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養蚕ようさんぎょう

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養蚕ようさんから転送てんそう
糸車いとぐるま
養蚕ようさんようちくかご
養蚕ようさんだい
だい日本にっぽん蚕糸さんしかい会頭かいとう松平まつだいら正直まさなお男爵だんしゃく明治めいじ時代じだい
まゆける。大正たいしょう初期しょき

養蚕ようさんぎょう(ようさんぎょう)は、カイコかいこ)をってそのまゆから生糸きいときぬ)をつく産業さんぎょうである。遺伝子いでんしカイコもちいた医薬いやく素材そざい生産せいさんや、カイコさなぎ利用りようしてふゆちゅうなつそうたけ)を培養ばいようするといったあたらしいカイコ活用かつようすすんでいる。

養蚕ようさんぎょうかいこうためクワくわ)を栽培さいばいまゆ生産せいさんする。まゆきぬにするために製糸せいし工場こうじょうまゆから生糸きいとへと加工かこうされ、生糸きいとをさらに加工かこうして絹織物きぬおりものなどの繊維せんいになる。なお、日本にっぽんではかいこ使つかったタンパク質たんぱくしつ生産せいさん研究けんきゅうおもになっているが、培養ばいよう細胞さいぼうによるタンパク質たんぱくしつ生産せいさん効率こうりつたかまりとともに、かいこもちいる優位ゆういせいがってきている。

かつて養蚕ようさんぎょう日本にっぽん主要しゅよう産業さんぎょうであった。しかし、世界せかい恐慌きょうこう以降いこう海外かいがい市場いちば喪失そうしつ代替だいたいひん普及ふきゅうなどで衰退すいたいしていった[1]まゆ生産せいさん中国ちゅうごくインドブラジルなどでさかんにおこなわれている。

現在げんざいのうけん機構きこう中心ちゅうしんに『蚕業さんぎょう革命かくめい』として養蚕ようさんぎょう復興ふっこうして新規しんき養蚕ようさん技術ぎじゅつ開発かいはつ研究けんきゅうおこなわれている[2]

歴史れきし

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養蚕ようさん起源きげん中国ちゅうごく大陸たいりくにあり、浙江せっこうしょう遺跡いせきから紀元前きげんぜん2750ねんごろ推定すいてい)の平絹ひらぎぬへんきぬたいきぬなわなどが出土しゅつどしている[3]いん時代じだいしゅう時代じだい遺跡いせきからもきぬ製品せいひん発見はっけんされていることから継続けいぞくてき養蚕ようさんおこなわれていたものとかんがえられている[3]系統けいとうがくてき解析かいせきでは、カイコはやく5000ねんまえまでにクワコBombyx mandarina)から家畜かちくされたとかんがえられている[4]

中国ちゅうごくでは養蚕ようさん技術ぎじゅつ国外こくがいへのしはかたきんじられており[3]とくはたによる中国ちゅうごく統一とういつ紀元前きげんぜん221ねん以後いご統制とうせいつよくなったとかんがえられている[5]。また、2週間しゅうかんらずで孵化ふかしてしまうたねたまご)の運搬うんぱんえさとなるくわ調達ちょうたつなどの問題もんだいもあり、ながあいだ養蚕ようさん技術ぎじゅつ中国ちゅうごく大陸たいりくそとることはなかった[3]一説いっせつには1世紀せいき中国ちゅうごくからホータン王国おうこく国王こくおうとついだ婦人ふじんくわかいこたねわた帽子ぼうしなかれてしたのが最初さいしょといわれている[6]

朝鮮半島ちょうせんはんとうらくなみぐん)へ伝播でんぱしたのは前漢ぜんかんころ紀元前きげんぜん108ねんごろ)とされ、おな中国ちゅうごくでも南部なんぶ雲南うんなんしょうにはこうかんころつたわった[3]。インドについてははやくから文明ぶんめいがあり特有とくゆうかいこもあるため養蚕ようさん技術ぎじゅつ中国ちゅうごくからつたわったものか単独たんどく発生はっせいしたものかはわかっていない[6]中国ちゅうごくからヨーロッパへの伝来でんらい紀元きげんの6世紀せいきごろとされる(ひがしマ帝国まていこく養蚕ようさん伝来でんらい[3]

日本にっぽんでの歴史れきし

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養蚕ようさんするこうじゅん皇后こうごう
1955ねん昭和しょうわ30ねん)6がつ

