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亘理わたりぐん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮城みやぎけん亘理わたりぐん範囲はんい(1.亘理わたりまち 2.山元やまもとまち

亘理わたりぐん(わたりぐん)は、宮城みやぎけん陸奥みちのくこく磐城いわきこく)のぐん

人口じんこう44,028にん面積めんせき138.18km²、人口じんこう密度みつど319にん/km²。(2024ねん8がつ1にち推計すいけい人口じんこう

以下いかの2まちふくむ。

ぐんいき

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1878ねん明治めいじ11ねん)に行政ぎょうせい区画くかくとして発足ほっそくした当時とうじぐんいきは、上記じょうき2まちのほか岩沼いわぬま一部いちぶ吹上ふきあげ吹上西ふきあげにし阿武隈あぶくま大昭和だいしょうわなど)をくわえた区域くいきにあたる。

人口じんこう

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げん市町村しちょうそんかいでの国勢調査こくせいちょうさ人口じんこう推移すいい単位たんいひと)を以下いかしめ[1][2]

  亘理わたりぐん

歴史れきし

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古代こだいは曰理ぐん表記ひょうきされた。

近世きんせい以降いこう沿革えんかく

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坂元さかもと本郷ほんごう小堤こづつみむら吉田よしだむら長瀞ながとろむら八手庭はでにわむら大平おおひらむら小平こだいらむら鷲足わしあしむら山寺やまでらむら浅生原あそうはらむら[3]高瀬たかぜむら真庭まにわむら高須賀たかすかむら鹿島かしまむら高屋たかやむらさぎむらわらびむらえのきふくろむら神宮寺じんぐうじむら上郡かみごおりむら下郡しもごおりむら田沢たざわむら十文字じゅうもんじむら牛袋うしぶくろむら中泉なかいずみむら小山おやまむら
宮城みやぎけんだい19だいぜん8しょう亘理わたりぐん1~6・宇多うだぐん
所属しょぞくむら
しょう1 牛袋うしぶくろむらえのきふくろむら上郡かみごおりむら下郡しもごおりむら小山おやまむらさぎむら十文字じゅうもんじむら田沢たざわむら中泉なかいずみむら
しょう2 高須賀たかすかむら高屋たかやむらわらびむら
しょう3 小堤こづつみむら鹿島かしまむら神宮寺じんぐうじむら
しょう4 吉田よしだむら長瀞ながとろむら八手庭はでにわむら大平おおひらむら小平こだいらむら
しょう5 鷲足わしあしむら山寺やまでらむら浅生原あそうはらむら高瀬たかぜむら
しょう6 坂元さかもと本郷ほんごう真庭まにわむら
  • 明治めいじ7ねん1874ねん)4がつ - 再編さいへんにより、伊具いぐぐん宇多うだぐんとも宮城みやぎけんだい10だいとなる。
宮城みやぎけんだい10だいぜん14しょう伊具いぐぐん宇多うだぐん亘理わたりぐん10~14)
所属しょぞくむら
しょう10 坂元さかもと本郷ほんごう真庭まにわむら(+宇多うだぐん福田ふくだむら真弓まゆみむららち木崎きざきむら
しょう11 大平おおひらむら小平こだいらむら鷲足わしあしむら山寺やまでらむら浅生原あそうはらむら高瀬たかぜむら
しょう12 小堤こづつみむら鹿島かしまむら長瀞ながとろむら吉田よしだむら八手庭はでにわむら
しょう13 牛袋うしぶくろむら上郡かみごおりむら下郡しもごおりむら小山おやまむら神宮寺じんぐうじむら田沢たざわむら中泉なかいずみむら
しょう14 高須賀たかすかむらえのきふくろむら高屋たかやむらさぎむら十文字じゅうもんじむらわらびむら
  • 明治めいじ9ねん1876ねん)4がつ22にち - いわぜんけん管轄かんかつとなる。
  • 明治めいじ9ねん(1876ねん)8がつ21にち - だい2府県ふけん統合とうごうにより宮城みやぎけん復帰ふっきする。
  • 明治めいじ9ねん(1876ねん)11月 - 再編さいへんにより、刈田かりたぐん柴田しばたぐん伊具いぐぐんとも宮城みやぎけんだい1だいとなる。
宮城みやぎけんだい1だいぜん9しょう刈田かりたぐん柴田しばたぐん伊具いぐぐん亘理わたりぐん8~9)
所属しょぞくむら
しょう8 小堤こづつみむら長瀞ながとろむら吉田よしだむら八手庭はでにわむら大平おおひらむら小平こだいらむら鷲足わしあしむら山寺やまでらむら浅生原あそうはらむら高瀬たかぜむら真庭まにわむら坂元さかもと本郷ほんごう
しょう9 高須賀たかすかむら牛袋うしぶくろむらえのきふくろむら鹿島かしまむら高屋たかやむら上郡かみごおりむら下郡しもごおりむら小山おやまむらさぎむら十文字じゅうもんじむら神宮寺じんぐうじむら田沢たざわむら中泉なかいずみむらわらびむら
  • 明治めいじ11ねん1878ねん)10がつ21にち - こおり町村ちょうそん編制へんせいほう宮城みやぎけんでの施行しこうにより、行政ぎょうせい区画くかくとしての亘理わたりぐん発足ほっそく。「伊具いぐ亘理わたりぐん役所やくしょ」が伊具いぐぐん角田つのだ本郷ほんごう設置せっちされ、どうぐんとともに管轄かんかつどう日大にちだいせい廃止はいし

