南 三陸 町
みなみさんりくちょう | |||||
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04606-0 | |||||
4000020046060 | |||||
163.40km2 | |||||
11,338 ( | |||||
69.4 | |||||
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タブノキ | |||||
ツツジ | |||||
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〒986-0725 | |||||
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ウィキプロジェクト |
地理
[自然
[山地
[保呂羽山 (ほろわさん、標高 329.4 m)釣瓶山 (つるべやま、標高 472 m)大盤 平 (おおばんだいら、標高 368 m)神行堂山 (しんぎょうどうさん、標高 461 m)童子山 (どうじさん、標高 320.5 m)
河川
[伊里前 川 (いさとまえがわ、約 7,800 m)港川 (みなとがわ、約 6,300 m)八幡 川 (はちまんがわ、約 5,500 m)水尻川 (みずしりがわ、約 3,400 m)
水戸 辺川 (みとべがわ、約 3,124 m)折立 川 (おりたてがわ、約 2,800 m)新井田川 (にいだがわ、約 2,100 m)桜川 (さくらがわ、約 1,500 m)
近海 ・沿岸 地形
[伊里前湾 (いさとまえわん)
気候
[1 |
2 |
3 |
4 |
5月 | 6 |
7 |
8 |
9月 | 10月 | 11月 | 12月 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
16.2 (61.2) |
20.2 (68.4) |
23.8 (74.8) |
30.2 (86.4) |
33.5 (92.3) |
34.2 (93.6) |
36.3 (97.3) |
38.0 (100.4) |
35.0 (95) |
28.7 (83.7) |
24.1 (75.4) |
20.5 (68.9) |
38.0 (100.4) | |
5.4 (41.7) |
6.3 (43.3) |
9.8 (49.6) |
15.1 (59.2) |
19.4 (66.9) |
22.1 (71.8) |
25.5 (77.9) |
27.3 (81.1) |
24.2 (75.6) |
19.3 (66.7) |
13.8 (56.8) |
7.9 (46.2) |
16.3 (61.3) | |
0.7 (33.3) |
1.2 (34.2) |
4.2 (39.6) |
9.2 (48.6) |
14.0 (57.2) |
17.5 (63.5) |
21.4 (70.5) |
23.0 (73.4) |
19.8 (67.6) |
14.2 (57.6) |
8.4 (47.1) |
3.1 (37.6) |
11.4 (52.5) | |
−3.1 (26.4) |
−3.0 (26.6) |
−0.6 (30.9) |
3.8 (38.8) |
9.2 (48.6) |
13.8 (56.8) |
18.3 (64.9) |
19.8 (67.6) |
16.2 (61.2) |
9.8 (49.6) |
3.5 (38.3) |
−0.9 (30.4) |
7.2 (45) | |
−12.3 (9.9) |
−12.5 (9.5) |
−8.1 (17.4) |
−4.4 (24.1) |
0.2 (32.4) |
4.5 (40.1) |
9.5 (49.1) |
12.5 (54.5) |
6.7 (44.1) |
−0.5 (31.1) |
−4.7 (23.5) |
−9.6 (14.7) |
−12.5 (9.5) | |
45.3 (1.783) |
39.2 (1.543) |
88.6 (3.488) |
103.3 (4.067) |
116.7 (4.594) |
130.7 (5.146) |
167.3 (6.587) |
142.8 (5.622) |
184.2 (7.252) |
155.3 (6.114) |
70.7 (2.783) |
54.2 (2.134) |
1,302.3 (51.272) | |
6.1 | 6.2 | 8.4 | 9.0 | 10.2 | 11.0 | 13.1 | 11.1 | 11.3 | 9.0 | 7.5 | 7.1 | 110.5 | |
171.9 | 171.4 | 192.3 | 199.5 | 199.7 | 157.9 | 139.9 | 161.1 | 137.9 | 155.6 | 158.6 | 153.4 | 1,997.1 | |
広域 地域 区分
[隣接 する自治体
[- cf.
