山本 周五郎
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デビュー |
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1903
経歴 [編集 ]
1903
1907
1910
1916
1926
1931
1936
1943
1948
1967
1988
年譜 [編集 ]
- 1903
年 (明治 36年 ) - 1907
年 (明治 40年 )4歳 - 1910
年 (明治 43年 )7歳 - 1911
年 (明治 44年 )8歳 学区 の編成 替 えで横浜 市立 尋常 西前 小学校 2年 に転学 した。
- 1916
年 (大正 5年 )13歳 横浜 市立 尋常 西前 小学校 (現 横浜 市立 西前 小学校 )卒業 。卒業 と同時 に東京 木挽 町 二 丁目 (現 :銀座 二 丁目 )にあった質店 の山本 周五郎 商店 に徒弟 として住 み込 む。
- 1923
年 (大正 12年 )20歳 - 1924
年 (大正 13年 )21歳 再 び上京 。帝国 興信所 (現 :帝国 データバンク)に入社 。文書 部 に配属 。その後 帝国 興信所 の子会社 である会員 雑誌 『日本 魂 』の編集 記者 となる。
- 1926
年 (大正 15年 ・昭和 元年 )23歳 - 『
文藝春秋 』4月 号 に『須磨寺 附近 』が掲載 され、これが文壇 出世 作 となる。 - 10
月 20日 、脳溢血 で母 ・とく死去 。
- 『
- 1928
年 (昭和 3年 )25歳 - 1929
年 (昭和 4年 )26歳 東京 虎ノ門 に転居 。
- 1930
年 (昭和 5年 )27歳 - 1931
年 (昭和 6年 )28歳 - 1932
年 (昭和 7年 )29歳 - 5月、『キング』に「だゝら
團 兵衛 」が掲載 される。
- 5月、『キング』に「だゝら
- 1934
年 (昭和 9年 )31歳 - 6月26
日 、中風 で父 ・逸 太郎 死去 。
- 6月26
- 1936
年 (昭和 11年 )33歳 講談社 から新進 作家 として扱 われ、博文 館 も周五郎 の「大人 向 け」作品 を掲載 するようになる。
- 1942
年 (昭和 17年 )39歳 - 『
婦人 倶楽部 』で各 藩 の女性 を扱 う「日本 婦道 記 」が企画 され、周五郎 も「松 の花 」「梅 咲 きぬ」「箭 竹 」の3話 を担当 。
- 『
- 1943
年 (昭和 18年 )40歳 - 1945
年 (昭和 20年 )42歳 - 1946
年 (昭和 21年 )43歳 - 1948
年 (昭和 23年 )45歳 - 1959
年 (昭和 34年 )56歳 - 1961
年 (昭和 36年 )58歳 - 1967
年 (昭和 42年 )64歳 - 2
月 14日 、間 門 園 別棟 で肝炎 と心臓 衰弱 のため死去 。享年 65(満 63歳 )。
- 2
作風 [編集 ]
そうした
またハードボイルド
人物 [編集 ]
趣味 は、映画 鑑賞 、読書 、酒 を飲 みに行 くこと。好 きな作家 は、ストリンドベリー、ハウプトマン、トルストイ、サローヤン。好 きな酒 は、ワイン、ウイスキー。好 きな食 べ物 は、肉類 (洋食 系 )、チーズ、蕎麦 。一 日 に60本 ぐらい煙草 を吸 っていた。文壇 とは縁 が薄 く、交友 関係 も狭 かった。しかし少数 の友人 や編集 者 と、濃 い人間 関係 を築 いた[36]。担当 した雑誌 編集 者 は数多 いが、その中 では、博文 館 の雑誌 『少年 少女 譚 海 』の編集 者 で後 に名物 編集 長 として知 られた井口 長次 (『桃太郎 侍 』の山手 樹一郎 の本名 )、朝日新聞社 の担当 記者 だった木村 久邇 典 などが知 られる。特 に木村 は山本 没 後 は生涯 にわたり多 くの評伝 ・作品 研究 を20冊 あまり著 し、『全集 』(新潮社 )、『全集 未 収録 作品 集 』(実業之日本社 )を編 み、埋 もれた作品 を発掘 、新潮 文庫 で再刊 等 を行 った。
