさい(2がつ28にち
    • かえりしろさい(2がつ28にち
  • 3がつ
    • わたり注進ちゅうしんしき(2がつ下旬げじゅん-3がつ初旬しょじゅん
    • 祈年祭としごいのまつり3月17にち) - 大祭たいさい
    • 諏訪すわ大社たいしゃ全国ぜんこく競書きょうしょ大会たいかいけんじしょさい(3がつ下旬げじゅん
  • 4がつ
    • 小立おだち神事しんじ4がつ12にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • ゆうさい4がつ14にち
    • れい大祭たいさい4がつ15にち) - 大祭たいさい
    • あたまさいとりまつり)(4がつ15にち) - 大祭たいさい特殊とくしゅ神事しんじ
    • うち御玉おたま殿どのさい(4がつ15にち
    • わか御子みこしゃさい(4がつ15にち
    • あらたましゃさいぜんみや)(4がつ15にち
    • まつり献詠けんえいさい4がつ16にち
    • いそなみしゃさいいそなみしゃさい)(4がつ19にち
    • いそなみやましゃさい(4がつ19にち
    • 下馬げばしゃさい(4がつ19にち
    • せら神社じんじゃさい(4がつ19にち
    • またしゃさい(4がつ19にち
    • たましゃさい(4がつ19にち
    • 習焼神社じんじゃ参向さんこう4がつ22にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • 大年おおとししゃさい4がつ27にち
    • いぬげんしゃさい(4がつ27にち
    • 御座ぎょざ石神いしがみしゃ参向さんこう(4がつ27にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • 御沓みくつせきさい(4がつ下旬げじゅん
  • 5月
    • 押立おしたてかり神事しんじ5月2にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • 大国たいこく主命しゅうめいしゃさい5月14にち
  • 6がつ
    • 田植たうえさい(6がつだい1日曜にちよう) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • 水神すいじんしゃさい6月25にち
    • かり神事しんじ6月27にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • あたま御社おんしゃ宮司ぐうじしゃさい宮川みやがわ)(6月28にち
    • あたま御社おんしゃ宮司ぐうじしゃさい豊平とよへい)(6がつ28にち
    • あたま御社おんしゃ宮司ぐうじしゃさい(ちの)(6がつ28にち
    • 大祓おおはらいしき6月30にち
  • 7がつ
    • 湯花ゆばなこう神楽かぐら(7がつ上旬じょうじゅん
  • 8がつ
    • 高島たかしま神社じんじゃさい8がつ12にち
    • 拍手はくしゅしゃさい8がつ26にち
    • みぞ上社かみやしろさい(8がつ26にち
    • さけしつしゃ参向さんこう(8がつ26にち
    • 闢盧しゃ参向さんこう(8がつ26にち
    • だいよんしゃさい8がつ27にち
    • 御射山みさやましゃさい(8がつ27にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • くにつねたていのちしゃさい(8がつ27にち
    • 浅間あさましゃさい(8がつ27にち
    • 西宮にしのみやしゃさい(8がつ27にち
    • さんりんしゃさい(8がつ27にち
    • 神功じんぐう皇后こうごうしゃさい(8がつ27にち
    • 子安こやすしゃさい(8がつ27にち
    • いそなみしゃさい(8がつ27にち
    • 津島つしましゃ参向さんこう(8がつ27にち
    • 御射山みさやましゃまつり8がつ28にち
  • 9月
    • 御社おんしゃ宮司ぐうじのぼりさい(9がつ-10がつごろ
    • 十五夜じゅうごや相撲すもう神事しんじ9月15にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • あたま御社おんしゃ宮司ぐうじしゃさい四賀しが)(9月27にち
  • 10月
    • 児玉こだま石神いしがみしゃ参向さんこう10月2にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • 八束穂やつかほこう神楽かぐら10月8にち
    • はやしゃさい10月15にち
    • 千野ちのがわしゃさい(10がつ15にち
    • 神嘗祭かんなめさい当日とうじつさい10月17にち) - ちゅうさい
    • 大年おおとししゃさい(10がつ17にち
    • 事代ことしろ主命しゅうめいしゃさい10がつ20日はつか
    • 神徳しんとく敬仰けいぎょう奉賛ほうさんさい(10がつ
  • 11月
    • しん蕎麦そば献納けんのうさい(11がつ初旬しょじゅん
    • 明治めいじさい11月3にち) - ちゅうさい
    • 鞴講神楽かぐら11月8にち
    • ななさん祈祷きとうさい11月26にち
    • 新嘗祭にいなめさい(にいなめさい)(11月23にち) - 大祭たいさい