宮城 県 の市町村 全 図 [9]
町内 の地域
[中心 地 の地名 :南 三陸 町 志津川 字 塩入 (町役 場所 在 地域 )。歌津 地区 :旧 ・歌津 町 域 にある地域 名 は、大字 名 「歌津 」の後 に小字 名 が続 く形 の地名 となっている。例 として、歌津 字 伊里前 。志津川 地区 :旧 ・志津川 町 域 (昭和 の合併 前 の志津川 町 域 )にある地域 名 は、大字 名 「志津川 」の後 に小字 名 が続 く形 の地名 となっている。例 として、志津川 字 塩入 、志津川 字 本浜 町 、志津川 字 清水浜 。入谷 地区 :旧 ・入谷 村 域 にある地域 名 は、大字 名 「入谷 」の後 に小字 名 が続 く形 の地名 となっている。例 として、入谷 字 鏡石 、入谷 字 入 大船沢 。戸倉 地区 :旧 ・戸倉 村 域 にある地域 名 は、大字 名 「戸倉 」の後 に小字 名 が続 く形 の地名 となっている。例 として、戸倉 字 寺 浜 、戸倉 字 水戸 辺 、戸倉 字 波 伝 谷 [12]。- なお、
日本 郵便 の郵便 番号 一覧 等 では大字 と小字 の間 の「字 」が省略 される場合 があるが、「字 」が入 るのが正式 な表記 である[13]。
- なお、
歴史
[年表
[近世 以前
[天武天皇 朝 (672年 - 685年 ):入谷 村 に入谷 八幡 神社 が創建 されたと伝 わる。貞 観 年間 (859年 - 877年 ):大和 国 にある龍田 神社 の分霊 を祀 り、龍田 明 神社 (現 ・荒澤 神社 )が創建 されたと伝 わる。平安 時代 中期 -後期 :陸奥 全土 で安部 氏 (俘囚 の流 れを汲 む先住民 系 の豪族 )が繁栄 。霊峰 ・田束山 に信仰 を寄 せる。康平 5年 9月17日 (1062年 10月22日 ):前 九 年 の役 の最終 局面 (安倍貞任 の敗 死 )。これをもって安倍 氏 が滅亡 し、陸奥 国 は出羽 清原 氏 (俘囚 の流 れを汲 む先住民 系 の豪族 )の勢力 圏 に入 る。出羽 清原 氏 も田束山 を信奉 。寛治 元年 11月14日 (1087年 12月11日 ):後 三 年 の役 の最終 局面 (清原家衡 の敗 死 )。これをもって東北 地方 全土 に覇 を唱 えていた出羽 清原 氏 惣領 家 は消滅 し、代 わって奥州 藤原 氏 が台頭 。奥州 藤原 氏 も田束山 を篤 く信奉 し、数多 く伽藍 ・僧房 を造営 する。平安 時代 末期 :平泉 の藤原秀衡 が、田束山 の山頂 に羽黒山 清水寺 、中腹 に田束山 寂光寺 、北嶺 に幌 羽山 金峰 寺 など、7堂 伽藍 ・70余 房 を造営 。文治 5年 9月3日 (1189年 10月14日 ):奥州 合戦 の最終 局面 (藤原 泰 衡の敗 死 )。これをもって奥州 藤原 氏 は滅亡 し、陸奥 全土 は鎌倉 幕府 の直轄 地 となる。源 頼朝 に始 まる幕府 の歴代 為政者 も田束山 に信仰 を寄 せ、多 くの伽藍 ・僧房 を再建 ・造営 する。平安 時代 の後 :田束山 麓 の樋 の口 地区 に、円仁 (慈覚大師 )の作 と伝 えられる不動明王 像 を祀 る樋 の口 不動尊 が建立 される。- 1609
年 (慶長 14年 ):伊達 藩 が仙台 城 大手門 前 の広瀬川 に大橋 を架 け直 すこととなり、荒澤 神社 境内 にある大 杉 の神木 25本 が建材 として求 められ、伐採 ・搬出 される[14][15]。このとき、後世 に知 られる2本 の巨木 「太郎坊 杉 」と「次郎 坊 杉 」(後者 は1958年 に台風 で倒壊 )は残 された[14][15]。
近代 以降
[- 1888