日本にっぽんへは弥生やよい時代じだい中国ちゅうごく大陸たいりくからつたわったとされる[7]はたによる中国ちゅうごく統一とういつ紀元前きげんぜん221ねん)によって統制とうせいきびしくなったことから、蚕種さんしゅはそれ以前いぜん時代じだいふねはこばれたとかんがえられており、日本にっぽんくわ生育せいいくてきしていたこともあってかなりはや時期じき伝来でんらいした[5]養蚕ようさん伝播でんぱ経路けいろについては諸説しょせつある。朝鮮半島ちょうせんはんとうへの養蚕ようさん技術ぎじゅつ伝播でんぱとの比較ひかくなどから、中国ちゅうごく大陸たいりく江南こうなん地方ちほう)から日本にっぽん列島れっとう北部ほくぶ九州きゅうしゅう)へ直接ちょくせつつたわったとするせつ[8] などがある。

福岡ふくおかけん有田ありた遺跡いせき紀元前きげんぜん200ねんごろ)からは平絹ひらぎぬ出土しゅつどしているが、当時とうじ中国ちゅうごく絹織物きぬおりものとはかたことなることから日本にっぽん列島れっとう特有とくゆう絹織物きぬおりものすでにあったとかんがえられている[3]記紀ききには仲哀ちゅうせつ天皇てんのうの4ねん養蚕ようさん記録きろくがある[3]

195ねんには百済くだらから蚕種さんしゅ(カイコのたまご)が、283ねんにははた養蚕ようさん絹織物きぬおりもの技術ぎじゅつつたえるなど、暫時ざんじ養蚕ようさん技術ぎじゅつ導入どうにゅうおこなわれた。奈良なら時代じだいには全国ぜんこくてき東北とうほく地方ちほう北海道ほっかいどうなど、大和やまと朝廷ちょうてい支配しはい領域りょういきがい地域ちいきのぞく)に養蚕ようさんおこなわれるようになり、租庸調そようちょう税制ぜいせいいさお調ちょうとして、きぬ製品せいひんぜいとしてあつめられた。

しかしながら国内こくない生産せいさんすべての需要じゅようたすにはいたらず、また品質ひんしつてきにもおとっていたため、中国ちゅうごくからの輸入ゆにゅう江戸えど時代じだいいたるまでつづいた。代金だいきんとしてのきむぎんどう流出りゅうしゅつ懸念けねんした江戸えど幕府ばくふ養蚕ようさん推奨すいしょうし、しょはんもが殖産しょくさん事業じぎょうとして興隆こうりゅう促進そくしんした。結果けっか幕末ばくまつには画期的かっきてき養蚕ようさん技術ぎじゅつ開発かいはつ発明はつめいがなされ、中国ちゅうごくからの輸入ゆにゅうひんおとらぬ、良質りょうしつ生糸きいと生産せいさんされるようになった。日本にっぽん鎖国さこくから開国かいこくてんじたのはこの時期じきであり、生糸きいと主要しゅよう輸出ゆしゅつしなとなった。

江戸えど時代じだいには、民間みんかんにおいて様々さまざま養蚕ようさん技術ぎじゅつしょ出版しゅっぱんされた。著名ちょめいなものとしては、1803ねんとおる3ねん)に上垣うえがきまもるこく出石いずしはん協力きょうりょくて『養蚕ようさん秘録ひろく』を出版しゅっぱんした。このしょ国内外こくないがいたか評価ひょうかされた。またシーボルトによって同書どうしょされて『Yo-san-fi-rok』として翻訳ほんやくされている[9]。また、1840ねん天保てんぽう11ねん)には中村なかむらよしみぎ衛門えもん当時とうじしん技術ぎじゅつである体温計たいおんけい応用おうようして『かいことうけい』を考案こうあんし、『かいことうけい秘訣ひけつ』を発行はっこうした[10]。この技術ぎじゅつ当時とうじかんなどにたよっていた養蚕ようさんを、温度おんど管理かんりによって安定あんていさせる『温暖おんだんいく』の普及ふきゅうによって改良かいりょうすることになった。

