(Translated by https://www.hiragana.jp/)
土蔵 - Wikipedia コンテンツにスキップ

土蔵どぞう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
打吹うつぶき玉川たまがわ土蔵どぞうぐん重要じゅうよう伝統でんとうてき建造けんぞうぶつぐん保存ほぞん地区ちく
博物館はくぶつかん施設しせつ転用てんようされた智頭ちず宿やど石谷いしがや住宅じゅうたくくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい)の土蔵どぞう

土蔵どぞう(どぞう)とは、日本にっぽん伝統でんとうてき建築けんちく様式ようしきのひとつで、木骨もっこつ外壁がいへきかべとして漆喰しっくいなどで仕上しあげられるもの。日常にちじょうではたんぞう(くら)とよばれることがおおく、この様式ようしきつくられた建物たてもの土蔵どぞうづくぞうづくなどといわれる。米穀べいこくさけまゆなどの倉庫そうこ保管ほかんとして、防火ぼうか防湿ぼうしつぼうぬすめ構造こうぞうをもっててられるもののほか、保管ほかん店舗てんぽねててられるものもある。店舗てんぽ住居じゅうきょねるものは「見世みせぞうみせぞう」とばれることもあり、倉庫そうこ保管ほかんとしててられるものとは分化ぶんかして発展はってんしてきた。 土蔵どぞうとびらには種類しゅるいがあり、大阪おおさかばれる 火災かさいさいめるや、戸前とまえばれる 蝶番ちょうつがいいたとびらなどがある。

歴史れきし

[編集へんしゅう]

起源きげんははっきりとはしない。中世ちゅうせいにも町屋まちやなどとともてられており、近世きんせい鉄砲てっぽう伝来でんらい影響えいきょうにより城郭じょうかくにも防火ぼうか防弾ぼうだんのために漆喰しっくいだいかべ技術ぎじゅつもちいられ、30cm以上いじょう分厚ぶあつかべ多用たようしたことで安土あづち桃山ももやま時代じだい後期こうきから江戸えど前後ぜんこう天守てんしゅなどの防御ぼうぎょ施設しせつ土蔵どぞうづくりとなった。江戸えど時代じだい以降いこうには、城郭じょうかく発展はってんした技術ぎじゅつかされ、火災かさい盗難とうなん防止ぼうしのためにさかんにてられ、のち裕福ゆうふくさの象徴しょうちょうともなった。明治めいじ以降いこうには、かべうえ漆喰しっくいではなくモルタル洋風ようふう仕上しあげられることもあった。また、かべではなく煉瓦れんが大谷石おおやいしつくられたものもある。いちれいとして伊豆半島いずはんとう産出さんしゅつされる伊豆いずせき使つかったいしぞうげられる。伝統でんとうてき外観がいかんかして、飲食いんしょくてんなどの商業しょうぎょう施設しせつ博物館はくぶつかん転用てんようされることもある。

構造こうぞう

[編集へんしゅう]

木造もくぞう骨組ほねぐみに、まるちくとシュロなわ木舞こまいをつくり、そのうえにふくすうかいぬりをほどこして、表面ひょうめん漆喰しっくいでぬりあげる。出入でいぐちまどなどのわせは、複数ふくすうだんだんがたとする。屋根やねは、うらばんのうえに土居どい葺とし、なわかけ土留どどめをうち、瓦葺かわらぶき

外部がいぶ仕上しあ

[編集へんしゅう]

外観がいかん仕上しあげは、大壁おおかべとし、かべうえ漆喰しっくいそうぬりこめ(しっくいそうぬりごめ)とするか、各種かくしゅ板張いたばとされる。ひらかわらり、漆喰しっくいいた蒲鉾かまぼこのようにってかためるなまこかべなどとすることもある。漆喰しっくいかべには、左官さかん職人しょくにんが鏝によって文字もじなどを表現ひょうげんするレリーフ(鏝絵)をつくられることもある。

現在げんざいでは、ばんわりとしてや、老朽ろうきゅうがれちた白壁しらかべおぎなうために、ブリキ鉄製てつせいいたなみばんることがある。

耐火たいか性能せいのう

[編集へんしゅう]