年 (明治 21年 )7月 :本吉 村 (現 ・志津川 地区 )志津川 字 城場 囲 に、志津川 蚕糸 組合 惣 代 高橋 長十郎 を社長 として7名 の出資 により旭 館 製絲 器械 場 (資本 金 3,500円 )が設立 される。養蚕 農家 の産 繭 の委託 製糸 を取 り扱 い、製品 の生糸 は、横浜 同 伸 社 を通 じて米国 に輸出 された。1894年 (明治 27年 )には旭 製絲 株式会社 (資本 金 8,000円 )に改組 された。1911年 に製糸 用 ボイラーを利用 して火力 発電 を開始 し、本吉 地方 初 の電気 事業 者 となった。その後 、世界 恐慌 による経営 状態 の急速 な悪化 及 び糸価 暴落 により、1937年 (昭和 12年 )解散 [16]。 - 1949
年 (昭和 24年 ):志津川 町 漁業 協同 組合 (宮城 県 漁業 協同 組合 志津川 支所 の前身 )が発足 [17]。 - 1958
年 (昭和 33年 )9月27日 午前 6時 頃 :狩野川 台風 が三陸 沖 を通過 [18]。荒澤 神社 境内 の巨木 「次郎 坊 杉 」が暴風 で倒壊 し失 われる[18]。 - 1960
年 (昭和 35年 )5月24日 :チリ沖 で5月22日 (現地 時間 )に発生 したマグニチュード9.5のチリ地震 が引 き起 こした最大 波高 6mの津波 (チリ地震 津波 )が三陸海岸 に到達 し、志津川 町 (現 ・志津川 地区 )で41人 が死亡 するなど、大 きな被害 が出 る[18]。 - 1963
年 (昭和 38年 )12月:チリ地震 津波 災害 復旧 事業 により、志津川湾 に防潮 堤 と水陸 門 が完成 [18]。 - 1966
年 (昭和 41年 )11月7日 :椿島 の暖地 性 植物 群落 が、「椿島 暖地 性 植物 群落 」の名 で国 の天然記念物 に指定 される[18]。 - 1970
年 (昭和 45年 ):歌津 町 (現 ・歌津 地区 )館崎 西海岸 に分布 する下部 三 畳 系 大沢 層 から脊椎動物 化石 が発見 される。その後 に周辺 で発掘 された化石 に加 え、本吉 町 (現 ・気仙沼 市 本吉 地区 )大沢 の大沢 層 模 式 地 から採集 された3個体 と合 わせた研究 の結果 、1978年 に世界 最古 の新種 の魚 竜 、ウタツギョリュウとして公表 された[19]。 - 1975
年 (昭和 50年 ):志津川湾 でギンザケ養殖 漁業 が開始 。その後 、全盛期 には水揚 げ高 35億 円 に上 った[17]。 - 1977
年 (昭和 52年 )12月11日 :国鉄 (JRの前身 )気仙沼線 が延伸 し、陸前 戸倉 駅 、志津川 駅 、清水浜 駅 、歌津 駅 、陸前 港 駅 が開業 。これにより、気仙沼 線 は全線 開通 する。 - 1979
年 (昭和 54年 )3月30日 :当 町 域 を含 む三陸 海岸 が宮城 県内 3番目 の国定 公園 「南 三陸 金華山 国定 公園 」に指定 される。 - 1985
年 (昭和 60年 )7月 :志津川湾 のギンザケが水揚 げ量 3,000 t、水揚 げ高 25億 円 に達 する[18]。 - 1991
年 (平成 3年 ) - 1995
年 (平成 7年 )5月28日 :志津川 町 の入谷 地区 (現 ・南 三陸 町 志津川 入谷 )に観光 施設 「ひころの里 」が開所 [20][21]。 - 1999
年 (平成 11年 ):歌津 町 が町制 40周年 を記念 し「国際 魚 竜 サミット」を開催 。 - 2005
年 (平成 17年 )10月1日 :南 三陸 町 が誕生 。 - 2006