明治めいじ時代じだいいた養蚕ようさん隆盛りゅうせいむかえ、良質りょうしつ生糸きいと大量たいりょう輸出ゆしゅつした。養蚕ようさんぎょう絹糸けんしは「外貨がいか獲得かくとく産業さんぎょう」として重視じゅうしされ[1]日本にっぽん近代きんだい富国強兵ふこくきょうへい)のいしずえきずいた。科学かがく技術ぎじゅつ研究けんきゅうとともに養蚕ようさん技術ぎじゅつ発展はってんおこなわれた。著名ちょめいなものとしては、東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく外山とやま亀太郎かめたろうによるメンデルの法則ほうそく動物どうぶつでもつことの証明しょうめい・カイコにおいて品種ひんしゅあいだ交雑こうざつすることによって、頑健がんけんいと品質ひんしついカイコが作出さくしゅつできるという発見はっけんがある。皇后こうごうは、神事しんじとして毎年まいとし「ご養蚕ようさん」をおこなっているが、これは1871(明治めいじ4)ねん3がつ14にち昭憲しょうけん皇后こうごうによってはじめられたものである[11][12][13]。1873ねん4がつ28にち蚕種さんしゅ取締とりしまり規則きそくさだめられる(太政官だじょうかん)。 1875ねん2がつ22にち蚕種さんしゅ取締とりしまり規則きそく廃止はいし蚕種さんしゅ製造せいぞう組合くみあい条例じょうれい組合くみあい会議かいぎきょく規則きそくさだめられる(太政官だじょうかん布告ふこく)(1がつ1にち遡及そきゅう施行しこう)。 1878ねん5がつ4にち蚕種さんしゅ製造せいぞう組合くみあい条例じょうれい組合くみあい会議かいぎきょく規則きそく 廃止はいし

いちだい交雑こうざつしゅ雑種ざっしゅだいいちだい、F1)における雑種ざっしゅきょうぜい発見はっけんはそのすぐに製糸せいしぎょうへと応用おうようされた。片倉かたくら製糸せいしひきいる今井いまいかいなどが中心ちゅうしんとなった「蚕種さんしゅ統一とういつ運動うんどう」による「一代いちだい交配こうはい蚕種さんしゅ普及ふきゅうだん」によって民間みんかん主導しゅどうによる蚕種さんしゅ製造せいぞう急速きゅうそくにおこなわれ、一代いちだい交雑こうざつしゅ普及ふきゅう生糸きいと品質ひんしつ向上こうじょうにつながった[14]現代げんだいではいちだい交雑こうざつしゅ発見はっけん普及ふきゅう記念きねんするいしぶみ松本まつもとの「蚕糸さんし記念きねん公園こうえん」にてられている[15]

にち戦争せんそうにおける軍艦ぐんかんをはじめとする近代きんだい兵器へいき絹糸けんし輸出ゆしゅつによる外貨がいかによって購入こうにゅうされたといっても過言かごんではない。農家のうかにとっても養蚕ようさんは、貴重きちょう現金げんきん収入しゅうにゅうげんであり、農家のうかではカイコガについては「おかいこさま」と接頭せっとうけて呼称こしょうしたほどである[16]。もうひとつの背景はいけいとしては、どう時期じきにおいてヨーロッパでカイコの伝染でんせんびょう微粒子びりゅうしびょう)の流行りゅうこうにより、養蚕ようさんぎょう壊滅かいめつしたという事情じじょうもあった。ルイ・パスツールは、微粒子びりゅうしびょう原虫げんちゅう由来ゆらいであること・はは検査けんさによってめることができることを発見はっけんしたが、ヨーロッパにおける養蚕ようさんぎょう衰退すいたいめることはできなかった。1900ねんころには日本にっぽん中国ちゅうごく世界一せかいいち生糸きいと輸出ゆしゅつこくになり、1917ねんには『だい日本にっぽん蚕業さんぎょう名鑑めいかん』が出版しゅっぱんされている[17]

平行へいこうして1895ねんには綿糸めんし、1918ねんには合成ごうせい繊維せんい(スフ・レーヨン)の会社かいしゃ設立せつりつされていたが、養蚕ようさんぎょう1935ねん前後ぜんごにピークをむかえる。

ところが1929ねん世界せかいだい恐慌きょうこう1939ねんだい世界せかい大戦たいせん、そして1941ねん太平洋戦争たいへいようせんそうによって、生糸きいと輸出ゆしゅつ途絶とぜつした。一方いっぽう1940ねんにはきぬ代替だいたいひんとしてナイロン発明はつめいされた。戦災せんさいもあって日本にっぽん養蚕ようさんぎょうは、ほぼ壊滅かいめついたる。

