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中国ちゅうごく建築けんちく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
中国ちゅうごく北京ぺきんにある天壇てんだん世界せかい遺産いさん

中国ちゅうごく建築けんちく英語えいご: Chinese architecture[1])は、なんせんねんにもわたってつづいている典型てんけいてきひがしアジア建築けんちくである。

民族みんぞく国家こっかである中国ちゅうごくは、広大こうだい領土りょうど膨大ぼうだい人口じんこうゆうするため、建築けんちくにおいても宮殿きゅうでんえんりん陵墓りょうぼだんびょう仏教ぶっきょう道教どうきょう儒教じゅきょう建築けんちく住宅じゅうたくなどその種類しゅるいきわめて多岐たきにわたる[2]ふる起源きげんつ4000ねん歴史れきし中国ちゅうごく文明ぶんめい同格どうかくに、中国ちゅうごく伝統でんとう建築けんちくもそれなりの歴史れきしっている[3]

9世紀せいきから王朝おうちょうつよもり以来いらい中国ちゅうごく建築けんちくおな漢字かんじ文化ぶんかけん所属しょぞくしている朝鮮ちょうせん日本にっぽんベトナムなどの周辺しゅうへんこくにもふか浸透しんとうされており、ひがしアジア国々くにぐに中国ちゅうごく建築けんちく様式ようしき手本てほんにしてに様々さまざま要素ようそみ、本国ほんごく伝統でんとう建築けんちく発展はってんさせていた。そのため、飛鳥あすか時代ときよから江戸えど時代じだいまでの伝統でんとうてき日本にっぽん建築けんちく伝統でんとうてき中国ちゅうごく建築けんちくいち支流しりゅう看做みなしている[4]

中国ちゅうごく建築けんちくおおきな特徴とくちょうの1つとして、「左右さゆう対称たいしょうせい」や「天地人てんちじんとの調和ちょうわ」を重視じゅうししてきたことがげられる。歴史れきしてきて、建築けんちく構造こうぞう原理げんりはほとんど変化へんかしておらず、変化へんかられるのは「装飾そうしょくてき細部さいぶ」のみとされている。こうして、中国ちゅうごく建築けんちくふる構造こうぞうちながらも断絶だんぜつなく現代げんだいの2020年代ねんだい存続そんぞくしている。伝統でんとう建築けんちく分野ぶんやでは、しゅとして木材もくざい材料ざいりょうとして使用しようされたため、建築けんちくぶつは「木造もくぞう建築けんちく」が絶対ぜったいてき主流しゅりゅうであるが、煉瓦れんがいしなどを構造こうぞうざいとしたものもすくなからずある[2]

特色とくしょく[編集へんしゅう]

中国ちゅうごく建築けんちく専門せんもんとする建築けんちく田中たなかあわは、中国ちゅうごく建築けんちくおおまかな特色とくしょくについて、つぎのようにべている[2]