年 (平成 18年 )5月17日 :南 三陸 町 開 町 記念 式典 。山形 県 庄内 町 との友好 町 盟約 (旧 歌津 町 ・旧 立川 町 の盟約 を継承 )および災害 時 における相互 応援 協定 を締結 (cf.)。 - 2007
年 (平成 19年 ) - 2008
年度 (平成 20年度 ):三陸 縦貫 自動車 道 の延伸 道路 として、志津川 インターチェンジを含 む南 三陸 道路 が新規 事業 化 。 - 2010
年 (平成 22年 )9月7日 :伊里前 川 水系 伊里前 川 流域 の歌津 払川 地区 で、多目的 ダムである「払川 ダム」が着工 (当時 、2013年 3月完成 予定 )[24][25]。 - 2011
年 (平成 23年 )
- 2012
年 (平成 24年 )- 2
月 4日 :平成 23年度 地域 づくり総務 大臣 表彰 で、最高 賞 の「大賞 」を受賞 [26]。 - 2
月 25日 :南 三陸 さんさん商店 街 (仮設 )開設 。
- 2
- 2016
年 (平成 28年 )10月 30日 :三陸 沿岸 道路 三滝 堂 インターチェンジ(登米 市 ) -志津川 インターチェンジ間 が開通 し、町内 に高速 道路 が到達 。 - 2018
年 (平成 30年 )10月18日 :歌津 、志津川 及 び戸倉 の海域 を含 む同町 の海域 (気仙沼 市 (旧 本吉 町 )境 -石巻 市 (旧 北上 町 )境 )が、「志津川湾 」としてラムサール条約 湿地 に登録 。海藻 藻 場 としては日本 初 の登録 地 [27]。 - 2020
年 (令 和 2年 )10月12日 :東日本 大震災 で被災 した防災 対策 庁舎 の周辺 に震災 復興 祈念 公園 が開園 [28]。 - 2022
年 (令 和 4年 )10月1日 :南 三陸 311メモリアルを開館 [29]。
行政 区域 の変遷 (市町村 制 施行 以後 )
[東日本 大震災
[2011
この
2011
-
震災 から約 1か月 後 の公立 志津川 病院 付近 -
志津川 地区 (2011年 5月 )
行政
[歴代 町長
[1 | 2005 |
( |
2 |
庁舎
[南 三陸 町 役場 :南 三陸 町 志津川 字 沼田 101歌津 総合 支所 :南 三陸 町 歌津 字 菅 の浜 60
町議会
[議長 :星 喜美男 (ほし きみお)副 議長 :菅原 辰雄 (すがわら たつお)
名誉 町民
[旧 志津川 町 名誉 町民
第 一 号 -田中 完 義 昭和 44年 11月3日 推戴 (宮城 県 町村 会 会長 )第 二 号 -阿部 権 治郎 昭和 44年 11月3日 推戴 (宮城 県議会 副 議長 )第 三 号 -勝倉 三 九 郎 平成 3年 2月 3日 推戴 (宮城 県 町村 会 会長 )
旧 歌津 町 名誉 町民
第 一 号 -阿部 権 之 亟昭和 46年 11月推載第 二 号 -梶原 良雄 昭和 54年 11月推載第 三 号 -畠山 郁朗 平成 11年 4月 推載第 四 号 -佐藤 榮太郎 平成 11年 4月 推載
姉妹 都市 ・提携 都市
[国内
[-
日本 山形 県 東田川 郡 庄内 町 [40][41]- 1993
年 (平成 5年 )歌津 町 の小学生 が立川 町 (現 ・庄内 町 の狩川 、清川 、立谷沢 )を訪問 して砂金 採 り体験 を行 ったことから交流 がはじまった。歌津 町 の町制 40周年 を記念 して友好 町 盟約 を締結 。その後 、市町村 合併 により2005年 (平成 17年 )に立川 町 が庄内 町 に、歌津 町 が南 三陸 町 になっており、2006年 (平成 18年 )に南 三陸 町 と庄内 町 の間 で改 めて友好 町 盟約 を締結 。同時 に災害 時 における相互 援助 協定 が結 ばれている。 - 1999
