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神社じんじゃ建築けんちく

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本殿ほんでんから転送てんそう
宇治うじ上神かずわしゃ本殿ほんでんくつがえ国宝こくほう世界せかい遺産いさん)。あいだしゃ流造ながれづくり康平こうへい3ねん1060ねんごろ建立こんりゅう現存げんそん最古さいこ神社じんじゃ建築けんちく京都きょうと宇治うじ

神社じんじゃ建築けんちく(じんじゃけんちく)は、神社じんじゃ建築けんちく社殿しゃでん建築けんちく(しゃでんけんちく)ともいう。

概要がいよう

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大社たいしゃづくり 出雲いずも大社たいしゃ本殿ほんでん国宝こくほう)(島根しまねけん出雲いずも
神明しんめいづくり 伊勢神宮いせじんぐういね御倉おぐら内宮ないくうすめらぎ大神宮だいじんぐう所管しょかんしゃ)(三重みえけん伊勢いせ

今日きょう神社じんじゃ建築けんちくは、一般いっぱんに、本殿ほんでん正殿せいでんぬさ殿どの拝殿はいでん中心ちゅうしんである。神社じんじゃおとずれると、本殿ほんでん手前てまえ拝殿はいでん礼拝れいはいよう建物たてもの)がっており、賽銭さいせんばこいてある。拝殿はいでん参拝さんぱいしゃ祈祷きとうなどをける場所ばしょになっていることもある。

拝殿はいでんおく神体しんたいおさめる本殿ほんでんがある。本殿ほんでん拝殿はいでんおくにあってみえにくいため、一般いっぱん参拝さんぱいしゃ拝殿はいでん神社じんじゃ建築けんちく中心ちゅうしんてき建物たてものかんがえがちである。本殿ほんでん流造ながれづくり春日しゅんじつづくり一般いっぱんてきで、小型こがた本殿ほんでんでは、風雨ふううからまもるためにくつがえをかける場合ばあいもある。 拝殿はいでん本殿ほんでんをつなぐ部分ぶぶんぬさ殿どのつくられることもおおく、これらをいちつづきにてる場合ばあいおおい。建物たてものよこまわると、拝殿はいでんおくぬさ殿どの本殿ほんでん確認かくにんすることができる。

本殿ほんでんかみがいるとされる神聖しんせい場所ばしょであるため、瑞垣みずがきなどでかこわれたり、くつがえつくられ、普段ふだんはその内部ないぶをみられないことがおおい。一部いちぶ神社じんじゃではさんがん神体しんたいとしてあがめるため、本殿ほんでんたず、神体しんたい直接ちょくせつおがむための拝殿はいでんのみがあるところ(大神神社おおみわじんじゃきむ鑚神しゃなど)や拝殿はいでんたない(檜原ひばる神社じんじゃ湯殿山ゆどのさん神社じんじゃ)ところもある。このように、社殿しゃでんのない神社じんじゃ本来ほんらい形式けいしきであったとかんがえられる。

仏教ぶっきょう伝来でんらい以降いこう神社じんじゃ建築けんちくは、寺院じいん建築けんちく影響えいきょうけ、しゅりやかわら屋根やねれたれいもあるが、建物たてもの内部ないぶかんしては神道しんとう伝統でんとう構成こうせいがよくまもられている。神社じんじゃ建築けんちくは、一宮いちのみやなどのかく有力ゆうりょく神社じんじゃにおいて固有こゆう様式ようしきっており、なおかつ、その固有こゆう伝統でんとうてき様式ようしき維持いじしようとつとめている。そのため、神社じんじゃ建築けんちく様式ようしき解明かいめいすることは、その神社じんじゃ祭神さいじん性格せいかくじょう重要じゅうようがかりのひとつとなる。のちにできた神社じんじゃにおいても、建立こんりゅう当初とうしょ様式ようしきたもつものがおおい。