逸話 [編集 ]
山本 の本名 「三 十 六 」は、明治 36年 生 まれであったことから来 ている。尋常 小学校 の学生 時分 のこと、国語 の宿題 に作文 が課 された。その作文 に山本 は、級友 の某 とあれこれ楽 しく遊 んだことを書 き、提出 した。翌日 、それぞれの作文 が教室 に掲示 されると、山本 の作文 に登場 する当 の本人 の某 が「山本 の作文 は嘘 だ。俺 は山本 と遊 んだことなどない。」とい放 ち、室内 が騒然 となった。詰 め寄 る級友 たちの前 に、なすすべもなく立 ち竦 んでいると、担任 がやってきた。事 の次第 をき及 び、文章 を読 み返 した担任 は、「三 十 六 (周五郎 の本名 )。こうも見事 に嘘 が書 けるのは素晴 らしい。お前 は将来 小説 家 になれ。」と言 ったという。若 い頃 に植物 学者 の牧野 富太郎 の元 に取材 に行 き、何気 なく「雑木林 」という言葉 を使 ったところ、「どんな花 にも、どんな木 にもみな名前 がある。雑木林 というのは人間 の作 った勝手 な言葉 だ。」と咎 められた。感心 した山本 は、それ以降 、植物 の名前 を積極 的 に憶 えるようになった。山本 は、中原 中也 や太宰 治 を高 く評価 していた。代表 作 の一 つ『虚空 遍歴 』の主人公 である中藤 沖 也は中原 がモデルであると言 われている。- ワイン
好 きであった山本 が「これまで飲 んだ和製 ブドー酒 のどれにも似 ない、これぞワインだ」と絶賛 した国産 のマデイラ・ワインが、生 まれ故郷 でもある山梨 県 の中央 葡萄酒 から「周五郎 のヴァン」として販売 されている。 山本 はウイスキーも好 きであったが、好 んだのはサントリーホワイトで、最 晩年 にはサントリー角 瓶 を好 んだ。代表 作 『樅ノ木 は残 った』執筆 の前年 まで睡眠薬 のアドルムを常用 していた。アドルムは坂口 安吾 も常用 していて中毒 になっている。夫人 が心配 すると「自分 は大丈夫 だ。自分 の精神 を自分 で制御 できる者 は、薬 の中毒 やアルコール依存 症 にはならない。要 するに、薬 やアルコールに飲 まれてしまうような、心 の弱 い者 が中毒 患者 になるそうだ」と答 えた[37]。山本 は人間 の心理 描写 に卓越 する反面 、人嫌 いで人付 き合 いを極端 に制限 し、仕事場 への訪問 客 にもめったに面会 しなかった。座談 はうまいのに講演 は断 り、園遊会 には出席 せず、文学 賞 と名 のつくものはことごとく辞退 した。山本 の生活 は規則正 しく、51歳 から晩年 まで仕事場 で朝食 は自炊 していた[38]。午前 3時 に起床 、朝食 前 に行水 をし、後始末 に雑巾 がけをした。午前 10時 まで仕事 をし、散歩 をして午前 11時 に昼食 。ざるそばのつゆに生 卵 を入 れた。夜 は原稿 を書 かず、午後 8時 に就寝 した。日本酒 より洋酒 を好 み、晩酌 を欠 かさなかった。夜 はかなりの量 を食 べたが飯 はあまり食 べず、「ふろあがりののんびりした体 に、めしを詰 め込 んでげっぷをしながらでは、創造 的 精神 ははたらかない」というのが持論 であり、「この国 の広大 な平野 から、でき得 るだけでいい、稲田 を追放 しよう」と述 べ、米 を嫌 っていた。編集 者 の一人 は「先生 が亡 くなられたら、お米 がすごくうまいんです。もうストップをかける人 がいないと思 うと、つい食 がすすみます」と本音 を言 ったという。嵐山 光三郎 は「米 は、たぐいまれなる栄養食 であり、米 を主食 とする日本 型 食生活 が日本人 を世界 最 長寿 にしたのであるけれど、このころは、それを言 う人 は少 なかった。カロリーの高 いものを食 べすぎた結果 、周五郎 は63歳 で死 んだのである」と評 している。
主 な作品 [編集 ]
小説 [編集 ]