かべあつやく300mm以上いじょうあることがおおく、開口かいこうそとなども漆喰しっくい外部がいぶ表面ひょうめんおおったもの)とすることがある。

ふるくは江戸えど時代じだい大火たいか近代きんだいでは空襲くうしゅうによる大火たいかでも、内部ないぶまわらない事例じれいおおかった。ただし空襲くうしゅう使用しようされた焼夷弾しょういだんとは屋根やね貫通かんつうしたあと内部ないぶ発火はっかする兵器へいきのため、屋根やね焼夷弾しょういだん直撃ちょくげきした場合ばあいは、外壁がいへき無事ぶじでも内部ないぶちたというれいおおい。また、一見いっけん無事ぶじのこっているようにえても、土蔵どぞう内部ないぶ極度きょくど高温こうおんとなっており、周囲しゅうい火災かさい酸素さんそ消費しょうひされくしているためかろうじて発火はっかしていないだけ、という場合ばあいもある。このため、土蔵どぞう無事ぶじなのを不用意ふよういけた瞬間しゅんかんバックドラフト現象げんしょう発生はっせい内部ないぶ器物きぶつ一気いっきくされてしまったという事例じれいおおかった。水戸みと徳川とくがわ所蔵しょぞう名刀めいとう燭台しょくだい切光せっこうちゅう」「しゅかしわ」のりは、関東大震災かんとうだいしんさいさいにこの現象げんしょうによって焼身しょうしんとなってしまったという。そのため、火災かさいった土蔵どぞう金庫きんこなどは、内部ないぶ完全かんぜんえるまでの1週間しゅうかんほどはひらけとびらしてはならないとされていた。

またかつては、いざ近隣きんりん火災かさい発生はっせいしたというさい普段ふだん出入でいりの左官さかんけつけ、用意よういしてある用心ようじんばれる粘土ねんど土蔵どぞうすべての隙間すきまたたきつけ、土蔵どぞうへの延焼えんしょうふせぐといった防火ぼうか活動かつどうもあった。

見世みせぞう

[編集へんしゅう]

見世みせぞう(みせぐら)は、江戸えど時代じだい以降いこう発展はってんした商家しょうか建築けんちく様式ようしき一種いっしゅで、土蔵どぞう技術ぎじゅつ応用おうようしたもの。みせぞう(たなぐら、みせぐら)とも表記ひょうきする。土蔵どぞう一種いっしゅではあるものの、用途ようとことなることから、枝分えだわかれするかたちで独自どくじ発展はってんげた。

商品しょうひんなどの保管ほかん貯蔵ちょぞう目的もくてきとした土蔵どぞうとはことなり、見世みせぞうは、店舗てんぽけん住宅じゅうたくとして使つかうことを目的もくてきとしててられるもので、土蔵どぞうとは開口かいこうつくかた間取まどり・内装ないそうことなる。

土蔵どぞう場合ばあいは、開口かいこうをなるべくちいさくし、耐火たいかかべ部分ぶぶんおおって、耐火たいか性能せいのう向上こうじょうさせることを重視じゅうしして設計せっけいされる。また内部ないぶも、保管ほかん収蔵しゅうぞう目的もくてきとしているため、こまかい間取まどりなどはなされない。たいして見世みせぞう場合ばあいは、店舗てんぽ住居じゅうきょとして使つかうことをおも目的もくてきとしているため、耐火たいか性能せいのうめんでは多少たしょう妥協だきょうがなされ、商店しょうてん部分ぶぶん間口まぐち住居じゅうきょ部分ぶぶんまどなどの開口かいこうもうけられている。内部ないぶ間取まどりなども通常つうじょう商店しょうてん建築けんちくじゅんずる。

土蔵どぞうのほかいしぞう様式ようしき採用さいようしたもの、明治めいじ時代じだい以降いこうには煉瓦れんがぞう様式ようしき採用さいようしたものや漆喰しっくいのかわりにモルタルやコンクリートを使つかったものなどもられる。

ふる宿場しゅくばまち商都しょうとなどには漸減ぜんげんしながらもある程度ていどのこされており、近年きんねんではトタンをがし板張いたばりや漆喰しっくいかべにするなど、観光かんこう資源しげんとしての積極せっきょくてき利用りようてんじている事例じれいもある。

くらのある街並まちな

[編集へんしゅう]

ぞうづくりの街並まちなみ」などとして観光かんこう訴求そきゅうをしているまちをいくつか例示れいじする。おおくは、貯蔵ちょぞうよう土蔵どぞうではなく、店舗てんぽ住居じゅうきょねた見世みせぞうである。

土蔵どぞうあつかった作品さくひん

[編集へんしゅう]
古典こてん落語らくご
  • 鼠穴ねずみあな - 貧乏びんぼうらしからだいてん成功せいこうし、ある用心ようじんに、土蔵どぞうのねずみあなばれる換気かんきこうだけを目塗めぬりしなかったために、すべてのぞうちて、路頭ろとうまよ場面ばめんがある。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 岡村おかむら一郎いちろうちょ写真しゃしんしゅう 明治めいじ大正たいしょう昭和しょうわ 川越かわごし』ふるさとのおも図書としょ刊行かんこうかい昭和しょうわ53ねん国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん蔵書ぞうしょ、2019ねん3がつ22にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]