本殿ほんでん

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本殿ほんでん(ほんでん)は、神霊しんれい宿やどした神体しんたい安置あんちする社殿しゃでんのことで、神殿しんでん(しんでん)ともいう。本殿ほんでんひと内部ないぶはいることを想定そうていしていないため、拝殿はいでんよりちいさいことがおおい。ふるくは1宇の本殿ほんでんに1はしらかみまつられたが、現在げんざいでは1宇の本殿ほんでん複数ふくすうかみまつられることもおおい。内部ないぶには神体しんたいかがみなど)がおさめられる。内陣ないじん外陣がいじんかれている場合ばあい内陣ないじん神体しんたいおさめられ、外陣がいじん献饌けんせん奉幣ほうへいとして使つかわれる。

拝殿はいでん

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拝殿はいでん(はいでん)は、祭祀さいし拝礼はいれいおこなうための社殿しゃでんで、祭祀さいしとき神職しんしょくなどが着座ちゃくざするところでもあり、けとされる場合ばあいおおい。通常つうじょう神社じんじゃおとずれたさいるのはこの拝殿はいでんで、一般いっぱん参拝さんぱい拝殿はいでん手前てまえ拍手はくしゅっておこなうが、祈祷きとうなどのさい拝殿はいでんのぼる(昇殿しょうでん)こともある。拝殿はいでんは、一般いっぱん本殿ほんでんよりもおおきくてられ、ゆかるのが一般いっぱんてきであるが、中央ちゅうおう土間どまとなっており、とお可能かのうな「わり拝殿はいでん」(国宝こくほうとなっている桜井さくらい神社じんじゃ出雲いずもけん神社じんじゃのものが著名ちょめい)もある。まい殿どの神楽かぐら殿どの社務しゃむしょなどをねることもある。

神社じんじゃによっては拝殿はいでんがないところ(春日大社かすがたいしゃ伊勢神宮いせじんぐうなど)や、2つつところ(伏見ふしみ稲荷いなり大社たいしゃ明治めいじ神宮じんぐうなど)もある。2つある場合ばあいは、手前てまえそと拝殿はいでん(げはいでん)とび、おくのものをうち拝殿はいでん(ないはいでん)とぶ。すずすずいとぐち)や鰐口わにぐちがある場合ばあいもある。

ぬさ殿どの

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ぬさ殿どの(へいでん)は、祭儀さいぎおこない、幣帛へいはくたてまつ社殿しゃでんである。本殿ほんでん拝殿はいでんとのあいだ位置いちし、両者りょうしゃをつなぐような構造こうぞうになっているのが特徴とくちょうである[1]中殿ちゅうでんともいう[1]ぬさ殿どの独立どくりつしていることもある。また、拝殿はいでん一体いったいになっているぬさ殿どのもある。ぬさ殿どのがない神社じんじゃもある。

権現造ごんげんづくりでは、本殿ほんでん拝殿はいでんよりもひくい「いしあいだ」とばれる建物たてものぬさ殿どのである[1]

その

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このほか、楼門ろうもん神門ごうど)や鳥居とりい神楽かぐら殿どのまい殿どの)、手水ちょうずはち社務しゃむしょなどが神社じんじゃ建築けんちくふくまれる。

神社じんじゃ建築けんちく本殿ほんでん)の特徴とくちょう

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以下いかはあくまで概論がいろんであり、すべての神社じんじゃ建築けんちくてはまるわけではなく、時代じだいによっても変遷へんせんがあるが、神社じんじゃ建築けんちくとく本殿ほんでん建築けんちく)の特徴とくちょうとして以下いかてん指摘してきされている。

  1. 屋根やねつまつこと
  2. ゆかたかること
  3. かわらもちいないこと
  4. かべもちいないこと
  5. 装飾そうしょく質素しっそなこと

まず「屋根やねつまつこと」についてだが、これは神社じんじゃ建築けんちく屋根やねはほとんどが切妻きりづまづくりで、一部いちぶ入母屋いりもやづくりられる。入母屋いりもやづくり仏教ぶっきょう建築けんちく由来ゆらいする様式ようしきであるが、おな仏教ぶっきょう建築けんちく様式ようしきであるがつまのないよせとうづくりたからかたちづくり採用さいようされていない。このことは、仏教ぶっきょう建築けんちくからの一方いっぽうてき影響えいきょうではなく、神社じんじゃ建築けんちくとしての価値かちかんもとづいて、神社じんじゃがわ主体しゅたいてき入母屋いりもやづくり神社じんじゃ建築けんちく採用さいようしたことをしめしている。