廣野 の落日 (1920年 )明和 絵暦 (1934年 )風雲 海南 記 (旧 題 「浪人 時代 及 び武士 道 春秋 」、1938年 )日本 婦道 記 (1942年 )[注 8]新潮 記 (1943年 )柳橋 物語 (1946年 )寝 ぼけ署長 (1948年 )楽天 旅 日記 (1950年 )山彦 乙女 (1951年 )火 の杯 (1951年 )風流 太平 記 (1952年 )栄花物語 (1953年 )正 雪 記 (1953-54年 、1956年 )樅ノ木 は残 った(1954-58年 )赤 ひげ診療 譚 (1958年 )天地 静 大 (1959年 )五 瓣 の椿 (1959年 )彦左衛門 外 記 (旧 題 「ご意見 番 に候 」、1959年 )青 べか物語 (1960年 )季 節 のない街 (1962年 )- さぶ(1963
年 ) 虚空 遍歴 (1963年 )- ながい
坂 (1966年 )
全集 [編集 ]
- 『
山本 周五郎 全集 』全 13巻 (講談社 、1963年 - 1964年 ) - 『
山本 周五郎 小説 全集 』全 33巻 ・別巻 5(新潮社 、1968年 - 1970年 ) - 『
山本 周五郎 全集 未 収録 作品 集 』全 17巻 (実業之日本社 、1972年 - 1982年 ) - 『
山本 周五郎 全集 』全 30巻 (新潮社 、1981年 9月 - 1984年 2月 ) - 『
山本 周五郎 長篇 小説 全集 』全 26巻 (新潮社 、2013年 6月 - 2015年 2月 ) - 『
山本 周五郎 探偵 小説 全集 』全 6巻 ・別巻 1(作品社 、2007年 - 2008年 )、末 国 善 己 編
日記 [編集 ]
- 『
青 べか日記 』(大和 書房 、1971年 、内容 は1928年 8月 12日 - 1929年 9月 20日 の戦前 期 の日記 、のち新潮 文庫 ・光文社 知恵 の森 文庫 ) - 『
山本 周五郎 愛妻 日記 』(角川 春樹 事務所 、2013年 、内容 は1930年 1月 14日 - 1941年 12月7日 の間 ) - 『
山本 周五郎 戦中 日記 』(角川 春樹 事務所 、2011年 、内容 は1941年 12月8日 - 1945年 2月 4日 の間 、のちハルキ文庫 )太平洋戦争 中 の全文 を一挙 収録 [43]。
関連 書籍 [編集 ]
- 『
山本 周五郎 』(上 ・下 、アールズ出版 )木村 久邇 典 - 『わが
山本 周五郎 』(文藝春秋 、のち文春 文庫 )土岐 雄三 - 『わが
師 山本 周五郎 』(第 三 文明 社 、のち集英社 文庫 )早乙女 貢 - 『
山本 周五郎 最後 の日 』(マルジュ社 、2009年 )大河原 英 与 (文藝春秋 の編集 者 ) - 『
周五郎 伝 虚空 巡礼 』(白水 社 、2013年 )齋藤 愼 爾 - 『
泣 き言 はいわない』(新潮 文庫 、改版 2009年 ) - 『
周五郎 流 激情 が人 を変 える』(NHK生活 人 新書 、2003年 )高橋 敏夫 - 『
山本 周五郎 のことば』(新潮 新書 、2003年 )清原 康正 編 - 『
山本 周五郎 で生 きる悦 びを知 る』(PHP新書 、2016年 )福田 和也 - 『また
明日 会 いましょう生 きぬいていく言葉 』(河出書房新社 、2018年 ) - 『
文藝 別冊 山本 周五郎 背筋 を伸 ばす反骨 の文士 』(河出書房新社 、2018年 )
翻案 作品 [編集 ]
映画 [編集 ]
青空 浪士 (1937年 、監督 :押本七 之 輔)恋愛 剣法 (1938年 、監督 :寺門 静 吉 )腰 本 吉弥 組 (1938年 、監督 :菅沼 完二 )喧嘩 主従 (1938年 、監督 :益田 晴夫 )粗忽 評判 記 (1939年 、監督 :小坂 哲人 )暁雲 武蔵 ケ原 (1941年 、監督 :佐伯 幸三 )修道院 の花嫁 (1946年 、監督 :田口 哲 )江戸 は青空 (1958年 、監督 :西山 正輝 )町奉行 日記 鉄火 牡丹 (1959年 、監督 :三隅 研 次 )暴 れん坊 兄弟 (1960年 、監督 :沢 島忠 )椿 三十郎 (1962年 、監督 :黒澤 明 ) - 『日日 平安 』が原作 。- ちいさこべ
