甲子きのえねとう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
甲子きのえねねん1864ねん元治もとはる元年がんねん)に造立ぞうりゅうされた神奈川かながわけん横浜よこはまいずみ甲子きのえねとう[1]

甲子きのえねとう(かっしとう、きのえねとう)は、十二支じゅうにし、あるいは干支えと甲子きのえね大黒天だいこくてんまつ甲子きのえねこうによって造立ぞうりゅうされた石塔せきとうである。まちとう(ねまちとう)、大黒天だいこくてんとう[2][3]甲子きのえねまちとう(きのえねまちとう)ともいう[4]

甲子きのえねまち[編集へんしゅう]

十干じっかん十二支じゅうにしそれぞれの最初さいしょであるきのえわせた甲子きのえねおこなこう行事ぎょうじ甲子きのえねまちといい[5]りゃくしてまち(ねまち)ともいう[4]干支えとのはじまりのであることからとく縁起えんぎいとされる。

甲子きのえねまちでは大黒天だいこくてんまつる。大黒天だいこくてんだい国主こくしゅ習合しゅうごうしており、野火のびころされそうになっただい国主こくしゅねずみたすけたという『古事記こじき』の逸話いつわから、ねずみ)は大黒天だいこくてん使つかとされた。甲子きのえねまちには大黒天だいこくてん掛軸かけじくけ、大豆だいず黒豆くろまめ二股ふたまた大根だいこんなどをそなえた。こく深夜しんや0中心ちゅうしんとするやく2あいだ)になるまでずにきていたというれいもある。いちねんに6かいある甲子きのえねのうち、きゅう11月の甲子きのえねとくおもんじることがある一方いっぽうで、新年しんねん最初さいしょ甲子きのえねはつ甲子きのえねしょうしてまつりをおこな寺社じしゃもある[5]

室町むろまち時代ときよ京都きょうとにおいて甲子きのえねまちおこなわれていたことが中世ちゅうせい公家くげ日記にっきによってられている[6]山科やましなげんままし日記にっきげんつぎきょう』には、「禁裏きんり甲子きのえねまちあいだくれ参内さんだい[7]、「禁裏きんり夕方ゆうがた甲子きのえねまち祗候しこうゆかりおおせ[8]などの記述きじゅつられる。

形態けいたい分布ぶんぷ[編集へんしゅう]

甲子きのえねとうこと東日本ひがしにっぽんおおく、60ねんいち甲子きのえねねん数多かずおお造立ぞうりゅうされている[9]長野ながのけん上伊那かみいなぐん箕輪みのわまちにおける石造せきぞうぶつ悉皆しっかい調査ちょうさによれば、甲子きのえねねんである1864ねん元治もとはる元年がんねん)に81924ねん大正たいしょう13ねん)に271984ねん昭和しょうわ59ねん)に33造立ぞうりゅうされており、町内ちょうない甲子きのえねとう総数そうすう78のうち9わりちかくが甲子きのえねねん造立ぞうりゅうされている[10]

文字もじとうこくぞうとう分類ぶんるいされ、文字もじとうでは自然しぜんせきおおきく「甲子きのえね」や「大黒天だいこくてん」ときざむものがおおく、こくぞうとうには大黒天だいこくてんきざまれる。日蓮宗にちれんしゅうけい甲子きのえねとうには、題目だいもくとうねた題目だいもく甲子きのえねとう(だいもくこうしとう)もある[9]

甲子きのえねとう庚申こうしんとうならんで路傍ろぼうっていることがあり、きざまれた人名じんめいによっておな講中こうじゅう庚申待こうしんまち甲子きのえねまち両方りょうほうおこなっていたと判明はんめいすることがある。また、神職しんしょく修験しゅげんしゃかんがえられる人名じんめいきざまれていることもあり、これらの宗教しゅうきょうしゃ甲子きのえねまち指導しどうしていたこともうかがわれる[11]

文字もじとう[編集へんしゅう]