つま神社じんじゃ建築けんちくにおける意義いぎははっきりしないが、信仰しんこうじょう重要じゅうよう要素ようそであったことは間違まちがいないとおもわれる。たとえば、伊勢神宮いせじんぐう正殿せいでんにおいてつま部分ぶぶん金具かなぐ特別とくべつされ、式年しきねん遷宮せんぐうさいつま装着そうちゃくする儀礼ぎれい秘伝ひでんとされたことや、流造ながれづくり社殿しゃでんよこにいくつも連結れんけつした社殿しゃでんにおいて、ひとつの社殿しゃでんごとに正面しょうめん千鳥ちどり破風はふつま)がもうけられて、ひとつひとつの社殿しゃでん区別くべつされていることからもわかる。

ゆかたかることについては、本来ほんらい土間どま基本きほんとする寺院じいん建築けんちく対照たいしょうてきである(奈良なら時代じだい仏堂ぶつどう禅宗ぜんしゅうさま建物たてもの中国ちゅうごく建築けんちく同様どうようゆからない)。

かわらもちいないことについては、あきらかに瓦葺かわらぶきの仏教ぶっきょう建築けんちくとの差異さい意識いしきし、もしくは仏教ぶっきょう建築けんちく忌避きひしたものであるといえる。神社じんじゃ屋根やね基本きほんてき植物しょくぶつざいくが(かやひのきがわ杮葺)、近世きんせいになるとどう板葺いたぶきどう葺)ももちいられるようになった。ただし例外れいがいてきに、本殿ほんでん瓦葺かわらぶきもちいる場合ばあいもある(たとえば、沖縄おきなわ神社じんじゃ伝統でんとうてきあかかわらもちいる)。かべもちいないことについても同様どうようである。

装飾そうしょく質素しっそなことは、上古じょうこ日本にっぽん建築けんちく様式ようしき固定こていしたためといえる。日本にっぽん固有こゆうかみまいであるので、仏教ぶっきょうとはことなることを意識いしきし、日本にっぽん伝統でんとうてき建築けんちく意匠いしょうれている。

本殿ほんでん起源きげん

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山宮さんぐう浅間あさま神社じんじゃ 富士山ふじさん本宮ほんぐう浅間あさま大社たいしゃ本宮ほんぐうつたえられ、現在げんざい本殿ほんでんたず富士山ふじさんそのものをまつふる祭祀さいし形態けいたいめている(静岡しずおかけん富士宮ふじのみや

神社じんじゃは、ふるくはヤシロ(社)しゃだんほうじんといい、このヤシロとは本来ほんらいは「屋代やしろ」の意味いみで、かみまつかり小屋こや祭壇さいだんした[2]。ヤシロのシロは、けがれを付着ふちゃくさせるための身代みがわりとされるカタシロ(形代かたしろ)などのシロと同意どういである[2]

かみだいであるかみませは、もっとちいさなヤシロといえる[2]。また、ひろ意味いみでは祭壇さいだんや、ちく注連縄しめなわなどで俗界ぞっかい区切くぎられて聖域せいいきとされた祭場さいじょう全体ぜんたいふくめて、ヤシロ、つまり、一時いちじてきかみ仮住かりずまいといいうる[2]

かみ仮住かりずまいにぎなかったヤシロは、寺院じいんにおいて仏像ぶつぞうまつ仏教ぶっきょう影響えいきょうから、神体しんたいつねまつりする「神社じんじゃ」へと変貌へんぼうしていった[2]神社じんじゃにおいて、もっと重要じゅうよう神体しんたい鎮座ちんざする内陣ないじんそなえた建物たてものが「本殿ほんでん」とされ、神体しんたいおがむための「拝殿はいでん」や、神域しんいき区切くぎ鳥居とりいなどの設備せつび整備せいびされていった[2]。なお、本来ほんらい姿すがたから変貌へんぼうげていったのちも、おおくの神社じんじゃでは、神霊しんれい因縁いんねんのある霊域れいいきいわなど)でまつりがおこなわれている[2]

