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おう

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おう(おきな)は、年取としとったおとこ老人ろうじんしたしみうやまってかたり他人たにんとき使つかうとうやま意味いみになり[注釈ちゅうしゃく 1]自身じしんとき使つかうとへりくだる意味いみになる。

解説かいせつ[ソースを編集へんしゅう]

おとこ老人ろうじんを「おう」、おんな老人ろうじんを「おうな(おうな)」とぶ。中世ちゅうせいにおいて子供こどもは「わらわ」とばれてまだいち人前にんまえひと大人おとな)ではないのにたいし、おうおうな)はすでひとでなくなった存在そんざいとされていた。

子供こどもかみふつちか存在そんざいとされていたが、老人ろうじん同様どうようである。おきなになると原則げんそくてきやくなどがせられなくだけでなく神仏しんぶつちか存在そんざいとされ、たとえば『今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう』ではかみ々はおう姿すがたあらわれ、『春日しゅんじつ権現ごんげんけん絵巻えまき』でもかみおう姿すがたえがかれている。

能楽のうがくかいでのおう[ソースを編集へんしゅう]

能楽のうがくにおける「おう」は、別格べっかくあつかわれる祝言しゅうげんきょくで、おう千歳ちとせ三番叟さんばそうさんにん歌舞かぶからなり、正月しょうがつ初会しょかい祝賀しゅくがのうなどの最初さいしょえんじられる[1]

あかり宿やどしゅうにおける「おうろん[ソースを編集へんしゅう]

宗教しゅうきょう人類じんるいがくもの中沢なかざわ新一しんいちによれば、1964ねん昭和しょうわ39ねん)に偶然ぐうぜん発見はっけんされた金春こんぱる禅竹ぜんちくによる『あきら宿やどしゅう』には、「おう」(宿やどしん)の意味いみかみ々の世界せかいなかでの宿やどしん位置いちなどについて多数たすう記述きじゅつされていた[2]。『あきら宿やどしゅう』とは、禅竹ぜんちく一座いちざ後進こうしんのために、猿楽さるがくもっと重要じゅうよう精神せいしんてき価値かちつ「おう」の本質ほんしつあきらかにしようとしていた、一種いっしゅ内部ないぶ文書ぶんしょである[3]。そのためこのしょは、おな精神せいしんてき伝統でんとうものたちにけられており、相当そうとう大胆だいたん思考しこうがなされている[3]内容ないよう一部分いちぶぶんだけでも、芸能げいのうふみ神話しんわがく社会しゃかい民俗みんぞくがく側面そくめんへとひろがっている[4]

あきら宿やどしゅう』はつぎのようにはじまる[5]要約ようやくするとぜんちくは、一切いっさいすべて「存在そんざい」とは「おう」と同義どうぎである、とべている[6]

そもそもおきなみょうたい 根源こんげんひろネタテマツレバ 天地開闢てんちかいびゃくはつメヨリ出現しゅつげんシマシマシテ ひとおういまいたりルマデ 王位おういもりリ 国土こくどシ 人民じんみんじょきゅうごと 間断かんだんナシ

本地ほんじひろネタテマツレバ 両部りょうぶこし大日だいにち あるハ ちょう悲願ひがん阿弥陀如来あみだにょらい またハ おうじゃく牟尼ふつ ほう ほう おう三身みつみ 一得いっとく満足まんぞくシマシマス
一得いっとく三身みつみぶんきゅうフトコロ スナワチおきなしきさんばんげんワル たれあとレバ 歴々れきれき分明ふんみょうニマシマス

だいいち 住吉すみよし大明神だいみょうじんナリ ある諏訪すわ明神みょうじんトモ マタワ塩釜しおがまかみトモげんワレマス はし湯山ゆやま示現じげんシテワ勅使ちょくしたいシ 筑波山つくばさんニシテワせきめんげんワレテまいリノ衆生しゅじょう結縁けちえんス [中略ちゅうりゃく]

ふかよしうん 本地ほんじたれあとスベテ一体いったいトシテ ぞうげん 常住じょうじゅう不滅ふめつみょうしん一体いったいニテマシマス[7]


口語こうごやく:そもそも「おう」という神秘しんぴてき存在そんざい根源こんげん探究たんきゅうしてみると、宇宙うちゅう創造そうぞうのはじまりからすでに出現しゅつげんしていたものだということがわかる。そして地上ちじょう秩序ちつじょ人間にんげんおう統治とうちするようになったいま時代じだいにいたるまで、一瞬いっしゅん途切とぎれもなく、王位おういまもり、国土こくどとみをもたらし、人民じんみんらしをたすけてくださっている。

