樅ノ木もみのきのこった (NHK大河たいがドラマ)

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樅ノ木もみのきのこった
ジャンル ドラマ
原作げんさく 山本やまもと周五郎しゅうごろう樅ノ木もみのきのこった
脚本きゃくほん 茂木もきくさかい
演出えんしゅつ 吉田よしだ直哉なおや
出演しゅつえんしゃ たいら幹二朗みきじろう
以下いか五十音ごじゅうおんじゅん
芥川あくたがわ比呂志ひろし
伊吹いぶき吾郎ごろう
江守えもりとおる
大出おおいでしゅん
大和田おおわだ伸也しんや
岡田おかだ英次えいじ
尾上おがみ菊之助きくのすけ
香川かがわ京子きょうこ
東大とうだいかい
金田かねだ龍之介りゅうのすけ
北大路きたおおじ欣也きんや
栗原くりはら小巻こまき
神山かみやましげる
近藤こんどう正臣まさおみ
佐藤さとうけい
佐藤さとう友美ゆみ
志村しむらたかし
高橋たかはし昌也まさや
辰巳たつみ柳太郎りゅうたろう
田中たなか絹代きぬよ
西村にしむらあきら
花沢はなざわ徳衛とくえ
藤岡ふじおか琢也たくや
三田みた和代かずよ
宮口みやぐち精二せいじ
もり雅之まさゆき
吉永よしなが小百合さゆり
吉行よしゆき和子かずこ
若林わかばやしつよし
ナレーター 和田わだあつし
オープニング 依田よだ光正みつまさ
製作せいさく
製作せいさくそう指揮しき 古閑こがさんせんろう
制作せいさく 日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい
放送ほうそう
放送ほうそうこく地域ちいき日本の旗 日本にっぽん
放送ほうそう期間きかん1970ねん1がつ4にち - 12月27にち
放送ほうそう時間じかん日曜にちよう20:00-20:45
放送ほうそうわく大河たいがドラマ
放送ほうそうぶん45ふん
回数かいすうぜん52
番組ばんぐみ年表ねんぴょう
前作ぜんさくてん
つぎさくはる坂道さかみち
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樅ノ木もみのきのこった』(もみノきはのこった)は、1970ねん1がつ4にち - 12月27にちまで放送ほうそうされたNHK大河たいがドラマだい8さくぜん52かい

江戸えど時代じだい前期ぜんきの4だい将軍しょうぐん徳川とくがわ家綱いえつな治世ちせいきた伊達だて騒動そうどう題材だいざいにした、山本やまもと周五郎しゅうごろう小説しょうせつ樅ノ木もみのきのこった』を原作げんさくに、『太閤たいこう』の茂木もきくさかい脚本きゃくほん)、吉田よしだ直哉なおや演出えんしゅつ)のコンビがいどんだドラマで、戦争せんそう時代じだいにもあらそいをもとめてしまう人間にんげんかなしいせいえがいている。

企画きかく制作せいさく[編集へんしゅう]

原作げんさく従来じゅうらい悪役あくやく」とされてきた原田はらだ甲斐かいを「はんのことをかんがえての行動こうどうだった」として評価ひょうか反転はんてんさせており、その解釈かいしゃく面白おもしろいとおもった吉田よしだもそのまま使用しようしている[1]

物語ものがたり序盤じょばんでは、栗原くりはら小巻こまきえんじる甲斐かい恋人こいびと・たよとの悲恋ひれん中心ちゅうしんにした、原作げんさくにはない甲斐かい青春せいしゅん時代じだいがオリジナルストーリーとしてろされており、だい14かいから原作げんさく部分ぶぶんはいっている[1]。このような構成こうせいったのは、吉田よしだ直哉なおや原作げんさくんで、甲斐かい末期まっきいたるまで本心ほんしんかさずに汚名おめい甘受かんじゅつづけたてんちず、脚本きゃくほん茂木もきなおなか甲斐かい女性じょせいから距離きょりいているてん着目ちゃくもくし、そこに女性じょせいへの贖罪しょくざい意識いしきとそれに起因きいんする自虐じぎゃくてき行動こうどうむことでその理由りゆうづけとしたためである[1]一方いっぽう総集編そうしゅうへんでは、冒頭ぼうとうから伊達だて騒動そうどう勃発ぼっぱつえがかれており、上述じょうじゅつ甲斐かいぜん半生はんせい総集編そうしゅうへん前編ぜんぺん途中とちゅうで、甲斐かい回想かいそうする形式けいしき収録しゅうろくされている。

