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箜篌くご

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箜篌くごから転送てんそう
箜篌くご演奏えんそうする女性じょせい16世紀せいきはじごろあきら

箜篌くご(くご)とは、古代こだいひがしアジア使つかわれたハープそうばち弦楽器げんがっき演奏えんそうよう楽器がっきほか仏教ぶっきょう建築けんちく演出えんしゅつするための仕掛しかけとして使用しようされた。弦楽器げんがっきであるためはちおとでは「いと」にぞくする。

中国ちゅうごく

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中国ちゅうごくでは由来ゆらいことなるいくつもの楽器がっきを「箜篌くご」のんだ。

文献ぶんけんじょうもっともふる記載きさい司馬しば史記しきふうぜんしょられるもので、たけみかどのときに「そらこう」(=箜篌くご)がつくられたという[1]。この箜篌くごきんのようにかせてくものであり、のちに箜篌くご(ふせくご)とばれた[2]

ついで、やはりかんだい西域せいいきからハープ楽器がっきつたわったとき、従来じゅうらいからある箜篌くごていたのでおなめいんだ。のちたて箜篌くご(たてくご)とばれた[2]こう漢書かんしょれいみかどこのんだ西域せいいき文物ぶんぶつなかに「えびすそらこう」をあげている[3]

とうだいインドビルマからつたわった楽器がっき箜篌くごばれ、燕楽えんらく天竺てんじくらく使つかわれた。先端せんたんおおとりくび装飾そうしょくいていたのでおおとりくび箜篌くご(ほうしゅくご)と[2]

あきら以降いこうすたれた[2]

朝鮮ちょうせん

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箜篌くご朝鮮ちょうせんふか関係かんけいがあり、『らく詩集ししゅう』によると、らくだいのひとつ「箜篌くご引」は朝鮮ちょうせんつくられた[4]。ほかにも箜篌くご朝鮮ちょうせんむすびつきをしめ文献ぶんけん散見さんけんされる[5]。しかし中国ちゅうごく同様どうよう朝鮮ちょうせんでも現在げんざい使つかわれていない。

韓国かんこく作曲さっきょくいんくわは、箜篌くご触発しょくはつされて「ハープと弦楽げんがくのためのゴンフー(箜篌くご)」を1984ねん作曲さっきょくしている。

日本にっぽん

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信西しんぜい古楽こがく』より[6]

平安へいあん時代じだい辞書じしょである「倭名わみょう類聚るいじゅうしょう」によれば、たて箜篌くご百済くだら経由けいゆして、箜篌くご高句麗こうくり経由けいゆして日本にっぽん伝来でんらいしたとされている。前者ぜんしゃとく百済琴くだらごと(くだらごと)ともばれた。奈良ならせいくらいん[7]には箜篌くご残欠ざんけつが2はりぶんあり、これらはたて箜篌くごとされている[8]たて箜篌くごは、どう共鳴きょうめいばこ)をたてにし、腕木うできよこわたしたLがたで、どうから腕木うできにかけてななめに23ほん絹糸けんしつるったもの。

大同だいどう4ねん809ねん)に雅楽ががくりょうかれた百済くだら楽師がくしおよ高麗こうらい楽師がくしそれぞれ4めい定員ていいんのうち1めい箜篌くご担当たんとうとされ、前者ぜんしゃたて箜篌くご後者こうしゃ箜篌くご担当たんとうしたとかんがえられている。日本にっぽんでは840年代ねんだいおこなわれたと推定すいていされているらくせい改革かいかくによって大陸たいりくけい楽器がっきとともにすたれ、とうでもどう時期じきばんとう衰退すいたいしたとされている。

20世紀せいきになり、壁画へきがなどをもと復元ふくげんこころみられ、演奏えんそう可能かのうなものがつくられるようになった。ただし現代げんだいにおいて復元ふくげん楽器がっきもちいて演奏えんそうする場合ばあいきょくについても、箜篌くご伝承でんしょうきょく現存げんそんしていないため、西洋せいよう音楽おんがくけい楽曲がっきょく編曲へんきょく現代げんだい音楽おんがくとう利用りようされている。

仏教ぶっきょう建築けんちく箜篌くご

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岡寺おかでら三重みえとう櫓下やぐらしたつるされた棒状ぼうじょうのものが箜篌くご

