出版しゅっぱん

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15世紀せいきウィリアム・キャクストン活版かっぱん印刷いんさつ風景ふうけい(1877ねん彫刻ちょうこく

(しゅっぱん、えい: publishing)とは、販売はんばい頒布はんぷする目的もくてき文書ぶんしょ図画ずが複製ふくせいし、これを書籍しょせき雑誌ざっし形態けいたい発行はっこうすることで、(じょうし)、(はんこう)ともばれる。上梓じょうしの「(し)」とは、(カバノキミズメのことではなく)ノウゼンカズラキササゲのことで、ふる中国ちゅうごく木版もくはん印刷いんさつはんざいにキササゲがもちいられたことにもとづく。書籍しょせき雑誌ざっしなど出版しゅっぱんされたものを(しゅっぱんぶつ)とび、出版しゅっぱん事業じぎょうとする企業きぎょう出版しゅっぱんしゃぶ。 出版しゅっぱん複製ふくせい)は一般いっぱん印刷いんさつによっておこなわれる。新聞しんぶん同様どうよう方法ほうほう発行はっこうされるが、流通りゅうつう経路けいろことなり、通常つうじょう出版しゅっぱんとはばない。ただし、現在げんざいほとんどの新聞しんぶんしゃ(またはそのグループ会社かいしゃ)では雑誌ざっし書籍しょせき出版しゅっぱんがけている。

出版しゅっぱん書籍しょせき雑誌ざっし)は新聞しんぶんラジオテレビくらべて情報じょうほう伝達でんたつ速報そくほうせいなどのてんおとっているが、一方いっぽう正確せいかくせい蓄積ちくせきせいなどにすぐれたメディアである。

歴史れきし[編集へんしゅう]

出版しゅっぱん前提ぜんていとして印刷いんさつ技術ぎじゅつ必要ひつよう不可欠ふかけつである(古代こだい中世ちゅうせいでも写本しゃほんごうとする場合ばあいがあるが、ここでは除外じょがいする)。また情報じょうほう伝達でんたつするための流通りゅうつう経路けいろ商業しょうぎょう出版しゅっぱんでは一般いっぱん作者さくしゃ出版しゅっぱんしゃ印刷いんさつ会社かいしゃから流通りゅうつう書店しょてん読者どくしゃまで)がなければ、継続けいぞくてき事業じぎょうとしては成立せいりつしない。

印刷いんさつ技術ぎじゅつ普及ふきゅうするまで、ほん写本しゃほんによってつたえるほかはなかった。中国ちゅうごく7世紀せいきごろから木版もくはん印刷いんさつおこなわれ、世界せかい最古さいこ印刷いんさつ書籍しょせきは『きむつよしけい』であり、しるされた年代ねんだい868ねん9世紀せいきすえとうあさまつ)で、現在げんざいだいえい博物館はくぶつかん保管ほかんしている[1]こううららでは金属きんぞく活字かつじ技術ぎじゅつもあった(高麗こうらいばん大蔵経だいぞうきょう)。日本にっぽんでも平安へいあん時代じだい末期まっき以降いこう、「ひゃくまんとう陀羅尼だらに」「五山ごさんばん」など仏典ぶってん印刷いんさつおこなわれていたが、おも寺院じいんうちなどかぎられた範囲はんい流通りゅうつうとどまっており、ひろ一般いっぱん流通りゅうつうするものではなかった。

ヨーロッパ[編集へんしゅう]

1450年代ねんだいドイツグーテンベルクによって活版かっぱん印刷いんさつ技術ぎじゅつ完成かんせいされ、『グーテンベルク聖書せいしょ』などが刊行かんこうされた。初期しょき印刷物いんさつぶつはまだまだ高価こうかであり、かぎられた階層かいそうしか利用りようできなかったが、やがて出版しゅっぱん産業さんぎょう本格ほんかくする。揺籃ようらんにおける出版しゅっぱんじんとして、アルドゥス・マヌティウスなどがられている。ルターはじまる宗教しゅうきょう改革かいかく時期じきにはパンフレット大量たいりょうつくられて流通りゅうつうし、印刷いんさつごう発達はったつしていった。