前作ぜんさくてん』につづいて演出えんしゅつ(ディレクター)を複数ふくすういたが、ほんさくでは全体ぜんたい統括とうかつするチーフディレクターのしたにセカンド・サードを形式けいしき吉田よしだ発案はつあん導入どうにゅうされ、以降いこう大河たいがドラマの基本きほんとなる[2]吉田よしだねらいは若手わかてのディレクターに責任せきにんわせずに経験けいけんませることにあった[2]。クレジットは吉田よしだ意図いと毎回まいかい全員ぜんいん名前なまえ併記へいきした(つぎさく以降いこう担当たんとうディレクターのみとなる)[2]

現在げんざいつづくご当地とうちブームの先駆さきがけとなった作品さくひんで、ドラマの舞台ぶたい本格ほんかくてきにロケがおこなわれたのもほんさくはじめてであり、地元じもと仙台せんだいおも主人公しゅじんこう原田はらだ甲斐かい青春せいしゅんへん収録しゅうろくされた。地元じもととの観光かんこうタイアップも本格ほんかくてきはじまり、舞台ぶたいちかくのもみ木林きばやし一斉いっせいられ、ただ1ほんのこされ、まさに「もみのこった」状態じょうたいにされたというエピソードがあった[よう出典しゅってん]

オープニングはその冒頭ぼうとうふうれる竹林ちくりんから能面のうめんあらわれ、様々さまざま能面のうめんをいくつかのアングルからうつしつつ、ふう翻弄ほんろうされるたけ映像えいぞうインサートしたものであった。このタイトルバックの撮影さつえいは、竹林たけばやしぎりぎりまでヘリコプター降下こうかさせて撮影さつえいし、文化財ぶんかざいである能面のうめんについては、所蔵しょぞうしゃみずからがスタジオみ、撮影さつえいちゅう片時かたときはなさず、スタッフは湿度しつどけいまで用意よういしてまんいち事故じこふせいだという。

反響はんきょう[編集へんしゅう]

初回しょかい視聴しちょうりつ27.6%、最高さいこう視聴しちょうりつ27.6%、平均へいきん視聴しちょうりつ21.0%(関東かんとう地区ちく、ビデオリサーチ調しらべ)[3]合戦かっせんなどのない地味じみ素材そざいながら一定いってい視聴しちょうりつげた[4]

内容ないよう音楽おんがくあいまって一部いちぶ視聴しちょうしゃからは「番組ばんぐみくらい」などのこえせられたこともあったが、伊達だてのおいえ騒動そうどう緻密ちみつかつ丹念たんねんえがいており、重厚じゅうこうかつ骨太ほねぶと初期しょき大河たいがドラマの傑作けっさくたか評価ひょうかされている[よう出典しゅってん]

あらすじ[編集へんしゅう]

登場とうじょう人物じんぶつ[編集へんしゅう]