第 一部 (1962年 、監督 :田坂 具 隆 ) - ちいさこべ
第 二 部 (1962年 、監督 :田坂 具 隆 ) 青 べか物語 (1962年 、監督 :川島 雄三 、脚本 :新藤 兼人 ) -舞台 の時代 設定 を戦前 から高度 経済 成長 期 の直前 に変更 している。青葉 城 の鬼 (1962年 、監督 :三隅 研 次 ) - 『樅ノ木 は残 った』が原作 。道場破 り(1964年 、監督 :内川 清一郎 )続 ・道場破 り問答 無用 (1964年 、監督 :菊池 靖 、松野 宏 軌)無頼 無法 の徒 さぶ(1964年 、監督 :野村 孝 ) - 『さぶ』が原作 。五 瓣 の椿 (1964年 、監督 :野村 芳太郎 )赤 ひげ(1965年 、監督 :黒澤 明 ) - 『赤 ひげ診療 譚 』が原作 。冷飯 とおさんとちゃん(1965年 、監督 :田坂 具 隆 ) - 『ひやめし物語 』『おさん』『ちゃん』が原作 。- なみだ
川 (1967年 、監督 :三隅 研 次 ) - 『おたふく物語 』が原作 。 斬 る(1968年 、監督 :岡本 喜八 )- どですかでん(1970
年 、監督 :黒澤 明 ) - 『季 節 のない街 』が原作 。 - いのちぼうにふろう(1971
年 、監督 :小林 正樹 ) - 『深川 安楽亭 』が原作 。 初 笑 いびっくり武士 道 (1972年 、監督 :野村 芳太郎 ) - 『ひとごろし』が原作 。- ひとごろし(1976
年 、監督 :大洲 斉 ) 雨 あがる(2000年 、監督 :小泉 堯史)- どら
平太 (2000年 、監督 :市川 崑 ) - 『町奉行 日記 』が原作 。 - かあちゃん(2001
年 、監督 :市川 崑 ) 海 は見 ていた(2002年 、監督 :熊井 啓 )- SABU 〜さぶ〜(2002
年 、監督 :三池 崇史 ) -同年 のテレビドラマの再 編集 劇場 公開 版 。 椿 三十郎 (2007年 、監督 :森田 芳光 ) - 『日々 平安 』が原作 。1962年 のリメイク。
テレビドラマ[編集 ]
- ながい
坂 (1968年 、関西 テレビ) 樅ノ木 は残 った (NHK大河 ドラマ)[44](1970年 、NHK大河 ドラマ、脚本 :茂木 草 介 )赤 ひげ (1972年 のテレビドラマ)[45](1972年 、NHK、脚本 :倉本 聰 ほか、主演 :小林 桂樹 ) - 『赤 ひげ診療 譚 』が原作 。- ぶらり
信 兵衛 道場破 り(1973年 - 1974年 、フジテレビ、パイロット版 の脚本 :倉本 聰 ) - 『人情 裏長屋 』が原作 。 夫婦 旅 日記 さらば浪人 (1976年 、フジテレビ) - 『雨 あがる』が原作 。折鶴 (1980年 、NHK) - 『ひやめし物語 』が原作 。着 ながし奉行 (1981年 、フジテレビ) - 『町奉行 日記 』が原作 。愛妻 武士 道 (1981年 、フジテレビ) - 『五 十 三右衛門 』『おもかげ抄 (旧 題 ・愛妻 武士 道 )』が原作 。栄花物語 (1983年 、フジテレビ)町奉行 日記 (1992年 、フジテレビ)- その
木戸 を通 って(1993年 、フジテレビ) -監督 ・市川 崑 初 のハイビジョン作品 。2008年 公開 。 大江戸 風雲 伝 (1994年 、NHK) - 『栄花物語 』が原作 。泥棒 と殿様 (2000年 、松竹 京都 撮影 所 ) - 『泥棒 と若殿 』が原作 。柳橋 慕情 (2000年 、NHK) - 『柳橋 物語 』『ちゃん』『嘘 アつかねえ』『人情 裏長屋 』『一 両 千 両 』が原作 。五 瓣 の椿 (2002年 、NHKドラマ、脚本 :中島 丈 博 )- SABU 〜さぶ〜(2002
