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川口かわぐち松太郎まつたろう

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川口かわぐち 松太郎まつたろう
1954ねん
誕生たんじょう 松田まつだ 松一しょういち
1899ねん10月1にち
東京とうきょう浅草あさくさ浅草あさくさ今戸いまどまち
死没しぼつ (1985-06-09) 1985ねん6月9にち(85さいぼつ
墓地ぼち 雑司ヶ谷ぞうしがや霊園れいえん
言語げんご 日本語にほんご
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
最終さいしゅう学歴がくれき 石浜いしはま小学校しょうがっこうそつ
ジャンル 小説しょうせつ戯曲ぎきょく
代表だいひょうさくづるはち鶴次郎つるじろう』(1936ねん,のち劇化げきか
明治めいじいちだいおんな』(1936ねん,のち劇化げきか
愛染あいぞめかつら』(1942ねん
新吾しんごじゅうばん勝負しょうぶ』(1957-59ねん
『しぐれ茶屋ちゃやおりく』(1969ねん
おも受賞じゅしょうれき だい1かい直木なおき三十五さんじゅうごしょう(1935ねん
毎日まいにち演劇えんげきしょう(1959ねん
菊池きくちひろししょう(1963ねん
吉川よしかわ英治えいじ文学ぶんがくしょう(1969ねん
文化ぶんか功労こうろうしゃ(1973ねん
ウィキポータル 文学ぶんがく
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川口かわぐち 松太郎まつたろう(かわぐち まつたろう、1899ねん明治めいじ32ねん10月1にち - 1985ねん昭和しょうわ60ねん6月9にち)は、日本にっぽん小説しょうせつげき作家さっか本名ほんみょう松田まつだ松一しょういちとする資料しりょうもある[1]東京とうきょう浅草あさくさまれ。芸道げいどうぶつ明治めいじぶつ時代物じだいもの現代げんだい風俗ふうぞくぶつひろ執筆しっぴつたくみな筋立すじだてと独自どくじ話術わじゅつ庶民しょみん情緒じょうちょえがいた大衆たいしゅう小説しょうせつおおくの読者どくしゃ獲得かくとくした。また、松田まつだ昌一しょういち映画えいが演劇えんげき脚本きゃくほんがけ、大映だいえい専務せんむなどをつとめた。とくに、新生しんせい新派しんぱ主事しゅじとして自作じさく小説しょうせつ脚色きゃくしょく演出えんしゅつ担当たんとう昭和しょうわ新派しんぱかせない人気にんき作家さっかとなり、作品さくひんおおくは新派しんぱ代表だいひょうてき演目えんもくとなった。だい1かい直木賞なおきしょう受賞じゅしょうしゃで、映画えいがされだい流行りゅうこうした『愛染あいぞめかつら』の作者さくしゃとしてもられる。芸術げいじゅついん会員かいいん文化ぶんか功労こうろうしゃ

後妻ごさい女優じょゆうさんえき愛子あいこさんえきとの俳優はいゆう川口かわぐちひろし長男ちょうなん)、川口かわぐちひさし次男じなん)、川口かわぐちあつし三男さんなん[2]もと女優じょゆう陶芸とうげい川口かわぐちあきら国重くにしげあきら)(長女ちょうじょ)。

生涯しょうがい作品さくひん

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東京とうきょう浅草あさくさ浅草あさくさ今戸いまどまち現在げんざい東京とうきょう台東たいとう今戸いまど)の今戸いまど八幡やはた境内けいだいむ、島岡しまおか春吉はるきちあねよね私生児しせいじ川口かわぐち竹次郎たけじろう庶子しょし認知にんち入籍にゅうせきとされると戸籍こせきにはあり、両親りょうしんだれかはられていない[3]島岡しまおかよねがどういう人物じんぶつかはからず、養父ようふ川口かわぐち竹次郎たけじろうだい酒飲さけのみの左官さかんしょくであった[3]。かつて今戸いまどたま左衛門さえもん支配しはい浅草あさくさ新町しんまち存在そんざいしたことから差別さべつ部落ぶらく出身しゅっしんというせつがある。また華族かぞく落胤らくいんとのせつもあり[3]あかぼうころ養育よういくおくられたとき奉書ほうしょがあったのを本人ほんにんおぼえているが関東大震災かんとうだいしんさいけてしまった[4]