    • 藤島ふじしましゃさい11月25にち
    • おぎみやしゃさい(11月25にち
    • しょう神立かんだつ神事しんじ11月28にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
  • 12月
    • 御室おむろしゃさい12月22にち
    • 鶏冠けいかんしゃさい(12月22にち
    • 政所まんどころしゃさい(12月22にち
    • 子安こやすしゃさい(12月22にち
    • てんちょうさい12月23にち) - ちゅうさい
    • あらたましゃさいぜんみや)(12月24にち
    • 煤払すすはらい神事しんじ12月27にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • いしおく神事しんじ12月27にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • 大祓おおはらいしき12月31にち
    • 除夜じょやさい(12月31にち
  • かえるかり神事しんじ(かわずがりしんじ)
    元日がんじつあさ上社かみやしろ本宮ほんぐうおこなわれる神事しんじ。まず御手洗みたらいがわ川底かわぞこかえしてかえるらえていたが、抗議こうぎこえおおくなり、上社かみやしろ裏山うらやま場所ばしょえて白布しろぬのかこい、られないようにしておこなわれている。その拝殿はいでん正面しょうめんにてしょうゆみもってこのかえる射抜いぬき、生贄いけにえとして神前しんぜんささげ、宮司ぐうじ祝詞のりとささ国家こっか平安へいあん五穀豊穣ごこくほうじょう祈願きがんする。上社かみやしろ祭神さいじんくるう「えびぶとしん」を退治たいじしたのがこの神事しんじはじまりという故事こじがある。かえるそなえる本当ほんとう理由りゆうなぞつつまれており、いろんなせつげられている[注釈ちゅうしゃく 2]。しかし、諏訪すわりゅうへび信仰しんこう関係かんけいしている可能かのうせいがある。
    なお、ほん神事しんじについては、きたカエルを串刺くしざにするという行為こうい残酷ざんこくであるとして、2011ねん以降いこう国内こくない複数ふくすう動物どうぶつ保護ほご団体だんたい一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじんLIA[96]全国ぜんこく動物どうぶつネットワーク[97]認定にんていNPO法人ほうじん 動物どうぶつ愛護あいごかんがえる茨城いばらき県民けんみんネットワーク CAPIN[98]いぬねこ救済きゅうさい TNR日本にっぽん動物どうぶつ福祉ふくし病院びょういん[99]、NPO法人ほうじんJAVA[100])から抗議こうぎこえがっている。
  • あたまさい(おんとうさい)
    4がつ15にち上社かみやしろおこなわれるまつり別名べつめいとりまつり」「だい御立みたち神事しんじ(おおみたてまししんじ)」「大立おおたちぞうあたま」とわれている。
    現在げんざいでは、鹿しかいのししあたま剥製はくせい使つかわれているが、江戸えど時代じだい菅江すがえ真澄ますみのこした資料しりょうに、しろうさぎまつぼう串刺くしざしにされたものや鹿しかいのししがわ海草かいそうくしさってかざられていたり、鹿しかのうえ・なま鹿しかなまうさぎきりうさぎうさぎせんじる・鹿しか五臓ごぞうなどがきょうされ、中世ちゅうせいになると鹿しかからだ全体ぜんたいきょうされ、それを「禽獣きんじゅう高盛たかもり」とんだという内容ないようのこっている。また諏訪すわ大社たいしゃ七不思議ななふしぎの1つとして「みみきれ鹿しか」というものがある。これは生贄いけにえ鹿しかなかで、かならみみおおきくけた鹿しかがいるというものであるという。
  • 御射山みさやまさい(みさやまさい)
    上社かみやしろ狩猟しゅりょう神事しんじ中世ちゅうせいにはとし4かい八ヶ岳やつがたけ裾野すそのさいおこない、御射山みさやまさいはそのなかもっとながく5日間にちかんつづいた。あおかや仮屋かりやき、神職しんしょくその参籠さんろううえ祭典さいてんおこなうことから「まつり」の名称めいしょうもある。鎌倉かまくら時代ときよ幕府ばくふいのち御射山みさやまさい費用ひよう信濃しなの豪族ごうぞく交代こうたい負担ふたんすることがめられ、参加さんかする成年せいねん武士ぶし(とうま)はこのまつり獲物えもの射止いとめることでいち人前にんまえ武士ぶしなりとしてみとめられたという。またこのまつりこりとして、南北なんぼくあさ時代じだい神道しんとうしゅう諏訪すわ大明神だいみょうじん秋山あきやまさいのこと』では、
    平安へいあん時代じだい初期しょき坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ蝦夷えぞ征討せいとうのため信濃しなのまでさい諏訪すわ明神みょうじん一人ひとり騎馬きば武者むしゃ化身けしんしてぐん先導せんどうし、蝦夷えぞ首領しゅりょう悪事あくじ高丸たかまるとしたので田村たむら将軍しょうぐんがとどめをすことが出来できた。将軍しょうぐんがこのかみおんむくいるため悪事あくじ高丸たかまるった狩猟しゅりょう神事しんじさだめ、御射山みさやまさいはじめとなった。この縁日えんにち旧暦きゅうれき7がつ27にち)になるとられた高丸たかまる怨霊おんりょうあらしこすといわれる」
    という伝説でんせつつたえている。現在げんざいはこのまつりはずっと小規模しょうきぼになっている。