文字もじとうには「甲子きのえね」「甲子きのえねとう」「まちとう」「まち供養くようとう」「大黒天だいこくてん」「甲子きのえね大黒天だいこくてん」などときざまれ、甲子きのえね庚申こうしんおのれと併刻されることもある。神道しんとうけいのものには「大国たいこくしん」「大国たいこくぬし大神だいじん」「だいおのれ貴命きめい」などときざまれる[2]

こくぞうとう[編集へんしゅう]

仏像ぶつぞう彙』にえがかれた「伽羅きゃら大黒だいこく

こくぞうとうには大黒天だいこくてんきざまれる[2]ヒンドゥーきょうシヴァかみ化身けしん仏教ぶっきょうれられて、仏法ぶっぽう守護しゅごする大黒天だいこくてんとなった。大国たいこくぬし習合しゅうごうし、ふくかみとして七福神しちふくじんくわえられる以前いぜんには、大黒天だいこくてんくろからだ三面六臂さんめんろっぴ憤怒ふんぬしょうえがかれた[12]

江戸えど時代じだい仏画ぶつがしゅう仏像ぶつぞう』には「ろく大黒だいこく」のひとつとして「伽羅きゃら大黒だいこく」が、頭巾ずきんをかぶり右手みぎて打出うちで小槌こづちち、左手ひだりてつかんだおおきなふくろ背負せおった姿すがたえがかれている。「はちまんよんせん眷属けんぞくアリわか衆生しゅじょうアリテだい福徳ふくとくためメニ供養くようセバ貧窮ひんきゅううたてシテ大福だいふく長者ちょうじゃトナサシメントナリ」という説明せつめいぶんは、にせけいとされる『仏説ぶっせつ訶迦大黒天だいこくてん神大しんだい福徳ふくとく自在じざい円満えんまん菩薩ぼさつ陀羅尼だらにけい』(『大黒天だいこくてん神経しんけい』)との関係かんけい指摘してきされている[13]

甲子きのえねとうしゅみこととしての大黒天だいこくてんもまたふくかみぞうようであり、頭巾ずきんをかぶり小槌こづちふくろってべいたわらうえつ。まるりのぞうおおく、のものもある。長野ながのけん大町おおまちには170大黒天だいこくてん石像せきぞうがあり、そのうち68は1924ねん大正たいしょう13ねん)の甲子きのえねねん造立ぞうりゅうされた。ただし、甲子きのえねこうによる造立ぞうりゅうよりも、ふくかみとして造立ぞうりゅうされたもののほうおお[14]

題目だいもく甲子きのえねとう[編集へんしゅう]

日蓮宗にちれんしゅう大黒天だいこくてん関係かんけい宗祖しゅうそ日蓮にちれんにまでさかのぼり、『大黒天だいこくてんしん供養くよう相承そうしょうごと』には「毎月まいつき毎日まいにちしんずることがたものは、ろくとき甲子きのえね供物くもつ調ととのえへ祭祀さいしあるべきものなり」と、大黒天だいこくてん供養くようするようかれている。ただし、これは日蓮にちれんしんさくではなく、後世こうせいつくられたものとされている。江戸えど時代じだいになって甲子きのえねまち日蓮にちれん宗徒しゅうとひろがると、「南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう」の題目だいもくくわえて「甲子きのえね」や「大黒天だいこくてん」ときざ題目だいもく甲子きのえねとう造立ぞうりゅうされた。甲子きのえねまちもちいる大黒天だいこくてん掛軸かけじくにも、「南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう」とかれたものがある[15]

文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

甲子きのえねとうには地方自治体ちほうじちたい文化財ぶんかざいとして指定していされたものがある。

  • 池上いけがみみち道標どうひょう
大田おおた指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい金石かねいしあや)。1974ねん昭和しょうわ49ねん)2がつ2にち指定してい[16]大林寺だいりんじ東京とうきょう大田おおた大森中おおもりなか)にある池上いけがみみち道標どうひょうねた題目だいもく甲子きのえねとう。「大森おおもりむら 甲子こうし講中こうじゅう」によって1729ねんとおる14ねん)に造立ぞうりゅうされた[17]

