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刈田かりたぐん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮城みやぎけん刈田かりたぐん範囲はんい(1.蔵王ざおうまち 2.七ヶ宿しちがしゅくまち

刈田かりたぐん(かったぐん)は、宮城みやぎけん陸奥みちのくこく磐城いわきこく)のぐん

人口じんこう11,861にん面積めんせき415.92km²、人口じんこう密度みつど28.5にん/km²。(2024ねん6がつ1にち推計すいけい人口じんこう

以下いかの2まちふくむ。

ぐんいき[編集へんしゅう]

1878ねん明治めいじ11ねん)に行政ぎょうせい区画くかくとして発足ほっそくした当時とうじぐんいきは、上記じょうき2まち白石しらいしくわえた区域くいきにあたる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

養老ようろう5ねん721ねん)10がつ柴田しばたぐんのうち南部なんぶ苅田かんだきょうあつしさといて、苅田かんだぐんとして独立どくりつさせたことにより成立せいりつした。平安へいあん時代じだい中期ちゅうき(10世紀せいき前半ぜんはん)に成立せいりつした『和名わみょう類聚るいじゅうしょう』によれば、あつさと苅田かんだきょう坂田さかたさと三田みたきょう四郷しごうかれていたとある。

鎌倉かまくら時代じだい以降いこう奥州おうしゅう藤原ふじわら一族いちぞくしょうする白石しらいし刈田かりた)が刈田かりたぐん中心ちゅうしん勢力せいりょくとなる。白石しらいし伊達だてまさしそうひろし養子ようしむかえるなど、はやくから南隣みなみどなり伊達だてとの関係かんけいふかかったこともあり、刈田かりたぐんないには伊達だて影響えいきょうつよおよんでいた。戦国せんごく時代じだいには伊達だて稙宗勢力せいりょく拡大かくだいしたがって白石しらいしをはじめとする刈田かりたぐんないしょ勢力せいりょくはその傘下さんかまれ、以後いご伊達だて部将ぶしょうとして活動かつどうするも、天正てんしょう14ねん1586ねん)に白石しらいししろおも白石しらいしそうみのる伊達だてまさしむねにより安達あだちぐん宮森みやもりしろうつされ、白石しらいし刈田かりたぐんることになった。

天正てんしょう18ねん1590ねん)、せいむね豊臣とよとみ秀吉ひでよし降伏ごうぶく同年どうねん奥州おうしゅう仕置しおき刈田かりたぐん伊達だてりょう確定かくていされ、つづ領有りょうゆうゆるされたものの、よく天正てんしょう19ねん1591ねん)にはせいむねによる葛西かさい大崎おおさき一揆いっき煽動せんどう工作こうさく露見ろけんしたため伊達だて岩出いわで山城やましろげんてんふうされ、刈田かりたぐん長井ながい信夫しのぶ伊達だて田村たむら安達あだちかくぐんとも会津あいづ蒲生がもうきょうあたえられた。慶長けいちょう3ねん1598ねん)には蒲生がもうわって会津あいづにゅうふうした上杉うえすぎ景勝かげかつ領地りょうちとなったが、慶長けいちょう5ねん1600ねん)の関ヶ原せきがはらたたかさいして徳川とくがわ家康いえやすから刈田かりたぐんふく上記じょうき旧領きゅうりょうろくぐん自力じりき回復かいふくゆるされたせいむねが、白石しらいしじょうをはじめとする刈田かりたぐんないしょしろ上杉うえすぎから奪還だっかんし、刈田かりたぐん仙台せんだいはんりょうとなった。せいむね慶長けいちょう7ねん1602ねん)に重臣じゅうしん片倉かたくら景綱かげつな白石しらいし城主じょうしゅとし、はんさかい西南せいなんかためをまかせた。白石しらいしじょう一国一城いっこくいちじょうれい例外れいがいとしてあつかわれ、以後いご幕末ばくまついたるまで代々だいだい片倉かたくら城主じょうしゅつとめた。江戸えど時代じだいつうじてぐん過半かはん片倉かたくら知行ちぎょうであった。

明治めいじ元年がんねん1868ねん仙台せんだいはん戊辰戦争ぼしんせんそう敗北はいぼくすると、刈田かりたぐん没収ぼっしゅうされ、同年どうねん12がつ12にち西暦せいれきではよく1869ねん1がつ)に盛岡もりおかはんからうつされた南部なんぶとしきょう領地りょうちとなったが、半年はんとし南部なんぶ盛岡もりおかへと復帰ふっきした。

近代きんだい以降いこう沿革えんかく[編集へんしゅう]

