言論げんろん自由じゆう

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1974ねん英国えいこくロンドンスピーカーズコーナーでの演説えんぜつもの

言論げんろん自由じゆう(げんろんのじゆう、えい: Freedom of speech)は、検閲けんえつけることなく自身じしん思想しそう良心りょうしん表明ひょうめいする自由じゆうす。自由じゆうけん一種いっしゅである。

概説がいせつ[編集へんしゅう]

言論げんろん自由じゆう概念がいねんは、古代こだいギリシアの「パレーシア」に由来ゆらいする。プラトンは『国家こっかだい8かん(557B)において、自由じゆう(エレウテリア)を原理げんりとする民主みんしゅせい特徴とくちょうとして、「放任ほうにん」(エクスーシア)とともに、「言論げんろん自由じゆう率直そっちょくさ」(パレーシア)をげている。

言論げんろん自由じゆうは、表現ひょうげん自由じゆう根幹こんかんをなすとかんがえられ、いまでは国際こくさい人権じんけんほう保護ほごされ世界せかい人権じんけん宣言せんげんだい19じょう市民しみんてきおよ政治せいじてき権利けんりかんする国際こくさい規約きやく国際こくさい人権じんけんB規約きやく自由じゆうけん規約きやく)にも規定きていされている[1]

世界せかい人権じんけん宣言せんげん だい19じょう

すべてじんは、意見いけんおよ表現ひょうげん自由じゆうたいする権利けんりゆうする。この権利けんりは、干渉かんしょうけることなく自己じこ意見いけんをもつ自由じゆうならびにあらゆる手段しゅだんにより、また、国境こっきょうえるととにかかわりなく、情報じょうほうおよ思想しそうもとめ、け、およつたえる自由じゆうふくむ。

Everyone has the right to freedom of opinion and expression; this right includes freedom to hold opinions without interference and to seek, receive and impart information and ideas through any media and regardless of frontiers.

表現ひょうげん自由じゆうにおける言論げんろん自由じゆう出版しゅっぱん自由じゆうとの関係かんけいであるが、本来ほんらい、「言論げんろん」は音声おんせいによる表現ひょうげん[2]、「出版しゅっぱん」はおも文字もじによる表現ひょうげんであるが[2]ひろく「言論げんろん自由じゆう」と表現ひょうげんされることもあり、言葉ことばとおしての表現ひょうげん自由じゆうは「発言はつげん自由じゆう」とばれることもある[2]

原理げんり[編集へんしゅう]

言論げんろん自由じゆう自由じゆうけんふくまれる。18世紀せいき以降いこう1776ねんのアメリカのバージニア権利けんり章典しょうてん1789ねんのフランスのフランス人権じんけん宣言せんげんをはじめとする人権じんけん平等びょうどうてき憲法けんぽう自然しぜんけん宣言せんげんにより、自由じゆう平等びょうどうなど人権じんけん存在そんざいと、国家こっかによるその保障ほしょう規定きていされた。

典型てんけいてき自由じゆう主義しゅぎてき信念しんねんによれば,各人かくじん自発じはつてき表現ひょうげん総体そうたいとしてたがいに説得せっとくしようときそう'思想しそう自由じゆう市場いちば'(free market of ideas)を形成けいせいし、その自由じゆう競争きょうそう過程かてい真理しんり勝利しょうりし、真理しんりもとづいて社会しゃかい進歩しんぽするとかれる[3]思想しそう自由じゆう市場いちばろん)。ただしい知識ちしき真理しんりは、各人かくじん自発じはつてき言論げんろんが「思想しそう自由じゆう市場いちば」へ登場とうじょうし、そこでの自由じゆう討議とうぎ結果けっかとしてられるものとかんがえられることから、表現ひょうげん自由じゆう真理しんりへの到達とうたつにとって不可欠ふかけつ手段しゅだんであるとみる[4]