下社しもしゃ[編集へんしゅう]

上社かみやしろくらべて史料しりょうのこっておらず不明ふめい神事しんじおお[73]

諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃ 年間ねんかん祭事さいじ一覧いちらん
大祭たいさいちゅうさい記載きさいのないものはしょうさい
  • 毎月まいつき
    • あきみや月次げつじさい(1にち) - 9月-12月。
    • 春宮とうぐう月次げつじさい(1にち) - 3月-7がつ
    • 恵比寿えびすしゃ月次げつじさい20日はつか
    • あきみや子安こやすしゃ月次げつじさい(22にち
  • 1がつ
    • 歳旦さいたんさい1がつ1にち) - ちゅうさい
    • 若宮わかみやしゃさい(1がつ1にち
    • 綿めん神事しんじ(1がつ1にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • 元始げんしさい1がつ3にち) - ちゅうさい
    • つつかゆ神事しんじ1がつ15にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • 新年しんねんいのり請祭(1がつ15にち
  • 2がつ
    • 遷座せんざさい2がつ1にち) - 大祭たいさい特殊とくしゅ神事しんじあきみやから春宮とうぐう遷座せんざ
    • うち玉戸たまどしゃさい(2がつ1にち
    • そと玉戸たまどしゃさい(2がつ1にち
    • 節分せつぶんさい(2がつ上旬じょうじゅん
    • 春宮とうぐう鎮火ちんかさい(2がつ上旬じょうじゅん
    • 紀元きげんさい2がつ11にち) - ちゅうさい
  • 3がつ
    • うち玉戸たまどしゃ例祭れいさい(3がつ14にち
    • そと玉戸たまどしゃ例祭れいさい(3がつ14にち
    • 祈年祭としごいのまつり3月17にち) - 大祭たいさい
  • 4がつ
  • 5月
  • 6がつ
    • 八坂やさかしゃさい6月15にち
    • 子安こやすしゃ例祭れいさい春宮とうぐう)(6月22にち
    • あやめ奉献ほうけんさい(6がつ下旬げじゅん
    • 作田さくたしゃさい6月30にち
    • 田遊たあそび神事しんじ(6がつ30にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • 浮島うきしましゃさい(6がつ30にち
    • 大祓おおはらいしき(6がつ30にち
  • 7がつ
  • 8がつ
    • 遷座せんざさい(おふねさい8がつ1にち) - 大祭たいさい特殊とくしゅ神事しんじ春宮とうぐうからあきみや遷座せんざ
    • れい大祭たいさい(8がつ1にち) - 大祭たいさい
    • 神事しんじ相撲すもう(8がつ1にち
    • まつり献詠けんえいさい8がつ2にち
    • 氏子うじこさい少年しょうねん角力すもう(8がつ2にち
    • おうおうな焼却しょうきゃく神事しんじ(8がつ2にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • 八幡やはたしゃさい8がつ15にち
    • せんおんなしゃさい(8がつ15にち
    • 御射山みさやましゃゆうさい8がつ26にち
    • 御射山みさやましゃさい8がつ27にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • はちせんほこしゃさい(8がつ27にち
    • みやしゃさい(8がつ27にち
    • くにつねたていのちしゃさい(8がつ27にち
    • 相撲すもう神事しんじ(8がつ27にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • 御射山みさやましゃたてまつかい(8がつ27にち
    • 御射山みさやましゃまつり8がつ28にち
  • 9月
    • 鹿島かしましゃさい9月1にち
    • きゅう御射山みさやましゃさい9月27にち
    • 木落きおとししゃさい(9がつ27にち
    • おのりつしゃさい(9がつ27にち
    • だいもとみことしゃさい(9がつ27にち
  • 10月
    • 神嘗祭かんなめさい奉祝ほうしゅくさい10月17にち) - ちゅうさい
    • すめらぎ大神宮だいじんぐうしゃさい(10がつ17にち
    • 恵比寿えびすしゃあきかおる例祭れいさい10がつ20日はつか
  • 11月
    • 菊花きっか奉献ほうけん奉告ほうこくさい11月2にち
    • 明治めいじさい11月3にち) - ちゅうさい
    • 千尋ちひろしゃさい11月8にち
    • 氏子うじこ安全あんぜん祈願きがんさい(11がつ上旬じょうじゅん
    • 新嘗祭にいなめさい(にいなめさい)(11月23にち) - 大祭たいさい
  • 12月
    • あきみや子安こやすしゃ例祭れいさい12月22にち
    • てんちょうさい12月23にち) - ちゅうさい
    • 煤払すすはらい神事しんじ12月27にち) - 特殊とくしゅ神事しんじ
    • 大祓おおはらいしき12月31にち
    • 除夜じょやさい(12月31にち
  • つつかゆ神事しんじ
    1がつ14にちよるから1がつ15にちがたにかけて下社しもしゃ春宮とうぐう境内けいだいつつかゆ殿どのにておこなわれる神事しんじあしとうがまいちばんかけてげ、つつなか状態じょうたいでそのとし農作物のうさくもつ収穫しゅうかくなどをうらな神事しんじである。このうらないの結果けっか地元じもとメディアによって報道ほうどうされる。かつては上社かみやしろでもおこなわれていたが、現在げんざい上社かみやしろにおいては上社かみやしろとうかゆ殿どの遺構いこう境内けいだいのこるのみである。
  • 犬追物いぬおうもの
    旧暦きゅうれき7がつ1にち下社しもしゃ遷座せんざさい遷座せんざ行列ぎょうれつがおみや到着とうちゃくすると、馬場ばば犬追物いぬおうもの神事しんじおこなわれた。江戸えど時代じだい中期ちゅうき以降いこうすたれている。
  • 御舟みふねさい(おふねまつり)
    下社しもしゃれい大祭たいさいで、8がつ1にちもよおされる。神体しんたいふね柴舟さいしゅう)にせて春宮とうぐうからあきみや遷座せんざするまつりふね南北なんぼくあさ時代じだいかれた『諏訪すわ大明神だいみょうじん絵詞えことば』には「鉾山ほこさん」といてあり、江戸えど時代じだいから「御舟みふね」とばれるようになったとされる。ふねうえにはおうおうなとみられる人形にんぎょうせられる。
    なお、2がつ1にち開催かいさいされる遷座せんざさいは、あきみやから春宮とうぐうへの遷座せんざであるが、あまりおおきくおこなわれない。諏訪すわ地域ちいきうみからとおく、なぜふねてくるのか不明ふめいである。「うみちかくにいた神様かみさま諏訪すわのがれた」というせつや「けん御名ぎょめいかたしんしんとともに諏訪すわみずうみふねかべ周辺しゅうへん作物さくもつ出来でき不出来ふできはんじた」というせつなどがある。