今戸いまど小学校しょうがっこうかよい、4年生ねんせい中退ちゅうたいして洋品ようひん丁稚でっちとしてはたらくが、義務ぎむ教育きょういくが2ねん延長えんちょうされたので山谷さんやほり小学校しょうがっこうはいる。山谷さんやほり小学校しょうがっこう同級生どうきゅうせい溝口みぞぐち健二けんじ前田まえだ重信しげのぶきつねいずみ)がいた[5]優等生ゆうとうせい卒業そつぎょうしたが、うえ学校がっこうにはすすめず、山谷さんやまち質屋しちや浅草あさくさ伝法でんぼういんわき古本ふるほん露天商ろてんしょう象潟きさかた警察けいさつしょ給仕きゅうじなどの仕事しごとをし、逓信ていしんしょう電信でんしん技師ぎし試験しけんけて埼玉さいたま栃木とちぎ電信でんしんきょくにもつとめた[4]栃木とちぎけん芳賀はがぐんにあった祖母井うばがい郵便ゆうびんきょくには1915ねん大正たいしょう4ねん)から1年間ねんかんつとめた。このころから小説しょうせつはじめ、今戸いまどして生田いくた蝶介ちょうすけ世話せわで、17さいときに『講談こうだん雑誌ざっし』に「流罪るざいじんふじすけ」を掲載けいさいされ文壇ぶんだんデビューをたす[5]。この生田いくた勉強べんきょうかいでは前田まえだとともに岩田いわた専太郎せんたろうともしたしくなり、博文ひろぶみかんけい雑誌ざっししん講談こうだん探偵たんてい実話じつわ、コマ小説しょうせつなどに岩田いわた挿絵さしええてんで、原稿げんこうりょうかせいだ。

人気にんき作家さっかとなる

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19さいとき養父ようふくなり、養母ようぼ実家じっかかえり、天涯孤独てんがいこどくとなる。こうじまち平河ひらかわ天神てんじん境内けいだい借間しゃくまみ、その文藝ぶんげい倶楽部くらぶ編集へんしゅうちょうもり暁紅ぎょうこう紹介しょうかいで、深川ふかがわ講談こうだん速記そっき講談こうだんれっだった悟道ごどうのきえんだまいえんでその口述こうじゅつ筆記ひっき手伝てつだい、漢詩かんし江戸えど文学ぶんがく素養そようんだ[5]。またえんだま紹介しょうかい久保田くぼた万太郎まんたろう師事しじし、また久保田くぼた紹介しょうかい小山内おさないかおる脚本きゃくほん研究けんきゅうかい参加さんかやまと新聞しんぶん記者きしゃなどをつとめる。1922ねん大正たいしょう11ねん)に坪内つぼうち逍遥しょうようらが選者せんじゃとなって帝国ていこく劇場げきじょう創立そうりつ10周年しゅうねん記念きねん戯曲ぎきょく募集ぼしゅうがあり、松太郎まつたろう応募おうぼした「出獄しゅつごく」が、永井ながい龍男たつおらとともに入選にゅうせんした[4]