敗戦はいせん食料しょくりょう増産ぞうさん優先ゆうせんしたため養蚕ようさんぎょう復興ふっこうおくれたが、1950年代ねんだい復興ふっこうすることとなる。しかし戦前せんぜんのようには輸出ゆしゅつできず、1958ねんには養蚕ようさんぎょう危機きき直面ちょくめんし、桑園そうえん2わり減反げんたん行政ぎょうせい措置そちられる[18] など、みずされることもあった。

高度こうど経済けいざい成長せいちょうによって内需ないじゅびてくると、1966ねん日本にっぽん蚕糸さんし事業じぎょうだんほう施行しこう各地かくちでの養蚕ようさん団地だんちみなどもあり、内需ないじゅおうじるかたち生産せいさん増加ぞうかし、東京とうきょう都下とかさん多摩たま)などを中心ちゅうしんにようやく1970年代ねんだい再度さいどのピークをむかえた[19][20]。とはいえ、まゆ生産せいさんりょう生糸きいと生産せいさんりょうとも、1935ねん半分はんぶん以下いかぎず、また1962ねん(昭和しょうわ37ねん)の生糸きいと輸入ゆにゅう自由じゆう[21]て、このころには一大いちだい輸入ゆにゅうこくてんじていた[18]。その一元いちげん輸入ゆにゅう制度せいど導入どうにゅう蚕糸さんしぎょう振興しんこう資金しきん設置せっちとうおこなわれるも、1973ねん第一次だいいちじオイルショック以降いこう価格かかく暴落ぼうらく農業のうぎょう人口じんこう減少げんしょう化学かがく繊維せんい普及ふきゅう衰退すいたいすすみ、1994ねん(平成へいせい6ねん)にはWTO協定きょうてい再度さいど自由じゆうされ、1979ねんにはおさむまゆりょう1トン以上いじょうだい規模きぼ養蚕ようさん農家のうかだけでも15,497あったところ、2016ねんには全国ぜんこく養蚕ようさん農家のうかすうは349にまで減少げんしょうしている[19][20]都下とか養蚕ようさん業者ぎょうしゃすう全盛期ぜんせいきの30けん[22] から2014ねんには6けんまで減少げんしょうした。

すうまんとうかいこ生育せいいく度合どあい調整ちょうせいしておなじタイミングで上蔟じょうぞく(じょうぞく:かいこまゆつくすこと)させるなど、日本にっぽん養蚕ようさん農家のうかには特筆とくひつされるべき技術ぎじゅつ知恵ちえのこっている[23]

2000ねん遺伝子いでんしえカイコ作出さくしゅつ成功せいこうして以来いらいげんのうけん機構きこう群馬ぐんま蚕糸さんし技術ぎじゅつセンターなどの研究けんきゅう機関きかん遺伝子いでんしえカイコの研究けんきゅう実用じつよう目指めざしている。2017ねんカルタヘナほうによる遺伝子いでんしえカイコのだい一種いっしゅ使用しよう承認しょうにんされ、養蚕ようさん農家のうかからGFP蛍光けいこうシルクをつくるカイコの飼育しいくまゆ出荷しゅっかおこなわれた[24]遺伝子いでんしえカイコの一般いっぱん農家のうかによる飼育しいく世界せかいはつである。

なお、天皇てんのうでは明治めいじ4ねんから皇后こうごう代々だいだい養蚕ようさんおこなっており、現在げんざい雅子まさこ皇后こうごう皇居こうきょない紅葉山もみじやま養蚕ようさんしょで、養蚕ようさんはじめきゅうくわまゆり、採種さいしゅ養蚕ようさんおさめなどの作業さぎょうをみずからおこなっている[25]

欧州おうしゅうでの歴史れきし

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ヨーロッパの養蚕ようさん東洋とうようからつたえられ、一説いっせつには紀元きげん500ねんごろにインドから2にん僧侶そうりょたけつえかくした蚕種さんしゅをコンスタンチノープルにんだのが最初さいしょといわれている[6]。8世紀せいきにはペルシャからスペインにまで養蚕ようさん普及ふきゅうし、10世紀せいきにはみなみイタリアさらにきたイタリアで養蚕ようさん普及ふきゅうした[6]

