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色川いろかわたけしだい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
色川いろかわ たけしだい
(いろかわ たけひろ)
ペンネーム おもね佐田さた 哲也てつや井上いのうえ 志摩しまおっとすずめ風子ふうこ
誕生たんじょう 1929ねん3月28にち
東京とうきょう東京とうきょう牛込うしごめげん東京とうきょう新宿しんじゅく
死没しぼつ (1989-04-10) 1989ねん4がつ10日とおか(60さいぼつ
宮城みやぎけん栗原くりはらぐん瀬峰せみねまちげん栗原くりはら宮城みやぎ県立けんりつ瀬峰せみね病院びょういん[1]
職業しょくぎょう 小説しょうせつ随筆ずいひつ
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
代表だいひょうさく麻雀まーじゃん放浪ほうろう』(1969ねん - 1972ねん
あやしい来客らいきゃく簿』(1977ねんたん編集へんしゅう
離婚りこん』(1978ねん
ひゃく』(1982ねん
狂人きょうじん日記にっき』(1988ねん
おも受賞じゅしょうれき いずみ鏡花きょうか文学ぶんがくしょう(1977ねん
直木なおき三十五さんじゅうごしょう(1978ねん
川端かわばた康成やすなり文学ぶんがくしょう(1982ねん
読売よみうり文学ぶんがくしょう(1989ねん
ウィキポータル 文学ぶんがく
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色川いろかわ たけしだい(いろかわ たけひろ、1929ねん昭和しょうわ4ねん3月28にち - 1989ねん平成へいせい元年がんねん4がつ10日とおか)は、日本にっぽん小説しょうせつエッセイストすずめ筆名ひつめいとしておもね佐田さた 哲也てつや(あさだ てつや)ほか、井上いのうえ 志摩しまおっと(いのうえ しまお)、色川いろかわ たけしだい(いろかわ ぶだい)、すずめ風子ふうこなどを名乗なのった。おもね佐田さた哲也てつや名義めいぎでは麻雀まーじゃん小説しょうせつ作家さっかとしてられる。

略歴りゃくれき

[編集へんしゅう]

東京とうきょう東京とうきょう牛込うしごめげん東京とうきょう新宿しんじゅく矢来やらいまちまれ。祖父そふ色川いろかわ圀士は島津しまつ家庭かてい尋常じんじょう高等こうとう小学校しょうがっこう校長こうちょうつとめた文部もんぶ官僚かんりょう分家ぶんけすじ衆院しゅういん議員ぎいん色川いろかわ三郎兵衛さぶろべえがいる[2]

父親ちちおや色川いろかわ武夫たけお色川いろかわさんなかおとうと色川いろかわ御蔭おかげ長男ちょうなん誠一せいいち[3]、40だいわかさで退役たいえきした海軍かいぐん大佐たいさであった。たけまさるちちが44さいのときにはじめてまれた長男ちょうなんであった。ちちなに仕事しごとをせず、つね自宅じたくにおり、家族かぞく軍人ぐんじん恩給おんきゅう生活せいかつしていた。また、ちちどもをしかるときむちをつかい、98さい長命ちょうめいたもった。この父親ちちおやとの関係かんけいは、色川いろかわ文学ぶんがくおおきなテーマのひとつとなっている。色川いろかわ小学校しょうがっこう入学にゅうがくとしおとうとまれる。

学校がっこう生活せいかつになじめず、小学生しょうがくせい時代じだいから学校がっこうをサボって浅草あさくさ興行こうぎょうがい出入でいりし、映画えいが寄席よせ喜劇きげきなどに熱中ねっちゅうする。あまりに学校がっこうをサボるのでじゅくかよわされたが、そこもサボって寄席よせかよっていた。

アメリカ映画えいがのスタッフの名前なまえおぼえて各人かくじん社歴しゃれき注視ちゅうししたり、実在じつざい相撲すもう力士りきし野球やきゅう選手せんしゅ名前なまえいたカードをつくり、サイコロをって勝敗しょうはいをつける独自どくじのゲームを考案こうあんして一人ひとりあそびに熱中ねっちゅうしたりした。相撲すもうゲームには20だいなかばまで熱中ねっちゅうし、以後いご実在じつざい競輪けいりん選手せんしゅ4000にんのカードをつくり、それを使つかったゲームにも熱中ねっちゅうしたりした。

1941ねん旧制きゅうせい東京とうきょう市立しりつだいさん中学校ちゅうがっこうげん東京とうきょう都立とりつ文京ぶんきょう高等こうとう学校がっこう)に進学しんがく1943ねんからは勤労きんろう動員どういん工場こうじょうはたらくが、ガリ版がりばん同人どうじんひそかに発行はっこうしていたことが露見ろけんし、無期むき停学ていがく処分しょぶんける。

1945ねん終戦しゅうせんむかえるが、無期むき停学ていがく処分しょぶんのままだったために進級しんきゅう転校てんこうもできず、結果けっかてき中学ちゅうがく中退ちゅうたい父親ちちおや恩給おんきゅうまったため、生活せいかつのため以後いご5ねんほどかつぎ闇屋やみや街頭がいとうり、博徒ばくとなどのしょく転々てんてんとし、アウトロー生活せいかつとうじる。

のち執筆しっぴつした『麻雀まーじゃん放浪ほうろう』の主人公しゅじんこうぼうあきら」や「女衒ぜげんいたる」さながらのバクチ修行しゅぎょうをし、サイコロ博打ばくち麻雀まーじゃんうでみがく。かせいだとき上宿かみじゅくまり、文無もんなしになったさい野宿のじゅくをした。このギャンブル没頭ぼっとう時代じだいに、のちかれ人生じんせい自身じしん哲学てつがくとなる「ツキのながれをんでそれにしたがう」「欲張よくばりすぎず、(相撲すもうでいえば)きゅうしょうろくはいねらう」などのかんがえをにつける。

やがて1950ねん昭和しょうわ25ねんごろから各種かくしゅ業界ぎょうかい転々てんてんわたあるくようになる。1953ねん昭和しょうわ28ねん)には桃園書房とうえんしょぼう入社にゅうしゃ事実じじつじょうアウトローの世界せかいより引退いんたい。『小説しょうせつ倶楽部くらぶ編集へんしゅうしゃとして藤原ふじわら審爾しんじ山田やまだかぜ太郎たろうのサロンに出入でいりをする。とくに、藤原ふじわらには「人生じんせい師匠ししょう」とまで傾倒けいとうしていた。

このころ色川いろかわは(本人ほんにんは「かおこえわるい」とってはいたが)痩身そうしん美男びなんであった。また山田やまだによると「円形えんけい恐怖症きょうふしょう」で、リンゴ、たまご、ボールなどをこわがり、のちの『あやしい来客らいきゃく簿』では「やまこわい」とかれている。