また、民主みんしゅ政治せいじ被治者ひちしゃ同意どういもとづく政治せいじであるが、この同意どういなん強制きょうせいによることなく表現ひょうげん自由じゆうのもとで形成けいせいされている必要ひつようがあり、この自由じゆういている政治せいじ体制たいせいはその支配しはい正当せいとうすることができない[5]言論げんろん自由じゆう民主みんしゅ政治せいじ不可欠ふかけつ要素ようそであり、国民こくみんまたは人民じんみん主権しゅけんうたいつつ実際じっさいには表現ひょうげん自由じゆうみとめていないくに非常ひじょうおおいが、統治とうちにんたっているいちにぎりの人々ひとびと行動こうどう国民こくみん利益りえき願望がんぼう合致がっちしているかどうか監視かんしおおやけ批判ひはんすることができない国民こくみんしん主権しゅけんしゃとはえない[3]

アメリカ最高裁判所さいこうさいばんしょ判事はんじロバート・ジャクソンは「われわれは被治者ひちしゃ同意どういによる政府せいふ樹立じゅりつしたのであり、権利けんり章典しょうてんは、権利けんり把持はじしゃがその同意どうい強制きょうせいする法的ほうてき機会きかい一切いっさい否定ひていする。」とし[3]、「公権力こうけんりょく世論せろんによって統制とうせいされるべく、世論せろん公権力こうけんりょくによって統制とうせいされてはならない」としている[3]。また、アメリカ最高裁判所さいこうさいばんしょ判事はんじオリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアは、権力けんりょく人間にんげん自己じこ思想しそうただしさを確信かくしんすればするほど対立たいりつする思想しそう直接ちょくせつ間接かんせつ抑圧よくあつしようとする論理ろんり指摘してきしている[6]だい4だいアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょうであるジェームズ・マディソンは「人民じんみんてき知識ちしきもしくはそれを獲得かくとくする手段しゅだんのない人民じんみんてき政府せいふというようなものは、茶番ちゃばんかまたは悲劇ひげき、もしくはおそらくその両方りょうほう序幕じょまくにすぎない」とべている[6]。ただし、言論げんろんによる暴力ぼうりょく自由じゆうではないと解釈かいしゃくされた判例はんれい存在そんざいする[7]

権力けんりょくたいする言論げんろん自由じゆうは、権力けんりょく監視かんしする意味合いみあいがあり、もし制約せいやくがあれば民主みんしゅ主義しゅぎとはえない。しかし、個人こじんたいする言論げんろん自由じゆうは、濫用らんようすると、名誉めいよ毀損きそんざい侮辱ぶじょくざい抵触ていしょくするおそれがあり、充分じゅうぶん注意ちゅういして行使こうししなければならない(ロンドンのハイド・パークにある「スピーカーズ・コーナー」は、この制約せいやくさえもなく、イギリス政府せいふ転覆てんぷくろんじたり王室おうしつ批判ひはんすることはゆるされていないが、主張しゅちょう発言はつげん自由じゆう完全かんぜん保障ほしょうされためずらしい場所ばしょであり、また同時どうじに「ヤジの自由じゆう」も保障ほしょうされている)。

哲学てつがくしゃアレクシ・ド・トクヴィル19世紀せいき初頭しょとうアメリカ人々ひとびと政府せいふによる報復ほうふくへの恐怖きょうふからではなく、社会しゃかいてき圧力あつりょくのために自由じゆうはなすのをためらうことを指摘してきしている。

なお、ヨーロッパには「ユダヤじん問題もんだい最終さいしゅうてき解決かいけつ」をナチスりに解釈かいしゃくしたせつもしくはホロコースト否認ひにんろんとなえると、禁錮きんこけいせられるくにおおい(ドイツフランスオーストリアハンガリーひとし)。

日本にっぽん[編集へんしゅう]

沿革えんかく[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおいては言論げんろん自由じゆうは、1889ねん大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうにおいてはじめて保障ほしょうされた(29じょう)。この憲法けんぽうビスマルク憲法けんぽう下敷したじきにしたとされているが[注釈ちゅうしゃく 1]、フランス、オランダ、ベルギー、イタリアの憲法けんぽう研究けんきゅうされていた[注釈ちゅうしゃく 2]他方たほう現実げんじつにはすべての出版しゅっぱんぶつ出版しゅっぱん条例じょうれいにより検閲けんえつされ、また労働ろうどう農民のうみんとうなど裁判所さいばんしょから解散かいさん命令めいれいけたとう数多かずおおかった。