年 (平成 11年 )10月 13日 旧 歌津 町 と旧 立川 町 が友好 町 提携 - 2006
年 (平成 18年 )5月 17日 友好 町 盟約 ・災害 時 における相互 援助 協定 締結
- 1993
国外
[地域
[人口
[■
■ |
■
■ | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
2020
人口 増減 率 (3年 前 比 ):5.93%減 世帯 増減 率 (3年 前 比 ):0.50%減 老年 人口 比率 :35.29%後期 高齢 者 比率 :19.40%外国 人 人口 :180人 平均 年齢 :51.7歳 可 住 地 人口 密度 :346.8人 /km2第 一 次 産業 就業 人口 比率 :21.1%第 二 次 産業 就業 人口 比率 :31.3%第 三 次 産業 就業 人口 比率 :43.6%
各 地区 の人口 ・世帯 数
[2022
2,405 |
2,527 |
4,932 |
-8.54% | -26.74% | 2,008 |
-1.71% | -14.51% | |
2,027 |
2,027 |
4,054 |
-9.36% | -15.02% | 1,326 |
-3.91% | -4.60% | |
646 |
686 |
1,332 |
-12.02% | -33.29% | 456 |
-8.43% | -25.85% | |
901 |
916 |
1,817 |
-11.19% | -1.83% | 654 |
-0.30% | 25.04% | |
5,979 |
6,156 |
12,135 |
-9.61% | -20.95% | 4,444 |
-2.90% | -8.87% |
面積
[2020
総 面積 :163.40 km2可 住 地 面積 :37.45 km2
経済
[2020
歳出 総額 :285.8億 円 財政 力 指数 :0.30財政 健全 度 :54.64自主 財源 比率 :58.8%事業 所 数 (民営 ):492従業 者 数 (民営 ):4,338人 納税 義務 者 1人 あたりの所得 :261.2万 円 持家 世帯 比率 :66.3%住宅 地 平均 地価 :1.04万 円 /m2世帯 あたり乗用車 保有 台数 :1.77台
公的 機関
[警察
[南 三陸 警察 署 (管轄 :南 三陸 町 )入谷 、歌津 、戸倉 、清水 駐在 所
消防
[南 三陸 消防署 歌津 出張所
医療
[南 三陸 町立 南 三陸 病院 (南 三陸 病院 )
かつては
公共 施設
[公民館
志津川 公民館 (南 三陸 町 生涯 学習 センター内 )歌津 公民館 入谷 公民館 戸倉 公民館
図書館
南 三陸 町 図書館 (南 三陸 町 生涯 学習 センター)
運動 施設
経済
[産業
[水産 業
[宮城 県 漁業 協同 組合 志津川 支所 (南 三陸 町 志津川 本浜 。cf. 1949、1975、2007)[49]志津川 漁港 :第 2種 漁港 。気仙沼 漁港 (気仙沼湾 )と女川 漁港 (女川湾 )の中間 に位置 し、宮城 県 北部 地域 の中核 漁港 として沿岸 漁業 や海面 養殖 業 が行 われてきた[48]。伊里前 漁港 :第 2種 漁港 。主要 漁 種 は浅海 養殖 業 によるもの[50]。志津川 魚 市場 :志津川 本浜 町 に所在 。遠藤 養魚 場 :戸倉 地区 に所在 。
金融 機関
[教育
[高等 学校
[中学校
[- ※
以下 は廃校