映画えいが愛染あいぞめかつら』(1938ねん)の上原うえはらけん田中たなか絹代きぬよ

1923ねん大正たいしょう12ねん)の関東大震災かんとうだいしんさいのち小山内おさないすすめで大阪おおさかプラトンしゃ岩田いわたとともにつとめ、直木なおき三十五さんじゅうごともはたらき、『苦楽くらく』の編集へんしゅうたる。1926ねん大正たいしょう15ねん)に帰京ききょうし、小説しょうせつ随筆ずいひつ戯曲ぎきょくなどを執筆しっぴつ[5]1930ねんころからは『講談こうだん倶楽部くらぶ』で、現代げんだいぶつ小説しょうせつ映画えいが読物よみものなどを執筆しっぴつし、1931ねん昭和しょうわ6ねん)から翌年よくねんにかけて連載れんさいした「女優じょゆうじょうつや」は評判ひょうばんたかく、いで時代物じだいものの「ひのき曾の平太郎へいたろう」「はぎてらちょうなな」などを執筆しっぴつ1933ねん昭和しょうわ8ねん)11月、不良ふりょう華族かぞく事件じけん捜査そうさ過程かてい文士ぶんしらによる常習じょうしゅう賭博とばくあきらかになり[6]久米くめ正雄まさお里見さとみらとともに検挙けんきょされ[7]罰金ばっきんけいける。

1934ねん昭和しょうわ9ねん)に『オール讀物よみもの』に掲載けいさいした明治めいじ時代じだい芸人げいにん世界せかい舞台ぶたいにした人情にんじょうもの「づるはち鶴次郎つるじろう」の評判ひょうばんく、1935ねん昭和しょうわ10ねん)から老舗しにせ料理りょうりをめぐる人情にんじょうばなし風流ふうりゅう深川ふかがわうた」を連載れんさい。これらの明治めいじぶつにより、このとしだい1かい直木賞なおきしょうで、当時とうじ菊池きくちひろししたしかった『編集へんしゅうしゃ和田わだ芳恵よしえ、『講談こうだん倶楽部くらぶ編集へんしゅうしゃかやはら宏一こういちなどの推薦すいせん受賞じゅしょうつづいて花井はないうめ事件じけんをモデルにしたとわれる『明治めいじいちだいおんな執筆しっぴつ。その愛染あいぞめかつら』は身分みぶんちがいの男女だんじょ恋愛れんあいとすれちがいの展開てんかいで、当時とうじのベストセラーとなり、田中たなか絹代きぬよ上原うえはらけん主演しゅえんによる映画えいが爆発ばくはつてきなヒットとなって、一躍いちやく花形はながた作家さっかとなった。

1940ねん昭和しょうわ15ねん)に劇団げきだん新生しんせい新派しんぱ主事しゅじとなり演劇えんげきかい活躍かつやく[8]。また戦後せんご1947ねん昭和しょうわ22ねん)に大映だいえい製作せいさく担当たんとう専務せんむ監査かんさやくとなり、映画えいがかいにも貢献こうけん。このとし日本にっぽん小説しょうせつ創刊そうかんごうでは、和田わだ芳恵よしえ依頼いらいせき伊之助いのすけのペンネームでいた現代げんだいものの中編ちゅうへん小説しょうせつ裸婦らふ」も評判ひょうばんとなった[9]1949ねん昭和しょうわ24ねん)に直木賞なおきしょう再開さいかいされると選考せんこう委員いいんとなり、以後いごだい80かいまで30年間ねんかんつとめる。

晩年ばんねん活動かつどう

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1954ねん

すうおおくの時代じだい小説しょうせつ恋愛れんあい小説しょうせつなどをき、時代じだい小説しょうせつでは『新吾しんごじゅうばん勝負しょうぶ』『皇女おうじょ和宮かずのみや』『女人にょにん武蔵むさし』、現代げんだいものでは銀座ぎんざおんなたちえがく『よるちょう』、京都きょうと映画えいが業界ぎょうかい色街いろまち題材だいざいにした『古都こと憂愁ゆうしゅう』、長編ちょうへん自伝じでん小説しょうせつやぶれかぶれ』などが代表だいひょうさくつま死後しご愛子いとしごいとしや』を上梓じょうしして話題わだいとなった。『新吾しんごじゅうばん勝負しょうぶ』のあとがきでは「わたし自分じぶんをストオリイテラーだとおもっている。王朝おうちょう時代じだいには『かたりべ』という職業しょくぎょうがあったとくが、わたしはその『かたりべ』になりたい」とべている。『しぐれ茶屋ちゃやおりく』は2007ねん平成へいせい19ねん)、ロイヤル・タイラーによって英訳えいやく刊行かんこうされた。