太字ふとじ総集編そうしゅうへん出演しゅつえんしゃ

従来じゅうらいおおくの作品さくひんでは、「伊達だて騒動そうどう首謀しゅぼうしゃ」という悪役あくやくとしてえがかれてきたが、ほんさくではおいえりをふせぐためにいのちけためいしんとしてえがかれている。
はた与右衛門ようえもんむすめ両親りょうしんころされたことによりしつごえしょうになる(原作げんさくとはことなる)。そのしばらくのあいだ甲斐がいのもとにおり、そこでもみせられる。
わか甲斐かいしたしい間柄あいだがらだった。しかし、身分みぶんちがうために結婚けっこんできないとさとったのち精神せいしんむ。その鹿しかおそわれてぬ。
甲斐かい心中しんちゅうのさっしながらも、あえてきびしくせっする。
甲斐かい先妻せんさい浮気うわき理由りゆう離縁りえんされるも、甲斐かいについて「うそでかためなければならないこともある」とかた冥福めいふくいのった。
ほんさくでは先妻せんさいとして茂庭もにわりつ)を登場とうじょうさせているが、史実しじつにおける甲斐かい正妻せいさい津田つだ津田つだけいやすしあね)のみであり、茂庭もにわ架空かくうのキャラクターである。
ほんさく一般いっぱんてきには従来じゅうらい伊達だて騒動そうどうかんする見解けんかいくつがえした作品さくひんとして認知にんちされているが、兵部ひょうぶ従来じゅうらいとお悪役あくやくである。さんじゅうまんせき分与ぶんよため様々さまざま陰謀いんぼうめぐらすが、それが伊達だてつぶしの口実こうじつになるとはおもってもいない。
幕府ばくふより突然とつぜん逼塞ひっそくめいじられた。その貴族きぞくさながらの生活せいかつおくっていたが、それは幕府ばくふ反抗はんこうをしないことをしめ行動こうどうだった。甲斐かいのことを信頼しんらいしている。
原田はらだ菩提寺ぼだいじそうもみまえで宇乃に、甲斐かい幕府ばくふ非道ひどうたいしてこととなえるには方法ほうほうがなかったとはなす。
酒井さかい雅楽ががくあたまかんがえを支持しじするも、そのやりかたには疑問ぎもんいている。瀕死ひんし甲斐かい伊達だて存続そんぞく確約かくやくする。
浪人ろうにん兵部ひょうぶ支援しえん道場どうじょうひらいている。
六郎兵衛ろくろうべえいもうとしんはち恋仲こいなかになる。
仙台せんだいはんで、つなむね側近そっきん万治まんじ3ねん7がつ19にちよる、「上意じょういち」をくちにするものによってころされる。
またおとうとあに死後しご出奔しゅっぽんし、自暴自棄じぼうじき生活せいかつおくるが・・・。
兵部ひょうぶ側近そっきん。モデルは実在じつざい一関いちのせきはん家老がろう新妻にいづまたね
仙台せんだい藩士はんしで、つなむね側近そっきん万治まんじ3ねん7がつ19にちよる、「上意じょういち」をくちにするものによってころされる。
酒井さかい雅樂ががくあたま家臣かしん雅樂ががくあたま屋敷やしき甲斐かいいたる伊達だて面々めんめん殺害さつがいするしゅ一人ひとり
部屋住へやずみだが、甲斐かいとはしたしい間柄あいだがらだった。おい采女うねめ里見さとみじゅう左衛門さえもん兵部ひょうぶ暗殺あんさつ計画けいかくするが、家来けらい裏切うらぎりにより発覚はっかくし、らえられ斬首ざんしゅされる。
はた与右衛門ようえもんつまで宇乃のははおっととともに「上意じょういち」をくちにするものにころされる。
宇乃のおとうと
徳川とくがわ幕府ばくふ安泰あんたいだいいちとし、そのため兵部ひょうぶ利用りようして伊達だてつぶしを画策かくさくする。兵部ひょうぶたいしてさんじゅうまんせき分与ぶんよ密約みつやくしょわたすも、これは兵部ひょうぶにせがまれていたものでその意思いしはなかったのだが、その密約みつやくしょ存在そんざいあきらかになったため、その事実じじつ隠蔽いんぺいすべく甲斐かいいたる殺害さつがいし、すべてを甲斐かい乱心らんしんとして処理しょりしたが、同時どうじ伊達だてつぶしは失敗しっぱいわった。
甲斐かい小姓こしょうで、幼君ようくんおにやく毒見どくみやく)となり死亡しぼう。そのさい魂魄こんぱくとなって伊達だてまもるので、葬儀そうぎ燈明とうみょう不要ふようといいのこす。
塩沢しおざわたん三郎さぶろうはは
甲斐かいとはしたしい間柄あいだがらだった。ななじゅうろうはかまえで、甲斐かいから兵部ひょうぶった真意しんいかされる。
甲斐かいつまりつ浮気うわきし、決意けついするも、甲斐かいから「こと簡単かんたんだがきることむずかしさをってほしい」とさとされ、ある密命みつめい酒井さかい潜入せんにゅうする。甲斐かいいたる殺害さつがいされる危険きけんせまっていることをらせようとして殺害さつがいされる。
りつあに甲斐かいについて「いつかだれかがそのうそ(甲斐かい真相しんそう)をかしてくれる」とはなし、冥福めいふくいのった。
支倉はせくら常長つねながとともにローマにった南蛮なんばん。たよの治療ちりょう懇願こんがんする甲斐かいたいして、「本当ほんとうなおしてやりたいなら、一緒いっしょになって一生いっしょうげろ」とすすめる。
兵部ひょうぶ意向いこうにより、幼君ようくん毒殺どくさつこころみるが失敗しっぱい斬首ざんしゅされた。
甲斐かい家臣かしん
伊東いとう家来けらい兵部ひょうぶ暗殺あんさつ陰謀いんぼうり、伊東いとうため采女うねめななじゅうろうらえるが、ななじゅうろうから「伊東いとうより伊達だてほう大事だいじだ。おまえ間違まちがった。」とわれる。
かめ千代ちよくん毒殺どくさつ未遂みすい手紙てがみ原田はらだ甲斐かいはこんでくる少女しょうじょ