文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

重要じゅうよう文化財ぶんかざいくに指定してい[編集へんしゅう]

  • 諏訪すわ大社たいしゃ上社かみやしろ本宮ほんぐう 16むね建造けんぞうぶつ) - ぬさ殿どの拝殿はいでん左右さゆうへん拝殿はいでんわきかた拝殿はいでんよんきゃくもんは1983ねん昭和しょうわ58ねん)12月26にち指定してい[101]布橋ぬのはし以下いか指定していふくむ)は2016ねん平成へいせい28ねん)2がつ9にち追加ついか指定してい[102]
    • ぬさ殿どの
    • 拝殿はいでん
    • 左右さゆうへん拝殿はいでん(2むね
    • わきかた拝殿はいでん
    • よんきゃくもん
    • ぬのきょう
    • 勅願ちょくがん殿どの
    • 文庫ぶんこ
    • 勅使ちょくし殿どの
    • あいだろう
    • 末社まっしゃ遙拝ようはいしょ
    • 神楽かぐら殿どの
    • てん流水りゅうすいしゃ
    • 神馬しんめしゃ
    • 入口いりくち御門みかど
    • 以下いか指定してい
      • 神橋しんきょう
      • へいじゅうもん
      • がくどう
      • どう鳥居とりい
      • 注連しめかけ鳥居とりい
  • 諏訪すわ大社たいしゃしゃ 7むね建造けんぞうぶつ) - 1983ねん昭和しょうわ58ねん)12月26にち指定してい[103]
    • 春宮とうぐうぬさ拝殿はいでん
    • 春宮とうぐう左右さゆうへん拝殿はいでん(2むね
    • あきみやぬさ拝殿はいでん
    • あきみや左右さゆうへん拝殿はいでん(2むね
    • あきみや神楽かぐら殿どの
  • 太刀たち 無銘むめい工芸こうげいひん) - 1960ねん昭和しょうわ35ねん盗難とうなん
  • 太刀たち めい忠吉ただよし工芸こうげいひん) - 1960ねん昭和しょうわ35ねん盗難とうなん
  • どういん考古こうこ資料しりょう) - 平安へいあん時代じだい資料しりょうしるしぶんは「うれしんしゅくいん(めがみほうりのいん)」。1934ねん昭和しょうわ9ねん)1がつ30にち指定してい[104]