町村ちょうそんせい以降いこう沿革えんかく

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41.亘理わたりまち 42.坂元さかもとむら 43.山下やましたむら 44.吉田よしだむら 45.逢隈おうくまむら 46.荒浜あらはまむらだいだい亘理わたりまち 山元やまもとまち みどり岩沼いわぬま。1 - 11は刈田かりたぐん 21 - 35は伊具いぐぐん
  • 明治めいじ22ねん1889ねん4がつ1にち - 町村ちょうそんせい施行しこうにより、以下いか町村ちょうそん発足ほっそく[4]。(1まち5むら
    • 亘理わたりまち小堤こづつみむら単独たんどく町制ちょうせいげん亘理わたりまち
    • 坂元さかもとむら坂元さかもと本郷ほんごう真庭まにわむらげん山元やまもとまち
    • 山下やましたむら八手庭はでにわむら大平おおひらむら小平こだいらむら鷲足わしあしむら山寺やまでらむら浅生原あそうはらむら高瀬たかぜむらげん山元やまもとまち
    • 吉田よしだむら吉田よしだむら長瀞ながとろむらげん亘理わたりまち
    • 逢隈おうくまむら牛袋うしぶくろむらえのきふくろむら鹿島かしまむら高屋たかやむら上郡かみごおりむら下郡しもごおりむら小山おやまむらさぎむら十文字じゅうもんじむら神宮寺じんぐうじむら[5]田沢たざわむら中泉なかいずみむらわらびむらげん亘理わたりまち
    • 荒浜あらはまむら高須賀たかすかむら改称かいしょううえ単独たんどくむらせいげん亘理わたりまち
  • 明治めいじ27ねん1894ねん)4がつ1にち - ぐんせい施行しこう単独たんどく亘理わたりぐん役所やくしょ亘理わたりまち設置せっち
  • 大正たいしょう12ねん1923ねん)4がつ1にち - ぐんかい廃止はいしぐん役所やくしょ存続そんぞく
  • 大正たいしょう15ねん1926ねん7がつ1にち - ぐん役所やくしょ廃止はいし以降いこう地域ちいき区分くぶん名称めいしょうとなる。
  • 昭和しょうわ10ねん1935ねん時点じてんでのとうぐん面積めんせきは138.26平方へいほうkm、人口じんこうは34,039にんおとこ16,776にんおんな17,263にん[6]
  • 昭和しょうわ18ねん1943ねん4がつ29にち - 荒浜あらはまむら町制ちょうせい施行しこうして荒浜あらはままちとなる。(2まち4むら
  • 昭和しょうわ22ねん1947ねん1がつ11にち - 逢隈おうくまむらのうち阿武隈川あぶくまがわ北岸ほくがん部分ぶぶん吹上ふきあげ地区ちく[7]、2.44平方へいほうkm)が名取なとりぐん岩沼いわぬままち編入へんにゅう
  • 昭和しょうわ30ねん1955ねん2がつ1にち (2まち
    • 亘理わたりまち荒浜あらはままち吉田よしだむら逢隈おうくまむら合併がっぺいし、あらためて亘理わたりまち発足ほっそく
    • 山下やましたむら坂元さかもとむら合併がっぺいして山元やまもとまち発足ほっそく

