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こう

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こう(こう)とは、結社けっしゃまたは結社けっしゃによる行事ぎょうじ会合かいごうである。

こう原義げんぎは「講義こうぎ」「講読こうどく」の「こう」であり、寺院じいんない仏典ぶってん講読こうどく研究けんきゅうするそう集団しゅうだんすものであったが、やがて仏典ぶってん講読こうどく中心ちゅうしんとする仏事ぶつじこうかい)をすようになった[1]。それがてんじて、民俗みんぞく宗教しゅうきょうにおける宗教しゅうきょう行事ぎょうじおこなう集団しゅうだん、またはその行事ぎょうじ会合かいごうすようになった。さらにてんじて、相互そうご扶助ふじょてき団体だんたい会合かいごうのことを意味いみすることもある。

このように「こう」という名称めいしょうばれる対象たいしょう多岐たきわたっている。

原義げんぎとその変遷へんせん[編集へんしゅう]

こうはいった提灯ちょうちんをぶらげた大峰山おおみねさんふもと洞川どろがわ温泉おんせん旅館りょかん店先みせさき

平安へいあん時代じだい貴族きぞくたちのあいだで法華ほっけ信仰しんこうたかまり、かれらの出資しゅっしによって豪華ごうか絢爛けんらん仏教ぶっきょう儀礼ぎれいである法華ほっけはちこうさかんにおこなわれるようになった。これを契機けいきとして世俗せぞくのあいだで仏典ぶってん研究けんきゅうからはなれた信仰しんこうてき会合かいごうである「こう」がおこなわれるようになった(報恩ほうおんこうなど)[1]。この「こう」が中世ちゅうせいごろから民間みんかん浸透しんとうする過程かていで、様々さまざま信仰しんこう集団しゅうだんに「こう」という名称めいしょうがつけられるようになった。信仰しんこう集団しゅうだんとしてのこうには、地域ちいき社会しゃかいなかから自然しぜん発生はっせいてきまれたものと、外部がいぶからの導入どうにゅうによるものとがある。

前者ぜんしゃこうは、氏神うじがみ産土うぶすなといった地域ちいきかみ信仰しんこうする氏子うじこによって、その神祠しんし維持いじのために運営うんえいされるものである。社格しゃかくたか神社じんじゃこうでは、「むら」の範囲はんいえてひろ範囲はんい構成こうせいいんつものもある。「こう」の組織そしき強化きょうかされるのが、戦国せんごく時代じだいのことである。こうもと国人くにびとさむらいひとしがあたり、またこうもと自身じしんさむらいした。浄土真宗じょうどしんしゅうの「こう」の組織そしきによって加賀かが一向いっこう一揆いっきなどがおこなわれた。「こう」という組織そしきじょうはん民主みんしゅてき政治せいじおこなわれた。こう講社こうしゃともいい、こう構成こうせいいんこういんという。こう運営うんえいにあたってはこうもと(こうもと)、ふくこうもと世話人せわにんなどの役員やくいんき、こういんなかから選任せんにんされ、こう信仰しんこうする寺社じしゃから委嘱いしょくされるのが通常つうじょうである。一方いっぽうやまかみ鎮守ちんじゅしんなどの土俗どぞくてき信仰しんこうこうでは、ぞくえん集団しゅうだん地縁ちえん集団しゅうだんがそのままこう構成こうせいいんとなるため、純粋じゅんすい宗教しゅうきょう結社けっしゃからだらない場合ばあいもあった[1]

外部がいぶからの導入どうにゅうによるこうは、当初とうしょ山岳さんがく信仰しんこうかんするものであった。立山たてやまなどの修験しゅげんしゃ霊山れいざんへの登山とざんすすめて全国ぜんこくまわり、各地かくちに「参拝さんぱいこう」がつくられた。それにならって各地かくち神社じんじゃ寺院じいん参拝さんぱいするためのすうおおくのこうつくられるようになった。これらの参拝さんぱいこうでは、こう全員ぜんいん参拝さんぱいく「すべまいり」もあったが、おおくはこうなかからすうにんえらび、代表だいひょうして参拝さんぱいする「代参だいさんこう」がおこなわれていた。相互そうご扶助ふじょ団体だんたい頼母子講たのもしこう無尽むじんこう)への転用てんようは、この代参だいさんこうから派生はせいしたものである。すなわち、みなかねしあって参拝さんぱいくのではなく、そのかねをくじや入札にゅうさつによって構成こうせいいん融通ゆうずうするというものである。また、こうには信仰しんこうのためのこう併存へいそんするかたちで「仕事しごと仲間なかまこう」(モヤイこう、ユイこうなど)や、「年代ねんだいべつ性別せいべつこう」(若衆わかしゅこう、カカこうなど)など多種たしゅ多様たようこう存在そんざいした[1]。これらのこう共同きょうどうたい構成こうせいいんにとっては加入かにゅう義務付ぎむづけられる性格せいかくのものだったが、あそびを目的もくてきとした自由じゆう参加さんかの「遊山ゆさんこう」などもあった。

主要しゅようこう[編集へんしゅう]

仏教ぶっきょう行事ぎょうじとしてのこう[編集へんしゅう]

民俗みんぞく宗教しゅうきょうにおけるこう[編集へんしゅう]

地縁ちえんてき祭祀さいし集団しゅうだん[編集へんしゅう]

天体てんたいこよみ

自然しぜん

神仏しんぶつ人物じんぶつ

参拝さんぱいこう[編集へんしゅう]

特殊とくしゅなもの[編集へんしゅう]

相互そうご扶助ふじょ会合かいごうとしてのこう[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d 関口せきぐち 2006, pp. 81–96.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 関口せきぐちひろしきょ福田ふくだアジオへん)、2006、「こう日待ひまち」、『ゆいしゅ結社けっしゃ日本にっぽん』、山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ結社けっしゃ世界せかい〉 ISBN 4634444100
  • 長谷部はせべ八朗はちろう 監修かんしゅうこう研究けんきゅうかい編集へんしゅう委員いいんかいへん)『ひとのつながりの歴史れきし民俗みんぞく宗教しゅうきょう -「こう」の文化ぶんかろん八千代やちよ出版しゅっぱん 2022ねん[1]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

  1. ^ 長谷部はせべ八朗はちろうかみほん一覧いちらん”. honto.jp. 2024ねん2がつ3にち閲覧えつらん