スタッフ[編集へんしゅう]

放送ほうそう[編集へんしゅう]

特記とっきがないかぎりウェブサイト「NHKクロニクル」の「NHK番組ばんぐみひょうヒストリー」で確認かくにん[5]

通常つうじょう放送ほうそう時間じかん[編集へんしゅう]

  • NHK総合そうごうテレビジョン毎週まいしゅう日曜にちよう 2000ふん - 2045ふん
  • さい放送ほうそう)NHK総合そうごうテレビジョン:毎週まいしゅう土曜どよう 1325ふん - 1410ふん[6]

放送ほうそう日程にってい[編集へんしゅう]

だい14かいよどごうハイジャック事件じけん報道ほうどう特別とくべつ番組ばんぐみのため、45ふんげ。

放送ほうそうかい 放送ほうそう だい
だい1かい 1970ねん1がつ4にち のふたり
だい2かい 1970ねん1がつ11にち たけそよぐ
だい3かい 1970ねん1がつ18にち わかれみち
だい4かい 1970ねん1がつ25にち 会津あいづ宿やど
だい5かい 1970ねん2がつ1にち 再会さいかい
だい6かい 1970ねん2がつ8にち ひろ世界せかい 
だい7かい 1970ねん2がつ15にち ゆき綿帽子わたぼうし 
だい8かい 1970ねん2がつ22にち よるあめ
だい9かい 1970ねん3がつ1にち 路地ろじうら人々ひとびと
だい10かい 1970ねん3がつ8にち 盤上ばんじょうたたか
だい11かい 1970ねん3がつ15にち はな行方ゆくえ
だい12かい 1970ねん3がつ22にち よこぐるま
だい13かい 1970ねん3がつ29にち ゆき香華こうげ
だい14かい 1970ねん4がつ5にち ふうのまえぶれ
だい15かい 1970ねん4がつ12にち もの
だい16かい 1970ねん4がつ19にち ゆうなぎ
だい17かい 1970ねん4がつ26にち やみおと
だい18かい 1970ねん5がつ3にち まなざし
だい19かい 1970ねん5がつ10日とおか 影絵かげえ
だい20かい 1970ねん5がつ17にち さかずきなか
だい21かい 1970ねん5がつ24にち 孤灯ことうのかげ
だい22かい 1970ねん5がつ31にち こおりのくさび
だい23かい 1970ねん6がつ7にち 不意ふいきゃく
だい24かい 1970ねん6がつ14にち こがらし
だい25かい 1970ねん6がつ21にち ひつじ
だい26かい 1970ねん6がつ28にち むかしのこえ
だい27かい 1970ねん7がつ5にち やみむかって
だい28かい 1970ねん7がつ12にち 蔵王ざおう
だい29かい 1970ねん7がつ19にち 氷雨ひさめ
だい30かい 1970ねん7がつ26にち くびじろ 
だい31かい 1970ねん8がつ2にち 青根あおね愁色しゅうしょく
だい32かい 1970ねん8がつ9にち どくほのお
だい33かい 1970ねん8がつ16にち 片羽かたはとり
だい34かい 1970ねん8がつ23にち やまびこ
だい35かい 1970ねん8がつ30にち 吉日きちじつぜんりつ
だい36かい 1970ねん9がつ6にち ぐみの
だい37かい 1970ねん9がつ13にち うそとまこと
だい38かい 1970ねん9がつ20日はつか もみじの
だい39かい 1970ねん9がつ27にち 外様とざまのこころ
だい40かい 1970ねん10がつ4にち みっつのみち
だい41かい 1970ねん10がつ11にち 西にしからの密書みっしょ
だい42かい 1970ねん10がつ18にち みつちぎり証文しょうもん
だい43かい 1970ねん10がつ25にち ふたつの手文庫てぶんこ
だい44かい 1970ねん11月1にち 凶報きょうほう
だい45かい 1970ねん11月8にち 燈明とうみょうひとつ
だい46かい 1970ねん11月15にち 無念むねん
だい47かい 1970ねん11月22にち のちの
だい48かい 1970ねん11月29にち 破局はきょく前夜ぜんや
だい49かい 1970ねん12月6にち みぞれの出府しゅっぷ
だい50かい 1970ねん12月13にち 最後さいご
だい51かい 1970ねん12がつ20日はつか 剣ヶ峰けんがみね
最終さいしゅうかい 1970ねん12月27にち だんきんだん
平均へいきん視聴しちょうりつ 21.0%(視聴しちょうりつ関東かんとう地区ちくビデオリサーチしゃ調しら[3]