参考さんこう画像がぞう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 横浜よこはま文化財ぶんかざい総合そうごう調査ちょうさかいへん横浜よこはま文化財ぶんかざい調査ちょうさ報告ほうこくしょ だい18輯 いずみ石造せきぞうぶつ調査ちょうさ報告ほうこくしょ横浜よこはま教育きょういく委員いいんかい、1989ねん、9ぺーじ 
  2. ^ a b c 庚申こうしん懇話こんわかい 1980, p. 206.
  3. ^ 中山なかやまとしあきら全国ぜんこく石仏いしぼとけ石神いしがみだい事典じてん』リッチマインド出版しゅっぱん事業じぎょう、1990ねん、808-809ぺーじ 
  4. ^ a b 門間かどまいさむ石仏いしぼとけ入門にゅうもん(21)甲子きのえねまちとう」『日本にっぽん石仏いしぼとけだい167ごう日本にっぽん石仏いしぼとけ協会きょうかい、2019ねん、44-45ぺーじ 
  5. ^ a b 福田ふくだアジオ へん へん日本にっぽん民俗みんぞくだい辞典じてん じょう吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1999ねん、473-474ぺーじISBN 4-642-01332-6 
  6. ^ 加藤かとう友康ともやす, こう利彦としひこ, 長沢ながさわ利明としあき, 山田やまだ邦明くにあきへん年中ねんじゅう行事ぎょうじだい辞典じてん吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2009ねん、239ぺーじISBN 978-4-642-01443-4 
  7. ^ 山科やましなげんまましげんつぎきょうだい国書刊行会こくしょかんこうかい、1914ねん、330ぺーじNDLJP:1919191/173 
  8. ^ 山科やましなげんまましげんつぎきょうだいさん国書刊行会こくしょかんこうかい、1914ねん、30ぺーじNDLJP:1919209/23 
  9. ^ a b 庚申こうしん懇話こんわかい 1980, pp. 206–207.
  10. ^ 箕輪みのわまち歴史れきし同好どうこうかい箕輪みのわまち石造せきぞう文化財ぶんかざい箕輪みのわまち歴史れきし同好どうこうかい、2003ねん、118ぺーじ 
  11. ^ 庚申こうしん懇話こんわかい 1980, p. 209.
  12. ^ たに敏朗としろう図解ずかい 仏像ぶつぞうがわかる事典じてん日本にっぽん実業じつぎょう出版しゅっぱんしゃ、2002ねん、196ぺーじISBN 4-534-03392-3 
  13. ^ 服部はっとりほうあきら日本にっぽん撰述せんじゅつにせけいと『仏像ぶつぞう彙』」『佛教ぶっきょう文化ぶんか学会がっかい紀要きようだい1994かんだい2ごう、1994ねん、101-102ぺーじdoi:10.5845/bukkyobunka.1994.87 
  14. ^ 日本にっぽん石仏いしぼとけ協会きょうかいへん日本にっぽん石仏いしぼとけてん国書刊行会こくしょかんこうかい、1986ねん、238ぺーじ 
  15. ^ 庚申こうしん懇話こんわかい 1980, p. 210-211.
  16. ^ 大田おおた指定してい文化財ぶんかざい一覧いちらん” (2019ねん4がつ1にち). 2020ねん2がつ1にち閲覧えつらん
  17. ^ 庚申こうしん懇話こんわかい 1980, p. 211.
  18. ^ 松戸まつど文化ぶんかホール へん松戸まつど市内しない石造せきぞう文化財ぶんかざい所在しょざい調査ちょうさがいほう 2 (神社じんじゃへん)』松戸まつど文化ぶんかホール、1986ねん、5ぺーじ 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 庚申こうしん懇話こんわかい日本にっぽん石仏いしぼとけ事典じてんだいはん雄山閣ゆうざんかく出版しゅっぱん、1980ねんISBN 4-639-00194-0 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

ウィキメディア・コモンズには、甲子きのえねとうかんするカテゴリがあります。