中国ちゅうごく建築けんちくは、高度こうど技術ぎじゅつてき水準すいじゅんはやくから到達とうたつしただけでなく、材料ざいりょうめんでは木造もくぞうおもに塼・いし併用へいようし、類型るいけいてきには城郭じょうかく宮殿きゅうでんだんびょう陵墓りょうぼ仏寺ぶつじ石窟せっくつ(せっくつ)・みちかん・ラマびょうイスラム教いすらむきょう寺院じいん官署かんしょ民間みんかんほこらびょう住宅じゅうたく、さらに、ときにはキリスト教きりすときょう・ゾロアスターきょう・マニきょうなどをもれ、おおくの民族みんぞく文化ぶんか接触せっしょくし、多彩たさい展開てんかいをみせた。にもかかわらず、その歴史れきし大局たいきょくてきにみると、時代じだい王朝おうちょう類型るいけい種別しゅべつにかかわらない、一定いってい原則げんそくせい支配しはいされているてんひとつのおおきな特色とくしょくとなっている。たとえば、都城みやこのじょう建設けんせつさいは、春秋しゅんじゅう戦国せんごく時代じだいからあきらきよし時代じだいいたるまで、一般いっぱんじゅう城郭じょうかくせい基本きほん理念りねんとして計画けいかくされ、「しろ」が内城うちじろ君主くんしゅの、「かく」が外城とじょう人民じんみんの、それぞれ居住きょじゅうであって、堅牢けんろう(けんろう)なまもりを前提ぜんていとした。個別こべつ建築けんちく場合ばあいも、一棟ひとむねごとの建物たてものとしてより、建築けんちくぐん全体ぜんたい同様どうよう周壁しゅうへきかこみ、閉鎖へいさてき一郭いっかく形成けいせいすることを主眼しゅがんとした。中国ちゅうごくのもっとも普遍ふへんてき住居じゅうきょ伝統でんとうてき形式けいしきよんごういん(しごういん)」がその典型てんけいで、東西とうざい南北なんぼくはいした家屋かおく中庭なかにわかこみ、それを南北なんぼく方向ほうこう幾重いくえにもかえして、奥行おくゆきふか重層じゅうそうてき中庭なかにわぐん形成けいせいする。このたね左右さゆう対称たいしょう奥行おくゆきふか閉鎖へいさてき中庭なかにわぐん構成こうせいは、とうそう時代じだい仏寺ぶつじあきらきよし時代じだいむらさき禁城きんじょう孔子こうしびょうにも共通きょうつうするもので、すでにとお西にししゅう時代じだい宗廟そうびょうにさかのぼる伝統でんとうをもつ。
こうした不変ふへんてき原則げんそく確立かくりつしえた背景はいけいには、中国ちゅうごく独特どくとく官僚かんりょうせい歴史れきしがかかわっている。中国ちゅうごく建築けんちく主流しゅりゅうあゆつづけたのは、宮殿きゅうでん城郭じょうかくだんびょう陵墓りょうぼなど官営かんえい工程こうていであり、それは官僚かんりょう主導しゅどうがたのいわば統制とうせいてき建築けんちくかんによってささえられたからである。きたそう時代じだいに徽宗(きそう)の勅命ちょくめいによってしょうさくかん誡(りかい)が編纂へんさん(へんさん)した『営造えいぞう法式ほうしき』は、世界せかいでも希有けう(けう)の詳細しょうさい内容ないようをもつ大部たいぶ建築けんちく技術ぎじゅつしょであるが、そのしゅたる目的もくてきはそうした官営かんえい工事こうじ経済けいざいてき統制とうせいであった。同書どうしょでは建築けんちくを8等級とうきゅう類別るいべつし、逐一ちくいち部材ぶざい寸法すんぽう装飾そうしょく彩色さいしき紋様もんよういたるまで、かく等級とうきゅうおうじた詳細しょうさい設計せっけい基準きじゅんさだめられ、積算せきさん規準きじゅんしめされているが、このたね建築けんちくたいする等級とうきゅうかんじつ儒教じゅきょうふる伝統でんとうもとづくものにほかならない。もとより建築けんちく社会しゃかい制度せいどふかくかかわるものとはいえ、中国ちゅうごく建築けんちく歴史れきしは、とりわけこのくに複雑ふくざつ奥行おくゆきふか歴史れきし側面そくめん随所ずいしょ投影とうえいしているといえよう。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Chinese architecture | Definition, History, Characteristics, Styles, Examples, & Facts | Britannica” (英語えいご). www.britannica.com. 2021ねん12月25にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c だいはん, 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ),ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん,世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん. “中国ちゅうごく建築けんちくとは”. コトバンク. 2021ねん12月25にち閲覧えつらん
  3. ^ Liang Sicheng, year 12, A pictorial history of Chinese architecture : a study of the development of its structural system and the evolution of its types, ed. by Wilma Fairbank, Cambridge (Mass.): MIT Press.
  4. ^ だいはん, 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ),ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん,デジタル大辞泉だいじせん,世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん. “日本にっぽん建築けんちくとは”. コトバンク. 2021ねん12月25にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]