長野ながのけん指定してい文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

  • 史跡しせき
    • 青塚あおつか古墳こふん - 1965ねん昭和しょうわ40ねん)2がつ25にち指定してい[105]
    • 諏訪すわ大社たいしゃ上社かみやしろぜんみや神殿しんでんあと - 1964ねん昭和しょうわ39ねん指定してい
  • 天然記念物てんねんきねんぶつ
    • 諏訪すわ大社たいしゃ上社かみやしろしゃくさむら - 1964ねん昭和しょうわ39ねん)8がつ20日はつか指定してい[106]
  • 無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい
    • 諏訪すわ大社たいしゃはしらまつり - 1994ねん平成へいせい6ねん)8がつ15にち指定してい[106][107]
    • 諏訪すわ大社たいしゃ上社かみやしろ十五夜じゅうごやさい奉納ほうのう相撲すもう - 2008ねん平成へいせい20ねん)4がつ21にち指定してい[106]

諏訪すわ指定してい文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

  • 有形ゆうけい文化財ぶんかざい
    • 諏訪すわ大社たいしゃ上社かみやしろ建造けんぞうぶつ 7むね - 1973ねん昭和しょうわ48ねん)5がつ7にち指定してい[106]
    • 諏訪すわだい上社かみやしろしゃ宝物ほうもつ 15てん - 1973ねん昭和しょうわ48ねん)5がつ7にち指定してい[106]
    • 諏訪すわ大社たいしゃ上社かみやしろたからしるし 2てん - 1984ねん昭和しょうわ59ねん)3がつ26にち指定してい[106]
  • 天然記念物てんねんきねんぶつ
    • 諏訪すわ大社たいしゃ上社かみやしろ境内けいだいしゃくさむら - 1974ねん昭和しょうわ49ねん)3がつ23にち指定してい[106]

茅野ちの指定してい文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

  • 史跡しせき
    • いぬしゃはらしゃ - 1967ねん昭和しょうわ42ねん)10がつ5にち指定してい[108]
    • 大年おおとししゃ - 1994ねん平成へいせい6ねん)12月26にち指定してい[108]

下諏訪しもすわまち指定してい文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

  • 有形ゆうけい文化財ぶんかざい
    • 春宮とうぐう下馬げばきょう建造けんぞうぶつ) - 1973ねん昭和しょうわ48ねん)6がつ26にち指定してい[109]
    • あきみや経塚きょうづか出土しゅつどひん工芸こうげいひん) - 明細めいさい以下いか。2002ねん平成へいせい14ねん)12月26にち指定してい[109]
      • 舟形ふながた水差みずさし1、きょう2、花形はながた鋺1、瀬戸せと香炉こうろ1、はい釉と黄金おうごん46
    • 諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃ宝物ほうもつ工芸こうげいひん) - 明細めいさい以下いか。2002ねん平成へいせい14ねん)12月26にち指定してい[109]
      • きょう1、舟形ふながたじょう1、かま1
    • 諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃ文書ぶんしょ書跡しょせき典籍てんせき古文書こもんじょ) - 明細めいさい以下いか。2002ねん平成へいせい14ねん)12月26にち指定してい[109]
      • みぎ大将たいしょうぶん1、小笠原おがさわらちょうもと寄進きしんじょう1、小笠原おがさわらちょう社領しゃりょう安堵あんどじょう1、江戸えど幕府ばくふ朱印しゅいんじょう1、御教書みぎょうしょ1
  • 天然記念物てんねんきねんぶつ
    • 諏訪すわ大社たいしゃ下社しもしゃしゃくさむら - 1973ねん昭和しょうわ48ねん)6がつ26にち指定してい[109]
      • あきみやしゃくさむら
      • 春宮とうぐうしゃくさむら
    • せんおんなけやき - 1981ねん昭和しょうわ56ねん)1がつ26にち指定してい[110]