フランスでは13世紀せいき養蚕ようさんはじまったが、ルイ14せい時代じだい迫害はくがいによるしん教徒きょうと国外こくがい脱出だっしゅつによりフランスでの養蚕ようさんはいったんおとろえ、脱出だっしゅつしゃはイギリス、ドイツ、スイス、オランダなどで養蚕ようさんはじめたがこれらの地域ちいきでは風土ふうど養蚕ようさんてきしておらず衰退すいたいした[6]。フランスの養蚕ようさんぎょう最盛さいせいは1853ねんさんまゆがくは2.6まんトンにたっした[6]。しかし、微粒子びりゅうしびょう蔓延まんえんにより壊滅かいめつてき被害ひがいにあい、1865ねんには5.5せんトンに激減げきげんしたが、パスツール微粒子びりゅうしびょう防除ぼうじょほう確立かくりつして一時いちじてき回復かいふくした[6]。しかし、くわからブドウへの作物さくもつ転換てんかん中国ちゅうごく日本にっぽんからの生糸きいと輸入ゆにゅう増加ぞうか、さらにだいいち世界せかい大戦たいせん影響えいきょうけて1915ねんには1.7せんトンになりだい世界せかい大戦たいせん養蚕ようさんぎょうはフランスから姿すがたした[6]

イタリアではフランスよりはや南部なんぶから養蚕ようさんはじまり、19世紀せいきにはさんまゆがくは5まんトンにたっした[6]。しかし、イタリアでも微粒子びりゅうしびょう蔓延まんえんし、1865ねんには2.6まんトンに減少げんしょうした[6]微粒子びりゅうしびょう防除ぼうじょほう確立かくりつ回復かいふくし、1900ねんには5.6まんトンになった[6]だいいち世界せかい大戦たいせん影響えいきょうさんまゆがく半減はんげんしたものの、戦後せんご回復かいふくして1920年代ねんだいから1930年代ねんだいにかけてイタリアの養蚕ようさんぎょう最盛さいせいとなった[6]だい世界せかい大戦たいせん、フランスでの養蚕ようさんぎょう衰退すいたいによりイタリアは西にしヨーロッパで唯一ゆいいつ養蚕ようさんこくになったが、農業のうぎょう労働ろうどうりょく不足ふそく技術ぎじゅつ革新かくしんおくれでさんまゆがくいちじるしく減少げんしょうしている[6]

産地さんち

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日本にっぽん

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日本にっぽん養蚕ようさんぎょうしゅ産地さんちとして、南東なんとうきた北関東きたかんとう甲信こうしん地方ちほうみなみ九州きゅうしゅうなどがあった。まゆ集散しゅうさんとしてさかえた山形やまがたけん鶴岡つるおか福島ふくしまけん梁川やながわまち埼玉さいたまけん深谷ふかや埼玉さいたまけん熊谷くまがや富山とやまけん富山とやま八尾やおまち長野ながのけん上田うえだ愛知あいちけん豊橋とよはし京都きょうと綾部あやべかいこと、東京とうきょう八王子はちおうじくわばれた。ほか群馬ぐんまけん中之条なかのじょうまちの「ろくごう赤岩あかいわ」、石川いしかわけん白山はくさんの「白峰しらみね」、山梨やまなしけん甲州こうしゅうの「塩山しおやま下小田原しもおだわら上条じょうじょう」、長野ながのけんひがしの「海野うみの宿やど」、兵庫ひょうごけん養父やぶの「大屋おおやまち大杉おおすぎ」のかく地区ちくは、種別しゅべつ養蚕ようさん集落しゅうらくまち)」としてくに重要じゅうよう伝統でんとうてき建造けんぞうぶつぐん保存ほぞん地区ちく選定せんていされている。

中国ちゅうごく

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浙江せっこうしょう江蘇ちぁんすーしょう山東さんとうしょう広東かんとんしょうなどが主要しゅよう養蚕ようさんとなっている。これらの地域ちいきでは、まゆから絹糸けんしったのちのこカイコガさなぎ昆虫こんちゅうしょく食材しょくざいとして利用りようして経緯けいいがあり、近年きんねんは、むしろさなぎるためにカイコガをそだてるれいもみられる。

中東ちゅうとう

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シルクロード沿線えんせんイランアフガニスタンウズベキスタンなどでもおこなわれ、2022ねん当該とうがい地域ちいききぬ生産せいさんとともにUNESCO無形むけい文化ぶんか遺産いさん登録とうろくされる[26]

ヨーロッパ

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コンスタンティノポリスルッカティーヴァコリントスヴェネツィアフィレンツェリヨントゥールで、そだてられている。