1952ねん昭和しょうわ27ねん)から1959ねん昭和しょうわ34ねん)までミス・ユニバース日本にっぽん大会たいかい1956ねん昭和しょうわ31ねん)から1959ねん昭和しょうわ34ねん)までミス・ワールド日本にっぽん大会たいかい審査しんさ委員いいんちょうつとめた[10][11]

1960ねん昭和しょうわ35ねん)に明治めいじ取締役とりしまりやく制作せいさく部長ぶちょう浪花なにわ楽天らくてん監査かんさやく東宝とうほうのプロデューサー池野いけのみつる企画きかくにより[12]げき作家さっか生活せいかつ向上こうじょう目的もくてきとして、川口かわぐち松太郎まつたろう中野なかのみのる北條ほうじょう秀司しゅうじ菊田きくた一夫かずおで「げき作家さっかよんにんかい」を結成けっせい[13]1964ねん昭和しょうわ39ねん)、文京ぶんきょう小石川こいしかわ水道すいどうまち現在げんざい春日しゅんじつ)へ移住いじゅう、ここからくなるまでやく20年間ねんかんらすこととなる。1966ねん昭和しょうわ41ねん)、日本にっぽん芸術げいじゅついん会員かいいんだいさん演劇えんげき)。1973ねん昭和しょうわ48ねん)、文化ぶんか功労こうろうしゃ

1982ねん昭和しょうわ57ねん1がつ18にち後妻ごさいさんえき愛子いとしご膵臓すいぞうがんにより71さい先立さきだたれる。そのころから体調たいちょうくずして入退院にゅうたいいんかえし、さんえきから3ねんの1985ねん昭和しょうわ60ねん6月9にち肺炎はいえんにより東京女子医科大学とうきょうじょしいかだいがく病院びょういんにて死去しきょ享年きょうねん85さい[14]没後ぼつご晩年ばんねん傑作けっさく一休いっきゅうさんのもん』の続編ぞくへん一休いっきゅうさんのみちやくせんまい原稿げんこう発見はっけんされ、新聞しんぶん連載れんさいされた。のちに浅草あさくさ観音堂かんのんどうひがしさんしゃ境内けいだいに、「きるということむずかしき夜寒よさむかな」という句碑くひてられた[15]春日しゅんじつ自宅じたくえを完成かんせいした重厚じゅうこうなデラックスマンション“川口かわぐちアパートメント”は現存げんそん筒井つつい康隆やすたか小説しょうせつおおいなる助走じょそう』のにしんこう冗太ろうのモデルである。