日本にっぽん[編集へんしゅう]

戦国せんごく時代じだいキリシタンばんばれる活版かっぱん印刷いんさつおこなわれ、また朝鮮ちょうせん出兵しゅっぺいんだ朝鮮ちょうせんしき活字かつじ印刷いんさつが、江戸えど時代じだい初期しょきには「活字かつじほん」がつくられるようになる。活字かつじほんひとつとして「嵯峨さがほん」が有名ゆうめいである。これは京都きょうと嵯峨さが角倉すみくらもとあんほん阿弥あみ光悦こうえつらの協力きょうりょく出版しゅっぱんした豪華ごうかほんであり、嵯峨さがほん自体じたいしょう部数ぶすう製作せいさくだったが、のちおおきな影響えいきょうあたえた。

営利えいり目的もくてき書物しょもつ日本にっぽん出版しゅっぱんされたのは寛永かんえい年間ねんかん17世紀せいき前半ぜんはん)の京都きょうとからはじまり、貞享ていきょう2ねん1685ねん)に刊行かんこうされた書物しょもつやく6000しゅになり(『しんてい総合そうごう国語こくご便覧びんらんだいいち学習がくしゅうしゃ 改訂かいてい28はん1998ねん初版しょはん1978ねん)p69)、17世紀せいきまつになると京都きょうとでは1まんてんちか発行はっこうされた[2]発行はっこう部数ぶすうえるにつれ、江戸えど幕府ばくふは「出版しゅっぱん取締とりしまりれい」をとおる7ねん1722ねん)に公布こうふし、出版しゅっぱん規定きていさだめた。まず原稿げんこう検閲けんえつためりをし、ふたた検閲けんえつするという経緯けいいており、将軍しょうぐんかんするスキャンダルや風俗ふうぞくみだ内容ないよう出典しゅってん根拠こんきょのない論説ろんせつなどはきんじられた[3]

それ以前いぜん慶長けいちょう年間ねんかんにはこう陽成ようぜい天皇てんのうみことのりによる「慶長けいちょうみことのり版本はんぽん」が出版しゅっぱんされ、『日本書紀にほんしょき』(神代かみしろまき)など四書ししょされた[4]が、慶長けいちょう4ねん1599ねん)に出版しゅっぱんされた神代かみしろまきは、当時とうじ技術ぎじゅつてき問題もんだいもあり、100ほどで、神宮じんぐう神社じんじゃ身近みぢか公家くげくばられたのみであった[5]書肆しょし村上むらかみ平楽へいらくてらげん平楽へいらくてら書店しょてん)は寛文ひろふみ9ねん1669ねん)に『日本にっぽん文徳ふみのり天皇てんのう実録じつろく』を刊行かんこうし、ろく国史こくしも17世紀せいき後半こうはんには『日本にっぽん』をのぞき、されていくことになるが、その金額きんがくは1りょう(『ぞく日本にっぽん』)から10もんめ(『文徳ふみのり実録じつろく』)までであった[6]

木版もくはん印刷いんさつによる出版しゅっぱんさかんになると、浮世草子うきよぞうし黄表紙きびょうし洒落本しゃれぼん滑稽本こっけいぼんなどが出版しゅっぱんされ[7]一般いっぱんにもひろまれた。版元はんもととしてつた重三郎しげさぶろうなどもよくられている。18世紀せいき前半ぜんはんでも出版しゅっぱん点数てんすうは1まんてんちかく、大岡おおおか忠相ただすけ書物しょもつ店屋みせやつくらせた目録もくろくには7446しゅしるされている[8]当初とうしょ浮世草子うきよぞうし絵本えほん上方かみがたからの「くだ商品しょうひん」であったが、1770年代ねんだい(18世紀せいきまつ)には洒落本しゃれぼんひょうほんなどの「地本じもと」(江戸えど出版しゅっぱんほん)の出版しゅっぱんすう上方かみがたえた[9]民間みんかん能力のうりょく向上こうじょうしたことも出版しゅっぱん業界ぎょうかい形成けいせいされた基礎きそ条件じょうけんとなった[10]が、なにより出版しゅっぱん活動かつどう活発かっぱつ近世きんせいじん美意識びいしきそだてる触媒しょくばいとなり、いき(すい)からつういきへとこのみを分化ぶんかさせ、野暮やぼわら空気くうきした[11]