関連かんれん文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

諏訪すわ大社たいしゃ所有しょゆう関連かんれん文化財ぶんかざい

  • 長野ながのけん指定してい文化財ぶんかざい
    • かみほんちょしょく諏訪すわしゃ遊楽ゆうらく - 長野ながのけんたから諏訪すわ博物館はくぶつかんぞう。2004ねん平成へいせい16ねん)3がつ29にち指定してい[106]
    • 上社かみやしろ神宮寺じんぐうじ五重塔ごじゅうのとう鉄製てつせいふくばち残闕ざんけつ - 長野ながのけんたから諏訪すわ博物館はくぶつかんぞう。2004ねん平成へいせい16ねん)3がつ29にち指定してい[106]
    • きゅう御射山みさやま遺跡いせき - 長野ながのけん指定してい史跡しせき。1962ねん昭和しょうわ37ねん)7がつ12にち指定してい[106]
  • 市町村しちょうそん指定してい文化財ぶんかざい
    • 諏訪すわ大社たいしゃ上社かみやしろいにしえ - 諏訪すわ指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい諏訪すわ博物館はくぶつかんぞう。1968ねん昭和しょうわ43ねん)4がつ10日とおか指定してい[106]
    • 諏訪すわ大社たいしゃ五重塔ごじゅうのとうふう鐸 2 - 諏訪すわ指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい諏訪すわ博物館はくぶつかんぞう。1980ねん昭和しょうわ55ねん)2がつ12にち指定してい[106]
    • 下社しもしゃふくしゅくしょくあて行状ぎょうじょう - 下諏訪しもすわまち指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい諏訪湖すわこ博物館はくぶつかん赤彦あかひこ記念きねんかんぞう。2001ねん平成へいせい23ねん)1がつ15にち指定してい[111]
    • 川岸かわぎし天竜てんりゅう河畔かはん諏訪すわ明神みょうじんにゅう諏伝せつ - 岡谷おかや指定してい史跡しせき。2004ねん平成へいせい16ねん)3がつ30にち指定してい[112]

現地げんち情報じょうほう[編集へんしゅう]

上社かみやしろ[編集へんしゅう]

所在地しょざいち
付属ふぞく施設しせつ
  • 上社かみやしろ本宮ほんぐう宝物殿ほうもつでん - 開館かいかん時間じかん午前ごぜん9-午後ごご4
交通こうつうアクセス
  • 本宮もとみや
    • JR東日本ひがしにっぽん中央ちゅうおう本線ほんせん 茅野ちのえき(3.7km)- 最寄もよえき
      • 徒歩とほやく45ふん
      • タクシー:やく10ふん
    • JR東日本ひがしにっぽん中央本線ちゅうおうほんせん 上諏訪かみすわえき(6.3km)
      • 徒歩とほやく80ふん
      • バス
        • 諏訪すわバス(有賀ありが上社かみやしろ統合とうごう路線ろせん)で、「上社かみやしろバス停ばすてい下車げしゃ - 上諏訪かみすわえきから平日へいじつのみ1にち8便びん
        • 諏訪すわ市営しえい「かりんちゃんバス」(市内しない循環じゅんかん外回そとまわせん内回うちまわせん)で、「神社じんじゃまえバス停ばすてい下車げしゃ - 外回そとまわせん上諏訪かみすわえきから1にち6便びん内回うちまわせんは1にち8便びん
        • 諏訪すわかりんちゃんバス(すわっこランド・上社かみやしろ有賀ありがせん)で、「諏訪すわ博物館はくぶつかんバス停ばすてい下車げしゃ - 上諏訪かみすわえきから1にち4便びん
      • タクシー:やく20ふん
    • 中央ちゅうおう高速こうそくバス 諏訪すわインターぜん停留所ていりゅうじょ(2.0km)
      • 徒歩とほやく25ふん
  • ぜんみや
    • JR東日本ひがしにっぽん中央ちゅうおう本線ほんせん 茅野ちのえき(2.4km)- 最寄もよえき
      • 徒歩とほやく30ふん
      • タクシー:やく8ふん
    • 中央ちゅうおう高速こうそくバス 茅野ちのバスストップ(1.8km)
      • 徒歩とほやく20ふん
  • 本宮もとみやぜん宮間みやま
    • 長野ながのけんどう16ごう岡谷おかや茅野ちのせんとおって徒歩とほやく20ふん(1.8km)
      • ぜん宮本みやもと殿どの裏手うらて本宮もとみやとなり法華寺ほっけじむす鎌倉かまくらみちという歩道ほどう通行つうこう可能かのうである。古道ふるみちがベースのため道幅みちはばせま高低こうていもかなりあり、舗装ほそう砂利じゃりどう急坂きゅうざか階段かいだん一般いっぱん道路どうろ区間くかんでは車両しゃりょう通行つうこうするため歩行ほこうには注意ちゅうい必要ひつよう徒歩とほやく40ふん
周辺しゅうへん