このころから、山田やまだたく藤原ふじわらたく麻雀まーじゃんもよおされると自分じぶんばんるまでにてしまい、そのたびこされていたという。なお、麻雀まーじゃん玄人くろうとであったことがばれないよう、トップにはならず「いつも、すこしだけく」という麻雀まーじゃんっていた。吉行よしゆき淳之介じゅんのすけはそのかた不審ふしんかんじ、のちおもね佐田さた哲也てつや名義めいぎで『麻雀まーじゃん放浪ほうろう』が刊行かんこうされたさい、「この作者さくしゃはおそらく色川いろかわたけしだいだ」と直感ちょっかんしたという。

藤原ふじわら主宰しゅさいする小説しょうせつ勉強べんきょうかいった当時とうじ北海道新聞ほっかいどうしんぶん記者きしゃをしていた夏堀なつぼりただしもと色川いろかわを「傑作けっさくけるおとこだ」と『中央公論ちゅうおうこうろん』の笹原ささはら金次郎きんじろう紹介しょうかいした。このころ夏堀なつぼりただしもと紹介しょうかいしん日本にっぽん文学ぶんがくかいにも入会にゅうかい[4]当時とうじ色川いろかわは「あまりほんまない文学ぶんがく青年せいねん」で、夏堀なつぼりすすめたドストエフスキーひとしには反応はんのうせず『旧約きゅうやく新約しんやく聖書せいしょ』に熱中ねっちゅうしていた。

1955ねん昭和しょうわ30ねん)に桃園書房とうえんしょぼうをクビになり、以降いこう生活せいかつのために「井上いのうえ志摩しまおっと名義めいぎでの娯楽ごらく小説しょうせつく。このころから新宿しんじゅくゴールデンがい名物めいぶつバー『まえだ』にかようようになる。

1961ねん昭和しょうわ36ねん)に、父親ちちおやのことを本名ほんみょう応募おうぼした『くろぬの』が伊藤いとうせい武田たけだ泰淳たいじゅん三島みしま由紀夫ゆきお激賞げきしょうけ、だい6かい中央公論ちゅうおうこうろん新人しんじんしょう受賞じゅしょう。なお、この受賞じゅしょうパーティが野坂のさかあきらの「文壇ぶんだんパーティ・デビュー」のかいでもあり、野坂のさか小説しょうせつ文壇ぶんだん』でその様子ようす描写びょうしゃされている。

しかし、そのはスランプにおちいり、以降いこうしばらく同人どうじんでの活動かつどうおこなう。また「生活せいかつ競輪けいりんなどのギャンブルでかせいでいる」と知人ちじんにはかたっていた。

夏堀なつぼりただしもと井出いでまごろく黒井くろい千次せんじらと同人どうじんそう発刊はっかん。また近藤こんどう信行のぶゆき平岡ひらおかあつしよりゆき古井ふるい由吉よしきちひとし同人どうじんしろねこ』にも参加さんか有馬ありま頼義よりちか主宰しゅさい若手わかて作家さっか文学ぶんがくサロン「いしかい」では高井たかい有一ゆういち高橋たかはし昌男まさお五木いつき寛之ひろゆきつくだみのるおっと萩原はぎはら葉子ようこ室生むろう朝子あさこ中山なかやまあい後藤ごとう明生あきお森内もりうち俊雄としお渡辺わたなべ淳一じゅんいち梅谷うめたにかおるいち立松たてまつ和平わへいらをる。

1966ねん昭和しょうわ41ねん)に『週刊しゅうかん大衆たいしゅう』に「すずめ風子ふうこ」の筆名ひつめいで『マージャン講座こうざ』というコラムを執筆しっぴつしたところ人気にんきはくし、この連載れんさいはタイトルを変更へんこうしながらも2年間ねんかんつづく。このころから原因げんいん不明ふめい睡眠すいみん発作ほっさ脱力だつりょく症状しょうじょう幻視げんし幻聴げんちょう幻覚げんかく後述こうじゅつ)になやまされるようになり、治療ちりょう必要ひつようになる場合ばあいそなえて、さらにべつ名前なまえ執筆しっぴつすることをめた。

1968ねん昭和しょうわ43ねん)に『週刊しゅうかん大衆たいしゅう』に「おもね佐田さた哲也てつや名義めいぎ発表はっぴょうした『天和てんわ職人しょくにん』などで「麻雀まーじゃんはいぱい作中さくちゅう記載きさいされている麻雀まーじゃん小説しょうせつ」を発明はつめいする。

1969ねん昭和しょうわ44ねん)に、やはり『週刊しゅうかん大衆たいしゅう』に連載れんさい開始かいしした自伝じでんてき小説しょうせつ麻雀まーじゃん放浪ほうろう』シリーズでわか読者どくしゃ圧倒的あっとうてき人気にんき脚光きゃっこうび、麻雀まーじゃんブームとなる。以後いご麻雀まーじゃん小説しょうせつ多数たすう執筆しっぴつし、その影響えいきょうで「麻雀まーじゃん専門せんもん」や「麻雀まーじゃん専門せんもん劇画げきが」などがまれ、そのおおくに阿佐あさ執筆しっぴつした。

1970ねん昭和しょうわ45ねん)から『週刊しゅうかんポスト』において作家さっか芸能人げいのうじん、スポーツ選手せんしゅなどが参加さんかする「麻雀まーじゃん勝抜かちぬせん」の「観戦かんせん」を執筆しっぴつはじめる(1976ねんまで)。みずからも選手せんしゅとして参加さんかし、麻雀まーじゃんとおして交友こうゆう範囲はんいおおきくひろげる。麻雀まーじゃんとおしての交友こうゆうであったので、井上いのうえ陽水ようすいなどとは非常ひじょうしたしいなかになったにもかかわらず、陽水ようすい歌声うたごえをかなりまでらなかった。また、このとしから従妹じゅうまい母親ははおや同士どうし姉妹しまい)の黒須くろす孝子たかこらしはじめる。なお、孝子こうしは「このひと病気びょうきすうねんぬだろう。そのあいだ看病かんびょうしてこの怪物かいぶつのようなひとらしてみたい」という気持きもちだったという。

また、若手わかて麻雀まーじゃん強豪きょうごう小島こじま武夫たけお古川ふるかわ凱章ら)をあつめて麻雀まーじゃんエンターテインメントグループ「麻雀まーじゃん新撰しんせんぐみ」を結成けっせいし、局長きょくちょう就任しゅうにん麻雀まーじゃんメディアにおおきな影響えいきょうおよぼす。この経緯けいいはのちに『小説しょうせつおもね佐田さた哲也てつや』にかれている。

1973ねん昭和しょうわ48ねん)には孝子こうし結婚けっこん彼女かのじょ直木賞なおきしょう受賞じゅしょうさく離婚りこん』のモデルとなる。なお、孝子こうしわかころ東宝とうほうから映画えいが女優じょゆうとしてのスカウトがくるほどの美人びじんであった。