白石しらいし本郷ほんごう蔵本くらもとむら森合もりあいむらちょうふくろむらはちみやむら郡山こおりやまむら鷹巣たかすむら坂谷さかだにむら中目なかのめむら斎川さいかわむら越河こすごうむらむらたいらむら三沢みさわむらいぬそつばばむらしょう奥村おくむらうちおやむら小下倉こしたぐらむら深谷ふかやむら宮村みやむら曲竹まがたけむら矢附やづきむら塩沢しおざわむら円田えんだむら平沢ひらさわむら小原おはらむら関村せきむら滑津なめつむら渡瀬わたせむら湯原ゆはらむら大町おおまちむら小村崎こむらさきむら津田つだむら
宮城みやぎけんだい17だいぜん11しょう刈田かりたぐんのみ)
所属しょぞくむら
しょう1 白石しらいし本郷ほんごう
しょう2 郡山こおりやまむら大町おおまちむら鷹巣たかすむら三沢みさわむら
しょう3 いぬ卒塔婆そとうばむらうちおやむらしょう奥村おくむら津田つだむら小下倉こしたぐらむら
しょう4 越河こすごうむらむらたいらむら
しょう5 斎川さいかわむらさかごうむら中目なかのめむら
しょう6 森合もりあいむら蔵本くらもとむらちょうふくろむら
しょう7 深谷ふかやむらはち宮村みやむら
しょう8 宮村みやむら曲竹まがたけむら矢附やづきむら
しょう9 円田えんだむら小村崎こむらさきむら塩沢しおざわむら平沢ひらさわむら
しょう10 小原おはらむら
しょう11 関村せきむら渡瀬わたせむら滑津なめつむら湯原ゆはらむら
  • 明治めいじ7ねん1874ねん)4がつ - 再編さいへんにより、柴田しばたぐんとも宮城みやぎけんだい9だいとなる。
宮城みやぎけんだい9だいぜん12しょう柴田しばたぐん刈田かりたぐん7~12)
所属しょぞくむら
しょう7 だい町村ちょうそん鷹巣たかすむら三沢みさわむらいぬ卒塔婆そとうばむらうちおやむらしょう奥村おくむら津田つだむらさかごうむら
しょう8 白石しらいし本郷ほんごう郡山こおりやまむら小下倉こしたぐらむら蔵本くらもとむら
しょう9 斎川さいかわむら中目なかのめむら森合もりあいむら越河こすごうむらむらたいらむら
しょう10 宮村みやむら曲竹まがたけむらちょうふくろむら深谷ふかやむらはち宮村みやむら
しょう11 円田えんだむら小村崎こむらさきむら塩沢しおざわむら平沢ひらさわむら矢附やづきむら
しょう12 小原おはらむら関村せきむら渡瀬わたせむら滑津なめつむら湯原ゆはらむら
宮城みやぎけんだい1だいぜん9しょう刈田かりたぐん1~2・柴田しばたぐん伊具いぐぐん亘理わたりぐん
所属しょぞくむら
しょう1 白石しらいし本郷ほんごう郡山こおりやまむら大町おおまちむら鷹巣たかすむら三沢みさわむらいぬ卒塔婆そとうばむら斎川さいかわむらさかごうむら中目なかのめむら森合もりあいむら越河こすごうむらむらたいらむら小原おはらむら関村せきむら渡瀬わたせむら滑津なめつむら湯原ゆはらむら
しょう2 宮村みやむらうちおやむらしょう奥村おくむら津田つだむら小下倉こしたぐらむら蔵本くらもとむらちょうふくろむら深谷ふかやむらはちみやむら円田えんだむら小村崎こむらさきむら塩沢しおざわむら平沢ひらさわむら曲竹まがたけむら矢附やづきむら
  • 明治めいじ11ねん1878ねん10月21にち - こおり町村ちょうそん編制へんせいほう宮城みやぎけんでの施行しこうにより、行政ぎょうせい区画くかくとしての刈田かりたぐん発足ほっそく。「柴田しばた刈田かりたぐん役所やくしょ」が柴田しばたぐん大河原おおがわらむら設置せっちされ、どうぐんとともに管轄かんかつどう日大にちだいせい廃止はいし

町村ちょうそんせい施行しこう以後いご沿革えんかく[編集へんしゅう]