この「おう」の本体ほんたい本地ほんじ)を探求たんきゅうしてみると、胎蔵かい金剛こんごうかいをともどもに超越ちょうえつしたほう大日如来だいにちにょらいであり、あるいは無限むげん悲願ひがんをこめてわれらを包摂ほうせつするむくい阿弥陀如来あみだにょらいでもあり、または人間にんげん世界せかい教化きょうかをおこなうおう釈迦牟尼しゃかむにであり、つまるところほうむくいおうという真理しんりみっつの存在そんざい様態ようたいを、一身いっしんにみたしていらっしゃるのである。
この完全かんぜん充足じゅうそくした一身いっしんみっつの存在そんざい様態ようたい三身みつみ)にけてあらわすところは、猿楽さるがくうところの「おう式三番しきさんば」の表現ひょうげんとなってあらわれる。こういうかみとしての示現じげん垂迹すいじゃく)をれば、ますますいろいろなことがわかってくる。

だいいち住吉すみよし大明神だいみょうじんである。あるいは諏訪すわ明神みょうじんとしても、塩竈しおがまかみとしても示現じげんをなさる。伊豆いずはし権現ごんげんとして示現じげんしたときには天皇てんのう勅使ちょくし直接ちょくせつ対面たいめんをおこない、筑波山つくばさんでは驚異きょういてき岩石がんせきかたちをもって出現しゅつげんして、参詣さんけい人々ひとびとふか感銘かんめいをあたえて結縁けちえんしているのである。 [中略ちゅうりゃく]

神秘しんぴてき解釈かいしゃくではこうわれる。本地垂迹ほんじすいじゃくはすべて本体ほんたいひとつであって、ぞうげん常住じょうじゅう不滅ふめつ神秘しんぴ唯一ゆいいつかみ集約しゅうやくされる、と[8]。)

このように『あきら宿やどしゅう』によると、仏教ぶっきょうてき意味いみでの「存在そんざい」の本質ほんしつ仏性ぶっしょう)とは、大日如来だいにちにょらい阿弥陀如来あみだにょらい釈迦如来しゃかにょらいという三位一体さんみいったいであり、このぐみは「おう」と同一どういつだとされている[9]。「おう」は様々さまざまかみ姿すがたとして垂迹すいじゃくせるのであり、その代表だいひょうれいにはまず住吉すみよし明神みょうじんがあり、つづいて諏訪すわかみ塩釜しおがまかみはし湯山ゆやまかみ筑波山つくばさんかみげられる[9]。いずれも自然しぜんちから密接みっせつつながりをっている[9]

禅竹ぜんちく日本にっぽん自然しぜん観念かんねん世界せかいに「おう」と同様どうよう構造こうぞう発見はっけんし、「おう」として次々つぎつぎ裁定さいていしていく[10]。『あきら宿やどしゅう』はつぎのように[11]

おう宿やどしんさるシタテマツルコト カノ住吉すみよし示現じげん符合ふごうセリ

日月じつげつ星宿せいしゅくひかりリテ 昼夜ちゅうやぶんカチ ものなまジ ひと宿やどル 三光さんこうスナワチしきさんばんニテマシマセバ 日月じつげつ星宿せいしゅくヲ以テ宿やどしんごうシタテマツル

宿やどしん ほしリテじんたいシ ヨロヅノぎょうヲナシきゅうこころアリ イヅレノニモよびバレきゅうフベキ星宿せいしゅくめぐみミナレド ぶんキテ宿やどしんごうシタテマツルおきな威徳いとく おおせギテモナヲあまりリアルベシ[12]


口語こうごやくおう宿やどしんもうげることは、かの住吉すみよし大神おおがみ示現じげんなさったときの姿すがた符号ふごうしている。

太陽たいようつきしょ天体てんたいひかり地上ちじょう降下こうかして、ひるよる区別くべつができ、物質ぶっしつまれ、またそのひかり人間にんげん宿やどったのである。太陽たいようがつほしみっつのひかり猿楽さるがく式三番しきさんば対応たいおうするものであるので、太陽たいようがつ星宿せいしゅく星宿せいしゅくしん北極星ほっきょくせい)の意味いみをこめて、宿やどしんとおもうげているのだ。

宿やど」という文字もじには、ほし地上ちじょう降下こうかして、人間にんげんにたいしてあらゆるごうをおこなうという意味いみがこめられている。ほしひかりはあらゆるいえそそぐ。そのようにどのようないえにもまねかれ招待しょうたいされるというのが星宿せいしゅくしんたる北極星ほっきょくせいのおめぐみではあるが、とりわけ宿やどしんとおもうげている「おう」の威徳いとくは、どんなに畏敬いけいをこめてあおてもあまりあるものがある[13]。)

ここでぜんちくは「宿やどしん」の「宿やど」を、当時とうじ天文学てんもんがくである「星宿せいしゅく」とむすびつけながら、「てん」(しんプラトン主義しゅぎてきたかみ)と「」(物質ぶっしつ主義しゅぎてきふかさ)を媒介ばいかいするものとしての「おう宿やどしん」を主張しゅちょうしている[14]。ここからてんじて禅竹ぜんちくは、「おう」と同体どうたいであるような神仏しんぶつ人物じんぶつ書物しょもつなどをさらに列挙れっきょしている[14]