下社しもしゃ[編集へんしゅう]

所在地しょざいち
付属ふぞく施設しせつ
  • 下社しもしゃあきみや宝物殿ほうもつでん - 開館かいかん時間じかん午前ごぜん10-午後ごご3
交通こうつうアクセス
  • あきみや
    • JR東日本ひがしにっぽん中央本線ちゅうおうほんせん 下諏訪しもすわえき(0.8km)- 最寄もよえき
      • 徒歩とほやく10ふん
      • バス:下諏訪しもすわまち循環じゅんかんバス「あざみごう」(循環じゅんかんせんほしおかせん萩倉はぎくら樋橋とよはしせんほしおか経由けいゆ萩倉はぎくら樋橋とよはしせん)で、「諏訪すわ大社たいしゃあき宮前みやまえバス停ばすてい下車げしゃ - 下諏訪しもすわえきから終日しゅうじつけい13便びん
    • 中央ちゅうおう高速こうそくバス 下諏訪しもすわバス停留所ていりゅうじょ(0.6km)
      • 徒歩とほやく8ふん
  • 春宮とうぐう
    • JR東日本ひがしにっぽん中央ちゅうおう本線ほんせん 下諏訪しもすわえき(1.4km)- 最寄もよえき
      • 徒歩とほやく18ふん
      • バス:下諏訪しもすわまち循環じゅんかんバス「あざみごう」(循環じゅんかんせん)で、「諏訪すわ大社たいしゃ春宮とうぐうバス停ばすてい下車げしゃ - 下諏訪しもすわえきから終日しゅうじつ4便びん
      • バス:諏訪すわバス(岡谷おかや-上諏訪かみすわ-茅野ちのせん)で、「春宮とうぐう大門おおもんバス停ばすてい下車げしゃ下車げしゃ徒歩とほ0.9km)
    • 中央ちゅうおう高速こうそくバス 下諏訪しもすわバス停留所ていりゅうじょ(1.1km)
      • 徒歩とほやく12ふん
  • あきみや春宮とうぐうあいだ
周辺しゅうへん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ a b けん御名ぎょめいかた彦神別命べつめい(たけみなかたひこがみわけ)、伊豆いずゆういのち(いずはやお)、妻科つましなうりいのち(つましなひめ)、いけ生神うるかみ(いけのお)、須波すなみわか彦神(すわわかひこ)、片倉かたくらあたりいのち(かたくらべ)、たでしん(たてしな)、はちきねいのち(やきね)、うちけんしん(うちあがた)、そとけんしん(そとあがた)、だいけんしん(おおあがた)、岐萩いのち(おきはぎ)、つま岐萩いのち(つまぎはぎ)の13はしら
  2. ^ へびしんとされた祭神さいじん好物こうぶつかえるささげるせつ古代こだいじん食料しょくりょうとされたかえる祖先そせんしんささげるせつ諏訪すわ上社かみやしろかりはじめの儀式ぎしきせつつき陰気いんき)を象徴しょうちょうするかえるころはるむかえるせつさんどく退治たいじあらわ密教みっきょうふう儀式ぎしきせつなど。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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  19. ^ はら直正なおまさりゅうへびしん: 諏訪すわ大明神だいみょうじん中世ちゅうせいてき展開てんかい人間にんげんしゃ、2012ねん、61-71ぺーじ
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  26. ^ はら正直まさなお守屋もりや山上さんじょうしゃ本宮ほんぐう神体しんたいやませつ御射山みさやま」『スワニミズム だい4ごう』2018ねん、220-221ぺーじ
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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

史料しりょう[編集へんしゅう]

書籍しょせき[編集へんしゅう]