1.白石しらいしまち 2.福岡ふくおかむら 3.みやむら 4.円田えんだむら 5.白川しらかわむら 6.大鷹おおたか沢村さわむら 7.大平おおひらむら 8.斎川さいかわむら 9.越河こすごうむら 10.小原おはらむら 11.七ヶ宿しちがしゅくむらむらさき白石しらいし 水色みずいろ蔵王ざおうまち あお合併がっぺいなし。21 - 35は伊具いぐぐん 41 - 46は亘理わたりぐん
  • 明治めいじ22ねん1889ねん4がつ1にち - 町村ちょうそんせい施行しこうにより、以下いか町村ちょうそん発足ほっそく[1]特記とっき以外いがいげん白石しらいし。(1まち10むら
    • 白石しらいしまち白石しらいし本郷ほんごう郡山こおりやまむら鷹巣たかすむら里前さとまえ
    • 福岡ふくおかむら蔵本くらもとむらちょうふくろむら深谷ふかやむらはち宮村みやむら
    • 宮村みやむら単独たんどくむらせいげん蔵王ざおうまち
    • 円田えんだむら円田えんだむら小村崎こむらさきむら塩沢しおざわむら平沢ひらさわむら曲竹まがたけむら矢附やづきむらげん蔵王ざおうまち
    • 白川しらかわむら津田つだむらいぬそつばばむらうちおやむらしょう奥村おくむら小下倉こしたぐらむら
    • 大鷹おおたか沢村さわむら大町おおまちむら三沢みさわむら鷹巣たかすむら山内やまうち
    • 大平おおひらむら坂谷さかだにむら中目なかのめむら森合もりあいむら
    • 斎川さいかわむら単独たんどくむらせい
    • 越河こすごうむら越河こすごうむらむらたいらむら
    • 小原おはらむら単独たんどくむらせい
    • 七ヶ宿しちがしゅくむら関村せきむら渡瀬わたせむら滑津なめつむら湯原ゆはらむらげん七ヶ宿しちがしゅくまち
  • 明治めいじ27ねん1894ねん)4がつ1にち - ぐんせい施行しこうぐん役所やくしょ白石しらいしまち設置せっち
  • 大正たいしょう12ねん1923ねん)4がつ1にち - ぐんかい廃止はいしぐん役所やくしょ存続そんぞく
  • 大正たいしょう15ねん1926ねん
    • 4がつ1にち - 白川しらかわむら一部いちぶ大字だいじ小下倉こしたぐら)が白石しらいしまち編入へんにゅう
    • 7がつ1にち - ぐん役所やくしょ廃止はいし以降いこう地域ちいき区分くぶん名称めいしょうとなる。
  • 昭和しょうわ10ねん1935ねん時点じてんでのとうぐん面積めんせきは701.80平方へいほうkm、人口じんこうは51,175にんおとこ25,417にんおんな25,758にん[2]
  • 昭和しょうわ29ねん1954ねん)4がつ1にち - 白石しらいしまち大平おおひらむら大鷹おおたか沢村さわむら福岡ふくおかむら白川しらかわむら越河こすごうむら斎川さいかわむら合併がっぺいして白石しらいし発足ほっそくし、ぐんより離脱りだつ。(4むら
  • 昭和しょうわ30ねん1955ねん)4がつ1にち - 円田えんだむら宮村みやむら合併がっぺいして蔵王ざおうまち発足ほっそく。(1まち2むら
  • 昭和しょうわ32ねん1957ねん
    • 3月31にち - 小原おはらむら白石しらいし編入へんにゅう。(1まち1むら
    • 4がつ1にち - 七ヶ宿しちがしゅくむら町制ちょうせい施行しこうして七ヶ宿しちがしゅくまちとなる。(2まち

変遷へんせんひょう[編集へんしゅう]