出典しゅってん

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  1. ^ a b 監修かんしゅう 坂本さかもと太郎たろう日本にっぽんしょう辞典じてん山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、1995ねんISBN 4634090104 
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  4. ^ Sun, Wei; Yu, HongSong; Shen, YiHong; Banno, Yutaka; Xiang, ZhongHuai; Zhang, Ze (2012-06). “Phylogeny and evolutionary history of the silkworm” (英語えいご). Science China Life Sciences 55 (6): 483–496. doi:10.1007/s11427-012-4334-7. ISSN 1674-7305. http://link.springer.com/10.1007/s11427-012-4334-7. 
  5. ^ a b 亀山かめやままさる安曇あずみぞくじょぶく 弥生やよい時代じだいつくりあげたひとたち』りゅうおおとり書房しょぼう、2009ねん、85ぺーじ
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m だい4せつ 世界せかい養蚕ようさんぎょう変遷へんせん だい日本にっぽん蚕糸さんしかい、2021ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  7. ^ 埼玉さいたまけん養蚕ようさんきぬ文化ぶんか継承けいしょうについて埼玉さいたまけん農林のうりん生産せいさん振興しんこう
  8. ^ 亀山かめやままさる安曇あずみぞくじょぶく 弥生やよい時代じだいつくりあげたひとたち』りゅうおおとり書房しょぼう、2009ねん、85-88ぺーじ
  9. ^ Yo-san-fi-rok : l'art d'élever les vers à soie au Japon”. CiNii. 2020ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  10. ^ 福島ふくしま. “かいことうけい中村なかむらよしみぎ衛門えもん”. 福島ふくしま. 2020ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  11. ^ 稲作いなさく養蚕ようさん 天皇てんのう皇后こうごうぐ「伝統でんとう」のありかた – 皇室こうしつ問題もんだい研究けんきゅうしつ”. imperatoria.net. 2020ねん6がつ5にち閲覧えつらん
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  13. ^ かいこ-皇室こうしつのご養蚕ようさん古代こだいきれにちふつきぬ交流こうりゅうてん開催かいさいについて(2014ねん)、宮内庁くないちょう、2016ねん1がつ6にち閲覧えつらん
  14. ^ 片倉かたくら製糸せいし蚕種さんしゅ生産せいさん体制たいせい構築こうちく http://www.senshu-u.ac.jp/~off1009/PDF/takanashi_44.pdf
  15. ^ 蚕業さんぎょう革新かくしん発祥はっしょう記念きねん”. 発祥はっしょうコレクション. 2020ねん4がつ17にち閲覧えつらん
  16. ^ 東村山ひがしむらやまふるさと歴史れきしかんへん2002『まゆいと : 養蚕ようさん機織はたおり道具どうぐ信仰しんこう : 特別とくべつてん東村山ひがしむらやまふるさと歴史れきしかん
  17. ^ 扶桑社ふそうしゃへん 1917.
  18. ^ a b http://www.silk.or.jp/silk_gijyutu/pdf/zentai.pdf
  19. ^ a b 矢口やぐち克也かつや (2009ねん10がつ). “現代げんだい蚕糸さんしぎょう社会しゃかい経済けいざいてき性格せいかく意義いぎ : 持続じぞく可能かのう農村のうそん社会しゃかい構築こうちくへの示唆しさ”. 国立こくりつ国会こっかい図書館としょかん. 2017ねん11月13にち閲覧えつらん
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  22. ^ 2015ねん12月2?にち朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかんより
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関連かんれん項目こうもく

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  • 和服わふく
  • かいこはく - 養蚕ようさん用具ようぐ
  • 蚕紙さんし - 蚕種さんしゅ蚕卵紙さんらんしとも、かいこたまごけられたかみ
  • 工芸こうげい作物さくもつ
  • あんぽかき - 廃業はいぎょうした養蚕ようさん選択せんたくした、後継こうけい生産せいさんひんの1つ
  • クワ カイコはクワをしょくする。養蚕ようさんぎょう発展はってんとともに、栽桑がくおこなわれるようになった。その結果けっかをつけないさんばいたいなど様々さまざま品種ひんしゅ作出さくしゅつされた。
業者ぎょうしゃ組織そしき
その

映画えいが

  • どきいとぐるま』(2020ねん) - 監督かんとく石井いしいともぶんまわし日本にっぽんのドキュメンタリー映画えいが

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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