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  • 金井かないのり諏訪すわ信仰しんこう名著めいちょ出版しゅっぱん、1982ねんNCID BN01626104 
  • 部族ぶぞく研究けんきゅうかい北村きたむらみなゆう「「ミシャグジさい政体せいたいこう」『古代こだい諏訪すわとミシャグジさい政体せいたい研究けんきゅう : 日本にっぽん原初げんしょこう人間にんげんしゃ人間にんげんしゃ文庫ぶんこ〉、2017ねんISBN 9784908627156NCID BB29178581全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:23023027https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028483763-00 
  • 茅野ちのかみ長官ちょうかん守矢もりや史料しりょうかん へんかみ長官ちょうかん守矢もりや史料しりょうかん周辺しゅうへんガイドブック』2010ねん 
  • 茅野ちのかみ長官ちょうかん守矢もりや史料しりょうかん へんかみ長官ちょうかん守矢もりや史料しりょうかんのしおり』(だいさんはん)、2017ねん 
  • 諏訪すわ編纂へんさん委員いいんかい へん諏訪すわ 上巻じょうかん (はらはじめ古代こだい中世ちゅうせい)』諏訪すわ、1995ねんNCID BN02906048 
  • スワニミズム へん『スワニミズム だい3ごう 特集とくしゅう:ミシャグジさい起動きどう』2017ねん 
  • スワニミズム へん『スワニミズム だい4ごう』2018ねん 
  • 谷川たにがわ健一けんいち へん日本にっぽんかみ々―神社じんじゃ聖地せいち〈9〉美濃みの飛騨ひだ信濃しなの白水しろみずしゃ、1987ねんISBN 978-4-560-02509-3 
  • 三輪みわ磐根いわね諏訪すわ大社たいしゃ学生がくせいしゃ、1978ねんISBN 978-4-311-40712-3もと諏訪すわ大社たいしゃ宮司ぐうじ
  • 寺田てらだ鎮子ちんし, 鷲尾わしおとおるふとし諏訪すわ明神みょうじん : カミ信仰しんこうはらぞう岩田いわた書院しょいん、2010ねんISBN 9784872946086NCID BB01801367全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:21828666 
  • 福田ふくだあきら へん諏訪すわ信仰しんこう中世ちゅうせい神話しんわ伝承でんしょう歴史れきし二本松にほんまつ康宏やすひろ徳田とくた和夫かずお三弥みつや書店しょてん、2015ねんISBN 978-4-838-23288-8 
  • はら直正なおまさりゅうへびしん: 諏訪すわ大明神だいみょうじん中世ちゅうせいてき展開てんかい人間にんげんしゃ、2012ねんISBN 978-4-931-38871-0 
  • 宮坂みやさか光昭みつあき諏訪すわ大社たいしゃはしら年中ねんじゅう行事ぎょうじ郷土きょうど出版しゅっぱんしゃ、1992ねんISBN 4876631786NCID BN07797562全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:92057523 
  • 村岡むらおかがつ諏訪すわ祭神さいじん雄山閣ゆうざんかく出版しゅっぱん、1969ねんNCID BN14385066 
  • 矢崎やさきはじめはく諏訪すわ大社たいしゃ銀河ぎんが書房しょぼう銀河ぎんがグラフィック選書せんしょ 3〉、1986ねん 
  • 山本やまもとひろ ほか諏訪すわまなぶ国書刊行会こくしょかんこうかい、2018ねんISBN 978-4-336-06254-3 
  • 日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい 20 長野ながのけん地名ちめい平凡社へいぼんしゃ、1979ねんISBN 4-582-49020-4 信濃しなのこくぶし諏訪すわぐん 各項かくこう諏訪すわ 各項かくこう茅野ちの 各項かくこう
  • 国史こくしだい辞典じてん吉川弘文館よしかわこうぶんかん 諏訪すわこう諏訪すわ信仰しんこうこう諏訪すわ大社たいしゃこう
  • 上田うえだただしあきら宮坂みやさかなだめしょうかみふつ融合ゆうごう密教みっきょう思想しそうからの解釈かいしゃく」」『はしらさい諏訪すわ大社たいしゃ筑摩書房ちくましょぼう、1987ねんdoi:10.11501/12264772NCID BN01542070 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

作品さくひん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

座標ざひょう: 北緯ほくい3559ふん53.37びょう 東経とうけい13807ふん10.09びょう / 北緯ほくい35.9981583 東経とうけい138.1194694 / 35.9981583; 138.1194694