年 、名古屋 テレビ、監督 :三池 崇史 ) - 『さぶ』が原作 。 初 蕾 (2003年 、TBS、脚本 :宮川 一郎 ) -生誕 百 周年 記念 番組 。子連 れ信 兵衛 (2015年 、NHK BSプレミアム) - 『人情 裏長屋 』が原作 。山本 周五郎 人情 時代 劇 (2016年 、BSジャパン)山本 周五郎 時代 劇 武士 の魂 (2017年 、BSジャパン)山本 周五郎 ドラマ さぶ(2020年 、NHK BSプレミアム)- だれかに
話 したくなる山本 周五郎 日替 わりドラマ(2021年 -、NHK BSプレミアム) - 『はたし状 』『泥棒 と若殿 』『晩秋 』『女 は同 じ物語 』が原作 。
ほか
舞台 [編集 ]
- こんち
午 の日 /季 節 のない街 /ながい坂 /さぶ/柳橋 物語 /梅 咲 きぬ/つゆのひぬま/夜 の辛夷 /赤 ひげ/わたくしです物語 /青 べか物語 /かあちゃん/地蔵 /ひとごろし/裏 の木戸 は開 いている/おたふく物語 ほか(前進 座 ) 夢 ごころ(名鉄 ・東宝 提携 特別 公演 /名鉄 ホール)川 霧 の橋 (1990年 /宝塚歌劇団 月 組 ) - 『柳橋 物語 』『ひとでなし』が原案 小 さな花 がひらいた(1971年 ・1981年 ・1982年 ・1991年 ・1992年 ・2011年 /宝塚歌劇団 花 組 ・星 組 ) - 『ちいさこべ』が原案 - いのちある
限 り(1978年 /宝塚歌劇団 雪 組 )- 『野分 』『釣 忍 』が原案 落葉 のしらべ(1972年 /宝塚歌劇団 雪 組 ) - 『落葉 のとなり』が原案 白 い朝 (1974年 ・1997年 - 1998年 /宝塚歌劇団 月 組 ・花 組 ) - 『さぶ』が原案 沈丁花 の細道 (1984年 /宝塚歌劇団 月 組 )- 『半 之 助 祝言 』が原案 - TRUTH(1999
年 ・2005年 /演劇 集団 キャラメルボックス)- 『失 蝶 記 』(『日日 平安 』に収録 )が原案 五 瓣 の椿 (2005年 6月 4日 - 6月28日 /明治 座 )- まつさをな(2007
年 /演劇 集団 キャラメルボックス)- 『みずぐるま』(『おさん』に収録 )が原案 赤 ひげ(2008年 1月 /劇団 俳優座 )- おたふく/ゆうれい
貸 屋 (演劇 倶楽部 『座 』) - さぶ(
劇団 俳小) - おたふく
物語 (2016年 9月 /明治 座 /主演 :藤山 直美 )
オペラ[編集 ]
松 とお秋 (2004年 /「周五郎 の世界 」/東京文化会館 小 ホール、2006年 /NPOみんなのオペラ/江東 文化 センター、2010年 12月4日 /大中 恩 作品 の会 /津田 ホール、脚色 :岡村 喬 生 、作曲 :大中 恩 ) - 『嘘 アつかねえ』『ほたる放生 』(『日日 平安 』に収録 )が原案
漫画 [編集 ]
落語 [編集 ]
脚注 [編集 ]
注釈 [編集 ]
- ^
例 えば、池内 紀 は「問 われるたびに山本 周五郎 はそんなふうに答 えた」と書 いている[10]。 - ^
最初 期 からのペンネームである。また山本 周五郎 に次 ぐ位置 づけである。このペンネームによる随筆 等 もある[11]。 - ^ 『キング』は、「
天皇 制 ナショナリズム、それも、モダニズムと立身出世 ・修養 主義 を加味 した新 しいナショナリズムを思想 的 主 柱 とし(中略 )批判 力 に乏 しい民衆 を意 のままにファシズムに動員 した先導 者 、ファシズムへの地 ならしをした極 めて保守 的 なジャーナリズム」との評価 もある[13]。 - ^ 「
直木 三十五 賞 『辞退 のこと』」が『文藝春秋 』(昭和 18年 9月 号 )に掲載 された。その前文 は、「こんど直木賞 に擬 せられたそうで甚 だ光栄 でありますが、自分 としてはどうも頂戴 する気持 ちになれませんので勝手 ながら辞退 させて貰 いました。この賞 の目的 にはなにも知 りませんけれども、もっと新 しい人 、新 しい作品 に当 てられるのがよいのではないか、そういう気 がします。新 しいとだけでは漠然 としすぎますが、とにかくいまの清新 なものがほしいという感 じは誰 にもあると思 う。局外 者 がこんなことを云 うのはおせっかいに類 するけれども、新人 と新風 とを紹介 する点 にこの種 の賞 の意味 があるので、もちろん在来 もそうであったとは思 いますが、今後 もなおそういうものが選 ばれてゆくことを希望 したいと思 います」である[16]。 - ^ 1940