南 三陸 町立 入谷 中学校 (2009年 ・志津川 中 へ統合 )南 三陸 町立 戸倉 中学校 (2014年 ・同上 )
小学校
[南 三陸 町立 志津川 小学校 南 三陸 町立 伊里前 小学校 南 三陸 町立 戸倉 小学校 南 三陸 町立 入谷 小学校 南 三陸 町立 名足 小学校
- ※
以下 は廃校
南 三陸 町立 藤浜 小学校 (2007年 ・戸倉 小 へ統合 )南 三陸 町立 荒砥 小学校 (2008年 ・志津川 小 へ統合 )南 三陸 町立 清水 小学校 (同上 )
未 就学 児 施設
[保育 所 (町立 ・私立 )
志津川 保育 所 伊里前 保育 所 戸倉 保育 所 - マリンパル
保育園 (株式会社 阿部 長 商店 )
認定 こども園 (町立 ・私立 )
名足 こども園 入谷 ひがし幼児 園 (一般 社団 法人 きぼうの森 )
幼稚園 (私立 )
郵便 ・物流
[郵便
[志津川 郵便 局 (集配 局 )歌津 郵便 局 戸倉 郵便 局 (閉鎖 中 )
名足 簡易 郵便 局 入谷 簡易 郵便 局 歌津 港 簡易 郵便 局 (閉鎖 中 )
物流
[ヤマト運輸 :宮城 志津川 センター
交通
[鉄道
[かつてはJR
バス
[バス高速 輸送 システム
[路線 バス
[道路
[高速 道路
[- E45
三陸 沿岸 道路
一般 国道
[都道府県 道
[宮城 県 道 172号 志津川 登米 線 宮城 県 道 206号 馬籠 志津川 線 宮城 県 道 221号 清水浜 志津川 港 線 宮城 県 道 225号 泊崎 半島 線 宮城 県 道 236号 払川 町 向 線
道 の駅
[名所 ・旧跡 ・観光 スポット・祭事 ・催事
[田束山 :cf. a,田束山 信仰 神割崎 神割崎 キャンプ場 (神割崎 オートキャンプ場 )
椿島 :国 の天然記念物 「椿島 暖地 性 植物 群落 」(1966年 )[52]がある。入谷 八幡 神社 (いりやはちまんじんじゃ):天武天皇 元年 - 14年 (672年 - 685年 )の創建 。入谷 水口 沢 に所在 [53]。樋 の口 不動尊 (ひのくちふどうそん):田束山 麓 の樋 の口 地区 にある荒澤 不動尊 で、円仁 (慈覚大師 )の作 と伝 えられる不動明王 像 を祀 る。創建 年代 は平安 時代 以後 。「つつじまつり」が5月 下旬 に開催 される[54]。入谷 打 囃子 (いりやうちばやし):宮城 県 指定 無形 民俗 文化財 。
荒澤 神社 :別名 「滝不動 」[14]。貞 観 年間 (859年 - 877年 )に大和 国 (現 ・奈良 県 )にある龍田 神社 の分霊 を祀 り創建 された[55]。志津川 袖浜 に所在 [14]。荒 嶋 神社 -志津川湾 に浮 かぶ離島 「荒島 」の島 の頂 にある。荒島 は面積 0.02㎢という小 さな島 で、本土 側 から堤防 通路 を通 じ島 に渡 れる[56]。須賀 神社 春日 神社 戸倉 神社 全 慶寺 金 秀 寺 大雄 寺 行者 の道 遊歩道 坊 ァ墓 志津川 のモアイ
- ともにチリ
地震 津波 の被災 地 であるという縁 で、旧 志津川 町 は町制 30周年 の1990年 にチリと交流 を始 め、チリ領 イースター島 に立 つモアイのレプリカを造 ってもらうことにした[57]。翌 1991年 (平成 3年 )7月 、志津川湾 に面 する公園 (チリプラザ)に設置 した。これはイースター島 産 ではなく首都 サンチャゴ近郊 で採 れた石 で彫 られていたが、町 では駅前 のモニュメント、橋 の欄干 、マンホールの蓋 などでモアイをモチーフに採用 した[57]。