自治体じちたい変遷へんせん
明治めいじ22ねん以前いぜん 明治めいじ22ねん4がつ1にち
町村ちょうそんせい施行しこう
明治めいじ22ねん - 大正たいしょう15ねん 昭和しょうわ元年がんねん - 昭和しょうわ29ねん 昭和しょうわ30ねん - 昭和しょうわ64ねん 平成へいせい元年がんねん - 現在げんざい 現在げんざい
だい町村ちょうそん 大鷹おおたか沢村さわむら 大鷹おおたか沢村さわむら 大鷹おおたか沢村さわむら 昭和しょうわ29ねん4がつ1にち
白石しらいし
白石しらいし 白石しらいし
三沢みさわむら
鷹巣たかすむら 山内やまうち
里前さとまえ 白石しらいしまち 白石しらいしまち 白石しらいしまち
白石しらいし本郷ほんごう
郡山こおりやまむら
小下倉こしたぐらむら 白川しらかわむら 大正たいしょう15ねん3がつ29にち
白石しらいしまち編入へんにゅう
津田つだむら 大正たいしょう15ねん3がつ29にち
きゅう小下倉こしたぐらむらいき
白石しらいしまち編入へんにゅう
白川しらかわむら
いぬ卒塔婆そとうばむら
うちおやむら
しょう奥村おくむら
さかごうむら 大平おおひらむら 大平おおひらむら 大平おおひらむら
中目なかのめむら
森合もりあいむら
越河こすごうむら 越河こすごうむら 越河こすごうむら 越河こすごうむら
むら
たいらむら
蔵本くらもとむら 福岡ふくおかむら 福岡ふくおかむら 福岡ふくおかむら
ちょうふくろむら
深谷ふかやむら
はち宮村みやむら
斎川さいかわむら 斎川さいかわむら 斎川さいかわむら 斎川さいかわむら
小原おはらむら 小原おはらむら 小原おはらむら 小原おはらむら 昭和しょうわ32ねん3がつ31にち
白石しらいし編入へんにゅう
円田えんだむら 円田えんだむら 円田えんだむら 円田えんだむら 昭和しょうわ30ねん4がつ1にち
蔵王ざおうまち
蔵王ざおうまち 蔵王ざおうまち
小村崎こむらさきむら
塩沢しおざわむら
平沢ひらさわむら
曲竹まがたけむら
矢附やづきむら
宮村みやむら 宮村みやむら 宮村みやむら 宮村みやむら
関村せきむら 七ヶ宿しちがしゅくむら 七ヶ宿しちがしゅくむら 七ヶ宿しちがしゅくむら 昭和しょうわ32ねん4がつ1にち
町制ちょうせい施行しこう 七ヶ宿しちがしゅくまち
七ヶ宿しちがしゅくまち 七ヶ宿しちがしゅくまち
渡瀬わたせむら
滑津なめつむら
湯原ゆはらむら

行政ぎょうせい[編集へんしゅう]

柴田しばた刈田かりたぐんちょう
だい 氏名しめい 就任しゅうにん年月日ねんがっぴ 退任たいにん年月日ねんがっぴ 備考びこう
1 富田とみた広信ひろのぶ 明治めいじ12ねん(1879ねん)2がつ13にち 明治めいじ27ねん(1894ねん)3がつ31にち はいかん
柴田しばたぐんちょう転任てんにん
刈田かりたぐんちょう
だい 氏名しめい 就任しゅうにん年月日ねんがっぴ 退任たいにん年月日ねんがっぴ 備考びこう
1 遊佐ゆさ正人まさと 明治めいじ27ねん(1894ねん)4がつ1にち
2 佐藤さとう文衛ふみえ 明治めいじ31ねん(1898ねん)12月26にち 明治めいじ35ねん(1902ねん)9がつ2にち[3]
3 坂元さかもとぞうまこと 明治めいじ35ねん(1902ねん)9がつ2にち 明治めいじ36ねん(1903ねん)5がつ8にち
4 近藤こんどうすすむ二郎じろう 明治めいじ36ねん(1903ねん)5がつ8にち 明治めいじ37ねん(1904ねん)12月23にち
5 伊地知いじちやすししん 明治めいじ37ねん(1904ねん)12月23にち
6 向田むかいだ幸蔵こうぞう 明治めいじ44ねん(1911ねん)5がつ18にち
7 北畠きたばたけ保治やすじ 大正たいしょう5ねん(1916ねん)7がつ13にち
8 埜正 大正たいしょう9ねん(1920ねん)12月27にち
9 佐藤さとうしず 大正たいしょう11ねん(1922ねん)4がつ12にち
10 北川きたがわ嘉七かしち 大正たいしょう12ねん(1923ねん)2がつ28にち 任期にんき途中とちゅうぐんかい廃止はいし
11 清水しみずめぐみしゅう 大正たいしょう13ねん(1924ねん)12月15にち

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 町村ちょうそん統合とうごう自体じたい前日ぜんじつの3がつ31にちづけ実施じっしされている。(明治めいじ22ねん〈1889ねん〉2がつ9にちづけ宮城みやぎけんれいだい8ごう
  2. ^ 昭和しょうわ10ねん国勢調査こくせいちょうさによる。国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクションで閲覧えつらん可能かのう
  3. ^ 官報かんぽうだい5752ごう明治めいじ35ねん9がつ4にち

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん編纂へんさん委員いいんかい へん角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん』 4 宮城みやぎけん角川書店かどかわしょてん、1979ねん12月1にちISBN 4040010302 
  • きゅうこう旧領きゅうりょう取調とりしらべちょうデータベース
  • 刈田かりたぐん』(刈田かりたぐん教育きょういくかい、1928ねん
先代せんだい
柴田しばたぐん
行政ぎょうせい変遷へんせん
721ねん -
次代じだい
現存げんそん