年 (昭和 3年 )上半期 の第 11回 芥川賞 を高木 卓 が辞退 して、世上 騒然 たる物議 を醸 し出 している。両 文学 賞 史上 、受賞 辞退 はこの二 名 だけである[17]。 - ^
某 評論 家 は、周五郎 が辞退 した理由 を、当時 の周五郎 の「主要 な作品 発表 の舞台 は、おおむね博文 館 系 の雑誌 だったために、博文 館 への義理立 てとでも云 った心情 から、文藝春秋 の文学 賞 を遠慮 したのではないか。そういう律儀 な性格 がとらしめた、一見 、佶屈 たる行動 」と述 べているらしい(木村 久 爾 典 『山本 周五郎 -馬込 時代 』(福武書店 )の第 12章 「直木賞 を蹴 る」による)[18]。 - ^ 『
朝日新聞 』の担当 記者 として周五郎 の信頼 も厚 かった木村 久邇 典 は『随筆 小説 の効用 』(中央大学 出版 部 )の解題 で周五郎 の文学 観 を次 のように代弁 している。「十 年 ほどまえ、一部 の評論 家 からは、〝大衆 文学 芸術 派 〟などと、一種 の敬遠 とも受 けとれる呼称 で別格 扱 いにもされたが、著者 は実 作 ひとすじによって、ぬき難 い偏見 の所有 者 たちをも説得 しつづけてきた。著者 においては文学 には〝純 〟も〝不純 〟もなく〝大衆 〟も〝少数 〟もない。最大 多数 の庶民 の側 に立 つよりよい文学 の創造 以外 にはないのである」[30]。ただし、周五郎 は『中島 健蔵 氏 に問 う―自省 と批判 ―』で「最大 多数 の読者 」[31]とは書 いているものの、木村 が書 くように「最大 多数 の庶民 」とは書 いていない。 - ^ 「
日本 婦道 記 」を企画 、命名 したのは『婦人 倶楽部 』編集 部 。それが評判 になって定着 していった[39]。独立 した作品 を集 めて単行本 にしたもの。『日本 婦道 記 』自体 にも二 種類 ある。1943年 (昭和 18年 )講談社 (当時 は大 日本 雄弁 会 講談社 )版 と1958年 (昭和 33年 )新潮 文庫 版 である。収録 作品 は同 じでない。後者 は周五郎 自身 が作品 を選定 しており、現在 ではこれが底本 とされている。竹添 敦子 は、女性 を主人公 にした周五郎 の連作 (シリーズもの)と捉 えている[40]。底本 とされている新潮 文庫 版 には、「松 の花 」「梅 咲 きぬ」「節 竹 」「不断草 」「藪 の陰 」「糸車 」「尾花川 」「桃 の井戸 」「墨 丸 」「萱 笠 」「風鈴 」の11編 が収 められている[41]。現在 は講談社 ・新潮社 どちらからも31編 全 てを収 めた完全 版 が出版 されている。新潮 文庫 版 の累計 部数 は100万 部 を超 える[42]
出典 [編集 ]
- ^ a b
清水 1988, p. 221. - ^ 『
山本 周五郎 』 - コトバンク、『山本 周五郎 』 - コトバンク、「山本 周五郎 」 - ジャパンナレッジ - ^ a b c d e f g h i j
山本 周五郎 の日記 をたどる/大衆 小説 の達人 35歳 の分岐 点 『日本経済新聞 』朝刊 2021年 10月 3日 9-11面 - ^ a b c d
山梨 県立 文学 館 1998, p. 6. - ^ a b
歴史 読本 2012, p. 298. - ^
山梨 県立 文学 館 1998, p. 8. - ^ a b c “
山本 周五郎 兵庫 ゆかりの作家 ”. ネットミュージアム兵庫 文学 館 . 2021年 5月 14日 閲覧 。 - ^ a b
歴史 読本 2012, p. 299. - ^ a b “
山本 周五郎 とは”. コトバンク. 2021年 5月 14日 閲覧 。 - ^
池内 紀 『作家 のへその緒 』新潮社 、2011年 5月 、205頁 。ISBN 978-4-10-375506-7。 - ^