総集編そうしゅうへん[編集へんしゅう]

  • 前編ぜんぺんだい1):1970ねん12月30にち 1920ふんから2059ふん
  • 後編こうへんだい2):1970ねん12月31にち 1920ふんから2050ふん

映像えいぞう現存げんそん公開こうかいじょうきょう[編集へんしゅう]

総集編そうしゅうへん最後さいご部分ぶぶん原田はらだ甲斐かい供養くようする放送ほうそう当時とうじのフィルム映像えいぞうながしている。この総集編そうしゅうへん現存げんそんし、VHSDVD発売はつばいされている。また、1978ねん東京とうきょう12チャンネル、1994ねんにNHKでさい放送ほうそうされている。本編ほんぺんかい映像えいぞうについてはながらく現存げんそんしないとされてきたが、主人公しゅじんこう原田はらだ甲斐かい居城きょじょうだった船岡ふなおかしろがあった宮城みやぎけん柴田しばたぐん柴田しばたまち郷土きょうど資料しりょうかんしばたの郷土きょうどかん」に、だい29のぞぜん52ちゅうの51ぶん録画ろくがテープが保存ほぞんされていたことが2011ねん2がつあきらかになった[7]。なお、このテープは録画ろくが機器ききがカラー対応たいおうではなかったためにモノクロで保存ほぞんされている[8][9]。その、「しばたの郷土きょうどかん」の要望ようぼうにより、入場にゅうじょうりょう無料むりょうにしたうえでDVDにより常時じょうじ放映ほうえいされている(有料ゆうりょう場合ばあい権利けんりしゃへの許諾きょだくのための対価たいかをNHKへはら必要ひつようがあった)。

なお、総集編そうしゅうへんだい一部いちぶ冒頭ぼうとうほん放送ほうそう歌舞伎かぶき映像えいぞうとナレーションによって構成こうせいされていたが、肖像しょうぞうけん都合つごうもあってか、ソフトさい字幕じまく表示ひょうじえられている(NHKオンデマンドによる配信はいしん映像えいぞうではオリジナルの映像えいぞう視聴しちょうできる)。また、NHKアーカイブスではだいのみの公開こうかいとなっている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 春日かすがふとしいち 2021, pp. 86–89.
  2. ^ a b c 春日かすがふとしいち 2021, pp. 89–90.
  3. ^ a b ビデオリサーチ NHK大河たいがドラマ 過去かこ視聴しちょうりつデータ
  4. ^ 春日かすがふとしいち 2021, pp. 91–92.
  5. ^ NHK番組ばんぐみひょうヒストリー - NHKクロニクル
  6. ^ 一部いちぶ放送ほうそう日時にちじ変更へんこうあり
  7. ^ だい17かい樅ノ木もみのき(もみのき)はのこっていた!(その1)」”. 連載れんさいコラム「おたから発見はっけんニュース」 (NHKアーカイブス). (2011ねん4がつ22にち). https://web.archive.org/web/20120510124136/https://www.nhk.or.jp/archives/hiwa/110422.html 
  8. ^ 2011ねん4がつ23にち放送ほうそうNHK BSプレミアム『よみがえる大河たいがドラマ もみのこった』
  9. ^ だい18かい樅ノ木もみのき(もみのき)はのこっていた!(その2)&そのいろいろ」”. 連載れんさいコラム「おたから発見はっけんニュース」 (NHKアーカイブス). (2012ねん4がつ6にち). https://web.archive.org/web/20130405083438/https://www.nhk.or.jp/archives/hiwa/120406.html 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 春日かすが太一たいち大河たいがドラマの黄金おうごん時代じだいNHK出版しゅっぱん〈NHK出版しゅっぱん新書しんしょ〉、2021ねん2がつ10日とおかISBN 978-4-14-088647-2 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

NHK 大河たいがドラマぜん番組ばんぐみより20開始かいし、カラー作品さくひん
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
樅ノ木もみのきのこった