明治めいじ時代じだいになって活字かつじ使つかった近代きんだいてき印刷いんさつじゅつ急速きゅうそく発展はってんし、自由じゆう民権みんけん運動うんどうとともに政治せいじてき主張しゅちょうとなえる新聞しんぶん雑誌ざっしさかんになった。政府せいふ一方いっぽうでは出版しゅっぱん奨励しょうれいしつつ、他方たほうで1869ねん明治めいじ2ねん)に出版しゅっぱん条例じょうれい、1875ねん明治めいじ8ねん)に新聞紙しんぶんし条例じょうれいなどを制定せいていして言論げんろん活動かつどうまった。のちに、1893ねん明治めいじ26ねん)に出版しゅっぱんほう、1909ねん明治めいじ42ねん)に新聞紙しんぶんしほうへと改正かいせいされた。

雑誌ざっしとしては明治めいじ中期ちゅうき以降いこう文学ぶんがく作品さくひん評論ひょうろんなどを掲載けいさいする『国民こくみんとも』『太陽たいよう』『中央公論ちゅうおうこうろん』『改造かいぞう』などが次々つぎつぎ創刊そうかんされ、ひろそうまれた。また、教育きょういく普及ふきゅうとともに文学ぶんがくこの読者どくしゃそう成立せいりつし、新聞しんぶん雑誌ざっし連載れんさいされた小説しょうせつ単行本たんこうぼんされて再読さいどくされる、といったパターンも次第しだい定着ていちゃくしていった(尾崎おざき紅葉こうよう夏目なつめ漱石そうせきらの小説しょうせつ)。

当時とうじ出版しゅっぱんほう雑誌ざっし定期ていき刊行かんこうぶつとして新聞紙しんぶんしほう)にもとづき内務省ないむしょう検閲けんえつきょくによる検閲けんえつおこなわれ、書籍しょせき発売はつばい3にちまえに、新聞しんぶん雑誌ざっし発売はつばいとどることになっていた。問題もんだいありと判断はんだんされると発売はつばい禁止きんし処分しょぶんられた。発売はつばい禁止きんし対象たいしょうになったものは永井ながい荷風かふう小説しょうせつふらんす物語ものがたり』のように風俗ふうぞくがいするとかんがえられたものや、社会しゃかい主義しゅぎマルクス主義まるくすしゅぎもとづくはん体制たいせいてき記事きじ書籍しょせきであった。昭和しょうわはいると1934ねん昭和しょうわ9ねん)のほう改正かいせい言論げんろん弾圧だんあつ強化きょうかされた。やがて、だい世界せかい大戦たいせん突入とつにゅうし、1938ねん昭和しょうわ13ねん)に国家こっか総動員そうどういんほう制定せいていされるなど、日本にっぽん社会しゃかい全体ぜんたい軍国ぐんこく主義しゅぎ一色いっしょくまっていくなかでのそう力戦りきせん体制たいせいした出版しゅっぱんなど言論げんろん自由じゆう完全かんぜんうしなわれた。