竹添 2015, p. 161. - ^ a b
竹添 2015, p. 99. - ^
竹添 2015, p. 101. - ^
竹添 2015, p. 100. - ^
竹添 2015, p. 108. - ^
齋藤 2013, p. 280. - ^
齋藤 2013, p. 294. - ^
齋藤 2013, p. 296. - ^
竹添 2015, p. 151-152. - ^
竹添 2015, p. 152-153. - ^
竹添 2015, p. 103. - ^
本牧 の文豪 山本 周五郎 タウンニュース - ^ “
付録 山本 周五郎 賞 受賞 作 候補 作 一覧 ”.直木賞 のすべて. 2021年 5月 14日 閲覧 。 - ^
清水 1988, p. 8. - ^
清水 1988, p. カバー. - ^
清水 1988, p. 26. - ^
竹添 2015, p. 90-100. - ^
全 エッセイ 1980, p. 30. - ^
全 エッセイ 1980, p. 5. - ^
全 エッセイ 1980, p. 349. - ^
全 エッセイ 1980, p. 22. - ^
歴史 読本 2012, p. 113-120. - ^
五木 寛之 『五木 寛之 雑学 対談 』講談社 、1975年 11月、103頁 。 - ^
生島 治郎 『生島 治郎 の誘導 訊問 眠 れる意識 を狙撃 せよ』双葉社 、1974年 11月、42-43頁 。 - ^
生島 治郎 『生島 治郎 自選 傑作 短篇 集 』読売新聞社 、1976年 11月、308-309頁 。 - ^
竹添 2015, p. 102. - ^
清水 1988, p. 85. - ^
清水 1988, p. 122. - ^
竹添 2015, p. 53. - ^
竹添 2015, p. 1. - ^
竹添 2015, p. 14. - ^ 「
生誕 100年 、山本 周五郎 は残 った──現代 人 の琴線 にふれる時代 小説 (文化 )」『日本経済新聞 』朝刊 2003年 6月 21日 付 40頁 - ^
竹添 2015, p. 92. - ^ “
大河 ドラマ『樅 (もみ)ノ木 は残 った』”. NHKアーカイブス. 2021年 5月 14日 閲覧 。 - ^ “
金曜 ドラマ『赤 ひげ』”. NHKアーカイブス. 2021年 5月 14日 閲覧 。 - ^
第 1回 松 喬 三昧 「盗人 松 喬 」余情 豊 かに(演芸 評 )日本経済新聞 ・関西 タイムライン(2019年 11月1日 )
参考 文献 [編集 ]
山本 周五郎 ;木村 久邇 典 『完本 ・山本 周五郎 全 エッセイ』(増補 )中央大学 出版 部 、1980年 2月 。山梨 県立 文学 館 『曲 軒 ・山本 周五郎 の世界 :読者 の支持 を賞 とした作家 』山梨 県立 文学 館 、1998年 10月 。歴史 読本 編集 部 『山本 周五郎 を読 む』新人物往来社 、2012年 1月 。ISBN 978-4-404-04138-8。齋藤 愼 爾 『周五郎 伝 虚空 巡礼 』白水 社 、2013年 6月 。ISBN 978-4-560-08270-6。竹添 敦子 『「日本 婦道 記 」論 』双 文 社 出版 、2015年 10月 。ISBN 978-4-88164-634-2。清水 きん『夫 山本 周五郎 』福武書店 〈福武 文庫 〉、1988年 5月 10日 。ISBN 4-8288-3075-8。文化出版局 、1972年 7月 。
関連 項目 [編集 ]
神戸 文学 館 黒澤 明 -映画 監督 。作品 の愛読 者 であり、『日日 平安 』『赤 ひげ診療 譚 』『季 節 のない街 』『雨 あがる』『なんの花 か薫 る』『つゆのひぬま』の6作品 が映画 化 された。山本 周五郎 賞 - 1988年 に発足
外部 リンク[編集 ]
山本 周五郎 作品 館 - 『
山本 周五郎 』 - コトバンク 山本 周五郎 :作家 別 作品 リスト -青空 文庫