1974ねん昭和しょうわ49ねん)、前述ぜんじゅつ症状しょうじょう難病なんびょうナルコレプシー判明はんめいし、これに生涯しょうがいなやまされることになる。このとし色川いろかわ名義めいぎで『はなし特集とくしゅうに「あやしい来客らいきゃく簿」の連載れんさい開始かいしする。

1976ねん昭和しょうわ51ねん)、胆石たんせき悪化あっか一時いちじ危篤きとくおちいった。家族かぞく葬式そうしき手配てはいまでし、『近代きんだい麻雀まーじゃん追悼ついとうごう印刷いんさつまでした。だが、医者いしゃおどろ奇跡きせきてき恢復かいふくぶりをしめす。退院たいいん、すぐそのばんから清水しみず一行いっこうはた正憲まさのりらとまる日間にちかん麻雀まーじゃんをした。

1977ねん昭和しょうわ52ねん)に『あやしい来客らいきゃく簿』が本名ほんみょう刊行かんこうされ、いずみ鏡花きょうかしょう受賞じゅしょうする。『くろぬの以来いらい色川いろかわたけしだい」としては16ねんぶりであった。

1978ねん昭和しょうわ53ねん)には『離婚りこん』でだい79かい直木賞なおきしょう受賞じゅしょうする。この作品さくひん事実じじつとフィクションがはいじった内容ないようで、孝子こうし夫人ふじんは「小説しょうせつのとおりの人物じんぶつ」とひとからおもわれ、人間にんげん不信ふしんになり自殺じさつまでかんがえたという [6]以降いこうは、本名ほんみょうおもね佐田さた哲也てつや名義めいぎ執筆しっぴつつづけ、精通せいつうしている博打ばくち映画えいが芸能げいのうジャズ幅広はばひろ交友こうゆう関係かんけいなどをもとにした著書ちょしょ多数たすう出版しゅっぱんつづけた。

1989ねん平成へいせい元年がんねん4がつ3にちまえつき引越ひっこしたばかりの[7]岩手いわてけん一関いちのせきにて心筋梗塞しんきんこうそくたお入院にゅういん適切てきせつ手当てあて結果けっか一命いちめいりとめたとおもわれたが、1週間しゅうかんの4がつ10日とおか入院にゅういんさき宮城みやぎけん栗原くりはらぐん瀬峰せみねまち宮城みやぎ県立けんりつ瀬峰せみね病院びょういん宮城みやぎ県立けんりつ循環じゅんかん呼吸こきゅうびょうセンター)にて心臓しんぞう破裂はれつ死去しきょ、60さいぼつ[1]一関いちのせきうつんでわずか10日とおかことであった。戒名かいみょうこうくもいん大徳だいとく哲章てっしょう居士こじ[8]

作家さっか活動かつどう

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色川いろかわたけしだい名義めいぎではおも純文学じゅんぶんがくを、おもね佐田さた哲也てつや名義めいぎでは『麻雀まーじゃん放浪ほうろう』をはじめとするギャンブル小説しょうせつ無頼漢ぶらいかんたちを主役しゅやくえたピカレスク小説しょうせつ)を多数たすう発表はっぴょうしているほか、井上いのうえ志摩しまおっと名義めいぎでは時代じだい小説しょうせつなどを発表はっぴょうしている。

おもね佐田さた哲也てつや」のペンネームについては、麻雀まーじゃん徹夜てつやかえし『あさだ!徹夜てつやだ!』といったことに由来ゆらいしている。「”ハスラー”って映画えいががあったでしょう。あれはギャンブルをえがいた映画えいがではなかなかよく出来できていた。それでハスラーって言葉ことば日本語にほんごにするとどうなるかなあとかんがえたら、あさ徹夜てつやって言葉ことばてきたんだよ」という発言はつげんもある。[9]

たけまさる」の本名ほんみょう父親ちちおや中国ちゅうごく小説しょうせつ金瓶かなかめうめ』の登場とうじょう人物じんぶつより名付なづけたものと、本人ほんにんっていた[10]

ギャンブル

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麻雀まーじゃん分野ぶんやにおいては、麻雀まーじゃんをカルチャーとしてひろめたという意味いみ戦後せんご最大さいだい功績こうせきしゃである。「すずめきよし」ともばれ、神格しんかくされるビッグネームである[11]

また、麻雀まーじゃん技術ぎじゅつしょにおいて麻雀まーじゃん戦術せんじゅつがあることをき、五味ごみ康祐こうすけとともに「たんなるギャンブル」とみなされていた麻雀まーじゃんを「知的ちてきなゲーム」として認識にんしきさせた。

また、小説しょうせつなか登場とうじょう人物じんぶつはいぱいれる「麻雀まーじゃん小説しょうせつ」の発明はつめいしゃである。作家さっかたちに影響えいきょうあたえ、かれらは「麻雀まーじゃん小説しょうせつ」、「麻雀まーじゃん劇画げきが」をんだ。なお、ぱい状況じょうきょうさいは、麻雀まーじゃんぱいしるしきざまれた特注とくちゅうのハンコを用意よういし、それを原稿げんこう用紙ようししていたという。

1965ねん〜75ねんに『麻雀まーじゃん放浪ほうろう』がヒットすると、1970ねんから『週刊しゅうかんポスト』有名人ゆうめいじんによる麻雀まーじゃん勝抜かちぬきせん阿佐あさ観戦かんせん担当たんとう)が開催かいさい。1972ねんにはたけ書房しょぼうから日本にっぽんはつ麻雀まーじゃん専門せんもん雑誌ざっし月刊げっかん近代きんだい麻雀まーじゃん』が誕生たんじょう出版しゅっぱんしゃからも専門せんもん次々つぎつぎ刊行かんこうされた。阿佐あさはこれらの雑誌ざっしるいにも精力せいりょくてき執筆しっぴつ参加さんかした。

1970ねんには小島こじま武夫たけお古川ふるかわ凱章らと「麻雀まーじゃん新撰しんせんぐみ」を結成けっせい[12]。テレビ番組ばんぐみ11PM』(大橋おおはし巨泉きょせん司会しかい)の麻雀まーじゃんコーナーに出演しゅつえんして麻雀まーじゃんつなど、積極せっきょくてきなメディア展開てんかいはかり「だい麻雀まーじゃんブーム」をこすことにおおきく貢献こうけんした。

なお、『麻雀まーじゃん放浪ほうろう』はあくまで小説しょうせつであるが、これが「わたしが」などという一人称いちにんしょうかれたものであったため、小説しょうせつ主人公しゅじんこうであり、また小説しょうせつ主人公しゅじんこうでしかない「ぼうあきら」と、の「おもね佐田さた哲也てつや」を同一どういつし、色川いろかわのことをうてのアウトロー・すずめおに錯覚さっかくする青少年せいしょうねん続出ぞくしゅつし(色川いろかわいわく、そういうりにかかろうと、当初とうしょよりある程度ていど計算けいさんうちであったのであるが)、内心ないしんおろおろしていたという。ただしこれは自身じしんをモデルとした小説しょうせつ、『小説しょうせつ おもね佐田さた哲也てつや』でべられたものであり、これ自体じたいもあくまで小説しょうせつである[13]