宿やどしんとシャグジの共通きょうつうてん[ソースを編集へんしゅう]

世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だいはん』では、宿やどしんとは「守宮やもりしんまもりひさしんしゃ宮司ぐうじまもりおおやけしんまもり瞽神,しゅそらしん粛慎かみまもるくんしんなど,さまざまな表記ひょうきがあるが,元来がんらいシャグジ,シュグジなどとしょうされた小祠しょうしかみ」と推測すいそくされている[15]

シャグジと宿やどしんについて『石神いしがみ問答もんどう』で研究けんきゅうした柳田やなぎだ國男くにおは、音韻おんいんろんてきひとつの仮説かせつした[16]。シャグジは漢字かんじけば、しゃ宮司ぐうじせきまもるしん石神いしがみ石神井しゃくじいなど多用たようだが、共通きょうつうせいとして、が「シャ」「サ」「ス」などのぎょうおとと、ぎょうおと(またはガぎょうおん)のわせになっている[17]。「サ」のおとみさきさかさかいさきなどのように、地形ちけい物事ものごと先端せんたん境界きょうかいあらわ古語こご頻出ひんしゅつする[17]。この「サ」がカぎょうおんむすびつくと、物事ものごとふささえぎる「ソコ」などのような、境界きょうかい言葉ことばになる[17]。すなわち、シャグジは空間くうかん物事ものごと境界きょうかいにかかわる霊威れいいあらわ言葉ことばかみなのではないか[18]。そこから柳田やなぎだは、「芸能げいのう」のまもがみが「宿やどしん」とばれた理由りゆうつぎのように推論すいろんした[19]芸能げいのうしゃはもともと定住ていじゅうをしなかった人々ひとびとであり、むことができた場所ばしょむらまちはずれや、さか断層だんそうちかくだった[19]。そうした場所ばしょはたいがい、境界きょうかいあらわすサぎょうおんとカぎょうおん結合けつごうである「サカ」や「ソコ」とばれていた[19]。そのために芸能げいのうしゃたちは「ソコ」「スク」「シュク」の人々ひとびとばれるようになり、かれらの守護神しゅごじんも「シュクしん」とならわされるようになった[19]

注釈ちゅうしゃく[ソースを編集へんしゅう]

  1. ^ れい:「芭蕉ばしょうおう」、「たけおうたけ物語ものがたり)」など

出典しゅってん[ソースを編集へんしゅう]

  1. ^ 大辞泉だいじせん
  2. ^ 中沢なかざわ 2003, p. 26.
  3. ^ a b 中沢なかざわ 2003, p. 31.
  4. ^ 中沢なかざわ 2003, p. 34.
  5. ^ 中沢なかざわ 2003, p. 165.
  6. ^ 中沢なかざわ 2003, p. 166.
  7. ^ 金春こんぱる 2007, p. 4.
  8. ^ 中沢なかざわ 2003, pp. 165-166、322(巻末かんまつ付録ふろく 現代げんだいやくあきら宿やどしゅう』).
  9. ^ a b c 中沢なかざわ 2003, p. 167.
  10. ^ 中沢なかざわ 2003, p. 184.
  11. ^ 中沢なかざわ 2003, p. 185.
  12. ^ 金春こんぱる 2007, p. 5.
  13. ^ 中沢なかざわ 2003, pp. 185-186、328-329(巻末かんまつ付録ふろく 現代げんだいやくあきら宿やどしゅう』).
  14. ^ a b 中沢なかざわ 2003, p. 186.
  15. ^ 株式会社かぶしきがいしゃ日立ひたちソリューションズ・クリエイト 2017, p. 「宿やどしん」.
  16. ^ 中沢なかざわ 2003, pp. 56–57.
  17. ^ a b c 中沢なかざわ 2003, p. 57.
  18. ^ 中沢なかざわ 2003, pp. 57–58.
  19. ^ a b c d 中沢なかざわ 2003, p. 58.

参考さんこう文献ぶんけん[ソースを編集へんしゅう]

  • 株式会社かぶしきがいしゃ日立ひたちソリューションズ・クリエイト「宿やどしん」『世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だいはん』Kotobank、2017ねんhttps://kotobank.jp/word/%E5%AE%BF%E7%A5%9E-1173801 
  • 金春こんぱる, 禅竹ぜんちくあかり宿やどしゅう野上のかみ記念きねん法政大学ほうせいだいがく能楽のうがく研究所けんきゅうじょ、2007ねんhttp://nohken.ws.hosei.ac.jp/nohken_material/htmls/index/pages/cate3/KZ36_1.html 
  • 中沢なかざわ, 新一しんいち精霊せいれいおう講談社こうだんしゃ、2003ねんISBN 9784062118507 
  • 日本にっぽん歴史れきしだい事典じてん 1 あ-け』 小学館しょうがくかん 2000ねんISBN 4-09-523001-0、500ぺーじ

関連かんれん項目こうもく[ソースを編集へんしゅう]