だい世界せかい大戦たいせん日本にっぽん敗戦はいせんわり、出版しゅっぱんほうなどが1949ねん昭和しょうわ24ねん)に廃止はいしされるが、占領せんりょうには連合れんごう国軍こくぐん最高さいこう司令しれいかんそう司令しれい (GHQ/SCAP) によって検閲けんえつ秘密裏ひみつりに、より広汎こうはんおこなわれた。1947ねん昭和しょうわ22ねん)5がつ3にち日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこうもそれはつづけられた。1952ねん昭和しょうわ27ねん)4がつ28にちサンフランシスコ講和こうわ条約じょうやく発効はっこうされ主権しゅけん回復かいふくして以降いこう今日きょう日本にっぽんでは日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい21じょうによって、検閲けんえつ禁止きんし言論げんろん表現ひょうげん自由じゆう規定きていされており、何人なんにんでも出版しゅっぱんおこなうことができる。一方いっぽうぎた取材しゅざいによるプライバシー侵害しんがいなどべつ問題もんだい浮上ふじょうしてきている。また、かみ媒体ばいたいではなく、インターネット利用りようした電子でんし出版しゅっぱんおこなわれるようになっている。かみ媒体ばいたい書籍しょせき場合ばあい過去かこ出版しゅっぱんぶつ常時じょうじそろえておこうとすると在庫ざいこ負担ふたんおおきく、絶版ぜっぱんにすると読者どくしゃ必要ひつようときれられない、という課題かだいがあったが、電子でんし出版しゅっぱん普及ふきゅうすればこうした課題かだい解決かいけつすることが期待きたいできる。

出版しゅっぱんのプロセス[編集へんしゅう]

一般いっぱん商業しょうぎょう出版しゅっぱんではつぎのようになる。

出版しゅっぱんしゃ企画きかく原稿げんこう依頼いらい作家さっかカメラマンイラストレーター、または左記さきのクリエイターを総合そうごうてき運用うんようして編集へんしゅうにあたる編集へんしゅうプロダクション取材しゅざい原稿げんこう執筆しっぴつ撮影さつえい作画さくが出版しゅっぱんしゃ割付わりつけ→校正こうせい印刷いんさつ会社かいしゃ印刷いんさつ校正こうせい製本せいほんしょちょうごうていじ→取次とりつぎ書店しょてん図書館としょかん学校がっこうほか

こうした出版しゅっぱんプロセスをいち地域ちいきあつめて効率こうりつよくおこなおうというこころみが、韓国かんこくで「坡州出版しゅっぱん都市とし」としておこなわれている[12]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ クリストファー・ロイド わけ野中のなかかおり方子のりこ 『137おくねん物語ものがたり 宇宙うちゅうはじまってから今日きょうまでのぜん歴史れきし』 18さつ2014ねん(1さつ2012ねん) pp.305 - 306.
  2. ^ 歴史れきしミステリー」倶楽部くらぶ図解ずかい!江戸えど時代じだい三笠みかさ書房しょぼう 2015ねん ISBN 978-4-8379-8374-3 pp.222.
  3. ^ どう図解ずかい!江戸えど時代じだい三笠みかさ書房しょぼう 2015ねん pp.222 - 223.
  4. ^ 広辞苑こうじえん だいろくはん岩波書店いわなみしょてん一部いちぶ参考さんこう。『詳説しょうせつ 日本にっぽん図録ずろく だい5はん山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ 2011ねん
  5. ^ 遠藤えんどう慶太けいたろく国史こくし日本書紀にほんしょきはじまる古代こだいの「正史せいし」』 中公新書ちゅうこうしんしょ 2016ねん ISBN 978-4-12-102362-9 p.209.
  6. ^ どうろく国史こくし日本書紀にほんしょきはじまる古代こだいの「正史せいし」』 中公新書ちゅうこうしんしょ 2016ねん p.210.
  7. ^ 深谷ふかや克己かつみ江戸えど時代じだい 日本にっぽん歴史れきし6』 岩波ジュニア新書いわなみじゅにあしんしょ だい3さつ2001ねん(1さつ2000ねんISBN 4-00-500336-2 p.144.19世紀せいき前半ぜんはんには読本とくほん滑稽本こっけいぼん人情本にんじょうぼんくさそうほんごうまきなどのせい文化ぶんか花開はなひらく。
  8. ^ どう江戸えど時代じだい 日本にっぽん歴史れきし6』 岩波ジュニア新書いわなみじゅにあしんしょ 2001ねん p.144.
  9. ^ どう江戸えど時代じだい』 p.144.
  10. ^ どう江戸えど時代じだい』 p.77.
  11. ^ どう江戸えど時代じだい』 p.146.
  12. ^ 坡州(パジュ)出版しゅっぱん都市とし(Konest)

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]