受賞じゅしょうれき

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著書ちょしょ

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  • 映画えいがとレヴユー』古川緑波ふるかわろっぱ共著きょうちょ まことぶんどう文庫ぶんこ 1932
  • 恋愛れんあいさんじゅうねん新鋭しんえい大衆たいしゅう小説しょうせつ全集ぜんしゅう アトリエしゃ 1936
  • 明治めいじいちだいおんなづるはち鶴次郎つるじろうしん小説しょうせつしゃ 1936(「づるはち鶴次郎つるじろう」『オール讀物よみもの』1934ねん10がつごう、「明治めいじいちだいおんな」『オール讀物よみもの』1935ねん9-12月ごう)のち新潮しんちょう文庫ぶんこ中公ちゅうこう文庫ぶんこ
  • 黒潮くろしおだい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1939
  • 三味線しゃみせん武士ぶしはれ小袖こそで非凡ひぼんかく(新作しんさく大衆たいしゅう小説しょうせつ全集ぜんしゅう だい24かん) 1940
  • 蘇州そしゅうよる貴書きしょてん、1941 ゆまに書房しょぼう(復刻ふっこくばん帝国ていこく戦争せんそう文学ぶんがく) 2005
  • 幕末ばくまつじゅう剣士けんし蒼生そうせいしゃ 1941
  • 愛染あいぞめかつら貴書きしょてん 1942(『婦人ふじん倶楽部くらぶ』1937ねん1がつ-1938ねん5がつ
  • 国民こくみんはな貴書きしょてん 1942
  • ろうはる小峰こみね書店しょてん 1943
  • 『アッツ玉砕ぎょくさい非凡ひぼんかく 1944
  • 芸道げいどういちだいおとこ貴書きしょてん 1946
  • へびひめさま貴書きしょてん出版しゅっぱん 1946(『東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん』1939ねん10がつ8にち-1940ねん7がつ11にち) のち春陽しゅんよう文庫ぶんこ
  • おんな貴書きしょてん 1947
  • 明治めいじ美人びじんかん貴書きしょてん 1947
  • 恋愛れんあいごっこ』貴書きしょてん 1948
  • あいする権利けんり貴書きしょてん 1948
  • 編笠あみがさけんはち北光ほっこう書房しょぼう 1948
  • 浅草あさくさ女房にょうぼう北光ほっこう書房しょぼう 1948
  • べに夜叉やしゃ貴書きしょてん(新作しんさく時代じだい長篇ちょうへん名作めいさく選集せんしゅう だい1) 1950
  • さくら吹雪ふぶき貴書きしょてん(大衆たいしゅう代表だいひょう長篇ちょうへん名作めいさく選集せんしゅう) 1951
  • 風流ふうりゅう悟道ごどうのき桃源とうげんしゃ 1952
  • 振袖ふりそで狂女きょうじょ毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1952
  • ふえ産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃ 1952
  • 子育こそだぶんなな桃源とうげんしゃ 1953
  • 日光にっこう月光げっこう桃源とうげんしゃ 1953
  • 皇女おうじょみや朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1953 のち徳間とくま文庫ぶんこ
  • 雨月物語うげつものがたり桃源とうげんしゃ 1954
  • 獅子ししまる一平いっぺい毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1955-56
  • 人情にんじょう馬鹿ばか物語ものがたり新潮社しんちょうしゃ 1955(『小説しょうせつ新潮しんちょう』1954ねん1-12月) のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ ろんそうしゃ、2009 
  • はな真珠しんじゅ桃源とうげんしゃ 1955
  • 振袖ふりそで御殿ごてん桃源とうげんしゃ 1955
  • おれ藤吉郎とうきちろう 川口かわぐち太閤たいこうぜん13かん 新潮社しんちょうしゃ 1955-60
  • たまはくだけず』平凡へいぼん出版しゅっぱん(平凡へいぼん映画えいが小説しょうせつシリーズ) 1955
  • 風流ふうりゅう剣士けんし桃源とうげんしゃ(新撰しんせん大衆たいしゅう小説しょうせつ全集ぜんしゅう) 1955