こうした「モアイ熱 」は歌津 町 との合併 による南 三陸 町 発足 後 に一時 しぼんだが、志津川 高校 の生徒 が「南 三陸 モアイ化 計画 」と銘打 ってグッズ開発 などを進 め、地域 おこしの原動力 となった[57]。その最中 に起 きた東日本 大震災 で公園 のモアイ像 は流出 した(頭部 のみ瓦礫 から見 つかり後 に志津川 高校 校庭 に設置 )が、震災 翌年 の2012年 3月 に南 三陸 町 を訪問 したチリ大統領 が新 たなモアイ像 寄贈 を約束 し、モアイの修復 ・保存 技術 を日本 の石工 が指導 したことへの恩返 しとして、島 の長老 会 が石材 の持 ち出 しを了承 した[57]。イースター島 の石工 が現 地産 の石材 を加工 したモアイ像 が2013年 5月 に届 き、志津川湾 近 くの商業 施設 「南 三陸 さんさん商店 街 」に置 かれた[57]。
- ひころの
里 :志津川 町 の入谷 地区 (現 ・南 三陸 町 志津川 入谷 )に造 られた観光 施設 。cf. 1995. 長須賀 (ながすか)海水浴 場 袖浜 海水浴 場 (サンオーレそではま)長清水 海水浴 場 志津川 海洋 青年 の家 水郷 生活 センター平成 の森 南 三陸 311メモリアル
その他 の施設
[ゆかりのある著名 人
[出身 著名 人
[- まきのめぐみ:
歌謡 歌手 。歌津 生 まれ。現在 、南 三陸 町 の夢 大使 (観光 大使 )の一人 。 佐藤 芳之 :ケニアの実業 家 。佐藤 英敏 :作曲 家 。代表 曲 『残酷 な天使 のテーゼ』が南 三陸 町 の防災 行政 無線 の時報 として使 われている。阿部 龍 :ホッカイドウ競馬 所属 の騎手 。- トッカグン:
吉本興業 のお笑 いコンビ。二人 とも同地 出身 で、コンビ名 の由来 は陸上 自衛隊 仙台 駐屯 地 第 二 職種 (陸上 自衛隊 )#特 科 群 への所属 経歴 から。 遠藤 未希 :地方 公務員 、南 三陸 町 職員 。
その他 のゆかりある著名 人
[藤原秀衡 :奥州 藤原 氏 第 3代 当主 。霊峰 ・田束山 を信奉 し、同地 に七堂伽藍 ・七 十 余 房 を造営 した。菅野 武 :東日本 大震災 時 に公立 志津川 病院 の医師 として患者 の避難 や治療 に尽力 し、アメリカのニュース雑誌 『タイム』から2011年版 「世界 で最 も影響 力 のある100人 」に選 ばれた。
その他 の関連 事象
[- ウタツサウルス -
世界 最古 級 の魚 竜 の一 つ[58]。歌津 町 館崎 で最初 の化石 が発見 された。化石 を所蔵 する施設 として町内 に魚 竜 館 があったが、東日本 大震災 で被災 し解体 された。 - クチバシカジカ -
条 鰭 綱 -カサゴ目 -クチバシカジカ科 (Rhamphocottidae) に分類 される魚 [59](学名 :Rhamphocottus richardsonii、英語 名 :Grunt sculpin、別名 :グラント・スカルピン)。この魚 をモチーフにした「クチ坊 」という名 のマスコットキャラクターが考案 され、のちに町名 産 のウニをモチーフにした「ウニ坊 」、同 じくタコをモチーフにした「タコ坊 」も登場 した。三陸 沿岸 の群生 地 の一 つとして、福島 県 の水族館 で紹介 されたことがある。
脚注
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参考 文献
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関連 項目
[外部 リンク
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