神社じんじゃ建築けんちく成立せいりつ影響えいきょうあたえたとかんがえられるのが神宮寺じんぐうじ建立こんりゅうである。神宮寺じんぐうじ神社じんじゃてられた寺院じいんのことで、神仏しんぶつ習合しゅうごう初期しょき段階だんかい登場とうじょうした。神宮寺じんぐうじ建立こんりゅうにより、神社じんじゃ仏教ぶっきょう建築けんちく直接ちょくせつ影響えいきょうけたが、隣接りんせつするためにかえって神社じんじゃ建築けんちく寺院じいん建築けんちく差異さいもとめるようになったとかんがえられる。

拝殿はいでん起源きげん

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春日大社かすがたいしゃ中門ちゅうもん重文じゅうぶん)(奈良ならけん奈良なら

拝殿はいでん成立せいりつ本殿ほんでんよりもである。現在げんざいでも伊勢神宮いせじんぐう春日大社かすがたいしゃ宇佐うさ神宮じんぐう松尾まつお大社たいしゃなど拝殿はいでんたないいにしえしゃおおい。 拝殿はいでん祭神さいじん祭祀さいしのための施設しせつであるが、本来ほんらい神社じんじゃ祭祀さいし本殿ほんでん正面しょうめん露天ろてん祭場さいじょうおこなわれていた。本殿ほんでんは、その起源きげん祭壇さいだんもとめられるように、祭祀さいし対象たいしょうであって、祭祀さいしおこなでなかったのである。

祭祀さいしにおいて、神職しんしょくらは祭場さいじょう左右さゆう着座ちゃくざし、そこから中央ちゅうおう祭場さいじょうおもむいて祭儀さいぎおこなったが、祭場さいじょう屋内おくないになると、中心ちゅうしん祭場さいじょうぬさ殿どのとなり、神職しんしょく着座ちゃくざ回廊かいろうとなった。回廊かいろう入口いりくちには楼門ろうもんてられた。このように祭祀さいし形態けいたいにあわせて、楼門ろうもん回廊かいろうぬさ殿どのてられたが、これらをつにいたらない小規模しょうきぼ神社じんじゃは、やがてその機能きのう圧縮あっしゅくして、ひとつの社殿しゃでんにその機能きのうそなえさせることにした。これが拝殿はいでんである。

建築けんちく様式ようしき

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古典こてんてき神社じんじゃ建築けんちく本殿ほんでん)の類型るいけい

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古典こてんてき神社じんじゃ建築けんちく本殿ほんでん建築けんちく)は、以下いかのように分類ぶんるいすることができる。

  1. はしらした土台どだいつもの
  2. こころはしら(しんのみはしら)をつもの
  3. 内部ないぶが2しつかれるもの

はしらした土台どだいつもの流造ながれづくり春日しゅんじつづくり代表だいひょうされる。はしら地面じめん直接ちょくせつてたり、礎石そせきなどの基礎きそ設置せっちしたりせずに、社殿しゃでんさい下部かぶ井桁いげたみ、そのうえはしらてる。これは社殿しゃでん移動いどうさせることを前提ぜんていとした様式ようしきで、祭祀さいしのときのみ社殿しゃでん設置せっちし、祭祀さいしおこなわないときには社殿しゃでん設置せっちしていなかったという、上古じょうこ祭祀さいし方法ほうほう名残なごりではないかとわれている。また、「かみませ」(上古じょうこ仮設かせつ祭壇さいだん)が発展はってんして、常設じょうせつ社殿しゃでんとなったのではないかといわれる。

流造ながれづくり春日かすがづくりのいずれも床下ゆかしたかべ隠蔽いんぺいしている。これは神社じんじゃ建築けんちく一般いっぱん特徴とくちょうでもあるが、社殿しゃでん設置せっちされた地面じめんとのつながりに神聖しんせいせいもとめることによる。いいかえると、社殿しゃでん神聖しんせいせい根源こんげんかれている場所ばしょもとめることができる。すなわち、神体しんたいとされる領域りょういきいわなどのうえ仮設かせつ祭壇さいだんいてまつったかみませ形式けいしきいだものではないかということが、ここからも指摘してきできる。

境内けいだいしゃ小祠しょうしもちいられる様式ようしきで、流造ながれづくり春日しゅんじつづくりかい省略しょうりゃくしてたなけた見世みせたなづくりという小型こがた社殿しゃでん様式ようしきがあるが、これは省略形しょうりゃくけいというよりはむしろ神社じんじゃ建築けんちく原形げんけいちかいともいえるかもしれない。