  • 『うたひめせい桃源とうげんしゃ 1956
  • 楊貴妃ようきひ河出かわで新書しんしょ 1956
  • 新吾しんごじゅうばん勝負しょうぶぜん4かん 新潮社しんちょうしゃ 1957-59(『朝日新聞あさひしんぶん』1957ねん5がつ18にち-1959ねん6がつ24にち) のち新潮しんちょう文庫ぶんこ嶋中しまなか文庫ぶんこ
  • かおしんだい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1957
  • よるちょうだい日本にっぽん雄弁ゆうべんかい講談社こうだんしゃ 1957
  • 『くちづけ』角川かどかわ小説しょうせつ新書しんしょ 1957
  • 非情ひじょう物語ものがたり講談社こうだんしゃ 1958
  • きるということ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1959
  • めししる講談社こうだんしゃ 1960
  • 源太郎げんたろうせん新潮社しんちょうしゃ 1960
  • サロメ白粉おしろい講談社こうだんしゃ 1960
  • 新吾しんごじゅうばん勝負しょうぶぜん4かん 新潮社しんちょうしゃ 1961-62
  • しん源氏物語げんじものがたり文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしんしゃ 1962
  • 新吾しんご番外ばんがい勝負しょうぶ新潮社しんちょうしゃ 1962
  • つまおうぎ桃源とうげんしゃ 1962
  • おんなであるふしあわせ』新潮社しんちょうしゃ 1963
  • 信吉のぶよし人情にんじょうばなし』桃源とうげんしゃ 1963
  • うつくしきさんこん桃源とうげんしゃ 1964
  • さくらでんない新潮社しんちょうしゃ 1964
  • やぶれかぶれ』毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1965
  • 女人にょにん武蔵むさし朝日新聞社あさひしんぶんしゃ 1965 のち徳間とくま文庫ぶんこ
  • 古都こと憂愁ゆうしゅう桃源とうげんしゃ 1965
  • 役者やくしゃ 小説しょうせつ花柳はなやぎ章太郎しょうたろう新潮社しんちょうしゃ 1966
  • 商魂しょうこんさん』桃源とうげんしゃ 1967
  • 日蓮にちれん講談社こうだんしゃ 1967
  • あく源太郎げんたろう新潮社しんちょうしゃ 1967(『読売新聞よみうりしんぶん』1966ねん2がつ11にち-1967ねん6がつ20日はつか) のち徳間とくま文庫ぶんこ
  • かまぐれおんな毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ 1968
  • 『しぐれ茶屋ちゃやおりく』講談社こうだんしゃ 1969 のちちゅう公文こうぶん
  • 鏡台きょうだいぜん人生じんせい』サンケイ新聞しんぶんしゃ 1970
  • なわしゅう講談社こうだんしゃ 1972
  • 人生じんせいいばかり』講談社こうだんしゃ 1973
  • きてゆく』講談社こうだんしゃ 1975
  • ざい中将ちゅうじょう在原業平ありわらのなりひら講談社こうだんしゃ 1979
  • 『おあずか御寮人ごりょうにん読売新聞社よみうりしんぶんしゃ 1979
  • 和泉式部いずみしきぶ講談社こうだんしゃ 1981
  • 八重子やえこしょう中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1981
  • 愛子いとしごいとしや』講談社こうだんしゃ 1982 のちどう文庫ぶんこ
  • 久保田くぼた万太郎まんたろうわたし講談社こうだんしゃ 1983
  • わすひとわすぬこと』講談社こうだんしゃ 1983
  • 一休いっきゅうさんのもん読売新聞社よみうりしんぶんしゃ 1984 のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ
  • 歌舞伎かぶき役者やくしゃ講談社こうだんしゃ 1985(尾上おがみ栄三郎えいさぶろう
  • さんにんオバン』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1986
  • 一休いっきゅうさんのみち読売新聞社よみうりしんぶんしゃ 1986 のち講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ

