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生田いくた神社じんじゃ

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生田いくた神社じんじゃ

拝殿はいでん
所在地しょざいち 兵庫ひょうごけん神戸こうべ中央ちゅうおう下山手通しもやまてどおり1丁目ちょうめ2-1
位置いち 北緯ほくい3441ふん41びょう 東経とうけい13511ふん26びょう / 北緯ほくい34.69472 東経とうけい135.19056 / 34.69472; 135.19056 (生田いくた神社じんじゃ)座標ざひょう: 北緯ほくい3441ふん41びょう 東経とうけい13511ふん26びょう / 北緯ほくい34.69472 東経とうけい135.19056 / 34.69472; 135.19056 (生田いくた神社じんじゃ)
主祭しゅさいしん ややおんなみこと
社格しゃかくひとし 式内しきないしゃめい神大しんだい
きゅうかんぬさ中社なかやしろ
別表べっぴょう神社じんじゃ
創建そうけん 神功じんぐう皇后こうごう元年がんねん201ねん
本殿ほんでん様式ようしき 春日しゅんじつづくり
札所ふだしょとう 神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみちだい66ばん兵庫ひょうごだい1ばん
例祭れいさい 4がつ15にち
地図ちず
生田神社の位置(神戸市内)
生田神社
生田いくた神社じんじゃ
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鳥居とりい

生田いくた神社じんじゃ(いくたじんじゃ)は、兵庫ひょうごけん神戸こうべ中央ちゅうおうにある神社じんじゃ式内しきないしゃ名神めいしん大社たいしゃ)で、きゅう社格しゃかくかんぬさ中社なかやしろ廣田ひろた神社じんじゃ長田ながた神社じんじゃとともに神功じんぐう皇后こうごう以来いらい歴史れきしゆうする神社じんじゃであり、長田ながた神社じんじゃ湊川みなとがわ神社じんじゃとともに神戸こうべ代表だいひょうする神社じんじゃの1つである。かつて、現在げんざい神戸こうべ中央ちゅうおう一帯いったいしゃりょうであり、これが「神戸こうべ」という地名ちめい語源ごげんとなった。地元じもとでは「生田いくたさん」としてしたしまれている。

祭神さいじん

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歴史れきし

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日本書紀にほんしょきによると、神功じんぐう皇后こうごう元年がんねん201ねん)に神功しんこう皇后こうごうさんかん征伐せいばつわらせて帰還きかんするなか、ふね現在げんざい神戸こうべこうすすまなくなったためにかみうらないおこなった。すると、ややおんなみことあらわれて「われかつ田長たなごかいこくらむと海上かいじょうじゅうせまちがや(うながみのいさち)にめいじて生田いくたまつらしめ(わたしは“いくた”の“ながさのくに”におりたいのです。“うなかみのいそさち”にめいじて生田いくた土地とちまつらせてほしい)」との神託しんたくがあった。そこで皇后こうごう海上かいじょうじゅうせまちがや神主かんぬしとして、現在げんざいしん神戸こうべえきおくにある布引山ぬのびきやま砂山すなやま(いさごやま))にややおんなみことまつらせた。これが当社とうしゃはじまりであるという[1]

砂山すなやまにあった当社とうしゃであるが、のべれき18ねん799ねん)4がつ9にち発生はっせいした布引びきのたきだい洪水こうずいにより砂山すなやま西にしはしくずれ、社殿しゃでん傾斜けいしゃする被害ひがいた。そこで生田いくたむら刀禰とねなな太夫たゆう神体しんたい避難ひなんさせ、それを背負せおって7、8日間にちかん鎮座ちんざさがめぐったところ、生田いくたもり突然とつぜん背負せおった神体しんたいおもくなりこれ以上いじょうあるけなくなった。これは神意しんいであろうとなり、その場所ばしょつまり現在地げんざいち安置あんちしたという[1]

大同だいどう元年がんねん806ねん)に朝廷ちょうていより当社とうしゃのために「生田いくたかみふうよんじゅうよん」、つまりおそなえするいえ世話せわをするいえまもいえである神戸こうべ(かんべ)44いただいたとある。以来いらい現在げんざい神戸こうべ中央ちゅうおう一帯いったい当社とうしゃ社領しゃりょうとなった。この神戸こうべ(かんべ)が紺戸こんと(こんべ)となり近年きんねん神戸こうべ(こうべ)とばれるようになったとする[1]

延喜えんぎしきかみめいちょうでは「摂津せっつこくはちぐん 生田いくた神社じんじゃ」と記載きさいされ、名神めいしん大社たいしゃれっし、月次げつじあい甞・しん甞の幣帛へいはくあずかるとしるされている。