かん無量むりょう寿ことぶきけいには、浄土じょうどでは八方はっぽうからふうによって演奏えんそうすることおのずから楽器がっきが、仏教ぶっきょう根本こんぽん原理げんりおとそう煩悩ぼんのうこることをふせぎ、仏法僧ぶっぽうそう三宝さんぼうねんずる気持きもちがくとある。かんやく仏典ぶってんにも「おのずから楽器がっき」の霊験れいけんかんする記述きじゅつはしばしばられる。その楽器がっきはインドではヴィーナーとばれ、かんやくでは当時とうじ弦楽器げんがっき総称そうしょうだった箜篌くごてられた[9]

8世紀せいき中国ちゅうごくでは寺院じいん荘厳しょうごんにする仕掛しかけとして、ウインド・ハープ一種いっしゅかんがえられるふうそうばれる楽器がっき伽藍がらん屋根やね四隅よすみけられていた。この様式ようしき奈良なら時代じだい日本にっぽん寺院じいんにも導入どうにゅうされ、日本にっぽんではふうそう箜篌くごばれた[10]文書ぶんしょ資料しりょうには奈良なら東大寺とうだいじ京都きょうと法観寺ほうかんじ比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじなど、日本にっぽん各地かくち仏塔ぶっとう多宝塔たほうとう箜篌くごけられていたことがしるされており、2001ねん再建さいけんされた奈良ならけん岡寺おかでら三重みえとうにもそうがた箜篌くご再現さいげんされている[11]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 史記しきふうぜんしょ「於是ふさが南越なんごしいのりほこら太一たいちきさきはじめようらくまいえき召歌さくじゅうげん及空こう琴瑟きんしつ此起。」
  2. ^ a b c d 中国ちゅうごく音楽おんがくてん人民じんみん音楽おんがく出版しゅっぱんしゃ、1985ねん、209ぺーじ 
  3. ^ こう漢書かんしょぎょうこころざしれいみかどこうえびすふくえびすちょうえびすゆか胡坐こざえびすめしえびすそらこうえびすふええびすまい京都きょうと戚皆きおい為之ためゆき。」
  4. ^ らく詩集ししゅうまき26http://leiden.dachs-archive.org/archive/leiden/poetry/20031211/www.lyrist.org/zhuti/yfsj/026.htm。"ちぇひょう古今ここんちゅう』曰:『箜篌くご引』しゃ朝鮮ちょうせんそつ里子さとごだかつまうららだま所作しょさ也。"。 
  5. ^ 楊蔭りゅう中国ちゅうごく古代こだい音楽おんがく稿こうじょうさつ人民じんみん音楽おんがく出版しゅっぱんしゃ、1980ねん、129ぺーじ 
  6. ^ 正宗まさむね敦夫あつおへん日本にっぽん古典こてん全集ぜんしゅう 信西しんぜい古楽こがく日本にっぽん古典こてん全集ぜんしゅう刊行かんこうかい、1927ねん、P.5-6ぺーじ 
  7. ^ せいくらいん東大寺とうだいじ倉庫そうこであったが、現在げんざい宮内庁くないちょう管理かんりする。
  8. ^ 米田よねだ雄介ゆうすけほかへんせいくらいんへのみち 天平てんぴょう至宝しほう』(雄山閣ゆうざんかく出版しゅっぱん、1999)、p.50
  9. ^ 中安なかやす 2016, pp. 13–25.
  10. ^ 中安なかやす 2016, pp. 207–227.
  11. ^ 中安なかやす 2016, pp. 91–147.

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 蒲生がもう美津子みつこ箜篌くご」『国史こくしだい辞典じてん 4』 吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1984ねんISBN 978-4-642-00504-3
  • 三谷みたに陽子ようこ箜篌くご」『日本にっぽんだい事典じてん 2』 平凡社へいぼんしゃ、1993ねんISBN 978-4-582-13102-4
  • 中安なかやす真理まり箜篌くご研究けんきゅうひがしアジアの寺院じいん荘厳しょうごん弦楽器げんがっき思文閣出版しぶんかくしゅっぱん、2016ねんISBN 978-4-7842-1849-3 

外部がいぶリンク

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