このように、起源きげん上古じょうこもとめることができ、「はしらした土台どだいつもの」は神社じんじゃ建築けんちくなかでもふる形式けいしきかんがえられる。

こころはしらつもの神明しんめいづくり大社たいしゃづくりである。この様式ようしき特徴とくちょうは、こころはしらむねばしらち、掘立柱ほったてばしらであることである。こころはしらは、社殿しゃでん中央ちゅうおうにあるはしらすが、建築けんちく構造こうぞうじょう意味いみをなさないはしらであり、本来ほんらいかみがわであったとかんがえられる。神明しんめいづくりでは社殿しゃでん本体ほんたい完全かんぜん分離ぶんりしている。むねばしら母屋もやはりささえるほかはしらちがってむねとどはしらのことである。

そしてむねばしらふくめて、すべてのはしら礎石そせき使つかわず地面じめんあなっててる掘立柱ほったてばしらである(現在げんざい出雲いずも大社たいしゃ土台どだいうえつ)。掘立柱ほったてばしら原始げんし住居じゅうきょ以来いらい建築けんちく使つかわれるものである。

内部ないぶが2しつかれるもの住吉すみよしづくり八幡やはたづくりである。どちらも本殿ほんでん内部ないぶ前後ぜんご2しつもっている。住吉すみよしづくり後室こうしつ神座かんざがあり、八幡やはたづくり前後ぜんごしつにそれぞれ神座かんざひる神座かんざよる神座かんざ)があるのであって、両者りょうしゃ厳密げんみつには区別くべつされるが、もともと1しつ本殿ほんでん分化ぶんかして2しつになったものではないという意味いみ共通きょうつうである。大鳥おおとりづくり天皇てんのう大嘗祭だいじょうさいのときに祭儀さいぎおこなだい嘗宮もこれにふくまれるとかんがえられる。

本殿ほんでん建築けんちく様式ようしき

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本殿ほんでん建築けんちく様式ようしきおおきくひらいれつまいれけられ、さらに屋根やね形状けいじょうもっ分類ぶんるいすることがおおい。それ以上いじょう細部さいぶをみると、かく神社じんじゃ独特どくとく様式ようしきであることがおおく、種類しゅるいおおくなりすぎて、分類ぶんるい意味いみをなさなくなる。最古さいこ様式ようしき神明しんめいづくりや、大社たいしゃづくり住吉すみよしづくりといった直線ちょくせんてき形状けいじょう屋根やねつものとされるが、現在げんざい一般いっぱんてきによくられる様式ようしき流造ながれづくりで、春日かすがづくりがこれにいでおり、いずれもながれせんてき形状けいじょう屋根やねとなっている。

ひらたにゅう形式けいしき

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伊勢神宮いせじんぐう正殿せいでん様式ようしきへの使用しようきんじられているため唯一ゆいいつ神明しんめいづくりしょうされる。なお、むねばしらたない場合ばあいなどはたん切妻きりづまづくりとなる。明治めいじ時代じだい以降いこう神明しんめいづくり社殿しゃでん流行りゅうこうした。
台湾たいわん神社じんじゃのほとんどは神明しんめいづくりである。
本殿ほんでん様式ようしきとしてはもっとおおく、全国ぜんこくてきにもひろ分布ぶんぷし、つぎのような発展はってんがたもある。
入母屋いりもやづくり発展はってんがた乃至ないし変形へんけいがある。

つまにゅう形式けいしき

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奈良ならけん中心ちゅうしん分布ぶんぷし、つぎのような発展はってんがたがある。
おも島根しまねけん中心ちゅうしん分布ぶんぷし、つぎのような発展はってんがたもある。

ふくあい社殿しゃでん形式けいしき

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本殿ほんでん拝殿はいでんなどのほか社殿しゃでん結合けつごうしたものではちむねづくり総称そうしょうできるが、以下いか様式ようしきめいばれるものもある。

とくだいけん神社じんじゃ愛知あいちけん犬山いぬやま)は特殊とくしゅで、「だいけんづくり」「さんむねづくり」ともばれる。

ふくあい社殿しゃでん形式けいしき場合ばあいであっても、たとえば「流造ながれづくり本殿ほんでん権現造ごんげんづくり」というように、本殿ほんでん建築けんちく様式ようしき独立どくりつしてあつかうことになっている。