作品さくひんしゅう

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  • 川口かわぐち松太郎まつたろうしん選集せんしゅうぜん3かん 貴書きしょてん 1947-48
  • 川口かわぐち松太郎まつたろう全集ぜんしゅうぜん16かん 講談社こうだんしゃ 1967-69
  • 川口かわぐち松太郎まつたろう句集くしゅうたけあたましゃ 1987
  • 川口かわぐち松太郎まつたろう戯曲ぎきょくせん』(私家版しかばん 川口かわぐち一族いちぞく)1991
  • 川口かわぐち松太郎まつたろうしゅう』くらしっく時代じだい小説しょうせつ リブリオ出版しゅっぱん 1998

映画えいが

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テレビドラマ

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ちゅう

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  1. ^ https://kotobank.jp/word/%E5%B7%9D%E5%8F%A3+%E6%9D%BE%E5%A4%AA%E9%83%8E-1642802
  2. ^ 訃報ふほう川口かわぐちあつしさん57さい俳優はいゆうもと明治めいじプロデューサー”. 毎日まいにち.jp. (2008ねん9がつ20日はつか). オリジナルの2008ねん9がつ22にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080922081348/http://mainichi.jp/enta/art/news/20080921k0000m040043000c.html 2014ねん6がつ29にち閲覧えつらん 2008ねん9月17にちのうない出血しゅっけつのため57さい死去しきょもと俳優はいゆう、1986ねんから2004ねんまで明治めいじプロデューサーをつとめた。
  3. ^ a b c 物語ものがたり大正たいしょう文壇ぶんだん』65ページ
  4. ^ a b c 大村おおむら彦次郎ひこじろう時代じだい小説しょうせつ盛衰せいすい筑摩書房ちくましょぼう 2012ねん
  5. ^ a b c d 日外にちがいアソシエーツ現代げんだい人物じんぶつ情報じょうほう
  6. ^ 吉井よしいいさむ夫人ふじん供述きょうじゅつから文士ぶんしれん賭博とばく暴露ばくろ中外ちゅうがい商業しょうぎょう新報しんぽう昭和しょうわ8ねん11月18にち(『昭和しょうわニュース事典じてんだい4かん 昭和しょうわ8ねん-昭和しょうわ9ねん本編ほんぺんp613 昭和しょうわニュース事典じてん編纂へんさん委員いいんかい 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  7. ^ 久米くめ正雄まさお里見さとみ弴、佐佐木ささき茂索もさく検挙けんきょ中外ちゅうがい商業しょうぎょう新報しんぽう昭和しょうわ8ねん11月18にち(『昭和しょうわニュース事典じてんだい4かん 昭和しょうわ8ねん-昭和しょうわ9ねん本編ほんぺんp613)
  8. ^ 人情にんじょう馬鹿ばか物語ものがたり講談社こうだんしゃ 1995ねん磯貝いそがい勝太郎かつたろうひと作品さくひん」)
  9. ^ 大村おおむら彦次郎ひこじろう文壇ぶんだん栄華えいが物語ものがたり筑摩書房ちくましょぼう 2009ねん
  10. ^ 幸福こうふくであれ美女びじょたち」『週刊しゅうかんサンケイだい8かんだい37ごう産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃ、1959ねん8がつ25にち、7ぺーじ 
  11. ^ 優勝ゆうしょうしゃ落選らくせんしゃ」『週刊しゅうかんサンケイ』だい8かんだい29ごう産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃ、1959ねん7がつ10日とおか、10ぺーじ 
  12. ^ 千谷ちだに道雄みちお幸三郎こうざぶろう三国志さんごくし』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう)P.27
  13. ^ 北條ほうじょう秀司しゅうじ演劇えんげき太平たいへい(3)』(毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ)P.193
  14. ^ 文学ぶんがくしゃ掃苔ろく 川口かわぐち松太郎まつたろう(1899-1985)
  15. ^ 大村おおむら彦次郎ひこじろう文士ぶんしのいる風景ふうけい筑摩書房ちくましょぼう 2006ねん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 興津おきつかなめ大衆たいしゅう文学ぶんがく映像えいぞうさくらかえでしゃ 1967ねん(『愛染あいぞめかつら』『新吾しんごじゅうばん勝負しょうぶ』『へびひめさま』について)
  • 高峰たかみね秀子ひでこ人情話にんじょうばなし松太郎まつたろう潮出版社うしおしゅっぱんしゃ 1985ねん 文春ぶんしゅん文庫ぶんこ、ちくま文庫ぶんこ
  • わかじょうのぞみそらよりのこえ わたし川口かわぐち松太郎まつたろう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1988ねん

索引さくいん

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224#233#255#259#261#264#269#271#275#284#286#307#328#394#399#412#414#417#420#421#423#424#426#427#430#432#436#437#442#445#450#452#454114#117#135#195#200

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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