平安へいあん時代じだい末期まっき寿ことぶきひさし3ねん1184ねん)2がつたたかわれた一ノ谷いちのやたたかでは、平知盛たいらのとももり生田いくたもり本陣ほんじんいている[2]

近代きんだい社格しゃかく制度せいどのもとで1871ねん明治めいじ4ねん)にけんしゃれつかくし、その1885ねん明治めいじ18ねん)に明治天皇めいじてんのう西国さいこく巡幸じゅんこうさいはじめてかんぬさしゃれっかんぬさ小社しょうしゃに、1896ねん明治めいじ29ねん)にはかんぬさ中社なかやしろ昇格しょうかくした。

社殿しゃでん1938ねん昭和しょうわ13ねん)の神戸大こうべだい水害すいがい損壊そんかい1945ねん昭和しょうわ20ねん)3がつ17にち神戸大こうべだい空襲くうしゅう焼失しょうしつ1995ねん平成へいせい7ねん)の阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさいでの損傷そんしょうなどなん被害ひがいにあうが、そのつど復興ふっこうされてきたことから「よみがえかみ」としての崇敬すうけいけるようになっている。

謡曲ようきょく生田いくた敦盛あつもり」のいしぶみや、地元じもと飲食いんしょくてん食品しょくひんあいだれん企業きぎょうなどの寄付きふつくられた包丁ほうちょうづか震災しんさい復興ふっこう祈念きねんくすのき神木しんぼくがある。はしらかれた寄進きしんしゃめいには、ホテルあるいは海洋かいよう関係かんけい企業きぎょうおおい。

神階しんかい

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伝説でんせつ伝承でんしょう

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のべれき18ねん(799ねん)のだい洪水こうずいさいしゃ周囲しゅういにはまつえられていたが、洪水こうずいふせ役割やくわりまったたさなかった。その故事こじから、いまでも生田いくたもりには1ほんまつえられていない。また過去かこにはのう舞台ぶたい鏡板かがみいたにもすぎえがかれ、元旦がんたんには門松かどまつてずすぎもりてる。

中央ちゅうおう熊内くもちまち熊内くもち八幡やはた神社じんじゃ付近ふきんにある「あさひ鳥居とりい[3]には、砂山すなやま生田いくた神社じんじゃがあったころいち鳥居とりいであるという伝承でんしょうがある。「あさひ鳥居とりい」は、元旦がんたん朝日あさひけてもかげとさないとされることからこのがある[3]宮司ぐうじである加藤かとう隆久たかひさ生田いくた神社じんじゃ』(学生がくせいしゃ、2005ねん)に歴史れきしふくくわしい説明せつめいがある。

のう生田いくた敦盛あつもりでは、敦盛あつもり遺児いじ賀茂かも明神みょうじんへの祈誓きせいにより当地とうちにて敦盛あつもり対面たいめんする。

境内けいだい

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末社まっしゃ

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境内けいだい以下いか末社まっしゃがある[4]祭神さいじん説明せつめいらん公式こうしきサイトによる[4]

祭事さいじ

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1がつ - 3がつ
4がつ - 6がつ
  • きょくすいうたげはるけんじちゃさい4がつ上旬じょうじゅん)- 生田いくたもりいて開宴かいえん
  • 生田いくたさい例祭れいさい氏子うじこ奉幣ほうへいさい(4がつ15にち大祭たいさい) - 氏子うじこ地域ちいき神戸こうべ安全あんぜん繁栄はんえいねが祭典さいてん
  • 生田いくたさい神幸しんこうしきわたしき)(4がつ例祭れいさい近日きんじつ) - 生田いくた神社じんじゃ周辺しゅうへん当番とうばん地区ちくあるき、安全あんぜん繁栄はんえいねが祭典さいてん
7がつ - 9月
  • 夏越なごし大祓おおはらいしきくぐり)(7がつ15にち) - 参道さんどう中央ちゅうおう厄払やくはらいの設置せっち
  • みちきょうさいせんとうさい(7がつ15にち) - 夏越なごし大祓おおはらいしきのち開催かいさい
  • 大海おおうみ神社じんじゃさいなつさい)(8がつ3にち宵宮よいみやさい/4にちほんさい/5にちれいだいさい
  • 古式こしきさい(9がつ19にちちゅうさい
  • 秋季しゅうき大祭たいさい氏子うじこ奉幣ほうへいさい9がつ20日はつか大祭たいさい) - 氏子うじこ地域ちいき神戸こうべ安全あんぜん繁栄はんえいねが祭典さいてん
  • 秋祭あきまつりしんにぎわい行事ぎょうじ薪能たきぎのう雅楽ががくゆうべなど)(9がつ19にち - 23にち) - 秋祭あきまつ期間きかんちゅうに、芸術げいじゅつ文化ぶんか神事しんじ開催かいさい
  • あきけんじちゃさい秋祭あきまつ期間きかんちゅう
  • けんじはなさい秋祭あきまつ期間きかんちゅう
10月 - 12月
  • 明治めいじさい11月3にちちゅうさい
  • 新嘗祭にいなめさい(11月23にち大祭たいさい
  • 煤払すすはらいさい12月13にち
  • 天皇てんのう誕生たんじょうさい(12月23にち
  • すぎもりづくり(12月27にち) - すぎえだやく2,000ほん使用しようしたおおきなすぎかざりが奉納ほうのうされる
  • 師走しわす大祓おおはらいしき(12月31にち) - 社殿しゃでん左前ひだりまえはらいしょひとった人形にんぎょうによって、けがれをきよめる神事しんじ
  • みちきょうさい除夜じょやさい(12月31にち) - 師走しわす大祓おおはらいしきともに、当日とうじつ参加さんか可能かのう祭典さいてん