なかでも『麻雀まーじゃん放浪ほうろう』は没後ぼつごにすら、かぞえきれないほどのメディア展開てんかい小説しょうせつ実写じっしゃ漫画まんがとうのリバイバル)がされている。漫画まんがかんしては大抵たいてい先述せんじゅつたけ書房しょぼう関係かんけい漫画まんがえがくことがおおいが、週刊しゅうかん少年しょうねんマガジンにて1997ねんから2004ねんまで連載れんさいされていた麻雀まーじゃんマンガ、『哲也てつや-すずめひじりばれたおとこ』(原作げんさくさいふうめい漫画まんが星野ほしのやすし)などのれいもあり、ほんさく主人公しゅじんこうぼうあきら」のモデルにもなっている。

また、「競馬けいば競艇きょうていなどのギャンブルなかひと最後さいごにたどりつく『ギャンブルの王様おうさま』は競輪けいりんである」とうほど競輪けいりんあいしていた。これにちなみ、立川たちかわ競輪けいりんじょうでは2004ねんまで「おもね佐田さた哲也てつやはい」が開催かいさいされていた。なお、麻雀まーじゃんでも過去かこに「おもね佐田さた哲也てつやはい」が開催かいさいされていた[14]

友人ゆうじんである作家さっか山口やまぐちひとみ競馬けいば随筆ずいひつなどにもなん登場とうじょうしており、山口やまぐち雑誌ざっし連載れんさいしていた随筆ずいひつ連載れんさいではたびのゲストとして登場とうじょうしている。この山口やまぐち随筆ずいひつには、色川いろかわ持病じびょうのナルコレプシーについての描写びょうしゃられる。

ラスベガスへもなんとおった。きだったバカラ清水しみず一行いっこうからおそわったという。

そのわかころはギャンブル仲間なかま年頭ねんとうに「この1ねんだれぬか」というけもしていた。

なお、作家さっかとして高名こうみょうになったのちも「そのすじ人々ひとびと」との「手本てほん」などのギャンブルをしており、そのさいすうひゃくまん単位たんい金銭きんせん持参じさんして賭場とばにのぞんだ。

ギャンブルをつうじて将棋しょうぎ棋士きしたちとのつながりができた[15]こともあり、将棋しょうぎ観戦かんせん執筆しっぴつしている。死去しきょ直前ちょくぜんの1989ねんには「将棋しょうぎペンクラブ大賞たいしょう」の選考せんこう委員いいんを1かいのみつとめた。

色川いろかわがギャンブルからまなんだ人生じんせいかん相撲すもう勝敗しょうはいたとえ、「9しょう6はいねらえ。8しょう7はいではさびしい。10しょうねらうと無理むりがでる」とべたことがある[16]。また、「幸運こううんつづきすぎるとあぶない」というかんがえからギャンブルにだいけすると「ここで不運ふうん消化しょうかしておけば安心あんしんだ」とよくかたっていたという。作家さっか向田むかいだ邦子くにこが1981ねん飛行機ひこうき事故じこくなったさい友人ゆうじんに「あのひと幸運こううんつづきすぎたせいだ」とかたった。

墓所はかしょ霊廟れいびょう

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墓所はかしょ東京とうきょう台東たいとう谷中たになかなな丁目ちょうめ谷中たになか霊園れいえんである。

また、京都きょうと京都きょうと伏見ふしみ稲荷山いなりやま所在しょざいするだい日本にっぽんだい道教どうきょううちにおいて、「おもね佐田さた哲也てつや大神おおがみ」としてまつられている。1996ねん8がつ8にちしん日本にっぽん麻雀まーじゃん連盟れんめい南本みなみもと喜三きぞう理事りじちょう建立こんりゅうした[17]命日めいにちちかい、4がつだい1日曜にちようしん日本にっぽん麻雀まーじゃん連盟れんめいによって毎年まいとし例祭れいさいおこなわれている。

受賞じゅしょうれき

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すべ本名ほんみょう色川いろかわたけしだい名義めいぎによる受賞じゅしょう

交際こうさいがあった人物じんぶつたち

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おもね佐田さた哲也てつやあやしい交遊こうゆうろく』より

色川いろかわたけしだいおもね佐田さた哲也てつや特集とくしゅう 99にん友人ゆうじんたちによるわかれのメッセージ』(別冊べっさつはなし特集とくしゅう)の登場とうじょうしゃより

おもね佐田さた哲也てつやすずめきよし追悼ついとう特集とくしゅう近代きんだい麻雀まーじゃんオリジナル増刊ぞうかんごうより

競輪けいりん痛快つうかいまるかじり』(徳間書店とくましょてん)より

  • 3わくの2 競輪けいりんわがいのちもと座談ざだんかい 大穴おおあなりのダイゴあじは…

その

  • 小林こばやし信彦のぶひこ -ふる笑芸しょうげいや、むかし映画えいがなどについて、同好どうこうしゃでありある程度ていど交際こうさいしていた。色川いろかわは、小林こばやし代表だいひょうさくひとつである『日本にっぽん喜劇きげきじん』(新潮しんちょう文庫ぶんこばん)の解説かいせつ執筆しっぴつしている。その袋小路ふくろこうじ休日きゅうじつ』『ちはやふるおく細道ほそみち』の解説かいせつ担当たんとう
  • 高橋たかはしろう梶山かじやま季之としゆき創刊そうかんした月刊げっかんうわさ編集へんしゅうちょう)、高松たかまつ繁子しげこ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう担当たんとう編集へんしゅうしゃ彼女かのじょ小松こまつ左京さきょう担当たんとうしゃでもあった)、景山かげやま民夫たみお垂水たるみさとるろう俳優はいゆう)、秋野あきの卓美たくみ画家がか)、鈴木すずき重雄しげお望月もちづき優子ゆうこおっとで、産経新聞さんけいしんぶん文化ぶんか部長ぶちょう)、戸川とがわ昌子まさこドナルド・ベイリー(ジャズ・ドラマー)、つかこうへい鈴木すずきかつらかい浅草あさくさふる芸人げいにん)、内田うちだ裕也ゆうや
  • 村松むらまつとも - 雑誌ざっしうみ編集へんしゅうしゃ時代じだい、『生家せいかへ』の担当たんとうしゃだった。また、色川いろかわ武田たけだ百合子ゆりこ紹介しょうかいした。
  • 武田たけだ百合子ゆりこ - 『いぬほした-ロシア旅行りょこう』の解説かいせつき、彼女かのじょ文章ぶんしょう絶賛ぜっさん村松むらまつ二人ふたりで「武田たけだ百合子ゆりこ小説しょうせつかせるかい」を結成けっせいした。
  • 赤塚あかつか不二夫ふじお -色川いろかわの『あやしい来客らいきゃく簿』がだい77かい直木賞なおきしょう候補こうほとしてノミネートされるが、選考せんこうかい当日とうじつ新喜楽しんきらくそばの飲食いんしょくてんで、吉報きっぽう色川いろかわ担当たんとう編集へんしゅうしゃと、赤塚あかつか偶然ぐうぜんがおわせている。だい77かい直木賞なおきしょう受賞じゅしょうさくがなく、色川いろかわしょうがしてしまうが、くやなみだながし、やけざけをあおり、れる担当たんとうしゃ様子ようすをみて、信頼しんらい関係かんけいのある作家さっか編集へんしゅうしゃ姿すがただとかんじた赤塚あかつかは、後日ごじつ色川いろかわったさい選考せんこうかい当日とうじつ担当たんとうしゃ様子ようすつたえたところ、色川いろかわなみだなが感動かんどうしていたという。翌年よくねんだい79かい直木賞なおきしょうで、『離婚りこん』が直木賞なおきしょう受賞じゅしょうし、色川いろかわ雪辱せつじょくたすこととなる。