29じょう 日本にっぽん臣民しんみん法律ほうりつ範囲はんいないおい言論げんろん著作ちょさく印行いんこう集會しゅうかい及結しゃ自由じゆうゆう

1947ねん日本国にっぽんこく憲法けんぽう人権じんけんを「おかすことのできない永久えいきゅう権利けんり」(だい11じょう・97じょう)として規定きていしたうえ、出版しゅっぱんその一切いっさい表現ひょうげん自由じゆう人権じんけんとして保障ほしょうしている(21じょう1~2)。当然とうぜんであるが、わいせつぶつ頒布はんぷとうつみなどにたるような違法いほう表現ひょうげんもあることには注意ちゅうい必要ひつようである。

11じょう 国民こくみんは、すべての基本きほんてき人権じんけん享有きょうゆうさまたげられない。この憲法けんぽう国民こくみん保障ほしょうする基本きほんてき人権じんけんは、おかすことのできない永久えいきゅう権利けんりとして、現在げんざいおよ将来しょうらい国民こくみんあずかへられる。
97じょう この憲法けんぽう日本にっぽん国民こくみん保障ほしょうする基本きほんてき人権じんけんは、人類じんるい多年たねんにわたる自由じゆう獲得かくとく努力どりょく成果せいかであつて、これらの権利けんりは、過去かこ幾多いくたためしへ、現在げんざいおよ将来しょうらい国民こくみんたいし、おかすことのできない永久えいきゅう権利けんりとして信託しんたくされたものである。
21じょう 集会しゅうかい結社けっしゃおよ言論げんろん出版しゅっぱんその一切いっさい表現ひょうげん自由じゆうは、これを保障ほしょうする。
 2 検閲けんえつは、これをしてはならない。通信つうしん秘密ひみつは、これをおかしてはならない。

言論げんろん自由じゆうをめぐる問題もんだいれい[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく
  1. ^ 大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうのモデルとなったビスマルク憲法けんぽうは、議会ぎかいによる大臣だいじん罷免ひめんけんさだめらていない最初さいしょはんである。
  2. ^ ただし明治めいじ時代じだいから昭和しょうわ前期ぜんき翻訳ほんやくぶつにはしばしば原文げんぶん不明ふめいであったり原文げんぶん一致いっちしないものがあるため注意ちゅうい必要ひつようである[8]
出典しゅってん
  1. ^ 国際こくさい連合れんごう人権じんけん高等こうとう弁務べんむかん事務所じむしょ, Freedom expression and opinion, 国際こくさい連合れんごう, https://www.ohchr.org/en/topic/freedom-expression-and-opinion 
  2. ^ a b c 阿部あべあきらへん憲法けんぽう 2 基本きほんてき人権じんけん(1)』有斐閣ゆうひかく有斐閣ゆうひかく双書そうしょ〉、1975ねん、160ぺーじ 
  3. ^ a b c d 阿部あべあきらへん憲法けんぽう 2 基本きほんてき人権じんけん(1)』有斐閣ゆうひかく有斐閣ゆうひかく双書そうしょ〉、1975ねん、162ぺーじ 
  4. ^ 阿部あべあきらへん憲法けんぽう 改訂かいていあおりん書院しょいんあおりん教科書きょうかしょシリーズ〉、1991ねん、118ぺーじ 
  5. ^ 阿部あべあきらへん憲法けんぽう 改訂かいていあおりん書院しょいんあおりん教科書きょうかしょシリーズ〉、1991ねん、119ぺーじ 
  6. ^ a b 阿部あべあきらへん憲法けんぽう 2 基本きほんてき人権じんけん(1)』有斐閣ゆうひかく有斐閣ゆうひかく双書そうしょ〉、1975ねん、163ぺーじ 
  7. ^ 携帯けいたいテキストでおとこ友達ともだち自殺じさつたすけたら「殺人さつじん」で有罪ゆうざい”. www.jlifeus.com. 2019ねん3がつ3にち閲覧えつらん
  8. ^ ほり清水しみず、1889ねん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]