その

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分社ぶんしゃ

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神社じんじゃおこなわれた行事ぎょうじとう

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生田いくた神社じんじゃ界隈かいわい

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三宮さんぐうえき南西なんせい生田いくたロードの先端せんたんいち鳥居とりいがある。そこから参道さんどうはセンターがいけて北上ほくじょうし、生田いくた新道しんどうえたハンズ北東ほくとうわきしゃごうしるべ鳥居とりいがある。境内けいだいにはいると時間じかんしの駐車ちゅうしゃじょうがあり、そのさきさん鳥居とりいかみもんがある。 境内けいだいには幾多いくたうたにもまれた「生田いくたもり」がのこっており、かつては源平げんぺい戦場せんじょうにもなったもりいまでは市民しみんいこいのになっている。

  • あきとだにきあへぬふういろかはる 生田いくたもり下草したくさ藤原ふじわら定家さだいえ つづけせん和歌集わかしゅう
  • くに生田いくたもりひとはこでつきげんとふよるはのあきかぜ(中務なかつかさきょう宗尊親王むねかたしんのう しんせん和歌集わかしゅうまきだいあき

周辺しゅうへん名所めいしょ旧跡きゅうせき文化ぶんか観光かんこう施設しせつ

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前後ぜんご札所ふだしょ

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神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみち
65 勝尾寺かつおうじ - 66 生田いくた神社じんじゃ - 67 西宮にしのみや神社じんじゃ

所在地しょざいち

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  • 兵庫ひょうごけん神戸こうべ中央ちゅうおう下山手通しもやまてどおり1丁目ちょうめ2-1

アクセス

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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出典しゅってん

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  1. ^ a b c 生田いくた神社じんじゃホームページ 由緒ゆいしょ
  2. ^ 生田いくた神社じんじゃホームページ 境内けいだいある
  3. ^ a b 熊内くもち八幡やはた神社じんじゃ”. 兵庫ひょうごけん神社じんじゃちょう. 2020ねん7がつ10日とおか閲覧えつらん
  4. ^ a b 境内けいだいある神社じんじゃへん”. 生田いくた神社じんじゃ. 2020ねん7がつ10日とおか閲覧えつらん
  5. ^ a b なだ五郷いさと酒造しゅぞう発祥はっしょう”. 発祥はっしょうコレクション (2018ねん3がつ). 2020ねん7がつ10日とおか閲覧えつらん
  6. ^ なだ生一本きいっぽん」の起源きげんはご神託しんたくにあった?!─ なだしゅと3つの神社じんじゃかかわり”. SAKETIMES (2019ねん2がつ21にち). 2020ねん7がつ10日とおか閲覧えつらん
  7. ^ 大和やまと王権おうけん猪名川いながわ流域りゅういき”. Webばん 図説ずせつ 尼崎あまがさき歴史れきし. 2020ねん7がつ10日とおか閲覧えつらん
  8. ^ 兵庫ひょうごまもがみ 生田いくた神社じんじゃ 兵庫ひょうごみや 御旅所おたびしょ”. 生田いくた神社じんじゃ. 2020ねん7がつ10日とおか閲覧えつらん
  9. ^ 氷見ひみのアスナロ 神戸こうべ生田いくた神社じんじゃない鳥居とりい”. 北日本きたにっぽん新聞しんぶん (2018ねん12月7にち). 2018ねん12月11にち閲覧えつらん

関連かんれん図書としょ

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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