エピソード

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  • げき作家さっか飯沢いいざわただしはは土浦つちうら色川いろかわひとで、飯沢いいざわ色川いろかわは「高祖父こうそふ同士どうし兄弟きょうだい」の関係かんけいになる。飯沢いいざわ高祖父こうそふ色川いろかわさんなか祖父そふだい夫婦ふうふ養子ようし)、色川いろかわ高祖父こうそふさんちゅうおとうと色川いろかわ御蔭おかげ土浦つちうら色川いろかわ代々だいだい醤油じょうゆいとな富商ふしょうで、兄弟きょうだいともに好学こうがく人物じんぶつ御蔭おかげ長男ちょうなん色川いろかわ誠一せいいち富士ふじ製紙せいし常務じょうむ誠一せいいち色川いろかわ武夫たけお陸軍りくぐん大佐たいさ武夫たけおたけまさる
  • ナルコレプシーをわずらってからは睡眠すいみん周期しゅうきみだれて1にちない時間じかん感覚かんかくくずれたため、きていてはらればとにかく食事しょくじをするようになり、1にち6しょくるようになった。そのため、後年こうねん肥満ひまんたいとなり、58さい時点じてん身長しんちょう170cm、体重たいじゅう80kgという体格たいかくであった[18]。また、ナルコレプシーのためなにをするにも疲労ひろうしやすくなり、さら過食かしょくおちいったという[18]さらに、やまいによる幻覚げんかく幻聴げんちょうにもなやまされるようになり、晩年ばんねんの『狂人きょうじん日記にっき』はこの経験けいけんもとにしている。
  • ナルコレプシーのせいで、定刻ていこく目的もくてき到着とうちゃくすることやわせをすることがきわめて困難こんなんとなり、自分じぶん文学ぶんがくしょうったさい授賞じゅしょうしきにもかなら遅刻ちこくしていた。
  • めったに風呂ふろにはいらず、また風呂ふろにはいってもつかるだけであり、結婚けっこん夫人ふじんからだあらっていた。
  • 作家さっかとなったのち非常ひじょうひとづきあいがよくなり、そのため、文壇ぶんだん芸能げいのうかい、スポーツかい麻雀まーじゃんプロたち、アウトローの世界せかいふくめて多数たすう人物じんぶつ交際こうさいしており、色川いろかわにはひと出入でいりがえなかった。山口やまぐちひとみ色川いろかわ死後しごかれには八方美人はっぽうびじん性格せいかくがあり、だれにも『自分じぶん一番いちばんあいされている』とかんじさせた」といている。
  • チワワっていたことがあり、自分じぶん筆名ひつめいからとった「アサダ」という名前なまえをつけていた。そのいぬんだ直後ちょくごに、くろてつヒロシ色川いろかわたく電話でんわすると、孝子こうし夫人ふじんが「アサダがんじゃったのよ!」とったためくろてつ仰天ぎょうてんしたという。
  • 一関いちのせきへの引越ひっこしは、同地どうち有名ゆうめいなジャズ喫茶きっさベイシー」があったのがきっかけである(2020ねんより休業きゅうぎょうちゅう)。還暦かんれき作品さくひん専念せんねんするというかんがえがあり、また純文学じゅんぶんがくではかせげないため家賃やちんやすところみたいという理由りゆうもあった。
  • 小松原こまつばら茂雄しげおもと東京大学とうきょうだいがく教授きょうじゅ(ディケンズ研究けんきゅうしゃ)とは小学校しょうがっこうからの親友しんゆうである。