変遷へんせんひょう

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自治体じちたい変遷へんせん
明治めいじ22ねん以前いぜん 明治めいじ22ねん4がつ1にち 明治めいじ22ねん - 昭和しょうわ29ねん 昭和しょうわ30ねん - 昭和しょうわ39ねん 昭和しょうわ40ねん - 昭和しょうわ64ねん 平成へいせい元年がんねん - 現在げんざい 現在げんざい
小堤こづつみむら 亘理わたりまち 亘理わたりまち 昭和しょうわ30ねん2がつ1にち
亘理わたりまち
亘理わたりまち 亘理わたりまち 亘理わたりまち
高須賀たかすかむら 荒浜あらはまむら 昭和しょうわ18ねん4がつ29にち
町制ちょうせい 荒浜あらはままち
吉田よしだむら 吉田よしだむら 吉田よしだむら
長瀞ながとろむら
小山おやまむら 逢隈おうくまむら 逢隈おうくまむら
牛袋うしぶくろむら
えのきふくろむら
鹿島かしまむら
高屋たかやむら
上郡かみごおりむら
下郡しもごおりむら
さぎむら
十文字じゅうもんじむら
神宮寺じんぐうじむら
田沢たざわむら
わらびむら
中泉なかいずみむら その
吹上ふきあげ
地区ちく
昭和しょうわ22ねん1がつ11にち
名取なとりぐん岩沼いわぬままち編入へんにゅう
昭和しょうわ30ねん11月1にち
岩沼いわぬままち
昭和しょうわ46ねん4がつ1にち
岩沼いわぬま
岩沼いわぬま 岩沼いわぬま
八手庭はでにわむら 山下やましたむら 山下やましたむら 昭和しょうわ30ねん2がつ1にち
山元やまもとまち
山元やまもとまち 山元やまもとまち 山元やまもとまち
大平おおひらむら
小平こだいらむら
鷲足わしあしむら
山寺やまでらむら
浅生原あそうはらむら
高瀬たかぜむら
坂元さかもと本郷ほんごう 坂元さかもとむら 坂元さかもとむら
真庭まにわむら

行政ぎょうせい

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伊具いぐ亘理わたりぐんちょう
だい 氏名しめい 就任しゅうにん年月日ねんがっぴ 退任たいにん年月日ねんがっぴ 備考びこう
1 斎藤さいとう喜平治きへいじ
2 児玉こだませい 明治めいじ16ねん(1883ねん
3 武者むしゃでん二郎じろう 明治めいじ16ねん(1883ねん
4 山内やまうち信実しんじつ 明治めいじ27ねん(1894ねん)3がつ31にち はいかん
亘理わたりぐんちょう転任てんにん
亘理わたりぐんちょう
だい 氏名しめい 就任しゅうにん年月日ねんがっぴ 退任たいにん年月日ねんがっぴ 備考びこう
1 山内やまうち信実しんじつ 明治めいじ27ねん(1894ねん)4がつ1にち 伊具いぐ亘理わたりぐんちょうより転任てんにん
2 高岡たかおか松郎まつろう
3 高橋たかはしためきよし
4 半田はんだしげるない 明治めいじ34ねん(1901ねん)12月27にち 明治めいじ41ねん(1908ねん)3がつ9にち[8]
5 小倉おぐら信光のぶみつ 明治めいじ41ねん(1908ねん)3がつ9にち[8]
6 伊地知いじちやすししん
7 宮崎みやざき公男きみお
8 埜正
9 畑山はたやま四男よつお
10 古川ふるかわため
11 吉村よしむらじゅうななよるがつ
12 佐藤さとう真平まっぴら
13 八谷やたにサトシ[9]
14 小山こやま喜寿きじゅ
15 松山まつやまひだりすけ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 平成へいせい17ねん国勢調査こくせいちょうさ1結果けっか宮城みやぎけん
  2. ^ 平成へいせい27ねん国勢調査こくせいちょうさ人口じんこうとう基本きほん集計しゅうけい結果けっかかく定値ていち宮城みやぎけん
  3. ^ 江戸えど時代じだいつうじて「浅生原あそうはら」「麻生原あそばる表記ひょうき併存へいそん
  4. ^ 町村ちょうそん統合とうごう自体じたい前日ぜんじつの3がつ31にちづけ実施じっしされている。(明治めいじ22ねん〈1889ねん〉2がつ9にちづけ宮城みやぎけんれいだい8ごう
  5. ^ げん亘理わたりまち逢隈神宮寺おうくまじんぐうじ
  6. ^ 昭和しょうわ10ねん国勢調査こくせいちょうさによる。国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクションで閲覧えつらん可能かのう
  7. ^ 逢隈おうくまむら中泉なかいずみのうち、法京ほうきょうさば土手どて藤波ふじなみ西にし丹後たんごきた丹後たんごみなみ根方ねかた道北みちきた岩沼いわぬま上下じょうげかく
  8. ^ a b 官報かんぽうだい7408ごう明治めいじ41ねん3がつ10日とおか
  9. ^ 「サトシ」はりっしんべんに鬲

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん編纂へんさん委員いいんかい へん角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん』 4 宮城みやぎけん角川書店かどかわしょてん、1979ねん12月1にちISBN 4040010302 
  • きゅうこう旧領きゅうりょう取調とりしらべちょうデータベース
  • 山元やまもとまち』(宮城みやぎけん亘理わたりぐん山元やまもとまち、1971ねん
  • 亘理わたりまち下巻げかん宮城みやぎけん亘理わたりぐん亘理わたりまち、1977ねん