拝殿はいでん建築けんちく様式ようしき

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入母屋いりもやづくりつまいれ拝殿はいでん平野ひらの神社じんじゃ京都きょうと京都きょうと

拝殿はいでんおおきくひらいれつまいれに2ふんでき、切妻きりづまぞう入母屋いりもやづくり一般いっぱんてきである。

  • ひらたにゅう拝殿はいでん
むねよこかよっているものである。もっと一般いっぱんてき様式ようしきといえる。着座ちゃくざする人々ひとびと本殿ほんでん対面たいめんするようになる。
  • つまにゅう拝殿はいでん
むねたてかよっているものである。本殿ほんでんへの通路つうろとしての性格せいかくち、縦長たてながとなるおく部分ぶぶんぬさ殿どのねている。拝殿はいでん成立せいりつする以前いぜん回廊かいろう形式けいしきだったころのぬさ殿どの変化へんかしたものともかんがえられる。

またうえとはべつつぎ形式けいしきをとるものもある。

  • わり拝殿はいでん
中央ちゅうおうけになっていて、左右さゆう床間とこのまがある。これは回廊かいろう形式けいしき中門ちゅうもん左右さゆう回廊かいろう変形へんけいした結果けっかだとかんがえられる。遺構いこうすくなく大神神社おおみわじんじゃ石上いしがみ神宮じんぐう摂社せっしゃ出雲いずも建男たてお神社じんじゃ大崎おおさき八幡宮はちまんぐうられる。
  • 特異とくい拝殿はいでん
静岡しずおか浅間あさま神社じんじゃ静岡しずおかけん静岡しずおか) - 拝殿はいでん浅間あさまづくりとなっている。

構造こうぞうたい

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神社じんじゃ構造こうぞうには歴史れきしてきには使つかったものがおおく、最近さいきんでは鉄筋てっきんコンクリートづくりのものもえている。関東大震災かんとうだいしんさい以前いぜんは、現在げんざい重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされている築地つきじ本願ほんがんてらをコンクリートで建築けんちくした伊東いとう忠太ちゅうたですら、「神社じんじゃ人間にんげん住宅じゅうたくではなく、神霊しんれい鎮座ちんざする場所ばしょである」のような思想しそうのもと、神社じんじゃ永久えいきゅう木造もくぞうであり、その精神せいしんわらないというような主張しゅちょうをしていた。しかし、関東大震災かんとうだいしんさいで1,568箇所かしょ神社じんじゃ罹災りさいし、そのうち神田かんだ神社じんじゃをはじめやく130箇所かしょ焼失しょうしつし、「神社じんじゃ火事かじって簡単かんたんせてしまってはこまる」というかんがえが台頭たいとうしてきた。[3][4]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c 深見東ふかみひがししゅう全国ぜんこく開運かいうん神社じんじゃ案内あんない なみそうばん』(初版しょはんたちばな出版しゅっぱん原著げんちょ1999-6-30)。ISBN 9784813311393 
  2. ^ a b c d e f g 神道しんとう行法ぎょうほうほん日本にっぽんれいみつるつらぬかみ祇奉さい秘事ひめごと学研がっけん原著げんちょ2005-2-25)。ISBN 9784056037753 
  3. ^ 神社じんじゃ建築けんちく不燃ふねん耐震たいしんへの挑戦ちょうせん神田かんだ神社じんじゃ事例じれい”. 内閣ないかく. 2022ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  4. ^ 内閣ないかく共通きょうつう検索けんさくで「神社じんじゃ建築けんちく不燃ふねん耐震たいしんへの挑戦ちょうせん-神田かんだ神社じんじゃ事例じれい- 神田かんだ神社じんじゃ」と検索けんさく(かぎかっこない検索けんさくしてください)”. 内閣ないかく. 2022ねん2がつ7にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 神道しんとう行法ぎょうほうほん日本にっぽんれいみつるつらぬかみ祇奉さい秘事ひめごと学研がっけん原著げんちょ2005-2-25)。ISBN 9784056037753 

関連かんれん項目こうもく

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