著作ちょさく

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色川いろかわたけしだい名義めいぎ

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  • あやしい来客らいきゃく簿』(はなし特集とくしゅう 1977ねん7がつ)のち角川かどかわ文庫ぶんこ文春ぶんしゅん文庫ぶんこ
  • 離婚りこん』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1978ねん11月)のち文庫ぶんこ
  • 『ぼうふら漂遊』(新潮社しんちょうしゃ 1979ねん3がつ)のち文庫ぶんこ
  • 生家せいかへ』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1979ねん7がつ)のち文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  • 小説しょうせつおもね佐田さた哲也てつや』(角川書店かどかわしょてん 1979ねん11月)のち文庫ぶんこ
  • 無職むしょく無宿むしゅくむしいき』(講談社こうだんしゃ 1980ねん7がつ)のち文庫ぶんこ
  • はなのさかりは地下道ちかどうで』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1981ねん6がつ)のち文庫ぶんこ
  • ひゃく』(新潮社しんちょうしゃ 1982ねん10がつ)のち文庫ぶんこ
  • おそれこん』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1984ねん3がつ)のち文庫ぶんこ
  • 『うらおもてじん生録なまろく』(毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1984ねん11月)のち新潮しんちょう文庫ぶんこ
  • いたい放題ほうだい』(潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1984ねん11月)のち集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ
  • 遠景えんけいすずめ復活ふっかつ』(福武書店ふくたけしょてん 1986ねん2がつ)『むしくえせん文庫ぶんこ原題げんだい講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  • 寄席よせ放浪ほうろう』(広済堂こうさいどう出版しゅっぱん 1986ねん10がつ)のち河出かわで文庫ぶんこ
  • 『あちゃらかぱいッ』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1987ねん11月)のち文庫ぶんこ河出かわで文庫ぶんこ
  • まちまぐれヘソまがり』(徳間書店とくましょてん 1987ねん11月)ISBN 4-19-123557-5
  • うたえば天国てんごくジャズソング いのちから番目ばんめ大事だいじうた』(ミュージック・マガジン 1987ねん5がつ)のちちくま文庫ぶんこ
  • 狂人きょうじん日記にっき』(福武書店ふくたけしょてん 1988ねん10がつ)のち文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ
  • 長部おさべ日出雄ひでお村松むらまつとも和田わだまこと共著きょうちょ戦後せんごグラフィティ』(はなし特集とくしゅう 1989ねん8がつ
  • 色川いろかわたけしだい家庭かてい映画えいがかん 映画えいがビデオ・ガイドブック』(双葉社ふたばしゃ 1989ねん7がつ
  • 引越ひっこし貧乏びんぼう』(新潮社しんちょうしゃ 1989ねん7がつ)のち文庫ぶんこ
  • むしけら太平たいへい』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1989ねん7がつ)のち文庫ぶんこ
  • 『なつかしい芸人げいにんたち』(新潮社しんちょうしゃ 1989ねん9がつ)のち文庫ぶんこ
  • 明日あしたく』(実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ 1989ねん11月)のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • 『ばれてもともと』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1989ねん12がつISBN 4-16-343900-5
  • わたし旧約きゅうやく聖書せいしょ』(中公ちゅうこう文庫ぶんこ 1991ねん9がつ
  • 色川いろかわたけしだい おもね佐田さた哲也てつや全集ぜんしゅう』(ぜん16かん福武書店ふくたけしょてん 1991ねん~1993ねん
  • 色川いろかわたけし大著たいちょおもね佐田さた哲也てつやちょ大庭おおばかやろうへん色川いろかわたけしだいおもね佐田さた哲也てつやエッセイズ1 放浪ほうろう』(筑摩書房ちくましょぼう,ちくま文庫ぶんこ,2003ねんISBN 9784480038562
  • 色川いろかわたけし大著たいちょおもね佐田さた哲也てつやちょ大庭おおばかやろうへん色川いろかわたけしだいおもね佐田さた哲也てつやエッセイズ2 芸能げいのう』(筑摩書房ちくましょぼう,ちくま文庫ぶんこ,2003ねんISBN 9784480038579
  • 色川いろかわたけし大著たいちょおもね佐田さた哲也てつやちょ大庭おおばかやろうへん色川いろかわたけしだいおもね佐田さた哲也てつやエッセイズ3 交遊こうゆう』(筑摩書房ちくましょぼう,ちくま文庫ぶんこ,2003ねんISBN 9784480038586
  • 『いずれも』(中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ 2004ねん3がつ)のち文庫ぶんこ
  • 映画えいが放浪ほうろう 大人おとな映画えいがかん』(キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ 2006ねんISBN 9784873762678色川いろかわたけしだい家庭かてい映画えいがかん」の改題かいだい
  • 色川いろかわたけしだい (ちくま日本にっぽん文学ぶんがく 30)』(ちくま文庫ぶんこ 2008ねん
  • 色川いろかわたけしだい (昭和しょうわ短篇たんぺんいちにんいちさつ集成しゅうせい)』(結城ゆうき信孝のぶたかへん未知みちだに、2008ねん
  • ちいさな部屋へや明日あしたく』 (講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ 2011ねん
  • 戦争せんそうそだちの埓病』(まぼろしおどけ書房しょぼう銀河ぎんが叢書そうしょ 2017ねん

おもね佐田さた哲也てつや名義めいぎ

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  • 麻雀まーじゃん推理すいり:サラリーマン麻雀まーじゃん実戦じっせんくん』(双葉社ふたばしゃ,1969ねん
  • ぱい魔術まじゅつすずめごう列伝れつでん』(報知新聞社ほうちしんぶんしゃ,1969ねんISBN 4-04-145968-0
  • 麻雀まーじゃん放浪ほうろう青春せいしゅんへん』(双葉社ふたばしゃ,1969ねんISBN 978-4-16-732304-2
  • 麻雀まーじゃん放浪ほうろう風雲ふううんへん』(双葉社ふたばしゃ,1970ねんISBN 978-4-16-732305-9
  • 天和てんわ無宿むしゅくすずめごう列伝れつでん』(報知新聞社ほうちしんぶんしゃ,1970ねん
  • すずめおにじゅうばん勝負しょうぶ』 (双葉社ふたばしゃ,1971ねんISBN 4-04-145967-2
  • おもね佐田さた哲也てつやのマージャン秘密ひみつ教室きょうしつりたがっているひとだけに』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ,1971ねんISBN 4-413-08259-1
  • 麻雀まーじゃん放浪ほうろう激闘げきとうへん』(双葉社ふたばしゃ,1971ねんISBN 978-4-16-732306-6
  • 絵本えほん・マージャンABC:女性じょせい初心者しょしんしゃのための麻雀まーじゃん入門にゅうもん』(実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ,1971ねん
  • 麻雀まーじゃん放浪ほうろう番外ばんがいへん』(双葉社ふたばしゃ,1972ねんISBN 978-4-16-732307-3
  • おもね佐田さた哲也てつやのAクラス麻雀まーじゃん』(双葉社ふたばしゃ,1972ねんISBN 4-575-71012-1
  • おもね佐田さた哲也てつや古川ふるかわ凱章ちょ麻雀まーじゃん中級ちゅうきゅう入門にゅうもん』(山海さんかいどう,1972ねんISBN 978-4381070159
  • 厩舎きゅうしゃ情報じょうほう馬券ばけんいの観念かんねんえるほん』(日本文芸社にほんぶんげいしゃ,1972ねん
  • ぱい魔術まじゅつ』(双葉社ふたばしゃ,1973ねんISBN 4041459680
  • 『ギャンブルとうおおかみ』(双葉社ふたばしゃ,1973ねんISBN 4041459559
  • 『ああ!!勝負しょうぶ』(日本文芸社にほんぶんげいしゃ,1973ねんISBN 4041459575
  • すずめおにくずれ』(双葉社ふたばしゃ,1974ねんISBN 4041459702
  • 各界かくかい著名ちょめいじん50めいちょ 『おれのマージャン:このかたすうねんてる』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ,1974ねん
  • 小説しょうせつ麻雀まーじゃん新選しんせんぐみ』(双葉社ふたばしゃ,1974ねんISBN 4-575-50006-2
  • 清水港しみずこうのギャンブラー』(双葉社ふたばしゃ,1975ねんISBN 4-04-145969-9
  • 麻雀まーじゃんきょう時代じだい』(双葉社ふたばしゃ,1978ねんISBN 4041459605
  • ひがしいちきょくじゅう本場ほんば』(双葉社ふたばしゃ,1978ねんISBN 4041459613
  • 『ギャンブル人生じんせいろん:らくではないよアウトロー』(けいせい出版しゅっぱん,1980ねんISBN 4-04-145962-1
  • しん麻雀まーじゃん放浪ほうろうさるねんまれのフレンズ』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう,1981ねんISBN 4-16-732301-X
  • 『ぎゃんぶるひゃくはな』(角川書店かどかわしょてん,1981ねんISBN 4-04-145963-X
  • 『ばいにんぶるーす:長編ちょうへん勝負しょうぶロマン』(講談社こうだんしゃ,1982ねんISBN 978-4-09-408235-7
  • 無芸大食むげいたいしょくだい睡眠すいみん』(双葉社ふたばしゃ,1983ねんISBN 4-08-749311-3
  • 『これがオレの麻雀まーじゃん』(双葉社ふたばしゃ,1983ねんISBN 4-413-01125-2
  • ドサけんばくち地獄じごく』(角川書店かどかわしょてん,1984ねんISBN 978-4041459645 ISBN 978-4041459652
  • 『ばくちちの子守こもりうた長編ちょうへんギャンブル小説しょうせつ』(双葉社ふたばしゃ,1986ねんISBN 4-575-50103-4
  • おもね佐田さた哲也てつやのAクラス麻雀まーじゃん』(双葉社ふたばしゃ,1984ねんISBN 4-575-71012-1
  • 黄金おうごんうで』(角川書店かどかわしょてん,1984ねんISBN 4-04-777401-4
  • おもね佐田さた哲也てつや編著へんちょ競馬けいば狂想曲きょうそうきょく:ターフによせたラブレター』(広済堂こうさいどう出版しゅっぱん,1985ねんISBN 433165043X
  • 先天せんてんせい極楽ごくらくでん痛快つうかいユーモアピカレスク長編ちょうへん』(講談社こうだんしゃ,1985ねんISBN 978-4-09-408281-4
  • おもね佐田さた哲也てつや編著へんちょ競輪けいりん痛快つうかいまるかじり:ギャンブルの帝王ていおうはジツに競輪けいりんだった!』(徳間書店とくましょてん,1986ねんISBN 4-19-173280-3
  • 次郎じろうちょう放浪ほうろう』(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ,1986ねんISBN 4-04-145969-9清水港しみずこうのギャンブラー」の改題かいだい
  • 『ヤバヤバまちすずめおにでんしん麻雀まーじゃん小説しょうせつ』(講談社こうだんしゃ,1986ねんISBN 978-4-09-408250-0
  • 『ヤバヤバまちすずめおにでんしん麻雀まーじゃん小説しょうせつ2』(講談社こうだんしゃ,1987ねんISBN 978-4-09-408265-4
  • おもね佐田さた哲也てつやあやしい交遊こうゆうろく:My marvellous buddies』(実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ,1988ねんISBN 4-08-749748-8
  • おもね佐田さた哲也てつや競輪けいりん教科書きょうかしょ』(徳間書店とくましょてん,1989ねんISBN 978-4195537442
  • 『Aクラス麻雀まーじゃん』(双葉社ふたばしゃ,1989ねんISBN 4-575-71012-1
    • 上述じょうじゅつ「マージャン講座こうざ」をまとめた「麻雀まーじゃん推理すいり」1969ねん、「おもね佐田さた哲也てつやのAクラス麻雀まーじゃん」1984ねん改題かいだい
  • 外伝がいでん麻雀まーじゃん放浪ほうろう』(双葉社ふたばしゃ,1989ねんISBN 4-575-50336-3
  • おもね佐田さた哲也てつや編著へんちょ競馬けいば狂想曲きょうそうきょく』(広済堂こうさいどう出版しゅっぱん,1989ねんISBN 4-331-65043-X
  • 色川いろかわたけしだい おもね佐田さた哲也てつや全集ぜんしゅう1~16』(福武書店ふくたけしょてん,1991ねん~1993ねん
  • おもね佐田さた哲也てつや麻雀まーじゃん秘伝ひでんちょううらりつくすしょ つよすぎる!ヤバすぎる!?らず!』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ,1995ねんISBN 4-413-08259-1おもね佐田さた哲也てつやのマージャン秘密ひみつ教室きょうしつ」の改題かいだい
  • 『ギャンブル放浪ほうろう』(角川かどかわ春樹はるき事務所じむしょ,2002ねんISBN 4-89456-115-8
  • おもね佐田さた哲也てつや 麻雀まーじゃん小説しょうせつ自選じせんしゅう』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう,2002ねんISBN 4-16-732303-6
  • おもね佐田さた哲也てつや麻雀まーじゃん秘伝ひでんちょううらりつくすしょ』(青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ,2004ねんISBN 4-413-03448-1おもね佐田さた哲也てつやのマージャン秘密ひみつ教室きょうしつ」の改題かいだい
  • おもね佐田さた哲也てつやちょ結城ゆうき信孝のぶたかへん天和てんわをつくれ』(小学館しょうがくかん,2007ねんISBN 978-4-09-408214-2
  • 『ヤバヤバまちすずめおにでんさん〇〇ふん一本いっぽん勝負しょうぶ』(小学館しょうがくかん,2008ねんISBN 978-4-09-408250-0 1986ねん改題かいだい
  • 『ヤバヤバまちすずめおにでんゴールドラッシュ』(小学館しょうがくかん,2008ねんISBN 9784094082654 1987ねん改題かいだい
  • おもね佐田さた哲也てつやちょ結城ゆうき信孝のぶたかへんすずめ流転るてん』(小学館しょうがくかん,2008ねんISBN 978-4-09-408301-9
  • おもね佐田さた哲也てつやちょ結城ゆうき信孝のぶたかへん 『これがオレの麻雀まーじゃん麻雀まーじゃん名人めいじんせん戦記せんき』(小学館しょうがくかん,2008ねんISBN 9784094083187

井上いのうえ志摩しまおっと名義めいぎ(『井上いのうえ志摩しまおっと傑作けっさく時代じだい小説しょうせつしゅうぜん5かん

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映画えいが作品さくひん

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漫画まんが作品さくひん

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関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 史上しじょうはつだい調査ちょうさ 著名ちょめいじん100にん最後さいごたよった病院びょういん あなたの病院びょういんえらびは間違まちがっていませんか”. 現代げんだいビジネス (2011ねん8がつ17にち). 2019ねん12月22にち閲覧えつらん
  2. ^ 飯沢いいざわただし権力けんりょくわらいのはざで』52ぺーじ
  3. ^ おくしたがえ五位色川三中翁略伝』湯本ゆもと武比古たけひこ、1920、p15-16
  4. ^ ただし、後年こうねん夏堀なつぼり作家さっかに「このひとも『しん日本にっぽん文学ぶんがく』の会員かいいんですよ」と紹介しょうかいすると「いや、ちがう」と色川いろかわ否定ひていしたという。しん日本にっぽん文学ぶんがくかいのイデオロギーしゅうきらっていたとおもわれる。
  5. ^ a b c 「『離婚りこん』と直木賞なおきしょう」 『ばれてもともと』(ページ番号ばんごうしょう)または『色川いろかわたけしだいおもね佐田さた哲也てつやエッセイズ 1』pp.350- 収録しゅうろく
  6. ^ 色川いろかわによれば、本人ほんにん実物じつぶつより魅力みりょくてき女性じょせいいたつもりであったのであるが、雑誌ざっし掲載けいさい夫人ふじんは、これでは登場とうじょう人物じんぶつわたしことだとおもわれてしまう、わたしのことをあんなにひどくいて、などと色川いろかわ抗議こうぎ[5]一時いちじ別居べっきょ離婚りこん寸前すんぜん状態じょうたいおちいった[5]直木賞なおきしょう受賞じゅしょうは、さらに夫人ふじん不満ふまんつのったという[5]
  7. ^ 色川いろかわ過去かこ20ねんあいだで10かい引越ひっこしをおこなっていた。
  8. ^ 岩井いわいひろし作家さっか臨終りんじゅう墓碑ぼひ事典じてん』(東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1997ねん)42ぺーじ
  9. ^ 阿佐あささんと色川いろかわさんと』 和田わだ まこと
  10. ^ 『ぎゃんぶるひゃくはな参照さんしょう
  11. ^ すずめおにじゅうばん勝負しょうぶ」などの作品さくひんられるように元々もともとは「すずめおに」とばれていたが、のちにナンバーワンだいちとして活躍かつやくする桜井さくらい章一しょういちを「すずめおに」とぶことが一般いっぱんてきになったため、区別くべつするために「すずめきよし」とばれるようになった。[よう出典しゅってん]
  12. ^ 麻雀まーじゃん新撰しんせんぐみ in the 70s'」『近代きんだい麻雀まーじゃんだい30かんだい7ごうたけ書房しょぼう、2008ねん3がつ、11から14ページ。 
  13. ^ 小説しょうせつ おもね佐田さた哲也てつや』 pp.40-44
  14. ^ 当時とうじしん日本にっぽん麻雀まーじゃん連盟れんめい(2014ねん日本にっぽんスポーツ麻雀まーじゃん協会きょうかい名称めいしょう変更へんこう)による開催かいさい。その名称めいしょう変更へんこうし「麻雀まーじゃん王座おうざ決定けっていせん」となり、2012ねんからは「統一とういつチャンピオン決定けってい大会たいかい」となっている。
  15. ^ おもね佐田さた哲也てつやあやしい交友こうゆうろく」などのエッセイには、将棋しょうぎかい屈指くっし競輪けいりんきょうとしてられた芹沢せりざわ博文ひろぶみをはじめとする将棋しょうぎ棋士きし度々どど登場とうじょうする。
  16. ^ きゅうしょうろくはいねらえ-のあきら」、『うらおもてじん生録なまろく収録しゅうろく(ページ番号ばんごうしょう)。『色川いろかわたけしだいおもね佐田さた哲也てつやエッセイズ1』 pp.48- にさいろく
  17. ^ 麻雀まーじゃん小説しょうせつかみまつられる」神社じんじゃ意外いがい実態じったい”. 東洋とうよう経済けいざいオンライン (2021ねん1がつ25にち). 2022ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  18. ^ a b c 節制せっせいしても50100」 『ばれてもともと』(1989ねん、ページ番号ばんごうしょう) または『色川いろかわたけしだいおもね佐田さた哲也てつやエッセイズ 1』pp.72- 収録しゅうろく

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 和田わだまことおもね佐田さた哲也てつやほかぶん『3にんがいっぱい:2』(新潮社しんちょうしゃ,1981ねんISBN 4101245029
  • おもね佐田さた哲也てつや原作げんさく和田わだまこと沢井さわい信一郎しんいちろう脚本きゃくほん 『シナリオ麻雀まーじゃん放浪ほうろう』(角川書店かどかわしょてん,1984ねんISBN 4-04-145999-0
  • 古川ふるかわ凱章へんおもね佐田さた哲也てつやすずめきよし追悼ついとう特集とくしゅう近代きんだい麻雀まーじゃんオリジナル増刊ぞうかんごうたけ書房しょぼう,1989ねん5がつ
  • 大滝おおたきゆずる中村なかむらとうよう・和田わだまこと矢崎やさき泰久やすひさ色川いろかわたけしだいおもね佐田さた哲也てつや特集とくしゅう 99にん友人ゆうじんたちによるわかれのメッセージ』(別冊べっさつはなし特集とくしゅう,1989ねん7がつ
  • 色川いろかわ孝子たかこちょ宿六やどろく色川いろかわたけしだい』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう,1990ねんISBN 9784163442006
  • さいふうめいちょ 『ここ一番いちばんつよくなる:おもね佐田さた哲也てつや勝負しょうぶ語録ごろく』(サンマーク出版しゅっぱん,1992ねんISBN 9784763190284
  • 菊谷きくやただしゆう阿木あぎ翁助おうすけ中本なかもとひろし大河原おおかわらすぐるあずかしるほか 『さけのかたみに:さけつづ作家さっか半生はんせい』(たる出版しゅっぱん,1996ねんISBN 4-924713-43-0
  • 特集とくしゅう 色川いろかわたけしだいおもね佐田さた哲也てつや』(文學ぶんがくかい,1997ねん5がつごう
  • 春日かすがはらひろしちょおもね佐田さた哲也てつや 色川いろかわたけしだい 人生じんせい修羅場しゅらばノオト』(ベストセラーズ,1999ねんISBN 9784584183892
  • 山田やまだかぜ太郎たろうあやぎぬそう歴史れきしロマン作家さっか 追悼ついとう特集とくしゅう』KAWADEゆめムック(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ,2001ねんISBN 4-309-97618-2
  • そう特集とくしゅう 色川いろかわたけしだいVSおもね佐田さた哲也てつや』KAWADEゆめムック(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ,2003ねん
  • 庄司しょうじはじめちょ田中たなかしょうじつあきら色川いろかわたけしだい庄司しょうじはじめコレクション10』(沖積舎ちゅうせきしゃ,2003ねんISBN 4-8060-6600-1
  • 小沢おざわ昭一しょういちちょ小沢おざわ昭一しょういち座談ざだん4:こんばんわ小沢おざわです』(晶文社しょうぶんしゃ,2007ねんISBN 978-4-7949-2484-1
  • 中村なかむらりゅうせいちょ撮影さつえいすずめおおかみたちの肖像しょうぞう麻雀まーじゃん新撰しんせんぐみとその時代じだい』(たけ書房しょぼう,2008ねんISBN 978-4-8124-3526-7
  • 北上きたかみ次郎じろうちょおもね佐田さた哲也てつやはこうめ!』(田畑たはた書店しょてん,2021ねんISBN 978-4-8038-0382-2
  • 田畑たばた書店しょてん編集へんしゅうへん色川いろかわたけしだいというかた』(田畑たはた書店しょてん,2021ねんISBN 978-4-8038-0381-5

外部がいぶリンク

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